第205話 ゲームセット

 この試合をみんなで最後まで楽しむ――マウンドに上り、ぼくはぐるぐると肩を回す。


(でもさ、やっぱり勝ちたいよ)


 その為にも、今は目の前の勝負に全力を出そうと思う。


 7-5。6回表、レティ率いる赤チーム最初の打者はドナくんだ。


「……っ!」


 ドナくん、さっきから打席に立つたびにいらいらしてるんだよね。意識がこちらに向いてないのも気配から感じ取ってる。

 いらいらは今の打席の上でも残ったままだ。

 1球目、ぼくの投げたボールは大振りのドナくんのバッドを抜けてあっさりとアニスのミットに収まった。


「――ストライク!」

「良い球だよ、ルイ」


 アニスから褒められながらもボールを受け取った――ん?

 ドナくんがバッドを構えるまで数秒のことだったけど、ストライク宣言をしたシズクへと顔を向けていた。

 なんだろう。なんでシズクを見たんだろう。シズクはシズクできょとんと小さく驚いただけだ。

 けど、シズクを見た後のドナくんは……何か空気が違うような。あ、でも、直ぐにドナくんはむっと怒り顔に戻った。

 ぼくはドナくんの変化に気掛かりを覚えつつ、振りかぶって次のボールを投げた――。


「あっ!」


 と、ぼくは声を上げてドナくんが打ち込む瞬間を目にした。

 今までのドナくんと違ってバッドの振り方が力任せじゃない。この試合中に1度だけ見せたコンパクトなスイングだ。

 打球音は小さいけど、それでも三塁側にボールはバウンドしながら転がっていく。

 捕球したリターが投げてもドナくんは一塁を強く踏みつけた後だ。

 はあ……最初から打たれるなんて。胸がドキドキするよ。

 けどね!


「だいじょうぶ。もうだいじょうぶ」


 打たれたってへっちゃらだ。


(今、ぼくは楽しんでるんだ。負けたって……イヤだけど……うん。楽しくやるんだ! 直ぐに切り替えろ!)


 何より次の打者はレティだ。

 もう何人も打たれてるのにへこたれてなんていられない!


「レティ……行くよ!」

「ええ、きなさい!」


 1球目から全力で!

 ぼくは思いっきり振りかぶって……投げる……っ!


「……!」


 スコン、とバッドが小さく鳴り響く。

 掠った打球はレティたちの後方、フラミネスちゃんたちがいる実況席を越えて場外へと飛んで行った。


「――ファール!」


 危ない。

 アニスからボールを受け取り、小さく息をつく。

 よし、次こそは……。

 ぼくはまた振りかぶって――投げっ!


「あっ!」

「――ファール!」


 今度は大きく打たれた! って思ったけど、打球は一塁側のファールラインをきった。

 あと少し打球が左に逸れていたらレティに2度目のホームランを取られるところだった。


「ぎりぎりだった……」


 打たれた瞬間、ぞくりと背筋が冷えた……やっぱり打たれるのは怖い。

 それでもとぼくは構えて、アニスのミットへとボールを投げる――!


「ボール!」


 わっ、暴投だ。

 ぼくの投げたボールはアニスのミットから大きく外れ、打者であるレティから逃げるように左側へと飛んで行く。後ろのフェンスに当たって弾かれたものをアニスが拾いに行った。


「あ……はしった!」


 その間にドナくんが走り出して二塁に向かった。


「ルイ、頼んだ!」

「うん!」


 アニスにボールを受け取って、直ぐに二塁に入ったレドヘイルくんにボールを投げたんだけど、またも手元で狂ってボールは外野に……その後、ドナくんは三塁まで走ってしまった。


(しまった。ぼくのミスだ。なんで、こんなヘマをしちゃったんだよ……)


 ボールを受け取ってマウンドの上に立つけど、三塁にいるドナくんを見るとじわじわと胸の奥が締め付けられる。

 やだ。やだな……。


「ルイさーん! 肩の力抜いてー!」

「フィディ……」


 応援してくれるフィディには悪いけどやっぱり、ぼく、怖いんだ。

 レティにはもう2回も打たれてる。どうしよう、どうしようどうしよう。

 ……どうしようもない。


「あ……ああ……」


 また、得点される……!

