第268話 まるでそれは夢か幻
自称・お母様は座り込んでいるわたしに近寄って、強引に手を引いて立たせようとしてくる。
ほら、違う。お母様はわたしを引っ張れるほどの腕力は無い――……なんて、もういいよね。
本物であれ、偽物であれ、今のわたしにとってはどちらでもよかった。
「よっこいしょっと……夢だったんだ。最後に娘たちと、レティとウリウリアさんとケーキを焼こうって」
「お母様……わかりました」
彼女がお母様だと言うなら、わたしは疑うことなく、ただただ、その言葉を信じて頷くだけだ。
「ウリウリアさんも誘おうって思ったのに、どこに行ったのかしら……」
「お母様、ウリウリがここにいるはずないじゃない。だってここは……」
ここは、相変わらず歯車があちらこちらで重なり噛みあい、回り続ける風景――ここはわたしの心象世界だ。
それからここは死後の世界みたいなもので、
(……あれ?)
そして、多分、あの時計なんかはお母様の心象世界でもあって……。
(……あれ? ここは2人の世界が繋がってるってこと?)
まあいいや。
わからないことを考えるよりも今はお母様だ。
「……レティ?」
「ううん、なんでもありません。ケーキいっしょに作りましょう」
再度頷き、お母様に手を引かれながら作業をしていたテーブルの前へ。
2人並んだところでお母様の調理は再開された。
「今はスポンジケーキの生地を作ってるところなの。卵と小麦粉を混ぜててね……これがかたくて大変大変!」
「へぇ……」
お母様はそう言うと、テーブルに置かれたボールに挿し込んだ泡立て器を両手で握っては力任せにかき混ぜ続ける。
(……やっぱりこれ、夢かな)
わたしはお母様が料理するとこなんて今まで見たことない。
(……でも、夢でも嬉しいな。もしかしたら、死んだわたしにちょっとだけ幸せな夢を誰かが見せてくれたのかもしれないね)
うん、夢ならいいや。
……夢なら、いいよね。
……夢なら、ちょっとだけ、お母様に甘えてもいいよね。
「……おかあ、さま」
「あら、どうしたの?」
生地作りに集中しているお母様へと横から抱きつき、子供の頃とは違ってすっかり同じ背丈になったこの人の胸にわたしは無理やり入り込む。
「こんなに大きくなったっていうのに……レティは小さい頃みたいに甘えん坊さんなのかな?」
「だって、だって……」
彼女はこの身体の生みの親。
ブランザ・フルオリフィア。
わたしと同じ異世界から呼ばれた人。
彼女はわたしの奇行に小さく驚きを見せたが、作業の手を止め直ぐにわたしと向き合うように抱きしめ返してくれた。
「……レティ大きくなったね」
「……うん」
「すっごい綺麗になっちゃってさ、こんな美人な娘を持ってお母さん鼻高々だなぁ」
「お父様とお母様から生まれたんだもん。メレティミが綺麗なのは当然です!」
「あはは、そう言われるとなんだか照れ臭いなぁ……んー、ただ、胸は……自分の娘とは思えないほど大きいわね。ほんと、羨ましいくらい……自分の娘なのに嫉妬しそう」
「う、うん……えっと、なんかすみません……」
嫉妬する、なんてのはお母様の冗談だとわかった。
だからこちらも申し訳なさそうに謝って、続けて2人してくすくすと笑ってしまった。
お母様はわたしの髪を撫でながら優しく囁くように話し始めてくれた。
「……お母さんね、ずっとレティのこと見てたよ。レティがずっと頑張ってるところ、全部見てた」
「そうなの?」
「ええ。1人で寂しがってるところも、気丈に振る舞っているところも、私の為に頑張ってくれたところもね」
「……お母様の娘だもん。自慢のお母様の名に泥が付くような真似も、恥ずかしいところなんかも周りの人には見れられませんよ」
わたしは里の英雄であるブランザ・フルオリフィアの娘として生まれ変わったのだ。
