涙零れる幸せの日々
第210話 夢から目覚めて悔いる日
嫌な夢を見た――ぞくりと背筋を震わせるような夢だったというのに、目を覚ました次の瞬間にはおぼろげなものになった。
「……っ!?」
残るのはしこりに代わった不快感と、夢でよかったという安堵感だけだ。
いったいどんな夢だったのか、何を見てここまで不安になったのか、今となってはわからない。
僕は両手で顔を擦るように揉み解し、一息をつけてから今一度目を開けた。
「へ……は、はは……」
思わず、乾いた笑いを漏らしてしまった。
夢だ。夢だった。
僕は今、夢から覚めてなお、夢の中にいた。
「また、あの列車の中だ……」
そう、僕はまたも客車の中で目を覚ました。
座っているのはいつも通り、列車の進行方向とは真逆の最前列ボックス席。車両の中をよおく見渡せる窓際の席に座っている。
窓へと目を向けば大人びた僕の――髪を切ったせいか今の僕と、それほど変わらない――顔が反射して映った。この顔になるまでもう間もなくのことだといることも直ぐにわかった。
今の僕より先へ目を向けると、真っ青な草原がどこまでも続いている。青々とした自然以外には動物といったものは見当たらない。
(僕の心象世界だっけ?)
確か時間がなんたらと言っていたけど、客車の中で椅子に身を任せて揺れ続けるのが僕の心の中だそうだ。
最後にここに来たのはアサガさんの世界からこちらの世界へ戻ってくる間に、話し合いの場に使われた時だったろうか。
あれから、まだ1年も経っていない。
「ここに僕がいるってことは、多分あの白い少女がいるはずなんだけど……?」
別に求めてはいなかったが、ついつい周りを見渡して少女を探してしまう。
しかし、色取り取り鮮やかな髪が並ぶ乗客たちの中には彼女らしき存在はどこにも見当たらなかった。
「いない? 毎回ここにいるのが当然とばかりに我が物顔でいるのに……」
「ひゃは、ひゃはは! 随分な言い草だね!」
「わっ!」
びっくりした。
今の今までは僕以外ではこの席には誰もいなかったはずなのに、気が付けば目の前の席に1人の男がニタニタと笑って座っていた。
更にもう1つ驚き、まじまじと目の前に出現した彼を見つめ直してしまう。
(……真っ白な青年だ)
髪の毛も、肌の色も、着ている法衣のような服も。
歳は今の僕くらいだろうか。椅子から腰をずらすように爆笑しているけど、背丈も同じくらいだろう。
彼はひゃははっと耳に残るような笑い声を上げている。そんな腹を抱えるほどに面白いことを言ったつもりはないんだけどな。
一体この人は誰だ……なんて、こんな人種、と言っていいのかわからないけど、このような風貌をした人なんて、僕は1人しか思い当たらない。
その1人と同じくすんだ灰色の両目をころりと揺らして彼は僕を見つめた。
多分、彼は白い少女と同じ存在なのだろう――と予想を付いていたが、あえて聞いてみた。
「……君は?」
「ひゃ、ひゃ、ひゃ……はぁっ……んんっ……いやぁ、ごめんね。ボクはいわゆるプレイヤーの1人さ」
「……プレイヤー」
やっぱり、と思いながらも身体を強張らせた。
夢の中だから何かが出来るかって訳じゃない。それでも、反射的に身構えてしまう。
「おっと、警戒しないで。ボクは子の方だよ。親じゃない。言い換えれば君たちの味方だ」
「本当に?」
「もしもボクが親であれば敵である君に姿を見せる理由も、こんな悠長にお話をする必要もないと思わない?」
男はどうしてと言うように首を傾けた。それから、だらけていたお尻を座席の奥に引っ込め、同じ高さの目線となって見つめてくる。
「……」
「信じられないかい?」
