第216話 その日の終わりに

 余韻に浸って微睡んでいたところ、微かに聞こえる衣擦れの音に薄らと目を開ける。

 どうやら先に起きたシズクが着替えていたようだ。


「あ……起こしちゃった?」

「別に……いっちゃうの?」

「……うん。リコを1人ぼっちにはさせられないからね」


 続けて、ルイと共に横になっているこの寝具で寝るには狭すぎるから……とシズクは恥ずかしそうに頬を掻く。

 それからわたしの顔をまじまじと見た後「帰ったら寂しい?」とほざく。

 声を上げてルイを起こすわけにはいかないからぷい、っと顔を背けることを返事とした。


「拗ねないでよ。……わかった。もう少しだけここにいたいかな。ちょっと待ってて」

(別に拗ねてないわ。本心を漏らしたくないだけよ)


 シズクの洩らした微笑と扉の小さな開閉音を背中越しに聞く。

 彼の消えた暗い部屋の中へと顔を向けると、やっぱりと寂しく感じてしまったが、待ってろと言っていた通り、彼は直ぐと戻ってきた。

 どこに行ってたのかと思えばわたしの部屋らしい。らしいっていうのもわたしの部屋にあるはずの、サイトウさんが用意してくれたソーサルツールである鍵束を持参していたからだ。

 部屋主がここにいるんだから、わたしに断りを入れろよ――なんて悪態は吐けそうにない。


「ココア作るけどレティもいる?」

「…………いりゅ」


 ぼそりと呟くわたしを見て微笑みながらシズクは鍵束から1つ鍵を選んで掴んだ。

 鍵を握って小さく呟き収納ボックスを出現させ、中から茶色の粉末の入った瓶とお砂糖の入った瓶、普段わたしらが使っているマグカップを2つ取りだした。

 シズクはそれらを片手で持ちつつ、空いているもう片方の手の先から照明代わりの小さな灯りと同時に水の塊を部屋の中に生み出した。

 宙に浮かぶ水球を沸騰手前くらいまで温めてから粉末を入れ、軽く指先に集めた風でかき混ぜる。

 を操っては恐る恐る、ゆっくりと2つのカップへと注いでいく。

 わたしも毛布を身体に巻きながら起き上がり、寝具に腰を掛けた。


「お砂糖は?」

「いつも通りで」

「ん」


 閉じた収納ボックスをテーブル代わりにココアの注がれたカップを置く。お砂糖の入った瓶のふたを開け、おさじを差し込み、両方のカップに3杯ずつ入れてくれる。

 収納ボックスを椅子代わりに座ったシズクと向かい合い、差し出されたカップを両手で受け取った。


「ありがと」

「どういたしまして」


 小さくマグカップを触れ合わせて乾杯をし、お互い同時に口をつける。

 熱に気を付けながら、カップを唇に触れてこくりと1口。続けて1口目よりも多く口に含んでココアの風味と砂糖の甘みを感じながらも喉を通して身体に注ぎ、ほっと息を吐く。

 牛乳欲しいなあ……はあ……。

 と、再度一息ついて――ぎこちなくシズクと視線を合わせた。


「……やっちゃい、ましたね」

「……ええ……やっちゃいました」 


 お互いに顔を合わせて乾いた笑い声を浮かべ、ココアを飲んだ時の吐息とは別物の、何とも取れないため息をついた。


「こんなの普通じゃないわ……」

「ですよね……最初が3人って普通は体験しないと思う」

「そうじゃないでしょ……」


 何、的外れなこと言ってるのよ。確かに3人一緒にするってことも普通じゃないけど、こんな告白して直ぐに行為に及ぶってことが普通じゃないってわたしは言ってるの。

 普通ってどうなの? こんな告白からものの数時間程度で始めるものなの? 

