第254話 お前たちは本当に勝手だ!

 安心してほしい。今、キミたちは同じ場所にいる。

 お互いの姿が見えないのは皆の意識を1つに集めているからさ。

 では、気を取り直した話を続けるよ。


 ここはシズクとメレティミの生まれ故郷。そして、これはキミたち2人が白い少女アレに望んでいた願いの先だ。

 ……シズク、君には1度見せたよね。


「もしかして、あの夢の中で君が見せてきたもの?」


 そうだよ。キミが機嫌をすこぶる悪くしたあの夢さ。

 思い出したかい? キミが不機嫌になった理由を……白い少女アレはここまで考えていなかっただろうね。

 どんなに元の生活を望もうとも、1度ズレてしまった意識のまま元の世界に戻ったところで、そのズレが直ることはない。

 キミたちがどんなに傷つき、惨めな思いをしたところで周りは助けてくれない。

 世界は何1つとして影響もないままに進んでいく。


「ここが……ランのいた世界か……」

「信じられない……こんな、こんな世界があるなんて」

「……あれは、魔道具という訳ではないんだな」


 フォロカミ、タルナ、ウリウリア。君たちが驚くの無理はないね。

 キミたちの世界にしたら600年は先を進んだ文明だ。

 ただ、キミたちの場合、魔力という異能が足枷になって600年程度ではここまでの発展は迎えることはできないだろう。


 さあ、1度見せたキミには酷かもしれないけど、ボクは見せるよ。

 この場にいる皆に、もしかしたら協力者になってくれるかもしれない人たちに――それがどういうことか……ちょっと移動するよ。

 場所はそこの2人が良く知るとある一軒家の一室だ。


「……どうしたんだ。あいつ……」

「なんだ。部屋の中がめちゃくちゃだ……怯えてるな」


 おや、ベレクトとキッカは彼のことが気になるようだね。紹介してもいいかい――ああ、助かるよ。

 キミが嫌だと言ってもボクは言わなきゃいけないんだ。なら聞くなって言わないでくれよ。

 彼はキミたちからシズクと呼ばれていた少年――そこにいる彼の本来の姿さ。

 酷いもんだろう。

 狭い部屋の中で1人蹲って、言葉にならない声を上げ続ける……。


 シズクだった頃の記憶を保持してこの世界に戻ってきたことで情緒不安定になってしまったんだ。

 彼の遠縁であろう誰かが部屋を叩く音が聞こえるかい? でも、彼はもう扉を開けることは出来ない。

 今は無数の喪失感と自分が今までしてしまった後悔に襲われて、心神喪失。全てを拒絶する以外に出来ないまま……。


「……僕は、僕はもう……決めたんだ。もう帰らないって、この世界で生きていくって……だから、だから……!」


 ああ、知っている。わかっているからこそ、もう1度この世界を見せたんだから。

 万が一にも気が変わって元の世界に戻りたいなんて思わないようにするための措置とでも思ってほしい。

 彼のことはこれ以上は何も言わないよ。この先ずっとこのままさ。


 さあ、次へ行こうか。狂った彼ばかり見ていても仕方がない。

 次へ行こう……なんて、もうこの急な移動にも慣れてきただろう。

 次は、“病院”と呼ばれる場所だ。

 その一室にボクたちは用がある……ほら、中で横たわる少女を見てごらん。

 ……わかるだろう。なあ、メレティミ?


