第263話 陽は昇らず

 ティアの纏っている紫色の魔力が膨れ上がり、蛸みたいに腕がいくつも伸び出した。

 その長く伸びた魔力の腕が、先ほどぼくたちを襲っただったのだろうと考える。

 ご自慢の魔法なのかな。不敵に笑うティアを見て無性に腹立たしくて仕方ない。

 そして、今直ぐにあの顔を苦痛に歪めてやりたい。

 そう、3人の中で最初に前に出たぼく――よりも、先にティアが動きを見せる。


「――あっ!」


 鞭のようにしなった魔力の腕が勢いよくぼくたちの真上へと振り落とされた。


 ――けど、ぼくよりもティアよりも、さらに先に攻撃に出たのはレティだった。


「突き刺せ!」


 レティの命令を受け、空に浮かんでいた無数の剣たちがぼくらを叩き潰そうとした魔力の腕へと一斉に飛来していく。

 複数の剣が突き刺さった魔力の腕はのた打ち回るようにその身をくねらせた後、煙のように消えていった。


「……は? 何それ? どうしてワタシの魔力がそんな簡単に消えて……へぇ、なるほどね。魔法を消滅させる剣……を生み出す魔道器ってところかな? メレティミの癖して生意気ぃ!」

「何が生意気だ! このイカレ女が!」


 別に気を抜いていたわけじゃない。助けてくれてありがとうとレティに思う気持ちもある。ただ、今の攻撃はレティの助けが無くてもぼくは避けれた。

 最初の不意打ちと今回の攻撃、その2度をぼくは目にしている。腕の振り抜く速度は大したことは無い。

 頭の中では思ったよりも冷静なぼくがいてくれた。そこに怒りに身を任せるぼくが足を引っ張っているってところだ。


(無闇に近寄るのは危ないかもしれない……でも、うぅ~!)


 ティアはこの場に現れた時からぼくの知らない魔法を扱っている。

 あの黒いもやがかかった鎖と拘束具は魔道器だとしても、身体に纏っている紫色の魔力は未だ不明。それは火、水、風といった普段ぼくらが普段使う魔法じゃない。

 今考えられることは物理的な魔法なのかなってくらいだ。水の硬化魔法のように防御のような役割もあると考えていいかもしれない。


(あの魔力に触れても大丈夫なのかな)


 紫色という毒々しさから触れることをためらいそうになる。


(スライムのように取り込まれる心配はないかな)


 形を自在に変えられるだろうし、掴まれたら逃げることは諦めないといけない。


「1本くらい消したくらいでいい気にならないでよね! こんなの直ぐに元に戻せるんだからさぁ!」


 と、ティアが言うようにレティが消し飛ばした腕は直ぐに復活し、ぼくたちへと追撃を開始する。


(このまま悠長に身構え続けていたら……悔しいけどぼくたちは簡単にやられちゃう)


 殺したいほど憎ったらしいティアだけど、魔法の使い勝手や性能はぼくたちよりも上であることは認めないといけない。


「レティ、気を付けて!」

「わかってる! ルイもね!」


 ティアはまたしても魔力の腕を尻尾のように振り回し、ぼくら2人を叩きつけようとする。

 複数の腕が襲いかかってくる中、イチかバチか。


「……ルイっ!?」


 さっと横に避けるレティと違い、ぼくはその場に留まった。

 そして、ぼくは回避を念頭に置いて、氷絶のつるぎで受け止めてみた――よし、いける。触れても大丈夫だ。


「ばかっ、無茶して!」

「ごめん、でも確認したかったんだ!」


 大剣の腹で受け流すようにして横に飛び、地面を叩きつけた腕に向かってレティは今一度滞空している剣で突き刺さした。

 空に浮かばせていた氷柱の方も、魔力の腕に突き刺さり、動きを止めるくらいはいけるみたい。おまけに滞空しているレティの剣を1つ拝借し、ぼく自らで切り裂けばいい。

 レティの魔法はすごいね! と、自分のことのようにうれしく思いながらレティと目を合わせ、続けてそのまま2人で前へと駆ける。


「なっ、くぅ!」


 ティアがようやく顔色を変えた。追い払うように続く魔力の腕もぼくとレティの連携なら全ていなせた。

 また、たくさんの腕があっても、うまく操れるのはせいぜい3本ってところみたいだ。それ以上を操ろうにも他の腕と腕がぶつかり合って攻撃を邪魔しあっていたりする。

 力は甚大だけど、まだまだ未熟で戦闘経験はからっきしってところか――なら!


