第192話 立ちはだかるイルノート

 氷の花の中心、水晶玉の中にいるルイが歌い始めた。

 囁く様な声量なのに、彼女の身体からまるであふれ出すようにその歌声は神域の間に響き、遠く離れた僕らにも届く。

 相変わらず冷たくて悲しい気持ちに溢れているような歌声だ。


「もう終わったんだよ! ルイ!」

「ルイ返事をしなさいっ、ねえ!」

「みゅみゅ――!」


 僕はリコに跨って、レティは鳥に乗りながら舞台上のルイを呼びかけながら駆けつける。

 水晶玉の中から2つの赤い目が僕らを捉えていた。

 1つは虚ろで僕らへと視線を向けてはいるが、実際のところ僕らを見ているのかわからない。

 ただ、もう1つは憎しみを込めたかのように僕らを凝視している――憎悪にまみれた赤い目がキっと僕らを鋭く射抜き続けるの同時に、球体の中のルイが僕らへと手をかざす。

 彼女の手の先で、水晶玉から分裂するかのように水の龍が飛びだしてきた。


「龍っ……きゃっ!」

「レティっ! わっ!」


 水龍は勢いをつけて飛翔してきて、最初に空を飛ぶ鉄鳥へと衝突し搭乗していたレティを尻尾で叩き落とす。続いてくるりと空中で身体を翻し、僕とリコへと大きな口を開けて噛みつこうとして――。


「みゅう――!」

「リコ!」


 リコは僕を振り下ろして、水龍へと飛びかかった。

 水龍の首筋に噛みついて鋭い爪で何度もその透明な身体を引っかき、長い胴体に絡みつかれても僕らへと龍が向かってこないように抑え込んでくれている。

 リコは首に噛みついたまま「先に行けぎゅぎゅ――!」と叫んだ。


(リコ。ごめん。水龍の方はお願い……!)


「……レティ! 大丈夫!」

「つぅ……いけるわ!」


 地面に転がったレティと同時に立ち上がり、リコへと一瞥をくれながらも2人顔を見合わせてすぐに舞台へと走りだす。

 ルイの片目が一段と僕らを睨み付ける。

 今度は龍ではなく、無数の水球を球体の周りに漂わせて以前の様に氷柱を僕らへと射出してくる。


「やめてよ! 攻撃なんかしないでよ!」


 僕は焔迎の籠手と剣で氷柱を弾いて叩いて落とす。レティは鉄扇を広げては墜落した鉄鳥を分解、無数の剣を生み出して僕らの周りに漂わせる。周囲に浮遊した剣がルイの放つ雨のような氷柱を弾き割ってくれた。

