第269話 世界は彼女を中心に回っている

 出会ったばかりの当初、ボクとティアの力の差はとても大きかった。

 例えるなら、象と蟻か。それとも海と船か。はたまた、宇宙と星――比較する対象が強大だったとしても、途方もないほどの差は無いか。

 とにかく、ボクと彼女との力量差は大きく広がっていた。





 この世界に存在するものは大なり小なり魔力を有している。

 そして、今この世界でヒトと呼ばれる生命の体内には、ティアの魔力が浸透していった。


 ――これは彼女が元々“僕”に使おうとしていた、人の意志を支配する闇魔法の応用だ。


 自身の魔力を大気に潜ませ対象の体内へと侵入し、内部から意識を支配する。

 時間はかかろうとも、ティアの魔力を含んだ空気になじみ続ければ、いつしか従わずにはいられない。服従するしかない。酔狂するしかない。


 最初は彼女の生まれ故郷であるラヴィナイから始まり、近隣の諸国、コルテオス大陸全域と範囲は拡大した。

 その先は彼女が手に入れた“力”の制約上、じっくりと大気を汚染するかのように魔力は世界中へゆっくりとゆっくりと広がっていった。

 数年ほど前、ようやくテイルペア大陸までその範囲を伸ばせたと彼女から聞いてる。


 そうして彼女が広げた魔力はこの星を覆いつくまでに至った。

 彼女に近ければ近いほど影響は強く、世界中のヒトたちは無意識的にティアを崇めるようになった。

 遠く離れたテイルペア大陸でも、顔も知らない彼女に対して誰もが友好的な感情を持たされていることだろう。


 こうして彼女はこの世界の人たちの意志を手に入れた。

 ちなみに、“僕”に行われた唾液を流し込むやり方は、その魔力の影響を全くと受けていない初見相手に対してだけ使われるそうだ。

 そして、この魔法が使われたのは、影響の出ていなかった頃の“僕”だけだとティア本人から聞いている……が、もちろん、彼女の話を全てを信じているわけではない。


 言えることは今ボクたちが生きているこの星はティアという女が支配したも当然ということだ。


『――あーあ、あんなに欲しかった理想の世界を手にしたとしても、こうもあっけないと面白みは無いわ』


 そんなことをぼやいても、彼女は飽きるということを知らない。

 直ぐにでも新たな願望を生み、いつまでも自分が欲するもの全てを求め続け、どんなことをしても手に入れようとする。

 全ては自分自身の享楽のためだ。


 さらに最近になって彼女はボクらにとっては神と呼んでいい存在……白い少女を含むプレイヤー2人を拘束していたことが判明した。

 “僕”の記憶から読み取った白い少女の性格を鑑みると、やられっぱなしで黙っているはずがないのだが……あの様子では完全に御されているのだろうか。


 まあ、こんな状態で続いているか定かではないが、今回のゲームはティアの1人勝ちみたいなものだった。

 自分を駒として扱っていたプレイヤーまで手中に収め、彼女を止めることができる者は誰もいやしない。

 ……いや、出来るとしたら最後のプレイヤーである白い青年くらいだろうか。

 それにしたって白い青年が今どこで何かをしてるかなんてわからないし、彼の王であるお気に入りのリコの所在すら、ボク如きが知るはずもない。

 どちらにせよ、分はティアに大きく傾いているのは間違いない。

 はたして、プレイヤー不在のこのゲームの行く先は、この先一体どうなるのか――


 ……なんてね。


 実のところボクは今回の糞ったれな遊戯には全くと関心はない。

 ボクが関心を寄せる全てはティアだけだ。ティア以外のことなんて今のボクにはもう必要のないことだ。

 ボクは強大な力を得た彼女の庇護下で生きることを決めた。

 そして、彼女の奴隷として生まれ直したあの日から10年、ボクはずっとティアに追いつくことだけを考え、尽力を注いできた。


 それも、誰も手の届かないティアとボクだけが対等になれる存在だと信じて……。






「じゃ、本日の定例会はこれで終わりでいいカナー? 水路の件以外では問題もなさそうでティアちゃんとってもうれしいよー!」

『はっ』


 傅く4人の青年たちを前に、ティアは玉座の上で足を組んで愉しそうに笑って見せる。

 宮殿内のとある一室――議会として使われたこの謁見の場には、王であるティア、彼女の背後に控えるボク、そして、その4人の青年たちがいた。

 城内には多くの従者がいるが、ボクはその全てを把握しているわけではない。それでもこの城にいる者たちに共通する点は容姿が整った美男美女ということだろう。

 その中でもこの4人はとりわけ美形で、特別な存在だった。