お母様が悪く言われないよう、あなたが亡くなった後はいつもいつもブランザ・フルオリフィアの娘として努力は怠わらなかった。
(だって、本当に本当のお母さんだと思ってたもん。お母様のために色々頑張って……辛いことも多かったけど、それでもわたしは努力しなきゃって頑張ったんだ)
ただ、四天の座は妹のルイに押し付けるような形になってしまったけど……。
でも、たとえ2人目の母親であっても、わたしにとってあなたは自慢の母であることはかわりません。
あなたの為だったからこそ、わたしは頑張れたのだ。
「レティ……ロカを引き留めてくれてありがとう。私、ずっとロカのこと心配してたんだ」
「お父様は……まあ、色々とあったけどそれなりに和解も出来ました。最後に会った時なんて以前よりも表情が柔らかくなってね。きっとこれから善い父になってくれただろうなと思います」
「うん。昔のロカみたいに笑ってたね。いいなあ。私も直接あの笑顔に笑いかけてほしかった。もう1度、見たかったなぁ」
今のわたしはメレティミでも、昔の自分でもなく、ブランザの娘だった。
彼女の前では自然と素直になることが出来た。
たとえこんな場所であっても、彼女と再び巡り合えたことに心から喜ぶくらいに……。
だからこそ、たとえこれが束の間の夢であっても――。
「……ねえ、お母様はわたしが作り上げた幻想?」
わたしは聞かずにはいられなかった。
「え、幻想? 何それ、違うわよ?」
……え? ちがうの? ……いや、きっとわたし自身が否定されたくなくて、作り上げたお母様に違うと言わせているのかも――。
「あ、信じてないな? 安心していい、っていうのも変か。けど、私はレティが作り上げた夢でも幻でもなく、本物の私っていうか、ブランザよ」
「本物、なの?」
「ええ、本物。まあ、幽霊みたいなものかな?」
「幽霊……ですか?」
「そう。幽霊……って言っても、現世に未練を残して居残ってるとかじゃないと思う」
「え? え? ちょっと、わかん……わかりません……」
「でしょうね。私もよくわからない。むしろ私の方が成長した娘2人と出会えたことで、これは夢かなーって思っちゃったくらいだし」
「……は、はあ」
曖昧な相槌を打つと、お母様は苦笑を浮かべた。
「おかしいよね。ウリウリアさんと3人でお花見をしていた時に急に眠たくなっちゃったところの記憶がついさっきのことにように思ってるんだけど、同時にそこから先は自分が死んだことを理解して、ずっとレティたちを見守り続けてきた記憶もあるんだ」
だから、とお母様はちょっとだけ気を落としたようにして続けた。
「ずっと見てた……レティが死んじゃったところも私は見てた。歯痒かったなぁ。見届けることしか出来なくて……」
見つめ合っていたお母様の顔が僅かに曇った。けれど、今のわたしと同じで、言葉以上の感傷はその表情には無かった。
「終わった話ですから……」
そう言ってわたしも苦笑するしかない。
そして、自分で言った通り終わったことなのだと、この場の流れを変えるようにわたしは話題を戻した。
今は何よりもお母様の笑った顔が見たかった。
「ねえ、お母様。ケーキ作りはどこまで進んでるの?」
「あ、そうそう。ケーキね。ほら、これ。小麦粉をカシャカシャで混ぜてるところ。ここでレティが起きたんだよ?」
「ということはまだ始めて間もないわけか……」
「うん、だからね。いっしょに作ろうよ? お母さんからのお願い!」
よかった。お母様が嬉しそうに笑い直してくれた。
わたしが死んだ時のことなんてどうでもいいように、笑い返してくれた。
(ケーキを作る、かあ……)
お母様のお願いなんて言われたら断れないというか、断る気なんて全然ない。
ただ、わたしは今までそういった女の子らしいことを一切したことがない。
