第193話 僕らは仲間だった

 魔道器・焔迎ひむかえの籠手を消した途端、頭の中がすっきりした。

 ただ、気が晴れた代償は腹部からもたらされる激痛だ。

 異物を体内に侵入させる感触は火傷とは違う熱を生む――僕は両手を広げて向かってきたイルノートを抱き留めた。


(痛い痛い痛いっ!)


 死にそうだ。

 いやこのままだと死んじゃう。

 死ぬ。死ぬほど痛い。死にそうになるほど痛い。


「ぐぅぅ……っ!」


 ……でも、これでいい。

 痛くて辛くて泣きそうだけど、後悔はないって歯を食いしばる。

 痛いって言葉は絶対に吐かない!

 イルノートに短剣を突き刺されても、僕は良かったって――殺さなくてよかったって思うんだ!


「……な、なぜ……なぜ避けなかった……」


 胸の中で怯えるように身体を震わせたイルノートが呟く。

 いやいや、避けるって選択肢を僕は思いつかなかっただけだ。自分自身の余計な囁きに刺すか刺さないかの2択という視野の狭くなっていた僕には他の道を選べる状況じゃなかった。

 でも、それを正直に話すつもりはない。

 格好つけたっていいでしょ? 僕は男の子なんだから。


「……っ……どうして刺さなかった! お前ならっ、私を殺せたはずだ!」

「……だって、さ」


 奥歯を噛みしめて痛みに抗い、震えるイルノートの背を強く握って答える。


「……ルイの目の前で、家族を殺したら……僕、絶対後悔するから」


 むしろ、思い留まれなかったらそれ以上に後悔するところだった。

 イルノートを殺したいって内側からいざなわれた甘い囁きはとても魅力的で、あのままであったら僕はユクリア同様にイルノートを魔道器で突き、焼き殺していたんだ。


(ありがとう、レティ)


 これも全部、彼女が僕の名前を呼んでくれたおかげだ。

 僕の大切な人で、ルイのお姉ちゃん? で、そして――イルノートの娘である彼女に呼び止められたからこそ、僕は思い留められた。

 これでよかったと脂汗を垂れ流しながら無理してイルノートへと笑いかけるけど、彼は泣きそうな顔をして首を強く振る。


「家族……違う。私たちは家族じゃない! 血のつながりこそが、家族だ! 呪われた……忌々しい私の、血が流れる、家族なんて、もう――」


 イルノートは一瞬、視線を僕の後方へと僅かに外した。

 彼の怒りと悲しみを混ぜこぜにした感情の籠った両目は直ぐに僕を睨み直したのでどこを見たのか振り返ることは出来ない。

 そして、一瞬の間なんて無かったかのようにすぐさまに言葉の続きを口から吐き出した。


「……いない! お前たちはっ、私にとって他人でしかない!」


 胸の中で喚くその姿は、いつものクールな彼とは程遠いものだった。

 初めて敵対したあの時も、そして今も、こんな熱く感情を見せる彼は新鮮で、新たな一面を見れて嬉しいとすらって思うよ――これが平時であったならね。

 今はただ……無性に腹が立つ。


「本気で……っ……言ってるの?」


 本当なら叫び返してやるつもりだった。が、刺されたお腹に力が入らず、最後は耳元で囁くようになってどうにも格好が付かない。でも、叫べなくても精一杯の意地で睨み返してやった。


「私は、お前たちを家族だなんて一度も思ったことはない!」

「違う……違うよ」

「違くない!」


 そう叫びだして腕の中にいるイルノートが僕から逃れようと暴れ出す。

 お腹に刺さった短剣から手を離し、両手を使って僕を押しのけようとする。


「ぐうぅっ!」


 逃がすものかと腹部に来る激痛に耐え忍びながら踏ん張る!