 ひとりは、赤髪の感情的な俺様タイプ。

 ひとりは、青髪の無愛想な寡黙キャラ。

 ひとりは、紫髪の飄々としたちょい悪男子。

 ひとりは、桃髪のふわふわおっとり系少年。


 名前を覚える気は一切なかったので、彼らのことは髪の毛の色で区別している。が、以前ティアに4人のことをそんなふうに説明された覚えがある。

 まるで戦隊モノのキャラ付けみたいだ、と“僕”の記憶の中にある印象を持った程度に、その時のボクは笑って彼らの紹介を聞き流していた。

 別に他の男のことなんて知りたくもない。


 彼ら4人はティアが理想の恋人、みたいなものだった。

 そして、恋人としての役割を果たすためにボクを含め、彼らは兎にも角にもティアを第一に考え、ひたすら彼女を愛でるために存在している。

 安易な言葉にするならば、逆ハーレムと言ってもいいかもしれない。

 彼ら……いや、ボクを含めたここにいる5人は彼女の特別で、彼女の近衛で、彼女のハーレム要員で、実際のところは彼女のおもちゃみたいなものだ――。


「では、本日も各自お勤めよろしくおねがいしまーす! 解散!」


 と、ティアの号令を前に各自綺麗に揃った敬礼と共に持ち場へと向かっていった――そんな中、赤毛の男だけが背を向ける3人とは違ってこの場に残った。

 何事かと後ろに下がった3人が何度か振り返り、こちらを伺っていたが、誰1人として立ち止らなかった。

 そして、その3人が部屋から出ていったところを見計らって、赤毛の彼は綺麗な顔を歪めて(意地悪い笑みでボクを一瞥をしてから)、主であるティアに向かって話し始めた。


「なあ、レティア様。そんなオカマ野郎じゃなくてこの俺をレティア様のお側に置かせてもらいませんか?」

「……」


 オカマ野郎……とはボクを指してのことだろう。

 はっきりとした美男子である4人に比べ、ボクの容姿は女のそれだとは自分でも認識している。別に腹を立てることも無かった。

 赤髪の男の提案にティアは困り顔で一考するかのような仕草を作って、答えた。


「……えっと、つまりシキくんは今の仕事よりもワタシの側近で働きたいってこと?」

「へへ、そういうこと! ……まあ、街の巡回がつまらないって理由も確かにありますよ。けど、それ以上に俺はもっとレティア様のお側にいたいんです」

「ふーん……ワタシのそばにいたいんだ」

「俺だってもっとレティア様の近くでお仕えしたいんですよ。(……最近のレティア様つれないし)……物は試しと俺とそのオカマ野郎の役割を代えてみませんか? 絶対に俺の方がそいつよりもレティア様を楽しませられるって証明しますんで!」

「んー……」


 赤髪の男はちらちらとボクに視線を送りながら自信ありげに口にした。断られるとは微塵もない様子だ。

 けれど、残念なことにティアの回答は男の期待に沿うことはない。

 ティアは赤髪の男に向かっていつも通りに微笑んで、答えた。 

 

「だーめ! フルオールくんならまだしも、キミじゃあワタシの補佐に就くのは実力不足。シキくんって大ざっぱなところあるじゃん?」

「大ざっぱ? ……どのへんが?」

「……」


 理解できないと赤髪の男は首を傾げたところで、ティアから僅かな感情の機微をボクは感じ取る。

 きっと今の感覚は彼女の背後にいたボクにしか察することはなかっただろう。

 ティアから広がった小さな波紋は赤髪の男には届く前に、すっと消え……ため息を口にしながら彼女は口を開いた。


「……じゃあ、シキくんはワタシを抱きかかえながら空を飛べる?」

「レティア様ちょっと俺を馬鹿にしすぎじゃないっすか。なんならそいつよりも早く飛べ――」

「……空を飛んでいる間、向かい風に圧されることなくワタシを魔法で暖め続けることは出来る?」

「暖め? は、はあっ、そ、れくらい余裕だよ! なんなら、今からでもレティア様を暖めながら飛んで――」

「――さらに続けてワタシに負担をかけずに飛び続けることは?」

「負担っ――」

「ワタシ、激しく揺れる乗り物きらいなんだけど」

「……」


 そこから先、赤髪の男は口を閉ざして視線を下げてしまった。

 ティアが大ざっぱと言うくらいなのだから、この世に生まれ……魔法を覚えて4、5年の彼はそういう細かな技術は不得手なのだろう。

 だが、彼は諦めが悪いようで直ぐに俯きかけた顔を上げて反論をしようと口を開く――よりも先にティアが話を続けた。


「そういうのを言われる前に出来るのがレーネなの。これは他の3人も同様に、彼の気配りを真似することは出来ない。技量だって遠く及ばない。そんな中で3人よりも未熟なキミは出来るの?」