 ルイの放つ氷柱にも今の彼女の感情が乗っているかのように感じてしまう。

 なんでそんなに怒ってるのって、そりゃ怒らせることは沢山したと思う。


「怒ってるならそんなところに籠ってないで面と向かって言ってよ! ルイぃぃぃ!」


 ゼフィリノスを取り押さえ、ユクリアを……殺して、やっとルイに話ができるというところまできた。

 もう終わりなんだよ。

 今回の訳のわからない事件は全部終わって、後はルイに怒られるなり泣かれるなりして僕が謝るってところなんだ。


「……止まりなさい」


 なのに、次はリウリアさんが僕らを阻む。

 リウリアさんが前に立ち塞がるのと同時にルイの氷柱は止んだ。


「ウリウリ!」

「……その名で呼ぶのはよせと何度言わせるんですか」

「今はそんな話をしてる場合じゃない! どいてよ!」

「そうもいきません。……言ったでしょう。この件が片付き次第、私たちはあなた方を手にかける、と」

「ならまだ終わってないわ! ウリウリ目ん玉どこについてるのよ! ルイが、ルイがあんな状態になって終わったも何もない!」


 レティが指を差した先をリウリアさんは見ようとしない。

 俯き、肩を震わせて、そして顔を上げたリウリアさんの視線は僕とレティへと向かう。


「……フルオリフィア様がああなったのはあなたたちのせいだ。私は、彼女の護衛として、どのようなお姿になったとしても守り通す!」

「ふざけんじゃないわよ!」


 リウリアさんは両手に風を纏っていて、戦う意志を見せつけてくる。


「リウリアさん……!」

「シズク……あなたにも容赦いたしません。フルオリフィア様の平穏を守るために、このウリウリア・リウリア。全力を持ってあなた達を排除します!」


 やるしかないのか――横目でレティへと視線を送れば、彼女は奥歯を噛みしめて鉄扇を構える。

 ばっと扇を開き、勢いよく扇いでリウリアさんに向けて暴風を巻き起こす。余波が僕にも吹き付けてきて、踏ん張って堪える。

 身じろぐ僕と違い、暴風をもろに受けたリウリアさんは風を纏わせた片手をかざすだけで受け止めた。そよ風とばかりに顔色1つ変えずに不動のままに立ち尽くしていた。

 その攻撃に対してリウリアさんの見せた反応は両目を閉じただけで、それも風が止んだ後、ゆっくりと見開きレティを睨み付ける。


「おふたりはフルオリフィア様と同じく無詠唱を扱う……以前も、そして先ほども。幾度と拝見しましたが、あなた方のそれはとても素晴らしいものです」

「どきなさい! わたしはウリウリと戦いたくない!」

「ですが、あなた方の魔法は厄介です。だからこちらも――『略術式【風絶】』」


 リウリアさんの手に纏っていた風が放出され、自らを含めて僕ら3人を飲み込もうとする。

 風絶。聞き覚えのある魔法……確か、僕らがトーキョーへと飛ばされる前に受けたやつだ。

 巨大な風の壁の中に閉じ込められ、僕らの周囲の魔力を支配し、使用者であるリウリアさん以外で魔法が使えなくなるだっけ。あの時と同じく魔法が使えなくなってしまうのはまずい。

 まずいと思っても回避する間も無く風の壁は僕らを飲み込む。

 どんどんと風の壁は高くなっていく。


「風絶……! レティ!」

「情けない声だしてんじゃないわよ! ――させないわ!」


 防壁が積み上がる中、レティが鉄扇を再度振った。巻き起こった風はすでに勢いは弱い。しかし、風を起こすのがレティの狙いではなかったらしい。


「いけっ!」


 レティは僕らの周りに漂っていた剣を一斉に風の壁へと突き刺していった。

 すると風の壁の勢いは衰え、次第に薄く弱まっていく。

 後には風によって抉れた地面だけが残った。


「……な、壁が、風絶が解かれた!?」

「ふふん、どうだウリウリ! わたしが前と同じ轍を踏むと思うなよ!」


 驚愕するリウリアさんに対してレティは得意げに胸を張る。


「レティ、これは一体どういうこと?」

「そういえば言わなかったわね。この鉄扇を通して練成した剣は魔法を吸い取る力を持つ……って、わたしは勝手に解釈してるわ。ま、これもベレクトと戦った時に偶然気が付いたんだけど、あ――今はいいわ! だから、ウリウリの風絶はこれで無効よ!」

「そんな力が……あ!」


 聞き返す前にレティは駆け出し、動揺するリウリアさんへと飛びかかった。


「なっ……このっ、放しなさい!」

「ぐぐっ、はーなーさーなーい! シズク! さっさと行け!」

「レティっ……わかった!」


 雁字搦めとレティがリウリアさんにしがみ付いている間に僕は舞台へと向かい、そして、やっぱりとイルノートが立ち塞がってくる。

 後方では水龍とリコが暴れ回り、リウリアさんへと抱きついて地面を転がるレティ。

 今は僕と、イルノート、そして彼の背後にいるルイだけとなる。

 