 そりゃあ……わたしたちが奥手だったのかもしれない。だからこそわたしは納得いかないわ。


「告白した日にって……色んなものをいっきに飛び越えてきたわ……」

「僕も言ったんだよ。もっとお互いに親睦を深めてからって……」


 ルイのすることなすこと全てに流されたわたしたちが悪いのだろうか。

 今朝のことといい、もう少し厳しく止められたらって……今さら後の祭りだ。

 またしてもはあ、と深いため息をついて、ふと顔を上げた先、シャツの襟もとから覗くシズクの首筋に浮かんだ歯型が目についた。


「……その首の痕」

「え……あ、ルイに噛まれた、やつ……」

「……お、おそろいね」


 と、自傷気味に自らの首元を親指で指させば「そうだね……」とシズクは口元を引き攣らせる。

 またも2人で乾いた笑い声をあげ、同時にココアに口をつける。はあ……。

 何がお揃いなんだか。

 シズクの首の痕はいくつも重ねて噛まれていて、わたしのなんかよりも深く、血すらも滲んでいる。


「僕の首を噛んで痛みに耐えてたんだ。これくらい我慢しないと……ルイも痛かっただろうし……」


 そうね。ルイは痛そうに顔をしかめていたわね。

 首を噛ませている時、シズクだって我慢してその痛みに耐えていたところは見ていた。

 2人が身体を重ねている間、ずっとルイのことを気にかけて、慣れるまでずっとのままでいて、大事にしてるんだなってびんびん伝わってきたよ。

 ……あ――でもさぁ。


(何よ。わたしの時は気にもせずに、無我夢中に腰を動かしてた癖して……)


 今回とは違い、気遣う余裕なんてその時のシズクにはなかったものだし、それだけわたしに興奮して求められてたって言うんだからまあ悪い気はしないけどさ。

 けど、そういう私の時には無かったルイへの気遣いを見てるだけっていうのはそれはそれでなんだか悔しかった。

 まるでルイの方が大切にされてるんだって思えてしまったんだ。


(……だからかな。負けじとわたしも……)


 次第に2人に当てられたというか、その場の異様な空気に飲まれたっていうか。

 それとも、仲間外れにされているのが嫌だったのか、結局わたしも一緒にいたしてしまったわけだけど――つい先ほどまでの情事を思い返して身悶えそうになる。

 これでは朝と同じじゃないの……。


「うう……なんでこう……意志が弱いのよ……」

「……掘り返すようで悪いんだけど、ねえ、レティ聞いていい?」

「……はっ、え、えっ、と、なにかしら?」


 一体なによ? でも、ちょっと待って。

 シズクの話をちゃんと聞くため、落ち着かせるためにカップを口へと運び冷めたココアを口に送る。


「今朝のあれって何? ルイが言ってたけど本当にエッチの練習してたの?」

「……ぶがっ!」

「……大丈夫?」


 人が飲み物を口にしている時に変なことを言うな。ココアが変なところに入ったじゃん。


(何が大丈夫だ。お前のせいだろうが! ――いや、わたしのせいか。いやいや、これも全部ルイのせいだ!)