「……あれ……もしかして、わたし……?」


 そうだよ。キミだよ。メレティミ。

 キミはこちらの世界に戻ってきた瞬間、今までの記憶が流れ込んだ影響で脳に酷い障害を抱えることになったんだ。

 そして、今ではベッドで意識の戻らない寝たきりの生活に入っている。


「なん……なんでよ! わたしだけ、なんで! シズクは、彼は大丈夫だったのに!?」


 それは彼がだったからさ。だけど、キミは違う。

 キミは1人じゃない。1人分じゃない。

 どういうことかって顔をしているね。それは今のキミの頭の中に本来は無い、キミの記憶とは別に、もう1人の記憶があるからだ。

 それがたった10年ほどの記憶だとしても、例え同じ血筋だとしても、自分とは違う他人の記憶が頭の中に存在する。

 これがいけなかったんだろうね……。


「……もしかして、ぼくの記憶? ぼくの記憶がレティにあったからって言うの!?」


 …………。


 ……彼女のことはこれ以上とやかく言うつもりはない。

 また、移動するよ。

 今度はすぐそばさ……別室にいる2人を紹介しよう。

 同じく意識のない男女の夫婦だ。


「……えっ……なん、で?」

「……どうして、どうして2人が!?」


 2人には直ぐにわかってもらえて嬉しいよ。そう、シズクの両親さ。

 あの衝突事故は元より、震災が無かった世界に戻ったとしても、キミたちが戻ってきたことでご両親は寝たきり生活だ。

 これがどういうことかわかる?


 ――2人とも、ってことさ。


 ……また、母親の母胎にいた彼らの子供もその過程で流産。

 息をすることも無く、股から流れ落ちてしまったよ。


「……待って」


 ああ、聞きたいでしょ。どうして、メレティミと同じなのかってことをさ。

 それは、ねえ……リコ。今が1番の機会ってやつじゃないの? ずっと打ち明けようとしていたじゃないか。

 お節介にもこんなにも絶好の場を与えてたと思うんだけど、どうかな?


「……リコは、こんな、こんなかなしいきもちで、なんて、いいたくなかった!」


 あ、そう。

 でも、言いたくなかっただけど、これで隠せなくなっちゃったよね。

 ほら、見てごらんよ。キミが王であることを含めて彼らは知りたがっているよ。

 キミがどんな秘密を隠しているか。どんなものを背負っているか。どんなものを包み込んでいるか。

 ほら、シズクたちは興味しん――。


「……やめろ。部外者だからと今まで黙って成り行きを見届けていたが、我慢ならん。お前がどれだけ偉いのかは知らんが、これ以上リコの話はするな!」

「お、お父様?」


 あ、そっか。イルノート。キミだけはリコのことを聞かされていたんだよね。

 ずっと黙ってたからすっかり忘れていたよ。

 ひゃはっ、丁度いい、お節介なボクはキミの肌の色がどうしてそんな色なのか……真実を教えてあげるよ。


「……真実、だと?」


 うん。

 聞きたい? 聞きたいでしょ? 聞きたくないって言っても教えてあげる。なんてことはない話さ。

 ――ただの先祖返りだよ。


「先祖、返り?」


 そう。元々、天人族の肌の色はキミと同じ色をしていたんだ。

 でも、彼らを駒として所有する白い少女アレの気紛れから、最初は褐色肌で作った天人族だったんだけど、ぽん、と次の世代では肌の色を真っ白にされちゃったんだ。だから、昔は逆に白い方が迫害されてたくらいなんだ。

 でも、魔族と呼ばれる3種族の繁殖力は低いでしょ? 殺し合いもして数は減っていくでしょ?

 いつしか数は逆転しちゃって元ともいた黒い方は減り、白い方が多くなって……最後には褐色肌が消えちゃったってだけ。

 そして、稀にキミみたいな初代の肌質で生まれてくるわけで……こんな世界じゃあ仲間と違うってだけで忌み嫌われても仕方ないって話だよ。

 珍しいってだけで親から、周りから見放されたキミのことを考えるとボクは泣けてくるよ。


「……馬鹿な。そんな話……信じられるか……」


 ひゃははっ、別にキミが信じようが信じまいがボクは構わないよ。

 そうだ。そうだね。キミは都合のいい方を信じるべきだ。その方がいい。

 だって、そうじゃないと今までに虐げられてきた日々は何だったんだって話だもんね――。


「……やっぱり、同じだ」


 ん、どうしたの? シズク。


「お前も白い少女と同じだって言ったんだ。人の感情の起伏を見て楽しむ最低なやつだ!」


 白い少女アレと同じに扱われるのは癪だけど、否定はしないよ。

 こういうゲームを続けていると兎に角自分が楽しいことを優先させてしまいがちなんだ。

 だから、辛い!


