第267話 空から音が降ってくる
空から光の代わりに音が降り注ぐ。
――カタ、カタ、カタ……。
それは歯車同士が噛み合う音だった。
――カタ、カタ、カタ……。
音以外には何もない真っ暗な場所で、いつまでも、いつまでも、いつまでも……わたしはその音だけを聴いて過ごしていた。
(………………いったい、いつまで――)
一体、いつからこの場所にいたのだろう。
わたしはその途方もなく長い時間、何をするでもなく、ただただ“誰”とも噛み合わない歯車の上にぽつんと寂しく座り込んでいた。
――カタ、カタ、カタ……。
空から降り注ぐ音がゆっくりと小さく、遠ざかっていくことを理解しながら、気が遠くなるほどの長い時間を、わたしは自分という歯車の上で過ごしていた。
(この歯車の世界をなんら不思議に思うことは無い……)
この場所のことはよく知っている。
だって、この世界はわたし自身だから。
わたしの心象世界と呼ばれるところなのだから。
座り込んでいる歯車はわたしそのものなのだから。
それから、頭上より鳴り続ける音は、大小さまざまな歯車の“群れ”の声であることも理解しているのだから。
(――でも、不思議に思っていることは1つだけある)
長い月日をかけて自分がこの場所にいることを理解し、今になってどうしてここにいるのか、不思議に思う。
(けれど――)
と、わたしは膝に顔を埋めるように頷いた。
理解し、ぼそりと呟いた。
「そっか……」
今、この時になって、自分がここにいることを自覚した途端、暗闇と音の世界は変貌を遂げた。
深い闇に包まれた周囲は、昼とも夜ともわからない黄昏時のように、一瞬にして亜麻色に塗り替わった。
景色に色が付いても歯車は変わらず、頭上よりカタ、カタ、カタ……と一定の間隔で鳴り続いている。
俯いていた顔を上げると(確認しなくても知っていたけど……)歯車の群衆が空一面にどこまでも広がっていた。ぎっしりと歯車が並んだ空にはところどころで穴が空いている。
そして、その歯車の群衆の中の一点を目にして、わたしがこの場所にいる理由を今一度、理解した。
「やっぱり……わたしは死んだんだ……」
そうだ。
わたしは死んだのだ。
特に目に付いた1人分の穴はわたしという歯車が元々はまっていた個所だった。今はあそこから抜けて落下している最中ということだろう。
この場所はわたしの時の流れを現した世界だという説明は白い少女から受けている。
時を
……わたしという歯車は、回ることを辞めたことで、あの集合体より抜け落ちたのだ。
「そっかー……わたし死んじゃったかー……」
自分が死んだ事実を前に、ああ、また自分は死んだんだなぁ……くらいに、特に思うこともなく、あっさりと受け入れることが出来た。
……嘘ではない。本当だ。
悲しいとは思わない。悔しいとも思わない。
でも、今ここに1人だけっていうのは寂しい……ってことくらいは、少しだけ、思う。
「初めて死んだ時は圧死だったかなぁ……けど、今回はなんだろ? うーん?」
だから、今回の死因について軽い気持ちで考えてしまう。
メレティミとして生まれ変わる以前のわたしの死因は記憶しているのに、なんでか今回の死因は今一よくわからない。
空中に出現した針みたいな短剣に背中を一突きされたことは覚えている。
「それも、暴走したルイの身代わりになってね……」
でも、その時に受けた怪我による出血死、とは違う気がする。
刺された時に走った激痛は一瞬だった。その後、直ぐに痛覚を含めた全ての感覚が無くなった覚えがある――まさかショック死?
