第229話 不満だらけの水の都での日々

 わたしたちは現在、テイルペア大陸でも随一の水源を持つと言われる帝都バーバリオに訪れていた。

 帝都と言うようにこのバーバリオはテイルペア大陸の大半を領土に持つ皇帝が住む都らしい。らしいと言うのもまた聞き程度で実際に会ったことはないからだ。

 しかし、この都にいる限り皇帝さんとやらの存在感は余所者であるわたしたちでもひしひしと感じ取っている。


 ――彼、もしくは彼女が御座おわすであろうそのお城は、湖の上に建っている。


 確かヨーロッパの……もう記憶も幽かだけど、そのお城はがいた世界に存在する小島の上に建築された巨大な修道院を彷彿とさせるものだった。

 湖という天然の堀で囲まれた巨城に無骨な城壁はなく、その美しい外観を余すことなくさらけ出している。

 もう圧巻の一言だった。


 そのお城と湖を中心に都は広がりを見せていて、そこから蜘蛛の巣のように大小様々な水路が街の中を流れている。道脇にちょろちょろと流れ続けるドブのような水路もあれば、運河として人や物を運ぶ小舟が行き来する水路もあった。

 石造りで統一された街並みは、アニスたちが住むレンガで作られた魔人族の領地っぽい。

 また、この大陸でも片手で数えられる程度にしかない大河の1つであるタルル河がこの帝都に沿うよう流れており、対面にある街を含めてバーバリオなんだとか。

 ちなみに今わたしたちがいるのは湖のある西側だ。河向こうの東側は拡大した街の延長線に広がったらしいけど、元々はタルル河を渡るための船着き場であり、こちらとあちらとの検問所の役割も果たしているとも聞いた。


 どこであろうとも水のせせらぎを耳に届き、湖に浮かぶように建っているお城を含め、緑豊かでアラビアンチックな街並みはとても美しい。

 到着したばかりのわたしたち一行はその街並みに、思わず足を止めて見蕩れてしまったほどに幻想的だった。


 そんな美しいバーバリオは沙漠地帯であるテイルペア大陸において水不足から程遠い場所であり、今まで訪れた中では最も活気のあるところだった。





 そんな水の都バーバリオに到着して早5日目となる。

 そして、この5日間の滞在中……わたしたちは特にすることもなく日々を過ごしていた。

 別にすることがないわけじゃない。かと言って昨晩のようなことばかりしてるわけでもない。

 大きな街だからこそ冒険者ギルドの依頼は多く、魔物の討伐からギルド直々の依頼まで何でもござれ。到着した初日には他のところではなかなか巡り合えない高収入の依頼でがっつりと稼ごうかって話もしてたくらいだ。

 けれど、わたしたちは今日にいたるまで依頼を1つとして受けていない。

 ……いや、正確には仕事をさせてもらえないと言った方が正しい。

 依頼を受注するまでは行けるのだ。そこから現場に向かったところで依頼主に追い返されてしまっている。


 これもとある厄介事に巻き込まれ、わたしたち……いや、わたしとルイはバーバリオにおいてで有名人となったことが原因だった。

 はぁ……。

 じゃあ、こんなところで足踏みしてないでさっさと次の町に行けばいいとも思うんだけど、これまた残念。

 現在、タルル河が氾濫中のため、向こう岸までの船が出せない状態なんだ。

 どうやらタルル河上流の方で大雨に見舞われたらしく、その影響が現れているとか。何よそれ! って怒ったところで状況が変わるわけでもない。


「……やっぱり、見られてる」

「無視よ、無視」


 いっそ開き直ってこの都をゆっくり観光しようよって、シズクの提案に渋々と頷き、本日もこうして外に出たんだけど……遠巻きに向けられる無数の目にはもううんざり。


「……メレティミもルイもにんきものだな」

「そうだね。でも、これがもっと好感的な視線だったらよかったんだけどね」


 シズクはいつも以上に目深くフードを被ってわたしたち2人の後ろをリコちゃんと手を繋ぎなら着いてきた。

 わたしもルイもシズクと同じ様に顔を隠した方が精神的には良かったのかもしれないけど、今さら手遅れって感じだし、逆にどうしてわたしたちが隠さなきゃいけないんだって話になる。

 