「……ねえ、私は? 私は、どこにいるの?」


 ああ、セリス。キミか。

 キミは別にこの世界に戻ってきてないよ。

 だって、これは2人が望んだ世界だから。2人が望んだ、元の世界に戻るという願いの先の世界だから。

 その時に出会っていないセリスはこの世界には組み込まれていないんだ。


「そ、そうなのね……」


 ああ、安心して欲しい。キミはボクが気紛れに拾っただけだよ。

 言っただろ。ボクはもう飽き飽きしていたんだって。連れてくる人間なんて別に誰だってよかったんだ。

 瓦礫に押し潰されて死んだメレティミを拾い上げる以前に、震災に見舞われるよりも前に、誰でもいいからって気分で物色しているところで憂鬱そうに町を歩いている周りの人種とは違う、異邦人であったキミを見つけて声を掛けただけのことだ。

 あ……ちなみに、キミは何かに誘われるようにあの町に来た、とか思ってただろうけど、特にボクらが何かをしたって訳じゃないよ。

 キミは偶然あの町を訪れ、偶然遭遇した奇跡に足をひっかけられただけだ。

 感謝される覚えはあっても恨まれる覚えはない――ねえ、そうだろ。

 この世界に来て、君は成功を掴んだ。

 以前とは違った賛辞の中にいるキミも帰りたいって思うのかい。


「そ、そりゃあ……戻りたいって思ったこともあったけど……」


 ああ、そうだろうね。キミはそこまで戻りたいと思うことは無いはずだ。

 例え模倣による偽りの栄光だとしても、富も名声も得られた今と何も得ることは出来ずに後悔で終わった惨めな過去、どっちがいいの?


「……だ、だから、私は別に戻りたいなんて……」


 そう。隠さなくていい。キミの気持ちはボクには筒抜けだ。

 別に心が透けて見てるわけじゃないよ。

 キミみたいなやつはこの星、この次元に限らず、今までのゲームの中で何万人と見てきたってだけさ。

 キミはボクが持つ無数の、世界に多少の影響を与えるだけのまったくと興味を引かない無価値の駒でいてくれよ。

 キミは自由に好きに生きていい。ボクはキミが何をしようが構わない。

 だから、余計な口を挟むなってね。


「……」


 ……さあ、ちょっとだけセリスと話し込んじゃったけど、ボクが見せたかったものはすべて見せた。


 シズクにメレティミ、そして、シズクの両親である2人……ボクがキミたちを連れてきた理由、これらを含め、ゲームについての説明はこの辺で十分だろう?

