第291話 世界から注がれる憎悪

 深い深い森の中――そこでひとりの兵士が出口を求めて走っていた。

 当初は皆と同じく全身を防具で包んでいたが、逃走する今はまるで追い剥ぎにでもあったのかと悲惨な姿だった。


『一体何が起こっている? 他の兵はどうした? 状況を説明せよ――』

「はあっはあっ……」


 腰に括りつけられた通信用魔道具より、何度と“外部”より交信が送られ続けた。

 だが、彼は一向に答えることはなかった。

 彼の口は乱れた呼吸と共に出口を求める叫び声以外出ることは無かった。


「はあっはあっ……どこ、だっ……出口、は……どこだぁっ!?」


 無我夢中に走る中、兵士は何度と地面を転んだ。

 その度に頭を抱えて蹲り、よろめきながらも直ぐに立ち上がっては走りだす。

 今度は通信魔道具を落としたことも気が付かずに……。


 この“森”に足を踏み入れた時から彼は頭痛に苛まれていた。

 痛みは目的地であった“中心部”に近づくにつれて激しさを増した。

 そして、“中心部”にいた存在を目にした時には、もう立っていることもままならなかった。





 呼び方はいくつかあったが、その場所は古くより彷徨うオアシスと呼ばれた。

 周囲を深い密林に覆われ、中心部にはその名に恥じない豊かな水源が溢れている。

 その泉にはひとりの魔族が浮かんでいた。

 真っ黒の長い髪を水中になびかせ、少年は泉の中に漂っていた。


「構え!」


 そして、他にも武装した9人の男たちが彼を取り囲むように泉の中にいた。

 泉の外にいた1人の男の号令と共に9人は己が持つ槍を掲げ、その背後にも同じ様に槍を手に持った同数の兵士たちが固唾を飲んで見守っている。


「穿て!」


 一呼吸の間を空けて送られた令に、9つの槍は一斉に泉に浮かぶ少年の身体を突き刺す。

 槍はあっさりと少年の身体を貫いた。

 首、胸、両腕、腹、股間、両足――手違いからか、頭部だけはこめかみの皮膚を掠る程度で貫くことが出来ずとも、それはヒト1人に向けるには過剰な殺意を刻み付けた。


「――人類の悪意に終焉を!」


 少年は突き刺さった槍によって持ち上げられ、空へと掲げられる。その反動で、がくりと首が傾く。

 その場にいた18人、全員が勝利を確信した。


「……なっ、目覚めただとっ!?」


 ――その閉じた目がおもむろに開かれるまで。


「……ま、た……僕を、起こし……どう、して……眠らせて……くれない、んだ……よぉぉぉおぉぉぉぉぉおおおっ!!」


 そう喚き上げる少年の身体は黒色の魔力に包まれた。

 魔力は彼の身体を覆いつくし、続いて自身の身体を貫いた槍を通し、その持ち主たちの身体へと襲いかかる。


「ぎゃ、ぎゃぁぁぁあぁああああ!」


 黒い魔力は最初の9人は勿論、その様子を伺っていたにも襲いかかり、同じ様に飲み込まれていく。

 黒い魔力は17人の身体を包み込むと、その身をあっさりと握りつぶした。

 支えを失い、まるで影のように黒い靄に包まれた少年の身体は泉の中へとまた沈んでいった。


「あ、あああ……あああっ!」


 唯一、生き残った兵士は仲間の鮮血を頭から被り、腰を抜かしてその場で尻もちをついていた。

 彼が生き残った理由は、他の者たちよりも、その存在から距離を取っていた為であった。

 洩れた悲鳴は自分では止めることはできず、息を吐くようにいつまでも溢れ出る。


「わぁぁぁああああああああああああっ!」


 兵士は自分の使命も忘れ、雄叫びを上げて逃げ去るほかに無かった。


「……ねえ、なんで?」


 その背を、水面から上げた少年の目が捉え続けていることも知らずに……。





 唯一生き残ったその兵士はひたすら外へと向かって走った。

 鬱蒼とした森林を掻き分け、何度も何度もぶつかり、転び、傷を負いながら、泉から少しでも遠くへ逃げるために。

 こうして森の中を彷徨っていた彼の目に眩い光が届いた。


「か、帰れる! お、俺は帰れるんだ!」


 外光に眼を刺され、頭の奥を焼かれた。おかげか頭痛はもうすっかり消え去った。

 外の光に魅入られ、体に走る痛覚は麻痺したかのように前へと足を運び続けた。

 前へ、前へ。

 草木に足を取られ、身体を木々にぶつけ、重たい兜を脱ぎ捨てながら彼は下界へと続く最初の一歩を――。


「助か――……がぁっ!?」


 どん――と、あと一歩と言うところで、兵士は見えない透明な壁にぶつかった。

 今まで目に入れていた光とは別に火花が目の奥に広がる。


「な、なんで……た、助けてくれぇ!」


 男は直ぐに立ち上がり、その見えない壁へと肩からぶつかるように体当たりをした。けれど、やはりと外に出ることはできなかった。

 兵士はその後、何度もその見えない壁に立ち向かった。

 叩き、蹴り、身体をぶつけて――そうして、無意味に外へと出ようともがいているところ、金髪の鬼人族の男がその兵士を森の外から見つけた。


「……お、お前っ! なんでオアシスの中にいるんだよ!」

「た、助けてくれ! 外、外に出れないんだ!」

「ちぃ……お前ら、かっ!?」

「そ、そうだ! いいから早く、助けてくれ!


