第264話 花はいつまでも枯れたまま

 以来――この10年、私ウリウリア・リウリアは毎朝……。


「……おはようございます、ルイ様」


 我が育ての親であるブランザお母様のご自宅へ赴き、軽いノックと共にその一室に眠る最愛の家族を起こし続けている。

 無論、本日もその一声で目を覚ましてはくれない。

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で、その娘は深い眠りについたままだった。


「……今日も外はいい天気でしたよ。雲1つなくて、雨の降る心配はなさそうです。ですが、こうも晴れが続くとなると……」


 私は未だ目を覚まさない部屋主へと顔を向けることなく語り掛けた。

 返事はこの10年、1度だって返ってきたことはない。一方的な会話のやり取りは、独り言を呟いている様だ。


「まったく、ルイ様はいつまで眠ってらっしゃるんですか。そろそろ起きてくださいよ……」


 意を決して顔を向けても、部屋の薄暗さで彼女の綺麗な顔は見えない。いつになったらこの目は枯れてくれるのだろう。

 私は被りを振って陽光を遮るカーテンを開けようと窓へと近寄った。


「……ルイ様、見えますか。……ほら、まるで……おふたりのように――」


 無駄だとわかっていても、私は語り続けながら部屋のカーテンを開け放つ。

 一瞬にして部屋の中を白く染め上げた。


「――ええ。おふたりみたいなきれいに晴れ渡った青空が見えますよ……」


 私はそのまま窓枠に手を当て、空を見上げ続けていた。

 今日はいい天気だ。雲1つない晴天。ブランザお母様や、おふたりのような青い青い……私は笑みを繕った。

 これで大丈夫だ。いつも通り笑って彼女へと顔を向けられる。

 私は今の笑みも表情に残して、いつも通り振り返った。


 いつも通り、目覚めない最愛の家族に向けて――。





 目を覚ますと、部屋の中は真っ暗だった。体感としては陽が沈んだころだろう。

 このラヴィナイ近郊はいつだって晴れることのない紫色の雲に覆われている為、日照時間は極めて短い。


「はぁ……やっぱり、見ちゃった」


 予想通り、あの日の夢を見てしまった。ため息を吐いてぼそりと愚痴らずにはいられない。

 あの日、ボクがシズクとして前に出た時の夢はもううんざりだ。

 あれがボクとしての再スタートだと思えばめでたい日でもあるけど、やっぱり内側にいる“僕”の影響で酷く憂鬱になる。

 しかし、弱音なんて吐いている暇はボクには無い。

 今はそう――遅れて目覚めたティアへと優しく微笑むことの方が重要なのだから。


「ん~……おはよ。シズクくん」

「うん。おはよう。ティア」

「はぁ~、やっぱりシズクくんと寝るのが1番気持ちイイねぇ。身体の相性がいいからなのかな」


 睡眠を邪魔されるのがこの世で1番嫌いとばかりに不機嫌になるティアだが、こうして目覚めはいい。


「そう? なら、毎日でも来ていいんだよ?」

「いやいや、そしたら他の子たちが拗ねちゃうよ。ワタシは沢山の人に愛されたいの!」

「それは残念だなぁ。ボク、すごい悲しいや」

「拗ねない拗ねなーい。……でも、なんかすごいなあ」


 と、物思いにティアがため息を吐いた。


「なにがすごいの?」

「いやね、長くても半年でぽいって捨ててたワタシが、この10年ずっとキミを傍に置いているからついねぇ。なんでだろ?」

「さあ、ボクに聞かれてもね。まあ……ボクも飽きられないようこれからも頑張るよ――」


 そうさ……あれもう夢なんだ。

 憂鬱な今の心境なんてここらの空と違って直ぐに晴れていくだろう。

 本当はボクの方がシズクなんだ。今さら“僕”がでしゃばる方がおかしいんだから。





 世界に刻まれたシズクとは“僕”の方だ。

 酷いよね。

 ボクがシズクとして生まれ、刻むはずだったシズクとしての証は全部“僕”に踏み荒らされちゃったんだ。

 本人であるボクが今さら何かを言ったところで、誰もボクをシズクだと見てくれないだろう。


『じゃ! こんなのはどう?』


 そんなボクの気持ちを慮ってティアはを世界中に施したらしいけど、それでもボクの気が晴れることはない。

 世界中を偽ってもこの事実を知るボクの心は偽れないんだから。

 いっそ僕なんていなければよかったのに――悔やんでも悔やみきれないよ。


 ……でも、いいさ。


 たった10年しか生きていないボクの方が本当のシズクだと世界に認めさせてやる。改めさせてやるんだ。

 ボクの人生はまだまだ数百年もあるんだ。

 たった14年程度しか生きていないシズクの足跡なんて、直ぐに踏みつぶしてやるよ。

 さあ、リスタート! 