「ふん、別に見られたところで減るもんじゃないわ。見たきゃ好きなだけ見ろってもんよ」

「そうだよ。ぼくたちは何も悪いことなんてしていない。堂々としていればいいんだ」


 ルイと顔を合わせて「「ねー」」と強がるように笑って頷き合う。

 開き直ってわたしとルイは繋いだ手をぶんぶんと大袈裟に振り回し、本日の目的地へと向けて綺麗に並べられた石畳の道を歩いていった。


「今日はうーんと疲れをとるわよー」

「でも、大丈夫? ぼくたちでも入れるの?」

「心配なさんな。わたしたちでも大丈夫って宿屋のおじさんが言ってたわよ」

「よかったー。もー、本当に困っちゃうよね。こんなに大きな街なのに使えるお店が限られちゃうなんて思いも――……あ」

「どしたの、ルイ……げっ」


 突如眉をひそめたルイにつられる様にわたしも前を向き、同じ様にうんざりと顔を曇らせる。

 それもわたしたちがこうして肩身の狭い思いをする羽目になった原因が道の真ん中に突っ立っていたのだ。

 ……まじか。

 もう勘弁してほしい。


「……レティ」

「しっ……話しちゃダメ」


 口を閉ざし、目を合わせないようにわたしたちは足を速めた。

 まったく知らない人だと、行き交う人たちと同じようにその人物から距離を取るように脇へと逸れる――。


「ちょい待ちぃや! そぉの長耳たち!」

「……ちっ」

「なにシカトしとんねん! あんたらや! この糞耳ども!」


 路に流れる涼しげな流水とは真逆の耳障りな金切り声が、知らん顔として通り過ぎたかったわたしたちの足を止めさせた。


(そうだよなぁ。見逃してくれないよなぁ。はぁ……なんで懲りないかなぁ?)