白い少女と同じの灰色の瞳は彼女とは違って人懐っこさを感じさせる無邪気なものだったけど、自分の心の内側を見透かされているかのような気分になる。
……居心地の悪さを覚えながらも、僕は本心を明かすことにした。
「……君たちは勝敗は勿論のこと、多分ハプニングとかも駒に求めてると思ってる。だから、こちらを信用させるだけさせておいて、いざっていう時に親だとバラした時の僕らの反応を楽しむくらいしても不思議じゃない……って、思ってる」
「ひゃは!」
僕の答えに白い男はけたけたと――いや、ひゃはひゃはと笑う。
やっぱり変な笑い方だ。顔を歪めてまで笑っているのに、どうしてか本当に笑っているようには見えない。生前の世界にあった身体を揺らして笑うピエロの人形みたいな……無機質なものに思えてしまう。
「君は面白いことを言うね! けど、ボクはそこまで歪んでないよ。それにボクは、ほら? 見た目の性別は男だよ? 君たちの主であるあの子も言っていただろ? 親であるプレイヤーは口の悪い女だって」
「む……確かに」
――ひとりは、口の悪い女のようなヤツですわ。
もうふたりは……ええ、っと。ひとりはすでに敗退して、もうひとりはずっと沈黙を保ったままなの。
無口のくせして癇に障る笑い方をするヤツの方が残っているはず――
そんな風に、白い少女も子であるプレイヤー3人の内ひとりは変な笑い方をするやつだって言ってたっけ。
笑い方ってだけを見ればこの人がそうだってことになるけど……でも、無口って話じゃなかったっけ。
「あ、性別を偽ってる可能性も……」
「やめやめ、そんな疑り深いままじゃ話は一向に進みやしない! だめだよ!」
「は、はあ……すみません……」
反射的に謝ってしまった僕を見て、白い男はまたひゃはと笑いだす。
「ここは騙されたと思ってボクと話をしてみ?」
……まあ、いいか。
毒気が抜かれたこともあるが、夢の中の僕では目の前にいるこの存在には何も出来やしないと思う。いや、もしも魔法が使えたとしてもこいつらに効くかどうかもわかりやしないか。
苦笑いを浮かべつつ、ここは素直に頷くことにした。
「……じゃあ、話っていうのはなに?」
「んー、そうだね。では、君たちが駒として参加しているこの遊戯について――」
白い青年はそう言いながら僕の顔へと手をかざした――手をかざされたことにまったくと反応できなかった。
多少気は抜けてたとしても顔に手が近づいてきたのに、僕は瞬きの1つもせず、彼の挙動を見届けてしまった。
「……っ!」
身動ぎをした時にはすでに彼の手は僕の顔を掴んだ後だった。
驚愕で震える程度の反応しか出来ないまま、目を瞑れと言われどうしてか素直に彼の言うことを聞いた。
冷たくも温かくもない伸ばされた手に顔を背けることなく僕はゆっくりと目を閉じた。
「まだゲームは終わってないってことを伝えに来た、かな?」
「……やっぱり?」
「敵味方含めて王は3駒とも未だ健在。ボクらの戯れは残念なことにまだまだ続く」
曖昧な理由だが、目の前の白い青年の話はどうしてか信じられると思った。
ユクリアは自分自身をこのゲームの親の所有する駒の王だと言っていたけど、彼の態度や言動なんかから信じられなかったこともある。
まあ、あれで終わっていたなら白い少女はどこからともなく姿を見せてたと思う。
そして、あっさり勝利宣言を上げて、こちらの都合も構わずに早々にゲームを終了させても不思議じゃなかった。
ユッグジールの里での1件からひと月が経ったが、彼女が一度たりとも姿を見せていないことからゲームはまだ終わってないとは思っていた。
(でも……今更僕らが勝ったところで何が得られるって――)
「……え?」
僕は慌てて目を開けて彼の手をはたき落とした……男の手から流れてきたものは、塞いだ瞼をすり抜けて僕の両目を通して身体中へと伝わってきた。
