第272話 異国の親善大使
“僕”の記憶の中に存在していたレティとルイとの愛の営みとやらを思い返すと、この身体はかなりの性豪を誇っていた。
それはもう体力の続く限り、気を失うまで2人のことを愛し続けることが出来るほどの性欲旺盛っぷりを発揮していた。
もしや、魔人族は精力的な種族か……とも考えが浮かんだが、ボクという自我を得て、実際にティアを通して女を知った後にはその考えは改まった(まあ、同族であるアニスは例外である)。
一晩平均で何度こなせるか、なんてボクは知らないし知りたくもない。が、普通の人だった頃の“僕”が自慰行為に及んだ時、彼は1度射精してしまえばそれで終わりだった。
その時の“僕”は異性との肉体的な交流は1度と無いため、本番行為での反応はわからないが、それでも一般的な正常な青年のそれと同じ精力であったとボクは思う。
毎回数えていたわけではなく、迎えた日数も指折りするほど少ないけれど、赤髪の男も紫髪の男もボクを襲った時の射精回数は、両者とも1、2回ほど出せば満足している様子だった。
では、魔人族が特別性欲が強い訳でもなく、シズク単体の性欲が強い理由が何か――それは実際のとこは、彼の記憶越しではなく、この身で直接体験したことで判明した。
結論を先に言ってしまえば、魔石から生まれた者たちは粘膜を通して、お互いの魔力を供給し合えることが可能になる、ということだ。
それはキスといった口と口からでも可能だが、性行為による魔力循環はかなりの量をお互いに供給でき、中でも男女ともに性的絶頂を向けた時ほど相手に送る魔力の量はけた違いに多い。
ここからあの底知れない性力の強さが、シズクという魔石生まれと、レティないしルイという魔石生まれ同士の交わりによる魔力循環の結果、体力の続く限りいつまでも抱き合うことが出来ていたんだ。
ただし、どんなに魔力で身体が満たされようとも、疲労は蓄積していくし、絶頂による興奮の急激な低下から性的欲求がはっきりと薄れることもボク自身で経験し、理解した。
更にそれらから、このシズクという身体は平均的な男性のそれと同じくらいであり、格別性欲が強いと言う訳でもなかったことも理解した。
では、どうして“僕”はそこまで持続して2人と性向を行えたか……それだけ“僕”と2人との身体の相性が良く、同時にお互いを愛して止まなかったという解答も同時に得ることになった。
しかし、今さらその答えを知ったところでどうなるということもない。
さて、長々と射精だ絶頂だと語ったが本題はここからである。
ボクたち魔石生まれは方法はどうであれ、お互いの魔力を循環させることが出来る。
――では、その魔力の循環を一方的に止めてしまえばどうなるか?
その答えはボクが射精に至るよりも前にティアだけが満足し、一方的に行為を終わらせた時に、膨大なフラストレーションと共にあっさりとその解は手に入った。
射精が出来なかったことで与えるはずだった魔力を保ったままのボク。
絶頂を迎えたことで一方的に魔力を提供してくれたティア。
――こうして、ボクは彼女と身体を重ねる度に、膨大な魔力を得られることを知った。
しかもシズクの身体はどんなに魔力を流し込まれても溢れることはない。
注ぎ込まれる高揚感は麻薬のように頭の奥を刺激され、もっともっとと欲してしまいそうになったくらいだ。
ティアと身体を重ねた分、魔力を内に溜めこみ続けることを知ったボクは直ぐに次から実戦し……これを10年と続けてきた。
いつしかティアの魔力を体内に取り込むことで栄養を摂取する必要もなくなった。
栄養を摂取しなくなったことで排泄を無くなった。これはどうしてか自分でもわからないが知らずと呼吸すら必要としなくなった。
稀に不機嫌な彼女に振るわれる暴力に対し、まるで防衛本能のように身体は痛覚を遮断してしまったが、これが思わぬ副作用が働いてしまい触覚や嗅覚が鈍くなってしまった。
……が、この10年の中で不便だと思うことがないがせめてもの救いかもしれない。万年雪国のラヴィナイで寒いと感じることも無くなったしね。唯一まともなのは視覚と聴覚くらいだろう。
今のボクは胸の中にあるコアだけが鼓動をしている意思のある人形みたいなもので、もう人らしい営みは送ることは殆ど出来やしない。
彼女を抱いて、彼女と唇を合わせて、彼女の魔力を求めて吸い取って、彼女の魔力に生かされて……。
こんな生活も10年が経った。
こんな生活を10年と過ごしてきた。
こんな生活を10年もやってきた。
だからこそ、この10年で今のボクはそれなりに魔力を保有出来てきている。どれほど溜まったのかはボク自身にもわからない。
だが、まだまだ続けていくつもりだ。
せめて彼女と拮抗するほどの力を手に入れるまでは……。
本当のところは、辛くて堪らない時期もあった。
首輪に繋げられて物理的に無理だとわかっていても、ティアから逃げたくてしかなかった時期もあった。
けれど、ボクがティアから逃げ出さずにいられたのは、ボクがこの世界に生まれたあの日に、一番最初に手に入れてしまった“感情”のせいだ。
