第295話 最終決戦、またの名を夫婦喧嘩

 ぼくらが発生させた水煙により、一面は真っ白な濃霧で覆われた。

 自分の手すら顔に近づけなければ見えないほどぼくらの視界は最悪になる。


 けれど、わたしたちは何も見えない訳じゃない。

 見えない分、それ以上に濃霧を通してこの場所全てを感じ取れる。


 この濃霧は自分の支配領域の拡張だ。このオアシス内部に充満している魔力をぼくらの支配下に置き、これからので優位に立つために必要な前準備に過ぎない。


「ルイ。そろそろ、いいかしらね」


 今まで黙っていたレティがやっと口をきいた。

 ぼくも胸の中で頷き返す。


「うん。レティ、このあたりの魔力はぼくらのものだ。だから――」


 シャリ――と、音を鳴らして、首にかかったシズクの指輪と、リコちゃんのペンダントをルイが握る。

 わたしもルイを通してその2つの感触を共有した。


『これで、後はシズクを……』


 ぼくらを声を揃えて口にする。

 後はシズクを……その先は、もう言葉にするのではなく、行動にするだけだ。

 これ以上の言葉はいらない。

 ぼくらは腰に下げていた鍵束に手を伸ばそうとして――。


 ――やあ、新たなボクのお気に入りであり“王”たちよ。ついにこの時が来たね。

「……はあ。ようやく、話しかけてきたわね。あんたならリコちゃんが消えた時に一目散に語り掛けてくると思ってたわ」


 ……が、そこへ今までレティと同じく沈黙を続けていた、ぼくらの持ち主である白い青年が語り掛けてきたらしい。


 らしいと言うのも、わたしたちの頭の中へと直接言葉を送り込んでくるのはそいつだけだ。

 普段ルイと胸のうちで話すのとも、もう感触も忘れてしまった神託オラクルとも、全然違う。


 まあ、ぼくらわたしたちの感想は共通している。

 はっきり言って気持ち悪い。


 ――ひゃはは。これでも気を利かせてあげたつもりだよ? 長年連れ添った妹ちゃんとのお別れの場に水を射すほど、ボクは無粋じゃない。

「あっそ。……で、こんなギリギリに出てきて、何かわたしたちに用なわけ?」

 ――最後くらい忠告というか助言というか、これからの戦いのサポートさ。手も足も出せないボクだけど、口くらいならいいだろ? 

「は、なんともありがたいことで……それで? あんたのことだから、他にまだ何かあるんでしょ?」

 ――察しが良いね。ああ、あるよ。……実は、もう月を止めることはできない。キミたちがどんな結末を迎えようが、この世界は予定通り月が落ちて終わりを迎えるよ。


 それ、この場面で言うことなの? と、ぼくらの苦い顔をどこで見てるのか知らないけど、頭の中で彼のひゃははという耳障りな笑い声が響いていく。


「本当にきみたちって性格悪いよね。むしろ、教えてくれなかった方が良いまであるよ」

 ――そう言わないでよ。これで世界の命運が決まるとかどうとか、キミたちが余計な重荷を背負う必要は無くなったんだからさ。だから、後はもう思う存分、痴話喧嘩に励んでおくれよ。

「痴話喧嘩ねえ……はあ、あんたねぇ――」


 以前から身内に夫婦喧嘩とルイが言いふらしている手前、その発言を否定することはできない。

 でも、だからって馬鹿にされてるみたいで癪だから言い返してやろうと思った。


「……レティっ!」


 ――その時だ。

 真っ白で何も見えないこの場所、この濃霧の中で、わたしたち以外に動く存在にいち早く反応をルイが見せた。

 若干遅れて、わたしもそれに気が付く。


 見えないとしても、ぼくたちは思わずその方向へと顔を向けた。

 