 ……なんて、責任の全てをルイに押し付けたかったけど、拒み切れなかったわたしも同罪なんだ。


「ごほっごほ……あれ、げほっ! だか、ごほっごほっ」

「ああ、いいよ。ゆっくりで」

「……げほっ……はぁ……もう、言うわよ。そうよ。ルイにせがまれて仕方なく――」


 と、わたしは咳が治まってから、もうどうにでもなれと開き直って口数は少なくともそれにいたるまでの経緯を説明した。

 そして、最後にごめんと謝った。


「なんで謝るの?」

「だって、女同士だとは言え……その、浮気っていうか……」

「浮気とは言い難いけど、なんかむかむかしたっていうか……うん。僕もごめん。蒸し返さなくていいことだった」

「いや、わたしこそ本当にごめん。たとえ妹だとしても彼氏がいるのにそのさ……うぅ……この身体になって理性が働かないことばかりなのよね」

「レティ?」

「……自分で自分が信じられないわよ。前のわたしだったら絶対にノーって突っぱねる場面なのに、今はこうして何事も無かったかのようにルイの隣にいられるんだから……」


 そうわたしは口にしながら隣に寝ているルイの頭を撫でた。

 でも、本当のところ、ルイの頼みだったからこそ拒めなかった。

 いつもわたしの励みになってくれた彼女だったからこそ、拒絶したくはなかった。

 ……なんて、今さらこんなこと言ってもただの言い訳になるから言わないけどね。


「……僕もだよ。感情が昂ると制御できないことばかり。以前は幼かったからって思ってたけど、今でも度々起こる」

「シズクもなんだ……この身体のせいかしら。この魔力で出来たこの身体が……」

「どうだろうね……」


 わたしたちの会話はそこで一度途切れた。

 2人してカップの中へと視線を向けて口を閉じ、じっくりと時間をかけた後、今の話が無かったかのようにシズクは口を開く。

 話の内容はわたしたち3人のことについてだった。


「これで、よかったのかな?」

「……わからないわ。でも――」


 わたしはまだ3人で1つになるってことに完全に承知したわけじゃない。

 また、一夫多妻なんてありえないし、その人の1番になれないのは嫌だって今も思っている。

 でも、今はあえてそれらは口にせず、もっと大きな理由として……。


「でも――……わたしたちはさ……元の世界に戻っちゃうじゃない」

「……うん、そうだよね…………あれ?」

「……何、シズク?」


 シズクは首を傾げだした。

 眉をひそめ、何かを思い出そうとしているような……けど、なんでもないって言うからわたしは話を続ける。


「シズクは、元の世界に帰りたくない?」

「…………半分半分」


 そして、彼は隠すこともせずに正直に本音を話してくれた。

 戻りたい気持ちもあるが、ここにいたい気持ちもあると。


「……そっか」


 わたしはそう呟いて、ほっとしていた。

 予想通りの答えだった。思わず苦笑しちゃうほどだった。


「レティ、こんな曖昧な返事でごめん」

「ううん、いいの。実は……今のわたしも同じだからさ」

「レティも?」

「元の生活に戻りたい反面、ここでの生活も手放したくない」

「……そっか」

「それに……ルイを置いていけないわ。この子をまた1人にするなんてわたしはもう出来ない」


 シズクの話が本当なら、わたしは今回のゲームの親の駒の王であるユクリアを倒したことでゲームは終わったはずなんだ。

 だから、褒美であるをあの真っ白な少女が叶えてくれるはずだったの、いつまで経っても彼女は姿を現すことない。

 忘れられたか、もしくはただのホラで元々叶える気なんてなかったか……。

 いや、別に白い少女が現れるのを待ち望んでいるつもりはなかった。

 むしろ逆で、ルイと再会してからはいつ来るのかと心配になっていたくらいだ。


「……」

「……」


 またも会話は止まった。

 ゆっくりとゆっくりと、カップの中を覗いでたまに口に付ける。

 ココアはもうすっかり冷え切っちゃっている。けれど、わたしはちびちびと名残惜しそうに口に運んでいく。

 大分間が開いて、いつの間にか空になったカップの中をわたしはずっと俯いて見つめていた。

 シズクの分も無くなったのだろう。

 彼は大袈裟にあおってカップの中の最後の1滴を飲み干してから、また話し始めた。

 

「ねえ、レティは本当に3人でいいの?」


 なんで聞くの。

 わたしは俯いたまま、カップの中を覗きながら答えるしかない。


「……シズクはいやなの?」

「嫌じゃないよ。むしろ――」


 と、口にしてシズクは一端、言葉を紡ぐのを止めた。

 どうしたのかと思って顔を上げるとシズクはびくりと肩を震わせて取り繕うようにぎこちなく笑ってくる。

 何その変な顔? 


「むしろ?」

「……ううん。僕はレティが3人なんて許すとは思わなかったなって」

「……確かにそうよ。わたしは3人なんて嫌だと思ったわ」

「じゃあ――」

「ねえ、もしも。もしもシズクがわたしの立場だったらどうする?」


 へ? とシズクは首を傾げた。


「たとえばの話で、わたしとドナくんとシズクが一緒に付き合うってなったら?」

「へ、ドナくんっ!?」

「だからたとえばの話だって!」

「……。それは、やだな……」

「でしょ? それと同じよ。……けど、自分で言っておいてなんだけど、わたしの場合は同じじゃないの」


 どういうこと? とシズクが言いたそうな顔をするで、言われる前にわたしは口を開く。


「わたしの場合はさ……生まれが普通じゃないとはいえ、であるルイだからってことが大きいの」

「というと?」

「んー、元々わたし1人っ子だったじゃない」

「うん。……僕もレティもね」


 もうすぐ弟か妹が生まれるはずだったシズクにはこの話はほぼタブーに近い話である。

 今も僅かに気を落としたことに気が付いたけどわたしは続けた。


「……今回だって、ずっと1人だって思ってたら血の繋がった妹がいたって言うのよ。しかも今までずっと心の支えにしてたような存在がそうだってさ」

「うらやましいな。僕もそんな人がいたらよかった」

「あー、うん。だから、きっと信頼とか親愛の度合いが他の誰よりも深かったからだと思う」


 そうルイだから……もしも、これが昨日今日あったようなどこぞの誰かさんって言うなら話は違ったわ。


「面識もないようなやつを連れてこられて『今日からこの誰々が新しい奥さんです。これから仲良くしてね』なんて紹介されたらわたしは断固として拒否したし、最悪野球じゃなくて血を見る結果にすらになったと思うわ」

