第289話 愛しい刹那的な祝福
少しだけ、自由を掴み取った。
最初は“ティア”が生み出した魔力の腕1本に干渉できることを知り、直ぐに本体である自分の身体にも命令を発することが出来た。
一部であっても身体の支配権を得られたことはワタシ的には大きな一歩である。
一瞬とは言え、“ティア”は自分の身体の支配を奪われたことに気が付いていないようだった。
空を飛ぶことに加えて魔力の腕の操作に集中して、自分の身体に起きた些細に気が付く余裕がない。ワタシにとっては実に好都合だ。
(ま、これ以上の干渉は控えておく)
余計なことをして“ティア”に警戒されるのもイヤ。
時期が来るまで大人しく引っ込んでいようと考え、ずっと黙っていたけど……ふーん。
(なるほどね……シズクくんから聞いてた話とはちょっと違うっぽいね)
ワタシの身体を奪った“ティア”のことはそれなりにわかってきた。
最初はシズクくんと同じくワタシのコピーだと思ったけど、この身体を生み出したあの愚かで身の程知らずの馬鹿女の影響もかなり受けているらしいねぇ。
(よかったねぇ……あんたの犠牲も無駄じゃなかったんだね!)
ほんとっ、忌々しい!
(幸せになりたい幸せになりたい幸せになりたい……はぁ、ふざけんなって感じですよねぇ)
さっきからボソボソ気持ち悪く吐き続ける独り言はホントうんざりする。
反対に、遠く離れたシズクくんからの囁きは、まるで睦言のように優しくワタシをとろけさせてくれる。
(クソ女の恨みつらみは煩わしいけど……ああ、シズクくんがワタシを追いかけてきてくれている! これだけでワタシはとっても癒されるぅぅぅ!)
しかも、ちゃんと今の“ティア”がワタシでないことまでわかってくれているんだ。
愛おしい。愛おしい。シズクが愛おしすぎるよ!
彼の歪んだ好意は内側に追いやられたワタシを奮い立たせてくれる。思わず声を上げて彼の呼びかけに答えたくなる。
ただ、今のティアのままでシズクくんとは向き合いたくはない。
顔面は涙や鼻水でぐちょぐちょで、目を覆いたくなるくらい酷いんだから。
あー、見っともない。
ワタシの身体なのに無様な真似を愛しいシズクくんに見せないでほしい。
あー、腹が立つ!
(大体、こいつは何もわかってないのよ)
シズクくんに呼び止められるたびに悲鳴を上げ、あたふたと逃げ惑う――こんな最高な展開で怯える意味がワタシにはわからない。
ワタシはここよ! 早く捕まえて~……なんて、吐き気を催しそうになる甘ったるいやり取りも、シズクくんとならしてもいいかもね。
――あーあ、今すぐにでも引き返してシズクくんと
(ほら、さっさと終わらせてよね。ね、シズクくん♪)
届かないワタシの気持ちを察してくれたかのように、どうやらシズクくんもこのあたりで終わらせるつもりらしく、本気で“ティア”との距離を縮め始めた。
魔道器だろう大鎌をシズクくんは何度も何度も振り続けた。
そのたびに、シズクくんは今までとは段違いにワタシとの距離を詰めていく。
瞬間移動というか、空間移動型の能力っぽい。
きっとワタシを殺すために今まで隠していたんだと思うと本当に嬉しく思うよ。
そんな彼の雄姿に何度も何度も振り返り、姿を大きくするシズクくんに
(さ、シズクくんもう少しだよ! ほら、あとちょっと! さあっ!)
そして、やっと、やっとだって、念願の鬼ごっこの終了にワタシは胸の中でにんまりと笑う。
ティアちゃん、ちょぉぉぉっと待ちくたびれちゃったよ。
「あぁっ……!」
「つ~かまえ……たっ!」
ようやく“ティア”に追いついたシズクくんは背後から羽交い絞めた後、押し付けるように2人して滑空を始めた。
いつの間にやらどこかの大陸を渡っていたらしく、黄土色の大地がワタシの視界に広がり始める。
そこからまるで流れ星が落ちるみたいにキラキラ! ……って輝いてはいなかったけど、盛大に地面へと墜落をする。
――バッシャーン! とね。残念。
落ちたのはどこかの泉らしく、周囲の深緑へと水しぶき……というには相応しくないほどの水量をまき散らした。
きっとその泉に溜まっていた水の半分以上が外へと逃げ出したことだろう。
「……ぶはっ! げほ、ごほっ……」
墜落による衝撃はノイターンの魔力が防いでくれる。けれど、それは全てというわけではなく、ある程度のダメージは“ティア”の身体へと注ぎ込まれたようだ。
しかも、今のショックで身体に纏っていたノイターンの魔力を解いちゃったらしく、全身ずぶ濡れ……。
いったい、どれだけ情けない姿をワタシに見せつけるつもりなのだろう。
彼女の言葉にならない苦痛の叫びが胸の中にいるワタシへと投げつけられ、本日もう何度目かとなるほどにうんざりする。腸が煮えくり返って仕方ない。
いい気味と思う反面、それはワタシの身体なんだからもっと労わってよ、なんて本気で口から洩れかけたところで、
「やっと掴まえた……もう逃がさないからね……!」
「ひっ……い、いやぁぁぁぁぁぁっ!」
今ので泉の水が器官にでも入ったのか、咳き込む“ティア”の背後から、またもシズクくんが抱きつく。
悲鳴をまき散らしながらあたふたと逃げようともがく“ティア”だけど、シズクくんはワタシの身体だってわかっていても全然容赦がない。さっすがー!
