第223話 浮かれ過ぎた結果、泣きを見る日

 テイルペア大陸のあちこちに出没する踊り岩ダンスロックの体内にはグニア鉱石と呼ばれる銀色に輝く希少な鉱石がに埋もれていることがある。

 運よく手に入れば豪邸ひとつぽんと買えるほどの値になる――実際、豪邸は無理でも、イイトコの酒場を一晩貸し切りにして飲み明かしてもおつりがくるほどには金になるそうだ。


「待てやコラぁ! わしから逃げられると思っとんのか!」


 そんな夢の様なもうけ話は、テイルペア大陸にいる冒険者が「あ~一攫千金どこかに転がってねぇかな」と始まり「じゃあ石でも割ってろよ」と続いて馬鹿笑いを浮かべるというのがお決まりだった。


(ああ、糞っ、あいつが目にかけてた女だって知ってたら誘いに乗らなかったのに……あった! だ!)


 さて――やかましい怒号を浴びながら、俺は入り組んだ路地裏を逃げ続けていた。

 俺を追いかける豚面の男はこの町唯一の赤段位の冒険者でもある。

 凶暴な魔物討伐の依頼が出たら真っ先に頼まれるくらいには腕も立ち、普段は冒険者ギルドの一角を陣取っては金魚のフンたちを従えてふんぞり返っている。

 そんなご立派な豚野郎と比べ、俺は夢見るせせこましい冒険者崩れみたいなものだ。


(ま、非力な俺じゃあ踊り岩なんて1日5体割れれば上等……しかも、あいつら直ぐに逃げるからな)


 踊り岩は気紛れで、退かそうとする時は全くと動かず、壊そうとすると直ぐに逃げ出そうとする。そして、逃げの体勢に入り、回転の勢いがついたらもう人間様の足じゃ追いつかない。

 時には群れで襲ってくることもある。

 下はほどの小振りなものから、上は俺の背たけ程の大岩なんてやつもいる。まるで落石の様に大小様々な踊り岩の大群に追いかけられる状況に比べたら豚1匹に追われるほうがまだましか? いや、どっちも場合に寄るか。

 おっと……。


「ちっ、あの野郎! どこ行きよった!」


 豚野郎は大きな足音を立てて去って行く――十分に機会を見計らい、潜んでいた大壺から這い出て地面に尻をついて大きく息を吐く。


「なんとか撒けたか……ちっ、俺は悪くねえよ。誘ってきたのはあの女だ……」


 昨晩ヨロシクした女とは一夜の遊びで終わるはずだった。しかし、問題はその女に恋慕をかける男がいたってことだ。

 その男は女の家から出たところで待ち構えていたとばかりに仁王立ちしていて、糞ったれな口上の後にお前を殺すなんて言われたら逃げるしかないだろ?


