第273話 デコレーションは終わった後に

「……時間はこれくらいかな?」

「「おー」」


 2人の感嘆とした声を後ろに、ぼくはオーブンのタイマーを操作して……これで大丈夫だと思う!

 予定では20分でケーキは焼き上がってくれるはずだ。

 それまで、ぼくたちはどこからか用意されたマグカップを3人で触れ合わせた。

 マグカップの中身は旅の間によく3人で飲んだコーヒーが注がれている。

 前みたいに炒った豆を粉々に砕くだけじゃなくて、フィルターもかけて淹れたからゴソゴソとした感触もないまま最後まで美味しく飲める。


「料理が出来るルイがいてくれて本当に助かっちゃった」

「まったくです。……お母様と2人だったら絶対気が付かなかったでしょうしね」

「いやいや、気が付こうよ! 大の大人が2人もいるのに何十回も同じ間違いしないでよ!」


 2人とはスポンジケーキが焼きおわるまでの間、他愛もない話をした。

 ケーキを作り始めた頃からか、気が付けばぼくたちのわだかまりは嘘みたいに消えていた。

 最初はぼくが最初に知りたかったこと(この場所はレティを主とした2人の心象世界であること。今のレティが半分状態であること)を聞いて……それから、はイルノートという共通の話題を中心に話し続けた。


「イルノート……お父さんね。お母さんのこと、すごい気にしてたよ」

「3人家族そろって寝た時も泣き出しちゃったしね。お母様のこと未だにお父様は忘れられてないのよ」

「……嬉しいなあ。私の気持ち、ロカに伝わったんだ……これだけが今の私にも残っている微かな心残りだった。けど、なんだか恥ずかしいなぁ!」


 レティの記憶越しで知っていブランザではなく、本来の健康体であるお母さんとの話はとても心地よかった。

 出来れば、もっともっとお母さんとレティの3人で話をしていたかったけど、時間は有限だ。

 セットした20分は瞬きをするように迎え、オーブンからチン、とベルを叩く音が鳴ってしまった。


「さあ、どうかな?」


 代表してミトンをつけたお母さんが恐る恐るとオーブンの窓を開け、3枚のトレイのうち1つを引きだし、皆で囲って出来栄えを確認した。

 トレイに乗ったケーキはお父さんの肌みたいな綺麗な焼け目をつけていた。


「おー……綺麗に焼けてる焼けてる!」

「最初っからこうしてればよかったんですね。はあ、わたしたちの苦労って一体……」

「ね、言った通りでしょ。うまくいってよかった!」


 2人が今までずっと失敗していた理由は、大きいケーキを作るって点に拘り過ぎたせいだ。大きいケーキを作るなら、まるまる大きなスポンジケーキを作ることに拘らないで、3つに分割すればよかったんだ。


「「「大成功~!」」」


 中に櫛を通してしっかりと熱が入っていることも確認し、3人で再度喜びを分かち合う。

 後は真っ白なホイップクリームと赤いイチゴで飾り付けて終わりだけど――その前に、ぼくは喜ぶレティへと声を掛けた。


「レティ、ぼくといっしょに行こう」

「行くって、どこへ?」


 焼き上がったケーキを前に、レティは笑顔のままぼくに聞いてくる。

 ぼくも笑って返した。


「そんなの決まってるよ。……シズクを取り戻しに行くんだ!」

「シズクを……取り戻す……?」

「そうだよ。ねえ、ぼくといっしょにシズクのとこへ戻ってよ」


 そう言うと、レティは呆けたような顔をして、その青いふたつの目でぼくを見つめてきた。

 この提案が今のレティには無茶なことだってお母さんの説明を受けた今のぼくもわかってる。

 でも、ぼくには確信があった。


「わたしの身体はもう無いよ」

「わかってる……だから」


 ぼくはレティへ手を伸ばした。

 握手を求めるようにレティへと手を伸ばし、レティがこの手を握ってくれるのをいつまでも待つんだ。


 ――レティは死んじゃった。


 ぼくを庇ったあの時、レティは胸の中のコアを貫かれたことで、メレティミの身体は死んでしまったんだ。


『胸を貫かれた時、わたしの身体の感覚が全部消えちゃったんだ。何も見えない、何も聞こえない、何も感じない……ものすごい怖くて堪らなかった。けど、近くに瀕死のルイがいることを感じて……最後の力を振り絞ってルイを助けたいって強く願ったんだ」


 そうして、死ぬ間際にレティは自分の身体を使ってぼくの身体を癒してくれたらしいんだ。

 どうやってって本人に直接聞いても、本人は今一覚えていないみたい。

 ただ、クレストライオンだった頃のリコが自分の身体を使ってシズクの身体を治したって話を直前に思い出したってことも言っていた。


 それから長いこと眠り続けたレティが目を覚ましたのがここ。

 最初はレティの心を主として、いつの間にか姿を見せたお母さんの心も投影された――この心象世界だ。

 そこでぼくが目を覚ますまで2人でケーキ作りをして、何度も何度も失敗を繰り返していたそうだ。


『死とは止まること。停止すること。不変だということ』

『変わらないからいつまでも同じ形を保ち続ける』

『また、現世への未練は薄れ、この場所には感情の起伏は殆ど起こらない』


 と、これらの感情云々はお母さんが教えてくれた。

 ケーキ作りをいつまでも失敗を繰り返したのはレティもお母さんも死者であり、変われないから失敗を次に生かせなかったそうだ。

 と、ケーキの説明は今一理解し難かったが、今この場にいるレティは、生きてきた世界やシズクへの想いが全て抜けた存在ということだけはどうにか理解した。


 ……でも、それが何?


