第201話 これを勝ち負けと言うなら、わたしの勝ちよね
ずるんとその場でこけるようにレクは足を崩した。
「な、なんでだ! シズク! 今、おれ打ったぞ! 外野の柵越えたらホームランって言って無条件で塁を回れるんじゃないのか!」
「……うん。そうなんだけど……レクが最初に向かった先が三塁って言うのが駄目だったんだ」
「え? なんだそれ?」
――どういうこと? ねえ、おにいちゃんどういうこと?
――ええ、っと……はい。シズクくんから今のプレイについて説明があります。
僕はマスクを外しながら実況席に向かい、マイクを受け取って今のプレイについて説明をした。
『今のプレイについてですが、本来右翼側の一塁へと進塁しなければいけなかったレク……ベレクトは左翼側の三塁へと進塁。すなわち逆走したことによりアウトを宣言しました』
「なんだよそれ! おれ聞いてないぞ!」
『……僕も流石に言わなかったよ。打ったら一塁に走れと説明してたし、練習の時も皆そっちに走ってくれたし……。あー、これは僕の落ち度だ。けど、ごめん。最初の野球だからと細かなルールは目を瞑ろうと思っていたけど、流石に今回のパターンは今後のことを考えると無視できないよ……ええっと、つまり逆走による進塁なのでアウトです』
「むぅ……納得いかないぃ……けど、わかった! 次だ!」
はあ、レクが聞き分けが良くて助かった。
今回のメンバーの中には、誰とは言わないけどごねる人も出ただろうしね。
レティもベンチで頬を膨らませているけど納得はしてもらえているみたい。
ま、彼女の場合、ここで初心者の失敗なんだからっていちゃもんを付けるような真似をするなんて最初っから思ってない。……それだけ野球に対しては誠実だったことは以前からよく知っている。
さてさて、試合再開。
ツーアウト状態でバッターボックスへと回ったのはフラミネスちゃんのお母さん、アグヴァ・フラミネスさんだ。
はてはて? どうしてフラミネスちゃんじゃなくてお母さんなんだろう――そんな疑問を本人たちに直接聞いたが安易なものだった。
フラミネスちゃんは運動音痴だからだそうだ。逆にお母さんの方はばりばりと体育会系体質……で、こういうお祭りごとには目が無く、ぜひとも、と娘を差し置いてまで参加したいらしい――というのが本音7割の建前だ。
実のところ体の弱いレドヘイルくんのお兄さんを気遣ってフラミネスちゃんは出ることを拒んだようだ。後はルイとレティどっちのチームにも入りたくないっていうのもあるかな。
また、元四天であり、ユッグジールの里設立に携わった天人族の1人であるフラミネスママさんが今回の勝負に関わることで、身内の反感を減らそうという措置もあるらしい。レティ側につくこともその配慮の1つとか。
(でも、正直なところフラミネスママさんがそういうことを抜きにして、ノリノリで参戦を望んだので僕としてはとても嬉しい……ん?)
