第294話 さあ、はじめようか


「お別れは済んだようだな」


 頃合いを見計らって闇夜より2人の男女が姿を見せた。

 の肉親であるフォロカミとウリウリアである。


「もう……よろしいですか」


 ウリウリアは昏睡した5名を前に立ち尽くすルイレティへと声を掛けた。


「……」


 その問いに最初、レティルイは何も言わなかった。

 困ったような笑みを浮かべ、弱々しく2人に抱き付きたっぷりと時間をかけてから口を開いた。


「……皆のことはよろしくね。大切な、大切な仲間たちなんだ……」

「ああ、任せろ」

「はい……」


 フォロカミも、ウリウリアも、ルイレティの抱擁に答えるように彼女らの身体を抱き締め返した。


「ごめんなさい、2人とも……親不孝なわたしたちで、ごめん……!」

「……気にするな。お前は最後までお前の信念を貫き通せ」

「……私は貴女たちの背を押すとだけです」


 この先、どちらに転ぼうとも自分たちの命運は決まっている。

 それがこの星に住まう生命全ての滅亡――そのことを知っているからこそ、2人はレティルイの行動を止めない。咎めない。

 けれど、フォロカミも、ウリウリアも内心では彼女を引き留めたくて堪らない。

 しかし、これが彼らが選んだ道である――もう決心はとうの昔に付いていた。

 2人は、これから実の我が子を、大切な娘を死地へと見送らなければならない。


 ……3人は抱擁を解いた。


「ルイ……これは?」

「ぼくのペンダント。

「レティ、シズクによろしく」

「はい、お父様。任せておいて!」


 目元を拭い、ルイレティは彷徨うオアシスへと足を向けた。

 レティルイの後に続くように、2人もその背を追った。





「――おーい、いい加減起きなさいよ」


 深い闇の中で蹲っている僕に、誰かが声を掛けてきた。


「……誰? 誰かいるの?」

「ハァ? 寝ぼけてないでよ。まったく――よ! 17年ぶりね? 元気してたぁ……って、そんな感じでもないか」

「その声は……確か……あれ?」


 聞き覚えのある声だけど、まったくと思い出せない。

 目を開けようにも、まるで世界中にモザイクがかかっているみたい。

 これも視力がすっかり衰えてるから――そのことを思い出す最中、何か人影のようなものがおぼろげな視界に写り込んできた。


「たくっ、また落ち込んでるのか!」


 その人影は黒く長い髪を振り払うように僕に近づいてきた。

 瞼を細め、目を凝らし、何とか女性であることに気が付く。

 その人は僕の顔を覗き込むように自分の顔を近づけてきた。


「あのお嬢様から話は聞いたケド……まったく、確かにぃ、伝言としてレーネの名を世に知れ渡らせろとは言ったケド、世界中から嫌われるほどの悪名にしろなんて言ってないっつーの!」

「レーネ……あ……エキナ、さん?」

「おう! あなたに家名を与えた偉大なお姉さまであるエキナさんですよ!」


 レーネという名前を、その聞き覚えのある声で耳にしたことでようやく僕は目の前の人物が誰かわかった。


「ああ……エキナさん……エキナさんだ……」


 いつぶりだろう。

 確か100年くらい昔に会った気がする。

 エキナさんとはたった数日程度の付き合いだっていうのに、じんわりと胸の内が熱くなる。いつもの僕だったらきっと感情に任せて泣いてしまったことだろう。

 けれど、内面の反応と違い外見の反応を今の僕には察することはできない。

 僕は首を振るよう身体にから、口を開いた。


「ごめん。久しぶりに会えたのに、今の僕はエキナさんの顔が全然見えないんだ……」

「は? 何、それ? 意味わからん」

が無茶したせいかな。身体の感覚が希薄でさ、本当は耳もまったくと聞こえないはずなんだ。……今、エキナさんの声がはっきり聞こえるのが不思議だよ……」

「だから、前の僕とか意味わからんってーの!」


 エキナさんはぱしんと僕の頭を叩いた

 そう思ったのは今のぼやけた視界ががくりとぶれたからだ。

 痛みは当然と無い。けれど、胸のうちでは優しい痛みを覚えた。

 その幻痛が、彼女が僕を叩いたのだと実感させた。

 エキナさんはふんと鼻を鳴らした。


「ま、落ち込んでるところ悪いけど、ワタシはワタシでやることがあるの……はい。これ、返しに来た」

「これ?」


 言われて手を差し伸べられたが、僕の目にはまったくと映らない。

 手にも何かを受け取ったがまったくと感触はない。

 ただ、何やら異質な力の宿った球体が手の上にあるように感じ取れる。


「あのお嬢様が置いていったこいつのおかげで私たちの世界とんでもないことになったんだからね! まったく……で、こんな危ないもんうちらの世界に置いておくわけにもいかないってんで、私が直々に返しに来てやったってわけ」


