第214話 おもいを通じ合わせる日

「……」

「……」


 シズクは黙ったままだ。ぼくも返答を貰うまでずっと笑ったままでいた。

 笑い続けたのは、直ぐに答えてくれないシズクの反応に、泣きそうになって、我慢したからだった。


「僕は……前にも話したよね」


 どれだけ時間が経ったのか。

 シズクは何度かぼくへと視線を彷徨わせてからやっと話してくれた。


「この身体に生まれてからルイを守ることを第一に考えて生きてきた」

「……」


 守る? シズクがぼくのことを? そんなことぼくは頼んでいない。

 ぼくだってシズクのことを守ってたよ……なんてことは話の途中だったから切り出せなかった。

 ぼくは頷いて話の続きを待った。

 

「でも、いつからかな……守るべき対象だった君に僕は惹かれてた」

「シズクが? ぼくを?」


 それは前にも氷の球の中に閉じこもった時に、壁越しに聞いた話だ。


(……惹かれてた?)


 惹かれていた、って言い方はまるで今はもう……ずっとシズクはぼくのことが好きだって思ってた。ぼくもシズクが好きだった。

 両思いだ!

 けど、それは幼い頃の話で、きっとシズクのそれとぼくのそれは似てるようで違うもの。シズクがぼくを好きって思う気持ちはきっと、シズクがレティを好きって思う気持ちとは別物なんだ。


「……でも、好きになっちゃいけないって思ってた」

「な、なんで?」


 シズクは辛そうな顔を背けたまま続けた。


「この身体はルイと同じ年齢でも、中身は今のルイと同じくらいの精神的な年の差があった。ルイはまだ子供も子供だったし、今みたいに大人じゃなくて……ルイには失礼な話だけど、子供を好きになるってことが僕自身が許せなかったんだ」


 子供ってどの時からかな――そういう疑問は浮かんでもぼくは口を閉じた。

 シズクは続ける。


「……元の僕はシズクとは違って普通の男だ。そこらへんにいる人と大差ない。きっとルイは幻滅するよ」

「……どういうこと?」

「つまり、魔法だって使えないし、特別すごいことも出来ない。顔だってその……普通の男子だってことだよ」

「……なにそれ!」


 ぼくはまたむっと腹を立ててシズクの頬をばんっと両手で挟むように叩いた。


「ぼくが顔で好きになったと思ってるの! ぼくはシズクだから、ぼくをずっと見てくれたシズクだからぼくはずっと好きだったんだよ! 意地悪だけど、いつも優しかったシズク……その中のシズクをぼくは好きになったんだから!」

「ごめん……そうだね。あやまるよ。でも――」

「それにぼくは昔のシズクを知ってる! レティの記憶からシズクが普通の男の子だった時も知ってるんだ! 幻滅することなんて何1つとして――」 

「――ううん、でも、僕はルイを好きなっちゃいけないんだ」

「……!」


 ぼくは口を閉ざした。

 好きになっちゃいけない、と今度こそはっきりと言われた。

 さっきまで大丈夫だったのに、急に身体中が寒くなる。目の前が真っ暗になっていく。

 ……いやだ。そんなこと言わないでよ。


「僕はレティのことも好きなんだ。ルイもレティも比べることが出来ないくらい2人が好きで……だけど、そんなこと僕の元いた世界じゃ許されない」

「……ぼ、ぼくだってレティもシズクも好き! どっちかを選ばなきゃいけないなんて間違ってる! ここはシズクたちのいた世界じゃない! なんで昔で考えるの! 今で考えてよ!」

「けど……僕はそんな風に――……ルイ……」


 これ以上聞きたくなくてぼくはシズクを強く抱き締めた。


「……やだっ、やだやだやだ! やだぁぁぁ!」


 なんでそんなこと言うの。

 ここは、この世界はシズクがいたところじゃないのに。

 昔じゃなくて今で見てよ。ぼくを。ぼくらのことを。


 今の顔を見せたくない――我慢なんてとっくに出来なくて、ボロボロと涙が流れていく。

 嗚咽だって漏らしそうなところをすっごい我慢する。

 こんなぐちゃぐちゃな顔もかっこ悪くて見せられない。


(……いやだよ。そんなこと言わないでよ。もういやなんだよ)