「糞耳……」

「ひどいわね……」


 もしもドナくんがここにいたら卒倒しそうな罵りをわたしたちに向かって言い放ったのは1人の若い女だった。

 今のルイと同じくらいか若干上の16、17歳ってところだろうか。

 ジャラジャラと金銀ド派手な装飾品を身に着け、わたしたちが海で着た水着よりは面積はあるものの、露出の激しさから逆に卑猥に見えるようなだらしない恰好をした女だ。

 わたしたちの父であるイルノートお父様よりも濃い褐色肌の上には分厚い化粧が塗りたくられ、付け過ぎの香水も合わせて、うっと顔をしかめる。

 女は金色の指輪がはまった指でわたしたちをさしてくる。


「あんたらうちに挨拶の1つも無いんかい?」


 挨拶? どうして、わたしがあんたに挨拶をしなきゃならないの……なんて、言葉の意味はわかってる。

 尚更する必要なんてあるわけないじゃない。


「……きみ、しつこいよ。またぼくに泣かされたいの?」

「あ、あんときは目にゴミが入っただけだっちゅぅねん! なんやそのぼくってっ! ジブン、それかわええとか思っとんのか!?」

「なっ……べ、別にかわいいからって使ってるわけじゃっ……う――! レティぃっ!」

「あ――もう、ほら、ルイ。落ち着けって…………ねえ、そろそろいい加減にしてくれない。わたしたちには恋人がいるから全員断ったって話はしたわよね」

「恋人がおるぅ? 何ガキが色ボケたこと言ってんねん! そう言えば引き下がるとでも思ってんのか! んなら、やつを出せや!」

「出してどうなるって言うのよ……あぁうっさい。出しても意味ないんでしょうけど、ほれ、こいつ」


 わたしたちはさっと後ろにいたシズクを引っ張って女の前へと突き出してやる。

 シズクはフードの奥で迷惑そうな顔をしたが、わたしたちを守るためだと思って前に出ろと尻を叩いてやる。おまけにフードも無理やり外して、直に顔を見せてやる。

 これで諦めてくれるなら……まあ、やはりというか、当然納得はしてくれないようだ。

 女は呆けるようにシズクを凝視した後、直ぐに口を震わせて叫び返してきた。


「……っ……はっ、はあっ? 何言ってん!? そいつ女やないかい! き、きっしょくわるっ!」


 ふん、一瞬だとは言ええシズクにぽかんと見蕩れてたやつの言葉なんてわたしには届かない――。


「おっ、おー気色わる気色わるいわ! 長耳のやつらは男には興味ないんか!?」

「なんですっ――……ええ、じゃあ、それでいいわ。わたしたち、女の子同士で付き合ってます。男には興味が無いので。ってことで、ではでは」


 カチンとしたのはわたし個人ではなく天人族全員を馬鹿にされてのことだったけど、ここで声を荒げるのもバカらしいと、ぐっと堪えて飲み込む。

 へらこらと小さく頭まで軽く下げ、じゃあこれで終わりってことで……ってそうもいかないだろうけど、ルイの手を引いて先へと足を前へ出す。


「レティ、なんかこの人いらいらするよ……」

「我慢なさい。ああいう人は変に突っかかると余計にこじれるのよ。こっちが下手に出てれば飽きて去ってくれることを祈るの」

「だぁほがっ、聞こえてるっつうんじゃ! こんまま易々と行かせると思っとんのか! バーバリオ1の美女であるうちのプライドが傷ついたまんまなんて許さへんっ!」


 女はすかさずわたしたちの前へと回り込んで道を塞いでくる。

 そこを退けと言ったところで譲ってくれる気はしない。


(もう、どうしたらいいのよ――)


 さて、どうしてこの女がわたしたちに突っかかってくるのかと言うと……まあ、痴情のもつれってやつだろうか。

 言っておくけど、わたしからは何もしてはいない。ルイだってそうだ。言う必要はないだろうけどおまけにシズクもリコちゃんもね。


 どうやら自称バーバリオ1の美人さんの想い人がわたしかルイのどちらかへとアプローチをかけてきたことが気に食わなかった……と、初めて彼女がわたしたちに突っかかってきた日に遠回しの遠回しに本人から直接教えてもらった。

 ……でも、わたしたち2人とも心当たりはない――というか、実のところあり過ぎてわからないってところだ。


 今までの旅路でも多くの人から遠巻きに見られることが多かったが、直接声をかけてくる人なんて指で数えられる程度だった。

 しかし、この街の男性はどうやら情熱的というか、行動的な人が多いらしく、そりゃあもう嫌って程に声を掛けられたことがあった。

 そのうちの1人がその自称美人さんのお気に入りだったのだろうけど、誰が誰かなんてわたしは覚えてられない。

 もちろん、全員お断りしていただいたし、強引な人にはそれなりにこちらも強引にお断りをしてやったわ。


 逆恨みもいいところなのだが、そう言う訳でこの女はわたしたちに難癖をつけ適当にあしらったのだが、これが相当根に持たれてしまったようだ。


(やっぱり1時間はかかっているであろう化粧を台無しにしたのが拙かったのかなぁ)


 あまりにもうるさかったので水魔法で覆った手で彼女の顔をごしごし擦り上げてやった。


(お化けみたいな顔にして周囲の人たちに笑われたのが相当彼女のプライドを傷つけちゃったのかもね。でも次に会った時に手汗女とか言われたから……手汗じゃないっつーの!)


 2度目はあまりにもしつこく、口も悪かったから、ルイと2人で魔法を使って結構強く怖がらせた。


(……それで、ギャン泣きするほどに追い詰めたのも悪かったのかしらね)


 それにしたってやはりこいつはしつこ過ぎる。


「もういい加減にしてよ。あんたに関わったせいでこっちはすっごい迷惑してるんだから!」

「そうだよ! きみにケチ付けられるのが嫌だからってぼくたちお仕事受けられなくなったんだよ!」

「あ? なんやそれ……ぷっ……貧乏人様は大変やなぁ! ま、うちにゃ関係のぉ話しですわ! いい気味や!」


 こいつとの騒動を起こしたのが昼時の人ごみで賑わう繁華街だったのも災いした。

 祭りと喧嘩が大好きなのがどこの人も変わらないらしく、わたしたちの喧嘩(だとは思いたくない)は野次馬で溢れかえるほどの大盛況だった。

 おかげ様でわたしたちのことは街中に広がってしまって、バーバリオでちょっとした有名人になってしまったようだ。これが本当に煩わしい。


「……ま、世間話はこのへんにしておこうや。今日はお前らに受けたクツジョクを何倍にしてでも返してやろう思ってなぁ」

「別にわたしたちは世間話なんてしてないけど……」

「屈辱っていうのはなに? 全部自分が悪いんじゃん」

「だぁっとれ! ……お前ら、はようこいや!」


 ヒステリック気味にそう女が叫ぶと、人相の悪い3人の巨漢の男たちがぞろぞろと姿を見せた。

 ぼろの腰巻だけを身に纏った男たちは、のっそりとした足取りでほくそ笑む彼女の後方へと付き従うように立ち並びだす。


「今日はうちの奴隷たちを紹介してあげようってな。普段はうちの石切り場で働いてるんやけど、こいつら相当女に飢えとるって話を聞いてな……あんたらにタダで男紹介して、なおかつ男の良さを教えてやろう思ったんよ。ひひっ……別に感謝はいらんよ。たっぷり可愛がってもらえや」