多分、見たのは1秒にも満たない時間だっただろう。
なのに今の僕にはおよそ1日分の時間が流れた感覚がある。
何を見たのかって、それは……。
「……今のは?」
「プレゼント」
「…………意味が、わかりません」
「じゃあ、あの人が君たちに用意していた報酬?」
「だからそうじゃ……っ」
声を荒げそうになったが、なるべく冷静に、冷静に振る舞うように努めながら口を開いた。
「……こんなものを見せて、あなたは僕に何をさせたいんですか?」
「あ、口調かたいよ。さっきまでのフランクな感じでいいって」
「……っ……いいから、教えてよ! 今のはなんだよ! なんで、なんで僕に……!」
僕は今、彼の手から通してとある映像を見せられた――あの1秒にも満たない瞬間、僕は1人の男の1日を俯瞰して見ていた。
見覚えのある部屋の中で1人、布団に蹲りながら身体を震わせ、ただただ心に傷を負って見えない何かに怯え続ける――元の世界に戻った僕を見せられていた。
なぜ、僕がああも怯えていたのか。理由は僕自身だからこそわかった。
今の僕が持っていないものを僕が取り戻したことが原因だろう。
シズクとして得た経験が良くも悪くも元の自分に戻った僕では耐えきれなかったのだ。
何故そこまで怯える必要があるのか、自分のことなのに今の僕はさっぱりと理解出来やしなかったが、自分自身のあんな姿を今の一瞬で、1日中見せられて平然となんていられやしない。
「あの子が君らに渡そうとしていた褒美がどういうものか、どういうことか考えて欲しいってことかな」
続けて「でもね……この場での話自体、君は覚えて――」と白い青年は付け足していたが、最後の方は呆然としていたせいか聞き逃した。けれど、別に気にもならない。
僕は彼の顔すら見たくないほどに腹を立てていた。だから彼が最後に何を言ったかなんてどうでもいい。
顔を背けて気を悪くしていると、白い青年はひゃはとまた笑った。
(やっぱりこいつも白い少女と同類だ)
人が落ち込んでたり腹を立てたりと感情を露わにしたところを見て楽しんでいる。
「――ひゃひゃっ……ま、こんな話をするつもりじゃなかったんだけどね。ボクはただ君と顔を合わせたかっただけなんだ」
「……はあ、そうですか」
ここでムキになって突っかかろうものならもっと彼を楽しませることになる。
僕は声量を下げながらも、そう答える他に無かった。
「では、名残惜しいけどそろそろ失礼するよ。君も目覚めるころだろうしね」
「……はい」
白い青年は席から立ち上がった。僕は見送りもせず窓の外へと顔を向けた。
足音1つ立てることなく彼は歩きだす。僕は顔を背けながらも、窓に映った彼を目で追い――窓に映る白い青年がふと立ち止まり、ああ……と思い出したかのように声を上げた。
「1つだけ言い忘れてたことがあるんだ」
「……なに?」
顔を向けずに窓越しに彼と話す。彼の目が窓に反射して僕と目が合った。
「今の君はいったい誰の持ち駒なんだろうね」
「……え?」
それってどういうこと――と今回ばかりは顔を向けたが、ひらひらと手を振って後方へと白い青年は振り返ることなく去っていった。
結局聞けず仕舞いで、がらがらと引き戸を開けて彼はこの車両から姿を消した。
「……なんだよっ、いったい……!」
彼がいなくなったことで僕は深く溜め息をついた。悪態も同時にいくつも吐いた。
しまいには奇声を上げて頭を思いっきり掻いた。
「はぁっ! やっぱり同じ人種だ! ……勝手に現れて言いたいことだけ言って……胸の中ごちゃごちゃにして……!」
ゲームが終わってないことだけを教えてくればいいのに、余計なものまで残していって、まったく……ん、あれ?