いや、違う。
背中を刺された後は目も見えず、耳も聞こえなくなった……身体の感覚は無くなっても、あの時のわたしの意識はまだそこにあった。
「じゃあ、やっぱりあれかな……」
あれと言うのも、視覚を失う最後に目にした胸を突き抜けた刃……の先に貫かれた青い石のことだ。
最初は刺されたことに困惑してその石が何かはわからなかった。なぜ、自分の胸から石が出るんだって不思議にも思った。
けれど、冷静って言うの変だが、頭の中がすっきり空っぽになった今のわたしはその石が何か理解できた。
その青い石はわたしの身体に内包されていたコアだったのだろう。
「……コアを破壊されたことにより身体の機能が一斉に停止したってところかな?」
魔物のように、どうして自分の体の中にコアがあったのかなんて疑問は浮かばない。魔石生まれってやつはそういうものなのだろうと悟った。
(もしかしたら、この世界で生まれた生命は皆、どこかしらにコアを内包しているのかも――)
とも思ったが、これはただの推測だ。自分のこともわからないのに、他の人のことなんてわかるわけもない。
でも、わたしたち魔石生まれにとってコアはとても重要なものだということは確信をもって答えられる。
文字通り核だったのだろう。普通の人で言う心臓や脳といった臓器に近い存在だったのだ。
だから、その大切な臓器を壊されてわたしは死亡――と、自分の死因を理解して、少しばかり気が晴れた。
……いや、そうじゃないか。
「……うーん」
……まったく、どうしてだろう。
他人事みたいに自分の死因を考察して、何の感傷も無くわたしはその事実を受け入れている。
「もっと嘆いだり悲しんだり怒ったりしてもいいはずなのにね」
だと言うのに、そういうマイナスな感情はまったくと湧き上がらない。
いや、いやいや……ふと死因を確認したことで思い浮かんだ気持ちもある。
ちょびっとの羞恥心だ。
「いやはや、喧嘩を吹っ掛けられた相手に返り討ちになるとは……」
わたしは自分の
わたしを刺し殺した短剣と、シズクを絡めとった鎖付きの拘束具は、両者ともティアの仕業だとすれば彼女に殺されたと考えても間違いはないだろう。
彼女の身体に纏っていた紫色の魔力はわからないが、空間に繋がった鎖と拘束具・空間から突き抜けたように出現した短剣は魔道器だろう。魔道器特有の黒いもやも視認している。
ま、刺されものが何かなんて死んだ後に考えても仕方ない。
今はそれよりも刺される前後の話の方がわたしにとっては問題なのだ。
「後世に残る恥ずかしい死に方……だったかな。まさか言った本人がそうなるなんてね」
乾いた笑い声を上げて、ベレクトと初めて会った日のことを思い出した。
――なあにが生きて―よ! ばっかじゃない! こんな子供の喧嘩の延長線で見逃されて生き残ったって全然うれしくもないわよ! 逆にこれで死んだらあんたの方が恥ずかしいっての! 彼女の胸を揉まれたから喧嘩を売って返り討ちにされました? はっ! これは後世に残る恥ずかしい死に方ね!
これはシズクとベレクトが戦い始めようとした時にわたしが発した台詞である。
あの時はわたしの胸を触られたことに激怒し、シズクはベレクトの喧嘩を買ったわけだけど、わたしもシズクがキスされたことに腹を立ててティアの喧嘩を買ってしまったわけだ。
まったく、人のこと言えないじゃん。あいつのこと全然悪く言えないじゃん。
「ふふ、はは……ははは……」
当時のことを思い出しては、口元を緩ませて笑ってみた。
ひとりぼっちにするなって言っておいて、先に逝って自分から1人になってどうするって話だ。
まったく……。
「はは、ははは……はは、は……」
……まったくと、面白くなかった。
それでも笑い声を出してしまう。別に自嘲しているわけじゃない。
多分、今は笑うところなのだと思って笑ってみただけだ。
「……はぁ……どうしちゃったんだろ、わたし……」
以前ここに来た時は後悔ばかりが募っていたのにな。死にたくない。まだ生きていたい。彼ともっと一緒にいたいとかさ。
今はどうしてか、生に対しての未練というものがまったくとない。
殺されたことに対する遺恨もない。
ついでに、シズクを奪われたことへの憎悪も……これっぽちも懐かなかった。
代わりに胸の中は何もないみたいに空っぽになっていて、どうして前はあんなに後悔したんだろうと疑問にすら思った。
それだけ今のわたしの中には何もなかった。無気力ともまた違う空白状態という感じだろう。
今はこうして自分自身を認識しているが、これも気紛れのように今さっき取り戻しただけのことだ。
いずれは先ほどのように歯車の音を聴き続けるだけのモノ以下に戻ってしまうだろう。
「はー……いつまで、ここにいればいいのかなぁ」
いっそ、このまま直ぐにでも天国やら地獄やら、あの世ってところへと逝ければいいのに――カタ、カタ、カタ……とわたしの真っ白な心情を無視して歯車の音だけが鳴り響いた。
「……」
口を閉ざし、その音を聞いているともっと自分の意識がぼやけていくように思えた。
「まあ、これでいいか。これがわたしの終わり。何か大切なことをやり残している気がするけど、きっと……」
――きっと、これが命の終焉というものなんだ。
わたしという歯車が落ち切るまでを見届けることが、今のわたしの最後の使命なのだろう。
そして、落ちて落ちて落ちて、この歯車が底に着いたその時、ようやくわたしは完全に消えることだろう。
もう寂しいと思うことは無い。恐怖だって無い。後悔はもっとない。
……その消える“いつか”を億劫になりながら待ち続けよう。
そう抱えた膝へと顔を埋めて目を閉じる。
目を閉じれば何も見ることもない。この殺風景な亜麻色の世界が最後に見るものだとしたら尚更見る必要はない。