「……レティ、お願いだよ。ぼくといっしょに元の世界へ帰ろう」

「……ルイ」


 だからって、ぼくはこのままレティをこの場に残していくつもりはない。

 だって、ぼくたちは3人で1つなんだ。

 ぼくがいて、レティがいて、シズクがいて……この3人で1つなんだ。

 誰1人だって欠けちゃいけないのに、今はシズクのばかがすでにいないんだ。

 これでレティまでいないってなったら……そんなの、ぼくは耐えられない!

 レティは命を賭してぼくを助けてくれた。なら、今度はぼくがレティを助ける番でもある。

 身体が無いからもどれない? そんなの問題ない――。


「ねえ、ぼくの身体の中においでよ。2人だと窮屈かもしれないけど、ぼくはレティとなら我慢できるよ」

「……」

「それとも、やっぱり行きたくない? 元の世界に戻るの、いやだ?」

「……」

「……ね、レティ? どうかな?」

「…………ルイ、わかった」


 そう、長い沈黙を重ねてレティは頷いてくれる。

 ああ……やっぱりレティはレティだね。

 いつだってぶつくさ言っても、最後には必ずぼくの我儘を聞いてくれるんだ。

 レティは恐る恐ると時間をたくさんかけて、ぼくの手を取ってくれた。

 最初はぼくの手の上に触れるように自分の手を置いて、そこからまた時間をかけてゆっくりとぼくの手を握り返す――。


「あ……れ?」


 その時、レティの目が大きく見開かれて何度も瞬きを繰り返した。


「なんで、わたし……どうして、ルイ! お母様! わたし、わたし……!」


 ぼくの手を握りながらレティは身体を震わせる。レティの身体に……魂に変化が生じたんだ。

 後はもう大丈夫だ。レティの目は驚きながら見開いているけど、その目には先ほどと違って光が満ちている。

 聞く必要はなくても、ぼくはお母さんへと顔を向けた。


「お母さん、どうかな?」

「……え、ええ……すごい。レティから死が消えた。今のレティはルイと同じく生きてるのね。……こうなるってわかってたの?」

「ううん。でも、なんとなくだけど全てがうまくいくって思ったんだ」

「そっか……ルイはすごいなぁ。私なんてここのことは何でも知ってるつもりだったけど、まだまだね。でも……これでいいわ」


 死者であるお母さんは柔らかく笑ってぼくたちへと大きく頷いてくれる。


「レティ」


 お母さんの笑みに見守られながら、ぼくは笑ってレティの名前を呼んだ。


「ルイ」


 レティもはっとしながらぼくの名前を呼んでくれた。

 お互いの名前を呼び合い、ぼくらはもう片方の手も取り合った。

 そして、まるで初めての抱擁を交わしたあの日のように、ぼくたちはがっしりと抱き締め合った。


「……つっ!」

「……んっ!」


 その瞬間、ぼくとレティの身体には激しい電撃が走っていく。

 まるで、初めてレティと出会って抱擁を交わした時みたいに。

 あの時と違うのは、激しい頭痛も起こらず、ぼくたちがその衝撃を受けても苦しまなかったことだ。

 そして、その衝撃と共にぼくらは知った。

 あの時の痛みは、ぼくたちという元々1つだった存在が2つに割れたことによる誕生の痛みだったんだ。


 同時に……その衝撃で、もう1つわかったことがある。


 昔、ぼくたちが神託オラクルと呼んでいた魔法が使えたのは、元々1つだったぼくたちだからこそ、2つに分かれても見えない線で繋がっていたからなんだ。

 その線が断ち切れたのはお互いに出会って、お互いを自覚して、お互いに抱擁を交わし、自分たちが別々の誰かであることを認識したからだ。

 だから、あの日からぼくたちは本当の意味でルイとメレティミになった。

 そして、完全にぼくたちの繋がりが絶たれたことで、神託は使えなくなったんだ。


 今回はあの時とは逆だった。

 ぼくたちは今一度、1つに戻るんだ。


「今、ぼく……レティと1つになった。レティのこと、今なら全部理解できる……」

「この感触……言葉にし難いわね。でも、今のわたしだってルイの考えてること全部わかる……そうよね?」

「うん。そうだよ。元の世界に戻って、2人であいつを泣かしてシズクを取り戻すんだ!」

「はぁ……どうしてあの馬鹿女のこと忘れるなんて出来たのかしら! あ――! もう今思い出しても腹立たしい! あいつは絶対わたしが捻りつぶさないと気が済まない!」


 こうして、ぼくたちは1つに結び直した。後はもう身体に戻るだけだ。

 どうやって戻るかなんて野暮な質問はなし。