 今ここで彼を逃したらきっと遠くへ行ってしまう。

 今ここで手放したら彼はもう捕まえない。

 今ここで彼を取り戻さないとどこかへ消えてしまう。

 もう僕は大切なものを手放したくない。だから、大切なイルノートが僕から逃げたがっても逃がしてやるもんか。

 さらに言えば、僕は怒っているんだ。


 イルノートは家族じゃないと否定したとても、ルイとレティとは血がつながった家族であることを僕は知っている。

 ……2人の娘がいることをイルノートはまだ知らないってことも知ってる。


(けど、いいさ。イルノートがそういうなら家族じゃない)


 別に血が通っていようがいまいが僕はイルノートを家族だと思っていたけど、彼から言わせてもらえばこの関係は違うらしい。

 それならそれでいい。けど、僕が否定した「違う」って言葉は何も家族って言葉だけを指したんじゃない。


「思ったことなんて……私は……ない……!」

「家族じゃ……なくてもいい……でも、イルノート……っ……僕らは……」


 でも、僕らは……――その最後は話すことは出来なかった。

 イルノートが暴れるから僕のお腹に突き刺さっていた短剣がするりと落ちた。

 こぽっとお腹から血が流れ出す。穴の開いた容器から絶えず流れて行くように、赤黒い液体がだらだらと流れ落ちる。血が流れていくのと同時に僕の力も抜けて行くように感じた。腰から下の体温がみるみると下がっていくようだ。

 開いた傷口が熱を持ちながら空気に触れてひやりと冷たく感じる。

 短剣が抜けたことがきっかけとばかりに膝ががくりと折れて力が抜けた。

 だけども。

 身体の力は抜けても、僕は歯を食いしばり最後の力を振り絞って踏ん張り、言いかけていた最後だけは口にする。


「……僕らは、仲間だった」

「……仲間?」


 そう言い切って、僕は彼の背をぽんぽんって2回叩く。同じ“仲間”として、励ますために背を叩いた。

 これで限界だ。

 抱き留めていたイルノートに身を任せるように身体が崩れる。ぶらりと彼を抱いていた両手が下がり、彼の肩に頭が引っかかる。


「……シズク!」

「……イル、ノート」


 肩に頭を預けながら見上げたイルノートは、さっきまでの荒れっぷりはどこに行ったのか顔を真っ青にしていた。


(人のこと刺しておいてそんな顔するなよ……)


 僕はもう抵抗する力も起こらず、文句の1つだって口にできない。

 これ以上、僕は何もできない。

 後はもう止めを刺そうが、何しようが好きにできるっていうのに、彼は僕の背に腕を回してゆっくりと大事そうに地面に寝かし始めた。

 そして、横たわる僕の隣でイルノートは両手を顔で覆って俯く。

 彼もこれ以上は何もしない。逃げようとも僕に止めを刺そうともしない。

 僕は僕で限界で、彼を気遣ってあげる余裕はない。胸の内のむかむかは消えないけど、怒るほどの元気はない。

 お腹からはだらだらと血が流れていくのを服越しに感じる。


(あ、血じゃなくて魔力か……なんてまた場違いなことを考えちゃうんだから、僕って案外冷静なのかな)


 あはは……って笑える力もないや。

 痛い。すごい痛い。


 以前もイルノートにずたずたに切り裂かれたって言うのにな。今以上に酷い出血量だったのな――どうしてかな。

 今回の方が痛いんだ――どうしてかな。

 あの時と同じく今の僕には恐怖心はないんだけどな――どうしてかな。

 死という文字が頭に過るけど、怖くはない――なんでかな。

 代わりに寂しいって思うんだ――いや、これはわかる。


(だって、まだ僕にはやらなきゃいけないことがあるんだから)