 何より今は、目を覚ましたティアと他愛もない話で笑うことの方が重要なんだからさ。





 今まで“僕”の中に溶け込んでいたボクの意識が表に出てきたきっかけはティアとのキスだった。

 もちろんそれはただのキスじゃない。

 口内より流し込まれた唾液を媒介とし対象の意識を封じ込め、支配する魔法――闇魔法をティアはシズクにかけようとしていたらしい。

 その後は闇魔法で従順になったシズクをラヴィナイへと連れて帰って終わり! ――と、そんな風にティアは企んでいたそうだけど、ボクという本来のが現れることになったのは思いもよらなかったと彼女自身から教えてもらった。


 では、どうして今回のキスでボクという意識が表層に現れることが出来たのだろう。

 以前にも長期的に“僕”の意識は喪失したことはあった。

 その時はリコが彼の代理としてシズクの身体を預かっていたが、ボクが現れることはなかった。

 まあ、あの時はシズクが負った重傷を治癒するため、瀕死のリコの身体を犠牲にして助かった訳だしね。

 代用品としてのリコの意識が、沈んでいたボクの意思よりも先にシズクの身体に上書きされたと考えたりも出来る。

 ……が、それなら“僕”が目を覚ました後もリコがシズクという身体の主導権を握り続けていてもおかしくない。リコが無意識のうちに彼に権利を渡してしまったのであれば……等、色々と思考を巡らせたりもしたがどれも終わった後の話である。


 結局どうして眠っていたボクの意識が前に出てこれたのかは自分でもよくわかっていない。


 ――それでも、今のボクがシズクだ。


 ただ、ここまで話しておいてなんだけど、ボクにとって人格が入れ替わったことは些細なことでしかない。

 今のボクは入れ替わり云々よりも、ティアが使ったと言う闇魔法のことの方が気がかりだった。

 以前ベレクトからも話を伺ったことはあるが、彼は感覚的な話ばかりをして、聞かされた“僕”も同じく何となく……という感じでとらえた程度だ。

 “僕”という第三者の記憶を通して知った現在のボクに至ってはまったくと要領を得ていない。


「闇魔法かぁ……」

「ナニナニ? 今日のシズクくんは闇魔法について考えてるの?」

「あー、うん。まあね――」


 だから、何気ない話題の1つとしてティアの着替えを手伝っている傍らに聞いてみることにした。


「――結局、闇魔法って何なの? 以前の彼の記憶を辿ってもまったくと理解できないんだ」

「んー……ワタシも詳しく理解してるわけじゃないけど、闇魔法は心の魔法だって聞いてるよ」

「心の魔法?」

「そう。ワタシが普段の他に、硬直、催眠、幻視……諸々そういう内面に働く魔法だってくらいにしか認識してないかな?」

「ふーん、内面に働く魔法ねえ……」


 と、ボクはティアが着ているワンピースの背中のボタンを留めながらぼやいた。

 今日のティアの格好は紫色をした厚手のワンピース。国1番の仕立て屋が彼女のためだけに製法した極上の一品である。

 ただ、この紫のワンピースを着る機会はきっと今日が最後になるだろう。


「じゃあ、ティアに闇魔法のことを教えた人に訊けば詳しくわかったりする?」

「それはごめーん。教えてくれたのはお父様とその側近たちだったなの! だからちょっと無理かな!」

「そっかー……ティアのお父さんたちはティアが殺しちゃったんだったよね。あーあ、それは残念だなあ」


 ティアのお父さんと家臣たちは力を得た時に興奮してついつい……と彼女から話は聞いている。

 ま、情報源が死んじゃった人なら仕方ない。

 闇魔法は以前の“僕”の記憶に照らし合わせるなら、『RPGロールプレイングゲームにある状態異常を引き起こす魔法』って感じだろうか。

 ラゴンやイルノートの話ではそれ以上におっかないというか、危険な魔法って感じがしてたけど実際はこんなものか。

 どちらにせよ、怪我の功名とばかりにボクがシズクの主導権を得ることが出来たんだ。

 ティアには“僕”に闇魔法をかけてくれたことに感謝しなければならない。

 また、ここでボクがことなく、“僕”がティアの操り人形になった場合、きっと直ぐに飽きて捨てられていただろうしね。

 捨てられるならまだいい。

 多分、彼女の性格からして最後に自分でぐちゃぐちゃに壊すくらいはする。


(まあ……それはそれで、幸せだったのかもしれないが――)