「はぁぁ……自分がモテねえからって逆恨みもいいとこ――……ん、なんだ?」


 壁にもたれ掛かりながら汗を拭っていると、町中が静まり返ったことに気が付いた。

 どうしたと大通りへと顔を出して覗いてみると、長い青髪を揺らす2人組の女が道の真ん中を歩いている。

 姉妹だろうか。

 地味な外套に身を包んだ瓜二つの女たちは町民たちを黙らせるほどの注目を一身に浴びていた。

 耳の長い俺らとは違う種族、確か天人族とか、魔族ってやつらだ。

 今までにも天人族は見たことがあり揃いも揃って大層な別嬪だったが、この2人はことさらに格別だった。


「へぇ……いるもんなんだなぁ、あんな別嬪さんが……」


 浅黒い連中ばかりいるテイルペアでも2人の真っ白な肌はとても目につく。日焼けをしない体質なんだろうか。

 ただ、ひとつ惜しいのは2人とも女と呼ぶにはあと数年足りないところだろうが……。


「かぁ……1度でいいからあんな女を抱いてみたいもんだ」


 そう過ぎ去っていく美女2人を眺めていると……とんとん、と肩を叩かれた。


「んだよっ、俺は今真面目に――」

「ほぉ、真面目に逃げる算段でも考えてたんでっか?」

「なっ、お前……がっ!」


 いつの間にか豚野郎は俺の背後に回っていて、振り向きざまに俺の頬を強く殴りつけてきた。

 蹲って痛みに身悶えていると、野郎は俺の髪を片手で掴んで引き上げて醜くくしゃくしゃになった己の豚面へと近づけてくる。


「よぉやっと見つけたでぇ……お前よくもわしの愛ぉしいジュリアちゃんに手を出してくれたなあ」

「ち、違っ……あれは俺が誘ったんじゃなくてあいつが――」

「ごちゃごちゃ言っとらんとさっさと去ねや!」

「待でっ、俺ば、悪ぐっ……がっ!」


 今度は俺の腹へと重たい一撃が送り込まれる。

 ぶちぶちと髪が千切れ抜け落ちる音を聞きながらまた地面へと放り投げられ、腹と背中と二重に痛みが襲ってきた。


(痛ぇ! 死ぬ! こんなの死んじまう!)


 もう駄目だ。このままこの豚になぶり殺しにされる。


(ああ、糞、こんなことなら有り金全部使っちまえばよかった――)


 ――と、俺が死を覚悟したその時だった。


「おうおう……まだ死なれたらかなわんでぇ……お前はこれからわしの怒りを――ぎゃばばばばっ!」


 豚は奇声と共に激しい痙攣を起こし、音を立ててぶっ倒れた。


「……えっと、理由はわかんないけどそれ以上は駄目だよ。その人死んじゃう」


 そして、その豚の背後から現れたのは見知らぬ女の子だ。


(いや、よおく見れば男……いや、男か? 男にも見えるし女にも見えるけど、やはり男だ)


 声の感じからもわかんねえけど、まあ男だと思う。

 さっきの2人組の美女といい、この美少年といいなんだ。

 こんなヘンピな町に珍しいったらありゃしない。


「大丈夫ですか?」

「だっ……大丈夫に……見え……」

「い、いえ……あ、今他の人を呼び……え!?」

「助か……」


 助かったよ。ありがとうな――そう言葉にしようと思ったが、まあ無理だ。

 そこが限界と俺は激痛から意識を失った。





「はん、目ぇ覚ましたけ?」

「あ……ん……? ……酒場のマスターじゃねえか」


 目を覚ますと、そこはいつも贔屓にしている酒場だった。

 俺はバックヤードで寝かされていて、今はこうしてマスターがいつも立っているカウンター側にいる。

 この町に来てひと月程度だが、顔見知りになった黒ひげのマスターは忙しなく酒を杯に注いでいた。

 いや、忙しなくだと?


「……なんでここが繁盛してる?」


 いつもは俺や余所者なんかしか寄り付かないような寂れた酒場なのに、今日に限ってはどこもかしくも客で埋め尽くされた。

 ……さらに客のほとんどが若い女だ。この町の女ばかりだか中にはギルドで見知った程度だが、俺と同じ余所から来た女の冒険者までいる。


「ま……あいつに感謝せえよ。あいつが殺されかけたお前を引っ張ってきたんじゃけ」

「あいつ?」


 と、言われてみれば店の中を忙しなく走り回る美少年くんの姿を見た。

 一瞬、誰だかわからなかったが思い返せば気を失う前に、そういや見たような顔だなと気が付く。


「あいつが俺をここまで運んでくれたってこと?」

「せやで」


 腕をまくった白シャツに腰には黒のエプロンをきっちりと巻いて働くその姿は不思議と人の目を惹きつける。

 一見、その大きな切れ長の瞳は人相を悪く見せるが、ふと見せる伏せ目がちな微笑には妙は色気を覚える。


「……男……だよな……?」

「ああ……信じられんが男じゃ……勿体ないのぉ……」

「嘘だと言ってくれよ……」


 まだまだ13~14くらいのガキだって言うのにあの溢れだす魅力はなんだ。

 同性だと知ってもなお身体の奥底からムラムラとナニかが沸き上がってくるような――い、いかんいかん。


「で、まさかうちで寝るだけ寝て帰るって訳でもねぇじゃろ? ほれ、さっさと表に回って席に着けや」

「お、おう……そう、だな! マスターとりあえずの一杯だ!」


 あれからどうなったのかもわからないが、こうして無事に拾った命だ。

 あの時最後に悔やんだ通り有り金全部使ってでも酒浸りになるか――とはいかないが、生きていることを噛みしめるためにある程度は財布のひもを緩めることにしよう。

 俺はマスターに言われた通りカウンターの外へと周り――


(ん? 先客か……すっぽりと頭までフードを被った怪しい2人だなぁ……)


