第266話 彼女のためにだけある世界
シズクという身体の本来の人格はボクである。
しかし“僕”という魂が器に入ってきたことで、ボクという存在は後から居座った彼の人格に溶け込んでしまった。
そのため、真っ白だったボクの自我は彼の思考や性格そのまま直に影響も受けている。入れ替わる寸前までの“僕”はすべてボクに引き継がれている。
だから、と言うのも変だけど、ボクは“僕”でもある。
ボクは“僕”の複製品だ。
以前の普通の学生だった頃の僕も、シズクとして生まれた十四年間の僕も、どっちもボクなんだ。
――はあ、煩わしくて仕方ない。
彼がいなければ何の影響も受けていない本来のボクとして生きられたのにね。
しかし、なんて皮肉だろうか。
“僕”がいなかったら、ボクは生まれることはなかった。
“僕”といった転生者がいなかったら、ボクは生まれてくることは無かったんだ。
シズクの生みの親というスイも転生者であり、不完全な魔石生成により生み出されたシズクを補うために用意されたルイの魔石だってブランザという転生者のおかげで調達できたんだ。
だから、“僕”を含めた転生者たちがいなかったら、ボクは生まれてこなかったことになる。
まあ、極論を言えば、その転生者を呼び込んだプレイヤーと呼ばれる彼らがこの星に来ることが無かったら、ボクどころから生命すら生まれることはなかったのだ。
おかしな話だよね。
シズクという身体の本来の持ち主であるはずのボクが生まれるには“僕”が必要だったんだからさ。
どんなに悔やんだところで仕方なかったで片付けるしないんだ。
ま、僕に言わせるなら――ボクはついていなかっただけだ。
◎
ゆっくりとティアを起こさないように空を飛び続け、城下町を見下ろしながら彼女の住まう“お城”へと到着した。
出発と同じバルコニーに降り立ち、ティアの私室の中へ――そのまま、部屋の中を通過して廊下へと出ると、
『レティア様、レーネ様、おかえり――……』
「……しー」
部屋の外にはお迎えに出てきたメイドたちが声を揃えて挨拶をし始め出したので、直ぐに口元に指を立てて止めさせる。
メイドたちははっとバツの悪そうな顔を見せながらも、健やかに眠るティアの寝顔を見て顔をほころばせる。
ここでもティアは大人気だ。誰もが頬を赤くし夢中になってティアの寝顔を眺めだした。中には恍惚とばかりにため息を上げる人もいた。
ボクは皆の視線を浴びながらティアを大浴場へと向かおうとして――ボクの後を集まったメイドたち全員が着いて来ようとするので、適当に目についた2人以外を残して、後の人たちには仕事場に戻るように指示を出す。
選ばれた2人は感激とばかりに身体を振るわせて、選ばれなかった他の人たちはがっくりと肩を落として、恨めしそうな視線を残しながら去っていった。
(はは……まったくね。みんな本当にティアが大好きなんだなぁ)
その後、選んだメイドの2人を後ろに控えさせながら長い廊下をゆっくりと歩き続け、大浴場の脱衣所へと到着した。
後は彼女らにティアを任せればいいが、その前に声を掛ける。
「レティア様……着きましたよ」
「……ねむぅ……寝たぁい……」
「お眠りになられるその前にお風呂で身体を綺麗にしませんと? 臭いがついたまま寝て、後で文句を口にするのはレティア様でしょう?」
「わかってるぅ……シズ……レーネ脱がせてぇ……」
「はいはい。では、失礼」
ボクは2人っきりの時とは口調を変え、メイドの人たちと眠たげなティアの服を脱がせていった。
最初に外出する時に羽織らせたケープを、背中のボタンを外したワンピースを、髪に挿したティアラを外す。
最後に下着を脱がせた後、真っ裸になったティアは顔を赤くするメイドの1人に体を預けながら浴場へと向かっていった。
「レ、レーネ様っ、今回レティア様がお召しになったお洋服はいつも通りでっ?」
「ええ、いつも通りその服は処分してください。ティアラの方はボクが綺麗にして化粧室へと運んでおきますよ」
「ははは、はい。かしこまりました……!」
そう言って残った1人はティアが着た服を嬉しそうに抱き抱え、そそくさと脱衣所から姿を消した。
処分しておけと言ったが、あの服はきっと捨てられずに持ち去った彼女の私物になるだろうなあと思う。
あの農場へと向かった日に着た服は毎回すべて捨てている。
別に洗濯すればいいんじゃないかって思うけど、多分気持ち的なものだろう。
ティアが言うには、あそこの臭いがついてるようで気持ち悪いのでもう着たくないとのことだ。
ティアラだけは少し勝手が違うようで、これは後でしっかりとピカピカに磨き上げれば大丈夫だ。
また、衣服に限らずボクに対しても同じである。
彼女がお風呂に入っている間に、ボクは直ぐに自室へと駆け足で戻り、部屋の中で水魔法で身体の洗浄を始める。
さっと身体を清めたら新しい服を着直して、布に包んだティアラを懐に納めた後、またもティアのいる浴室へと彼女を迎えに行く。