フラミネスママさんがバッターボックスに入らずににっこりと笑って僕を見ていることに気が付いた。
「ミッシングのシズクくん。練習時間を除けばこうして君と顔を合わせるのは2回目、正確には乱入した時もいれて3回目かしら?」
「あ、はい……そう、ですね?」
「あ、ごめんごめん。硬くならないで。私は思ってないわ。別にミッシングについてはどうとも思ってないわ。ただ、私を楽しませてくれる相手かもって思ってただけよ」
「は、はあ。そうですか」
うわあ……なんとも返答に困る言い方をする。楽しませてくれるってどういう意味だ。
僕の気も知らないでフラミネスママさんは観客席にいる旦那さんと護衛である桃髪の人へと手を振っている。ちなみに、桃髪のその人は、顔合わせの日にもいたのだが、面倒臭がって1度も練習に参加することはなかった――観客席に向けていたフラミネスママさんの顔がくるっと僕へと向いた。
「以前チャカが君のことをすごい褒めてたのよー? 年下なのにすごく綺麗な魔人族の女の子がいるってね」
「は、はあ……そうですか」
「家に帰ってくるときは毎回君の話ばかり。でも、温泉から帰ってきた日、顔を真っ赤にして君が男の子だったって……私はもうははぁんってね。惚れたなって。あの惚れ込み具合はてっきり魔人族を夫に迎えるんだって思ってたわ」
「えぇ!?」
プレイそっちのけでついついフラミネスママさんへと顔を向けてしまう。
「……けど、わからないものね。私はわからなかったわ。今あそこでレドヘイルさんところのお兄さんといるチャカは君のことを話していた時よりも、ずっと楽しそうにしてるもの……あらやだ、待たせたわね。いいわよ、獣さん!」
そう話を終わらせて、彼女はバッターボックスに入りバッドを構える。
フラミネスママさんと対峙するのはウォーバンだ。彼はルイに無理やり誘われて渋々参加することになったと嫌々そうに教えてくれた。
ただ練習中に再びウォーバンの前に立った時「らぁめん食った時に泣いてたってのは不味かったからじゃなかったんだな」って一声は結構僕の胸の中をぐちゃぐちゃにしてくれた。
その時の僕は何を言えば良いのかわからなかった。
でも、もう1度ラーメンを食べさせてと彼と約束をしている。
「店長がんばれー!」と外野からネニアさんの声援を受け、鼻先を掻くウォーバンだったが直ぐに投球を始めた。
「行くぞ」
ウォーバンは両足を地面に付けながらも上半身の力だけを使っての投球だった。足を悪くしている彼に限ってはボークの判定はできない。
しかも彼の手の大きさに比べて球は小さく、思うように投げれないのは今も、練習中も目に見えて取れた。
「よぉしっ!」
すぱん――とフラミネスママさんはあっさり打ち込むも、飛んでいったボールに勢いは無く、ウォーバンを越えて二遊間へと転がっていく。
「あらら、中々飛ばないものね」
残念そうに呟きながらも自分のベンチへとフラミネスさんは戻っていった。
――ママー! あと少しだったよ! おしいよ!
――フラミネスちゃんのお母さんはすごい元気だよね。まったく変わってないや。
彼女の打席で1回表、レティたち青チームの攻撃は終わり。
そして、ルイたちの攻撃と変わる。
「よーし、ぼくがんばるよー!」
先頭打者は元気いっぱいにルイが名乗りを上げた。
守備に関しては僕も助言を出したけど、打者に関してはこれはもう早いもの順だ。
とにかくルイは1番に出たいって言うので彼女の好きにさせた。ルイに対してだけ甘いかな。周りからは反対意見が出なかったことだけがせめてもの救いだ。
ごほん……感情を抜きにして、皆はどう思っているか知らないが僕は知っている。
ルイは何をやらせてもなんでも直ぐにこなしてしまう天才なんだ。
「シズク、ぼくのかっこいいところ見ててね!」
なんて意気揚々とバッターボックスに入ったルイだけど、マウンドに登ったレクを見て残念そうな声を上げる。
「なんだ、レティが投げるんじゃないんだね」
「おおっ! そっく……なんでもない! おれだってやるからな!」
「そっく? まあ、いいや! シズクとレティの友達みたいだけど、誰だろうとぼくは負けないよ!」
行くぞ――とレクは構え、力強くボールを放る。
初めて投手として投げるのに彼はとても速い球を投げた。
だが……。
「……っ!」
ルイは一瞬身体を震わせて投球を見送った。いや、見送らざるを得なかった。
大暴投だ。
ストライクゾーンどころか捕手であるドナくんが目一杯手を伸ばしても届かない。彼方へと飛んだボールはドナくんと球審の僕を越えて後ろの実況席へと突き刺さっていく。
安全のためにフェンスを設けているとはいえ、目の前にボールが飛んできたんだ。実況席の2人は小さな悲鳴を上げて驚いていた。
――あ、あぶなーい! 鬼人族の人の球! あぶないよ!