 それは時間の問題で、レティにもお母さんにも聞かなくてもわかった。

 だから――。


「お母さん」

「お母様」

「うん。何、ルイ? レティ?」

「あのね。ぎゅーってしていい?」

「うん。抱きしめてもいいですか?」

「そんなの……いいに決まってるじゃない!」


 これが最初で最後のお母さんとの触れ合いだ。

 ぼくはレティと手を繋いだまま、両手を広げるお母さんの腕の中へと2人して飛び込んだ。

 ぼくが考えていることはレティに筒抜けで、レティが考えていることもぼくには筒抜けだ。

 だから、せーの、と声を掛け合う必要もないまま、2人そろってお母さんの胸の中から顔を上げて、声を重ねて感謝を伝えたんだ。


「お母さん、ぼくを産んでくれてありがとう」

「お母様、わたしを産んでくれてありがとう」

「……私はありがとうなんて言われる資格はない。……自分の都合であなたを生んだようなものなの。私は逆に恨まれても仕方ない――」

「ううん。お母さんがぼくを産んでくれたから、ぼくはシズクと出会えたんだ。だから、ぼくは心の底から感謝してる」

「わたしも、お母様にはすごい感謝してる。生前のわたしすら受け入れてくれて、最後の最後までわたしの味方でいてくれてありがとう……!」


 ぼくたちの手はお母さんを強く求めて抱き締めた。

 お母さんも、ぼくたちを離さないとばかりに力強く抱き締め返してくれる。


「デコレーションの方は2人が戻ってきたやろうね。それまで2人のことはずっと見守ってるから」

「何百年先になるかわからないけどね。それまで待っててね」

「今度はしがみ付いてでも生き残ってやります。最後の最後までね!」

「ふふっ……そうね。その時には、先に来てるロカと2人で……2人のこと待ってるから。だから、2人は私たちよりも長く……生き……」


 けど、お母さんは首を振ってそれから先のことは口にしなかった。

 お母さんはぼくたちへと向けていた笑みを崩して、ふるふると唇が振るわせて、ほろりと涙をこぼして言うんだ。


「本当は、もっと……2人と一緒にいたかった。もっと、もっと……本当は2人が生まれた時からずっといっしょにいたかった! こんな場所じゃなくて、生きて2人と最後までケーキを作って、美味しいとか不味いとか言い合いたかった!」


 お母さんはぼくらを抱き締めながら叫び続ける。

 なんだよ。お母さんの嘘つき。

 死んだって感情が死ぬわけないじゃないか。


「……ぼくもお母さんにたくさん甘えたい。だから、今度生まれる時もお母さんのところに生まれてくるよ」

「はぁ……前の両親には悪いけど、次の機会があったらまたお母様の子供として生まれてあげます」


 多分、ここでつられて泣くのは駄目だって、ぼくもレティも同じ気持ちになった。だから、こういう返し方でしか思いつかなかった。

 でも、これで良かったんだと思う。


「ぐすっ……約束するわ。もしも、じゃなく……次も私は必ず、レティもルイも、2人とも産むから」

「うん。絶対、またぼくはお母さんの子供に生まれるからね!」

「忘れないでよね。わたしたちのこと……わたしも、絶対守るから!」


 そうお母さんに誓いを立てた時、ぼくたちが立っているこのギザギザ円盤……レティの歯車はゆっくりと浮上していった。

 同時に、周りの器材とお母さんだけが上昇するレティの歯車をすり抜けるようにしてその場に残っていく。

 昇っていくぼくたち。その場で笑って残り続けるお母さん。

 ぼくたちは離れていくお母さんへと最後の最後まで触れ合っていた。


「お母さん!」

「お母様!」


 最後の最後、お母さんの顔が歯車の床に飲み込まれも、伸ばされた手を最後までぼくたちは触れ続けた。手が離れた後も、歯車越しにぼくたちはお母さんの名前呼び続けた。


「レティっ! ルイっ!」


 お母さんも泣きそうな顔をして空へと昇っていくぼくたちの名を呼び続けた。

 円盤で塞がったぼくたちの視界が真っ白に塗り替わるその時まで、ぼくたちはお互いを呼び続けたんだ。



 ……もしも、もしもだよ。



 このまま、ここに残ってケーキを作り続けたら、2人が思い描いたケーキが出来たのかな。美味しいって、不味いって言い合えたのかな。

 今のぼくにはわからなかった。


 でも、わからないぼくでも1つだけ確かに言えることがある。


 それは、間違いなく笑顔になれるケーキが出来たということだ。

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