第288話 追求

 遠ざかる長髪の男シズクの背中を、ぼくらはいつまでも眺め続けていた。

 風になびいた後ろ髪がまるでぼくらへと手を振っているみたいだ。ぼくらは行かないで、戻ってきて、とその姿が見えなくなるまで弱々しく左手を伸ばした。

 その男がぼくらの好きな人と姿をしているだけだってことはわかっている。けれども、ぼくらは届かないその黒髪へと震える手を伸ばすしかなかった。


「……シズク」


 か細く口にした言葉は男には届くことはない。その名は遠ざかった男に向けたものじゃない。

 それでも呟かずにはいられなかった。

 名前を呼んだところでシズクが振り返ってくれないことはわかっていた。……いつまでも、いつまでも、名残惜しむみたいに男のいた空を見上げ続けていた。

 シズクが砂粒みたいに小さくなって、禍々しく紫に光る黒雲に紛れるように消えてもなお……そして、その黒雲が次第に薄れ、曇っていたことが嘘みたいに深く吸い込まれそうな夜空が広がっても――。


「……」


 ラヴィナイの夜空には無数の星が瞬いていた。

 ぼくも、レティも、その星々に目を奪われた。

 何も考えたくない。現実逃避するにはこの夜空はとても最適だった。

 ぺたりとその場にお尻をつけて、夜空を見上げるくらいには夢中になっていた。

 長い長い……とても長い時間、ぼくも、レティも、真っ黒な夜空へと目を向け続けた。

 とっくに消えたシズクをこれでもかと光り輝く星々から探すみたいに――けれど、そんな居もしない男を、無数の光の中から探し終えるのもきっかけさえあれば直ぐだった。

 リコがの隣に付き添っていてくれたことに気が付いたからだ。


「……リコ」

「……ん」


 10年間眠っている間によりも背が高くなったリコは、結局使うことのなかった拳銃の上から覆うようにぼくの手を両手で握り続けてくれていた。

 おもむろに首を傾けてリコの名を呼ぶと、リコは唸るような返事と共にほっとしたような微笑みを返してくれた。それから震える唇が開いた。


「……ルイ、大丈夫?」

「うん……」


 何が大丈夫なのだろうか。ぼくも、レティも、全然大丈夫なことなんてない。

 今の返事は反射的に頷いたようなものだ。

 でも、とぼくは今一度自分に言い聞かせるように頷いた。


「……うん。だいじょうぶ」


 ぼくは寒いのは好きだ。

 みんなが寒い寒いって身体を震わせるこのラヴィナイでも夏場の四天の衣装みたいな薄着で長い間外にいてもへっちゃら――なんて、今のリコの「大丈夫」は、そういった体調を心配をしてくれたわけじゃないことはわかってる。

 リコは唇を真っ青にしてもなお、辛抱強くぼくらが正気に戻るまで傍らに寄り添ってくれていたんだ。

 シズクがいなくなって全然大丈夫じゃないけど、このままリコをの我儘に付き合わせるわけにもいかなかった。


「……リコごめんね。待たせちゃった。部屋の中へ戻ろう」

「……いいのか?」

「……」


 よくはない。けれどここにいたってぼくらのシズクが戻ってくることも現れることもない。

 リコの言葉に若干俯きかけてしまうけど、


《ルイ……わたしたちにはまだやることが残ってる……》

《うん……わかってるよ、わかってる……》


 胸の中から掛けられたレティの言葉に同意してからリコへと頷いた。

 レティだってぼくといっしょで、シズクがいなくなったことに心を止めていた。かけてくれたレティの言葉は自分へのものだったこともぼくにはわかってる。

 ぼくも、レティも、自分自身を騙すように何度もやることがまだ残っていると胸の中で言い聞かせ、ポケットに仕舞っていた今回の目的でもあるプレイヤーの封じられた球体へと手を伸ばし、そこにあるのを確認するように軽く触れた。

