第227話 彼らに付き従う日
ゆっくりと僕ら3人の歩みに合わせるように先頭のクレストライオンは先を進んでいく。
気掛かりなのは毎日僕らを運んでくれるマロを残していくことだった。悲壮感を漂わせるか細い啼き声に後ろ髪をひかれながらも前に進むしかない。
ルイもレティも僕の両腕にしがみ付いているのでとっさの行動は出来ないが、2人を感じとることで冷静でいられた。
やはり僕の中にリコが悔やまれる。
昼間のようにリコを纏うことが出来たら、逃げる分には有利に働くはずだった。
しかし、リコがいないことで今の僕に恐怖心はない。
竦むことなく行動に移せる強みを生かさなきゃいけない。
(どこかで逃げる機会はあるだろうか)
周囲は夜に阻まれ、前を歩くクレストライオンの尻を見ることしか出来ない。
ここで逃げようにも鼻と良い目を持つクレストライオンには直ぐに追いつかれるだろう。
(空を飛ぶのはどうだろうか)
次の町までどれだけ距離があるかもわからない上、食料を含めた荷物のない状況は無謀か。どこまで飛んで逃げれば彼らの追跡を振り払えるかもわからないし、何より別行動をしているリコを放置するわけにもいかない。
結局、このまま彼らの後を着いていくしかないのだろう、とこの状況で効果があるかわからない警戒を張るだけ……まあ、最初は用心を重ねるよう恐る恐ると進んでいた僕らだったが、次第にいつもの歩幅で歩いた。
黙々と歩き続けた。尻を目で追うことと歩くこと以外にすることはなかった。
レティとルイの緊張もほぐれてきたのか、しがみ付いていた腕の力が弱まったことも知った。
歩いて歩いて歩いて――結構長いこと歩いた先、ようやく彼らの目的地らしき場所にたどり着いたことを知った。
いや、歩いていたら突如目の前に現れた……が正解だった。
ずっとクレストライオンのお尻ばかり見ていたとはいえ、目の前の光景から目を放した覚えはない。
……瞬間移動でもしてきたかのように、それは僕たちの前に現れた。
「……もしかして、これが昼間の人たちが言ってたやつ?」
「聞いてた通り森っぽい……かな?」
「本当にあったのね。けど、嘘……信じられない」
前後にいるクレストライオンたちも立ち止まるくらいの猶予は与えてくれるようだ。
僕たち3人は鬱蒼と生い茂った森林を前に立ち尽くして思い思いに声を上げた。
『――最初は蜃気楼かと思った。だが、馬車を走らせて近寄ってもその森は消えることはなく、結局そこにたどり着いた』
昼間の人たちは訪れた彷徨うオアシスについてそう語り始めた――僕らはさきほどまで話題にしていた彷徨うオアシスを前にしていた。
まるで僕たちに入れと言わんばかりにオアシスは口を開けていた。
ここまで連れてきてくれたクレストライオンは既にその口の中、森へと入り込んでいて、夜以上に深い闇から顔だけを出して僕らが入って来ることを待っていた。背後からも無数の目でこの彷徨うオアシスへ進めと僕らの背を押してくる。
もうここまで来たら行くしかないか。
「すごい、ここ……魔力が溢れてるわ」
「変な気分だよ。足元がフワフワしてる感じ」
2人が言うように、森の中に足を踏み入れた瞬間に僕も感じ取った。
水の硬化魔法や先ほど湯を浴びながらも肌にお湯を覆う時とはまた違う、見えない空気の層があるような感覚だ。
こんな中にいたら魔力に当てられて、体調を崩してしまうんじゃないかとすら思ってしまう。
駄目もとに再度後ろを振り返れば、密集したクレストライオンたちが僕らを見据えている。
やはり、ここでまで来て戻るという選択肢は選べないらしい。
「進もうか。ルイもレティも気を付けてね」
「し、シズクこそヘマしないでよ! ……うう、なんでこんなところにっ!」
「後ろはぼくに任せて。絶対に2人を守るから!」
森は夜の荒野よりも深く暗かった。
光魔法で照明を確保した後、この地では珍しい緑の世界を掻き分けて進んでいく。
僕を先頭に、服を掴むレティと、その後ろをルイが続く。
それでも、それでも僕たちは前へと進む。
進む、すすむすすむ――……ん?
「……リコ?」
「リコちゃん?」
「え、リコ?」
進んでいく先、木々の隙間からふと長髪の女性が姿を見せ、直ぐに僕らから逃げるようにまた奥へと引っこんでしまった。
灯した光玉で照らされてわかったのはその長い赤髪と僕を模した顔くらいだったけど、あれはリコだった。
(なんでリコがここに?)
