第241話 君がベニーの代わりに来てくれた子だね
「ひぃ――寒っ……エストリズの冬って本当に寒い……」
からっとした冬空の下、朝の空気に悲鳴を上げた。
コートの上から腕を擦りつつ直ぐに服の中へと暖気を送り込み、ぐるぐるに巻いたマフラーに顔を埋めて深いため息をつく。
身体が馴染むまで耐えるしかない。わたしはとぼとぼ歩き始めた。
「はあ……億劫だ」
貴族様はいったいわたしに何をやらせるのやら……。
仕事は大ざっぱにお茶組みだけだと聞いてはいるが、それだけで終わるはずはないだろう。
途中で気が重くなり、路肩に降りた霜をザクザクと踏んで気を紛らわせてみる。
ザクザク……霜の硬い感触がブーツの底から伝わってくる。これで天気が雨だったならきっと雪になっていてもおかしくない寒さだ。
ザクザク……ザクザク……。「あら……楽しいわね」と、ついつい霜踏みをやめられなくなったり、地面から引っぺがしたり、投げつけて割ってみたり――ふと「わたし何してんの?」と我に返ってみたり。
そんな道草を食いながら重い足を前へ前へと運んでいくと、依頼先に到着してしまった。
「あーあ、着いちゃった……」
わたしは門扉の前で愚痴るようにつぶやき、その屋敷を見渡してはむぅと小さく唸った。
貴族という人は大層ご立派な豪邸に住むものだと勝手に思っていた。だが、この町の領主が住むお屋敷にしてはなんだかこじんまりとしている。
立派な鉄柵に覆われた洋館だけど、この町に佇む民家の3倍、4倍くらいの大きさだ。屋敷に比べて庭は広く、敷地面積も含めたらさらに3倍くらいはあるけど、領主が住むにはなんだか小さいなぁって思ってしまう。
これも2か月程前に訪問し、ルイの記憶からではなく実際にこの目で見たグラフェイン家の豪邸の影響もあるのだろう。
柵越しだとは言え、左右に翼を広げたグラフェイン家の豪邸と比べてしまえば目の前の屋敷は普通のお金持ちの家くらいにしか思えなかった。
(……さらに言えば、わたしの屋敷よりも小さいかもしれない)
まあ、ここまで来てしまったら今さら後には引けないし、もともと自分でも面倒な性格だってことも重々承知している。後、思い込みの酷さも我ながら目を覆いたくなる。これらの欠点は多分死ななきゃ直らないんだろうなぁと思う。あ、1度死んでたわ。
つまり、わたしは違約金の有無に関わらず、引き受けてしまった依頼を今さら無しにするなんて真似は自分の性格からして出来ないってことだ。逃げたみたいでカッコ悪い。
(でも、そう……寒いからよ?)
震える身体を落ち着かせるためにぎゅっと右手で左手を包み込んで勇気を分けてもらう。
大切な人から貰った約束の指輪をそっと指の腹でなぞり、ぐーっと奥歯を噛みしめて「よしっ!」と意気込んだ。
「じゃあ、行くかぁ! って、はぁ……もう着いてるのね……」
カーシャには「直接お屋敷の方に来てください!」と言われていた。
そして、到着したら門番に自分の名前を口にすれば通してくれるとカーシャは言っていたが、門番らしき人はどこにいるのやら。
あるとしたら門番代わりと言わんばかりに置かれた緑青色の銅像くらいだ。
いぶし銀の軽鎧に身を包み、同色の槍を胸に抱いた大きなトカゲ男――竜人の像が壁に寄りかかっているように置かれている。
もしや、この青銅の像は魔道具でインターフォンみたいに声をかけると反応するとか? ……まさかね。
(……まったく、門番なんて一体どこにいるのよ)
たまたまトイレとかの所用で席を外しているだけなら良いが、そのわずかな待ち時間ですら今のわたしには煩わしい。
渋々と依頼を受けることにしたけど、胸の大きな美人を募集要項に入れる怪しい依頼なんてやっぱり気味が悪い。
じゃあ、最初っから心を鬼にして断ればよかったじゃないって話になる。
でも、そうしたら今度はシズクとルイのどっちか(……まあ、シズクは無いとしても)が受けるだろうなぁって思ったから仕方なくわたしが受けるしかなかった。
シズクはともかく、ルイは考え無しなところがあるからあっさり2つ返事で引き受けてもおかしくない。