その“感情”というのは入れ替わる前に“僕”が最後に抱いたものであり、主人格としてボクが現れたのと同時に不本意ながらに引き継いでしまったものだ。
……不本意と言ったけど、ボクは“僕”に対して唯一感謝していることでもある。
だって、この感情はボクがシズクとなって初めて手に入れたものなんだ。
たとえ、それが模造品であろうとも、手に入れたのはボクだ。
時たま感情の高ぶりで現れる彼なんかに譲る気なんて一切ない。
もうボクは誰にも奪われたくないし、奪わせもしない。
どんな形であろうともこの感情はボクだけのものだ。
だから、彼が抱いた感情から来る欲求も、ボクがいつの日か絶対に叶えるんだ。
その日が来るまで、ボクは彼女の奴隷を続けていく。
そして、その日は多分そんな遠く将来に来ることを、首輪に傷をつけることが出来たあの日からボクは薄々と理解していた。
◎
今夜のラヴィナイは心が沈んでいくかのように静かだった。
窓に顔を近寄らせてしんしんと舞い落ちる雪を眺めながら、ボクはその時が来るのを待った。
「……ふわぁ……いつまでここにおればええんじゃ。まだ終わらんのかい」
「確かに今日は長いですね。いったい何の話をしているんでしょうね……」
応接間に隣接した小さな待合所にはお茶請けの置かれたテーブルに向かう合うように対になったソファーが置かれていて、グランフォーユからの来賓者である3人が腰を掛けている。
その中でも隣同士に座った2人のやり取りは、少し離れた窓際のボクの耳には直ぐに届いた。
ちらりと視線だけを2人へと送ると、キーワンさんがボクの視線に気が付いたのか小さく頭を下げてきた。
「……ああ、レーネ様。すみません。少し騒がしかったですか」
「いえ、構いませんよ。お気になさらずに……お茶のおかわりをご所望でしたからいつでも申してください」
ボクはうっすらと目を細めて2人へと会釈をする。
そして、腕を組んでまた顔を窓に向けようとして――僅かな衣擦れと靴音を耳にし、組もうとしていた腕を降ろしてこちらへと近づいてきたスクラさんへと顔を向けた。
「なあ、ジブン」
「……はい? なんでしょう?」
席から立ち上がったスクラさんは飄々とボクへとにじり寄ってきて、じろりと間近から舐めるように見つめてくる。彼の背後からキーワンさんが驚きながらその行動を咎めたが、スクラさんはまったくと耳を貸す様子はなくボクの観察を続けた。
ボクは笑って彼のやりたいようにさせた。別に何も見られたところで減るもんでもない。また、見知った彼ならばこれくらいなら許容範囲だ。
ただ、まるで不良に絡まれているみたいだ、と思って小さく口元を緩めてしまった。
「ふーむ、やっぱり似とるのぉ……ちょっ、キワやめぇや。襟元が伸びる」
「……だから失礼な真似はやめてください。ルフィスさんの側近だとはいえ、私たちだってグランフォーユの代表なんですよ。少しは落ち着くってことを覚えましょうよ……ね、お義兄さん」
「ひっ……キワ! その呼び方はやめろって毎回ゆっとるじゃろが! 気色ワルくて叶わん!」
と、続いてこちらに近寄ってきたキーワンさんに首根っこを掴まれて、スクラさんは引き剥がされた。
「何度もすみません。うちのがとんだ失礼を……」
「いえ、別に構いませんよ。こういうのは慣れてますので……ですが、スクラ様。何か気に障るようなことでもありましたか? 知らずと無礼を働いてしまったのであれば謝罪します」
似てるというスクラさんの発言からある程度は予測はできたが、ボクはとぼけつつ申し訳ない顔をして頭を下げた。
スクラさんは慌てて「ちゃうちゃう」と手を振って否定して続けた。
「いやなぁ……初めて会った時から知り合いとあんちゃんが似てるのぉってずっと思ってたんよ! で、今まで話ができる暇なんてなかったからつい……ほんま気ぃ悪くしたらすまん!」
「そうですか? 残念ながら……皆さんと顔を合わせたのは、5年前が初めてですよ」
「ああ……せやな。そうじゃけども……やっぱり似とるわ」
「まったく……その話は他人の空似で落ち着いたじゃないですか。ほら、スクラさん戻りますよ。では、レーネ様、ご迷惑をおかけしまして……」
別にボクは何もしてないけど、キーワンさんはスクラさんの代わりに頭を下げて先ほどまで座っていた席へと戻っていった。
自分で言った通り、ボクが2人と直接顔を合わせたのは彼ら、というか彼らの主であるルフィス・フォーレが親善大使としてラヴィナイに訪れた時からだ。
(……だから、間違いじゃないんだけどね)
今現在の彼ら……というか、この星にいるヒトの記憶には
これもボクがラヴィナイへと越してきたその日のうちに、ティアに『この世界にいる“僕”が関わった人たちの記憶を消してほしい』と頼み込んだからだ。
ティアが魔法を使い、ラヴィナイを中心にコルテオス大陸にいる住人たちの意識を支配したことも当日に聞いていたこともある。
世界中のヒトたちの記憶をゆっくりと改ざんしていると言う話を聞き、なら、シズクの記憶も改ざんできるんじゃないかっと試しにやってもらったんだ。
(だって、以前のシズクの痕跡はボクにとって目障りなものでしかなかったしね?)