 けれど、瞼が重い。視界がぼやけてきたのはきっと痛みとかで涙が出たからだろう――。


「――馬鹿シズクっ! 目を閉じるな! 死ぬなぁっ!」

「あ……れ……レティ……」


 はっ、と諦めかけていた僕へと大声を上げてきたのは泣きそうな顔をしているレティだ。閉じそうになった目を頑張って開ける。

 リウリアさんはどうしたのって……彼女は真っ青な顔をしてこちらを眺めている。隣にはいつの間にかベレクトをおぶったタルナさんが、辛そうな顔をしたドナくんやフラミネスちゃんが寄り添っている。

 膝をつくリウリアさんの肩に手をかけて、タルナさんは心配そうに僕の方を見ていた。


 駆け寄ってきたレティは僕のお腹に治癒魔法をかけていく。

 あ、すっかり忘れてた。自分で治せば……もうさっきから考えが足りないや。

 治癒魔法を施されて直ぐに傷口は塞がったけど、まだお腹の中に違和感が残る。

 魔力の塊である僕に内臓といったものは無いから動く分には大丈夫だと思うけど、自分で思った以上に魔力を、血を、体力を消費しているようだ。

 上半身を起こすの一苦労で、上げた後も頭が重い。


(たかがお腹を刺されたくらいで情けない……)


 だから、情けない僕に、まだだ、まだやれるって気合を込める――気合だけなら込められるんだけどね。

 どうしても身体は言うことを聞いてくれないや。


「レティ……ありがとう。でも、あと少し力を貸して……1人じゃ思うように動けそうにないや」

「…………いいわ。ここで動けないって言ったら引っ叩いてやるつもりだったわ。最後までしっかりやり遂げなさい!」

「うん。ありがと。やるよ。僕には……ううん、僕らにはやらなきゃいけないことがまだ残ってる」

「……そうよ。ほら、行くわよ!」


 レティに肩を貸してもらって、僕は引き起こされる。さあ行こうってところでレティが視線を下へ、イルノートへと向けたので僕も同じく彼を見た。

 イルノートは僕ではなく、地面に転がった血に濡れた短剣を見つめている。

 今の彼にはどんな言葉をかけても伝わらないかもしれない。

 だけど、自然と僕の口は開いた。


「イルノート。この件が全部済んだら僕らは――」


 途中でルイへと顔を向けて言い放つ。


「――本当の家族になろう」

「……」


 レティの肩を借りて僕は前へと足を出す。いや、レティに引っ張られたって方が正しいかもしれない。

 舞台の前まで近寄ったところでレティが僕の腰に手を回して強く引き寄せてた。


「……飛ぶね」

「うん」


 レティの風に乗って僕らは浮遊する。

 舞台に上がるのと同時に踏みつけた氷の花弁は簡単に割れてしまう。薄い氷の花弁を踏み抜くために足を上げるのもこれまた一苦労だけど、これならルイの元は直ぐに行けそうだ……って、そう簡単には許してくれないらしい。

 ルイに近寄ろうとすると、花弁の外周りから透明なつたが伸びてきて、僕らを叩き付けて追い返そうとする。


「こんなのっ!」


 だけど、氷のつたは全部レティの大きな鉄扇が弾いてくれる。鞭みたいに空を切るつたの殴打をレティは軽々と防ぎ、開いた鉄扇をひらりひらりと振り回し、叩き割り、切り裂いていく。