 ――と、先に座っていた2人から1つ間を開けて席に着く。


「お、気が利くね。じゃあ、いただきまーすっと……」


 座るのと同時に置かれたいつものぬるい麦酒をあおり――くぅ! と無事に生き残ったことを喉の奥で実感した。


(いやあ、あのまま殴られていたら確実に俺は死んでた。あんな糞重いパンチ、2発でこりごりだ。見かけだけじゃねえな……ん?) 


 ふと、何かがおかしいことに気が付く。

 それを確かめるようにもう1回口に流し……ごくんと飲み込む。


「なんでだ? 口の中が痛くねぇ……それに腹も?」


 そういえばと頬を撫で腹を擦ろうとも痛みが無い。口の中も嘗め回してみるが全然しみることも無かった。


「……ああ、身体の痛み全然のぉなってんじゃろ? あそこのシズクが治しちょったぞ?」

「マスター何言って? シズク? あのガキが俺の怪我を? どうやって!?」

「お前は運がええな。普通治癒魔法なんぞにかかったら、銀貨の2、3枚は消えるっつうのに、あの坊主は治療費とらん言うとたで?」

「う、嘘だぁ? 治療費請求されても俺は出せねぇぞ……何か企んでんじゃ……」

「あの子がそんなみみっちい真似するたぁ到底とおてぇ思えんがね」

「本当かよ……」


 治癒魔法なんて貴族様が受けるようなもんじゃねえか。こちとら8リット銅貨の薬草の1枚すら出し渋るって言うのによ。


(……あのガキ、一体何を考えているのやら)


 魔法が使えるなら魔物退治なりどこかの金持ちさんのとこに雇ってもらった方が断然金になる。楽して金が手に入るって言うのにわざわざ辛い労働に精を出すこともない。

 現にはあちらこちらの席に呼ばれては注文を聞いてと大変お忙しそうなご様子だった。


「マスター! 5番テーブル、お酒のおかわり!」

「あいよ。たくよぉ、こんな忙しゅうなるなんて聞いとらんで!」


 頬緩ましておいてなぁに寝言ほざいてんだか。

 ま、助けてもらった俺が横からどうだこうだと言える立場ではない。

 おかわりを頼みつつ、頬杖を付きながらシズクとやらを肴にぐびぐびと飲ませてもらう。


「ねえ、ぼーく! こっちやこっち! お酒無くなっちゃったぁ! おかわり、おかわりもってきてーな!」

「……え、えっと…………ふふっ、皆さん酒ばかりでは身体に良くありませんよ。そうだ、一緒にボリュームのあるものも頼まれるのはどうでしょうか。ここのお肉料理とても美味しいですよ」

「えっ、そ、そそそ、そうなん? じゃ、じゃあ、お願いしちゃおうかな」


 確かにあの肉は旨そうだけど、ここの料理はちょっと割高なんだよなあ……って、値段聞いても即決かよ?


「こっちもぉー! ねえ、おねえさんたちと一緒に飲まへん? なぁなぁ!!」

「……すみません。僕の代わりにお客様には素敵なお酒を紹介させてもらいますね。少しお値段は張るんですけど、この辺りでは滅多に入らない逸品なんですよ」

「えー……しゃあないなあ。じゃあ、それもらっとこか!」


 一目散とシズクは裏へと走って持ってきた白葡萄の酒瓶……って、この店にある1番たっけぇ酒じゃねえか!

