第209話 天人族の花嫁は
煌年699年13之月――里中を巻き込んだ2人の“
年の終わりは慌ただしい雰囲気に包まれるのが常だが、今年はエネシーラ様の喪に服すために多くの天人族は大人しく過ごしている。
ただ、今回の忌々しい出来事に関わったことで、大なり小なり様々な変化を伴った年末となった。
その様々な変化の1つとしてまず最初に、レド兄が魔人族のやつらのとこで暮らすことになった。
「この里に残った子供たちの面倒を見るくらいなら今の僕にもできるからね。実はさ、病気が治ったら先生になりたいって考えていたんだ」
というわけでレド兄は地人族のガキどもの面倒を見つつ、ゆくゆくは学校を始めるとのことだ。また、ガキどもが少しでも落ち着けるように、と見た目は同じ魔人族のところに居を構えるんだと。
ま、ガキどもが天人族のとこで住むっつーのも肩身は狭いわな。
またレド兄自身が異種族のやつらとの交流を望んでいることもあった。
治療法の件を含め、今回のことでレド兄にも何かと考えることがあったらしい。
「……僕はルフィスさんに着いていって自分の狭い世界を広げるんだ」
続いて、レド兄の弟であるレドはルフィス・フォーレと共に旅立つことになった。
なんでレドがルフィスってやつと一緒に行くことになったかって言うと……まあ、口説かれたから、か?
その時の様子を隣で見てたけどすげぇもんだ。
がっちり両手でレドの頬を掴んだと思ったら、ルフィスは自分の顔を近づけて舐めるように見渡してた。
ぎょろぎょろと見開いた目が上下左右と動き回り、十分に観察を終えたら終わったで「あなた、私のものにならない?」って馬鹿か!
すぐに一緒に野球をやった地人族の3人組と鎧を着た女に引っ張られて退場されかけてたけど……この時のことがきっかけでレドはルフィスと度々話すようになって、結局一緒に行くことを決めたんだとよ。
だからレドはもうここにはいない。
寂しいっちゃあ寂しいし、幼馴染だから多少は心配するけど元気でいてくれるなら俺は構わねえよ。
「ねえドナくん聞いて! ひどいよね! レドヘイル兄さんがまったく相手してくれないの! ひどいよね! 大人だっていうのに私のこと一緒にいる子たちと同じ扱いをするんだ!」
俺たちの中で変わらねえのはフラミだけかな。
フラミは引き続き四天の役職を続けながらも毎日魔人族のとこにいるレド兄のところに足を運んでいる。
アプローチをかけても全然相手にしてくれないってぶーたれてたけど、気にすることなんか何もねえんじゃね?
俺もちょくちょくレド兄のところに顔を出すようになってお前らの様子を見てたけど、ガキたちと同じようには扱ってるようには見えなかったぞ。
確かにフラミとガキどもの背格好は同じだけど……向けられる表情とか眼差しが全然違うことを自覚してないっつーんだからフラミもアレだよな。
ま、時間が経てば解決してくれると思うが、余計なお世話かもしんねえけど俺も後押ししてやるか?