最初はどこまでの範囲で、どこまでの効果があるかはわからなかったが、その5年後に再会したスクラさんとキーワンさん、ルフィスさんはボクのことをすっかり忘れていてくれていた。
初めて彼らがラヴィナイに訪れた時には既にティアへの信仰がしっかりと意識下に根付いていたこともあり、皆の視線はいつまでも彼女に釘付けだった。その為、ボクがティアの隣にいても、何度か視線を向けられる程度で終わったんだ。
ただ、ティアの魔法が完璧に効いているのかといえば、そうでもないのだろう。
彼らはコルテオス大陸に住むヒトみたいに濃度の高い魔力を浴びているわけでもない。
スクラさんがボクのことを既視感のように覚えているのも効き目が薄いからかもしれないし、彼ら3人がボクをシズクではなくレーネとして認識していたこともあるかもしれない。
ただ、それにしたってスクラさんもキーワンさんもボクのことを
……が、それはスクラさん、キーワンさん、ルフィスさんに限った話になる。
実は、その3人の他、とある天人族の青年だけがボクを怪しげに見つめていたのだ。
「……レドヘイル様、どうかしましたか?」
「……いえ、なんでもありません」
それが、今も2人の対面に座り続けているレドヘイルくんだ。
ルフィスさんの秘書を務めると言うレドヘイルくんは最初に顔を合わせた時からボクの顔を見るなり、少なからず驚いていた。
ただ、直ぐにティアへと視線を向け続けていたから気のせいだと思ったんだけど、これが会う回数が増える度にボクを見る回数も増えていった。
もしかしたら、彼はティアの影響を受けていないのかもしれない。
以前イルノートがかけた魅了の闇魔法も彼には効かなかったし……闇魔法全般に耐性があるなんてこともあるのだろうか。
「なんや、レドっち。あれは男やって忘れたらあかんで! まあ、レーネが男じゃろうとあれほどの別嬪はんはそんじょそこらにはおらんがや!」
「……スクラさん。それくらい僕にだってわかりますよ。そういうからかいはやめてください」
「ははっ、レドくんが見蕩れるのもわかる気がしますよ。レーネ様が男だと知らなければ私も普通に女性として見てしまったでしょうからね」
「もう、キーワンさんまで……2人とも僕のことは気にしないでください。そういうのではないですから」
対面にいる2人からおちょくられたことでやっとレドヘイルくんはボクから視線を逸らた。また、それと同時に今まで閉ざされていた応接間の扉が開いた。
扉の奥からは以前よりも老け……大人になったルフィスさんが1番に顔を見せた。
今の歳を取ったルフィスさんは“僕”の記憶を通して見る彼女の母であるベルレインさんにそっくりでもある。
ルフィスさんはほっと安堵したかのように顔を緩ませて、ソファーに1人座っていたレドヘイルくんへとそそくさと駆け寄り、そっと手に触れた。
レドヘイルくんも、先ほどまでの固くなった表情を緩ませてルフィスさんの手を握って微笑み返す。
2人に会話の1つもなく、見つめ合ったのも数秒のことだ。
これだけのやり取りで2人の仲を知れることが出来るが、ルフィスさんは大切なレドヘイルくんからすぐさま手を離すと、続いて応接間より姿を見せたティアへと一礼をして口開いた。
「レティア様、今回の議題。とても有意義な時間でした。私たちの提案を受けていただき、心より感謝します」
「はい、ワタシもです! ワガママまで聞いていただいた上、遠路はるばるこんな寒いところまで来てくださってありがとうございました」
「いえいえ……今のエストリズは夏季ですから、私たちにとっては気温差の激しい避暑地みたいなものですよ」
「では、今はもう夏のエストリズが恋しい頃といったところでしょうね?」
「ふふっ……そうですね。ですが、レティア様とこうしてお会いできるのであれば、寒さも何のそのといったところです」
