第265話 彼女のためにだけある国

 魔人族は夜の住人である。昼の間は眠りにつき、夜の間に生を謳歌する。

 ラヴィナイの王であるティアも魔人族であることから、昼夜逆転した生活を送っている。

 そして、国民の大半は種族を問わず彼女と同じ様に夜の世界に身を置いた。

 これは別にティアに強いられているわけじゃない。自ら率先して彼女と同じ生活サイクルを送っている。


 それもティアという王はラヴィナイに身を置く国民にとって全てだからだ。

 王が白と言えば白。彼女が黒と言えば黒。

 ティアはボクらにとっての夜だった。

 言われずとも彼女に合わせるのが国民の当然の義務だった。

 そんな例に漏れず、ラヴィナイの一国民であるボクの立場は彼女の奴隷だった。


 奴隷と言っても過酷な労働環境に置かれることも、苦行を強いられることもない。

 いや、不機嫌な時のティアに何度か苛立ちをぶつけられたことくらい数えきれないほどにはある。けれど、不機嫌の矛先でボクの身体に穴が開こうとも、これくらいは可愛いものだとボクは笑って許している。

 では、奴隷としてのボクが普段何を行っているかと言えば、彼女の付き人みたいなことをしている。


 、目を覚ましたらティアを起こしに彼女の寝室へ向かい、続けて先ほどのように化粧室へ移動して着替えを手伝う。

 着替えが済んだら朝食もとい夕食の時間として、彼女と同じ席に着き、食事に添えられた花となる。

 食べ終わった食器等は他の給仕たちが片付けるのでボクの出番はなく、ただただ彼女が美味しそうに食事をする傍で微笑んで見守るだけだ。


 ちなみにボクはので遠慮させてもらっている。口にするとしたら水くらいだ。


「じゃあ、シズクくん! 今回もしっかりワタシのことエスコートしてね!!」

「……ティア、大丈夫? なんか変だよ? 妙に張り切ってるっていうかさ?」

「そりゃあ、空元気でもテンション上げないとやってられないって! こんなに出歩くのも嫌だって言うのに行く場所があそこだよ? あそこ臭いし醜いから行きたくなーい」


 初っ端から不満を炸裂させるティアである。けれど、それは彼女なりのポーズだ。

 どんなに嫌がろうが、彼女の選択肢に行かないというものはない。


「わかってるって……この仕事はティアちゃんにしかやれないんだからさぁ、ぼやいても仕方ないけどさぁ……今度この仕事だけの人をのもありかねぇ?」

「代理なんて作ったら、あそこの人たちのやる気削がれちゃうんじゃないかなぁ……みんなティアの顔が見たくて頑張ってるんだしさ」

「ぶー! あーヤダヤダ! 行きたくなーい!」


 ティアのぼやきを聞きつつ、話を戻そう。

 奴隷としてのボクの仕事として、今日みたいに“お城”の外に出る時の付き添いや、王としてのティアの補佐なんかもしている。また、朝方に行う男女のそれもボクの仕事に含まれている。

 ティアの機嫌がすこぶる悪い時には御役目を外されることもままあるが、それは今の彼女の視界に入るなという意味で、気紛れにでも呼ばれたら直ぐに姿を見せなければならない。離れている時の方が気を張るような状態だ。


 機嫌の良し悪しに限らず入浴の時は外されことも多いが、稀に共にすることもある。彼女の身体を洗う湯女のような同性の従者が普段やるそれを、2人で入る時はボクの役割として担ったりする。