「やあやあ、レーネ君! しっかりとこのティアちゃん様を部屋まで運んでくれたまえよ!」
「はい、レティア様。よろこんで……では、レティア様をお預かりします。あなたもご苦労さまでした」
「は、はいぃ……」
ティア以上にのぼせた様子を見せるメイドから彼女を引き取り、バスローブに包まったティアを抱きかかえて大浴場を後にした。
お風呂に入ったことですっかりと目は覚めたようで、抱き抱えた彼女は赤く上気した頬を緩ませてご機嫌になっている。
「いやぁ……寒い外から帰宅して直ぐのお風呂は良いね! シズクくんも一緒に入ればよかったのに!」
「誘ってくれたら一緒に入ったよ。けど、その時のティアは眠くて仕方なかったみたいだから流石にね?」
「そうだねぇ……本当はお風呂に入るのもイヤだったけど、入っちゃったら気持ちよさが勝った感じかなー!」
「それはよかった。じゃ、次は眠くてもボクを誘ってよ。そしたら、いつもみたいにティアのこと隅々まで洗ったあげるからさ」
「やだもぉ! シズクくんってそればかり!」
こんなゲスで下らない話をティアと出来るのもきっとボクの容姿のおかげだろう。
部屋に着くとボクはティアを大きなベッドの上へとゆっくりと降ろした。
「どうする? 少し仮眠する?」
「んー……どうしよっかなぁ……ごはんまで時間は結構あるしねぇ……」
「じゃあ、ティアが悩んでる間にボクは化粧室にティアラを戻してくるね」
「はいはーい。いってらっしゃーい!」
きっとティアはこのままひと眠りつくだろう。
ボクは懐に忍ばせていたティアラを取りだし、包んでいた布で磨きながらも隣の化粧室へと入った。
そこで、ある程度までティアラ磨きを続け、そっといつも置かれている土台の上に置き、またティアのところへ戻ろうとした――。
(……?)
――ところで、ふとボクの視界でそれが動きを見せた。
それは宝石の類が並ぶ棚に置かれた2つの球体だった。
色はそれぞれ白と黒で、白色の球体が発光を繰り返した。
まるでボクを呼んでいるかのように……他の装飾品とは違って奥の方に粗末に置かれた2つの球体のことは前々から知っていた。でも、水晶の置き物か何かだろう程度に考えていて、今までは見向きもしなかったのだが、どうやらそうじゃないらしい。では、光を発する魔道具か何かだろうか。
興味をそそられ、ついつい、その球体へ近づいて、おもむろに手を伸ばした――その時だった。
「それ、気になる?」
「……え?」
びくりと肩を振るわせて振り返れば、化粧室の入り口から頭だけを出したティアが怪しく笑っていた。
「……あ、うん。突然光りだしたからついね」
「へえ、光ったんだー……今はまったくと反応してないみたいだけど。ふーん、ワタシがいないとでも思ったのかなぁ」
「ティアがいないと? ……そういえば、初めて“僕”というか、シズクと出会った時のティアってこの石持ってたよね?」
“僕”が初めてラヴィナイに訪れた時のことだ。
気を失っていた“僕”が目を覚ました時、その場にいたティアがこの球を持っていたことをボクは思い出した。
「別にいつも持ってたわけじゃないけどね。うーん……今は気分がいいから教えてあげるよ」
そう言うとティアはふらりと化粧室の中に入ってきて、以前2人の背中を突き刺した細長い短剣を空中から出現させた。魔道器だ。
黒いもやを纏わせる短剣の尻にはボクの首輪と同じく鎖が繋がっていて、出現した場所から後を追うように鎖は伸びていく。
ティアは出現させた短剣を手に取るとボクを見て笑って、
「じゃ、見てて」
と、握った短剣をすっと刃渡り分ほど前へと突き出した。
――すると、短剣で突いたあたりから何か半透明なものが出現し、ことりと化粧室に敷かれた絨毯の上へと落ちた。
「これは……」
「ね? それが、その球の正体」
直ぐに下に落ちたその、透明な球体をボクは拾ってみた。
重さは無いのに手の上に乗っているという感触がある。
ガラスともプラスチックとも違う。近いもので言えば水魔法で固めた水球だろうか。
表面はつるつるしているが滑るというほどではない。
「思いっきり強く握ってみて」
「え、うん――……あ」
ティアに言われて球体に力を込めて握ると……パンっと音を立てて割れた。
その時の衝撃で手の平に無数の裂傷が生まれたが、痛覚を閉ざしているので音以外では反応することはない。
血がこぼれて部屋を汚すのもあれだからと癒魔法をかけて怪我を治しながら、ボクはティアへと聞くことにした。
「で、何これ? 力を入れたら破裂したんだけど?」
「ふっふーん、実はその球体の中に空気を閉じ込めたのだ」
「空気を?」
「どう、すごい? これがワタシの短剣の方の魔道器の能力。その剣は突き刺したものを球体の中に閉じ込めることが出来るんだ」
刺したものを球体に封じ込める?