 女は下卑た笑いを浮かながら、そんなことをあっけらかんと喋りだす。

 こんな人ごみの中でなんつうことを口にするんだと思うが、周りの人は見て見ぬふりと……もう、なんなの。最悪だ。


「……シズク」

「……うん、ルイ」


 女が奴隷と口にしたその途端、シズクとルイが不機嫌になったことをわたしは直ぐに悟った。

 そして、2人を代表するかのようにルイが訊ねた。


「……その人たち奴隷なの?」

「けけっ、そんな珍しいもんでもないやろ! 奴隷なんぞ、どこにだっておるしな! うちらみたいのは当然のように使うとる。中でもこいつらは元剣闘士でのぉ……お前らが多少魔法を使えよぉがそんなもん屁でもないわ!」


 剣闘士と言うように女の背後に立ち尽くす男たちの身体は分厚い筋肉に覆われていた。

 眼光は鋭く、まるで獲物を狙う獣……とは別に、わたしたち(シズクを含めて)を品定めするかのように上から下へと舐めるような気持ち悪い視線も送ってくる。


「……はぁ」


 わたしは相槌を打つように深く溜め息をついた。

 いつもだったら彼らの境遇に哀れんだり、悲しんだりする場面だった。

 でも、今回ばかりはそうじゃない。


(……主人が主人なら奴隷も奴隷ってところだろうね)


「ほな、ちょっとあっちいこか? ここは人目が付くさかい」


 今さら人目を気にする必要はあるのだろうか。

 くいっと女が脇の道へと親指をさすが当然わたしたちは動くことはない。

 動くことは無くても、もうルイもシズクも、2人がいつ動き出してもおかしくなかった。

 もちろん、わたしだって――。


「……いやよ。なんであんたの言うこと聞かなきゃいけないのよ。ばっかじゃないの」

「拒否権はないで。この街でうちに舐めた真似をしてどうなるか、その身体にいやって程教えちゃるわ」

「……そう」

「すましたフリしてビビっとんのはバレバレや! もう遅いわ、ボケが! あんたらが素直にごめんなしゃいって謝っとればこうはならんかった。きゃははっ、命までは取らんから安心しや。終わったら素っ裸で晒しもんにしちゃる!」

「……ふーん?」


 1人馬鹿笑いして、何様のつもりだとわたしだって限界だった。


(……気に入らない。気に入らないわ)