(……たとえ1日限定だとしてもわたしは奴隷の時の仕事を2人にはさせたくないのよ)
メイドとして働いていた時の2人のことはルイの記憶と
(あ――王都グランフォーユまであと少しってところなのに失敗した……)
グランフォーユはここから馬車で半日で到着する距離だとは前々から聞いてたから、1晩だけの滞在にして直ぐに向かえばよかったんじゃないかしら。
そりゃあ2日の野宿は身体に響いてるし、冬の夜の厳しさに寝不足気味だったこともあったけど……。
「……でも、報酬はいいのよね」
そうだ、今回の報酬は3リット銀貨。リット銅貨にしたら300枚分だ……10リット銅貨なら30枚だけど。いや、30枚だろうが大金だ。
前はスライム掃除なんて偶然にもいい感じのイベントに参加して、尚且つ大当たりを引いて莫大な報酬を貰えてラッキーなこともあったけど、あれが異常過ぎただけで高収入の依頼なんてのは極めて稀だ。
そもそも、銀貨を貰える依頼なんて魔物討伐くらいだし、銀貨クラスってことはかなりの凶暴な魔物を相手にすることになるし、そもそもそんな討伐の依頼自体は滅多に貼られることはない。
平均的な報酬額は30~50リット銅貨ってところだろうか。町の規模が大きければ報酬の額は高くなるが、その分、その町の物価が高くなってるから相殺されたりもする。
貯蓄も無いわけじゃないけど、わたしたちの所持金をかき集めても大体10リット銀貨ってところだろう。
今いるエストリズ大陸に渡った時にはこの季節に向けて色々と衣服や毛布なんかも書い足したりもしたりで色々と出費がかさんだりもしているしね。
(ああ、あの金色の輝きをもう1度手にしたい……)
将来のことを考えたら4人で住む家も欲しいとは思うけど……わたしの、お母様の屋敷に住み続けるのもありかなぁと甘えた考えも浮かぶようになってきている。
(でも、プロポーズの件といい、シズク的には自分の家を持ちたいとか言い出すのかな。あいつは妙に男らしいとかそういうところに強いこだわりを持ってるしねぇ)
これもシズクと言う人生の半分くらいを女装に費やした影響かもしれない。
「……そうだ。報酬の為にがんばれ、わたし!」
カーシャでも門番でも早く来てくれと祈りつつ、わたしは鉄柵越しに敷地内を見渡してみたものの誰も見当たらない。屋敷の方からは物音が聞こえるので人はいるのだろう。
物音のする屋敷から目を移し、冬季でも綺麗に整えられた庭を挟んで向かい合うように離れた所に2戸、物置や小屋というには大きな建物が並んで建っている。離れだろうか。
「どうしよう。呼びかけてみる?」
ここで大声でも上げて中にいる人に呼んでもよかったけど、「カーシャちゃーん、あっそびましょー」みたいな幼稚な掛け声が1番に思いついて首を振った。
普通に「依頼を受けてきたメレティミでーす!」くらいでいいじゃないの。いや「でーす!」もないか。
勝手に入って侵入者扱いされるのも嫌だし、さっさと門番さんが戻ってきてくれると本当に助かる。
「うーん。仕方ない、待つかぁ――ん?」
門扉の前で腕を組みながら唸り、ちらりと横目で門の前に立ち尽くす立派な銅像を見た。
恐る恐ると近寄って、自分よりも頭2つ分は背の高いトカゲ男もとい竜人の像を前にぼつりと言葉を漏らした。
「……良く出来てるわね」
銅像だとしても、こうして竜人を間近で眺めたのは初めてかも。
なで肩気味の竜人の像はスマートで、手も普通の人と同じくらいに長く、身体を流動的に覆う鱗は1枚1枚細部まで彫り込まれている。
雨とかで表面が剥げたのか青みの強い緑青色の本体とは違い、いぶし銀の鎧はぴったりと身体に装着されていて、槍も隙間なくぐっと力強く握り込まれている。
多少造形物をかじった程度の素人目からしてもこの像の制作者は中々の腕前に見える。
いつ動き出しても不思議じゃないってくらいの迫力を備えていて、お尻から生えた力強そうな尻尾なんて今まさにひょこひょこと左右に振られて――……え?