 あれ1本で俺がいつも飲んでるこの麦酒が5杯は飲めるっつぅのに……なんだよ。


「……んん?」


 なんだなんだ。さっきからどの席もシズクの言うことにみんな素直にはいはい頷いてる。

 あんなガキにおねだりされて悩みもしないで即決とかどうかしてんじゃねえのか。


(女の扱いがうまいな……でも、会話の端々に妙な違和感っつーか、慣れてないようなたどたどしいところを感じる……)


 それにしたって信じらない。

 笑顔ひとつで女落とせるなんて反則だ。


「いるもんだねぇ。ガキの頃からあんなにモテてて、まあ……」


 羨ましいのか悔しいのかわからず俺は大きく溜め息をついた――その時。


「……レティ、もう行こう! あんなの見てらんない!」

「ちょ、ちょっとルイ……すみません。お勘定お願いします」


 ……隣にいた2人組の片割れがカウンターを叩いて不機嫌そうに店を出ていった。

 残った方が慌てながら銅貨を覚束無い手つきで出して後を追っていって……ってあれ、さっき見た天人族の2人じゃねえか。

 こいつらもお目当てはあのシズクってやつなのかねぇ。


「はー……まじで神様ってやつは不公平だわ……」


 こいつは生まれた時からずっと周りにちやほやされて育ってきたんだろうよ。

 多分見た目からくる女絡みの苦労なんかもあったのかね。話し方はぎこちなくとも、女の扱いや線引きなんかはうまいうまい。

 身体に触れさせることなく、相手の金を絞り出すなんて真似、あの歳で出来るもんじゃないね。

 時折わざと見せる笑顔やら、自分のコトをそれなりに自覚してるっぽいところも……最悪だ。


(けど、あんなのでも助けてもらったからなあ……)


 正直、今の2人みたいに直ぐに店から出ていきたかった。

 現に出て行こうとして足を床に付けたところでふと、使っている宿を豚野郎に張られていたらと考えて座り直す。


(……うんうん。流石に助けてもらった手前、礼の1つくらい言っとかんとな)