 おまけに元の世界に戻りたいなんて思わないでほしいことをメレティミにも伝えられて、ボクは満足だ。


 だから、そろそろ最後の締めに入ろうと思う。

 ボクがどうしてキミたちに会いに来たか。それは、今までの流れからは考えられないほどに短い報告だ。

 一語一句聞き逃さないで聞いてほしい。






 そう、また視界は真っ白に覆われ、直ぐに自身の身体を感じ取った。

 ぎゅっと目を瞑ってから開けると、そこは先ほどまでいたラゴンの墓の前だ。

 皆も同じ様にこの場所に立っている。呆然と、元の世界に戻ってきたことにほっと安堵しているようにも見えた。

 でも、僕は胸を撫で下ろしてなんていられない。

 まだここには白い青年が立っているんだから。


「実は……今回のゲームの“親”であるプレイヤーが行方不明になったんだ」

「……行方不明?」

「そう。いなくなった……って言うのとはちょっと違うんだ。彼女を感じられなくなった、って言うのが正解かもしれない」


 どういうことだ。

 聞き返そうとしても白い青年は先に口を開いてしまう。


「それから、シズク、メレティミ……これは黙っていようと思っていたんだけど、親が行方不明という前代未聞の状況だからね。だから言うことにした」

「何、を?」

「実は、キミたちの駒の所有者である白い少女も同じく行方不明なんだ」

「はあ?」

「夢の中で言ったでしょ? 今のキミはいったい誰の持ち駒なんだろうね、ってさ。いなくなったことを知ったのはボクもキミたちがルイを求めてユッグジールの里に着いたあたりなんだ。まあ、大体どこでいなくなったのかの予想はついてるけど……」


 じゃあ、どこなんだと訊き返したところで、これには首を振って黙秘。

 口だけを歪ませたにっこり顔で僕を見つめてきた。


「……こんなところかな。最後にもう1度言うけど、キミたちが勝っても元の世界に戻ろうなんて思わないでほしいってこと……いや、キミに勝ってほしいんだよ。勝って欲しいけど、願わないでほしいってことかな」

「……まさか、それだけを伝えるためにあんな真似をしたの?」

「あんな真似? この星が遊戯盤になるところ? キミの願いの果て? どっちかな? 全部キミたちの説明のためだよ。キミが戦う理由も含めてみんなに知ってもらいたいじゃないか」

「別に最後のところはいらなかった! 少なくともあの夢の中でのことはレティには知って欲しくなかった!」

「ひゃはははっ、そうかい。でも、もう終わったことだから勘弁してよ。ね? ね?」

「本当に勝手だ……お前たちは本当に勝手だ!」


 このまま感情に任せて白い青年を思いっきり殴り飛ばしたい気持ちでいっぱいになった。

 でも、僕がしたことは自分の奥歯をぐっと噛みしめることだけだ。


「じゃあね。キミたちの健闘を祈る――なんちゃって!」


 と、最後までふざけたまま……すっと、白い青年は消えてしまった。

 煙の1つも、痕跡すらないままに彼は消えた。

 今まで白昼夢を見ていたと言われた方が信じられる。

 でも、これがいつもの夢じゃないことは周りの皆の顔を見れば明白だ。

 どっと疲れた。このまま横になって一休みしたい気分……だけど、僕にはしなきゃいけないことが残ってる。


「シズク……」

「……シズク」


 両隣にいたレティとルイが心配そうな顔をして見つめてくる。

 でも、僕がしなきゃいけないことなんて1つだけだ。


「……リコ、話してくれる?」

「……シズク」

「シズク、ちょっと待ってくれ」

「イルノート?」


 ずっと俯いたままだったリコに問いかけたところで、そこをイルノートが止めに入った。珍しく自分からリコを抱きかかえて、僕から隠すように背を向けて庇うなんてことまでする。

 けど、僕は聞かなきゃいけないんだ。

 リコが白い青年のお気に入りの駒、王であること。

 そして、あの病室で横になっていた2人との関係を……。


「――いや、もういいんだ。イルノートくん。今まで黙っててくれてありがとう」

「ですが……」

「ええ、いいの。元々、夫とも話し合って決めたんです。彼に真実を打ち明けようと……」

「いいんですか? ですが、それではおふたりの今までの苦労が……」


 ……突然、リコの口調が変わった。

 いつもの舌っ足らずな幼い話し方ではなく、重みのあるというか諭す様なってか、はきはきとしたもの。しかもイルノートまで丁寧な口調でリコに話し掛けている。

 イルノートは抱きかかえていたリコを地面に降ろし、自分の足で立ったリコはいつもとは違った真剣な顔をして僕を見上げた。


「……リコ」


 呼びかけるとリコはこちらに背を向けて、いつもの歩幅でトテトテと数歩、僕から離れて立ち止る。

 そして、振り返って悲しそうに笑ったところで――ぼっ、と聞き慣れた音が上がった。目の前には音と同じく見慣れたものが出現した。

 ああ、知っている。だって、その姿は最近は見なくなった真っ白なワンピースを身に纏った大人のリコと、赤いたてがみをふさふさに生やしたクレストライオンになったリコがいるんだから。