 男を取られたと勝手に逆恨みで迷惑をかけるこんな糞女。

 力で人をねじ伏せて思い通りにしようとする最低女。

 誰に突っかかってきたのかもわかっていない馬鹿女。


 奴隷って言葉に感情を昂ぶらせた2人に負けないくらいわたしだって我慢ならなかった。

 だから――。


「ほらさっさとこいって人の言うことが聞け――」

「……ふたりは手を出さなくていいわ」


 ――舐めた真似をしてるのはどちらかはっきりと教えてあげる。


「ふっ!」


 女が強引にこちらの手を取ろうとした瞬間、わたしは雷の瞬動魔法で一気に距離を縮め、後ろにいた奴隷たちの前へと躍り出る。

 ルイやシズクにはまだ及ばないとしても、これくらいならわたしにだって出来るわ。


「なっ」


 背後で女の驚く声を耳にしながらも、1人目の男の腹へと手の平を掲げ、小さく収縮した風の塊を押し付ける。

 塊を男の腹へと打ち込み、同時に収縮した風を発散。小規模の空気の膨張は男の分厚い腹をへこませるほどの強い衝撃を与える。

 腹を抱えて1人目の男が悶絶してる間に次の男へと目標を定めた。

 地面を強く蹴り上げ、風の浮遊魔法を合わせて人の背を越えるほど高く飛び、体重の乗るままに狙いを定めた男の顔を強く踏み抜く。2人目もダウン。

 流石に3人目も棒立ちって訳じゃなく、慌てながらもようやく動き出すけど、


「だぁらっ!」


 宙に浮いたままのわたしを捕まえようと両腕を振り上げようが、その前に水の硬化魔法で空中に生み出した足場を蹴ってその場で宙返り。

 男の空振る両腕を背にして、ネコみたいに自分の四肢を地面につけるように着地する。着地した姿勢のまま右手を軸にし、足を大きく回して思いっきり男の脛を蹴り飛ばす。


「わ、昔のシズクみたい」

「すごいね。レティいつの間にあんな動けるようになったんだろう」

「メレティミはやーい」


 ふふん、どうよ。わたしだって2人に負けないように訓練はしてるんだい。

 みんなを驚かせられたことで多少は胸の内がすっとするけど、まだまだ終わりじゃない。

 最後に手に生み出した魔道器である閉じたままの鉄扇を大きく振り上げ、足を抱えて地面に転がる男の頭めがけて――ちょっと落下位置をずらして、ずどんと抉るように地面を叩き付けた。


「……次、その気持ち悪い視線で見たらその頭を潰すわ」


 男は目をかっぴらいて自分の頭の横に出来た穴と鉄扇を何度も見比べ、鉄扇を引き起こす時に付着した砂がぱらぱらと落ちるのを見て息を呑む。

 足の痛みもどこへやら、男は起き上がっては回れ右と女を置いて逃げ出し始めた。

 まあ、まだ気に食わないので鉄扇を開いて風を巻き起こして、どこかの鉄を勝手に拝借して作った小さな鉄球を逃げる男の背へとぶつけてやったけどね。


「……は、はぁ? はぁっ!? ……ひ、卑怯や! あんなの不意打ちや!」

「元剣闘士の奴隷3人連れて人を脅すやつに言われたくないわね…………で、可愛がってくれるんだっけ?」

「……か、かか、かわ、可愛が……なんっ それっ、あり、ありえっ…………お、おおおおっ」

「お?」

「覚えときぃ!」


 女は甲高い悲鳴のような言葉を残すと、伸びたままの奴隷たちを置いて1人で逃げてしまった。


「はあ……もう勘弁してよ……」


 覚えておけ、なんて生前も今でも聞くことはない思っていた捨て台詞だが、これで3回目だ。

 最初に聞いた時はああ言いながらも来ることはないと思っていたが、まさか次から次へといちゃもんを付けてくるとは思わなかった。

 暇人なのだろうか。わたしたちにつっかかる時間があるならその思い人とやらにアプローチの1つでもした方が有意義に思える。


「……ごめん。なんか、我慢できなくなっちゃってさ……先走ったわ」

「いいよ別に。レティは悪くないもん。レティが行ってなかったらぼくが行ってたかもしれないし」

「けど、また彼女来るのかなぁ。今度はもっと大勢の奴隷……人を連れてきたりさ。だんだんエスカレートしていかなきゃいいんだけど……」

「そうね。夜に襲撃されたら宿の人にも迷惑がかかるし……」


 ただ、失敗だったのがあんなナリと頭の女でもこの街ではそれなりのご令嬢様だってことだ。

 親の傘を着て好き勝手に振る舞い皆を困らせている――あの女もあの女で悪い意味で有名人だった。

 だから、依頼を受けて仕事場に向かっても、とばっちりを受けたくないとか、上から睨みつけられたらいやだとかってことで門前払いを受けてしまう事態になっている。

 最初に泊まった宿も追い出される羽目になったり、街中を駆けずり回ってどうにか今の宿と食事処を確保することは出来たのは本当に幸いだった。


(こんなつまらないいざこざが、こんな広い街だって言うのにたった1日で知れ渡るなんて誰が思うのよ)


 まあでも、街の仕事は駄目だとしても、魔物の討伐依頼なら受けれる。

 けど、これはシズクがいい顔しない訳で、前はあんなに受けたがってたルイも今じゃ気を遣ってかシズク側についちゃってる。

 わたしはもう魔物退治だって行けるって――……わかってる。2人の優しさからわたしに受けさせたくないってことはさ。

 はあ、船が出るまであと何回こいつの相手をしないといけないんだろうか。

 宿に籠っていた方がまだ安心できたかも……って今度は宿に押しかけられたらって話だったわね。

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