「わぁっ!?」
わたしの悲鳴に合わせるようにビタンっ、と青銅の尻尾が地面を強く叩いた。
またしても、わわぁっ!? と叫んでしまう。
「い、生きてるの!?」
「……さっきからウロウロ……うちに何か用でもあるのか?」
「しゃべったっ!?」
「……ちっ」
青銅だと思っていたトカゲ男――失礼、竜人の男はわたしのびっくり反応に気を悪くしたのか、ぴくりと眉間にしわを寄せ舌打ちをする。
そして、おもむろに竜人の男は寄りかかっていた壁から離れ、屋敷の門を背に隠すみたいに立ち尽くした。
「あ……も、もしかして、門番さん?」
「……そうだけど、なに?」
わたしが尋ねると門番と言った竜人がギロリと睨みつけてきた。
眠たそうに何度も目を瞬かせ、尻尾をひょこひょことと左右に振り、細く長い舌をひくひくと動かす。おまけに小さく口を上下させ変な音を鳴らして噛みしめる……欠伸かな?
気を抜いたのはその欠伸だけで、門番の竜人は怪しげに上から下と視線を動かしてわたしを眺めた後、手に持った槍を握り直す。どうやらわたしを不審者かどうかと疑っているようだった。
「あ、あのっ、わたしは本日冒険者ギルドより――いっ!」
先に誤解を解こうと口を開いたが、彼(?)の目がぎょっと見開かれたことから、ついついびくり。
彼は驚くわたしを凝視しながら口を開いた。
「ん……お前、まさかル――」
ん? まさかる?
る、の後の言葉はなく、竜人はかぶりを振って手に持った槍の石突で地面に軽く叩いた。
「そんなはずないか……まったく、用が無いならさっさとどこかに行けよ。今日は奥様の大切なお客様が来るんだ。お前みたいな不審なやつが屋敷の周りをちょろちょろされると迷惑なんだよ」
「あ、はい…………――はっ、じゃなくて! 用があるからきたんです!」
「……そうなの? じゃあ、何?」
「ええっと、じゃあもう1度、わたしは本日冒険者ギルドより依頼を受けてきた者です。カーシャ……いえ、カシャカを呼んでもらえますか?」
なんだか見た目と違って言葉遣いから幼さを感じる人だなぁ。
竜人の年齢は見た目からは判断できないから、もしかしたら驚くほど若いのかもしれない。
でも、どうにか門番とも話が出来たことだしよしとするか……あれ?
「カシャカ? えっと……誰?」
「……へ?」
◎
竜人の門番は首をかしげるとカーシャを知らないとばかりにわたしに聞き返してきた。
どういうこと? カーシャを知らない?