まったくよお、俺に感謝しろよ。
……ただ、フラミの親父さんが怖い顔をして度々俺に娘の様子を尋ねてくるようになったのはどうにかして欲しいよ。
俺ら四天だけじゃなくて天人族でも色々と変わり始めた。
それは他種族たちと交流を重ねようという動きがあることだ。
賛否両論、積極的に関わるにはまだ躊躇ってしまうけど、少しくらいは歩み寄ってもいいという考えの人が多いらしい。
なお今現在俺らから離れて他種族のやつらのところで一時的に生活を行っている人たちもいる。
エネシーラ長老が呼び出した土巨人によって家屋を壊された人が他種族の居住区に一時的に厄介になっているんだ。
受け入れ先は隣の亜人族や鬼人族のとこだったりで、俺も四天の端くれだし……ルイに付き添って様子を見に行ったりもしている。
違う生活に慣れない奴もいるが、概ね良好的な関係を築けているようだ。
……えー、で、なんつーかな。
長々と他人の話ばかりしてたが、俺も変化を見せた1人でもある。
皆の知らないところで行われていたミッシング狩りなんていう暗部を知り、そのことから仲違いした親父から距離を取ることにした。
つまり家を出ることに決めたんだ。
そして、今でもどうしてそこなんだって頭を抱えちまうが、俺は鬼人族のやつらのところにお節介になることになった。
『ガハハっ! なら、俺のとこに来い! 住む場所なら用意してやるよ!』
これも試合後の打ち上げでついつい酒の回ったハゲ親父……おっと、鬼人族の長に妙に気に入られたからだ。
たくっ、いつもは怒鳴り散らして高圧的でむかつくって印象しかなかったのによ。あいつ、他人の色恋沙汰に煩わしいくらいに突っついてくるんだぜ。
お前は近所のお節介ばあさんかよって! ただ、俺も酒が入ってたとは言えシンシアのことを口にしたりで……がああっ!
はあ……その縁や鬼人族の長の好意? と親父との確執なんかで、俺は彼らのとこに移住することに決めたんだ。
すでに荷も運び終わってて今日の行事をこなした後でそっちの生活を始めることになっている。
……あ、今日の行事?
え、っと……その、だから。
つまり、今日の行事って言うの何かって言うとだな。
その……。
◎
「ドナ様……お待たせしました」
「お、おう」
「いかが……でしょうか?」
何がいかがでしょうかだ。
俺の目の前にはルイが着るはずだった……くそ、余計なことまで言いそうになる。
白無垢を身に纏ったシンシアがいつもの鉄仮面の下からそう聞いてきたのだ。
(……いや、この鉄仮面は緊張からだな)
いつもの無関心を装っていたお前はどこに消えたんだ――こんな嫌味の1つも今は出やしない。
あの日のルイと同じ衣装、化粧、佇まい……何もかもがルイと同じはずなのに全然違う。
ほつれの1つもなく綺麗に結われて纏められた金髪が日の光に当てられていつも以上に眩しく見える。
仕立て直されたなんてとんでもない。彼女の為に用意されたと言わんばかりの花嫁衣装を身に纏ったシンシアはどんな女も敵いやしない。眩し過ぎて目を合わせられないくらいだ。
そんな俺が口に出来たのは「お、おう」と情けない一言だ。
もっと褒めたりしろよって思うのに、気の利いたことなんてまったくと言えねえ。
「で、では……そ、その……と、とな、隣に……失礼、します……」
「お、おう」
それから無言でテントの中で時間が来るのを待つという苦行を強いられた。
いったいなんでこんなことしてんだ――って言わせてくれよ。わかってる。
今回の主役だと囃し立てられた俺がどうしてなんでと口にしちゃあいけないことは俺が1番よくわかってる。
ああ、そうだ。そうなんだよ。
今日は、俺ライズ・ドナとシンシア・ロレイジュの結婚式が開かれるんだ。
(……ああ、なんでだろうな。どうしてだろうな。なんでどうして俺らなんだろうな)
折角用意した式を使わないのはもったいないからってじゃあどうして俺がやるんだよ。
フルとルイが付き合うって言うんだから2人がすればいいだろ……いやいや、女同士だから駄目だろ。駄目かどうかは別に聞いたこともねえし聞きたくもねえよ。
「大体、本当ならあいつらがやればよかったじゃねえか……」
「……」
俺の独り言に反応してか隣に座るシンシアがこちらを向いた。
顔は緊張のままだったが直ぐに眉が僅かに下がったのを見た。
(……そんな顔すんなよ)
俺とシンシアの式を挙げればいいって流れを作ったのはお節介にも鬼人族の長だ。
ただ、おっさんの勢いに乗って、周りに頭を下げて式をやらしてほしいって頼んだんだのは俺だ。
今の弱音は緊張から来る逃げ腰の俺がつい口にしたもんだ。
ああ、今はただ式を直前に動揺するくらいにがくがくに震えてんだ。
「お前らがやらないなら俺に機会をくれ――か……よくもまあ、あの時はほざけたもんだな……おかげでこのザマだ」
「……ドナ様」
「なあ、シンシア……俺、今すっげぇビビってるよ……」
1人勝手に決めたこの挙式は直ぐに親父の耳元に届いて、即座に怒鳴り込んできて大激怒さ。オフクロはおろおろと狼狽えて今にも泣き出しそうだった。
勘当だ! なんて親子の縁すら切られそうだけど俺は強行したよ。
多分もしかしたら親父に対しての反抗みたいのもあったのかもしれねえな。
意地になったところもあっただろうよ。けど、意地以上に譲れないものだってあったんだっつーの!