「それは……けど――」

「出来ないでしょ? じゃ、この話は聞かなかった頃にするね。……ほら、シキくんも早く持ち場に移動移動! あ、それにレーネのことオカマ野郎なんて言うのもダーメ!」

「ちっ……わかりましたよ。レティア様」


 今度こそ赤髪の男は一礼からボクたちに背を向けた。

 主であるティアの前であっても苛立ちを隠すことなく、不機嫌そうにこの場から去って行った――。


「……ティア、そろそろ仕事場に行こうか」

「……あ、うん。そうだね!」


 またも起きた一瞬の空気の変化――ティアから生まれたを察し、ボクは行動を起こさせる前に彼女の名を呼び手を差し出した。

 ティアもボクの手を取り、いつも通りの繕った笑みを浮かべ始める。

 彼女の苛立ちは固まった笑顔の中に微かに残っていたが、どうにか思い止まってくれたらしい。

 それでも、溜まった不満は言葉となって彼女の口から漏れた。


「なーんか……あの子、勘違いし始めちゃったかな?」

「あの子って赤髪の?」

「そう、シキくん! 前はオラつく感じが良いって思って色々と許してたけど、これが間違いだったかな。エッチの時もそうなんだけど、自分勝手なところが目に付いてさ……なんだかイラっとすること多くなって……」


 続けて、ゆっくりと間をおいてから、ティアはぼそりと口にする。


「……そろそろあいつ……消しちゃおうかな」


 その言葉と共にぞくりと背筋が震えるような魔力の揺れをティアから感じ取る。


「うわ、怖いこと言うね。けど、もう少し様子見たら? 代わりだって育つまで時間かかるし大変でしょ?」

「それはそうなんだけどさ……うーん。じゃ、消すのは新しい子作った後でいいか!」


 その後、ティアと手を繋ぎながら、次の側近候補はどんな子にするかという話を交えながら彼女の仕事場である執務室へと向かった。

 個人的には消してしまって構わないと思うけど、赤髪の彼にはもう少し残っていて欲しいとボクは思っている。

 それも、ここで新入りなんて入ってきたら物珍しさからティアはその子に夢中になるに決まってる。そしたらボクとの時間が減っちゃうわけだからね。

 今も赤髪の男は相手にされてない分、ボクがティアを抱ける日が多く回ってきている。


(……個人的に彼には色々とになってるから、ボクがお礼をしてあげたいなんて願望もあったりするんだけどね?)