「……そこっ、いけぇ!」

「……なっっ!」


 うごめく無数の魔力の腕の隙間を縫うように、漂わせていた氷柱のひとつをティアの顔面目掛けて射出!


「――よしっ、当たった!」


 と、喜んでみたが直前に魔力の腕が邪魔をして氷柱は僅かに射線から逸れる。

 だけど、当たりは当たりだ。


「あっ……ああっ……痛っ……いたぁぁぁぁぁいいぃぃぃぃ!」


 氷柱はティアの頬をえぐり取るように切り裂くだけで終わった。


「……ルイ」

「ルイやっちゃった……」


 呆然とシズクとレティが悪いことをしちゃったとばかりに呟くけど構うものか。

 べりっと頬の肉を裂き、ぷっと噴き出す血しぶきの後、口内を覗かせるほどの傷口を負ったティアは頬を抑えて蹲りだした。


「ああぁ……いだっ、なんっ……あがぁぁぁあぁぁぁっ、痛っ、痛い痛いイタイイタイイタイイタイぃぃぃ!」


 ティアはその場で転がるようにして痛みに苦しんでいた。身体に纏っている紫色の魔力は消えていないが、魔力の腕はすっかりと消えている。

 そして、腕と一緒にもうここに冷静なぼくもいなくなった。


「――……死ねっ、死ね死ね死ね! 死んじまえ!」

「死ぬのは君だよ?」


 無様に地面に蹲って喚くティアへと近づいて、ぼくは手に持った氷絶のつるぎを逆手に握り、震える背中へと狙いを定めた。

 見下ろしたティアはようやくをして喚いている。ちょっとだけ満足だ。

 涙をポロポロ流して、まだまだ反抗的な目をしていたのが気に食わなかったけどね。


「あ……ルイ、駄目! 止まれ! 殺しちゃだめだ!」

「ル、ルイ! やめなさい! もういいでしょ!」


 近くのシズクと、後ろから駆け寄ってくるレティがぼくに止めるように言ってきた。


(でも、もう止まらない。止まれないよ……)


 ぼくはを殺したくて仕方ないんだ。

 だから、このまま串刺しにして凍らせて――。


「――危ない、ルイ!」


 体重をかけてティアの背中に氷絶のつるぎを突き刺そうとした。


 ――その瞬間。





 ぼくの身体はどんっとレティに体当たりを受けて押し倒された。


「何を――」


 何をするんだ! って、尻もちを付きながらレティを怒鳴ろうとした。

 ……でも、言えたのは最初だけだ。

 その後のぼくの言葉は途切れた。


「……え?」


 何度も目を瞬かせた。

 ぼくも、シズクも、当人のレティさえ。


「……なに、これ?」


 と、レティは信じられないとばかりにぼそりと呟いた。

 続いてレティの手から鉄扇がからん、と音を立てて落ちた。

 同時に、空に浮かんでいた剣が一斉に地面へと堕ちていく。

 ぷるぷると痙攣するレティの身体はがくりと力が抜けるようにしてその場で崩れる……けど、レティの身体が地面に触れることは無かった。


「れ、レティ……?」

「ル……イ……?」


 地面に倒れなかった理由は、レティは背中を丸めながら宙にから。


(……そうじゃない)


 きっと倒れなかった理由は、レティの背には今シズクが拘束されている黒いもやのかかった鎖がから。


(……それも、なんか違う)


 じゃあ倒れなかった理由は、レティの胸に直刃のような尖った針がから。


(……だから、これだ)


 どこからか現れたその太い針が支えになって、レティは地面に倒れることなく宙に浮かんでいて……。


「あれ……なんで……胸に……石?」


 レティはぼそりとを見て呟いた。

 そして、レティが言うように、胸を貫いた針の先には青色の丸い石が突き刺さっていて……っ!! 


「レ、レティ!? レティっ!?」


 直ぐに立ち上がってレティに駆け寄ろうとした途端、レティの胸に刺さっていた針はすっと消えた。

 すると、レティは膝から崩れ落ちるようにして地面へとばたりと倒れてしまう。


「……レティ? ……え、何? ルイ、そこで何が、起こって? どういう……レティ? ……レティ!?」


 シズクが震えながらレティの名前を呼んだ。

 だけど、レティはぼくにもシズクにも何も答えてくれない……待って、待ってよ。なんで、なんで!?


「レティっ、レティレティレティっ!?」


 直ぐに駆け寄ってレティに治癒魔法を施そうとする。

 手に薄緑の光を生み出してレティの胸の傷口へと当てて、当てて――っ!


(……でも、なんで!)


