第230話 心身共に快調にするはずだった日

 その水の豊かさからバーバリオにはあちらこちらに大衆浴場が存在していて、民衆の憩いの場になっているそうだ。

 なら、わたしたちも使わない手はないと本日はお風呂屋さんに行くことにした。


「さぁ、ようやく今日の目的地に到着しました!」

「ぼくもゆっくりオフロに入りたかったんだ! 今からすごい楽しみ!」


 表通りにあるお店はお断りされることも多いけど、中にはあの女のことを良く思っていない人たちも少なからずいて、よくやったと陽気に声をかけてくる人もいれば、あまりいい顔はしないけどお店を利用させてくれる人もいる。

 そういう人たちのおかげでこの都でもわたしたちの生活は送れている。

 現在お世話になっている宿屋もそのうちの1つで、そこの人からわたしたちでも利用出来そうなお風呂屋さんについて教えてもらえた。


「じゃあ、3人ともまた後でね」

「シズクもこっちに入ったら? バレないと思うよ?」

「シズクもいっしょにくるの? じゃあ、リコといっしょにおふろできょうそうしよ!」 


 女湯・男湯は個々に分かれているので、シズクは「遠慮しておきます……」と乾いた笑いを浮かべながら男湯のある向かいの建物へと行ってしまった。


「えー、リコいっしょにはいりたかったのにぃ」

「無茶言っちゃ可哀そうよ」


 シズクならギリギリ女湯にも入れそうだなとわたしも思う。が、もしも入れたとしてもあいつが他の女の裸をちらちらと見て鼻の下を伸ばしてるところなんて見たくもない。

 もちろんルイの冗談だってことはわかってるつもりだ。


(……ルイ、冗談よね?)


「あーあ、シズクともいっしょに入れればよかったのにぃ……なんてね。無理があるよねぇ」

「……家族風呂なら一緒に入ってもいいけどね」


 安堵しつつルイにそう答えたのはもうかなり昔、小さかった頃に2人でお風呂に入ったこともあったなとふと昔を思い出したからだ。


(あん時は素っ裸でぎゃあぎゃあとお風呂で遊んで怒られたっけ)


 童心に戻って4人でゆっくりくつろげたら気持ちよさそうだとは本心から思う。


「1人3リット銅貨、おちびは1リット銅貨やね……もっかいゆうが問題はおこさんでな?」

「文句があるならあの女に言いなさいよ。わたしからは何もしてないわ」

「あの跳ねっ返りにゃああたしらも関わりたくもないわい……どおゆう経緯があったにせぇお前さんらにゃ同情すっよ」


 案の定、入店するなり妙齢の女番台さんに苦い顔をされたが、特に咎められることも無く利用することが出来た。

 脱衣所に向かうなり、着替え途中だった他のお客さんたちの目が蒸し暑い熱気と共にわたしたちを包み込む。

 そそくさと自分の衣服や荷物を持って、わたしたちの利用スペースを開けてくれるので申し訳なく思いながらも使わせてもらった。


「メレティミ、ぬがしてぬがして」

「はい、リコちゃんばんざーい」

「んー」


 両手を上げさせたリコちゃんのワンピースの裾を掴み、いっきに上へとめくり上げると、今朝のわたしみたいにパンツ一丁の姿になる。残ったパンツも紐を解かずにすっと足から抜いてあっさりと素っ裸になった。

