第206話 ブランザの墓参り
「正式に四天の位を賜るまでここには来ないって言ったけど……お母様。ごめんなさい。もう、いいよね?」
そうメレティミは慈しむように母であるブランザの墓石に触れた。
彼女の墓標は小高い丘の上にあった。
ユッグジールの里と呼ばれる彼女の人生の集大成を見渡せる見晴らしのいい場所だ。
里からはやや離れてはいるが、墓標に汚れどころかこの周辺一帯だけが雑草も無く綺麗に整われている。
あの試合から2日過ぎ、私たちブランザ……ランの墓参りに来ている。
今回は彼女の娘であるメレティミとルイ。彼女らの護衛だからとウリウリア・リウリア。そして、自称ランの姉であり私とも旧知の中であるタルナの5人だ。
私がこの場に、ランに会いにきたのはこれで2回目のことだ。
1回目は3年前、シズクたちと橋の上で別れ、紆余曲折の後に1人で赴いた。
……冷たい墓石と変わってしまった彼女と対面した時の喪失感はラヴィナイが崩壊した時以上だったことを覚えている。
――ランが死んだ。どうして、何故? 子供を産んだ? 魔石を? 王妃の様に? 寿命が、何故? 何故、なぜなぜなぜ!?
この時の私は冷たい彼女にすがって嗚咽を漏らすしかなかった。
どうして、何故と訴えても物言わぬ彼女が答えてくれないことに酷く困惑した……身勝手なもんだ。
ランがラヴィナイに訪れてくれたあの日、私は伸ばしてくれた手を無下にし彼女のことを突き放した。
しかも、彼女の尊厳を踏みにじるような真似までしたというのに。
あの時は溢れかえった感情を彼女の娘であるメレティミに、そして乱入してきたシズクへと殺意に変える他に自分を保つことが出来なかった。
結局、己の手で2人を殺すことも出来なかったし、シズクと別れてからは虚無感に包まれながらの自堕落な日々を送った。
(もう来ることはあるまいと思っていたというのに……先のことはわからないね、ラン?)
一笑の後、胸の内は波の満ち引きのように熱を下げていく。
1回目と違って今は……言葉にし難い感情が胸の中を渦巻いている。
彼女は私の子を孕み、己を身を犠牲にしてまで産んでくれた。そして、その影響から身体を壊し、息を引き取った。
この気持ちをどう言葉にしたらいいのだろうか。
どう言葉にして伝えればいいのだろうか。
(私は勝手だった。だが、あなたも…………ランも勝手だよ……)
何故、押し倒された相手の子のために心身を削ったのかと罵ればいいのか。
それとも、私の子だからと産んでくれたランに謝罪するべきなのか。
いっそ、堕胎した水子の墓の前で生き長らえたランに直接罵倒してくれた方が遥かに気が楽だったよ――そんなことを思ったらランは叱ってくれるだろうか。
(いや、ランは……)
ランは異世界からの転生者である――彼女の娘の言葉が正しければ、ランが遺した最後の手紙には私への謝罪と思慕が綴られていた。
彼女は私のことを好いてくれていた。けれど、その事実を今の私が受け止めるには、重――。
「……ねえ」
いない相手との問答に悩み気が滅入る中、今まで私の背に隠れるように佇んでいたルイが、そう呟いてメレティミの隣に……ランの前に歩み寄っていった。
「ここにぼくのお母さんだっていうブランザさん……が眠ってるの?」
「うん……ルイを、わたしたちを産んでくれたお母様のお墓だよ」
「そっか……ここに、ぼくのお母さんがいるんだね」
ルイの言葉にシズクと同じ転生者のメレティミが頷き、彼女はしゃがんで両手を合わせて目を閉じて祈っていた。
これが、彼女の死者へと捧げる祈りの仕方らしい。
私は……すがり付いていた前とは違って距離を取り、言葉もなく彼女と化した墓石を前に立ち尽くすしか出来ない。
「ランも……貴女みたいに祈りを捧げていたわ」
「タルナさん……」
タルナもメレティミの隣に並び、同じ様に膝を折った。
「母が、ですか?」
「以前話したわよね。疎開の為にラヴィナイへと向かっている時に両親と仲間を失ったこと……火に焚かれる家族を前にしたランの供養の仕方がそっくりだった」
「そう、ですか……」
そう言ってタルナもメレティミの作用に習う様に手の平を合わせて目を瞑った。
ルイもまた、同じ様に祈りを捧げ、続くウリウリアも黙々と同じ作法を行った。
私も……遅れながら皆と同じ様に手の平を合わせて目を瞑った。
……最初は何も言葉は生まれなかった。