 けど、いつもと違う。初めて見る光景が広がる。

 そこには2人のリコと1匹のリコが同時に存在しているのだから……。


「……おかあさん、おとうさん」


 と、リコが生み出した分身に抱き付いて奇妙なことを言う。


「……おふたりとも、お久しぶりです」

「はい、イルノートさん。お久しぶりです」

「こんな形での再会はしたくはなかったよ。イルノートくん」


 続くように今度はイルノートが丁寧な言葉と共にリコへと会釈をする。


(どういうこと……待って。待ってくれ。あの大人リコと獅子リコには別人格があるのか)


 申し訳なさそうな顔をしたイルノートが僕を見て、視線を逸らす。

 僕はなんでイルノートがそんな顔をするのか理解できなかった。

 理解できないから教えてもらおうとリコを見た。

 2人と1匹のうち、子供のリコだけが悲しそうな顔をして僕を見た。

 そして、子供のリコが……1人と1匹を代表するかのように声を上げた。


「……シズク、リコね。ずっとまえからいいたかったことがね、あるの」

「……う、うん。なに?」


 それはウリウリアさんがこの町に到着する直前に振られた話の続きと同じだ。

 リコは、大人リコに抱き付きながら、恥ずかしそうに、それでいて悲しそうな顔をして僕を見る。

 そして、リコは今まで僕らに黙っていた秘密を打ち明けてくれた――。


「リコね。リコもね。もね。シズクとメレティミとおなじ、べつのせかいからきたんだ」

「は? はあ?」


 な、えっと、どういう、だって……リコは元々野性のクレストライオンの子供で、だって……いや、はぁ?

 何を言っているのかさっぱり理解できない。今まで赤子と言っていいほどに幼い猫の頃から知ってるリコが、僕たちと同じ生まれ変わりだって?

 じゃあ、人から魔物に生まれ変わったってことなのか……って……。

 大人リコが、囁くような声を上げた――。


「……本当は、ずっと隠しておくつもりだった。いつか私たちの意識はリコのために消さないといけないから。……また、同じ悲しい思いをあなたにさせたくないと思って……」

「……おかあ、さん」

「は、リコ何言って?」


 続いて、獅子リコの大きな口を開けつつも、囁くようにそれでいて流暢にしゃべりだした。


「……2人をどちらの籍に入れるかでお互いの父親が口論したって言っていたけど、あれ、実は彼女の父親が勝手に、婿に迎えるって言いだしたことが始まりなんだ」

「あ、あなた! 今言う話じゃないでしょ! もっと大事な……本当に、素直じゃないんだから!」

「……僕は2人の好きにさせてやれって言ったんだけど、それが気に食わなかったらしくてね。まあ、仕舞いには僕も引けなくてついには……その、メレティミを嫁に迎えるなんてエキサイトしちゃったんだけどね」

「おとう、さん……」


 へ……何の話をしているの。

 何その話って、それは……は?