 ぎゅっと強く抱きしめてシズクから顔を隠し、シズクの耳元で力の入らない声で言う。


「もう、置いてかないで……ずっと、傍にいてよ。ぼく、もう胸の中が空っぽなの、いやだよ……」

「……ルイ」

「ねえ、ぼくってシズクのものじゃないの……? シズクはぼくのものじゃないの……?」


 ぼくはこの前までシズクのことを忘れていた。

 それはイルノートがぼくを思ってのことだったとしても、シズクを忘れていた時の虚無感は思いだすだけで辛い。

 もうあんな思いは2度と味わいたくない。

 もう2度と知りたくない。

 もう2度とだって……ぼくは、シズクと離れたくない。

 だって、ぼくはもう、シズクがいないと生きていけないから……。


「やだ……やだよ……シズク……ぼくもいっしょにいさせてよ……」

「……ルイ、これ以上困らせないでよ。……僕にはもうレティがいる。そして、僕はもうレティを選んだんだ。だから、勝手に3人になろうなんてレティに言えるはずは――」

「レティにはもう言ってある……3人で一緒になろうって……」

「……は? へ、ちょっと――」

「驚いてたけど……ぐすっ……最初は乗り気じゃなかったけど、今は説得済み……」

「……え?」

「レティにもぼくのお嫁さんにするって言った……」

「え、3人で一緒ってルイがこの場で咄嗟にした思い付きじゃ……ない、の? ……え、ちょっと待って……は? レティが承諾済みって? へ? なに、そっ……は? ……えぇぇぇぇぇっ!」


 またもシズクが大声を上げて驚いていた。

 今度のはもうぼくは驚かなくて、ただ泣きじゃくりながらシズクと名前を呼ぶだけ……呼んでいるとシズクはぷるぷると身体を震わせた。

 続いて「なんだよ、それ」とシズクが呟いた。


「……手だよ」


 ……え?

 ぼそり、とシズクがまたも呟き、ぼくは愚図りながらシズクの名前を呼ぶ。


「……シズク?」

「――勝手だよ!」


 それから、シズクは呼ばれた返事の代わりとばかりに叫んだ。


「……なんで、人がこんなに悩んで、苦しんで、ずっと、ずっと我慢してたっていうのに……!」

「……シズ、ク?」


 ひっくひっくと泣きながら顔を上げてシズクを見ると……あれ? シズクは目じりをぎゅっと上げて、とても怒ってる様に、見えた?


(え、怒ってる? なんで、どうして?)


 嗚咽は止まらないまま、ぱちぱちと涙で滲む目で瞬きをしていると、がばっとぼくの腕を掴んで引きはがし、泣き顔のぼくと目線を合わせてきた。

 そして、シズクも溢れるくらい感情を爆発させたんだ。


「ルイもレティも勝手過ぎるよ! 野球の件といい、今回の件といい! 僕がどれだけ悩んだと思ってるんだよ! しかも全部空回り!? この無駄に悩んで落ち込んでた日々が意味なしだってこと!?」

「……えっと、シズ」

「何がお婿さんになってだよ! ふざけないでよ!」

「シ、シズクっ!?」

 

 久しぶりに見たシズクの怒った顔にびくっと背筋を震わせてしまう。


(わぁ、男の子になったシズクだと迫力が昔と違う……)


 シズクは怖い顔の睨み付けてきて、ぼくはついぎゅっと目を瞑ってしまう。


「本当はルイもレティも選べなかったんだ! 2人とも大事で、大事で! だから2人の態度が変わったりして苦しんでたっていうのに、3人で一緒に!? 僕も一緒になれ!? 何その都合のいい話は!」

「け、けど、それで3人が幸せなら……」

「ルイはそれでいいの!? こんな3人一緒でってどこかで変になるとか思わないの!? 後悔はしないの!?」

「ぼ、ぼくはそれがいい! ぼくが決めたんだ! 変になるなんて思わないし後悔なんてない!」

「本当に!?」

「ホントだよ!」


 シズクはじっと吊り上がった目でぼくを睨み付ける。

 ぼくも本当は直ぐにでも目を逸らしたかったけど、怯えながらシズクを見つ返した。

 だって、ここで逸らしたらなんかシズクに負けたような気がして……そんな風にシズクのきつい凝視に耐えていると、ゆっくりとシズクの口が開かれた。


「…………なら、もういいよ! 勝手にしなよ!」


 え……勝手にって、え、つまり……?