「……それでは姫様、今日は何をご用意しましょうか?」


 本日向かう場所が場所なだけに、多分いらないと言われるだろうが、一応今日のアクセサリーは何にするかと尋ねる。

 ティアは小さく首を振り「ティアラだけでいいかな」と予想通りの答えを口にした。

 わかりました、とボクは王冠代わりである、色取り取りの宝石がちりばめられたティアラを手に取って、彼女の真っ白な髪へと挿し込む。

 中腰になりながらティアラの位置を調整している間、彼女は物思いに耽るかのようにボクの肩から垂れた長髪を指先で弄り始めた。

 以前の“僕”は髪を纏めることが多かったが、ボクの場合は逆にいつも髪を降ろしすようにしている。

 この方がティアの受けもいいし、男でも女でも見られてもボクは別に構わないからだ。


「前も思ったけど、シズクくんはワタシが実の父を殺したって言っても驚かないよねー?」

「……ん? まあ、ね。以前の“僕”なら何かしらの嫌悪感は懐いたかもしれないけど、今のボクにはどうでもいいことだよ。ティアを見る目も変わることもないさ」

「へぇ……眉1つ動かさないところからして本心っぽいね。父親を殺したって話をすると、支配下に置いた相手でも結構ひかれたりするんだよ?」

「そうなんだ。それで?」

「それでって……ふふっ、何その反応ー!」


 親殺しがどの程度の罪なのかはボクは知らない。

 だけど、どんな相手を殺そうとも殺人は殺人であってそこに差はない。だいたい“僕”だって何人も殺しているんだ。

 殺人者が親殺しを嫌悪したところで50歩100歩でしかない。


 最後に彼女の肩へと薄紫のケープを羽織らせて胸元のボタンを止めればお着替えは終了――と、これで出発の準備は完了だ。

 ついでにボクの場合は大体は真っ白なシャツに上下黒の執事服を着て城内で働いている。今日のように外出するときはその上から白い外套を羽織ってもいる。


 今のボクにはとしてもティアが用意してくれたものだ。外出時はこの白い外套を極力身に着けることにしてる。

 ただ、白い外套を渡された時は何とも皮肉だと思った。


「ははっははは……はぁ……キミとはもう10年も近くにいるのに本当に飽きないわ」

「そう? だとしたらボクは嬉しいよ。じゃあ、飽きられないうちに明朝のティアのお相手にボクを指名してくれると嬉しいなぁ?」

「もぉシズクくんのえっち! 昨日もあんなにさせてあげたじゃない! だから、だめだめー! 明日は別の人のところに行きまーす!」

「あらら、それはさっきの話以上に残念だ」


 飽きられないと言っても入れ込んでいるわけじゃないのはわかっている。

 ティアにとってボクはまだまだ愛着のある所有物の1つでしかない。

 ……この子は本当に素直な子だった。

 思ったことはずばずば口にするし、自分の欲望に忠実なところは心から尊敬する。

 欲望を叶えるための努力なら苦とは思わず、誰かから与えられるのを待つのではなく、自分から率先して奪いに行く姿勢は見習うべきだとすら思う。


 今のボクの思考や性格といったものは以前の“僕”をベースに組み立てられたものだ。

 “僕”が好きだったものはボクだって好きで、“僕”が嫌いだったものもボクも同じく嫌いって感じでさ。

 その為、今現在のボクは自分自身を再構築している真っ最中だ。

 ボクという本来のシズクを築くためにも彼女から得られるものは何でも吸収しようと考えていたりもする。

 ……まあ、つまり、レティもルイのこともボクは彼と等しい感情を懐いていた。

 けれどそれは昔の“僕”が好きなもので、今のボクが好きなままかと言えばそうじゃない。

 すでにこの手から離れたものを未練がましく望むことはしない。これからのボクはボクで自分が手に入れたものを大事にしていくつもりだ。

 それに2人との思い出も10年経った今となっては――。


「シズクくーん!」


 ティア専用の化粧室から出ようとしたその時、彼女はボクの腕に抱き付いてにっこりと笑ってくる。


「ワタシね! 今、すっごい幸せ!」

「……それならよかった」


 次第にレティとルイの記憶も色あせていく。

 あんなにも愛していた2人との記憶もすっかりとティアに塗り潰されていった。

 今もティアが口にした幸せという言葉は、以前どちらかが発していたものだったと記憶していたが、この場であっさりと上書きされていく。

 もう、2人がどんな声を上げて、どんな顔をして、どんな反応してくれたのかもぼんやりと薄らいでいる。


(いつか、2人の顔もティアの顔になってしまうのだろうか――)


 その時を想うと、ボクは少しだけ寂しくは思った。

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