 鬼人族の男は忌々しそうに顔をしかめながら、森との境から手を伸ばした。鬼人族の男の手はあっさりと森の中へと届いた。

 それにすがるように兵士の男は手を伸ばす――が、掴めない。

 先ほどと同じく透明な何かに阻害されて、兵士は触れることが出来なかった。


「な、なんで!?」

「たくっ、あいつは! なら、俺の腕にしがみ付け!」


 そう言って、鬼人族の男は肘を曲げにして男に抱き付けと命じる。

 駄目元での提案であったが、これには兵士も何とか抱きつくことが出来たが……。


「お前には聞きたいことがあ――お前っ!?」

「やっ、やめっ、やめろぉぉぉおおお!!」


 兵士は背後より伸びた黒い魔力に足を取られ、抱き付いた鬼人族の腕から手を離し、森の奥へと引きずられていった。

 その後、森の奥から聞こえる断末魔は森の入口にいた鬼人族の男の耳にも、よく届いた。





 一団が全滅してから暫くして、彷徨うオアシスは煙のように消えた。

 オアシスがあった場所は今では抉ったような巨大な穴が出来ている。

 その周囲をユッグジールの里から出兵した魔族たちが囲い、落胆した様子で穴の中を伺っていた。

 穴の中からは紫色をした霧状の魔力と、低い唸り声が漏れていた。


「くそっ……また教団のやつらが先走ったぞ! やっと手つかずのオアシスを見つけたっていうのに!」

「いったいどこから情報が漏れたのだろうね。いや、そもそもどこから侵入したのか――盲信もここまでくると褒め称える他ないな」


 を漏らす大きなくぼみを見つめて、地団駄を踏むように金髪の鬼人族の青年は憤り、銀髪の魔人族の青年はさっと前髪を払った。


 長年彼らはその中心にいると噂される人物を確認するため、この彷徨うオアシスを探し求めていた。

 そして、ようやく彼らはこの地を探し当て、念入りに準備をしていたのだが、そこへいつの間にかその一団の侵入を許してしまったらしい。

 オアシスの周囲は彼ら2人の他、ユッグジールの里にいる魔族で見張っていたのだが……。


「……嘆いても仕方あるまい。とりあえず、今は瘴気を食い止めることが先決だ――いいかい、レク? 前と同じく僕が【影】の足を止めるから、君はすかさず首を落とせ」

「ちっ……わかってるよ! アニス!」


 銀髪の魔人族は穴の周囲にいた魔族に下がるように命じた。

 金髪の鬼人族は魔道器を出現させ、肩慣らしとばかりに手に持った昆をひと回ししてから構えをとった。

 鬼人族の青年の準備が整ったところを見計らって、魔人族の彼も呪文を唱え、手に持った植物の種子を成長させあふれ出る蔦を握る。


「【影】はまだ生まれて間もない。活性化する前に速攻で終わらせる!」

「おう!」


 こうして、2人は生まれたばかりの【影】へと向かっていった。

 魔人族の青年が言うように、戦いは直ぐに終わった。

 彼が生み出した木魔法による蔦の拘束で【影】の身動きを封じ、そこをすかさず鬼人族の青年が雷状の刃でその首を切り取った――。


「……そっか、また会えなかったか」