「じゃ、じゃあっ!?」


 シズクの怖い顔を見ながらぼくの頬が自然と上がっていく。


「勝手にしなよ! 今回もさ! ……あぁぁぁぁぁっ、もうっ、悩み損じゃん! ありえないよ! 信じられないよ! もういいよ! 僕だって好き勝手にする! もう二股とか倫理観とか周りの目なんて知るか!」


 そう言ってシズクは大きく息を吸う――そして、ぼくに向かって叫ぶように宣言する。


「ルイもレティも両方とも僕のものだ! ――それでいいんでしょ!」

「う、うん! じゃあ、じゃあ!」

「僕だってルイが好きだよ! 自分だけのものにしたいくらい、好きで好きで仕方なかった!」


 シズクはさっきと同じく怒鳴ってきた――怒られてるはずなのにぼくは嬉しくて、顔を大きな笑顔を作ってしまう。

 ぼくが泣き顔から笑い顔に変わるのと同時に、シズクも怖い顔を崩して、大きく溜め息をついた後に、呆れ気味に頷いた。

 もう、シズクががなり立てることはしない。

 シズクは優しい顔と声であらためてと、


「……ルイ、僕は君のことが好きだよ。もう離れたくない。ずっとそばにいてほしい」


 そう言って、今度はシズクから抱きしめてくれた。


「うん……! ぼくもずっとそばにいる!」


 ぼくも負けじと抱きしめ返した。

 ぎゅってさっきよりも痛くて熱い抱擁なのに、とても嬉しいんだ。


「シズク、大好き!」

「僕も、ルイのことが大好きだ」


 好きで好きで仕方がない。

 言葉でも態度でも示すことが出来ない好意をシズクにもっとわかってもらいたい。

 ああ、もどかしいや。





 初めて心からの気持ちを伝えた後、僕らはずっと抱擁を交わし続けた。

 この抱擁は一枚のボロ切れに仲良く包まっていた時と似ているようでまったくと別物だった。

 今のルイは昔と全然違う。

 2年先を行ったルイは僕よりも少しだけ背が高いし、体格だって以前よりも女性らしくなっている。

 何より、泣き腫らした瞼に赤くなった頬、涙でぐちゃぐちゃな顔でもお世辞抜きで今のルイは綺麗だ。

 奴隷として働いていた頃や、レティを求めて旅をしていた頃の小さかったルイはもういないのだと、あらためて思い知らされた。


 はたして3人で1つになるという選択を選んで本当によかったのかと抱擁中も思い悩んでしまうけど、今さらやっぱりなしなんて言えはしない。

 むしろ内心では大いに喜んでいる僕が勝っていたりもする。

 ルイともレティとも一緒にいられる。こんな幸せなことは他には無いのだから。

 でも……と、この続きは今のルイには絶対に伝えられないものだった。


(だって、だって僕は……)


 いずれ元の世界に戻ってしまうのだと――表情に出たのか不安そうにルイが見つめてきた。


(レティの為にも帰らないといけない。だけど、僕はルイとも離れたくない……)


 だから、ルイがどうしたと先に聞いてくる前に、僕は彼女のぐちゃぐちゃになった顔を見たからという風に装うことにした。


「ルイの泣き顔すごいね。ボロボロだよ?」

「……え? い、言わないでよ! 悲しかったり嬉しかったりでぼく大変だったんだから!」

「うん……ごめん。僕のせいだね……」

「そうだよ。シズクのせいなんだから……ね!」


 ルイも顔を隠すようにまた強く抱き締めてきた。天人族特有のルイの長い耳が僕の頬を撫でる。つられて青い髪がふわりと揺れて僕の目を奪った。


(……いつかは話さなきゃいけない。離れなきゃいけない。わかってる)


 だけど、今だけは……問題を先送りにしてでも、彼女とまたこうして触れ合えることを僕は優先させてしまった。


「…………ねえ、ルイ」

「……何?」

「髪、触っていい?」

「え……うん、いいよ?」


 許可を貰った僕は手櫛でルイの後ろ髪へと指を通していく。

 後頭部から彼女の頭の形を確かめるように下へ送ると、指は1度も引っかかることなくするりと落ちた。


(……懐かしい。この感触は以前と同じだ)