 全てはティアの気分次第だ。

 他に雑務なんかもすることもあるが、従者よりもより親身で密接な下僕という感じだ。

 与えられる衣服だって、ラヴィナイに住む国民の普段着よりも上質なものを与えられている。

 これは王であるティアの側近として恥ずかしくない格好を求められたからだろうが、着せ替え人形としての意味合いもあったりするかもしれない。

 奴隷ってこんなものだっけ? ……こんなもんか。


「では、お姫様。文句もそこまでにして、お手を拝借」

「むぅ……はい、どーぞ!」


 では、奴隷としてのボクの紹介はここまでだ。


 ボクは差し出されたティアの手を握り、続けて彼女の膝下へと腕を回す。

 抱き抱えるようにしてふわりと彼女の部屋のバルコニーから薄紫の明るい空へと浮かび上がった。

 ティアは微笑んでボクの首に強くしがみ付いてくる。彼女が伸ばした腕が首輪に触れてじゃらっと小さく鎖が擦れて鳴った。


「ふわぁ……眠いなぁ……」

「いつもなら寝てる時間だからね。帰ったら仮眠とったらどうかな?」

「仮眠かあ……そうしよっかなぁ……寝過ごしちゃいそうで怖いけどねー」


 今日のぼくらは夜の住民ではなく昼の住民だった。

 今は朝というには遅く、正午と呼ぶには早い時間帯だろう。

 腕の中で眠たげに小さな欠伸を上げるティアを落とさないよう、しっかりと抱き留めてボクらは“お城”を背にして飛び続ける。


 空はいつも通り紫色の分厚い雲が地平線の先まで続き、何気なく振り返って見た地上では白に染まったラヴィナイという巨大な国を見渡せた。

 ティアという存在を体現した大きな“お城”を中心に、蜘蛛の巣のように城下町は広がってる。

 廃墟ばかりだった頃のラヴィナイの姿は、今のこの国のどこを見渡しても、ない。


「毎回空を飛ぶ度に思うけど、この国も大きくなったよね」

「うんうん。移民者は続々と増えてるからね! 住宅街の拡張計画も進行中だし、そろそろ石材や木材も補充しないと駄目かもって報告を受けてるかな。はぁー、嬉しい報告だけどまたアレをやらないといけないのかなぁー」

「じゃあその時はまたティアが頑張らないとね」

「はあ、今回のこともそうだけど、こういうのって普通、上は指示を出すだけだよねー」 


 ボクたちは他愛もない話をしながらラヴィナイから目的地へとティアが辛くない程度の速度を出して飛んでいく。

 昔はそうでもないと聞いているが、この世界でのティアは激しい揺れ乗り物に弱いらしい。

 空を飛ぶことくらいティアには朝飯前だろうが、王である彼女を自分自身で飛ばせるなんて真似は周りが許さない。だから奴隷であるボクが彼女の足代わりになっている。

 ご機嫌なティアを抱えながら空を飛び続けていると、次第に白ばかりの淡色な世界に豊かな色が付き始めた。





 広々とした牧場には数多くの家畜が寒空の下でも活発に動き回っていた。

 ふかふかの真っ白な毛皮に覆われた大きな牛、丸々と肥えた豚の群れ、遠くからは鶏に似た鳴き声も耳にする。

 以前の“僕”ならばルイにつられる形でこの光景を見て喜んでいたのかもしれない。そして、まったくと顔をしかめたレティと2人で先に牧場の中に入ってしまったルイを追っていただろう。


 柵で仕切られた牧場の外側も冬国とは思えないほど豊かな彩を見せる畑がどこまでも続いていた。

 真っ赤に熟したオマルの実はこんな場所であってもふっくらと瑞々しい。

 青々と葉を広げた白菜は花弁のように笑っている。

 他にも新鮮な青物や地中に埋まっている穀物、大小様々な瓜といった野菜たちが植えられ、今か今かと収穫の時を待ち望んでいた。

 少し離れたところに林檎や蜜柑といった果樹園もあるが、今日のボクらは牧場ここまで来れば事足りる。

 大体、この場所に来ることを嫌がっているティアが、ここよりも先に行きたいなんて絶対に望まないだろう。


「さあ、やるぞー!」


 目的地に着くなり早々、ティアは顔をしかめながら両手を広げて空中に巨大な光の球体を発現させた。

 顔を歪めたのはきっと周りに漂っている農場の臭いに反応したから……だと思う。

 周りの空気が急激に熱を帯び始める中、彼女の魔力により生み出された光の球体は、まるで記憶の中にある打ち上げ花火のように空の上で広がっては空薄暗い世界を眩く照らす。

 打ち上げ花火とは違って光の球体は消えることなくその場に留まり、太陽のように光り続けた。


 ボクは目を細めて紫色の雲よりも下に生まれた白い太陽を眺め続け、ティアは球体の位置を調整していると、がぞろぞろとボクらに駆け寄ってきては、地面に額をこすりつけるように平伏し始めた。