 レティの胸から出てきたこの青い石が何かはぼくにはわからない。

 穴の開いた青い石は今も横たわったレティの隣に転がったままだ。

 この石と同じくレティの身体に開いた穴は閉じる気配がない。

 どくどくと胸に空いた穴から真っ赤な血が流れ続けていく。


「待って、ねえレティ!? レ――……っ!」


 こんなの嘘だ。嘘だよ。

 信じられなくて、遠くで叫ぶシズクの声も何を言ってるのかわからないくらい動揺しながらぼくはレティの身体を癒し続け――ていたところで、ぼくの背中にも激痛が襲った。


「ぐぅぁっ! ……くぅうぅっ!」


 鋭い痛みは背中からぼくの身体に無理やり入り込んできて、お腹からサクっと抜けていく。

 そのとてつもない痛みにぼくの治癒の手は止まりかけたけど、奥歯を噛みしめてレティの身体へと手を掲げようとして……ぼくの手からレティの身体が遠ざかっていく。


「ぐっ……レ、レティ……」


 逃げていくレティを捕まえようと手を伸ばしても届かなくて、ぼくは掠れるような声でレティの名前を呼ぶことしか出来ない。


「なぁ……ん、でぇ……」


 ぼくの身体はティアが生み出した魔力の腕に掴まれていた。

 そして、魔力の腕はレティから遠ざけるように、ほくそ笑むティアのもとへと運んでいく。

 にやけるティアの顔はいつの間にか綺麗に治っていた。


「ルイっ、ルイぃぃぃ!」

「あがっ……ぎぃぃぃっ――……っ……ひゅ…………ひゅぅ……」


 魔力の腕に身体を強く絞められ、また喉の奥から血が溢れて呼吸がうまく出来ない。


(やめてよ。レティが死んじゃう。ねえ、お願いだからぼくをレティのところへ……)


 今すぐにでもレティの治癒を再開したいのにぼくの身体は全くと動かない。

 先ほど刺された背中の傷と、加減もないままに魔力の腕に締め付けられたことが原因か、ぼくの身体は思うように動けない。


(それでもレティが……レティが!)


 首だけでも無理にでも捻って倒れているレティを見ようとしても、見たくもないティアの顔がぼくの視線に入って邪魔をしてくる。

 ティアはぼくへと間近に顔を寄せて嬉しそうに笑っていた。


「まったくぅ、ひっどいじゃなぁい! 女の子の顔に傷をつけるなんてさいてー!」

「……げほっ……レティ……」

「もう痛くて死ぬかと思っちゃった! ほんとサイアクサイアクぅ!」

「……ひゅぅ……レディ……げほっ!」


 ティアがぼくを見て何かを言ってるがぼくの耳は聞き取れない。


(そこをどいてよ。この腕を外してよ。ぼくを、ぼくをレティのところへ行かせてよ!)


 こんなにティアが近くにいるのにぼくは何もできない。

 がちがちに掴まれた身体はこぶしを握ることすらできない。

 怒鳴りつけてやることだって、今のぼくにはできなかった……涙が出そうなほど悔しくてたまらない。


「ねえ、ここで情けなく命乞いしてよ? そしたら、あんただけでも助けてあげよっかなって思うんだけど、どうかなー?」


 でも、こんなやつの前で泣くことはもっと我慢できなくて、ぼくはせめてもの抵抗と強くティアを睨み付けてやった。

 許さない。絶対に、許さないとぼくは本気でティアを睨み続けた。


「ワァ~やだやだ! そんな目で見ないでよ。すごいこわーい!」


 もう何を言ってるかわからない。


「――――――っ!」


 近くにいるはずのシズクの叫び声がどこか遠くの方から聞こえてくるくらいしかわからない。

 そんなぼくでも、自分が今できることをやり続ける。

 ――それは、“3人で幸せになるはずだった日”をめちゃくちゃにしたこの女をひたすら睨みつけてやるだけだ。


「……その目、とても綺麗だねぇ。宝石みたいに真っ赤で……廃人だったイルノートも赤だったなぁ」

「……ひゅぅ……ひゅぅ……ごほっごほっ……ひゅぅ――」

「なんでワタシの目は前と同じなんだろね? こんなにもカラフルな世界なのに黒とか大外れ。しかも髪は真っ白でおばあちゃんかよってね。せっかく生まれ変わったんだから青や緑って色のついた方がよかったよ、まったく!」