「や――……がぼっごぼっ!」
「ほら、さっさと入れ替わってよ! ボクが殺したいのはキミじゃないんだから!」
乱暴にワタシの髪を掴み、シズクくんは強引に“ティア”の頭を泉の中へと押し込み始める。
(あーあ、ティアちゃん絶体絶命~……ふふっ!)
このまま窒息して死んじゃうかも? なんて自分の身体からこそ心配はするけど、ワタシ的にはこれはチャンスとも思えて仕方なかった。
◎
かなりの時間、空を飛び回っていたことは何となくだけど覚えている。
けれど、追いかけるティアのお尻ばかり見ていたから、自分がどういう経路を辿ってきたのかなんてさっぱり覚えていない。
ボクの両目は最初から最後までティアしか見ていない。
その為、別に自分たちがどこで落っこちようが構わなかった。
墜落した大きな水溜まりはボクの膝下ほどの深さしかなかった。彼女を水の中へと押し付けるには丁度いい深さだ。
「ほらほら、さっさと入れ替わってよ! ボクが殺したいのはキミじゃないんだから!」
「――――っ!」
ボクは力任せに彼女の頭を水の中へと押し込んで心から懇願する。
求めている彼女とは別の存在であるその人物は、水の中からゴボゴボと激しく気泡を噴き出している。ボクが恋焦がれた女の子の容姿をしている為、汚らしく苦しむ様は見るに堪えないところもある。
魔力の塊であるボクらは溺死することはない。
今の自分がそうであるように、魔石生まれであるボクらは本来呼吸をする必要もないんだ。
でも、そのことに気が付かない限り、あるはずのない肺に水が入って苦痛に苛まれ続ける。ま……気が付いたところで直ぐに切り替えることなんて無理だろうけどさ。
錯乱した今の彼女はもちろんその事実に気が付くはずもない。
彼女は精一杯の抵抗で水面より顔を上げようと空気を求め続けてばかりだ。ノイターンの魔力で身体を包めばこんな水責めなんかすべて解決するっていうのに、それすらも忘れている。
だから、こんなものは本来ボクらには責め苦にすらならない――。
ボクは中身が別人であっても、ティアのもがき苦しむ姿をある程度楽しんだ後、拘束を解いて彼女に自由を与えた。
「げほっ、げほげほ、げほっ……げほっ……はぁはぁ……――」
彼女は即座に水面より顔を上げて両手、両ひざをついて咳き込みながら何度も呼吸を繰り返していた。
そして、未だ肩で息をしながら彼女は怯えるようにこちらへと振り返り、小さな悲鳴と共に這いつくばりながらボクから逃げようとする。
今の水責めで疲労が募ったのか、彼女の身体はふらふらだった。
弱々しくも懸命に浅瀬へと逃げようとする姿に感嘆としたものが募る――まあ、逃げられるなんて思ってないよね?