(……だってよ。そうでもしねえと、こいつが……シンシアが俺の前からいなくなっちまうって思ったんだ)
こいつは要領が悪すぎるんだ。俺が覚えてねえような昔のことを律儀に守ったり覚えてたり、怒鳴り込んできた親父とオフクロの前で、自分の両親がなぜ殺されなければいけなかったのかと追及したいがために俺のお付きになったことを伝え、そして、復讐のために俺を殺すことも視野に入れていたなんて馬鹿正直に答えるやつなんだ。
こういうやつだから、無い罪の呵責に苦しんで俺の前から姿を消しても不思議じゃない。まだ1年もない付き合いだったが、責任感の強いこいつならするだろうよ。
ふざけんな。
ここまで人様の胸の中かき混ぜておいて、迷惑をかけたくないからおさらばですってか。ここまでされた俺が逃がすかと思ったのかよ。
「……お聞かせください。ドナ様は、私なんかで……本当に、後悔しませんか?」
「してもいねえのに後悔なんてするかよ。というか、俺が決めたんだぞ。……お前こそ、俺なんかで良いのか?」
「……以前と同じく、私はドナ様と共にいたいと願っています」
「……」
俺はもうこれ以上話すことはなかった。
はいも、いいえも、そうかも、おうも、シンシアの言葉を最後に俺は話すことはなかった。
話す前に準備が整ったと呼ばれて席を立つ方が早かったんだ。
前回の祝儀とは違って今回は種族ごとの演舞が無い分、直ぐに俺たちの出番となった。身構えることも気を落ち着ける間もなく式は進行していく。
エネシーラ様がしてくれた祝詞はレドの親父さんが引き継いでくれたが、仮面をつけたままっていうのはなんだ。声を発するたびに仮面ががくがくと震えてくる。
親父は今回の式には当然出ていない。オフクロも舞台の上には姿はないが、もしかしたら舞台下の大勢の人の中から見ているのかもしれない。
(笑って。ドナくん。怖い顔をほぐして笑おう)
祝詞が詠まれる中、前のシンシアと同じ白い衣装を着たフラミが盆を持って囁いてきた。言われるままに無理やり笑ってみせるとフラミの野郎……顔を引き攣らせやがった。
(おい、なんだその顔は、てめえ覚えてろよ……くそ、おかげ助かったよ)
このまま声を掛けられなかったら緊張のあまり盃を取り損ねて落としてたかもしれない。
胸の中で悪態と感謝をごちゃ混ぜにしながら盆の上に置かれた盃を受け取った。
赤い樹液がとろりと盃の中で揺れ動く。
震えながらも盃に口をつける――味がわからねえ。
以前は舌に触れるだけでも吐きそうになったっていうのに麻痺したみたいだ。
盃を盆に戻した時、あ……と後悔した。盃に注がれていた樹液を全て口に含んでしまったのだ。
もう盃は戻しちまって後には引けねえ。じわじわと味覚が戻ってきて吐きそうになる。
(苦え……やべえよこれ……)
今、俺はぷくって頬を膨らませた場違いな顔をしてるよな。
隣のシンシアを見れば再三忠告したのに、と言わんばかりに眉をひそめている。
(お、硬直が解けてる――じゃねえ! ああ、くそ。やらかした!)