 シズクがいなくなった今となっては、手に入れた球体にはすっかり興味も関心も無くなっていたけど……。


「……みんなのところへ戻ろう。それで、目的通り白い少女たちをどうにかして解放しないとね」

「……ん」


 今度はぼくらの番だと、震えの止まらないリコの肩へと手を回して、支えるようにしてゆっくりと立ち上がらせる。

 魔法でリコの周囲の空気を暖めながら、ガラスが散乱した室内を渡り、廊下へ続く扉をくぐった。


「あ、そっく……ルイ! やっと見つけたぞ!」

「……ベレクト?」


 リコの肩を抱き寄せ、その身を温めながらゆっくりと廊下を歩いているとベレクトが駆けつけてきてくれた。それからベレクトの今のボロボロな姿を見て少しだけ驚いた。

 今日の面談の為に用意された立派な服はあちらこちらで擦り切れ血で汚れている。それ以上に頭の流血に注目する――けど、それは単に拭い忘れたようだ。流れた血はすっかり固まっていて、見た目は酷くとも治療は済んでいるみたいだ。

 ベレクトは痛々しい姿とは裏腹にいつも通りのはきはきとした口調で訊いてきた。


「どうだった!? 球は見つかったのか!?」

「……うん。あった」


 ポケットに入れていた球体を適当に片方だけ掴み、ベレクトへと見せる。ベレクトは興味津々と球体へと手を伸ばしかけて、直ぐに首を振って緊迫した様子で大声を上げた。


「よくやったな! じゃあ早速で悪いけどルイたちも早く来てくれ! ティアの魔法でみんな怪我して大変なんだ! 中でもリウリアのねーちゃんが大怪我しちゃって!」

「……え、ウリウリが? ウリウリが大怪我!?」


 今までずっと沈んでいた気持ちがベレクトの報告で一気に奮い立つ。

 ベレクトの案内のもと、急ぎウリウリが運ばれたという、仮病を患ったぼくらの為に用意された客間へと向かった。





 部屋の中には意識の無いキッカちゃんやドナくんたちが床に寝かされているのが視界に入ったけど、何よりもベッドの上に寝かされたウリウリに釘付けになった。


「「ウリウリっ!」」


 部屋に入って直ぐにぼくとレティは同じ口で器用に重なるようにウリウリの名前を呼びベッドへと駆け寄った。部屋の中にいたアニスやお父さんの驚く顔が見えたけど、それ以上にぼくらは意識の無いウリウリのことしか目に入らない。

 直ぐに両手に淡い薄緑色の光を灯してウリウリに治癒魔法をかけようとしたところで、ベレクトと同じくボロボロの格好になったお父さんに腕を掴まれて止められた。


「お父さん離してよ! ウリウリがっ、ウリウリが!」

「安心しろ。治癒はとっくに済んでいる。それ以上の行為は毒でしかならない」

「本当にっ!? 大丈夫なの!?」

「ああ、大丈夫だ。だから、少し落ち着け……」


 言われて見れば確かにウリウリの寝顔はとても穏やかだった。

 呼吸で僅かに上下する胸もゆったりと落ち着いたもの。顔色はいつもよりも青白くて不健康に見えるけど、命に別状はなさそうだ。

 むしろ、ぼくらの腕を掴んで止めたお父さんの方が疲労困ぱいという感じに疲れているように見える。


(よかった……これ以上、ぼくの大事な人がいなくなるのは本当にいやだ……)


 落ち着いた後に話に聞くと、どうやらウリウリは複数個所の骨折と内臓の損傷と、ものすごい重傷だったらしい。

 これもティアのせいなの……!? とまた頭に血が昇りそうになったけど、どうやらウリウリは“レーネ”にやられたらしい、という話をベレクトと同じように銀髪を血で染めたままのお父さんから教えてもらった。


《今日という日こそ魔法があってよかった思わずにはいられないわ……》


 レティの元の世界には魔法はない。もしも魔法が使えなかったらと思うとぞっとする、とぼくも同じ気持ちになった。


「ところで、ルイ。目的のものは手に入れたのかい?」

「ああ。うん。これだけど――」


 と、抱えていた不安の1つが解消されてからは手に入れた球体をアニスへと見せた。ひとまず、一応の目標も達成だ。

 それに伴い、ぼくらがこれ以上ここに留まる理由は無くなった。

 ……けれど、ぼくらは夜が更けてもなお、ラヴィナイに滞在し続けていた。


 それも重篤だったウリウリを除き、ユッグジールの仲間たちが目を覚まして少しした後、城の人たちがぼくらに救援を求めてきたからだった。

 ティアの名前を伏せての遠回しな言い方だったが、あいつの魔法に巻き込まれた国民たちの救助を手伝ってほしいらしい。


(……あの女を慕うやつらが死のうがどうなろうと知ったこっちゃない)