乱雑に彼女の白い髪を掴み上げ、その震える身体を押しのけるように横へと強く引っ張る。ぶちぶちと髪の毛が引き抜けるような音を耳にしながら、彼女が無様に横に倒れたところへ馬乗り。
見下ろすように顔をまじまじと近づけて優しく笑いかけてみた。
「……どう、そろそろティアに代わってくれる気になった?」
「ごほっ、ごほっ……てぃ、ティアはわ、私! 私が、ティア……ぎっ、ああっ!」
「キミじゃないって言ってるだろ?」
まだ無駄口がきけるようだ。つい苛立って彼女の首を強く握りしめる。
呼吸を必要としないのだから、首を絞めたところで死ぬことはないだろう。
(……そういえば以前の“僕”も首を絞めてティアを殺そうとしていたっけ)
あの時は変な警戒心をティアに与えたくなかったから止めたんだけどさ。
たとえ絞め殺すことが出来たとしても、ティアはボクが殺すんだから誰であろうと横取りは許せない。
今回の場合、ティアの顔で、ティアの声で、ティアの姿で、そんなつまらないことを言うこの女が憎たらしくて、思わず“手”が出てしまった訳だけど。
(はは……なんだかんだでこうしてボクも同じことをしている……)
こんなことでボクらは死なない。
ノイターンの魔力を得た今のボクらはなおさら死ねない。
だから安心して首を強く絞め続けられる。
大体こんなつまらないことで殺してしまったら、きっとボクはこの先ずっと苦しみ続けるだろう。
こんなつまらないことで殺しちゃったら、ボクは後追いしても不思議じゃないほど後悔するだろう。
このまま簡単に折れそうなほど細い彼女の首に両手を回し、またも水の中へと鎮める。
正面から見る苦痛の表情は本当に目を背けたくなるほど醜い。けれど、偽物だとしてもティアが苦しむ表情は少なからずボクの嗜虐心を刺激してくれる。
でも、とりあえずここまでかなと、今回は直ぐに水の中から引き上げた。
首を掴んだボクの両手にしがみ付く彼女の顔は鼻や口から水を滴らせ、大きく咳き込む。そして、そのまま途切れ途切れに言葉を漏らした。
「なん……シズ、クく……私のこと……好き……で……欲しい……って……ぐぅぁぁ……」
「黙ってよ。ボクはキミのことなんて一切興味が無い。ボクはキミの中にいるティアが欲しいんだ」
「……なんで……こうな……私は……ただ、幸せ……に……」
まだ駄目か……ボクは再度首を絞め続ける。
幸せになりたいって言葉は、さっきの追いかけっこの間に数えるのも馬鹿らしくなるくらい聞いた。
今がその幸せの絶頂期であることに気が付いてない。ボクはとても悲しいや。
いっそ、首を折ってみるか――どうせ首を折ったところで身体は即座に治癒を始めるだろう。先ほどのボクもそうだったしね。
(うーん、これ以上痛めつけても効果薄っぽいだろうなぁ……)
ボクは首の力を緩めずにちょっとだけ悩んだ。
一体、どうしたらティアは出てきてくれるだろう。
(“僕”が出てきそうになった時みたいに心的外傷を与えられればいいんだけど、初対面も同然のこいつのことなんてまったくわかんないし……――ん?)
一考に暮れていると、今まで両手でしがみ付いていた彼女の右腕がふらっと力が抜けるようにボクの手首から離れた。
何をするのかと首に回した手の力を緩めず、だらりと脱力した彼女の右腕を見て、少しだけ緊張する。彼女の右手に黒い靄が出現したからだ。
魔道器の発現。最後の抵抗だろうか。
咄嗟に首に回していた両手から、左手を離して彼女の二の腕を掴み上げる。
振り上げようとしていた魔道器――見覚えのある短剣の動きを止めに入る。
「甘いよ。それを刺す暇なんてボクが与える、と……――え?」
自分でも良い目を持っているんだと自負しているんだから、その魔道器が出現した時に気が付けばよかったのかもしれない。
……いや、思い出せばよかったんだ。
赤髪の彼とのいざこざで発現したボクの魔道器が“僕”が使っていた籠手じゃなく、大鎌だったことをね。
だから、もしもこいつが苦し紛れに魔道器で反撃をするなら、彼女の魔道器とは違ったものを出すはずなんだ。
「……」
ボクは彼女の行動を呆然としながら見届けた。
彼女は一体何をするか――こちらに腕を掴まれても、前腕で届くそこへと肘の動きだけで勢いを乗せて刃を進め、突き刺さす。
彼女――“ティア”は別にボクを狙っていたわけじゃなかった。
彼女の狙いは、自分自身だった。
“ティア”は自分の脇腹へと、その小さな刃を突き刺すために魔道器を発現させたんだ。
「ぎっ、痛っ――……っ……!」
両の手に力を入れるのを忘れつつ、ボクは彼女の首と右腕を掴みながらその様子を最後まで見届けてしまった。
今までしがみ付いてきていた彼女の左手がだらりと力が抜けるように下がり、同時に彼女の身体が糸が切れたみたいに脱力する。
悲鳴と同時に苦痛に顔を歪ませていたティアの眼球が上を向き、白目になる。
口はパクパクと先ほどとは違って呼吸を求めるみたいに何度か開閉を繰り返し、開けたまま止まった。
最後に動いたのは彼女の右腕で、ゆっくりと自分の脇腹から短剣を抜き取ると……半透明の、これまた見覚えのある球体が身体から抜けた刃を追うように傷口から現れて、ぼとん、と音を立てて水の中へと落ちる。
「ティア……ティア……?」
まさか、自害? 嘘でしょ?