「ごほっごほっ……ティ、アぁぁ、ぁっ……ごほっ!」

「あーあ、それも欲しいなあ。その赤い眼が欲しい……けど、眼球を貰うっていうのは無理だってことはワタシでもわかる……だからさぁ――」

「……はっ……はぁ……ご……っ!」


 そう言ってティアはレティの背中を貫いた針を手に持って――、


「――手に入らないなら、壊させて! 潰させてよ!」

「ごほっ――っ!?」


 はっ……と気が付いた時にはもう遅かった。

 ぼくの右目は針を振りかざして楽しそうに歪んだ笑みを浮かべるティアが映る。


「や……だっ……やっ、やぁ……ぎゃっ……ああああぁぁぁぁあああぁぁぁ――っ!」


 それがぼくの右目が最後に見たものだった。




 

 目が熱い。

 

 熱くて仕方ない――頭の中から激しい熱がぼくは熱いのは嫌いでだから痛い痛い目の裏側痛い痒い熱い駄目だやだこんな痛いもう何が針が頭の奥に入って痛いティアが笑って楽しそういたいイタイぼくの目は目はいたいイタイイタイ!

 さっきほどお腹に受けた痛みなんか生優しいと思えるほどの、激痛が頭の奥で暴れ出す。


「あぁぁっ、ああっ、あっ、ああぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁっ!!」


 痛みを逃がそうと首を何度も振った。

 先ほどまで力が入らなくて動かなかった身体が嘘のように動き出す。今すぐにでも刺された右目を手で触れたくても身体は動かない。強く両目をつぶろうとしたらもっと激しい激痛が針を刺された右目から頭の裏側を激しく叩いてくる。それでも瞑らずにはいられずぐわんぐわんと首を振ってもだえ苦しむ。


 触りたい触りたい痛い痛い痛い!


「わぁ……目を潰された人ってこんな反応するんだ。すごい楽しそうー! ねえ、シズクくんはどう思う? なんだか踊ってるように見えないー?」

「……お前っ……お前、何して……何してっ……あぁっ、ああああああああぁぁぁっっ!!」

「あ、こら! そんなに暴れないの、暴れたってむだむだぁ……って、きゃっ!」

「ルイっ! ルイ、ルイルイぃぃぃ!」


 激しい痛みに暴れ回った後、ぼくの身体から力が抜けていくのを感じた。

 未だ貫かれた右目は熱くて気持ち悪いままだったけど、声を張り上げる力すら右目の傷口から抜けていくようだった――その時、魔力の腕を間に挟んだぼくの身体に何かがぶつかってきた。

 同時に魔力の腕による拘束が緩み、ぼくの身体は地面へと落ちる。

 ただ、落ちた先は柔らかな何か上で、見える方の左目を薄く開けてみると、目を開いたままのレティの顔が映った。


「る、い……?」


 耳元でレティの微かな声が聞こえる。


「れ、てぃ……」


 ああ、レティ! よかった。まだた。でも、ごめんね。ぼく、もう身体が動かないんだ。

 なんて、一瞬にしてレティの安否を案じたけど、それを言葉に現すことはできやしない。

 重なるようにしてレティの身体の上に落ちたぼくはもう指の1つすら動かせない。


「殺すっ、殺して、殺してやる! お前なんか! お前なんかっ! ルイをレティを、なんでっ……わぁぁぁっ、殺してやぁぁぁああああああああああっ!」


 熱く半分真っ暗な視界の先で焔迎の籠手を出してシズクは暴れ出だしているのを肌に感じ取る。

 ぼくたちへと必死に近寄ろうとして、だけど、拘束された鎖に阻まれて全くと前に出れない。ガンガンって籠手の先の爪で叩き切ろうとしているのかな。

 そんな音と声をぼくは動かない身体の先でいつまでも感じ取っていた――見えないけど、その後もシズクのやり取りは耳から届いてきた。


「ルイっ! レティっ! ルイっ! レっ――ぐむっ……んっ、んっ――…………」

「んちゅぅ~……つっ……うげっ、舌噛まれたぁ! …………けど、その様子からして成功ってところかな!?」

「………………ああ。うん」

「じゃ、いきなりで悪いけど! ねえ、ワタシのことどう思う!?」

「……どうかな? 状況は理解してるけど、不思議な気分で、今一ぱっとしないというかね」

「それは良い意味で? 悪い意味で?」

「……多分どちらでもない。頭の中がすっきりしたような、目が覚めたと言うか……そっか。うん、これがなんだね?」

「んん? シズクくんどうしたの?」

「ああ、ごめんね。つまり――…………」

「……――え? へぇ……ほうほう……そうなの!? 面白そう! じゃあ、まだワタシのことはメロメロ~ってほどじゃないと?」

「そうだね。キミのことは可愛いと思うけど、特別な感情は持ち得てないかな」

「えー、ひどーい! ワタシはこんなにもキミが欲しいってアピールしてるのに! でも、それはそれで面白そう! これからのキミを篭絡しちゃうぞ!」

「あはは……けどボクでいいの? キミが欲しかったのはシズクでしょ? 今のボクはシズクだけどまったくの別人に近いよ」

「かまわなーい! ワタシが気に入ったのはその外見だからね!」

「うわ、はっきり言うね。清々しくて逆に気持ちいいくらいだよ」

「だってワタシずっとあなたが欲しかったんだもん。気にいったものは縛ってでも近くに置いておきたいじゃない? だから――……」


(……何を、話しているの?)