 ルイの髪は僕の自慢だった。今も昔も変わらず、綺麗な青。出来れば日の登っている時にもう1度触れたい。

 何度も手でルイの髪を撫で続け、次第に目的の髪じゃなく、ルイを実感するために頭を撫でていると耳元でくすくすと笑いだした。


「くすぐったかった?」

「ううん……なんかね。メイド仕事をしてた時の朝みたいだって思ったら嬉しくて笑っちゃった」

「僕も、同じこと考えてた。思えば朝支度でルイの髪を梳かす時が僕は1番幸せだった」

「ほんとに?」

「うん。ルイの髪をさわってると優しい気持ちになれて、その日1日がんばろうって気持ちになれたんだ」


 そんな些細なやり取りを通して幸せを噛みしめながら、僕は今日までめげずに生きてこれた。

 もし、ルイがいなかったら僕は今とは全然違う存在になっていたかもしれないと常々思う。


「レティにはしなかったの?」

「レティは……普段は触らせてくれないね。というか、レティに対して触らせてって言ったことはないかな」

「そうなの? じゃあ、これはぼくだけね! レティが触ってって言うなら別だけど、シズクから触りたいって言っちゃダメだからね!」


 抱擁を外して顔を合わせ、ふふんと勝気な笑みを浮かべるルイに僕はついついからかいたくなってしまう。


「どうしよっかなぁ? そう言われたらレティの髪も触りたくなってきちゃったなぁ?」

「えー、だめ! これはぼくだけ……う~レティがどうしてもっていうなら考えるけど、シズクから触りたいって言っちゃだめだからね!」

「ふふ、わかったよ。僕からは触りたいって頼まない。これでいいかな、わがままルイさん?」

「むーっ…………ぷっ!」


 ルイは頬を膨らませて可愛らしく睨んできたけど、直ぐにぷっと噴き出して笑いだした。

 僕も一緒になって噴き出して、しばらく2人して笑い合う。そして、どちらともなく笑いが途切る。

 そのひと時の無言からルイがそっと僕の名前を呼んだ。


「シズク……」


 名前を呼んだ後、腰に回していた腕を僕の首へ絡ませる。

 ゆっくりと腕は引かれて僕が、え? と驚く中、ルイはゆっくりと目を瞑りだした。

 ……あれ、これって?

 突然の行動に1人で驚いている中、首に絡まったルイの腕が僕を優しくも引いてくる。

 そして、お互いの顔の距離も次第にゆっくりと縮まり、僕の唇とルイの唇との隙間も僅かになって――。


「――ふがっ!」


 ――重なろうとした寸前で、僕はルイの頬をぎゅーっと両手で挟んで押し留めた。


「にゃ……な、なんで!?」

「……え、ええ?」


 なんでって言われても?

 ぱちくりと瞬きをして驚き続けると、同じ様にルイもどうしてと言わんばかりに驚愕した面持ちで僕を見つめてきた。


「え、なんでって僕の言葉だよ!」

「え? え、え?」


 いや、だって今止めなかったら僕らキスしてたじゃん――と思って止めたのに、ルイはまさしくとキスがしたかったようだ。

 いやいやいや!


「そんな恋人になったばかりだっていうのにキスなんて、は、はや、早いよ!」

「……え?」


 カチン――と音が聞こえたかのようにルイは硬直した。

 頬から手を離したルイの表情は先ほどまでの幸せそうな笑みはすっかり消え、どうしてどうしてって本人が言わずとも混乱している様子は直ぐに読み取れた。


「……いや、だからね。もっとほら、段階を踏んでお互いに恋人として絆を深めてからさ……」

「れ、レティとはしたのに!?」

「レティは……ほら、恋人になってから何か月も経ってたし?」


 レティと初めてキスをしたのは多分恋人になって半年くらい……ヨリを戻した時期を含めて、それくらい時間をかけた。というか、死に別れていたと思っていた時間もある。

 そりゃ以前の僕だった頃も彼女とは直ぐにでもしたかった。けど、そういうキスをする雰囲気ってか、機会が無くて……。

 でも、だからって恋人になって直ぐってどうなのかなって……。


「シズクの馬鹿! どうしてそんな意地悪を言うの! ぼくたちはもう思いが繋がったんじゃないの!」

「だから意地悪じゃなくて……」

「黙れ!」


 餌を前にしたリコって言うのかな。ルイはお預けを食らって相当機嫌を悪くしたかのように眉を吊り上げては吠え出し、僕はびくりと身体を振るわせて口を閉ざすしかなかった。


「好きな人とキスをしたいって間違ってるの!? 絆なんて言わなくてもぼくたちはもっと深くて近い関係じゃないの!? どれだけ一緒にいたと思って……思って……っ!」


 さっきまでの幸せで穏やかな雰囲気はどこへやら。

 これ以上の口答えをしたら何を仕出かすかわからない、一触即発の空気がルイから流れ出す。

 ……けど、この線引きは僕だって譲れない。

 今回ばかりはルイがどんなにせがんだって僕は――って、え……ルイ?

 まさか、泣いて――あ、痛っ!?


「うっ、う~~っ!」


 顔を真っ赤にして、涙がぽろぽろこぼしながらルイは僕の頭をぽかぽかと殴り始めた。


「しろ~~! キスしろ~~!」

「や、やめ! いたっ、今鼻ぶつかっ! 痛いって!」

「しろったらしろ~~!」


 え、何この反応。

 さっきまで綺麗になったと思っていたルイはすっかり消えて、幼児の様に駄々をこねるルイに僕は呆然としてしまった。

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