 毎回レティが鉄扇を扱うところを見ると、舞踊でも見てるかのようだって思う。

 野球ばかりしかやっていなかった幼馴染がね。今も僕を支えながらも鉄扇を繰る腕のしなりは曲線を描いて流れて行く小川の様に優雅だ。

 ただ、つたの本数はとても多くて全部は防げないから、僕もレティも何度もに叩かれる。

 痛いけど、僕らは悲鳴を上げることなく花弁を踏みしめて進み、どうにか本体ルイの前へと2人で立ち並んだ。


「ルイ……」


 向き合って呼んだ彼女は(――右目だけが僕を睨み付けながら)嬉しそうに笑っていた。

 あの日、グラフェイン家の庭で初めて本気の喧嘩をした時のいびつな笑みは変わらず続いている。


「シズク。先にわたしに言わせてくれる?」

「……? うん、わかった」


 じゃあ、レティが発言する間に僕は後ろを向き手をかざす。

 力が入らなくたってこれくらいはやらないと……と、僕らを覆うように魔法陣を展開、つたが見えない壁を叩き始めた。

 よかった、これくらいの衝撃なら弱った僕でも防ぎ続けられるだろう。


「……ルイ! あんたね。何、すべてに絶望したーみたいに歌ってんのよ! ……その歌はね。事故で好きな人を失ったカズハが苦しんで苦しんで苦しみ抜いた先で……ようやく彼との死を受け入れたことで出来た歌……前を向くための希望の歌よ! わたしだって前を向こうって少なからず思って歌ってたの! だからっ、そんな歌い方なんてしたらカズハにもわたしにも失礼だわ!」


 ――というレティの発言をつたを防ぎながら聞いた。

 ルイにこの曲を教えたのレティなんだ。いつ教えたんだろう。オラクルっていう魔法で教え合ったのかな……なんて、そんな他愛もない話をまたルイとしたい。

 最後にパシンとルイを覆う水晶玉へと張り手を加えて僕へと振り返り笑ってきた。

 寂しげに笑うレティは僕の肩を軽く叩いてきた。


「じゃあ、後は任せるわ」

「ありがと、レティ……」


 では……と向かい合ったルイは――ルイの右目はきょとんと驚いたようなものへと変わった。

 でも、レティが話してる最中も、今もルイは歌うのを止めはしない。

 驚いていた右目も直ぐに僕を睨み付ける。


「ルイ」


 レティと入れ替わり、今度は僕の番だと彼女の名を呼ぶ。

 ルイはこちらを見て――片目は淡々と見据え、片目は怒気を詰まらせ――睨み付けてくる少女は何1つとして答えてはくれない。

 代わりに出るのは僕らの世界の歌だけだ。

 レティが言ってた通り、今のルイの心境を現しているかのような歌い方は聞いてる僕も悲しい気持ちにさせる。


 僕が話している間に襲ってくるつたは、レティが全て払ってくれている。風魔法で切り裂いてくれる。鉄扇で薙ぎ払ってくれる。

 肩にすがっていた僕という枷がない分、レティは本領発揮とばかりに氷のつたを落としてくれた。おかげでつたを気にする必要もなくルイと向き合える。

 邪魔するものは何もない。

 だけど、僕は思った以上に体力も魔力を消耗してるらしく、もう立ってるのがやっとだ。自分自身がルイへと向き合う意志を阻害する。

 ふと力が抜けてレティが張り手をして残った手形へと僕も手を押し付け身体を支えた。

 僕と同等に魔力消費してるはずなのに、次々とつたを弾くレティには感服するよ、とルイに向かって苦笑する。

 苦笑しつつも直ぐに口をつぐみルイと見つめ合う。僕を見ているのかもわからない彼女と視線を合わる。


(さあ、話そうか)


 レティに言われた通り、君へと向けて僕は話を始めようと思う。

 ――と言っても、まだ何も考えてなかったんだけどね。


「レティ……結局、何を話すか決まらなかったよ」

「そう! じゃ、何でも、いいわよ! とにかく、パンチの、効くやつを、ルイにぶつけなさいよね!」

「……うん」


 じゃあ何を話すかって……目を瞑り考えを巡らせる。

 多分時間にして3つほど呼吸をする程度の短い時間だ。本当に3回呼吸をしたのかなんて数えてない。背後から3回破裂音が――つたが砕ける音が聞こえたというだけだ。もしかしたら、もっと短いと思う。

 でも、その短い時間の中で僕は彼女へ向けていう言葉を決めることが出来た。


「ねえ、ルイ……僕、君に今までずっと隠していたことがあるんだ」


 僕は決めた。

 生まれてからずっと傍にいたルイに隠していたことを、この場を借りて打ち明けようと思う。





(……終わった)