 話は見えないが、どうやら白い少女があっち世界でも何かを仕出かしたということは悟った。


(エキナさんもまた大変なことに巻き込まれたんだろうなぁ)


 僕はくすりと笑った。

 でも、笑ったのは胸のうちだけで、僕の頬や唇が動いたかどうかは自分でもわからなかった。


「けど、どうやらこれ……今のあなたに必要なようね」


 そう言ってエキナさんは渡してきた癖に球体をひったくると、それを僕の胸へと押し付けてきた。

 一体何をしているのか。

 訊ねる前に球体はぼやけた視界の中であっさりと僕の身体の中へと入り込んでいった。

 けれど、感覚のない今の僕には些細なもの――。


「……あれ? エキナさんの顔……はっきり見れる」


 いや、見えるとはまた違う。

 未だ視界はモザイクがかっているけど、今そこにいるを僕は認識できている。

 彼女の後ろにはもう1人、見知らぬ男性が横たわっていた。

 久しぶりに顔を合わせたエキナさんは厚化粧をやめたらしい。

 元々綺麗な人だったけど、やっぱり、こっちの方が僕は好き――そんな薄化粧で決めたエキナさんがにっこりと笑った。


「それには繋がる力が宿ってる。まあ、誤った使い方をして、私らは全人類の意識が1つに統一されようとしたんだけどさ。……今のあんたの立場と同じ感じかしら。意識の強制的な支配は誰もが考えることなのかね」

「話が今一理解できないけど……まあ、そうなるのかな?」


 ティアのやつがそうだったしね。

 ただ、ティアのことを直ぐに頭から掻き消した。思い出したくもない。

 僕は話を逸らすようにそこに倒れている人について訊いた。


「えっと……そこにいる男の人は?」

「ああ、これ? ぐふふ、実は私の彼氏なの。えへへ、いいでしょー!」


 そう言ってエキナさんは意識のない青年をぎゅーっと抱き締めた。

 豊満な胸に押し潰され、彼氏さんは苦しそうな顔を見せたが、起きる気配はなさそうだ。


「この星に来るためにこいつの力が必要でね! 今はその力を使い過ぎてひと眠り中ってところよ!」


 彼氏さんの歳は16、17歳ってところだろうか。

 僕が言うのもなんだけど、まだまだ幼さが残るが、すっと鼻の通った中々にカッコいい人だ。

 ……また、エキナさんの恋人を務めるのだから、相当な人格者なのだろう。


「ま、見せびらかしたかったこととは別に、いつかあなたにはを見せたかったのよね」

「……どういうこと?」


 聞いてもエキナさんは答えてくれない。

 彼女は「なんでもない」なんて言い、気を失っている彼を支えるように抱き抱えて、挨拶をするみたいに手を上げた。


「……じゃ、弟の顔も見れたし、ワタシ達はこのまま帰らせてもらうわ」

「あ、うん。……最後に知り合いに……まさかのエキナさんに会えてよかったよ」


 また、僕は笑って見せた。ちゃんと笑えただろうか。

 名前でしか繋がっていないとしても、唯一の家族である彼女には、最後くらいいい顔で別れたい。


「……大丈夫。今渡したその力が正しく作用すれば、あんたはきっと救われるよ」

「……はは、ありがとう。僕はもうエキナさんと再会出来たことが救いになってるよ」

「は、じゃあそれでいいわ。勝手にワタシと出会えたことを救いに思ってなさいな!」

「うん……さようなら。エキナねえさん」

「ええ、さようなら。ワタシのたったひとりのオトウトくん」


 そう言ってエキナさんはすーっとその姿を消した。

 後にはもう暗闇に包まれた今までの僕ひとりだけだ。


 ――悔いはない。


 後はもう、月が落ちて、僕が消え去れば全てが終わる。


(ね、そうだろ。ルイ、レティ……)