 だけど今は何かをして気を紛らわしたかったのは事実だ。両国の親睦を深めるという建前で訪れたこともあって、言われるままに救助に向かった――んだけど……。


「……ル、ルイ! た、大変! ルイぃぃぃっ!」


 その現場へと向かおうとした矢先、リコが悲鳴を上げるみたいにぼくの名前を呼んだ。

 そして、両手に乗せたをリコが見せてきた時、ぼくも、レティも、が何かわからなかった。

 けれど……。


「…………嘘っ! 違、違うっ! そんなの信じない!」


 が何なのか理解した途端、リコの両手から奪い取るように掴みかかり、喚き散らすように声を上げるしかなかった。

 は今までずっとリコに預かってもらっていたシズクのペンダントだ。

 ……ペンダントにはまっていた黒い魔石は、リコの両手の中で


「痛、痛い! ルイっ、ルイ、落ち着い……ルイぃぃっ!」

「なんで、なんでっ、なんでっ!」


 ペンダントはリコの首にかかったままだということも気にせず、ぼくは無理やり“無残”なペンダントトップを自分の両手の中に奪い取ろうとした。

 強引に引っ張ったことで、途中で切れたのか留め具が壊れたのか、ぼくらの手から滑るようにペンダントトップは逃げ出した。フレームから外れるように魔石の欠片は宙に舞って地面に落ちた。


「シズクっ!」


 ぼくは這いつくばって床に散らばった破片をかき集めようとするけど、それらはまるで砂の塊みたいに脆く指で摘まんだだけで簡単に崩れていく。


「やだよ……シズク、嘘だよね……偶然、偶然壊れちゃっただけだよね……ねえ、シズク……っ!」


 そうだよ。偶然なんだ、と自分に言い聞かせる。

 ペンダントにはまっていた魔石の欠片が崩れたのは偶然、偶然……なんて、未だ目を覚まさないウリウリへとおもむろに振り向き、その耳の先に付いたを見て直ぐに強く首を振った。

 でも。


 ――こんな同じ偶然がも起こるのだろうか?


 錯乱するぼくとは違い、胸の奥で呆然と事態を見ていたレティの無言の反論がぼくの思考に入り込んでくる。

 うるさい、黙れ! と胸の中にいるレティに怒鳴りつけてやりたい気分になった。

 でも、レティもぼくと同じだけこの事実を否定し続けているのも確かなんだ。

 そんなことない。シズクは、シズクは死んでない。魔石の欠片が壊れたからって、死んだって限らない……って。


「……っ!」


 奥歯を噛みしめ、喉の奥から溢れかけた悲鳴を飲み込む。

 苦しそうに、悲しそうに、辛そうに顔を歪ませるリコの視線も気にせず、ぼくは地面に項垂れるしかなかった。


「そんなのいやだ……ぼくは信じない……シズク、シズク、シズク……!」


 は、粉々になった魔石の欠片を握り締め、縋るようにシズクの名前を呟く以外、この不安を吐き出すことは出来なかった。

 欠片は今以上にぼくらの手の中で砕けていった。





 たった10年っぽちのティアとの思い出を振り返り、ついつい感傷的になった。

 けれどそれはティアを追っていくうちにじわじわと溢れる高揚感が覆い隠してしまう。

 もう何も寂しがる必要なんてない。むしろ、今では世界に祝福されているかのように心を弾ませている。

 今か今かとその時を待ちわびながらボクは彼女の後を追った。


 2人ボクらの距離は未だ遠い。

 先を行く彼女の姿は風景に紛れてしまってまったくと見えないが、彼女を覆っているノイターンの魔力はナメクジが這いずったような跡を宙に残している。見失うことはない。

 足あとが残っていなかったとしても、ボクらに限っては全く問題はない。

 黒雲に包まれた夜の世界であっても、“ティア”の居場所はボクには目を瞑っていてもわかった。不可視の赤い糸に結ばれたボクら2人、たとえこの星の反対側にいようともお互いの位置は手に取るようにわかる。

 このまま心惹かれるまま、身体引かれるままに、ボクらは巡り合う運命だ。


 ――幸せになりたいだけなのに……!