じゃあ、もしかして騙された――。
「もぉ、ハック先輩酷いですねぇ! 私、ここに来てから半年は経ってるんですよ! 名前くらいそろそろ覚えてくださいよ!」
「あ! カーシャ!」
「ん? なんだ、お前のことか」
青色の竜人で隠れていた門扉の隙間から手を振るカーシャがそんな声を上げた。
(ああ、よかった。別に騙されたわけじゃなかったのね)
この時ばかりはカーシャの登場に少なからずわたしは喜んだわ。だって、あと少しカーシャの登場が遅れていたらわたしはこの竜人と一悶着起こしかけていただろう。
ハック先輩と呼ばれた竜人はカーシャへと首を向けつつ、小さく唸りながら口を開いた。
「俺はここから出ていくって言ってるでしょ……顔だけでも覚えてやったんだから、それを感謝しろよ」
「はい! ではありがたいハック先輩! おはようございます! 警備お疲れ様です!」
ぴしと背筋を伸ばして門を挟んで敬礼のようなポーズを取るカーシャは「その人は先輩の代わりに来て下さった人です。安心してください!」と門を開けるよう促し、竜人はわたしとカーシャへと視線を怪しげに何度か移しつつもどうにか納得してもらえたようだ。
その後、竜人は門扉を開けてくれて、外に出たカーシャは改めてとわたしにお辞儀をすると、彼の紹介もしてくれた。
「こちら、門番さんのハックさんです! で、こちらが今回先輩の代わりに働いてもらうことになったメレティミ、ふ、ふる……?」
カーシャは首をかしげてフル……フル……と唸りだした。
思い出そうと必死になりつつも直ぐに諦めたらしく「えへへ、お名前なんでしたっけ」なんて照れ臭そうに笑う。
まったく、名前を覚えてほしいなんて人のこと言えないじゃない。仕方ないわね。
「メレティミ・フルオリフィアよ。今日1日だけどよろしくね。ハックさん」
ぺこりと小さく一礼をし、顔を上げたところでハックさんとやらは驚いたような顔をしてわたしを見ていた。
「……メレティミ……フルオリフィア?」
「はい?」
ぺこりと頭を小さく下げるとハックさんはわたしを見て、直ぐに顔を逸らし――もう1度、不思議がるように目を向けてくる。
カーシャといい、この竜人といい、家名持ちが珍しいっていうのはわかるけど、ここまで驚かれるのも珍しい。
(今までは自分の名前を言っても驚いたり聞き返してくる人の方が少なかったんだけどね……)
いや、もしかして貴族に仕えているからこそ、家名のある人には礼儀正しくといったマナーを叩き込まれたりするのだろうか。
「別に家名があるからって偉いわけじゃないので気にしないでください」
「……いや、そういうわけじゃないけど……そうだよな。いるわけないよなぁ」
ハックさんは鼻先を指で掻き、何やら最後の方でぶつくさと呟いていた。
いるわけないってどういうことだろう。けれど、そんな疑問はその場限りのことだ。
ハックと呼ばれた竜人はまた壁に寄りかかると、槍を胸に抱いて目を瞑り、またも銅像に戻っていた。
なんだか不愛想なやつ。まるでルイの記憶の中にいるイルノートお父様を見てるみたいだ。
竜人なんてユッグジールの里にいた翼の生えたあの子(顔見知り程度だけど)くらいしか知らないけど、物静かな種族なのかもね。
あと、この寒い中で金属の鎧なんて着て大丈夫? 寒くて冬眠とかもないの? そこは竜人だからってことでいいのかしら……うーん?
「もぉ、メレティミさん! 来るの早いですよ! 私が来なかったら今頃ハックさんに捕まってましたよー! あの人、今までたっくさんの不審者や泥棒をバッタバッタと倒してはお縄にしてきたんですからね!」
「ん? ……んなこと言われてもねえ。というか、あん……あなたがもっと早くここで待っていてくれたらよかっただけじゃない?」
「えー、そんなの無理ですよー! 今だって旦那様のお着替えとかお食事とか色々お仕事に追われてたんですから! もー、先輩がいないからから大変で大変で!」
「あっそ。朝からお疲れ様。で、仕事が一段落ついたからわたしを迎えに来てくれたってことでいいのかしら?」
「は? 何言ってるんですか? わたしがここに来たのはお客様のお迎えですよ――……あ、ほら、きました」
と、カーシャが示す先から砂利道を蹴る蹄と車輪の音が聞こえてきた。
音のする方へと顔を向けると真っ白な箱馬車がゆっくりとした速度でこちらへと向かってきている。カーシャはそこを退いてとわたしを脇に追いやる。
続くように竜人のハックも壁から離れてカーシャと共に並びだした。
馬車は屋敷の前で静かに停まった。
停まるのと同時に暖かそうな防寒着に身を包んだ若い御者が軽やかに前から飛び降り、すぐさま箱馬車の扉を開け、中からは蹴伸びをしながら1人の青年が降りてくる。
竜人のハックは背筋を伸ばして青年へと敬礼をするかのように腕を組み、カーシャも両手を前で組んでぺこりと頭を下げだした。
わたしは、まあ……ポカンとしながら立ち尽くすだけだった。
(お客様って言ってたから、つまり、今日わたしが相手をする人はこの人ってこと?)