 遅れないよう素っ裸のリコちゃんに見つめられながらわたしも服を脱ぎ始める。

 お尻から生やした白い尻尾がひゅんひゅんと揺れている。

 言わずとも急かされているのだとわかる。ちょっと待っててね。


「リコは少ないからいいけど、ウォーバンみたいな亜人族の人が来たらどうするんだろ。毛の問題とか大丈夫なのかな?」

「さぁ? 毎日網で掬ってるのかもね。ふぅ……さて、脱いだ服はぁ……と」


 脱いだ衣服や荷物の管理は自己責任であることは事前に聞いている。

 用意された籠を持ち歩いて好きなお風呂に行く……というやり方だろうか。

 距離感のある他のお客さんたちの行動を見てわたしたちもそれに倣うことにした。


「メレティミメレティミ! かみ! かみむすんで!」

「はいはい……んー……よし!」

「レティぼくもぼくも! 髪結んで結んで」

「ルイもなの? も――仕方ないわね…………よっと、どう?」

「ありがと! じゃあ、行こっか!」

「いこー! リコもはやくはいりたい!」

「え、っと、ちょっと待って。わたしも…………はい、お待たせ。ほーら、2人ともそんなに慌てると転んじゃうぞ」


 よしよし、リコちゃん待たせたね。

 2人の後に自分の髪を括っていざお風呂へ――。


「わぁ……すごいね」

「むわむわする」

「温度の低いサウナって感じかしら」


 大浴場は湯気と暖かい湿気に包まれいた。

 擦りガラスの閉め切った小さな窓がいくつかはある程度で若干薄暗いが、湯けむりに覆われた大浴場には昼間であっても人は結構多かった。

 お風呂に浸かるのは勿論、壁から出っ張った縁に座って楽しそうにおしゃべりに夢中になっている人。絨毯みたいな布を敷いて寝っ転がっている人。

 各自思い思いにオフロを楽しんでいる様でとても賑やかだった。あちらこちらで溢れる談話はどれも筒抜けで、室内だから声も反響する。

 ただ、わたしたちが姿を見せたことで声は徐々に鎮まり始めてしまったのは参った。

 再び彼女たちの音が鳴り始めるまで少しばかりの時間が必要になった。


「気持ちはわからなくも無いわ……気持ちよくお風呂に入ってたのに水をさされたようなものよね」

「うん……楽しそうなところを邪魔するのも悪いから、ぼくたちは端っこの方にいこっか」

「あ――……もう、散々よ」


 大浴場のいたるところには持ち運んだ籠を収納する棚も置いてあるが、置き引きの心配はしなくてもいいかもしれない。

 何しろ、わたしたちに近寄ろうとする人たちはいないのだから……はあ、嫌になる。


「……ん……シズク大丈夫かな?」

「なんで?」

「……え、あ……ううん。シズクって見た目だけなら普通の女の子と大差ないじゃんって思って?」


 ……ルイの言いたいことがわかった。

 ごった返した男湯にシズクが入ってきたら大騒動になりそうだな。

 複雑な視線を受けながら肩身の狭い思いをして入る風呂なんて逆に疲れそうだ。


(まさしく今のわたしたちもそうなっているわけなんだけどさ)


 わたしたちはとりあえずと人の少ない近くの円形の浴槽へと向かったが、近寄るなりそそくさと先客たちは出ていってしまった。

 肩をがっくしと落として3人で入ったけど、周りからの視線がイタイイタイ。

 小声で話しているつもりだろうけど、外以上にわたしたちの噂話が聞こえてくる。

 わたしたちは静かに入浴してるから、もう触れないでよ。

 なるべく耳を塞いでお風呂を楽しむしかないと3人でゆっくりと楽しもう……と湯船に足を忍ばせた。


「はぁ……あっつぃ……気持ちぃ……」


 お風呂は若干熱めだが、腰ほどの水深で半身浴にはいいかもしれない。

 お湯は湖から引っ張った水を魔道具によって温めているようで、長湯が出来るようなぬるま湯もあれば、肌が真っ赤になりそうな熱湯風呂と色々と浴槽ごとに別れているそうだ。ただ、他のお風呂にはいけそうにはない。

 でもいいわ。今はこの浅い浴槽を楽しんでやる――と半身浴程度の水深だとしても3人で縁に頭を乗せて寝そべるように身体いっぱいでお風呂に浸かるんだけどね。


「…………そうだね。あつい、ね?」

「なんで疑問系なのよぉ……はあ、いい湯だぁ……」


 湯船に浸かるなんていつぶりだろう。里を抜けて以来だろうか。

 旅の間はシャワーみたいに水魔法を使って流す程度のお風呂しか出来なかったしね。


「……ぶー。これじゃあおよげない」


 肩下まで浸っているというのにリコちゃんは浅いお風呂に多少不満らしく文句を口にしていた。

 わたしも出来ればもう少し水かさがあったらと口にはせずとも同意してしまう。


(またあの山奥の温泉行きたいなぁ…………)