しかし、深い黙とうに意識を落としていると、彼女へと手向ける言葉が浮かんでくる。
彼女と出会い、別れてから長い時間をかけてこの場に立ち、ようやくそのいくつかの返事にたどり着いたのだと思う。
(……ごめん、なさい)
最初の言葉はそんな短い一言だ。
でも、その短い言葉を今まで、思うことすらなかった――私はきっと、彼女に謝りたかったんだと今になって理解したんだ。
ランを待てずに逃げたこと。
ランを心配させてしまったこと。
そして、何よりもあの晩の償い切れない過ちについても。
育ての親であり、師であり、そして初めて恋焦がれた相手に対して行ってしまった許しがたい過ちに対して、私は謝りたかったのだ。
それと……。
(ラン、私は……ブランザのことが好きでした)
私は、ランが好きだったことを……。
こんなにも長い月日をかけても貴女のことを想い続けていたことを……。
今ここでようやく、私は伝えられた。
言葉にはしなくとも私の胸の内なんて見えないランにはあっさりと読まれていることだろう。
私は、人に感情を伝えるのが下手だから……思った方が届く。
だからこそ、次の言葉へとつなげる。
(……ありがとう。こんな私をいつまでも好きでいてくれて……貴女がいたからこそ今の私がいます……)
私は彼女に感謝することが出来た。
無論彼女が答えてくれることはない。今後一生私が彼女からの言葉が届かないことも知っている。それでも、私が今後生きていくための糧にするには十分なものだ。
彼女への贖罪がこれからの私の生きる意味になる……1度は死を決意した私を叱り、それでもと生き続けなさいってランなら言うと思うから。
(はは……勝手だ。勝手過ぎる)
だが、愚かな自分にはこれ以上の答えを見つけ出すことが出来ないのだ。
(許してほしい、なんて言わないよ。ラン。私はもう貴女から逃げない……最後まで貴女のために、私は生きていくから)
そう言い残して目を開けて両手を開く。
もう皆は目を開けて私を待っていた……湿っぽいのは苦手だ。
感情を震わせるのはこの場限りとする。
皆を待たせていた癖して、1人先にランに背を向けて帰り道へと足を向ける。
(また来るよ……必ず)
振り返りはしなかったが、去り際にそう物言わぬランに約束を残した。
◎
「……あの、イル……ノートさん」
帰り道、ランの娘であるメレティミがたどたどしい口ぶりで私を呼び留めた。
「な、なん――」
緊張のあまり声が裏返ってしまいそうになる。情けない。
数日前におふたりからシズクと同じく娘たちとは堂々と接しなさいと助言を頂いたが、今の私にはメレティミどころか、長い付き合いのあるルイにすら到底出来そうにない。
親子なのだからランと彼女は似ていて当然なのだが、その……この娘はランとは違って女らしさが数段と強調されている。
これが幸か不幸か……ランの前にいるということからの緊張はある程度は薄まってはいるが、どちらにせよ彼女はブランザの娘には違いない。
出会った頃のランは既に成長の止まった立派な成人を迎えていたので、成長途中のランはこんな顔つきだったのだろうかと想像を膨らませたりと……いかん。
ともかく、私は未だ彼女を前にすると気後れしてしまう。
似ていると言うのであれば今のルイの方が彼女に近いだろう。まあ、そのせいもあって今のルイとの距離感も以前とは違って掴みづらいのは確かであるが……。
ごほん、と1つ咳払いをし……タルナが何が面白いのかくすくすと嗤ってくる……ふん、あらためてもう1度。
「……なんだ?」
「あ、えっと……」
聞き返すがメレティミは言葉を濁らせ、そわそわと落ち着かない様を見せる。
困ったな。こういう時はどういう反応をするのがいいのだろう。
女の扱いはそれなりに心得ていたつもりだが、自分の娘の扱いなんて私は知らない。
「あの……あなたのこと、お父様って呼ぶべきかしら」
「……は?」
どういうことだ?
メレティミが言っている意味がわからない。
いや、理解はしているが、とりあえず思ったことを素直に口にしてみた。
「言って……いる、意味がわからない……のだが?」
メレティミはかあっと顔を赤くする。先ほどから予想だにしていなかったことばかりで狼狽えるしかない。
(なんだ、その反応は。私は知らないぞ。どうしたらいい。ラン。お前の娘は何を考えている?)