話では女の人だって聞いてたんだけど、まあ清々しい好青年に見える。
へんな油の浮いたおっさんじゃないだけましか――とりあえず、この場は黙って成り行きを見届けることにした。
「やあ、ハックくん、カーシャちゃん。お出迎えご苦労様」
「いらっしゃいませ。レノ様。……ええっと、すみません。間もなく旦那様の準備が終わると思いますので、それまで中でお待ちになって貰えますか」
「……やっぱりね。いや、大丈夫。きっと遅れると思ったんだ。俺はここで待ってるよ」
申し訳なさそうにぎこちなく笑うカーシャと、こうなることはわかっていたという口ぶりでレノと呼ばれた青年は苦笑する。
「おっ……お待たせ、しました……」
と、今度は苦しそうな声を上げながら1人の女性が大きなカバンを両手で持って門の中から姿を見せた。
茶色の外套を上に羽織っているが、彼女もまたカーシャと同じメイド服を着ているのでここのメイドさんの1人だろう。
しかし、カーシャよりもずいぶんと年上の方らしい。らしいっていうのも口元に小さな皺が浮かんでいるというだけだけどね。
カーシャが10代前半くらいだとして、この人は30過ぎってところかな。
「レノ、様。はぁ……間もなく、主様も出発できます」
「どうもマーユさん。……ささ、彼女の荷物を受け取ってあげて」
そうレノという青年の命を受け、先ほど扉を開けさせた御者の男がマーユと呼ばれた女性のカバンを片手で掴み上げ、馬車の中へと運んでいく。
その女性も大きく一呼吸置いてからわたしに気が付き、そこでお互いに挨拶を交わした。
「ふぅ……もしかしてあなたが今日来てくれた人?」
「はい。ギルドより依頼を受けてきたメレティミ・フルオリフィアです。よろしくお願いします」
「この屋敷で給仕長をしているマーユよ。よろしく……天人族の方なのね?」
「はい。ゲイルホリーペから来ました」
「へえ……女の子の冒険者なんて珍しいわね。しかも天人族の……私も10年以上前に天人族の女の子と知り合ったことがあるわ」
「そうなんですか?」
「もうほとんど覚えてないけど、あなたと同じ青髪のとても可愛い子で将来はきっと美人になるなぁって感じの子だったわ。確か今はあなたと同じゲイル――……いえ、今する話でもないか」
最後の方は何やら言いたくないようにマーユさんは濁らしていた。
何を言いたかったのかわからないけど、マーユさんはじーっと私を見つめてきて「……まさかね」と口にして、
「今日はカーシャと2人っきりで大変だろうけど、お客様たちのお相手頑張ってね」
と、肩を叩かれて励まされた。
はい、お任せください……ん、待て。
お客様たち? たちってなんだ。聞いてないぞ。
しかも、2人っきりってなんだ?