 久しぶりの湯船にふと数年前に行った山奥の温泉のことを思い返し、同時に1人の女性が頭に過る……ウリウリだ。

 自分の育ての親であるウリウリのことがこのお風呂に入ったことで頭に浮かんだ。

 喧嘩別れしたまま勝手に家を飛び出したことで今も心配をかけているんだろうなぁ……少しばかり、ほろりと寂しさが込み上げてきて、隣にいたルイへとぎゅっと抱きついた。


「……どしたの?」

「なんでもない」

「変なレティ」


 まるで子供をあやすみたいによしよしと頭を撫でてくれる。

 つい寂しくなったけど、ルイが隣に居てくれてよかった。


「もう大丈夫……ありがとう。ルイ」

「ううん、いいんだよ」


 照れもなく素直に感謝を伝え、小さく笑い合う。

 そして、もう過ぎたことだと気持ちを切り替えようと、寝そべるのではなくゆっくりと身体を起こしてお風呂を楽しんだ。




「……ふぅ」


 ルイと談話しながらお風呂を満喫していたけど……そろそろのぼせてきたかなぁ。

 縁へとお尻を上げて足湯のまま小休憩。

 私たちの噂話が治まった周囲の人へとゆっくりと顔を向けてみた。


「……いいなぁ。わたしも他の人たちみたいに床に絨毯を敷いて寝っ転がりたい」

「どれ? ――あ、いいね。ぼくもああやって寝たいなぁ。でも、あの絨毯って高いよねぇ」


『テイルペアで立ち寄った大きな街でこれと同じ感じの絨毯が20リット銀貨でお店のショーウィンドウに飾られてたんだから――』


 ……まさか、あの時のシズクの言う話が本当だとは思いもしなかった。

 あれくらいの薄いのでもここらだと10リット銀貨、安くても数リット銀貨はするだろう。


(ルフサーヌさんの絨毯を買っておけば……いやいや、余裕のある今と違ってあの時はお金もないし、置き場の無かったわ)