 私の生きる意味が終わった。なに、最後のけじめくらい自分で行えるさ。

 死ぬことに恐怖が無いとは言わない。しかし、この3年、死にたくて仕方なかった。懺悔の日々に苛まれ、嘆き続ける苦痛を取り除くには死ぬ他にない。

 シズクを手にかけようとした日から……いや、ブランザの信頼を裏切ったあの日から今までのうのうと生き続けたことの方がおかしかったのだ。


やれるかもしれない……)


 思い立ってはシズクの赤い血のついた短剣を拾って、両手で握って腹へと向ける。

 そのまま両腕を引き、苦痛ばかりの人生の終幕を迎える――。


『――この件が全部済んだら僕らは本当の家族になろう』


 引く寸前、ふと最後にシズクに投げかけられた言葉が私の行動を止めさせた。

 出来るはずもない。彼がなんと言おうが繋がりもない形だけの家族に何の意味がある。

 家族など、私を生んだことで狂った母と畏怖するばかりの父だけだ。それと……腹違いの妹だとランが……ブランザが言っていたウリウリア――ふん、らしくもない。

 私に家族はいない。私は生まれた時から孤独だ。

 繋がりなんてものはない。唯一あるとしたら私を鳥かごから解き放ってくれたベルフェオルゴン様だけだ。

 自由を与えてくれた彼だけが、彼だけが……。


『大丈夫。絶対私が何とかするから』


 ベルフェオルゴン様を想おうとして、どうしてかブランザの優しい笑みが浮かんでくる。

 無理して笑って何かを決心した時の……けれど、約束を果たしてくれなかった彼女の悲しい笑みだけが私の胸の中に浮かぶ。

 ブランザ。

 私の育ての母であり、師であり、初恋の人。

 ベルフェオルゴン様とは違う、人としての触れ合いをあの人だけが――。


(……違う。彼女はそんなんじゃない。彼女を想うことは、私は許されないんだ――)


 かぶりを振ってブランザを掻き消そうと抵抗する。

 だが、ブランザを消し去ろうとしても彼女のことばかり考えてしまう。

 ……そのうち短剣を握る手が震えだす。

 死ぬのは怖い。けれど、生きたところで絶望しかない。辛い。辛いんだ。


(もう、逃げ出したいから私は死を――)


 ――死のうと思ったことは何度だってあった。ただ、自分に勇気がないから未だにできずにいる。

 決意した時に限ってランの顔が思い浮かぶのだ。

 いない彼女を想ってどうする。彼女は死んだ。彼女は――もう手に入らない。


(だめだ……また、できない……)


 ブランザを思い描いてしまえばもう私は自害なんてできない。

 彼女は私を許してくれない。安易に死を選んで楽にさせてくれない――。


(私は……ランと共にいたかった……いつまでも、ずっと……彼女さえいてくれれば何もいらなかった……)


 このことに気が付くのに100年をかけた。そして、願いがかなわないことは彼女を押し倒した時から知っていた――ああ……無理だ。

 私はとんでもない罪を犯してしまったのだと罪悪感は身体の震えを加速させる。

 結局、腹に刃を向けたままで時間は過ぎて行く。

 もう死ぬことなんて出来ないのに、やめようにも身体はそのままの姿勢を続け――腕を掴まれたことで、ようやく硬直は解けた。しかし、代わりと腹に向けていた短剣は奪われてしまった。