「なっ、シズクっ!?」

 ――あれ、目を覚ましたね。ひゃはは、どういうことだろうね。


 まだ攻撃どころか、触れてもいないのに、泉の中で立ち上がるシズクへと――。





 何かが、目の前にいる。

 視力はとんと悪くなったが、いつも以上に深く霞み掛かって見えない。

 何かが、目の前にいる。

 耳もこれが遠くて、ものが詰まっているみたいに全くと聞こえない。

 何かが、目の前にいる。

 声は出している認識があるが、それが音となってその人に届くかは定かではない。


「……」


 不思議だ。

 目覚めた後はいつだって朦朧として、起されたことに苛立ちを覚えて仕方なかったのに、今回はぼんやりとしているとはいえ、正常に意識を保っていられる。

 これも自発的に目を覚ましたからだろうか。


「――ズクっ!?」


 この長い長い間、自分から目を覚ますことなんて一度だってなかったけど、実に気分がいい。

 この時間に起きることに合わせたみたいに、目の前には僕を殺しにきた人もいるわけだしね。

 だからこそ、僕から声を掛けることにした。


「……そこに、誰かいるの?」





 シズクは傾けた首を起こして、顔をこちらへと向けてきた。

 だらだらと泉の水を身体から滴らせ、だらりと力の抜けた姿勢のままぽつんと泉の中で立ち尽くす。

 その覇気のない様子は、霧で遮られた今のぼくらを認識しているのかも定かじゃない。


「……そこに誰か、いるの?」

「…………ぼくだよ。ルイだよ。レティもいるんだよ?」


 霧向こうのシズクが声を掛けてきたので、ぼくらは一縷の望みに期待して、自分たちの名を声に出してみた。

 もしかしたら、ぼくらがいることを知れば、シズクが正気に戻ってくれると期待して――けれど、シズクは小さく首を振る。

 シズクの動きに合わせて周囲の霧が微かに揺れた。


「……ごめん。話しかけた手前、君たちが何を言ってるか、わからない。……もう、眼も殆ど見えなくてさ、耳もすごい遠くなってて、この声もちゃんと発音できてるかどうか……」

「……シズク!」


 変だ。確か、シズクはとぼくらは聞いている。


 でも、今目の前にいるシズクは五感を失っているとのことだが、わたしたちには比較的まとも見える。


「……僕は、世界中から嫌われているんだってね。僕を殺さないと月が落ちてこの世界が滅びるなんて、馬鹿みたいな話をリコから教えてもらった」

「そう、そうだよ……だから、ぼくらが代わりにシズクを殺すことにしたんだ」


 シズクは自分で言っていた通り、ぼくらの声なんて聞こえなかったように続ける。


 それならそれで、わたしたちだって、例え通じなくたって、話に乗ってやるだけだ。


「……殺されてもいいかなって思う。でも、死のうと思っても、この身体は死ぬことを許してくれないんだ。そして、死を受け入れようとする度に、僕が大切にしていた子たちがね。頭にちらついて仕方なかった。……結局、いつだって目の前には屍の山さ」

「シズク、あんたね! その大切にしてきた子たちが、やっと会いに来てやったのよ! もっとシャキッとしろ! 寝ぼけてないでわたしたちをちゃんと見ろ!」


 今のシズクに言葉は届かない。

 それでも、わたしたちはお互い一方通行の会話を続けてしまう。


 だって、こんな形だとしても、ぼくたちはシズクと話せていることが嬉しかったからだ。


「ルイとレティって言う、姉妹でさ……僕は心から彼女たちが好きだったんだ……でも、もう彼女たちはいない……」

「い、いるよぉっ! 目の前に、ぼくらはここにいるよぉ! ねえ、シズク! お願いだからさぁ……」


 やっぱり、駄目なのかな。


 霧の奥から一方的に話し続ける馬鹿に、わたしたちが何を言ったところで反応のひとつもしてはくれない。


「ねえ……どう思う? 月が落ちれば、今度こそ僕は死ねるかな? レティやルイと同じ所へ行けると思う?」

『……シズク』


 シズクを殺すと遠く彼方に結び付けた決心が、彼の言葉を聞いただけで、簡単に解けそうになる。


『……っ!』


 けれど、ぼくらは必死に奥歯を噛みしめて繋ぎ止める。


(いいや。やるんだ! そうだ。やらなきゃ!)