 ああ、くそぅ……。

 どてん、と湯に足を付けたまま上半身を倒してそのまま寝っ転がった。


 そんな風に時には休憩を挟みながらお風呂を楽しんでいると、入口から1人の女性が姿を見せた。

 まさかここまであの女が来たのかと身構えてしまったが、今度は全くと知らない人だ。よかった。

 その人は赤ん坊を抱えていた。


「あ……ねえレティ見て! ほら、赤ちゃん!」


 ルイもその親子に気が付いたらしく、はしゃぐような声を上げた。

 女の人はわたしたちとは別の風呂に向かい、その先で優しく抱きかかえたまま、ゆっくりと赤ん坊のお腹にお湯をかけ始めた。

 母親の一挙一動にルイとリコちゃんは噛り付くように見蕩れている。わたしも遠目から同じように親子の様子を見守っていた。


「ねえ、レティ! 赤ちゃんだよ、赤ちゃん!」

「ええ、そうね」

「ちっちゃいな! かわいいな!」


 嬉しそうな2人の話にはほっこりとしながら聞いていられた。

 でも……。


「ぼくも赤ちゃん欲しいな……」

「…………」


 ルイのその呟くような願いに、わたしは……。


「…………――そう、ね」


 相槌程度の言葉を出すのに長い時間をかけてしまった。

 ……変に思われただろうか。何も言わなかった方がよかったのだろうか。

 恐る恐るルイの横顔を覗き見る――けど、ルイは照れたような顔をして首を振っただけだった。


「けど、今はまだいいやー」

「…………どうして?」

「だって、もうちょっとシズクとレティと仲良くしていたいもん」

「それって、どういうこと?」

「え、変かな? だって、子育てって大変なんでしょ?」

「え……ん? ……そ、そうね?」

「四六時中ずっと赤ちゃんにつきっきりになっちゃって、旦那さんを蔑ろにしちゃって、それで夫婦仲が悪くなっちゃう人もいるって……リターが言ってたよ」

「え……ええ……そういう、話も、聞くわね」

「でしょ? だからもう少しはこのままでいいかなってぼくは思ってるよ。……ぼくたち魔族は中々子供が出来ないみたいだしさ」

「ルイ……っ……で、出来る時は、出来ちゃうし……その、ほら! いつか、いつか出来た時にうんと悩めばいいじゃない!」

「うん、そうだね! けど、やっぱり欲しいって思っちゃうなぁ……あーどうしよ!」


(ルイ、ごめんなさい……)


 そう、胸の内でルイに謝罪するしかなかった。


 ――わたしたちには臓器が無いから子供はきっと作れない。


 彼の子を授かることを求めているルイにわたしは本当のことは言えそうにない。

 いつかは話さないといけないことだけど、別に今言わなくてもいい。問題の先送りであることもわかっている。

 けど、けどさ。今は、ルイを悲しませるのがいやだった――なんて、本当はわたし自身、自分のことだとは言え口にするのが怖いだけだから。


「レティ……どうしたの?」

「ん……なん、でもない。ちょっとのぼせたかな」


 黙り込んでしまったことを不審がられたので体調のせいにした。嘘じゃない。ちょっとだけくらっとも来ている。

 またも縁へと腰を上げ、ふうと息を吐いてた。

 同じ様にルイもわたしの隣へと座りだし、じっと見つめてくる。


「……大丈夫?」

「大丈夫よ……ちょっとだけお休み」


 十分堪能したし、そろそろ出てもいいかもしれない。

 ふうと息をついて、湿気か汗で濡れた前髪を掻き分ける。ぴたりと身体から滴り落ちる水滴が湯船へ落ちる最後までを見届ける。そして、ゆっくりと足を組み、そっと何もない天井を見上げて――。


「よぉやっと見つけたでえっ!」


 奇妙な鳴き声みたいなものが聞こえて、わたしもルイも同時にその声の方へと顔を向けた。

 先ほどまでの身体の熱はどこへやら、あっさりと軽い湯あたりも吹き飛んで身体はどよんと重くなる。

 そこには先ほどひと悶着を起こしたあの女が突っ立っていたのだ。

 しかも、その女は服どころか、靴というかサンダルを履いたままでだ。


「……お、お客はん! 服着たまんま入るのはやめてーや!」

「さっきからうっさいわ、ババァ! 金なら払ったやろ? うちがどう風呂入ろうが勝手じゃ! つうか、入りに来たんやないから別に脱がんでもええやろ!」

「……じゃあ、なんでここにいるのよ?」


 呆れ気味に仕方なしに訊ねてみた。


「そりゃあ、あんたら糞耳に用があるからや! ……なぁ、オバチャン? ちょお、こいつらと仲良ぉお話しするやけやさかい、見逃してぇな」

「はぁ……」


 だから面倒事は持ち込むなと女番台さんが厳しい視線で語り掛けてくる。

 さらに強くにこちらを睨んできて(……ぜったいに揉め事は起こすな)と言葉にはせずとも釘を刺して女番台さんは来た道を戻ってしまう。

 ええ、ちょっとこの部外者を追い出してよ、もうっ!