ティアは短剣と繋がった鎖を振り回して続けた。
「これはワタシが直接握って意識して突き刺した時にしか発動しないの。今回は刃の周辺にあった空気を球に閉じ込めることを意識したんだ」
なるほど?
……球体が割れたことで封じ込められていた空気が膨張してボクの手が切れたってところかな。
突き刺したものを球体の中に閉じ込めると言う話を聞いて一瞬、レティの身体から出た青い球が頭に浮かんだが……彼女の話では直接握ってと言うのだから、どうやらあの時は彼女の仕業ではないということか。
(でもそれじゃあ、レティの胸から出たあの青い球は――)
まあ、今さら死んだ人のことなんてどうでもいいか。
ボクは自分の胸に手を当てながら口を開いた。
「あの2つの球体はティアが何かを封じ込めたものだってことはわかった。じゃあ、あの球体には何が封じ込められているの?」
「ふふっ、それはね――……」
と、ティアは小さく微笑を浮かばせながら教えてくれた。
「――ワタシたちを呼んだプレイヤーとかいうやつらだよ」
「プレイヤー……というと、“僕”やレティなんかを連れてきた人たちのことね」
「そうそう。その白いのにはシズクのプレイヤーが。黒い方にはワタシのプレイヤーが閉じ込められてるのだ。何事もやってみるもんだね。いやあ、まさか幽霊みたいな相手を閉じ込められるなんて自分でもびっくり!」
へえ、これは驚いた。
彼女の魔道器によって消息不明だと聞いていた今回のゲームのプレイヤー2人はあの球に閉じ込められているってことか。
じゃあ、“僕”が参加してるっていうゲームは今どういう状況になってるんだろう――。
「ねえ、シズクくん! そんな奴らのことよりこっち来て!」
「……えっ、あ、うん」
自分とは関係ないことだったが、皆が参加していると言うゲームについて興味本位で聞こうと思ったけど、その前にティアに強引に手を引かれて化粧室から出ることになった。
ここで話をぶり返したところでティアが不機嫌になるのは安易に予想が出来た。
だから今は2つの球体について聞くことは出来なさそうだ。
ただ、ここに今まで行方不明だった白い少女がいる。しかも、今回の親である彼女のプレイヤーまでいるなんて……ちょっとだけど動揺はしたかな。
何かに使えればいいけど、今は何も思いつかない。
(……まあ、いいか)
部屋の外へと連れ出された後、上機嫌なティアは手を引いたボクをベッドの上へと押し倒してきた。
直ぐに彼女も仰向けになったボクへと倒れ込み、ボクの胸へと頬を寄せて甘い声で囁きはじめる。
「ね、シズクくん……添い寝して?」
「いいよ。ティアが眠るまで一緒にいてあげるよ」
「うん………………ねえ、なんだかティアその気になってきちゃった。しよ?」
「……ああ、大歓迎さ。本日2回目だね」
「もうぅ、シズクくんったら幸せ者!」
ティアは上体を起こしてボクの唇に自分の唇を合わせる。
最初は触れ合う程度に軽いものを、次第にお互いの舌を絡め始める。
いつしかお互いの位置は逆転して、下になった彼女は首輪のついているボクの首に両手を回して引き寄せる。
ボクも彼女に引き込まれる最中に薄く盛り上がった乳房に手を添えながら、彼女の唇を自分でも呆れるくらい求め続けた。
「――ぷはぁ……シズクくんってキス好きだよね」
「先にしてきたのはティアじゃないか。……否定はしないけどね。嫌なら控えるよ。ティアが望まないならボクはしたくないよ」
「ううん。そんなことない。シズクくんとキスしてる時って他の人とは違ってなんかこう……じわじわ肩の力が抜けていくような不思議な気持ちになるから好きだよ」
「…………そう?」
……一瞬、自分がしていることがバレたのかと焦りにも似た緊張感に苛まれる。
けれど、それは無用な心配だったみたいだ。いや、そうだと思いたい。
不思議そうな顔をしてティアはくすりと笑ってボクを見た。
「なんだろう。変だよね。前世でもシズクくんみたいなキスは1度もしたことなかったかな」
(……だろうね)
「え? 何か言った?」
「……ううん。よかったって、ついね……ティアを喜ばせられるならまだまだ飽きられることはないかなってさ」
「あははっ、大丈夫大丈夫。シズクくんは特別。キミはこの世界、この星にいる人の中で唯一ワタシと同等なんだよ」
奴隷である立場に同等も何もあったもんじゃないけどね。
ボクは苦笑するように笑ってまたもティアの唇に触れた――。
しばらく、ボクはティアが満足するまで身体を重ね、言葉もなく拒絶された後はいつも通り物言わぬ抱き枕となって彼女が眠るまでの時間に身を委ねた。
やっぱりと、眠りについた彼女の寝顔は可愛かった。
。
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