飲み込むことも考えた。だが、その前に先にシンシアが俺の前へと1歩前に立つ。
このまま続けろと言わんばかりに俺へと顔を仰向いて、だ。
いつもみたいに鉄仮面の癖して真摯に俺を見つめてきやがって……なんだよ。
何求めてんだよ。ああ、わかってるよ。
キスだろ。ちゅーだろ。接吻だろ!
そんなの1つや2つ簡単にしてやるよ。
俺たちはそれ以上のことだってしてるだろ。こんなの楽……楽勝だよ!
(ねえ……レティ……ルイの時は、僕……頭真っ白でよく見てなかったけど……天人族って口移しで液体を交わすのが夫婦の契りの証……?)
(待って……言わないで。わたし……知らなかった。そんなの知らなかったわよ)
(……何、2人ともどうしたの?)
「「な、なんでもない!」」
(くそ、あそこの3人うっせえぞ!)
ちくしょうっ、お前らのせいでこうなったんだ! と、舞台下のどこにいる3人を胸の中で呪い(だから、ちげえって! 俺が望んだことだろ!)と自分を呪って続けるしかない。
「……構わずにどうぞ」
ぼそりと呟くシンシアに最後のダメ押しまでされる始末だ。
ああ、もう恨むなよ……っと、俺はゆっくりとシンシアへと顔を近づけていく。
顔を斜めに傾けて距離を縮めていくとシンシアは目を閉じた。俺も触れる瞬間に目を閉じた。
ゆっくりと彼女の唇を自分の唇に押し当てる。
柔らかな唇の感触はもう何度だって知ってるのに、いつだって新鮮だ。
そっとシンシアの唇に触れ、そっと息を吹き込むように赤い樹液を口移しで送る。
ゆっくり、こぼれないように触れる相手に合わせて……そして、全てを送り込んだ後に唇を離す。あ、馬鹿。全部送り込まなくたってよかったじゃねえか。俺が責任をもって半分飲み干せば……あーもう。
後はシンシアが受け渡した樹液を――……ん、あ、こいつ!
「……おい!」
「……っ」
ここで新婦は飲んだ振りをし、用意しておいた布巾に汚れた口元を拭うように含んだ樹液を出して染み込ませ、みすぼらしくない様に皆に見せるって言うのがやり方だっていうのに……シンシアのやつ……!
お前、全部飲みやがったな!
「……けほっけほっ」
「ああ、馬鹿……無理するから!」
「……私なりの誠意のつもりです」
咳き込みながらも布巾で口元を拭い、僅かに赤く色付けて皆に見せる。それ口紅じゃねえか?
舞台の下にいる天人族たちの1部から嘆息としたものが上がる。飲み干すってすげえことなんだろう。
俺だってすっげ苦かった。こんなの飲もうとする前に反射で吐いちまうよ。
「たくよお……なぁにが誠意だ、ばぁか! そんなんじゃ足りねえよ!」
「……そう、ですよね」
「ああ、まだ全然だ! 全然……お前は俺が嫌だって言うまでずっと隣にいてもらうからな」
「……ドナ、様」
なぁにがドナ様だ。ふざけんな。そんな嬉しそうな顔をして。無表情でいる方がいいんじゃねえのかよ。ああ、もう畜生!
俺、完全にこいつに惚れ込んでる。フル以上に惚れ込んでいる。
まだ15年しか生きてねえひよっこの俺だけど、こいつ以上に好きになる女なんてできねえよ。
お前が逃げてえって言っても絶対離してやるもんか!