「お客様って1人じゃないんですか? それにわたしとこの子の2人だけって……この屋敷にはわたしたちしかいないってこと?」
「お客様は3人だけど……待って。私はこれからご主人様の付き添いで王都に向かうので、カーシャ1人じゃお屋敷仕事は任せられないからって、だから手伝いの募集をしたんだけど……もしかして、この話も伝わってない?」
3人? ああ、やっぱり今来たこの人はわたしが相手をするお客様じゃないのね。
わたしは首を横に振って答えた。
「……わたしはお客様の相手をするだけだとしか」
何もしなくてもいい、あたりの話はややっこしくなりそうだったので言わないでおこう。
マーユさんは目を丸めていた。
「はぁ……ちょっと、カーシャ? メレティミさんにしっかり説明したの?」
棘を含んだ口調で尋ねるマーユさんと共にどういうことだとカーシャへと顔を向けると、彼女は自信満々に胸を張って答えた。
「はい、それはもちろん! お客様のお相手をしてください! すると言ってもお茶や菓子を出すだけです! と伝えました。間違ってましたか?」
「……全然言葉が足りてないじゃない! この屋敷を1日ないし2日間任せられる人を選びなさいって、しっかりと説明しなさいって伝えたわよね!」
またまた初耳だ。
「待って、わたしは1日だけだって聞いたけど……どういうことかしら、カーシャ?」
「1日っ……カーシャっ!?」
「あ、あのですね。それは……あ、あははは……あ、旦那様!」
マーユさんとカーシャへと凄んでみるが、彼女は空笑いを浮かべつつ、不意に声を上げて門の中へと小走りで行ってしまう。
「待ちなさい、カーシャ!」とマーユさんが怒鳴りつけたが、カーシャは屋敷から出てきた男性に駆け寄るところを見て、呆れるようなため息をついた。
「……いやぁすまないすまない。妻と別れを惜しんでいたらこんな時間だよ」
マーユさんと同い年くらいか、それよりもやや年上って感じかな。
申し訳なさそうに笑った男性がわたしたちへと片手を上げて歩いてきた。
「カシャカ。僕たちが留守中のことは任せたよ」
「はい! 旦那様! 奥様と屋敷のことはこのカーシャにお任せください!」
と、カーシャはその男性を旦那様と呼びつつ、甘えるように腕に抱きついていた。
カーシャの言動やマーユさんの様子からしてこの人がこの屋敷の主であり、領主様ってことだろうか。
「早めに帰ってこようと頑張るけど、それまで……おや、君がベニーの代わりに来てくれた子だね」
「あ、はい。メレティミ・フルオリフィアです。よろしくお願いします」
わたしは粗相のないようぺこりと頭を下げた。これくらいの愛想は見せないとね。
「メレティミ・フルオリフィア?」
「あ、えーっと――」
「旦那様! メレティミさんは家名持ちでもけど、別に偉くもなんともないので気にしないでということです!」
「――……確かにそうは言ったけど、人に言われるとなんだかシャクね」
自分のことのように誇らしげに口にするカーシャに若干イラっとしながらも、わたしは再度よろしくお願いしますと頭を下げる。
しかし、顔を上げた先には眉をひそめて何やら考え込む領主様の顔があった。
「あ、いや、どこかで聞いた名前だと思ってね」
「聞いた? わたしの名をですか?」
「うん。どこだっけなぁ、メレティミ・フルオリフィア……フルオリフィアね」
「……は、はぁ」
え、わたし別に名前を覚えられることなんかしたっけな。
特別なことをした覚えはないけど、これで悪評だったらいやだなぁと自分からはそれ以上聞かないことにする。
その場でフルオリフィアの名を何度か呟きながら立ち止って旦那様は首をかしげ続けたけど、マーユさんが近寄り、耳元に手を添えながら「ご主人様、そろそろ」と囁き「あ、うん」と頷いた。
歯痒そうな顔を見せつつも、領主様はわたしを含めて皆へと軽く手を上げた。
「うん、じゃあみんな留守をよろしくね」
「行ってらっしゃいませー!」
「あ、いってらっしゃい、ませ?」
カーシャにつられるようにして深々と頭を下げて、もう仕事が始まったのかと旦那様のお見送りをすることになった。
旦那様は馬車の前で待っていたレノという男に申し訳なさそうに声を掛けて馬車へと乗り込んだ。
「……ごめんごめん。ちょっと話が込み入っちゃってね」
「またまた、どうせ離れたくない離れないの惚気でしょう?」
「だって王都に行ったら11週間も――」
と、レノという男も愚痴をこぼしつつ馬車へと乗り込み、最後にマーユさんが続いた後、中からそっと扉を閉めた。
わたしはあっさりと頭を上げていたが、カーシャは馬車が動き出すまで頭を下げたままだった。
馬車が小さくなるまで見送り続け、その後わたしはぽつりと安堵を漏らすように呟いた。
「……とりあえずは、信用できるようね」
「? 何がですか?」
「あなたの話よ。も――最初っから家政婦が欲しいって伝えればよかったじゃない」
「え? だからそう言ったじゃないですか」
「じゃあ、どうしてそこで容姿が必要になってくるのよ」
「だーかーら、そこはお客様に合わせるためですって!」
はあ? お客様に合わせるためにって……あーあ、これならマーユさんを呼び止めて聞いておけばよかった。
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