 いったい誰が……もしや、シズクが戻ってきたのか、と顔を上げて驚く。


「……久しぶりね。イルノート、だったっけ?」

「お前は……」


 私の自害を阻止したのは見覚えのある緑髪の女だった。

 ……タルナと言ったか、まだラヴィナイが栄えていた時の城下町で知り合った女だった。

 極度の寒がりであまり外に出たがらないが、下界についてまったくと知識がない私に色々と面倒を見てくれたのも彼女だった。

 ただ、タルナとは知人程度の間柄だった。恩人ではあったが、当時の私は高飛車な彼女が苦手だったこともある。

 何より彼女は、ラヴィナイを去った――捨てていった者たちの1人だ。


「……どうして、お前がここに?」


 そう口にしてから、そういえば彼女もまたゲイルホリーペ出身だということを思い出した。

 しかし、お互いに思うところがあったのか、ゲイルホリーペについては触り程度にしか話してこなかった。

 現に彼女は苦い顔をしながら口を開いた。


「色々あるのよ。ま、うちの悪ガキを探しに来たってところかしら」


 出会えるとは思ってなかったけどね、と最後に足して彼女は背中に背負った鬼人族の男を揺さぶった。男は揺さぶられて苦しそうな声を上げる。

 これがタルナの息子だろうか。小奇麗な顔をしているが彼女には似ていない。

 2人の外見が同年代にしか見えず、息子と言われてピンとこないのはどうにもシズクたちと長く共にし過ぎたせいだと思う。

 魔族にとって外見と実年齢は嚙み合わないことなど当たり前のことだというのにな。

 彼ら魔族と付き合った時間よりも短いというのに、2人との日々に少なからず影響を受けていたのだと思わず苦笑した。


「そんなにおかしい?」

「……いや……まさか身持ちの硬かったお前が子供をこしらえるとはな」

「お生憎様。あたしは里親みたいなもんさ。こいつは預かった子よ」

「そうか」

「そうかって他に何か言うことは無いの? あたしの方はあんたには山ほどあるんだけど?」

「…………ほお。では、聞かせてもらえるか?」


 と、口にしてから自分で自分を不思議に思った。

 今の今まで死にたがっていた自分が「聞かせてもらえるか」と問いかけていたのだ。いつもならそうかや無言で済ませたりと拒絶するだけの人間が口にする言葉ではない。


(……いや、別に気にすることでもないか)


 懐かしい顔を見て僅かに毒気が抜かれたのだろう。

 なんてことはない。ただの気紛れだ。

 彼女の話を聞き終えてからそっとどこかへ行って命を絶とう。

 今度はもっと心を無にして何も考えずに一思いに。

 今はただの猶予期間。僅かに残った砂が落ちるような寄り道だ。

 ただ、この時の私は自分でも気が付いていなかった。

 つい先ほどまで死を纏っていた自分の中の暗闇が消えていたのだ。

 気分は最悪に近いが、死にたがりな自分はすっかり胸の奥に引っ込んでる。


「1番に言いたいことはとりあえず、その顔をぶん殴った後にするわ」

「……物騒なことを言うな。私がお前に何かをしたか」

「あたしにはしてないわ。あたしには、ね」


 あたしには? では、他に誰がいるというか。

 そう言うなりタルナは背負っていた息子とやらを近くに降ろし、自分もと私の隣へと座り、顔を上げる。


「とりあえず、メレティミとシズク……2人のことを見守ってあげましょうか」

「……2人を知ってるのか?」


 ふいに隣へと顔を向けるが、タルナは舞台の上にいるへと向けられたままだった。


「ええ。ま、そこはおいおい話すとするわ。……ところで、あんたさ。ラン……ブランザって知ってる?」

「……どうしてその名を?」


 いや、ブランザは有名だったのだろう。

 彼女タルナはゲイルホリーペ出身だ。ブランザはこの地であれば知らない人はいないと言うほど有名で――。


「ランはね。あたしの幼馴染でかわいい妹分だったわ」

「……は?」


 つい裏返った声を上げてしまう。

 その反応に気を良くしたのかタルナはようやくこちらへ顔を向ける。

 そして……にこりと不自然な笑みを浮かべて強く私の頬を、


 パシン――!


 と、叩いた。

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