さっきお前に言われたけど逆に言い返してやるよ。
後悔してもしらねえからな!
◎
前回みたいな突然の乱入者も無く、式は無事滞りなく終わりを迎えた。
後は来客者たちに見送られながら、天人族の居住区にかかる橋に向かえばいいんだけど……その前に俺は新婦であるシンシアを連れてフルとの長年の決着をつけることを決めていた。
長年の決着っつうのも言い方はアレだけど、まあ俺なりの男のケジメだ。
「おめでとう。ドナくん」
「ああ、ありがとう、な」
こっ恥ずかしくなりながらも見送りにいた3人の中からフルを呼びだし、シンシアと2人で向かい合った。
以前のフルは俺と同じ背丈だった。なのに今は俺だけが変わって大きくなっちまった。
同い年齢だったはずなのに2歳年下になってるって話は今もよくわかってねえよ。
でも、2歳離れたとしてもフルは信じられねえくらい女らしくなったよ。
すっげえ色っぽいっていうか、綺麗になってさ……けど、俺は言うんだ。
「シンシア、ちょっと聞いててくれ」
「え……は、い……?」
妻となった彼女を後ろに俺はフルの前に立ち、今までの気持ちを告げるのだ。
「なあ、フル」
「何、ドナくん?」
「俺さ――」
「ん? まさか、わたしのことが好きだったとかこの場で言うの?」
「実はお前……は? はあ!?」
な、なんで俺の気持ちをわかってるんだよ!
ばればれだった――ってなんだよそりゃ!
面白くねえ! 俺が一大決心をして言おうとしたもんをこいつはあっさりと言い放った!
つまんねえ! つまんねえ! それと、このままじゃ気が収まらねえ!
「……聞け! フル!」
「何?」
これはもう最後の最後にやり返さないと俺と言う男の沽券にかかわる。
だから俺は言ってやった。もう言うことはばれたとしたって続けてやったんだ。
「確かに俺はお前のことが好きだった! だけど今の俺はシンシアが好きだ! だから、悪いが俺のことは諦めてくれ!」
「……へ? は、はあ……」
言った後に失敗したって思った。かあ、と顔が熱くなるのが自分でもわかる。
何を言ってるんだ俺は! しかしもう口から出した手前引っ込みはつかねえ!
勢いに身を任せることも大事だって――インパの野郎も言っていた! 現に勢いに任せて俺は今日を迎えたんだ!
「お前はもったいないことをしたんだ! 偉大な天人族の中でも最高の男になるライズ・ドナっつう秀逸した伴侶を得られなかったんだからな!」
「は、はあ……」
呆れ気味に呟くフルに俺はますます動揺する。言わなくていいことを口走る。
そうじゃない。俺がただフルが好きだった自分へのけじめをシンシアの前で見せたかっただけだ。
(ああ、もう、何だよ、この展開は! くそ、これじゃあ俺の負けっぱなしじゃねえか。気に入らねえ!)
だから、だから、これが本当の最後で最後のお返しだ――と、明らかに暴走していたが、俺は構わず行動に起こした。
それが何かって言うと……俺はすっと前に出て、フルとの距離を詰め――。
「……っ!?」
――フルの唇に、自分の唇を押し当ててやったんだ。
「……な、ななななっ!?」
「へ、へへへっ!」
「ド、ド、ドドド、ドナ様!」
軽く触れるかどうかってくらいだったが、フルは目を見開き口元を両手で覆って驚いていた。
シンシアですら動揺するこの状況、俺はしてやったりという浮かれたよ(後でなにやってんだってもがき苦しむんだけどな)。
「……は? え、今……ドナくん? お前、何して……」
「え、待って! シズク待った!」
直ぐにシズクの野郎が俺らのやり取りを見たのか、すっげ―怖い顔をして近づいてくんの! 驚きながらもルイが慌ててシズクの腕を掴んで足止めをしてくれる。
はは、フルどころかシズクに対しての仕返しも十分だ!