困惑する私を前にメレティミはあたふたと取り乱すように説明してくれた。
「……あー、えっと、まあ、生まれ変わったわたしが言うのもなんだけど……そのなに? 経緯はどうあれイルノート、さんはわたしの父親であるわけだし、お父様って呼んだ方がいいのかな……って」
「はぁ……?」
2度目にしてようやく理解はした――が、なんだそれは。
私を、父と呼びたい……ということか? どういう心境なんだ。
年場も行かない少女と関わることなんて今までなかったこともある。どう接したらいいのかと本気で頭を抱えそうになる。
頷くことも首を振ることも出来ず、助け舟を求めるようにタルナへと顔を向けるが、あいつは先ほどと同じく面白がるように嗤っている。
困った。参った。正直なところ、迷惑だと思った。
だが……ここで私は決意するほかにない。
――自分が父親だということを。
――この子たちがランとの大切な子供たちであることを。
――私がメレティミとルイの父であるということを認め、受け止めるためにも必要なことだと。
はあ、と深く溜め息をついて私はうんざりしながらも答えた。
「……好きにしろ」
「あ……はい……その、お、お父様!」
「……っ!」
ぞわぞわ――と背筋が震える。
な、なんだ。父と呼ばれた瞬間にざわつく今の感触は――こっ恥ずかしさ身悶えそうになる。
しかし、身体を震わせるなどと無様を姿を見せる真似は見せることなんてしない。
よし、話も終わったところでさあ、先を急ごう――。
「それと……」
「ま、まだあるのか?」
いい加減にしてくれ――ぼそりと呟く程度でいいから口にしたい。
しかし、そんな真似は今の私には出来ない。
一夜限りの相手であれば冷たくあしらえるのに、流石にランの前から去って直ぐにそんな行動もとれるほど私も性根は腐っていない。
「わ、わたしのことは、レティって呼んでもいい、から」
「なっ!」
ここで声を上げたのは私ではない。ウリウリアだ。
なぜお前が驚く。なぜそんな恨めしそうな目で見る。なぜ眉を吊り上げる。しかし、彼女が起こせる行動はそれまでだ。
ウリウリアの視線から逃れようとしてもメレティミの目に捉えられる……期待の籠った眼差しを向けられたら、仕方なしに私は彼女の名を呼ぶしかない。
「……レ……レティ」
「え?」
「レ、レティ……これでいいか?」
「……はい!」
これが私の出せる最大限の回答だ。
おい、ウリウリア……いい加減にしろ。お前たちが名にこだわるのは知っているが、余所者の私には関係ないことだ。
(ま、ましてや……じ、自分の娘だぞ。まだ実感は薄いが、自分の娘をっ……呼んで何が悪い!)
「あー、じゃあぼくもイルノートのことお父さんって呼んでいいの?」
「なっ!」
今度の「なっ!」は情けないが私だ。
今の流れからもう1人の娘であるルイが口を挟んできた。
以前であれば駄目だとかやめてくれなんて拒否も出来たのだが……ここでルイだけ駄目なんて言えるはずもない。
「……うっ、勝手にしろ」
「うん! お父さん!」
タルナと同じくルイは面白がって、私の腕に抱きついてきた。
いつもシズクにしていた時みたいに密着して、私の腕に顔をこすりつけてくる。まったく、もうどうにでもなれとルイの腕を引きながら私は先を進んだ。
(何故、墓参りに来ただけだというのにここまで疲れなくてはならない……)
深く溜め息を吐いたところで、いつの間にか横にいたメレティミが悲しそうな顔をしてこちらを向いていることに気が付いた。
「あの、迷惑でした?」
「…………気にするな」
ルイとは反対側に並んで歩くメレティミ……レティが戸惑いを見せれば、ランの顔が被りそんな言葉を投げる他に無い。
「やっとお父さんとしての1歩ね」
「うるさい。黙れ」
後ろから茶々を入れるタルナにたまった鬱憤を短い言葉に込めて吐き出すのが精一杯だ。
その後もルイとレ、レティの相手をしながら道を進んでいると……ふと、空から竜人の男が私たちの道を塞ぐように舞い降りてきた。
一瞬向けれた敵意に過敏に反応してしまったが、どうやら先方はそれ以上に争う気はないらしい。
「……」
竜人の男は私たち……いや、両隣にいる娘2人に顔を向け、信じられないとばかりに驚愕した。が、男は首を振り、直ぐに私たちから距離を取るように脇に逸れて道を譲ってくれた。
「……」
「……」
言葉は無かったがタルナはすれ違いざまにそっと会釈をして、彼もまた会釈を返し私たちが来た道を進んでいった。
「……ランの知り合いかしら」