お菓子作りなんて、クッキーどころか小学校だったかの調理実習でホットケーキを作った覚えがあるかってところだ。台所なんてこの身体になるまで1度だって立った覚えがないほどの駄目女子っぷりだ。
そんな時間があるなら野球しよーっあいつを連れて外に飛び出ていたこともある。
「わたし、料理うまく出来ないんだけどいい?」
「私だって同じようなもんよ。生前OLやってた時なんて適当に焼くか煮るかくらいだったもん」
「え、お母様ってOLだったの?」
「まあね。あまりいい職場環境じゃなかったから思い出したくないけどね」
「は、はあ……でも、その分だと自炊してたってことでしょ? それにこっちのお母様だって1人だった時間長かったみたいですし……」
「何その言い方、ロカ以外に相手にされなかった寂しい女ってこと?」
「い、いえ、そういう訳じゃ……」
「ふふ、冗談よ。でも、こっちに来てからもそんな変わらなかったかな。むしろ退行したまである。火に炙るか味付けも糞もないままにぐちゃぐちゃに煮るかってね……あ、ウリウリアさんを引き取った後はそれじゃあいけないってちょっとは勉強したのよ」
「へえ、ウリウリを引き取った時はご飯作ってあげてたんですね」
いいなぁ。わたしもお母様のごはん食べてみたかったなぁ。
けれど、お母様は苦笑して首を振った。
「……これが全然まったくと出来なかった。皮むきすらまともにできない駄目母を見かねて、ウリウリアさんが全部やるようになっちゃったくらいよ」
「え、何それ? そうなの?」
「そうよー? 仕事に追われてばかりの私に代わって気が付けば家事全般ウリウリアさんがこなしちゃうの! これじゃ駄目だって思っても、結局ウリウリアさんに甘えちゃってさ……もう、里親失格だよねぇ」
「……ふふ、もしかしてわたしが料理が下手なのはお母様の血筋なのかもね」
そう言ってくすりとわたしは頬を緩ませる。
そんなわたしの反応を見てか、お母様はむっと頬を膨らませた。
「なぁに人のせいにしてるのよ! レティが料理できないのは前々からでしょ! お母さん、昔のレティのことは知らないけど、旅先でのことは知ってるんだからね! 言ったでしょ! 全部見てたって!」
「む、ばれてたんだ…………ん? あれ、全部見てたってことは、その……」
「なに?」
「う、ううん。なんでもない!」
おっと、余計なことは言わない方がいい。変な空気になっても困るだけだ。
ちらりと舌を出してご愛嬌と話を逸らす。
逸らした先は今お母様が悪戦苦闘していたボールの中身についてだ。
「ねえ、お母様、ケーキを作るにしても分量とか大丈夫ですか?」
「さあ……適当でいいんじゃない?」
「え、適当?」
「けど、ほら見てよ。なんかいい感じに生地は硬くなってるし!」
硬くなってるって、ケーキの作り方なんてわからないわたしでもボールの中の生地は粘土みたいにパサついてるようにしか見えない。
これは粉が多いのか、水分が少ないのか。
ケーキを作ったことがないわたしでも、記憶の中のケーキの生地はもっと粘度のあるものだったはずだ。
これではクッキーの生地みたいだ。
わたしは小さく溜め息を吐き、硬すぎだと指摘する。
「じゃ、ほら、水を入れて柔らかくすればいいのよ! ね、どばーっと!」
「お母様……それ、料理下手が必ず失敗するパターンよ。現に料理がまったくとできなかったわたしがそれだったもの」
「むぅ、そうねぇ……塩少々と言われたのに手の平で握っちゃダメよね」
「そ、それっ……昔したわたしの失敗……!」
ちょっとだけ塩を入れてとルイに言われて、塩の入った袋に手を突っ込んだ時のことを瞬時に思い出した。
「……ま、失敗したら失敗したで何度もやり直せばいいじゃない。だって、今の私たちには時間はいくらだってあるんだから」
いくらだってある?