 いつもなら屯ってるだけなら出ていけと尻を叩かれるのだが、今日に限っては上機嫌なマスターも何も言わない。

 ……と言っても、軽いつまみと麦酒をまた2杯ほど頼む。





 いつもよりも遅い配分で酒を口に運び、うっつらうっつらと船を漕ぎ、いつしかカウンターにうつ伏せて眠りこけてしまえばあっという間に時間は過ぎた。

 顔を上げれいつも通りの寂れた店に戻っていて、店中はシズクがひとり、モップを引いて掃除をしていた。


「……よっ、お前が助けてくれたんだろ。ありがとうな」

「起きたんですね。……あの、今更ですけど大丈夫でした?」

「ああ、本当助かったわ。もうあの時は死ぬかと思ってな――」


 ひと眠りしたと言ってもまだ酔いが残っていたのだろう。

 俺の口は自分でも驚くほどに滑らかに昨晩のことから今に至るまでのことを話していた。

 その結果、モップを抱えるシズクは顔をしかめた。


「俺は悪くねえよ。ただの逆恨みだ」

「でも、お兄さんはその人に恋人がいるかもって思わなかったの?」


 恋人? あの豚だけは無いとは思ってたよ。


「さあな。だが、いてもおかしくはなかった」

「……それなのに誘いに乗ったの?」

「当然だろ。据え膳食わぬは男の恥ってな」


 ま、酒が入っていたりである程度は口説きに入ってた。シラフであったなら、別に誘う気にもならないそこそこの女だ。

 それで俺より先にあちらさんから誘ってきたから、のこのこついて行って楽しませてもらったってだけだ。でも、その結果があれじゃあな。

 俺の答えが気に食わなかったのか、シズクはまたも顔をしかめた。


「なんだよ。なんか言いたげだな」

「……だって、恋人がいるかもしれない人とそういうことが出来るって言うのが信じられなくて……」


 はあ? さっきまでお姉様方ときゃっきゃうふふと楽しそうにしていたやつの言葉かよ。


「人それぞれだろ。恋人はいようと別の男と寝たいって女はごまんといるの。それがあの女だったってこと……つーか、独り身の可能性もあるだろ」

「じゃあ、お兄さんはその人の恋人になりたかったの?」

「ぶはっ、ないない! 別にそこまで深く考えてねえし、そういう人間関係に縛られんのは俺は嫌いだ」

「そっか……」

「男なんて自分で思う以上に下半身に正直なんだよ」


 空になっているとはわかってもついつい片されていなかった杯を煽り、底に残っていた1滴を舌の上に落としてからこう言ってやった。


「なあ、お前さ。肉と魚ならどっちが好きだ?」

「えーっと、あえて言えば肉?」

「じゃあ、肉だ。お前は明日から同じ種類の肉しか食べることが許されません。野菜も果物も魚も無し……そうなったらどう思う?」

「え、それはやだなぁ」

「な、嫌だろ。そういうこった」


 思わずニヤリと笑うとこいつは目を鋭くして俺を見てきた。


「……お兄さんは何が言いたいの?」

「同じ女ばかり相手にしても飽きるだろって話だ」


 どうやらこの話はお気に召さなかったようで、シズクは俺から目を逸らす。

 だが、ゆっくりと俺を真摯に見つめて口にした。


「でも、人は食べ物じゃない。僕が好きな人は……毎日毎日が真新しくて、同じことなんて何1つとしてないよ」

「……」


 ああ、そうかよ。今度は俺が目を逸らす番だ。


「……僕はやっぱり考えられないや。自分の好きな人以外を愛したいって思えない」

「……なん――」


 ――だよそれ。馬鹿らしい。

 じゃあ、さっきまでのてめえの振る舞いは何だよ。客に色目使って愛想振りまくって誘ってるようにしか見えなかったじゃねえか、等々。

 言いたいことは山ほどあった。今すぐにでも胸倉をつかんでやりたいほどにイラつかせもする。

 しかし、俺は言いかけたことを無理やり飲み込んで、無理に作り笑いを浮かべて濁す。


「あー……ま、人それぞれってやつか」

「そう、ですね」


 これ以上は俺はもう何も言うことはなかった。

 人それぞれ考え方は違う。ここで俺の考えを押し付けるなんてことはしない。

 その後、俺は支払いを済ませてとっとと店を出た。


「ガキ相手に何本気になりかけてんだか」


 けれど、宿までの帰り道、やっぱりと俺は思う。

 1人の女に固執するなんて、そんなの勿体なくねえか。

 男に生まれたんだからなるべく多くの女を知りたいと思わねえかってな。





 次の日、俺は早々に町を出る準備を始めた。

 昼間は荷造りをしながら身を隠し、夜になってから行動を始め、最後の挨拶と酒場に向かい……店の前にはシズクを出せとかシズクはどこだとか喚く何人もの女と、囲まれて困り顔のマスターの姿を見つけた。


「も、もうあいつは町を出ていったわっ! ここにはおらんって!」

(……あー、忙しそうだったから別れは告げられそうにないな)


 どうやらマスターとは運が無かったようだ。


「じゃあな、最後の酒うまかったぜ」


 遠くから軽い会釈と共に一方的に別れをすまし、豚野郎と鉢合わないようギルドにも挨拶に向かったところ、丁度帝都に向かう護衛の依頼が張り出されていたので当然と飛び込んだ。

 俺はさっさと荷物を背負って町の外へ。明日の出発だったが俺は町の外にいた雇い主に頼み込んで、今夜中から馬車の中に紛れ込ませてもらった。

 そして、商隊の1つとしてこの町からおさらばだ。


「……」


 その後、ごつごつと激しく揺れる馬車の中で俺はあの晩のシズクを思い出していた。

 別にあいつの働く姿を思い出していたわけじゃない。


(……あれはありじゃねえか?)