「……イルノート邪魔するな! どいてくれ!」

「そうもいかない。次は私がやり遂げる番だ」

「やり遂げるって、イルノートはもう何もしなくていいんだよ!」


 何をやり遂げるって言うんだ。けど、イルノートは全然どこうとはしてはくれない。

 どいて、なんて言ったところで聞いてくれないことはわかっていたけど、言わずにはいられなかった。

 イルノートは前からこんな感じだ。

 いつも沈着冷静で無口で無関心で、だけど自分の意志は曲げない頑固もの。でも、必死に訴えれば話くらいは聞いてくれる。そして、ある程度は同意だってしてくれる。

 だけど、今回はまったくと人の話を聞こうとしてくれない。

 力付くでもと剣を構える僕へと、イルノートは目を細めて口を開く。


「シズク……この数年で私が言った癖は直ったか?」


 癖……癖って言うと。

 僕はふと考え、あの日イルノートと戦った時の話を思い出した。


「……っ……半分半分、かな。リコが中にいれば僕は恐怖を感じることが出来る」

「リコが? ……そうか」


 1年ぶりに話した内容がこれか。

 イルノートにしたら3年ぶりくらいなんだろうけど、まるでいつもの彼と話してるかのようで気が削がれてしまう。

 一度は構えた剣を降ろして、こんなことをしてる場合じゃないって頭の片隅で思いながらも、僕も続けていつも通りにと口を開いた。


「……色々あったよ。死にそうになったこともあった」

「そうか」

「ここまで戻ってくるまでに様々なことを体験した。リコの件だって……きっと言っても信じてもらえないと思うこともあったんだ」

「だろうな……お前の外見がさほど変わってないのもその信じられない話に関係しているのか?」

「うん……実はイルノートたちに襲われた日から僕らはまだ1年経ってないんだ」

「……どういうことか、理解できない」

「でしょ? だから話すと長くなるんだ……ねえ、ルイと一緒に僕の話を聞いてよ」


 聞いてほしい。ルイにもイルノートにも。

 それこそ、トーキョーにいた時の話もしたい。僕が生き永らえたのはリコのおかげなんだって話も。またこの地に戻ってきたと思ったら反対側のエストリズにいたって言ったらきっと驚いてくれると思う。


(テト――テトリアにもあったんだ。覚えてるかな。奴隷市場にいた時に一緒にいた亜人族の子供だけど……)


 たった1年のことだけど、多分一晩じゃ語り切れない話ばかり……でも、イルノートは首を横に振るだけだった。

 ルイは変わらず歌っていて、右目だけが僕を睨み付けてばかりだった。


「……断る。話すも何も慣れ合うつもりはない。今から私たちは殺し合うのだから」

「イルノート!」


 そう言うと、イルノートは懐から短剣を抜いた。

 僕も遅れながらに降ろした剣を構え直す。

 反射的に構えてしまったけど、本当に、本当に……イルノートと戦うのは嫌だった。

 たった少し話しただけで、もうやる気なんて削がれていて、彼に剣を向けること自体が今の僕には苦痛でしかなくなっている。


(殺し合うって言うなら、どうして余計な会話を入れたんだよ……ずるいよ)


「……シズク、お前を殺す」

「……なんで? 僕を殺すことに何があるの?」

「お前を殺すことが私の使命だからだ」

「……使命って訳がわからないよ。僕が、異世界の人間だから?」


 イルノートはまたも首を横に振った。


「……違う。シズクとルイを守るためだ」

「シズクは僕だ! イルノート何を言って……」

「お前じゃない。私の中にいるシズクとルイを守るためだ。私の中にいる2人の為にお前は生きていてはいけないんだ。お前が、生きていたら亡くなったベルフェオルゴン様に顔向けできない」

「ラゴンはそんなこと望んでない。ラゴンは僕に生きろと言った。生きるためにラゴンは僕に色々なことを教えてくれた」

「……そうだ。この世界で生き抜く術を私もベルフェオルゴン様もシズクに与えた。だが……だが、それは生まれ変わりのお前の為じゃない!」


 違う。それは違うよ。

 僕も彼と同じく首を横に振る。


「……聞いてよ。イルノートはそうかもしれないけど、ラゴンは……ベルフェオルゴンは僕が生まれ変わりだってことは知っていたんだ」

「ふざけるな! それこそベルフェオルゴン様がお前を許すはずがない! あの方はお前が思う以上に冷血で……裏切り者には容赦なく……残忍で……だから、私は……そんな彼を慕って……!」