「ど、ドナ様これはどういうことか……」
「よぉしっ、逃げるぞシンシア!」
「ちょ――お待ちください!」
花嫁姿のシンシアを抱きかかえ、俺は直ぐに橋に向かって逃げ去る。
女1人抱えて走るっつうのも俺にはかなり無茶なことだった。しかし、俺は根性で神域の間をつなぐ橋へと走り切った。
これくらい我慢できずに何が男だって言うんだ! だいたいここで立ち止まったらシズクに殺されるかもしねえ!
「大将――幸せにな」
「ああ、ありがとよ!」
橋の手前、すれ違いざまにそうインパと言葉を交わし、俺は振り向くことなく逃げ去った。
そして、神域の間を抜けて橋に足をかけたところで、ようやく走るのをやめた。
こんな短い距離しか走ってねえのに息が乱れて汗も流れる。
「はぁはぁ……くくっ、だっせぇ!」
自分の醜態にも情けない部分も何もかもが笑えてくる。
だけど、見ただろ。フルのあの顔、傑作だ。あの驚き方は今まで15年生きた中でも見たことはない!
呼吸が荒れる中で先ほどのフルの顔を思い出してぷっと噴き出し浮かれていたが……まあ、なんだ。
「なあ、シンシア」
「……」
「おい、シンシアってば!」
「……知りません!」
笑っている俺と真逆で腕の中にいるシンシアは大変ご立腹中のようだ。
「……信じれません。妻となったばかりの女の前で他の女と接吻を交わすなんて!」
「そりゃ、そうだ」
「やはり、私よりもフルオリフィア様の方がよかったんじゃないですか!?」
「あれは俺なりのケジメなんだよ。ま、告白だけだったんだけどよ。まさか自分でもキスまでは考えてなかった」
くくく、と笑いが漏れる。またも知りませんと腹を立てながら俺の胸を小さく叩く。
そして、俺から距離を取ろうとするシンシアの手を拝借して引き寄せる。
「なあ、俺の名前を呼んでくれよ」
「は?」
「いいから」
「……ドナ様?」
……はあ、やれやれ。
なんだよさっきからドナ様ドナ様って。
今日からお前もドナ様だろうが。
「……ちげえよ。俺の名前はライズだ」
「ライ、ズ?」
きょとんと眼を丸めるシンシアに俺は小さく頷いた。
「そうだ。旦那の名前くらいちゃんと呼んでくれよ、なあ……シア?」
「……ライズ様?」
「様はいらねえよ! このばぁか!」
きちんと決別するために告白するつもりがキスをかましたり、妻を怒らせたり先を思いやられる俺だけど……な、こんな見っともない俺だけど、シンシア……シア……俺は……。
「きっと大事にする、からな」
「……はあ、左様で。期待はしないでおきますね」
「な、そこは嘘でも期待してるって言ってくれよ」
「それならあなたもきっとなんて曖昧に言わないでください」
「ぐっ……わかった。……ずっと大事に、する!」
「……」
「……ダメか、シア?」
むっと頬を膨らませたシアだったが、笑みを見せてくれるのは直ぐだった。
「……ふふ、はい。私もです。これからもお慕いし続けます……ライズ」
「ああ……!」
これから俺たちにはいろいろなことが待っている。
辛いこと、悲しいこと、苦しいこと。幸せなことや楽しいことばかりじゃないことはわかってる。
今回の婚約だって俺の両親からは承諾を貰ってない。友好関係はズタボロのままで始まるんだ。中でもシンシアの両親をうちの親父が殺したっていう修復不可能な最悪な溝だってある。
でも、何百年かかろうとも俺がその深い溝を埋めてやるんだ。
「行こう、シア」
「はい、ライズ」
ただ今だけは、見えない将来ではなく、目に見える幸せを噛みしめて、俺たちは手を繋いで歩き出した。
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