 わたしルイの意地とぼくレティの我儘を、最後まで、最後まで貫き通すためにも!


「……無駄話を聞かせちゃってごめんね。えっと……君は、僕を殺しに来たんだよね? 今まで僕を起こしに来た人たちみたいに……無駄だと思うけど」


 ぼくよりも先に、レティが静かにシズクのいる方を見据える。


 ルイもまたわたしに倣って、シズクの方へと意識を向けた。

 

「目の前にいる人、僕の声が届いていますか? 僕のこと、殺してくれますか? 僕のことを、止めてくれますか?」


 そんなシズクの懇願は聞いて、心底嫌になる。

 だからこそ、ぼくは両手を前に広げて叫んでやった。


「届いてる! 殺してやる! 止めてあげる! だから、だから――」

「君が何者でも構わない。けれど、もしも僕を滅するほどの力を君が持つなら、お願いだ――」


 霧の先でシズクが――。


「――僕を……僕の世界を……止めてくれよぉぉぉ!」



 がなり立てながら、ぼくたちへと黒い魔力を放ち――。


「シズクも、ぼくたちのことをちゃんと見てよぉぉぉ!」


 ぼくらも、負けじと声を荒げてシズクへとありたっけの魔力を込めた水魔法を放ち返した。





 最初の黒い魔力による攻撃は迎撃として出した水魔法の柱でなんとか受け流し、すぐさま距離を取った。

 今の攻撃で周囲を覆っていた霧が瞬く間に掻き消える。

 視界が開けた先、目の前にいたのは人の形をした影だった。


「あれが、シズク……!」


 目の前にいたシズクは、遠い昔の記憶に存在するリコを纏った時みたいな風貌をしていた。

 ただ、当時の合体した2人とは違い、目の前にいるシズクは揺らめく影を伴い禍々しい姿をしている。

 亜人族みたいな二足歩行をする獣そのものだ。


 ――まず、最初の形態だ。ノイターンの魔力を身体に覆っていることで、殆どの魔法は意味を成さず吸収されてしまう。安易に魔法は使わない方が良い。

「そこは前々からあんたから聞いてはいたけどさぁ……何が最初の形態よ! まるでロールプレイングゲームのラスボスじゃない!」

 ――対処法は楽だと思うよ。キミたちが今までに対処してきた【影】と行動パターンは同じだ。対象を視界に捕らえ次第、襲いかかる。

「簡単に言ってくれちゃって……暴れ出した【影】を倒すのが、どれだけ大変かわかってないよ!」


 白い青年の役に立たない助言にぼくらが悪態を吐いている最中、黒い影の中から覗かせた三白眼のような2つの目がこちらを捕らえ続けていることに気が付いた。


 シズクはわたしたちを注意深く見つめるだけで、彼から動く気配はない。


「……シズクのやつ、様子見のつもり?」


 何度かやり合った【影】は、例に漏れず問答無用に襲いかかってきた……何よ、白い青年の話と違うじゃない。


「それならそれで結構だよ!」


 その目に見られてぞくっと懐かしい感触を覚えながら、シズクが眠っている間に行うはずだった準備を急ぎ行う。

 ぼくらは最初、腰に下げていた束にかかっていた鍵を左手で全部握り締め、


「出ろ!」


 その発言と共に、鍵を放り投げ、長年、ぼくらの旅に付き合ってくれたぼろぼろの収納ボックスを空中に出現させる。


「はっ!」


 同時にわたしは自身の魔道器である鉄扇を出現させ――そのボックスへ向けて強く薙ぐ!