「……ラゴンは知っていたんだ! 僕が生まれ変わりだと知っててもなお受け入れてくれたんだ!」

「……っ……嘘だ!」

「嘘じゃない!」

「嘘だっ!」


 イルノートは大声を上げて僕へと向かってくる。今の慟哭が始まりの合図だった。

 すぐに身構えてイルノートに遅れまいと気を無理やり張るが……彼の挙動は記憶にあるものとは程遠いものだった。

 前よりも細くなった身体。生気を感じさせないこけた頬。血走った目。以前の凛々しいイルノートはそこにはいない。


「死ね!」

「くっ!」


 魔法が使えず突っ込むだけだった僕と、冷静に受け止めるイルノート――以前の図が逆転する。

 ただし、以前と違って受ける側の僕はイルノートの攻撃を避けるのに精いっぱいで、次の攻撃に繋がっていないってことだ。

 振り抜く一閃に片手で持った剣を合わせて弾き、続けてくる蹴りも腰を引いて避ける。

 反撃をしようにも、イルノートの攻めは一段早く、刃物にも気を取られてしまうので徒手空拳での連撃には疎かになりがちだ。

 でも、あの時と違うことはもう1つある。


「ぐ……っ!」


 横から振られる手刀はぎりぎりで氷壁を生み出して受け止める。砕けてしまったが防御のために出した氷壁を攻撃したことで、イルノートの手から鮮血が飛び散る。彼の顔が苦悶に歪む。


 そう――あの時とは違って、今の僕には魔法が使える。

 魔法があるからこそ、僕は生きてこれた。

 全部、ラゴンやイルノート……あなた達に教えてもらったんだ。


「……っぅ」

「やあっ!」


 怯んだイルノートへと今度は僕が攻める番だ。

 水を前面に押し出して目くらまし、雷を散らして感電を目指し、風を吹き付けて吹き飛ばそうとして、ほとんどが意味をなさないが、なさないながらに彼の行動を遅らせることが出来る。


『我が命に付き従え。氷極の刃、切り裂け【アイスカッター】』

「……くっ!」


 ブーメランのように湾曲た氷の円盤が飛んできたが、焔迎の籠手で弾き割る。

 挙動1つ1つを逐一目に留め、呪文を唱えながら繰り出してくるイルノートの短剣の動きから余分に距離を取りつつ僕も応戦する。

 放出される魔法には左手の籠手で受け止める。この籠手ならばある程度の魔法は防いでくれる。

 今、僕にはリコがいない……前からあまり成長してない僕だけど、あの時とは状況は違う。

 考えなしに無様に特攻をかけない分、今回の僕は怪我を負うことは少ない。

 何より今のイルノートの挙動は以前よりも隙が多く、大振りで――なんて気を抜くとこれだ。


「……わっ!」


 抜き身の短剣を剣ではじくために腕を広げたところで、懐に入られてしまう。

 呪文を唱えながらイルノートの片手が僕のお腹を目指して付き上げられる。その呪文は聞き覚えがある……あれか!


「――煌きうがて【アイシクルランサ】」

「……っ!」


 すかさず彼の掌底の位置合わせて防壁を張った。

 魔法陣によって展開された透明の防壁は彼の掌底と共に吐き出された氷の剣山を受け止める――でも、こちらの防壁の方が競り負けてヒビが入り砕け散ろうとする。


「くっ!」


 防壁が破壊されたのと同時に勢いの弱まった氷の剣山に向かって左手の籠手で突き返す。

 音を立ててイルノートの吐き出した無数の針を粉砕する――好機だ。

 そのまま左手を奥へと突き出せば、カウンターとばかりにイルノートの無防備な腹部へと籠手の爪先を突き刺せる――!