「詳しくは聞いたことはありませんが……あのお方は定期的にフルオリフィア様の墓を清掃してくださってます。なんでも古くからの知り合いだとか……それと……仇、だとか?」
「何その仇って……? まあ、それなら一言くらいご挨拶できればよかったのにね」
この場にはランを慕って多種多様な種族の者が参りに来ると聞いている。
希少な有翼の竜人が彼女の墓参りに来たってそれほど珍しくもないのだろう。
彼らとランがどのような関係を築いていたかどうかはもう知る術は無い。
◎
その後も2人から父呼ばわれで玩具にされ、タルナは微笑ましいと頬を緩ませ、逆に腑に落ちないとウリウリアは不機嫌面で私たちは帰路に着いた。
魔人族の長という男の家に厄介になっているタルナとは途中で別れたが、彼女らの子守であるウリウリアは終始不機嫌なまま屋敷まで着いてきた。
「私はお前のことが心底嫌いだ。フルオリフィア様とのことがなければその首を今すぐにでも掻っ切ってやりたい」
と、ウリウリアは去り際に暴言を吐いて去っていった。
もう疲れた。
その後は留守を任せていたシズクたちを交えての夕食を済ませ、明日に備えてさっさと床に就こうと借りている部屋で寝具を準備して――いる時に、彼女たちは訪ねてきた。
「で……どうしてこうなる?」
今の状況はなんだ。用意した1人用の寝具の上で私を間に2人の娘たちが潜り込んでいるのだ。
左を向けばレティが恥ずかしそうに毛布で顔を半分隠し、右を向けばルイが嬉しそうにこちらを見つめてくる。
「だって、イルノ……お父さんは明日タルナさんと出発するんだし。家族水入らずでいられるのは今日だけだよ!」
最初は断る! と拒絶したのに「家族なんだからいっしょに寝よう」と強く押されたら、う……と断れるわけにもいかず、渋々と彼女たちを部屋に招き入れる結果になった。
ルイの言う通り……私は明日からルフィス・フォーレの飛空艇に同乗させてもらい、タルナと共にアルガラグアへと向かうことになっている。
案の定ルイに引き留められはしたのだが、こればかりは家族であろうと気を変えるつもりはない。
この里は今の私には重すぎる。今の私には厳しいものがある。今の私には悲し過ぎる。
あちらこちらとランがいるように思えてしまい、まだそこまで彼女のことを受け止めきれないということは許してほしい。
だからと一緒の布団で寝ることは許しはしたが、シズクも呼びたかったというルイの提案は流石にごめん被る。
今の自分でも想像し難い情けない面を彼には見られたくはない。ましてや、どこに寝るというのだ。
それに暑いのは苦手なんだ……ラヴィナイと違ってここは四季があり、今は夏季だぞ。
暑いのが苦手なのはお前もだろう、ルイ。
「共に寝るとしたって何も同じ布団に入らなくとも……」
「わ、わたしは別に同じ布団じゃなくてもいいって言ったのよ? けど、ルイが家族なら一緒の布団で寝ようって……」
「だってタルナさんにいっしょの布団で寝ると家族っぽいって言われたんだよ! じゃあしないと!」
タルナめ……余計なことを。
いつもなら甘えるなと一喝し追い払うことも出来たのだが、家族として過ごさせてと言われたら仕方がない。
父親とはこういうものなのか。家族とはこういうものなのだろうか。
今すぐにでもシズクの部屋に向かい、おふたりに話を伺いたい。
(くっ……わかった。私の負けだ。潔く今日は共に寝よう。これでルイの気が済むというのであれば好きにしたらいい)
しかし、私は早速と寝るぞ。
いいか。他の父が何をするかは知らないが、私はこのまま寝る――。
「……ねえ、イルノート」
「なんだ?」
と、目を閉じて意識を落とそうとした矢先にルイが呼びかけてきた。
さっきは言い換えてまで父と呼んだのにあっさりと私の名を呼んだことに今一腑に落ちない。
いや、嫌ではないが……私の名を呼んだルイは自分からは入ってきたくせに、どう言う訳か布団から抜け出し、1歩2歩と距離を取って正座をし始めた。
おまけに小さな光の粒を指先で生み出して部屋に明かりを灯して、だ。
いったい何をするつもりだ……と、ルイの奇行を首だけ起こして眺めていると、ルイは横になる私たちへと真面目な顔をし、3つ指を床に付け、頭を下げた。
なんだそれは。
「えっと……娘さんをぼくにください」
「はあ?」
……ルイ、お前は何を言っている。
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