「そ、それはまあ何とも物騒な……」


 シズクは顔を引き攣らせて言う。

 たとえの話だとしても私は大まじめだ。


「……本当よ。多分、きっとわたし、周りのことなんて何1つ見えなくなってその人のこと……えっと、だ――だから! ルイだから、特別だったってこと!」


 わたしはルイだからこそ3人で一緒になることを認めたの。

 嫌々じゃないけど、仕方なくってわけでもないけど、あまり気乗りはしないけど、でも多少はルイと同じものを共有できるって喜びがあったりもするけど。

 あ――もう! わたし自分でも何言ってんだろ!


「とにかく、他の人は絶対にいや! たとえウリウリがあんたの嫁になりたいって言ってもわたしは絶対に認めないし、本気で断るからね!」


 というか、ウリウリはわたしたちの叔母だし!

 ぴしっと指を立て、そこんとこわかった!? と第3の嫁候補が来る可能性を潰しておく。

 こいつに限ってはないだろうけど、本当に万が一ってことでね。

 そうわたしが豪語するとシズクのやつ、妙にニヤニヤと気持ち悪い顔を見せてくる。


「ねえ、わかってる? なんでそんな嬉しそうな顔してんのよ? って……ん? あんたどこ見て?」

「……だってさ」

「だってさってどういう――ルイ!?」


 振り返るとルイがぱちぱちと瞬きをしてわたしを見つめているのだ。

 おまけに毛布を鼻の下まで引っ張って、嬉しそうな顔をしてさ。

 何よ、なによ……人が真剣な話をしてるって言うのに、というかこれもまたルイに対しての告白みたいじゃない!

 あ――もう、なんて日なのよ!


「いつ、から起きてたの?」

「えっと……シズクはいやなの、あたりから?」


 毛布から口を出しちらりと舌を出す。

 続けて起き上がろうとするけど、


「いたっ……あっ! し、シズク……み、見ないで!」


 ルイは慌ててずり落ちた毛布を拾い上げて胸元を隠しつつ、その上からお腹のあたりを抑え出した。

 はあ……何言ってんだか。

 あんたさっきまで股開いてシズクを受け入れてたってのに、今さら恥ずかしがってどうすんのよって呆れそうになったけど、ぐっと飲み込んでルイの肩を支えてあげる。

 シズクが大丈夫なんて心配そうに聞いてくるけど、あんたにはこの苦しみはわかんないわよ。


「さっきは平気だったのにジンジンして痛い……治癒魔法使っちゃダメ?」

「……やめときなさい。次も苦しむわよ」


 治して閉じたらどうするのよ……どこがって言えるか、馬鹿。

 頬を膨らませて不満を募らせるルイには辛いけど、今日明日と我慢しなさいとしか言えないわ。


「この痛みってほんとうに最初だけなの? どうしてこんなに辛いの……レティも痛かったの?」

「きっとルイ以上よ。こいつ、人のこと串刺しにしておいてこちらの気も知りもせず、1人で必死な顔して腰振ってたの」

「何それ、不公平だよ……」


 ルイと2人でじーっとシズクを睨み付ける……ぷっ、何それ。

 シズクは1人で青ざめたり慌てふためいたりしてんやんの。

 もう馬鹿ね。半分は冗談よ。

 通過儀礼だって女として生まれたんだから仕方ないってわかってるって。


「……ごめん。ルイもレティも。痛かった、よね?」

「……ふふ、大丈夫だよ。ぼくシズクが好きだからこの痛みもシズクだから許せる」

「ま、そういうことよ……わたしは済んだ話だし、あんただから……えっと、これ以上言わせないでよ」

「ルイ、レティ……」


 何よそんな泣きそうな顔して嬉しそうにしちゃって。つられてルイまで照れ臭そうに眼に涙を浮かばせてさ。

 ルイもシズクも小さいことで直ぐに感情を揺さぶられて、まったくさぁ……なんて、わたしもまあ……人のこと言えないわ。

 だって……。


 ――こんな柔らかな3人の空気が久しぶりで、悪くないって思って、いつの間にか自然と2人と同じ様に感情がこぼれてたんだから。

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