 そう、悔いが無いと自分をうそぶいて、僕はその時をこの暗闇の中で待ち続けた。





 ユッグジールの里から出向いてくれた面々に見送られながら、凛としてオアシスの中へとルイとレティは足を踏み入れていく。

 その後姿を前に、私とウリウリアはその場に立ち尽くすほかには無かった。


「本当のことを言うと、私はシズクという者のことを覚えていません」

「……ああ、知ってたさ」


 最後の別れに渡されたルイのペンダントを握ったウリウリアの言葉に私は首肯した。

 シズクと関わりのあった者の中で、唯一ウリウリアだけが彼のことを覚えていなかった。

 本人は隠していたつもりだったのだろうが、それに気が付かなかった身内のものは、娘2人ルイとレティくらいだろう。


「……シズクのことを憎いと思うか?」

「いいえ。これっぽっちも。3人を忌み嫌うよう、この世界が魔法にかかっていても、私は誰ひとりとして憎むことはありません」


 ウリウリアはいつも通りの表情で首を振る。そこは本心のようだ。


「私が知るシズクはラヴィナイの城で出会った彼だけです。……だからこそ、皆が知る彼がどんな男だったのは気になります」

「……今となってはどんな男かと尋ねられても、私もこれだと言えるものはないな」

「そうですか……」


 次のウリウリの反応は若干と肩を落とすと言うものだった。

 相変わらず表情は硬いものだったが、やはり何かしら思うところがあるのだろう。

 また、頭で忘れたとしても、心では忘れていないのかもしれない。 


「……お前はシズクに惚れていたのかもしれないな」

「私が、ですか?」


 ウリウリアはきょとんとした顔を見せた後、直ぐに頬を赤く染めた。

 その反応に私は思わず、この場にそぐわないとしても、くすりと笑ってしまった。


「……あいつを前にしたお前は、いつだって感情を震わせていたよ」

「私が……」

「まあ、それもルイやレティに関することで、お前はいつだって腹を立てていた……あれはお前なりの好意の裏返しだったのかもしれないな」

「やめてください。そんな、身に覚えのない……」


 そう言ってウリウリアは首を振った。

 そして、ゆっくりと間を開けてから、おもむろに口を開いた。


「……以前の私が惚れた男ですか。もう一度、会ってみたかったですね」


 妹の発言に、またも、いや……くすくすと笑ってしまう。


「なんですか? 気色の悪い……」

「いや、何……もしかしたら、お前はシズクの3人目の嫁になっていたのかもしれない、とな」

「はっ、な、何を馬鹿なことを! 2人の夫だと言う話すら未だに信じられないのに、3人だと!? そんなの許せるはずが!」

「はは、気にするな。ただの戯言さ」


 そうだ。今はこうして戯言を口にして、心中を騒がす現実から目を背け、笑い声を上げて、気を紛らわすしかない。


(……行くな。行かないでくれ)