「それって、この世界に戻ってくる時に僕の中にある心象世界ってところでした話で……知って、え? これ、確かにリコはいたけど……なんで」

「シ、シズク……わたし、信じられないんだけど、もし、もしかしてさ……」


 隣にいたレティが僕の袖を掴んで引いてくる。

 レティが何を言いたいかは何となく、いや、違う。逃避するかのように僕は真逆に、ルイへと顔を向けた。

 ルイは呆然としていて、何が起こっているのかもわかっていない様子……いや、そうじゃない。


「ぼく、その話知ってる……小さい頃のレティのお父さんとシズクのお父さんが酔っぱらいながら言い争っていた話だ。ぼく、それ……知ってる。レティの記憶で知ってる……」


 ……そうじゃない。

 そうじゃない。


「そう、じゃ、ない……!」


 無意識に震える唇が震えだす。聞きたいのに、思うように言葉が紡げない。

 それでも、僕は……。


「……か、母さ、ん? 父、さん、なの?」

「……嘘、よ……おじさん、おばさんなの?」


 僕とレティの戸惑いがちな問いに、2人は答えてくれなかった。

 大人リコは辛そうに笑って、獅子リコはぷいっと横を向いて、2人の間に挟まれたリコだけが変わらず悲しそうな顔をしていて……。


「……そうだ。おふたりはシズク、お前のご両親だ」


 と、どうしてか、イルノートが代わりに教えてくれる。


「……え、何? シズクのお父さんお母さん? リコが?」


 そして、イルノートの代返に反応を見せたのは、僕でもレティでもなくルイだった。





 1匹と1人は僕の父と母だと言う。


「……本当に、父さんなの? 母さんなの?」


 心が揺さぶられ、僕の胸の無いはずの心臓が――コアが激しく鼓動する。

 聞きたいことが沢山ある。何を聞いたらいいかわからないほどたくさんある。

 大人のリコは……母さんは胸に抱いたリコを降ろして、ゆっくりと両手を広げて深く頷いた。

 広げた両手は震えていた。


「……名前、がね。出てこないの。あんなにも数えきれないほどに呼んだ、大切な、あなたの名前が、私、私……呼んであげたいのに、出てこない……!」

「かあ、母さん……!」


 僕は震える唇で母さんと呼び……向けられた腕の中へと飛び込んでいた。

 ほとんど無意識に、自分へと掲げられた腕の中に僕は迷うことなく飛び込めた。

 ぎゅっと背中に回される細い両腕。リコの身体に宿った熱い体温。

 香る臭いから何もかも、どれも記憶の中にある母とは結び付かない。

 だけど、彼女に抱きしめられた途端、これが自分を生まれた時から愛してくれていた母親のものだということを直ぐに理解した。

 

「……あんなにも付けるのに悩んだ名前だっていうのは覚えているんだ。なのに、僕の口からはお前の名前が出てこない。呼んでやれなくて、ごめん」


 父は僕の腰に優しく鼻をこすりつけてきた。

 だから、僕も直ぐにしゃがんで人ではない姿をした父を、赤いたてがみを巻き込むようにその太い首を抱きしめた。

 わかる。これが父さんだ。今の僕には触れただけで2人のことが理解できる。


「……シズクでいい。今の僕はシズクなんだ。父さん、母さん……僕こそ、ごめ、ごめんね……。折角2人から貰った、名前なのに、覚えて、なぐっ……でっ……ぐすっ……」

「いいよ。仕方ない……おいおい、男なんだから、そんな簡単に泣くもんじゃないだろう」

「だっで、だっで……!」


 こんなもの我慢できるはずもない。

 死んだと思っていた2人ともまた再会できたんだよ。

 例え、男らしくないって言われても、今だけは僕は自分に素直になることにした。

 だから、だから……今の僕が出来ることなんて、父であるこの白い獅子の身体を精一杯強く抱きしめるだけだ。


「ほら、メレティミ……いえ、レティちゃんもおいで……」

「おば、さん……おばさんっ! 会いたかったっ……わたし、ずっと2人のこと、死ん、死んでから……ずっと……!」

「……ありがとう。レティちゃんにそれだけ思われてたって私は嬉し……ぐすっ、やだっ、泣かないって決めて、たのに……」

 

 ……きっと、目を瞑ったおかげだろう。

 僕と同じ顔をした母と、元のリコと同じ姿をした父。

 姿形は変わっても瞑った目の奥には昔の2人のままの姿が直ぐに浮かぶ。


 ――閉じた視界の中で、僕は元の姿の両親といつまでも抱擁を交わし続けた。

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