 こうした2人の活躍を穴の縁から見届けながら、はぼそりと呟いた。


「……やっぱり、彼なのかな?」


 さらりと銀髪が風を弄る。

 続けて、2つの黒い瞳を彼の隣にいたへと向けた。

 女も銀髪の少年の視線に気が付いたのか、仮面で覆ったその顔を向けた。


「……どう思う?」

「……こればかりは、私もわからない」

「だよね」


 仮面に空いた2つの穴から覗く彼女の赤い眼は困惑していた。頭部から生えたも若干倒れている。

 少年はその目と視線を合わせた後、おもむろに逸らした。


「……もしも、彼が生きていると言うのであれば……予定通り、オレが殺すよ」

……言わなくていい。もう、殺すなんて私に言わなくても、いいの」

「そうだったね……ごめん」

「謝らないで。私もとっくに決心しているから」

「……ありがと」


 少年はそう言うと、地面に膝をついた。

 「シグレ?」と赤髪の女の呼びかけにも答えず、彼は目を強く瞑り、握った拳で地面を強く叩きつける。


「ああ、あああああああああああああっ!」


 少年――シグレは地面に頭をこすりつけ、声を振り絞って叫びあげた。




 一。

 テイルペア大陸某所にて、彷徨うオアシスに立ち寄ったキャラバンが泉の中に浮かぶ対象を発見――程なくしてオアシスは消失。

 その後、消失地点に黒い靄により形作られた巨大な四足獣――通称【影】が発生する。

 【影】はその場一帯を陣取り、その身から毒性のある瘴気を発生させ、周囲の住民に多くの被害を出す。


 二。三。四――。


 その後、彷徨うオアシスはテイルペア大陸に限らず、世界中の各所に出現。

 一と同じく、消失を繰り返し、【影】の出現により甚大な被害を被る。


 同時期、聖ティア教団と呼称するラヴィナイの国民を母体とした団体が台頭し始める。

 彼らは彷徨うオアシスに眠る敵性存在の駆除を、全世界に向けて公言する。


 五。六。七――。


 また、同時期、神の寵児と呼ばれる異能を持った地人族が各地で出現し始める。

 彼らは瘴気の中でもまったくと影響を受けずに活動を行え、魔族とも違う強靭な肉体を持って、長年人々が苛まれていた【影】の討伐を地人族で初めて成し遂げる――。


 八、九――。


 その後、彼らは彷徨うオアシスを求めて世界中を探索し続けた。

 その中心人物にいる存在を求め、滅するために――いつしか、オアシスにいる人物の名前が世界中へ広がることになる。


 レーネ。


 その名が知れ渡ると、今以上に彼は世界中の人間から憎悪を向けられることになった。


 ――レーネを殺せ。

 ――レーネを殺せ!

 ――レーネを殺せ!!


 燭星998年4之月――レーネと呼ばれる少年は、世界中から忌み嫌われ、畏怖された。

 彼の少年を殺すことが人類の本懐とばかりに、誰もが声を揃えて殺せと日夜口にする。



 ……それが、ティアと呼ばれる少女による影響が多分に含まれていることも知らずに。

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