今すぐにでも駆けつけたかったけど、瞬間レティに引っ張られていることに気が付き浮いた足を元に戻した。
「ほ、本当にリコちゃんだったの?」
「わかんない。でも、リコだった……と思う。けど、なんだろう。リコなのになんだかリコじゃないみたい……」
「何それ、見たのはシズクだけなの? レティは見てないの?」
「わたしは見てない……」
先頭にいた僕しか見てないのか。
確かに今、一瞬でも姿を見せた女性のことを僕はリコだと思った。
けれど、また先ほども感じた違和感が邪魔をする。それが邪魔をして2人に追及された今ではリコだという確信を持てずにいる。
赤髪の女性を見たのは確かなんだ。じゃあ、何故クレストライオンが徘徊する危険な場所に人がいるのかと……今は先に進んで自分で直接確認するしかない。
ゆっくりと周りに注意しつつ、前へ前へ。
◎
深い闇の中を歩き続けると、今までの道が嘘みたいに空も眺めることが出来るほどの見晴らしのいい広間に出た。
広間の中心はオアシスと言われるだけあって大きくて豊かな泉が湧いてた。
かすかな夜光に照らされて泉の水面が銀色に光っている。夜だと言うのに濁りのないとても澄んだ泉だ。
そして、澄んだ泉の畔に1人の少女が倒れているのを見かけた。
……リコだ。
今度こそ、リコだ。
「リコ!」
「リコちゃん!」
レティもルイも広間に飛び出してリコに駆け寄り抱き寄せる。
僕も遅れて3人に近寄って……はっと顔を逸らしそうになったが、ぎこちなく顔をリコへと向けた。
「……なんでリコ裸なの」
「いつも子供の姿の時はワンピースなのに……」
そう、リコは裸だった。
いつも人の姿になる時は一緒に服を出すようにって言い付けてあるし、リコはきっちりと約束を守ってくれている。
ルイが抱き抱えたリコの安否を確認している最中、「あ……」と僕は声を上げてしまった。
ようやく、先ほどから感じていた無数の違和感の正体がわかったからだ。
「り、リコ! リコ起きてよ! ねえっ!」
「ルイ落ち着きなさい。呼吸はあるしリコちゃんはただ眠ってるだけよ……」
違和感の正体は――輝いていなかったんだ。
先ほど見かけた大人のリコも、今この場に横たわるリコも火の粉のような燐光を髪から放たれていなかったんだ。
ついでと湯を浴びていた時に僕を見ていたリコに感じた違和感はこれだった。
あれもまた光ってなかった――まあ、あれは僕たちを囲ったクレストライオンの誰かだったのだろう。この状態になることをあそこで気が付くべきだったのかもしれない。
しかしリコの髪が輝いていようがいまいが些細なことだった。
今はどうしてリコがこの彷徨うオアシスで倒れていたのかの方が問題だった。
「――驚いたな。お前たちもヒトでもなく獣でもないのだな」
そう、この一帯を囲う影のどこかから人の声が聞こえた。
女の人の声……だと思う。
しゃがれがちっていうか、何か雑音の混じったようで抑揚のない落ち着いた声色がどこからか聞こえてきた。
「だ、誰かいるんですか?」
ルイに落ち着けと言っていたと言うのにレティが動揺しながらも僕らの中で1番に声を上げた。僕は倒れたリコに寄り添う2人を背に隠すように前に立った。
(先ほど見た女の人の声だろうか……)
耳をすまそうにも何も聞こえない。夜の音は1つとして聞こえない。僕たち3人とリコの細かな息遣い以外は全くと聞こえない中――またもどこからか女の声が響く。
「……いる。だが、私はお前たちのいう誰かではない」
「どういうことですか?」
「人ではないということだ」
ごくり、と小さく誰かが喉を鳴らした。
僕じゃない。夜の音が聞こえない。こんなにも緑豊かだというのに虫の声も、草木をいたずらっぽく撫でる風の声も、横に湧く透明で清らかな泉からも、何もかも聞こえない。
「……出来れば姿を見せてもらってもいいですか?」
「構わない……だが、姿を見せる前に1つだけ忠告しておく」
「忠告?」
「私を見ても悲鳴を上げないことだ。お前たちの声に刺激され男たちが襲いかかるやもしれない。この場をお前たちの血で汚したくはない」
女の他にも男の人がいるのだろうか。だとしたら随分と好戦的な人たちなのだろう。
わかりきってはいたけど確認のためと3人顔を見合わせて、頷き合う……よし。
「わかった……」
皆を代表して僕が同意をすると、女の声を出していたものが深い闇の奥からゆっくりと目の前の茂みから草木を踏みしめながら姿を見せてくれた。
……驚きはすれど、そこまでは動揺せずに彼女(?)を受け入れることは出来た。