――あっ……はは……ちょっとはらはらしたね。
「馬鹿野郎! どこ投げてんだ!」
「わるいわるい! ちょっと力が入り過ぎた!」
てへ、とレクはドナくんへと謝る。ドナくんはふんと鼻を鳴らして位置に付きミットを構え直す。ルイは1度の身震い以外では動じず、そのままの姿勢を貫いている。
続けてレクは同じく剛速球を放つけど、やはりミットどころかあらぬ方向へと飛んでいく。2回目は僕の顔に当たりそうになったくらいだよ。
レクの球は早いけどコントロールはとても悪い。
制球力のためにここは手を抜くべきだろうが……そうアドバイスを送ろうか悩んでいると、3度目の正直とばかりに成功する。
「……!」
ストライク。
レクの放った速球は外角高めのぎりぎりでストライクゾーンに入った。が、捕手であるドナくんは受け取れきれず球を取りこぼす。
「おおっ入った! どうだ!」
「早いね……」
ルイはそう口にして、持ち帰るようにバッドを軽く動かす。
今のレクの投球はただのまぐれか、実力か――制球力を求めるために、スピードを殺すなんて真似をレクするとも思えない。
この3球目も球威は変わらなかった……全力投球、多分偶然ストライクゾーンに入ったものだろう。だから、まぐれで入ったと考えるのが当然だ。
しかし、例え暴球を含めてもあの速球を見せられ、ましてや初めての打席で彼と相手にする打者を怖気づかせるには十分なものだった。
(……けど、僕は知っている)
転がってしまったボールをドナくん拾いに行っている間、ルイは打席に立ちながら小さくバッドを弄って何やら呟いている。
よし、と声を上げてあらためてバッドを構えレクへと向き直し、またドナくんも位置について勝負は再開。
レクがマウンドの上で足を上げ振りかぶり――投げる!
「ふっ!」
僅かにルイが声を漏らした一瞬のことだった。
レクは同じ球威でまたも同じコースへの投球だ。今さっきの1球で感触を覚えたのかとばかりにボールはミットへと――それに対してルイは。
「……ここっ!」
声を上げタイミングを合わせたスイングで返した。
振りは弱くもレクの真上を超して直線にボールは飛んでいく。
駆け出してルイは一塁へと向かう。このままなら余裕をもって一塁を踏める。
二塁前で打球はバウンドし、外野へとボールは飛んでいく。ただ、そこでルイは一塁を踏み――そのまま二塁へと進塁を開始しようとしだす。
「まかせや!」
と、鋭い打球を
そして、直ぐに顔を上げて一塁へと投げようとし、
「中継!」
「……よっ!」
レティの呼び声にラクラちゃんは倒れたまま送球。
「行けると思ったんだけどなぁ」
ルイは腕を上げながら一塁の上で僕へと手を振っていた。流石に手は振り返さなかったけど、強く頷いて見せる。
(やっぱりルイは打つと思ったよ)
続く打者に鬼人族の長と呼ばれるおじさんがバッターボックスに立つ。打たれたレクは続投だ。
鬼人族の長は少し幅のある仁王様みたいだ。
おじさんはバッドを構える前にぴしりとバッドを前へと向けた。ホームラン予告か!? って違う。
バッドはレクへと向けられていた。
「おい、お前が俺んところで暴れ回ってた小僧だろ! 今まで言う機会がなかったがなあ! どう落とし前付けてくれんだ!?」
「ああ、わるかったよ! でも、おれもあんな騒動になってるなんて知らなかったんだ! 別にあいつらに味方してたわけじゃない!」
「ごちゃごちゃうるせえ! さっさとかかって来い!」
「先に言ったのはおっさんのほうなのに!」
おりゃあ、と鬼人族の長の掛け声はいいが、先ほどでコツでも掴んだのかレクの投球はばっちりストライクゾーンへと3球三振。アウトだ。
鬼人族の長は悔しがりながらもあっさりとベンチへと帰っていった。
「死ねや鬼子ォォォ!」
「お前がだドラコぉぉぉ!」
と、続くのは投手竜人の女の子に対して打者鬼人族の女の子2人で、彼女たちはルイたちとは違った火花を散らしていた。
だが、今回の勝負は鬼人族の女の子の凡打で終わり、竜人の女の子の方に白星がついた。
ツーアウト一塁の状況で打者ウォーバン、投手シンシアさんだ。ただ、バッターボックスにも慣れないのかウォーバンは窮屈そうに身体を動かしバットを振るだけで三振で終わった。
チェンジ。
「せっかく塁に出たのにぃ!」
今日初めてのヒットを打ったルイは悔しがりながら自分のベンチへと戻っていった。
◎
「うおりゃあっ……あ!」
ストライク!