そんなことはない。時間は誰にも等しく限られている。
――そんな疑問は直ぐに消えて、当然のようにその言葉に頷けた。
「そう、そうですよね。今のわたしたちには時間はたくさんある……」
「でしょ? だから、何度も挑戦しよ! ……あ、そうだ。ホールの型が欲しいんだけど、アルバさんに作ってもらうよう、レティからも頼んでもらえる?」
と、そこでお母様はウリウリに続いて、ここにいるはずも、来れるはずもないドワーフのアルバさんの名を口にする。
でもって、わたしもわたしで、そのことに対して何の疑問もないままに訊ね返した。
「ホールの型?」
「ほら、ケーキをオーブンで焼くときに混ぜた生地を流し込む型のこと!」
「いえ、それはわかりますが……うん。それならアルバさん任せるほどじゃありません。わたしが作れますよ」
「あ、そういえば、レティも金魔法教えて貰ってたんだっけ……じゃあ、お願いしちゃおうかな」
まあね。料理の腕は全くと無くとも金物なら話は別よ。これくらい簡単だ。
口頭でどれくらいの大きさにするかお母様から聞いた後、わたしはその注文通りのケーキ用の抜型をぱっと作り上げた――いいや、違う。
今、わたしは魔法なんてまったくと使わずに抜型をどこからと手元へ出現させた。
けれど、わたしはそのことをまったく不思議に思うことはなかった。
わたしの身体がすっと通りそうな大きな抜型を手渡すと、お母様は嬉しそうに顔をほころばせた。
「すごぉい。お母さん、金魔法は覚えてないから感動しちゃう。私もアルバさんに習っておけばよかったかな」
「ね、すごいでしょ!」
わたしもお母様も不思議に思うことなかった。これが当然だと当たり前のように受け入れていた。
ここには何もかもが揃っている。
未開封の紙袋の小麦粉。紙パックの生クリーム。透明なパックに包まれた産みたて卵。ビニール袋にびっしり詰まった砂糖。採れたばかりの真っ赤なイチゴ……何もかもが山のようにテーブルに積まれている。
ここは魔法なんか使わずとも、ぽんと思い描けばなんだって出現させることが出来る。
最初はケーキを焼くためのかまどが置かれていたが、これよりもオーブンがいいんじゃないって思ったら直ぐに変わった。
しかも出現したのはタイマースイッチのついた電気オーブンだ。温度調整が出来る捻りも当然とあったりする。でも、コンセントなんかはついてない。
他にも色々と思い描けば、蛇口のついた流しに、ハンドミキサー、業務用みたいな大きな冷蔵庫など、まるで元々そこにあったかのようにぽんぽん出てくる。入れ替わっていく。塗り替わっていく。
「不思議な場所よね。便利だからいいけど」
「うん。便利だからいいよね……あれ?」
「どうかした? 何か足りないものある?」
「ううん、そうじゃなくて……なにか思い出せなくて……」
「思い出せないこと?」
お母様との触れ合いでわたしの中にあったものがふと、消えたことに今更になって気が付いた。
気のせいかもしれない。ただ、今さら思い出したところでやれることも無い。
けど、やれないとしても忘れちゃいけないことがあった気がする。
とても、幸せな……違う。
あの日、いつまでも3人で幸せになる――はずだった日のことを。
「……えっと」
けれど、わたしは一向に思い出せずにいた。
わたしがどうして死んだのかも今になってはすっかりと頭の中から消えている。
「……レティ?」
「……ううん。なんでもない」
「ならいいけど、じゃあ、そろそろケーキ作り再開しよっか!」
「……はい。わたしもがんばります!」
「ええ、期待してる! いい? 目標は食べきれないような巨大なケーキ! それで、もう無理、もう無理って言いながら大きなケーキを3人で食べようね!」
「ふふっ、それお腹壊しちゃうそう。でも、とても楽しそうです」
「でしょ? あーあ……ルイも早く起きてこないかなぁ。やっと親子3人そろったんだもん。ロカとウリウリアさんもいてくれたらもっとよかったんだけどね」
「そうですね。……ルイが目覚めるのはもう少しかかるかな?」
今はぐっすり眠っているけど、ルイはわたしと違って内側に大怪我を負ってしまっている。
潰された眼はこんな短いやり取りの間にすっかり癒えたが、心に開いた傷が塞がるまで、ルイが目を覚ますまで、もう少し時間がかかるだろう。
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