彼との会話を思い返して疑問が浮かび上がる。
「……確か、プレイヤー同士でも相手の所有する王は見当がつかないって話じゃなかったっけ? なのに、あの人はどうして僕が白い少女の王だって知っているんだろう」
それに「君たちの主であるあの子も言っていただろ?」って、どうして会話の内容を知っているのか。あの時の話はアサガさんたちの世界でしたものだ。
白い少女のことも気にはなる。
別に会いたいわけじゃないけど、やっぱりここで姿を見せないことのは不自然だ。不自然っていったって数度顔を合わせた程度の間柄なんだけどさ。
……でも、今更そんな疑問は些細なこと、か。
「……どうすりゃいいのさ」
勝手に参加させられたこの理不尽なゲームに付き合う理由はすっかり僕の中から無くなったのだ。
◎
ゆらゆらと浮いた意識と気だるく鈍い身体の感触がぴったりと一致したその瞬間――がばっ、と毛布を払いのけて起き上がったわたしの一声は簡潔なものだった。
「嘘でしょ!?」
嘘でしょう? 何が嘘かって現在の自分の状況だ。
今のわたしは払いのけた厚手の毛布以外は何も身に纏っていなかったのだ。
ブラもなければパンツもない。
全裸だ。はだかだ。すっぽんぽんだ。
じゃあ、わたしが身に着けていたはずのお召し物がどこかと見渡せば、寝具のまわりにわたしたちの寝間着やら下着やらが散乱している。
「……」
わたしたちって言うんだから、わたしの他に誰かいるのかって言うと、おもむろに首を傾けた先には未だ寝息を立てているルイだ。
ルイも当然とあられもない姿、っていうかわたしと同じく素っ裸で隣に寝ている。
こちらの気も知らず、日の光から逃れようとわたしが払いのけてしまった毛布を顔の上まで引き上げた。強く引いたから今度はお尻がまる見えになってる……ああ、そうね。
わたしと同じくルイもパンツを穿いてない。
「……夢じゃないのね」
現実から目を背けるように顔を両手で覆ってしまう。
どうやら信じがたいことにわたしは実の妹と一夜を明かし、いたしてしまった……そういうことらしい。らしいなんて曖昧なものじゃないことは、全身に纏わる疲労感と、お互いの身体に残された行為の痕が物語っている。
実はこの胸や内股についている赤い痣は虫刺されなのよ――なんて、虫刺されだったらどれだけ良かったことか。
(何よりわたし自身がはっきりと昨晩の情事を……ううっ……覚えているのよ……)
シズクとは違った低めの体温、子犬みたいにじゃれついてくる唇、もどかしくも焦らしてくる指先。そして、強くわたしを捉え続けた赤い瞳。
同性であるというのにルイは全身全霊を持ってわたしを求めてきた。
(わたしだって最初は、最初はっ!)
……抵抗したというのに、場の空気に飲まれてしまい、次第にルイに答えてしまったことも、覚えている。
「ああ……こんなの獣よ……獣以下よ……!」
天国にいるお母様。遠く旅立ってしまったイルノートお父様、は変か? え、っと最近忘れがちな……いえ、元の世界でわたしを産んでくれた(……実を言うともうおぼろげな)愛おしいお父さんお母さん。あ、いや、そこんところはどうだっていい!
(わたし、メレティミ・フルオリフィアはとんでもない親不孝です。顔向けなんて到底できません……)
どういうことだ、わたし。
何故思い留まれなかった、わたし――そう、自分自身に問いただして出た答えが次だ。
(だって、信じられないくらい興奮して、止まらなくなっちゃったんだもん……――くあっ、だもんってなんだ!? だもんじゃないだろうが!)
同性であるルイとの行為はシズクとは違ったものだった。
シズクとのコトを言葉で表すならお互いの隙間を満たす感じだろうか。
ルイとのコトは、お互いで包み合うような――昨晩のことを思い出すと……ぞくり、と背筋が震えた。
おぞましく思えて震えたのか、それとも、昨晩の快楽を思い出し震えたのかは自分でもわからない。
ただ、一方的にルイに言い寄られて仕方なく……なんて言い訳は出来そうにはなかった。
終わってしまったことだとは言え、今はもう項垂れながら頭を抱え、自分の仕出かしたことを悔いるしかない。
「これもあのアニスの馬鹿が……アニスの馬鹿が悪いのよぉぉぉ……!」
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