それでも驚くことには変わりない。
僕は踵を擦るように後退りし、2人のどちらかからしゃり、と芝を踏み直した音が聞こえた。
「……私の姿を見ても顔色を変えないのか」
「…………あ……う、ううん。これでも驚いてる。喋ってるのだって、びっくりして言葉が出なかったよ」
「ふ……そうか」
リコを抱きかかえながらルイが彼女の言葉に返す。ただ、律儀にも忠告とやらは守っているようで、小声でだ。
「我々……クレストライオンとお前たちが呼ぶ種族は人語を理解できるようになっている。まあ、私のように言語を発声できるものは稀だがな」
彼女は――クレストライオンはそう口を開いた。女の声の出所は聞き間違いでもなくその口から発せられたものだ。
「……あなたは?」
「私はこの地を縄張りとする群れの長だ」
「長……」
自分のことを長だという彼女は僕たちを連れてきたクレストライオンとは顔つきが違うように見える。身体つきも細く、どちらかと言えばリコに近い。
雌のクレストライオンなのだろうか……そういえばイルノートが言ってたっけ。
クレストライオンは雌を頂点としたハーレムを作るって話だ。
「私を見ても動じない理由はやはりその娘、我々と同じ姿となり人の形を成したその不気味な娘が理由なのか?」
「……ええ、今は人の形をしていますが、この子は元々クレストライオンでした。僕たちは幼い頃からこの子と共に過ごしてきましたので、他の人たちと比べたら僕たちはそれほどあなた達を恐れる気持ちが薄いだけです」
「意味が、わからないが……そうか……まあ、別に恐れようが恐れまいがどうでも話だったな。その娘がクレストライオンだろうと亜人族であろうことも些細なことだ」
クレストライオンはそう言うと首を小さく振って喉を震わせる。機嫌が悪いように感じるのは気のせいだろうか。
真っ白な体毛と真っ赤な燃えるようなたてがみ。
人の言葉を話していることを除けばそこにいたのは僕たちには見慣れたライオンの姿があった。
すらすらと言葉を話すところから彼女は僕たちと変わらない程の知性もあるのだろう。
(もしかしたら、クレストライオンっていうのは魔物じゃなくて亜人族なのかな?)
かと言って友好的な関係を築けるかと言ったらどうかと思う。
今僕たちは喉元に牙を突き付けられているようなものだ。他のクレストライオンが今も茂みから僕たちを眺めているような気がしなくもない。
それでも僕は聞きたいことがある。
「どうして、リコがここに倒れているのか話を聞かせてもらってもいいですか?」
「……いいだろう――」
どうやら探索中のリコがこのオアシスに迷い込んだ、という簡単な話だったようだ。
しかし、リコは森に入った後は迷うことなく一直線にこの泉まで辿り着き、ライオンの姿を解いて倒れてしまった……と、言うことらしい。
ちなみに倒れた後、
「昼間に続き余所者が入り込んだと聞いて私自ら赴いた時にはそのように蹲っていたのだ。決して我々が何かをしたと言う訳ではない」
「……そうですか」
「……ああ、そうだ。だが、このままと言う訳にも行かないのでな。男であれば話は違ったが、そいつは女だ。群れの関係がこじれるのも困る」
この話が本当かどうかはリコが目を覚ますまでは聞けないだろう。
僕らは口を挟むことなく彼女の話を聞き続けた。
「……最初はどこぞのはぐれものが迷い込んできたのかと思ったのだが、群れの男がこの娘と同じ匂いをさせているモノが近くにいると言うのでな。厄介事に巻き込まれる前に出向いてもらって引き取ってもらおうと考えたわけだ」
そこでこのクレストライオンは部下というか、多分自分の男たちに僕たちを探させてここまで連れてきたってところかな。
「ああいう脅かすような真似をしたことは詫びよう。だが、こうでもしなければお前たちはここまで来てくれなかっただろう?」
「僕たちが暴れ出してクレストライオンたちと対峙した場合はどうしたんですか?」
「その時は仕方あるまい。お前たちはここに来ることはなかった……それだけだ」
それだけと言った目の前のクレストライオンはその後、今までの話し方からうんざりという口調に変えて続けた。
「昼間にも人間たちがここを訪れたことで皆気が立っている。血の気の多いものもいるのでな……連れてこられて勝手だと思うだろうが、さっさとその娘を引き取って帰ってくれないか?」
僕たちだってライオンの檻の中なんて場所はさっさと出たいよ。