(でもさ……)
こんなからっぽのわたしだったけど、最後くらいは……なんて、気紛れに願ってしまう。
せめて、この命が終わりを迎えるそのちょっと前の、あの3人での幸福に浸っていた瞬間を、まぶたの裏越しでも良いから見たいな――なんてね。
「――……あれ?」
そう、目を閉じてささやかな願望を欲した時、落下をしていたわたしという歯車は動きを止めて何かに掴まった。
目を開けるよりも先に、カチ、カチと今まで降り注いでいた音とは別の音が鳴り始める。
それは時計の針の音だった――と、どうしてかわかった。
またまた、歯車と秒針の音とは別に、カシャカシャと金物が何度も当たるような音を耳にして、遠くなりかけていた意識を掴み寄せる。
「何の、音……?」
未だ頭の中は真っ白だったが、そのカシャカシャ音が何かと考える前に俯いていた顔を上げ、ゆっくりと首を振って音の出所を探す。
最初はゆっくりと億劫に、続いて反対へと恐る恐る……次にまた首を振った時には自分の意志ではっきりと確認する。
首を動かすたびに次第に身体に力が入っていくような気がして――そして、その音の出所へと顔を向けた途端。
「……え?」
――と、思わず小さく声を上げて、わたしははっと目を開けた。
続けて、慌てるように横たわっていた身体を起こした。
どういうことだ。
わたしは先ほどまで膝を抱えて座っていたはずだ。
首を動かす以外では座ったままの姿勢で居続けたのに、わたしは今、どうしてか眠りから目覚めたかのように半身を起き上げている。
しかも、ご丁寧に横になっていた身体には毛布までかかっている。
……夢を見ていたと言う訳ではない。
周りの景色は変わらず亜麻色の、歯車の空が浮かぶわたしの心象世界だ。
しかし、前と違うのは歯車の空にはいくつもの時計が浮かんでいて、長針と短針がくるくると回っているのだ。
「……時計よね。あれ」
一体どういうことだろう。
でも、時計に関しての疑問なんて今のわたしには直ぐにどうでもよくなった。
今は空に浮かんでいる無数の時計よりも、カシャカシャ音の方が気になってしかたなかった。
だから、今一度、周りの景色に向けていた視線をカシャカシャ音の出所へと向けると、
「…………あれって」
そこには見慣れた四天の服を着た、長い青髪の女性が、わたしに背を向けて何やら作っているようだった。
それが誰かって言うと、わたしの大事な妹であるルイ……に違いない。後姿だが、彼女以外に考えられない。
けどおかしいな。ルイがそこにいるわけがない。
だってルイは……。
(だって、ルイは……わたしの隣で寝てるんだから……)
では、この人は誰だ。
(って言っても、やっぱりルイだよね。やっぱり見間違えるわけないじゃん)
四天の格好をしている青髪の天人族なんてルイ以外いないんだから――どうしてここにいるのだろう。
(おかしいな。ここはわたしの心の世界だけど、今はもう死後の世界に等しい場所なんだ。だから、ルイがいるはずもないけど、あれは絶対ルイに違いない)
でもやはりと、ルイは隣で寝ているのだ。
身体を丸めて、わたしと同じ毛布をかけられて――。
(片目はまだ治り切ってないから目覚めるのはもう少し遅くて……ええっと、一体どういうことかわからない……)
働かない頭のまま、わたしは背を向けて作業を続けるその人に――いや、ルイだと思うから……ルイに声を掛けることにした。
「ルイ?」
「……ん? あ、レティおはよう。やっと起きたのね?」
「あれ……?」
と、振り返って微笑みかけるその人はまさかの別人だった……まあ、そうだよ。
ルイが2人いるわけないし、今も隣にいるのだ。
その人は薄黄色の塊を付けた泡だて器を握りながら、薄らと頬を緩めて微笑んでわたしに聞いてきた。
「どうしたの、レティ?」
「え、えっと……あれ?」
わたしは戸惑いつつもその人を見つめた。
やっぱりルイにしか見えない。でも、やっぱりルイじゃない。
ルイよりも大人っぽいし、あと、胸も微々たるものだけどルイよりも小さいかな。
何より1番に違うのは瞳の色――そう、彼女の瞳は青かった。赤じゃなく青だ。
(わたしと同じ、青色の瞳――あれ?)
じゃあ、まさか、えっと……もしかして?
「……おかあ……さま?」
「何? どうしたのそんな変な顔をして」
「……ああ……お母様かぁ……」
ああ、そっか。なーんだ。
その人が自分の母親であるブランザ・フルオリフィアだと知ってほっと胸を撫で下ろした。
「……いや、そんなはずはないじゃない」
わたしの中にいるお母様はガリガリに痩せ細ってて、目の前にいるその人みたいに健康的なものじゃない。
では、目の前にいる人は誰って話だけど……え、本当?
「……え? おかあ、さまなの?」
「何寝ぼけてるの? あなたのお母さんは他にもいるの? って……ああ、そうね。レティにはもう1人お母さんがいたっけ?」
なんて、その人はちょっとだけ困ったような顔をして笑う――本当に、お母様なの?
彼女の言う通りわたしは寝ぼけているのかもしれない。
お母様がこんな悠長に話をするところなんて見たことはない。
顔つきだってもっとげっそりとしていて青白かったのに、今は肌に張りがあって血行だってよくて……わたしの知るお母様とは見た目も仕草も何もかもが別人だ。
けど、これが本来のわたしたち姉妹を産まなかった前のお母様の姿だと言うなら――健康的なお母様をわたしが勝手に妄想して生み出したものだったなら……。
「レティ、一緒にケーキつくらない?」
「え、え……ケーキ?」
働かない頭のまま、お母様はわたしにそんな提案をしてきた。
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