 ふと、空耳のように遠く離れた彼女の独り言が聞こえてきた。

 こんなにも遠く離れていようともお互いの声を送り合える。なんて素敵なことだと思うけど、今回の発言にはボクはむっとする。


 幸せになりたいなんて変なことを言う。

 ぼくたちは今まで幸せだったじゃないか。

 なのに、幸せになりたいだなんて、それじゃあ今まで不幸だったみたいじゃないか。


(……やっぱりお前はティアじゃない。偽物でしかない)


 今のボクは呼吸を必要とせず、冷たい上空の気温に身体が悲鳴を上げることはない。

 高速飛行によって生じる空気抵抗は身体に纏わせたが防いでくれる。

 ティアを追うのはボクだけじゃなく、コルテオス大陸を覆っていた紫色の雲も彼女を追いかけるようにして動いているのがわかった。が、そんな上空を移動する雲すら置き去りにするような速度でボクは飛び続ける。


 彼女との隙間を埋めるのに時間は思ったよりもかかった。

 待ち遠しくて狂ってしまいそうだった。が、彼女の姿が片手に収まるくらいの大きさになったら、くすりと笑みを1つ漏らしてどうでもよくなった。

 彼女は1人での飛行に慣れていないようで、魔力に包まれた身体が激しく揺れていた。

 時折こちらを視認できるようになったころ、ちらちらと振り返るたびに身体を大きくふらつかせていた。不慣れな飛行によるものとは別の震えを見せ、ボクもまたぶるりと身体を震わせる。


(これが本当のティアだったら、ボクは嬉しさのあまり魔法を解いて地面へと墜落しちゃってたかもね)


 の世界にいても、ボクの目にはもう彼女しか見えない。

 瞬きをすることなく、ボクはどこまでもどこまでも手を伸ばすようにしてティアを求め続けた。


「シズクっ、くんっ! 来ない、でよ! 来ない、で……追いかけて、来るなぁぁぁ!」


 ようやくはっきりとお互いの顔がわかる距離まで詰めた。

 彼女は抵抗よろしく、自分の体を覆っていた魔力から腕をいくつも生やしては、ボクを薙ぎ払おうとする。……無意味だということをそろそろ学んでほしい。

 彼女が伸ばした魔力の腕がボクの身体を透過するたび、彼女の顔は恐々としたものへと変わり、声にならない悲鳴を上げて更に速度を上げようとする。

 そんな彼女の反応にボクは面白くなってしまって、もう少しで掴まえられるってところなのに、ついつい速度を落としちゃったりしてね――あれ?


「……ん」


 なんだろう?