もしもリコとの件が無ければゆっくりとしたいと思えそうな場所ではあるが、どこにクレストライオンがいるかもわからないような場所になんて長居もしたくはない。
だから、その提案に素直に頷かせてもらう。
「……ええ。そうさせてもらいます」
「ああ、そうしてくれ。こちらも長として気が気でない。若い女に惹きつけられて群れの男どもが騒いでいる。こいつが気を失って娘の姿にならなければ襲われていたところだぞ。余所者に発情するなんて忌々しい話だ」
じゃあ、彼女の言う通り早々にお邪魔しました、としゃがみっぱなしの2人の手を引いて立たせ、裸のままじゃああれなので、僕の着ていた上着を脱いでリコへと着せた。
そのまま、2人の手を借りてリコは僕が背負う。
出口まで案内すると言われて今度はこのクレストライオンの尻を追うことになった。
「でも、どうしてリコちゃんはこんなところで気絶しちゃったんだろう」
途中、何気ないレティの疑問に前を進むクレストライオンが答えてくれた。
「原因はその娘がこの地に流れている膨大な魔力を取り込んでしまったことだろうな」
「この場所のせい? 魔力?」
「ああ。そして、魔力を吸収したことによる自身の変化に意識が追い付かなかったのだろう」
「え、どうしてわかるんですか?」
突然そんなことを言われてもって感じだ。
「さあな。ただ、今もその娘の全身に溢れんほどの魔力が取り込まれているのはわかる……わかるのだ。私たちはそういう風に作られた」
「つくられた……?」
そう聞き返すとクレストライオンは一瞬、立ち止り、直ぐにまた歩き出す。
「……どうせ言ってもわからんよ。今のは聞かなかったことにしてほしい」
その後、クレストライオンは外に出るまで一言も話すことはなかった。
僕たちもつられるように話すのやめ、無言のまま彼女の後を着いていった。
黙々と歩いている時、僕はふと考える。
そういえば、ここまでくる間に見かけたあの女性は一体誰だったのだろうか、と。
最初は大人になったリコだと思ったのに、リコは僕らが来るまでに1度も目覚めることなくあの場にいたと言っていた。
じゃあ、誰だ?
「ここにはクレストライオン以外に人っているんですか?」
「……」
とりあえずと聞いてみたけど今回はだんまりで本当に最後まで話してくれることはなかった。
結局、わからないことばかりだ。このオアシスも。クレストライオンたちのことも。リコのこと、髪や身体のことも。
わからないままに終着へと向かう。
「ここだ」
ようやく前を進んでいたクレストライオンが口を開いてくれたところで、僕たちはオアシスの外へと出れた。
最初と同じくある境界から足を出すとどうしてかぐっと身体が重くなるような感じがした。長時間水の中にいた後に陸に上がる時のような感じだ。
雌のクレストライオンは僕たちに近寄ると、腕の中にいるリコへ鼻をこすりつけ、続いて抱いていたルイの腕へと鼻を近づける。おまけにぺろりと小さく舐める。
「……不思議なものだな。その娘を含め、お前たち全員、ヒトとも魔物とも違う」
「さっきも言ってましたね……わかるんですか?」
「滅多に人と出会うことはないが、匂いが違う。……それと味もな」
味とは言葉通りの意味だろうか。僕らは誰も口を開こうとしなかった。
「同じ種族としての縁だ。人にもなれず、私たちの元にも帰れない。もう獣とも人とも生きれる身体じゃないが、この娘のことを頼む」
「……言われなくても」
「ああ、頼んだ。先も言ったが、最初は身体の変化に着いていけず不調が続くだろう。気にかけてやってくれ……朝には目を覚ますだろう」
意味深なことを一方的に口にして、クレストライオンはそっと身体を反転してオアシスへとまた姿を消していった。
僕たちも、同じく3人並んでオアシスを後にして言葉もないままに歩き続けた。
重く感じた身体は直ぐに調子を取り戻し、逆に来た時よりは足は軽く感じるほどだ。しかし胸の奥には不満という感情がずんとつまされた気分だった――。
「……久しい匂いを感じた。以前追い出してやった女……妹の匂いだ。今にしてみたらお前たちの匂いしかしないので気のせいだろうなぁ」
掠れるような声が聞こえたので再度振り返った。
――でも、久しぶりに会えたような気がして嬉しいよ。
しかし、もうそこはとっくに見慣れた茶色の――今は灰色の荒野がどこまでも広がっていた。
オアシスは最初と同じくまるで煙に消えるかのように姿を消した。
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