「……せめて靴ぐらい脱ぎなさいよ。常識も無いの?」

「なんでうちがこんな小汚いとこでお靴脱がんといけんの? うちのあんよが汚れてまうわ」

「……」


 もう何を言っても無駄だろう。

 本当は話したくもないが、諦めてわたしは聞いてみることにした。


「で……あんた、わたしに何の用があるって? さっきの仕返し?」 

「……はあ、うちがなんでそんなしょーもない真似しないといかんの? けっけっけ、うちはお前らが風呂に入ったって話を聞いてなぁ。中でもあんたの、そのでかいだけの乳にどんなどぎつい目玉が付いてるか見に来ただけやでぇ」

「は? わたしの胸に目玉? そんなのあるわけないじゃない」


 この女は何を言ってるの? 胸に目玉があるわけじゃないじゃない。そんなのあったら化け物よ。


「は、とぼけんなや。男たちをたぶらかすそのでかい乳にどんだけ奇妙な目があるかうちが確認してやるわ! ほな、よく見せや!」


 がなるように言い捨てると女はのしのしと土足のままわたしたちの入っている湯船へと近寄り、苛立つ歪んだ目でわたしの胸を凝視してきた。

 ――が、そのニヤついていた目は大きく見開いて驚き始めた。


「なっ……嘘、やん……せやって……ふつぅはもっとぶあつくて……」

「……な、なによ!」

「な、なんやそれ……なん……なんや、それ……」

「はあ?」


 何よ、その信じられないって顔して。


「ルイ、わたしの身体どこか変?」

「え、別に変じゃないけど……」


 女は呆然としながら下着のような服をめくり上げ、自分の胸をちらりと見た後、1人ボソボソと呟きだし始める。

 ……気持ち悪いわね。何を企んでるのかしら。


「あんたさっさと出てい――」

「ま、まだや! まだ隠しとるはずや!」


 その後、ものすごい怒りの形相でわたしを睨みつけた後、ぎょろぎょろと動く眼がぴんと止まってまたもにやりと笑いだした。


「……は、はん! なんやその赤い痣は! 身体中にぽつぽつと! ひゃぁ……いややわぁ……なんかの病気でっか?」


 ん、とあらためてまた自分の身体を見渡してみると……ああっ、とようやく気が付いた。

 昨晩2人というか、主にルイに付けられたキスマークが残ったままだったのだ。


「……ん、赤い痣……あ……あちゃ、すっかり忘れてたわ。人前で肌を晒すことなんてなかなかないから気を抜いてた……」

「あー、ぼくの身体にもあるかなぁ」

「メレティミ、ルイもそのあとはどうした? びょうきか?」

「え、え、リコちゃん!? べ、別になんでもない、わよ?」

「うん、別になんでもないよ。シズクにちゅーってされただけだからね」

「ちゅう?」


 こらこら、ルイ。リコちゃんに変なことは教えないの。

 ……まあ、でもいっか。

 もうめんどうだし、そういうことにしよ。


「ルイ、ちょっとごめん」

「え、なに……あっ……」


 わたしは隣にいるルイの首筋にそっと顔を埋めて昨晩と同じキスを落とす。

 ルイの小さな悲鳴の後、女に向かって出来たキスマークを見せ「これでいいかしら?」とだけ言ってやった。


「ほら、もういいでしょ? 好きなだけ公言しなさいよ。わたしたちが女同士でイチャ付いてるって噂を流せば寄ってくる男たちも多少は少なくなるだろうし、こちらとしては助かるわ」

「……そっか。なるほどね。ぼくもそれでいいや。うん、ぼくはレティのことが大好きだってことを言いまわしてよ」

「リコもふたりのことはすきだぞ!」

「もちろんわたしもリコちゃんのことは大好きよ」

「ぼくもね! リコのこと、だーい好き!」


 こうして3人顔を合わせて「ねー」と笑顔で頷きはしゃぎあう。

 ほら、好きに言いふらしなさいよ。どうぞご自由に――が、どうやら女としてはこの結果は面白くないらしい。


「ふっざけんな! そんなん認められるわけないやろ! 人んことおちょくってんのかい!」

「じゃあ、何よ! 何したらあんたは満足なのよ!」


 これでも出ていってくれないのか。

 たくっ、もういい加減にしてよ!