 どうしよう。恐い。ここから逃げたいくらい怖いよ。

 シズクたすけて……と球審のシズクを見ても目を逸らされた。

 なんで……!


「うぅ……うっ……」


 怖い。不思議だ。死ぬわけじゃないのに怖い。涙が出そうになる。

 けど、レティにもシズクの前でも見っともない姿を見せたくなくて、グローブで顔を隠す。


(怖い……怖いよ……)


 今までのぼくたちは失敗することあっても負けることはなかった。

 だってぼくらにとって負けるっていうのは死ぬことと同じだから。

 死んじゃうわけでもない。怪我をするわけでもない。誰も傷つかない。

 なのに、今ボールを投げるってことがとても怖く感じている。

 ぼくのせいで打たれてまた点が入っちゃったら……そう、チームのみんなに迷惑をかけるのがぼくは怖くて――。


「ほら、打たせてきなさいよ!」

「ひっ!」


 突然の掛け声にびくりと背を震わせた。

 すぐに振り返ると遊撃手につくリターが両手を振っていた。


「なぁに縮こまってんだ! いつもの自分勝手なお前はどこ行ったんだよ!」


 続くように外野にいる鬼人族の長までもが怒鳴ってくる。

 その後もみんなの顔を見渡すと誰もが大きかったり小さかった頷いてくれる。


(……みんな、いいの? 打たれちゃうよ? そしたら、負けちゃうんだよ?)


 聞かなくてもぼくの気持ちが伝わったみたいにみんなは声に出さずにいいよと言ってくれる。


「……打たれてもいい?」

「いいよ。だが、後悔の無いように――最高の球を僕に届けたまえ」


 最後に捕手を務めてくれたアニスに直接確認を取れば、マスク越しにとても優しい笑顔をぼくに向けてくれる。

 本当は打たれるなんていやなんだ。けど、みんなはぼくの背を押すみたいに力を分けてくれる。

 みんなありがとう。じゃあ、ぼくも全力の全力で答えるよ。

 でも、その全力っていうのはみっともない足掻きになるかもしれない。

 先にごめん、って心の中で謝っておくね。


「うん……」


 ぼくは目を瞑り――アニスの言う通り今自分が出せる最高のボールを投げようと思う。

 最高のボールと言っても力強く、そして早く腕を動かして投げればいいと思うんだけど……それだけで早くなるならぼくはもっと前から投げれた。

 どんなに強く力を入れてもボールがそれほど早くならないのは運び方が悪いんだと思う。きっと投げ方に何かコツみたいのがある。

 今この場所で1番の投手と言えばレティだ。

 これまでのレティを頭の中で思い描くと……足の上げ方、胸の張り、上げた足の踏む先、投げるまでの腕の伸び。これらを一連の動作で行っているのがわかる。

 他の人に比べて身体全体を使ってボールを投げているんだ。

 見た回数は打席に立った8人分だけだけど、それだけじーっと見つめた。

 捕手の後ろに控えるシズク以上に今のレティをこの短時間で目で追い、焼き付けた。目を閉じればぼくは8人を相手にしたレティのフォームをありありと思い描くことが出来る。


 ぼくはどんな風に投げていたんだろう。

 シズクから指導は受けたけど、レティとは全然違うような気がする。

 多分、シズクが教えてくれたのは基本的な投手の投げ方なんだろうね。

 剣の振り方にも種類があるように、レティはそこから独自に作り上げたものなんだ。

 一朝一夕で身に付くものじゃなく、きっとレティが何年も積み重ねて築いた形だ。

 そして、そんな長年をかけて築いたレティの努力をぼくは――真似ようとしている。


(投げる練習がしたい……ううん。1発で成功させないと意味がない)


 相手にしているのはあのレティだ。

 経験者であるシズクが、何度も何度もレティは野球が上手いと褒めていたことをむっとしながらも、ぼくは聞いている。


「すう…………はあ……」


 もう1度深く深呼吸、頭の中で何度もレティの投げ方を練習する。

 出来る……と思う。思い込む。偶然できたでいい。

 十中八九失敗する中の成功する1回を引ければいい。

 千球のうちのまぐれの1球を手繰り寄せれればいい。

 ただの偶然の奇跡の一投がレティと同じになればいい。


「……うん」


 目を開けて、アニスに頷く。アニスがミットを構えてくれる。

 どこに飛んでも良い様にいつもアニスは真ん中にミットを構えてくれた。

 ありがとう。アニスの気持ちにも答えたい。

 レティを見て頷き、こちらの準備が整ったことを教える。レティもまたバッドを構えぼくと向かうあう。


(……行くよ)