 中には感極まって泣き出してしまう人もいるが、多くは彼女を褒め称えるような歓声を上げていた。

 数は直ぐに100を超え、膨れ上がっていくように牧場の奥から奥へと仕事をそっちのけに集まってくる。

 ティアは一瞬、先ほどと違った意味で顔をしかめたが、直ぐに笑顔を繕って集まってきた人たちに微笑みかける。

 今のティアの心情は直ぐに察した。


「ああ……レティア王……レーネ様……このようなところまでご足労いただき恐悦至極でございます。この場で働かせてもらっている者たち全員を代表してお礼を申し上げます」

「ふはぁ……いえいえ、こちらこそ皆さんには感謝しています。ワタシたちの食卓が潤っているのも皆さんのおかげですから。いつもご苦労さまです」


 可愛らしい余所行きの、若干引き攣った笑顔を浮かばせたティアは彼らに向かって別れの挨拶をするように手を上げて、すぐさまボクの腕にしがみ付き目配せを送ってくる。この目配せの意味はさっさと行けと言う意味だ。

 ラヴィナイの国民である彼らに優しく笑いかけているが、内心はこれ以上ここにいたくない。土ぼこりで汚れた、ティアのに適わなかった国民たちをこれ以上視界に入れたくない、ということだろう。


「それでは失礼します。皆さん、これからもこれからも家畜や野菜のお世話がんばってくださいね」

『はい! レティア王! ばんざーい!』


 最後まで笑顔を絶やさずにティアが手を振る中、ボクは来た時と同じように彼女を抱き抱えてラヴィナイから遠く離れたこの大きな農場を後にした。

 時間にして10分もいなかったと思う。

 数百人規模の農民たちはボクたちが飛び立った後もいつまでも見送り続けていた。耳をつんざくような歓声はボクたちが遠ざかってもなお背中に吹きかけられる。


「いつ来てもティアは大人気だねぇ。ラヴィナイにいる人たち以上に歓迎されてるんじゃない?」

「別にあいつらに喜ばれてもティア全然うれしくなーい。あんなブサイクたちの前に出るのだって本当はすっごいイーヤ!」

「そう言っちゃ可哀そうだよ。彼らはティアのために頑張ってるんだ。さっきも言ったけど、少しくらい顔を見せて喜ばせないとさ」

「ぶー……」


 あの場で働く彼・彼女らの共通点は1つ――この国の絶対的な支配者であるティアの好みから極端に外れた者たちだ。

 器量の良し悪しはティアのいるラヴィナイではとても重要なことだった。

 ティアの好む見た目をした者は優先してお城の近くに居住することを許されるといった具合に、容姿によって優越がつけられることが多い。

 当然全員が全員整った容姿を持っているわけもなく、中には平均よりも劣る容姿の者も城下町の中にいることにはいる。が、それ以上に劣る者たちが送られるのがこの牧場地だった。


 ボクとティアと同じ魔人族や、他種族である鬼人族といった魔族も何十名か在住しているが、その多くは地人族である。ラヴィナイより遠く離れた僻地で彼らは休みも無く、ほぼ丸1日ティアを主としたラヴィナイの人たちのために家畜や作物の相手をしている。

 報告では年に十数名ほどが亡くなっていると聞く。寿命で死んだものもいることにはいるだろうが、きっと、その死因の原因は過労によるものだろう。

 身体を壊しながらも不眠不休で働く彼らの方がボクなんかよりもずっと奴隷だった。そんなボク以上の奴隷である彼らは、今の職場環境に不満を漏らすことはない。

 この場で働く人たちは全員ラヴィナイの王であるティアに心から服従し、ティアのために働くことを至上の喜びと感じている――そういうふうに彼らの意識を支配されているからだ。

 彼らはラヴィナイに籍を置く、列記とした国民であるが、出荷以外では国内に入ることを許されず、ティアが王であり続ける間はずっとこの白い太陽が1日中浮かぶ僻地で生きていくことになっている。