 私やウリウリアの本心はこれだ。けれど、その本心を口にすることは無い。

 それも、もう1つの本心は娘たちの幸せを願ったから――2人の好きにさせることが、私の父親としての最後の役割なのだから。





「後は任せたよ。2人とも!」

「ルイさん、メレティミさん、ご武運を……」


 もう届くことは無い声援を上げる妻ふたりの肩を抱き寄せ、僕も同じ気持ちでオアシスの奥へと目を向け続けた。

 間もなく、我々の動きに気が付き、周囲も慌ただしくなるだろう。

 鬼人の長も、亜人の長も、天人の長も、誰もが既に彼女の別れに見切りをつけて、今後の準備を始めている。

 僕らも当然それに続くべきなのだが、今この時ばかりは彼女の背を1秒でも長く見送り続けたかった。


「……もしや、今のがシグレ様の本当の姿……ルイ・フルオリフィアですか?」


 そこに、伝令を持ってきたのか僕ら3人が愛する我が子が近寄り、声を上げた。


「ああ、そうさ。君も幼い頃に何度か会っていたんだけど、流石に100年近く前のことは覚えてないか」

「え、ええ。全然……」

「美人だっただろ?」

「ええ……なっ、何を言っているんですか、父上――」

「もしかしたら、君の3人目の母親になっていたかもしれない女性さ」

「はっ!? 3人目!? そ、そそそ、そんな!」


 驚嘆し、自分の母親であるフィディとリターを伺うように視線を送る息子の反応に、僕たち3人は思わず笑ってしまった。


「ははは。ルイのことは、僕ら3人で家族に迎え入れようと決めた――けれど、きっぱりとフラれてしまったけどね」


 息子は「は、はあ……」と何とも言い難い相槌と共に、今はもうオアシスの闇に紛れたルイを探すように視線を向けていた。


「あらら、これはまたいい反応だわ」

「ですねぇ。こんなところでも、我が子の成長を感じられました」


 ……やはり、ルイ。君は罪作りな女性だ。


「彼女たちには惚れては駄目だよ。2人の心の隙間には誰だって入ることはできない――今だって、こうして想い人と触れ合っている最中さ」

「……ほ、惚れませんよ!」


 慌てて否定する自分の息子の頭を、僕は愛おしく抱き寄せた。


「さあ、我が最愛の息子よ。後は彼女に全てを委ねよう――この星の存亡ってやつをさ」





 ――この場所は昔、1度だけ訪れた覚えがあるよ。


 彷徨うオアシス。

 以前はクレストライオンの集団に連れられて向かったんだよね。

 そこでシズクを先頭に、リコを探して森の奥へと向かって、泉のほとりに寝っ転がるリコを見つけてさ。


「あの時が、一番楽しかったなあ……」


 しみじみと当時を思い出して呟いてしまう。


「こうして、ぼくたちは100年以上生きてきたけど……レティがいて、リコがいて、シズクがいて……あの4人での旅路が一番、ぼくにとっては幸せだったよ……」


 胸の中にいるレティは何も言ってくれない。

 だから、代わりに目の前で目を閉じているに話しかけた。


「ねえ、シズクはいつの頃が幸せだった?」


 まあ、また眠ってるふりをしているのか、答えてはくれない。

 シズクは昔っから意地悪だもんね。

 気持ちよさそうに泉の浮かぶシズクは変わらず目を閉じたままだ。

 ならいいよ。

 眠たままでいいから、少しくらい愚痴らせてよ。


「この数十年、ぼくたちはずっとシズクを求めて探し回ったよ。ティアの呪いのせいで、この姿だと皆から嫌われちゃうってことで、男の身体に作り替えたりさ……そこで、色々な人と出会ったんだ」


 最初は、オアシスにいるやつがシズクかどうかもわからなかった。

 シズクの姿をしただけの、自我の無い暴走した存在だって白い青年にも言われたよ。

 だからこそ、なおさら奥さんであるぼくらが、シズクのことを止めなきゃって思った。


「京助って言ってね。生身でこっちの世界に呼ばれた転移者でさ、なんだかシズクみたいなやつだったよ。ま、京助はシズクよりも素直な好青年だけどね! なんか、見捨てられないなぁって……はは……そんな彼を騙して、ぼくらはこの場所にたどり着いたんだ」


 最初は魔物に襲われているところを偶然助けただけだった。

 そこから京助と奏との付き合いが始まって、2人を中心にみんなが集まって、黒い少女の加護を受けてるからって、最終的にレーネ討伐の依頼を頼まれるほどの腕前になってさ。

 今回の大規模作戦だって2人の功績によって出来たものなんだ。

 もしも、2人がいなかったら、今回もぼくらは教団の邪魔を受けてたもしれない――。


「……」


 やっぱり、シズクは答えてくれない。


「……ねえ、シズクはいつもこんな感じなの?」

「ああ、そうだ。誰かに触れられるまで……主はいつまでも眠り続ける」

「そっか……」


 そう、いつしかその姿を見せてくれたクレストライオンに声を掛ける。

 この子にも以前、ここで出会ったことがある。


「主は、私のことをリコと呼び続けた。そして、私もその呼び名を受け入れ、リコに成り代わった。それで主の苦しみが少しでも和らぐのであれば、と」

「そっか……ありがとう」

「礼を言われる覚えはない。私はただ、以前の主より命じられたことをこなしていただけ……時間だ。外にいるヒトどもが騒ぎ出したようだ。これから私たちは外に出てひと暴れしてくる。その間に、我が主のことは任せた」


 そう言い残して、彼女は黒い靄を纏ってこの場から走り去っていった。

 周囲からも、彼女に続くように多くの物音が放たれ、扇状に散らばっていく。

 ここの住まうクレストライオンたちだ

 彼らこそが【影】の正体だったのだろう。

 そして、また、多くの人が死ぬだろう。


(今、この場には世界中からシズクを殺すために、大勢の人たちが集まっている……)


 本来は朝日が昇った頃、冒険者ギルドから選ばれた黒段位の皆とシズクを弱らせて、黒い少女から特別な力を渡された転移者2人が最後のとどめを刺すと言った作戦だった。


 けど、そんなの許せるわけがない。


「シズク、まるで以前のぼくみたいだね。水晶の中に閉じこもった時のさ……だからさ、今度はぼくが、ぼくらがシズクを助けるよ」


 だから……だからこそ、今から、ぼくらがシズクを殺す。

 それだけは、奥さんであるぼくらの役割なんだ。

 ユッグジールの里の皆どころか、世界中を巻き込んだぼくらの、ぼくの我儘だとしても、これだけは誰にも譲りたくない。


 ――その結果……たとえ、世界が滅んだとしても!


「さあ、はじめようか。この世界で最初で最後の夫婦喧嘩をさ!」


 そう言ってぼくは、大量の水煙をその場に発生させた。

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