 わたしは勢いよく立ち上がり、ぐっと女とにらみ合う――が、


「……っ!!」


 わたしは女の顔を見て吹き出しそうになった。


「な、なんや!」


 自分自身の変化に気が付いてないんだろうなあ。

 浴室の湿気で厚化粧が落ちかけていて、以前崩してやったあの時よりはましだが、そりゃもう直視できない顔になっていたのだ。

 もう怒るよりも笑うのに堪えるの必死。わたしの顔はかなりすごいことになっていたと自分でも思う。

 ただ、その変顔のおかげか、女の視線が逸れたのをわたしは見逃さなかった。


(――勝ったわね。これで、もう笑って……いや、まだもうちょっとだけ堪えて……)


 笑うのを我慢したまま、じーっと目線を合わせない女の目を見つめ続けてる。

 またお決まりの捨て台詞を残してさっさとここから消えろ。早く笑わせてくれ……とまだまだ逃げない女の目がちらりと視線が下へと落ちた。

 そして、そのまま視線は落とした先に留まり続けた。

 どこを見てるいるのか………それは。


「……もしかして、剃ってるん?」

「剃るってどこよ?」

「せやから、そこやそこ」


 そこと言うの彼女の視線の先だ。

 ん、と自分でも首を倒して見てみるが、胸が邪魔して見えやしない。けど、胸で見えないとしたって、そこには剃るものなんてなにもない。

 一体、何を剃ると言うのか――…………はっ!?


「……ま、まさか……」


 彼女の言いたいことがようやくわかった時にはもう遅すぎた。

 今度はわたしがはっと顔を強張らせてしまい、そこを見事に女に拾われてしまう。


「……まさか……まだ、生えてないん?」

「……っ!」


 わたしの動揺はあっさりと女に見透かされた。

 女は先ほどまでの態度を一変させ、勝ち誇ったように不敵に笑いだした。


「おむねはごりっぱでもまだまだお子様やん!」

「なっ、何言って!」

「やーい、毛無し女! ツルツルの毛無し女!」

「ばっ、そんな大声上げて周りに迷惑でしょうが! ガキじゃないんだから!」

「ガキはお前らやないか! 悔しかったら毛の1本でも生やしてみんかい!」

「なっ、この……いい加減に……ちょ、待ちなさいよ!」

「いやじゃぼけぇ! ほな、さいなら毛無の長耳さーん!」

 

 自称・バーバリオ1の美人さんは勝ち誇った様な顔をして、即座に回れ右と逃走を始める。

 さらには人前では謀れるような禁止用語を大声で叫びながら風呂場を後にしてった。


「なんっ、なんて下品なやつだ、あいつぅぅぅ!」


 生えてる方が偉いってのか! 人の身体的特徴を馬鹿にするなんて本当に最低だ!

 風呂から出たら今度は毛無しとかそんな目で周りの人から見られるのだろうか。


「くっ、くぅぅぅっ!」


 別に生えてようが生えてまいがどうだっていいことなのに……でも、どうしてか。

 ……わたしはあの女に敗北したような気になっている。


「……レティ、ぼくたちっていつになったら生え――」

「い、言わなくていいわよ」

「……う、うん?」


 ぱしっとルイの口を手で塞いで言葉の先を遮った後、わたしは重くなった身体を再度、湯船に沈めた。





 いつもとは別の奇妙な視線を受けてるような錯覚を覚えながらもお風呂を出た後の話だ。


「……僕はもう公衆浴場にはいかない」


 お風呂から出て合流したシズクは口元を引き攣らせながらそう言った。


「どうしたのよ?」

「だって、周りの利用者たちがずっと僕を盗み見てくるんだよ。しかも、しかも……中にはその……」

「その?」


 シズクは口ごもりながらも知りたくも無かったことを教えてくれた。


「お……大きくしてた……」

「大きくって…………あぁ」


 つまり、男であるシズクに欲情した男たちに身の危険を覚えたってところだろうか。

 これもまた日中で口にするには謀れるようなことだ。


「お前も、辛かったんだなぁ……」

「れ、レティ……」


 なんで身体を休めるためにお風呂に行ったのに、わたしたちはこんなにも疲れなきゃいけないのだろうか。

 わたしははぁ……と深いため息をつきながら憔悴している彼の肩を抱き寄せて励ますくらいしかできやしなかった。

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