 レティがぼくになれないように、ぼくはレティにはなれない。

 それでもぼくはレティに限りなく近づいた投球を目指す。

 マウンドの上で足を離し、なるべく身体をぴんと伸ばしたまま上げた足を前へ出そうと勢いをつける。


(思いだせ。再現しろ。ぼくは今、レティだ)


 そのまま腕を足の勢いに置いて行かれないように振り被って、最後まで身体全体の勢いを乗せ腕全部を使い、地面に降ろした足を強く踏んでっ、ボールをっ、投げ――……痛いっ!

 指先にばちりって電気が走ったみたいなしびれが出た。


「あっ……たっ!」


 痺れた指先からボールが離れた感触を残して体勢を崩す。

 ボールを投げることは出来たけど、慣れない動きにぼくは前のめりで地面に倒れた。

 だから投げたボールの行き先は見ていない。見えたのはまっすぐアニスのミットへと向かったところまでだ。

 後は全部みんなに任せる。打たれてもみんななら……地面に顔を伏せる瞬間、後はもう音だけが頼りだ――。


「……!」


 ざっ、とレティの足踏みの音とぐおんってバッドの風切り音が聞こえた――。

 それから、鳴ったのは――……聞きなれたカキンって金属音はない。

 聞こえたのは何かが破裂するかのような音――。


「どう……なっ……!」


 地面に這いつくばったまま顔を上げる。

 そして、ぼくはそれを目にした。シズクが声高々に宣言する。


「――ストラーイク! ……バッターアウト!」


 ああ……!

 ぼくの投げたボールはアニスのミットの中に納まっていた!


「やった、やった……やったぁぁぁっ!」


 よかったぁぁっ!

 地面に膝をついたまま、ぼくは両手を上げて喜んだ!

 レティからアウトを取った!

 今すぐにでも誰かと喜びを分かち合いたくて、このままアニスに飛び掛かりそうになるくらいだった。


「……悔しいわね。まさか、あんな球投げられるなんて思わなかったわ」


 そう言い残すレティの声すら聞こえないくらいぼくは喜んでいた。

 レティを三振に出来たことを本気で喜んで……だから、ぼくは浮かれすぎてたんだ――。

 

「……もらいます!」

「あ……っ!」


 気が抜けちゃったんだって言い訳をしたい。けど、そんなこと口が裂けたって絶対言えない。

 続く次の打者も三振に抑えたのに、その次の打者であるシンシアちゃんにぼくは打たれ、ドナくんがホームに帰還。

 取られたくないまさかの1点を取られちゃったんだ。





「ストラーイク! バッターアウト!」


 六回裏、ぼくたち青チームの最後の攻撃は最初の打者であるタックンの三振で終わった。

 始まって早々ワンナウトだ。


「すみません、ラアニス様……」

「いや仕方ない。気を落とすな」


 シンシアちゃんに1点取られた後、キーワンという人をどうにかアウトにして攻守交替。

 現在7-5でぼくら赤チームが負けている。


(レティ相手に1点取るのすら難しいのに3点かあ……)


 ……ぼくが気を抜かなきゃ0点で抑えることが出来たはずなのに。


「……あ、レドヘイルくんがんばって!」


 いけない。まだ試合は終わってない。ちゃんとみんなの応援しないと!

 そう顔を上げて次の打者であるレドヘイルくんに声を掛ける……けど、あれ?