 ……彼らは運が悪かった。


 ティアに好まれる容姿を持って生まれてこなかったんだ。

 彼女という王の許しを得られなければラヴィナイの国民にはなれない。

 それでもティアを求めて彼女の庇護下に入ることを望んだ彼らがいることを許されたのがこの場所だ。

 たとえ偽りの感情をティアに植え付けられたとしても、この環境を望んだのは彼らだ。

 何も疑問に感じることなく、彼女に尽くすことが喜びだと錯覚しながら……この世界で生きていくことが彼らにとっての1番の幸福だった。


「もうティアあそこいきたくなーい……」


 農民……いや、農奴の前では終始笑顔を絶やさなかったティアもある程度の距離を取った空の上でうんざりと顔を歪ませていた。

 その場にいる人を視界に入れることもそうだが、牧場特有の異臭とでも言うのだろうか、あの鼻の奥を広げるような生暖かい匂いを彼女は嫌がっているの毎度のことだった。

 ……生まれたばかりであったら違うのだろうが、臭覚の無い今のボクではよくわからずとも、話に乗るためにも苦笑してみせた。


「毎度のことティアには辛そうだね。嫌なら行かなくていいんじゃないの?」

「ぶー、イジワル! シズクくんわかってて言ってるでしょ!」

「まあね。今回もおつかれさま」


 と、不満を口にしながらティアが首に絡めていた両腕を引いてきたので、ボクはいつも通り彼女を抱き寄せた。

 続けて、直ぐに彼女に向けて風魔法で暖めてあげるとティアは気持ちよさそうに顔を綻ばせる。


「そういう訳にもいかないってのは辛いところだね。美味しいご飯を食べるには仕方ないってティアちゃん割り切ってる!」

「うん、ティアはえらいね」

「でしょー! もっと褒めて褒めてー!」


 今さらになるが、今日のティアは牧場地の上空に疑似太陽とも言うべき光魔法を設置しに来ていた。

 その理由は食肉のためである。

 この牧場に送られた魔族のおかげで野菜や果物といった作物は冬国にはあるまじいほどに種類も豊富で、余りさえ見えるほど潤っている。

 しかし、木魔法で何とかできる植物と違い、食肉のための家畜の方は魔法ではどうすることも出来ず、ただただ時間をかけて育てる必要があった。

 このため、家畜たちの飼育のためにもある程度の光と熱が必要になり、美味しいお肉を食べたいティアが仕方なくと太陽を用意することになったことが事の始まりだ。


 魔法で生み出した疑似太陽の効果はひと月ほど継続し続け、この光魔法から発した熱によって彼らの牧場地は雪害を受けずにいる。

 弊害として1日中空に太陽が出ているような環境なのだが……。

 いっそ、このあたり一帯だけ雲を取っ払えば良いんじゃないのかと聞いてみたけど、そう話は簡単じゃないらしい。


 牧場地を含むラヴィナイ一帯……どころかコルテオス大陸全域を覆っている雲は彼女が手にした強大な魔力の副産物とも呼べるものだそうだ。彼女自身の可視化した魔力に影響されて雲が集まってしまうらしい。

 雲が集まってしまうと言う話が本当かどうかはボクにもわからないが、雨や雪になって地表に落ちて減った雲も直ぐに集まり一向に晴れることはないそうだ。

 もしも、青い空を見たかったら彼女の魔力が届くよりも空高く飛べばいいということを知ったが、そこまでして見たいわけじゃないので試したことはない。


「ティアもう寝るぅ……シズクくんお城着いたら起こしてぇ……」

「起きてるんじゃないの? ま、いいけど……これなら馬車で来ればよかったんじゃない?」

「やだやだぁ、馬車揺れるしお尻痛いし気持ち悪いし。あと、デートっぽくなぁーい! …………今日の予定は?」

「あれ、寝るんじゃないの?」

「……いいから言う!」

「えっと……予定だとの後に近衛の人たちの報告会。それからグランフォーユからの親善大使との会合――…………ああ、そうだ。明日か。今日は牧場に行くからその後は1日空けておいたんだった」

「えー……じゃあ、後は休み?」

「そうなるね。でも、やることはあるよ。ティアが目を通していない報告書はまだまだたくさんあるからそれの処理をする日でもある」

「メンドー……シズクくん代わりにやって……」

「だめだよ。ティアがやらな……ふぅ」


 そんな話をしているとティアはすっと寝息を立てはじめた。

 狸寝入りかもしれないが、腕の中で目を閉じる彼女の寝顔は何度見ても飽きないほどに可愛らしいものだったので文句なんてつけようがない。

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