「……っ!」

「……くっ!」


 しかし、突き刺そうとした指先を直ぐに曲げ、砕けた氷の破片をイルノートへと掬って投げつける結果となった。

 意表を突かれたとばかりにイルノートは驚愕していた……多分、今の攻撃で僕の勝ちは決まっていた。

 イルノートは後方へと逃れ僕と距離を取った。そして、眉を吊り上げ大きく怒鳴り声を上げた。


「なぜ、刺さなかった! ふざけるな! 今のでっ、私はっ……死ねた!」

「死ねたって……イルノート! まさか、死ぬつもりだったっていうの!?」

「……っ……私を、殺せシズク!」

「そんなの、出来るわけないじゃないか! だってだって……!」

「私を殺せ! さもなければ私はルイを殺す!」

「ふざっ……」


 またルイを殺す、だ。

 ふざけるな。自分が死にたいためにルイを巻き込むなって言い返したい。

 それに、ルイはあなたの娘だって――だけど、ここでそれを知っているのは僕らだけだ。

 イルノートはルイが自分の娘であることはまだ知らないはず……そのことを教えようともイルノートは話をさせてはくれない。

 そして、それを伝える役割は僕ではない!


「殺せっ、私を、殺せぇぇシズクぅぅぅ!」

「イルノートっ!」


 叫びながら一直線に向かってくる今の彼は普段の洗礼された動きは1つとしてなかった。

 まるで駄々をこねる子供が後先考えずに突っ込んでくるような――あんなに綺麗で大人なイルノートが、怯えながらも闇雲に向かってくる臆病な子供に見えた。


「うおおおぉぉぉぉぉぉっ!」


 後先も何も考えないで両手で短剣を握り、ガラにもなく雄たけびを上げて、ただ一直線にこちらに向かってくる。

 魔道器を纏った左手が僅かに震える。このまま左手を前に出しただけでイルノートは勝手に刺さるようなものだ。

 きっと今の彼に何を言っても聞いてもくれない。信じてもらえない。何をしたってだめだ。

 もう突き出すしかないのか――。


(……そうだよ。殺そうよ。イルノートはそう望んでいるんだ)


 ――頭の片隅で誰かが呟いてきた。


 誰ってそんなのわかる。魔道器を使った僕だ。

 また、イルノートに指摘された悪い癖が出てこようとする。

 ルイのことを言えないや。

 僕だって、魔道器を使うと人格が変わっちゃうくらい高揚するんだ。それで、変な方向に行っちゃうのも知っている。


(後は左手を前に突き出すだけでいい。イルノートは自分から触りに来てくれるよ。彼は苦しんでいるんだ。ほら、楽にしてあげようよ)


 この焔迎の籠手で突き刺せばイルノートは直ぐに燃え上がってくれる。

 苦しむイルノートの為に、僕はやらなきゃいけない。

 自分よりも強いイルノート相手に引くか出すかなんて僕が選択できる立場じゃない。やらなきゃやられる。それだけだ。

 ……左手の指をこすり合わせて軋ませる。まるでイルノートを刺したくてたまらないって言っている。


 やってみたい、と遠くの僕が思ってしまう。だって、だって彼は僕の憧れだったんだ。

 容姿も、技量も、立ち振る舞いも、イルノートという一種の完成された存在は出会った時から僕の憧れだった。いつか超えたいと思っていた存在だった。

 憧れを懐いていた人が今、無防備にも僕へと牙を向けている。敵対しているんだ。倒さないといけないんだ。

 憧れだった人をこの手にかける――それが超えるってことじゃないの。

 イルノートは敵であり僕の憧れであり、そして超えるべき存在だ。


(殺したいよね。超えたいよね。悩む必要なんてないじゃないか。さんざん偉そうなこと言っておきながら結局、ユクリアだって殺したんだ。もう1人増えたって関係ない。ね、ほら無駄に抵抗なんてしないで、大人しく差し出して――)


「――シズク! 負けんな!」


 だけど――甘い囁きに従って魔道器を突き出そうとしたその瞬間、レティが僕の名を呼んだ。


 そして――。



『――でもな、命を奪って喜びを見出す畜生にだけにはなってくれるなよ』



 彼女の声に重なるように、ラゴンの声が聞こえたような気がして、そこでやっと片隅から聞こえる声は止んだ。

 はっと意識を取り戻した時にはもう避ける暇なんてない。

 だけど、


「……なんだ」


 と、僕は安堵しながら呟いた。


「シズ……っ!?」


 もう、僕がすることなんてこれしかないや。

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