 レドヘイルくんはバッターボックスに向かおうとして、突然立ち止った。


「レドヘイルくん?」


 ベンチから離れて近寄ってみるとレドヘイルくんは苦々しい顔をしていた。

 ぼくとも顔を合わせようとしないで握ったバッドをずっと見つめている。

 立ち止ったままで一向に動こうとしないレドヘイルくんに球審であるシズクまでもがこちらに近寄ってきた。


「どうしたの? どこか怪我でもした?」

「……」


 シズクが訊ねるとレドヘイルくんは首を振る。

 レドヘイルくんはゆっくりと口を開いた。


「……僕、今回何もしてないんだ。投手も打たれて打席でも全部アウト……」

「レドヘイルくん……」

「役立たずで終わりたくない。けど、今の僕にフルオリフィアちゃんの球を打てる気はしない……!」


 真っ青な顔をしてレドヘイルくんは立ち尽くしていたが、次第に観客までもがざわつきだす。

 実況席からもフラミネスちゃんがどうしたの? と声が上がる。

 時間だけが過ぎていくけど……そこをシズクが打ち切った。


「……打席に入るんだ。君の代わりは立てない。最後まで諦めずに勝負するんだ」

「……はい」


 渋々と肩を落としてレドヘイルくんはバッターボックスに入っていった。

 ただ、1球目……2球目……と、レドヘイルくんはバッドを振ることさえなくストライクを取られてしまう。


「くぅ……」


 レドヘイルくんが悲痛な呻き声を上げてもレティは絶対に手加減なんてしない。

 直ぐにレティの投球は始まった。


「これで、終わりよ!」


 最後の3球目、レティの投げた速球にレドヘイルくんは大きくバッドを振ったけど、かすりもせずにミットに吸い込まれた。

 ストライ――あ。


「ドナくん!」

「ちっ、やっちまった!」


 ドナくんがボールを取りこぼした。ボールは彼の手をすり抜けて後方へと弾んでいく。

 これは、確かルールだと……!


「走れ!」

「……!」


 なんて、ぼくが叫ぶよりも先に叫んだのはシズクだった。

 ――振り逃げだ。

 シズクの言葉に従ってレドヘイルくんは慌てながらも走り、一塁へと目指す。

 ドナくんは即座に拾ってボールを投げようとするが、顔をしかめた一瞬の硬直で後れを取った。


「――セーフ!」


 ぎりぎりの送球は間に合わずレドヘイルくんは一塁へ到着したんだ。

 一塁に立つレドヘイルくんはあまりいい顔をしてないけど、これでも立派な進塁方法だ。


「ドナくん!」

「わりぃ……手が滑った」

「……何がわりぃよ! 痛いのに……ごめん。わたしのミスよ」


 ……レティがドナくんに近寄って話してるけど、直ぐに何事も無かったかのようにマウンドに戻っていく。


(ドナくん、どうかしたのかな? 辛そうな顔してたけど……)


 今は敵でもいっしょの四天であるドナくんを心配ちゃうけど試合は続く。

 次の打者はリターだ。


「……嘘っ!」


 でも、リターもあっさりと三振だ。

 これでツーアウト。

 後がない。あと1人で試合は終わりだ。


「ごめん。あたしじゃあの球は打てなかった……アニス、後は頼むわ」

「アニス! 絶対に出てくださいね!」

「ふっ、愛する妻たちの期待に応えずに何が魔人族の長か。期待していたまえ……だが――今回ばかりはルイのために全力を注がせてもらおう」


 ――そう言ったアニスは本当に進塁を果たした。

 誰も打てなかったレティのボールを1球目であっさりと打ったんだ。

 ここぞとばかりにアニスは頼れるんだよね。

 しっかりと外野まで飛ばして――でも、鬼人族の女の子の速球をレティを中継して受けて一塁しか2人とも進めない。

 ツーアウト。一、二塁。

 ここでぼくの打席が回ってくる。

 ここでぼくが打てばいい。最低でも2点取って同点を目指したい。


「……ルイ、これで終わりにするわ。もっと楽しみたかったけど場合が場合だからね。わたしはあなたを最後にこの試合を勝ってみせる!」

「終わらせない! まだまだ続けるんだ! ぼくは、君を打つ!」


 お互いの意気込みはばっちリで、ぼくもレティも2人見つめ合う。

 多分、これがぼくの最後の打席だ。だから、残ってる力を全部ここにつぎ込んで向かわせてもらうよ!

 ぼくはバッドを構え、レティが腕を振り上げて……投げる!


「……っ!」


 ボールは即座にレティの手から離れこちらに向かってくる。

 けど、これは……だめ!


「――ボール!」


 シズクはボール判定を取った。

 危なかった。あと少し見るのが遅れてたらバッドを振っていた。

 切り替えて次だ。

 ドナくんからボールを受け取り、一呼吸と頷きの後レティは投球を始める。

 ……今度は!

 ぼくも合わせてバッドを振るけど、振り終る前にボールはドナくんのミットに収まっていた。


「ストライク!」


 間に合わなかった。くそう……!