 彼女の可愛らしい抵抗ににんまりと頬を緩めている中、ふと無差別に振り回される無数の魔力の腕の1つが不規則な動きを見せた。

 伸ばされた無数の腕の1本が他とは違う動きを見せて、ボクに襲いかかろうとした他の腕へとぶつかったのだ。

 錯乱した彼女が魔力の腕の操作を誤ったと考えるのが自然……だけど、どうしてか妙に気にかける一瞬だった。けれど、腕同士の衝突が起こったのはその1回限りだ。


 その後も彼女は箒で塵を払うかのように、腕を綺麗に揃ってボクを殴り続けていた。


「……だから、意味ないって」


 最初のプレゼントの時とは違い、今のボクはキミと同じノイターンの魔力を身体に纏っている。今のボクにその腕を当てることは出来ない。

 自分が無駄なことをしているとようやく悟ってくれたようで、彼女は悔しそうな顔を見せながらキョロキョロと辺りを見渡していた。

 次は一体何をするのだろう。楽しみにしていると彼女は滑空するように高度を落とした。ボクもそれに続く。


 ボクらは海の上を飛んでいたらしい。

 彼女は低空飛行を始め、身体に纏っているノイターンの魔力の影響もあってか激しい水飛沫が後方に舞った。後ろに続いていたボクにばしゃばしゃと飛沫が飛び掛かる。

 でも、ボクが濡れることはない。

 水飛沫がボクにかかる前にノイターンの魔力が全て防いでくれる……ただ、多量の飛沫によって視界が遮られるのがイヤで、ついつい彼女の真後ろにつくことをやめるくらいには迷惑だ。


「……っ! へえ、考えたね!」


 ティアの姿をずっと見ていたかったからこそ移動したボクだけど、これに効果ありと彼女は考えたのかもしれない。

 今度の彼女はノイターンの魔力を間接的に使いだした……海面を腕で叩きつけるようにしてボクへと海水をふっかけてきた。

 彼女の巨大な腕により巻き上げられた海水は大きくうねりを見せて、津波と呼んで相違ないものと化して後方に続くボクへと襲いかかってくる。

 それなりに近づけたボクもこれには少しだけ驚いてしまって、ついつい速度を落とした。

 ま、驚いたのは認めるけどひるみにも入らない。

 子供みたいな水の掛け合いに思わず笑いが込み上げる。が、後はもうイラつかせるものでしかない。

 他のものなら触れるとでも勘違いしたのか、その後も海面を叩いてこちらに放水をしかけ続ける。

 ノイターンの魔力を纏ったボクの身体には水の1滴すらかかっていないというのに……笑って許せたのは最初の1回だけど、何度も続けばボクだってしつこいって思うよ。


「あのさぁ……もういい加減に……――えっ、ぐぁっ!」


 口調を荒げかけたところで、乾いた音が自身の周囲から鳴り響く。

 どうやらボクの周囲をデタラメに凍らせたらしく、身体を覆っていた魔力の範囲の外は分厚い氷に覆われていた。気泡による真っ白な氷はボクの視界を遮っている。

 もしもこの場に見物人いたら、大きな津波が氷山に化けたと思っても不思議じゃないほどにボクの周囲は一斉に氷結していた。


「がぁ……ひぃ……ごばっ……!」


 反射的に起こした呼吸によって悲鳴みたいな声が喉を通る。

 氷に包まれたことによる急停止は、ノイターンの魔力を纏っていてボクの身体へ大きな反動を与えてきた。

 全身の骨が折れ、無いはずの内臓が潰れたように口から噴水のような血を吐き出す。

 中でも首の骨がひしゃげ、ぐるりと視線があらぬ方向へと一回転するほどだ。

 これには少し……いいや、かなり驚いた。

 でも、直ぐにボクの身体は修繕を始めた。痛覚を捨てた身だから痛みなんてものは感じていない。


「へえ、やるね……ちょっと甘く見過ぎてた」


 最初に治った両腕で折れて倒れた頭を支えながら、ちょっとした立ち往生中にぼそりとティアへと呟く。返事はもちろん無い。

 まあ、いいさ。

 そんな独り言をつぶやいている間にボクの身体は完全に治癒を終える。

 意味もなく左右に首を振り、快調であることを主張したりもする。

 後は周囲を覆っている氷山を破壊してまた鬼ごっこの再開だ。


「でもさ。もう、そろそろ限界だよ。ボクは直ぐにでもティアに触れたくて仕方ないんだ」


 このまま力任せに氷塊を壊してもよかったよ。けど、そろそろこの遊びも飽きてきたから本気を出そうと思う。

 ボクは片手に魔道器である大鎌を出して、そっと軽く目の前の空間を薙いだ。

 そして、魔道器によって生まれた空間の割れ目へと飛び込んで遠く彼方へと空間跳躍。またも彼女の追跡を再開した。


「ティア……ティア……」


 さくりさくりさくり。

 ボクは目の前の空間を何度も裂いて、高速移動と空間跳躍を駆使しながら先ほどの鬼ごっこなんて目じゃないほどの速度で彼女との距離を削っていった。

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