ルフィスさんの方は本当に楽しそうに、親し気にティアへと話し掛けている様子が伺えるが、ティアの方は……どうやら違ったらしい。
はっきりとした苛立ちとは違い、何か小さな不満を抱えている。そんな気配を空気中の魔力からボクは感じ取った。
いったい、何の話をしたのだろう。ボクも直ぐに来客用の笑みを作ったままのティアへと近づいた。
ティアは近寄ったボクの腕にしがみ付くように抱きついてきて、変わらずの笑顔を見せてきた。
「レーネ! 聞いて聞いて! ルフィスがね、あの話取りつけてくれるって!」
「あの話……ああ、よかったですね」
セリスさんの下着の件だろう。
嬉しそうに報告してくれるティアの見た目13歳の子供っぽさをボクだけじゃなく、ルフィスたちにも見せていたが、これもただの演技だということは何となく理解した。
「それでは、レティア様。私はこれにて失礼しますね」
「はい。ルフィスも夜遅くまでご苦労さまでした!」
彼女が可愛らしく首を傾げてにっこりと笑う中、代わってボクがぺこりと頭を下げると、ルフィスさんはにっこりと笑ってボクより深く頭を下げた。
そして、直ぐに彼女はスクラさん、キーワンさん、レドヘイルくんを連れてこの場から去っていった。
ちなみにティアが応接間から姿を見せた時からレドヘイルくんはボクを見ることはなかった。
外に控えていたメイドたちの案内のもと、レドヘイルくんはルフィスさんの隣に並びながら彼女の歩幅に合わせて長い廊下を歩いていった。
ボクたちも執務室へと足を向けた。
廊下を歩く中、頃合いを見計らって些細な不満の理由を聞かせてもらうことにした。
「……今度グランフォーユからワタシに飛行艇をくれるんだってさ」
なんだ。そんなことか。
それならティアが不満を懐くのもわかる気がするよ。
「へえ、それはよかったじゃないか。飛行艇って結構な値段するんでしょ」
「よ・く・なーい! シズクくん知ってて言ってるでしょ!」
むすっと頬を膨らませティアは可愛らしくボクの肩を両手で殴ってくる。
彼女は乗り物が苦手であることも理由に含まれるが、何よりも彼女の身体がラヴィナイに縛られていることが問題だった。
なんでも、ティアの身体は自由に動ける範囲を超えると“ゴム”で引っ張られる感触があるらしい。
無理をしたらボクを迎えに来た時みたいに海を越えた先まで行けるらしいけど、ずっと背中を強い力で引っ張られ続けるのは相当堪えるとのことだ。
「あーあ、ワタシだってもっと色々なところを行きたいって気持ちはあるんだよ。ほーんと、呪いが忌々しい!」
だから、ラヴィナイから抜け出すことのできないティアに自由に使ってくださいと乗り物を渡されたところで使い道はないし、使えもしない置き物を渡されてありがた迷惑と不満に思ったってところかな。
「シズクくんを迎えに行った時だって、結構きつかったんだからね!」
「そういえば初めて会った時も身体が引っ張られるとか言ってたね。……でも、ティアが来てくれたおかげでボクは目を覚ますことが出来たんだから、そのことに関しては今もティアには感謝してるよ」
「お、ふふん。そうでしょそうでしょ! もぉ、あの時はティアちゃんもシズクくんゲット出来てとっても嬉しかったんだから――ん?」
ふと、ティアが前を向いて変な声を上げた。
「ティアどうしたの? ……あれは」
同じくボクも前を向くと執務室の前で、近衛の1人である青髪の男が険しい顔をして立っていた。
彼はボクたちに気が付くと、僅かに顔をしかめながら閉じていた口を開こうとして――閉じる。
「……っ……失礼!」
何かを言いたげに……青髪の男は軽い会釈と共に踵を返して去っていった。
「いったい、なんだったんだろ?」
「さぁ……」
ちなみに、彼は最後にボクを睨みつけていた。
もしかして、ボクがいなかった方がよかったのだろうか。
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