(やっぱり……速い。遠くで見る以上に速い!)


 こんなのを打ったアニスはすごいよ。だからこそぼくだって打たないといけない。

 じゃないと、せっかくぼくにつなげてくれたレドヘイルくんとアニスに申し訳がない!

 だから……!


「……ファール!」


 次のレティのボールになんとか食らいついてバッドに当てることが出来た。

 だけどボールは後ろにバッドに跳ね返って流れただけだ。


「当てたのね。やるじゃない」

「……レティも、ね!」


 悔しまぎれの返答に内心、はらはらしている。

 ぼくだけこんなにも緊張しているっていうのにレティは涼しげだ。

 なんだか不公平だけど、これが経験者との差とか慣れなのかな。あっ、レティが投球を始める。

 追い込まれ――だめだ! 


「――ボール!」

「……ぷはあっ!」


 次の球もどうにか見逃してボールカウントだ。

 これでツーストライク。ツーボール。

 気持ちとカウントがぎりぎり状態のぼくと違ってレティには余裕がある。

 もう1度ボール狙いに投げてぼくを空振りに誘うことも出来る。

 ただ、レティはそんな真似をしないと……何となく思った。

 次はストライクゾーンに放ってくる――そうなるって思う。


(ストライクゾーンに来る。きっと、きっと……)


 胸はドキドキと高鳴って、いつ飛びだしてくるかわからないレティの次の球を待つために、ぼくはレティをじーっと見つめ――見つめて、ふと気が付いた。


(え……何、いまの?)


 レティは今の回を含めて11人相手に投球をしてきた中で、見たことのない妙な行動を起こした。

 些細な動きだ。

 グローブの中に納まって隠れた右手……もっと言うと右手首が小さく動いたんだ。ただの身震いほどの小さな揺れだ。

 それだけの動きが気になる。

 ただの反応だと思うのに、ぼくは今の動きが気になって仕方がない。

 なんで、どうしてレティはそんな行動をした? あと1球ストライクを取れば終わるから?

 じゃあ、さっきツーストライクで追い込んだ時にしなかった?

 でも、考える時間なんてあってないもので、即座にレティが頷き……もう1度頷いた。

 なんで2回頷いたの? ……また悩ませる。

 けど、レティはぼくを悩ませるだけ悩ませて、両手を上げて大きく振りかぶって――。


(……あっ)


 ――その時だった。


 ぼくの見る世界が急激に遅くなるのが、


「……っ!」


 前にもこんなことがあった。たしかあれは……いや、思いだしてる場合じゃない。

 目を動かしている時間は無く、ずっとぼくの目はレティの振り出された右腕を見続ける。


 ――周りが遅くなったなんて気にかけずにレティの腕だけを認識しろ。


 後はもう考えろ。感じた違和感が何かを考えろ――と考える時間だけが周りの景色と違っていつも通りだ。

 レティはどうしてあんな動きをした――……。


(あ……)


 まさかの可能性を思いつく……ううん、思いだした。

 あっておかしくない。だって、シズクが教えてくれたんだ。

 そして、だってレティは――!

 賭けだ。これで外れたらぼくはボールのを大振りしてストライクになる。

 それでもやらなきゃいけないと思ったのは、きっとシズクのせいだ。


(シズク、信じるからね……!)


 ゆっくりとした時間の中、ぼくは力を込めて大振りで斜めに振り込む。

 投げ込まれたボールがぼくの予想通りのルートを辿らなければ、ぼくのバッドの上を直線状に飛んで行く。

 けど、違う。あれは、きっと……レティがずっと隠していたものだ。


(レティが何かを隠していることに気が付いていたぼくの、ぼくだけが知ることだ!)


 ここだ、と自分に命令をして振り途中のバッドを持ち上げる――きた!

 ボールはと直線に走っていた軌道を変えて、


「……っ……!」

「な! 嘘でしょ!」


 レティの放った変化球にバッドに当たった瞬間、ようやく時間は元に戻った。

 手元に残るボールの感触をじんじんと残しながらも打ち上げたボールの行く先を見つめる。

 そして――。


「……ああ……ぼく、ぼくやった……やった……やったぁぁぁ!」


 ぼくは歓声を上げながら、とても大きな軌道を描いたボールが観客席の中に消えるのを見届けた。

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