 酒場ってむさくるしい男のたまり場って思ってたが、ああやって見た目のいい男で女を釣って金を落とさせる――。

 いわゆる、女で客を釣る逆パターンだ。


「いけるか……? いや、いけるんじゃねえか?」


 俺はここで決心した。

 今までの不甲斐ない冒険者だった俺を見切り、商売人として生きていくか。

 ただ店を構えようにも今は金がねえ。

 じゃあどうすっかと地道に稼ぐほかにねえのかなぁ……はあ、一攫千金落ちてねえかなと――。


「おい、踊り岩ダンスロックが道を塞いでいる! さっさと追い払え!」

「はいよ!」


 ま、気ままに石でも割ってゆっくり稼いでいきますか。





 町を飛び出てから早2日……。


「……ねえ、そろそろ機嫌直してもらえませんか?」

「……ふん」

「……」


 そう、幕を閉ざして僕と距離を取ろうとする2人と、それに付き合う1人に声を掛けたが、馬車の中からはまったくと反応がない。


「はあ……」


 町を出てこの2日間、ぼくは2人とまともな話の1つもしていない。

 自業自得だとは言え、流石にもう無視されるのも辛い。


『なあ、シズクのことゆるしてあげたら?』

『他の女にちやほやされて喜んで……ぼく、絶対許さない! あんなの浮気だよ!』

『そうね……シズクの気持ちはわからないでもないけど、ああもやられちゃうとね……』

 

 まさか酒場での仕事を見られていたなんて思わなかった。いや、もしかしたら来る可能性もあったのに接客に夢中になり過ぎてしまった。

 男として見られたことが嬉しくてついつい調子に乗ったんだって言ってもルイは完全にへそを曲げてしまってこちらの言い分なんて聞いてくれない。

 いや、言い分とか無いとはわかってる。僕が完全に悪かった。

 本当に、ちょっと、ちょっとだけ! ちょっとだけ浮かれていただけなんだ!


「もう、ごめんったら! 2人とも機嫌直してよぉ! なんでも言うこと聞くからさぁ!」


 馬の手綱も手放して、僕は幕を開く。

 薄暗くひやり空調の整った馬車の中で、きらりと光る3人の目に睨まれながら何度も何度も僕はごめんと謝罪を続ける。

 開けないでとか出てってとか言われても今日はもう許してもらうまで引き下がらないぞ、と。


「ごめん! もう絶対あんなことしない……いっ!?」


 ぐいっと首元を引っ張られて馬車の中へと引き込まれた。

 くるんと仰向けに寝かされて、その上にレティとルイが未だご立腹中と言わんばかりに怖い顔をしながら僕を見降ろす。

 そして、2人して同時に僕へとしな垂れてきて――、


「……痛っ! か、噛んだ!?」


 2人は左右から僕の首に噛みついた。

 なに、無視の次は次は暴力なの!? って馬車の中の空調も相まって寒気に襲われる。

 「わ、ほんとうにかんだ」なんてリコが奥で驚いている中、伸し掛かっているルイがちらりと舌を出して、


「……なんでも? なんでも言うこと聞く?」


 と、なんとも悪そうな顔をしてそんなことを言う。

 いや、自分が流れからつい口にしてしまったことだ。だが、今更取り消すことなんて出来ない立場である。

 僕はぶんぶんと首を前後に振って頷く。


「な、なんでも!」

「ふーん」

「へぇ」


 と、ルイとレティは意味ありげに呟くと僕の上から退いて、2人してひそひそと内緒話だ。

 そして、どうにか話し合いが終わったのかお互いに顔を見合わせて頷いた。

 ルイが狭く揺れる馬車の中でも構わず立ち上がり、見下ろす形で僕へと指さした。


「じゃあ、これからシズクはまた髪を伸ばすこと!」

「え……か、髪を?」


 言われて髪へと手を伸ばしたところでレティが頷いた。


「男として見られて変な虫が集ってくるくらいなら、女として見られて男が近づいてくる方がまだましよ」

「うう……」


 そんな、折角男らしくなったのに!?

 だけど、訴えることなんて今の僕には出来なくて……。


「「返事は!?」」

「……はい」


 ……素直に返事をすることしかできません。

 さようなら、僕の男の子の時間。


「リコね。かみのながいシズクもすきだよ?」

「あ……ありがと、リコ……は、ははは……」


 ハイタッチなんかしてはしゃぐルイとレティを尻目に、僕は頬を引き攣らせて笑うしかなかった。

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