 けれど、きっと彼を壊すことがあったとしたら、それはティアの役割になるだろう。

 彼女は自分が手に入れたものを手放すことは絶対しない。けれど、捨てる時は後腐れ無いように自分の手で跡形も残らないほどバラバラに壊す。

 ティアってやつはそういう女であり、気持ちの切り替えもあっさりと出来たりする。


「ねえねえシズクくん! シキくんにオカマって言われたからって落ち込まないでよー!」

「ははっ、オカマだなんて今さら過ぎて何とも思わないよ」

「本当にー? シズクくんって時々何考えてるわからないトコロあるから、ティアちゃんしんぱーい! でも、そんなミステリアスなところもいいよねぇ!」


 部屋に着くまでに軽口を挟むくらいには鬱憤もおさまったらしい。

 ちなみにボクが普段考えていることなんてティアのことばかりだ。それ以外のことなんてほとんど考えてなんかいない。

 苛立っていたはずのティアに逆に慰められる? と言ったやり取りを挟みつつ、ボクたちは部屋の中へと入った。


「じゃあ、今日も働きますかぁー」

「うん。ティア頑張って」

「おうよ! シズクくんも見守っててね!」


 と、書棚に囲まれた大きな机に着き、ティアは目の前に積まれたら書類の山へと手を伸ばした。





 ラヴィナイの王様であるティアの仕事の大半はこの国の執務にある。

 ――そう言ってもティアがするのは報告書に目を通し、署名をし、許可印を押すか押さないかってところだけだそうだ。

 そうして、毎日毎日、側近である4人を通して提出された国民からの嘆願・要望に指示を出すのが主な日課である――まあ、これには最初驚いた。


 当初、ティアは自分第一の高慢ちきな女で、面倒なことは他人に押し付けるようなやつだと思っていた。

 しかし、ラヴィナイで生活を共にしていく傍らでその考えはゆっくりと改めることになった。


『お父様が居た時からこういうのは手伝ってたりもしてたのさ。どうだ、ティアちゃんを少しは見直した? えらいえらい?』


 と、本人が言うようにティアが1度机と向き合えば、早々に積まれた書類を片っ端から目を通し、筆を走らせ印を押す。

 普段のワガママな面から程遠い真面目な王様の姿を見せていた。


 出会う前のことは知らないが、出会った後の10年間、彼女はいつも通りと仕事をこなしていった。

 こうして傍から見ればそこそこに働き者な王様ではある。

 けれど、彼女が自分の国民だとしても、他人のために働くのは勿論理由がある。


『だって、美味しいもの食べたいじゃない? 万年雪国だから限られた食材でしか作れない料理なんてやってられないじゃん』


『ファッションも前時代的っていうか、古臭いっていうか、なーんかやだ。この体型にあった服の種類も少ないのも本当に嫌だった。まあ、お姫様ドレスは魅力的だったね。だけど、あれを日常で着るのも幼児期で飽きちゃったよ』


『ワタシがちょーっと苦労するだけで後は作ってくれるんでしょ? この世界でやることなんて食べるか寝るかエッチするくらいしかないんだから、これくらいなら王様のワタシがやってあげるって!』


『もっと、もっとワタシは楽しみたいの! 楽しめるためならワタシはなんだってするよ!』


 全ては自分自身の欲求を満たしたいがために彼女はこの国で王様をしている。

 とても、素晴らしいことだとボクは常々思うよ。

 そして、ボクはそんな彼女の背後で邪魔にならない程度にひっそりと佇み、彼女の頑張りを見守り続けるんだ。


「はぁー。水路の氷結で地表が冠水っていうか、辺り一面凍結ってか……水路の構造的にいつかはこうなるってわかってはいたけど面倒だねぇ」

「赤髪くんの報告で上がったやつだね。東側の大通りって話だから早めに直さないと国民の生活に支障が出るよ」

「はー……ティアちゃんが出向かないと駄目なやつじゃん」

「……どうだろ。ティアがやればすぐに終わるだろうけど、それじゃあ駄目じゃないかな」

「ほぉ? というと?」

「いつまでもティアにおんぶにだっこじゃ駄目って思ったんだ。多少時間はかかるとしても、これくらいの問題は国民たちでも対処できるようにしてもらおうよ」

「……あー……うん。そうだねぇ。何も全部ワタシがする必要ないね! うんうん! 今回はそれでいこー!」

「まあ、かといって丸投げって訳にもいかないから、後で現地を視察して程度の具合を確認してはどう?」

「うんうん、お散歩がてらに行ってみましょうか! シズクくんナイス! おかげで胸の中が多少軽くなったよ!」


 他に、見回りと称した外出おさんぽも彼女の日課の1つだ。

 今回みたいな仕事の絡んだ視察は稀なことで、ただの遊びとしてその外出に付き添うのもボクの役割でもある。


 今回の水路の件のように、時たま住民では時間がかかる、もしくは解決不可能な……前回の疑似太陽の設置といった作業は彼女の仕事でもある。

 また、彼女から直接聞いた話でもあるが、ティアが王の座に就いた初期には国の修繕や改築に使う資材確保のために、ラヴィナイの周囲を覆っていた山脈を平地に変えてしまったそうだ。そして、ラヴィナイに広がっていた廃墟を全て撤去し、その上に今あるラヴィナイを彼女が1から作り直してしまったとも言っていた。


 今回の水路の件だって、彼女が作ったラヴィナイという自分だけの国、自分だけの箱庭を手直しするくらいに考えているはずだし、それだけの力を持った彼女に掛かれば水路工事なんてあっという間に終わることだろう。


 でも、それじゃあいけない――彼女ではなく、ボクの方がだ。


 このまま彼女の飾りでいたらいつかは飽きられる。

 彼女の奴隷であり玩具であるボクが飽きられないためにも、その存在をどこかしらで主張しておく必要がある。


 まあ、時には的外れな口出しになるかもしれないけど、彼女にはプラスでもマイナスでもシズクボクの評価をし続けてもらうんだ。


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