 そして、風に触れた収納ボックスを破砕させて、中に梱包していた鉄塊を練成―― わたしたちの周囲には用意していた素材分の剣が浮かび上がる。


「ルイ、次行くよ!」


 続いて、レティは鉄扇に魔力を込め、を外して扇骨をばらばらにした。

 それらはぼくの背中へと周り、羽のように広がった――いや、ようにじゃない。

 レティの鉄扇はぼくの翼になった。

 レティが与えてくれた翼によってぼくの身体を軽々と宙に浮かぶ。

 操作はレティが主立って行ってくれる。ぼくとレティの意識は繋がっているため、何の弊害も無く自由自在に動き回れる。


「……君からとてつもなく強い力を感じる。……よかった。君なら、もしかしたら僕を殺せるかもしれないね……」


 こちらの準備が終わった頃、震えるような声で【影】と化したシズクが言葉を紡ぐ。

 その声に応えるように、ぼくは宙に浮いていたレティの剣を両手ごとに握り、そのひと振りをシズクへと向けた。


「ああ、もちろんさ! シズク、安心して死んでいいよ! ぼくらが、シズクを殺してあげるから!」


 以前の気持ちが昂って出てしまった殺すとは全然違う。

 心から、本心で、ぼくは今、シズクへと殺すと宣言した。


「……ああ、殺してくれ。僕は自由がほしい!」


 本人は声が聞こえないと言っていた癖に、今のはぼくらの声に反応するかのように声を上げた。影の中で光る鋭い目が嬉しそうに細められる。

 その掛け声が合図とばかりに、シズクの身体から伸びた魔力の腕がぼくらを攻撃し始めた。無論、ぼくらは空を飛んで回避する。

 無数の腕がぼくを追いかけてくるけど、あいつの時むかしとは違って今のぼくらは余裕でそれらを避けることが出来た。

 レティの翼とぼくの目があれば、肌に触れる直前であろうとも避けられるだろう。

 黒い魔力に包まれたシズクも腕だけじゃなくて、その身でぼくを追いかけてきた。


「……おりゃああ!」


 ただ、ぼくらが逃げるだけだとは思わないでほしい。

 空に浮かぶ無数の剣と、ぼくが両手に持つ二振りの剣でシズクの放つ魔力の腕を切り裂いていく。

 今のシズクの攻撃は単調だ。魔力の腕を伸ばしてぼくらを捕まえようと躍起になり、その身も野を駆けて、空を飛ぶぼくらに追いつこうと必死だった。

 腕の攻撃だけ見ればどこかの誰かさんの模倣とまで言ってもいい。

 なら、尚更ぼくらが負けることはない。


「……だからぁ!」


 逃げるその身を翻し、ぼくらは突き出された腕と腕の隙間を縫って、シズクの懐に入り込む。

 そこをシズクがむざむざ立ち尽くすわけもなく、鋭い爪を備えた右腕による大振りを食らわそうとしてくる――けど、そこを最低限の回避。皮一枚で避け、


「――はあっ!」


 その振り落とされた腕を左手で持った剣で切り落とし、


「――いけぇっ!」


 間髪入れずに右手の剣を面の広がったシズクの首を狙って、降り落す――殆ど抵抗もないまま、刃は首を撫でた。


「……くっ!?」


 ぼくらはシズクの首を掻っ切った。

 その時――シズクの身体に纏っていた黒い魔力が破裂するかのように、ぼくらは打ち払う。

 風圧の様に放射された余波にぼくらは吹き飛ばされたが、なんとか空中で体勢を整える。

 そして、ぼくらはこの世界で一番愛するその名を、声に出した。


『……シズク!』


 先ほどまで【影】がいたその場所には、白いぼろをまとったシズクが立ち尽くしていた。

 ぼくらはゆっくりと宙に浮かび、今の戦いなんて無かったかのように、呆然と彼方を見つめるシズクへと近寄った。

 それから、ぼくらは個別にシズクに話しかける。

 最初は、レティが今すぐにでも飛び付きたい衝動を堪えて、


「やっと、やっと……っ……会いたかったわ。シズク……!」

「でも、これで終わりじゃないんだね? ね、シズク……」


 続いて、ぼくが100年近くの間恋焦がれたシズクに語り掛ける。

 ぼくらはこの時をずっと待ち続けた。

 待ち望み過ぎて、気が狂いそうになるほどに。


「……」


 ただ、シズクのやつ……ぼくらの気持ちなんてちっともわかってくれない。

 シズクは意地悪を続けて、ぼくらを無視するみたいに口を閉ざしていた。

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