信じられないとティアの名前を呼んだ。
そんなつまらない終わり方をするほどティアは弱くない。それはきっと偽物の彼女であってもそうだ。
だから、信じられない。けれど、目の前に起こった出来事にボクは激しく動揺する。
こんな終わり方であっていいはずはない。
ティアはボクが殺さなきゃいけないんだ。
それは誰にも譲れるものではなく、もちろん当人であるティアであっても許さない。
けれど、まさかそんな……今辛うじてティアの身体は彼女の首を掴んだボクの左手によって支えられている。だらりと力の抜けた身体は今この手を離せば直ぐにでも水の中へと沈んでいく。
今のボクは首を締めるために彼女の首を握ってはいない。彼女が水の中に沈まないように首を握っている。
今のティアはまるで死体も同然だった。
「ティア? ティア……ティア、ティ……ティアぁぁぁぁぁぁあああぁぁああぁぁああ――……あ、ぐっ!」
動揺したままボクは彼女の名を叫んだ。
――が、直ぐにボクの視線は、その醜く歪んだティアの顔から無理やり引き剥がされ、真上を向くことになった。
どうやら残っていたボクの首輪に繋がってた鎖を後ろから引っ張られたらしい。
一体誰が引っ張った? 誰か他にこの場にいる――なんて考えは瞬間的なもので、鎖を引っ張るこの馴染みのある力加減から、ボクは直ぐに気が付いた。
(ティアだ! ボクが待ち望んでいた“彼女”によるもの――やっぱり、彼女はこんなことで死ぬはずもな――…………)
一瞬の歓喜。
ティアが生きていたことの喜び。
死ぬはずがないとわかっていても訪れる安堵。
そして、これからが本番だと言う高揚。
これらの感情に震えたのはまさしく一瞬だった。
「…………え?」
そして、次の一瞬。
「あ…………」
――ボクはそれら募った感情全てを手放した。
◎
目を見開いた。目を疑った。目を奪われた。
ボクの視線が力まかせにティアから外され、歓喜に震え、そして、それを見た――その瞬間、ようやくボクは気が付いてしまった。
「……ぁ……ぁあ……ああっ…………!」
思わず言葉が漏れた。歓声が溢れた。感動に包まれた。
ボクは、ボクは……ボクは今……それの下にいることに気が付いたからだ。
今、ボクのこの両目には、ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっと!
生まれてからこの10年、ずっと待ち望んでいた色が塗りつけられたんだ。
――青だ。
深い深い、今までティアに向けていた情念をあっさりと吹き飛ばしてくれるような、清々しい青が視界一杯に広がっている。
雲1つない真っ青な空だ。
ラヴィナイにいては絶対に見ることはできない自然の青――念願の……念願の青空が今、ボクの目に、視界に入り込んできたんだ。
……綺麗だった。
きっと、この世界で1番に美しいものだ。
まるでこれを見る為だけに自分は生まれてきた、そう錯覚するほどボクは上空に広がる群青に見蕩れ続け――
「……あ……れ……」
――次にボクの身体からがくりと力が抜けていった。
見蕩れていた空が堕ちる。
ボクの身体に合わせるようにして視界から消えていく。
今まで馬乗りになっていたティアの胸へと頭を預けるように崩れた体勢になった。
そのまま指1本動かせられない。驚いて瞬きをしようにも両目は彼女の濡れたドレスの皺ばかり見ていてそれ以上は何もできない。
偶然にもコロっとヒビの入った半透明の黒い球体が動かせない視界の中、ティアの浅い胸を転がって先ほどと同じように水の中へ落ちていくのが見えた。
「……お待たせ。ワタシの愛しのシズクくん……」
さわっとボクの髪を誰かが撫でる。
誰かなんて直ぐにわかった。
(…………ああ、なるほど)
遠くなる意識の中で理解した。
ボクは負けたのだ。
「ふ、ふふ……嬉しい……やっと触れ、ふふ……触れ合えた……ふふふ……悲しい……これでさよならなんて……ふふ、ふふふふふ……幸せっ……ワタシ、幸せっ……あは、はは、はははっ、シズクくんを殺しちゃったぁぁぁぁぁあああああああっ……!」
ボクはティアの微笑を交えた囁きを耳にしながら意識を散らしていった。
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