 身体は全くと動かない。顔だって上げられない。

 ぼくの半分半分になった視界の奥で急に静かになったシズクとティアが何やら話しを始めていたけど、その話の半分以上をぼくは聞き取れない。


「……――うん。いいよ。でも、最後にアレに挨拶だけしておきたいんだけど、いいかな?」

「あれに? ま、シズクくんの頼みだって言うんだからティアちゃん聞いてあげる!」


 そんな意識がもうろうとしていた中、ぼくの暗くなった視界の中に、シズクの足が入り込んできた。

 顔はやっぱり上げられず、1つだけになった目を頑張って上に向けて出来るだけシズクを見ようとした。


「……しず……く?」

「うん。ボクだよ」

「……あ、ああ……」


 先ほどと変わらず足枷をはめたシズクが、重なったまま動かないぼくたちへと近寄ってくる。


 ……シズクが来てくれたことがとても嬉しくて仕方ない。


 痛い。目が痛いよ。レティが、レティが動かないの。痛い。熱い。辛い。

 身体がびくびく震える。勝手に痙攣を起こして動けない。どうしよう。駄目だ。目がじゅくじゅくする。だめ。頭いたい。レティが動かない。シズク。キスされた。ねえぼくの目が。レティ起きて。レティの目は2つとも開いている。起きてる。ならぼくをみて。ねえシズクが大変なの。ぼくたちのシズクが、ねえ。レティレティ……。


 どうにかぼくの精一杯の視界の中でやっとシズクの顔を見ることが出来た。だけど、変なんだ。


「……?」


 シズクはぼくたちを見下ろしたままだった。そして、こんなぼくたちを前に立ち尽くすだけなんだ。

 それから、シズクが何をするかと思ったら、左手にはまっていた3人お揃いの指輪を抜いて、ぼくの左目の前へと落としてきた。


「これ、返すよ……ってのも変か。“僕”があげたものだしね。じゃあ、あげるよ。もうボクにはいらないものなんだ」

「……ぇ……?」

「……あ、そうだ。これも」


 そう言って首に掛かっていたラゴンから貰ったペンダントも、レティに作り直してもらった鎖を引きちぎってぼくの前へ落とす。

 落とされたペンダントに弾かれて、ぼくの左目の前へと指輪は転がっていく。

 指輪を見て、シズクを見て、指輪を見て、シズクの目を見て……思った。


(……ちがう。シズクはそんな目でぼくたちを見ない)


 誰だ、こいつは?


「……みは……シズ……ク?」

「そうだよ。ボクがシズクだよ――なんてね。キミたちの知る“僕”じゃないから、シズクであってシズクじゃない、かな?」

「やめ……ごほっ…………へん、冗だ……いっ………………」


 変な冗談はやめてよ……と、これが限界と、それ以上の言葉はもう話せない。

 身体の震えは止まり、意識が遠のくように寒くなる。


(おかしいな。ぼく、寒いのは平気なのに……とても寒くて仕方ない)


 重なり合うようにレティの体温だけが生暖かくて心地よくて……けど、どうしよう。レティの温度も下がっていく。

 見えていた方の左目すら光を失っていく。

 もうシズクを追うことすらできずに視界は狭まっていく――。


「死んじゃったー?」

「うん。多分、ピクリとも動かない」

「あーあ、ご愁傷様です……じゃ、いこっか! 実はそろそろワタシ限界だったんだぁ! 身体が戻れ戻れって引っ張られて仕方ない!」

「何それ、どういうこと――」


 シズクがぼくに背を向ける。そのままティアのもとへと向かって……。


(まって……シズク……レティが……ねえ、まって……)


 鎖に繋がれたシズクがティアに手を牽かれて飛び立った。

 ティアに抱えられるようにして紫色の空へとシズクは飛んでいく。最後にちらりとぼくらを一瞥した後、直ぐにティアへと優しい顔を向けた。


(シズク、ま……)


 そこでぼくは終わりを向かえた。


「……イ……あな……だけ……でも……」

「…………」


 レティの枯れた声を耳にし、ぼくはもう動くことは無かった。

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