2回の表、先頭バッターとしてドナくんが打席に入ったけど……力み過ぎだよ。
鬼人族の長であるおじさんはウォーバンとは違って小さな球を器用に投げてくる。
鬼人族って投げたりするの得意なのかな。ただ、捕手であるアニスが苦しそうな声を上げて捕球している。
「ドナくん」
「ああ、なんだよ!」
「もう少しバッドを短く持ってコンパクトに振るといいよ」
「お前……なんかの言うことなんて聞くかよ!」
ついアドバイスをしても結局ドナくんは空振り三振。ワンナウトとなった。
悔しがるドナくんは去り際に僕を睨み付けていった……なんで?
「……ま、色々あるのよ」
「色々って何だろ」
「わたしの口からは言わないでおくわ」
ドナくんと入れ替わるようにバッターボックスに入ってきたのはレティだ。
すれ違いざまにぽん、とドナくんの肩を叩きながらの登場だ。
「レティ!」
そして、レティが打席に入ったことに俊敏に反応したのはルイだ。
一応練習を積ませたとは言え、投手として初めてルイがマウンドに立つ。
「レティ! 勝負だ!」
「……いいわ。かかってきなさいよ」
バッターボックスでレティは片手で慣らすように軽くバッドで振り、ゆっくりと肩に担いで構えを取る。
レティの準備が整ったのを見て、ルイは頷き振りかぶり――投げる。
放たれた一閃は小気味いい音を鳴らして捕手であるアニスのグローブへと飲み込まれた。ストライク。
「へへん、どうだ!」
「へえ、早いわね。たった2日しか練習してないと言うのに、流石よ」
レクの速球には及ばないがルイの投げるボールは早い。
高校球児をしていた時の僕の全力投球よりも早いかもしれない。少しショックでもあったが、逆に嬉しく思う気持ちもあった。
続くルイの投球も、レティは手を出さずに見送りだ。ツーストライク。
「へへん! 経験者って言ってもぼくの勝ちかな! レティ手も出さないじゃん!」
「……ふぅ」
「3球三振取っちゃうよ!」
ツーストライクまで追い込んだことが嬉しいのかルイはマウンドの上で弾むような声を上げた。
……僕は何も言わなかった。
言ったら不公平だからね。ただ、顔には出ていたと思う。
でも、ルイは僕を見なかった。今に限ってルイはレティだけを見ていたんだ。
もしもルイが僕を見たら、何か違ったのかもしれない。
(ルイ、違うんだ……レティは何も考えずに見送っただけじゃない)
だけど、今の僕には他の人とは違ってこの2人にはアドバイスは送れない。
脳裏に過る未来への予測が当然のように浮かぶ。そして、実際に僕が想像したことは数秒先に現実になった。
嬉しそうに微笑むルイが振りかぶる。そこに慢心や気のゆるみなんてものは無い。彼女の笑みは投球フォームに入ったところで消えている。
ルイが放った3球目は今までの2球と同じ全力のものだった。
だから、3球目もルイが全力で投げた今までの2球と同じボールだった。
「はっ……っ!」
タイミングはばっちり――レティのフルスイングはものの見事にボールを芯に捉えて打ち上げた。
まるで音が遅れて聞こえくるかのように見事なスイングだった。
「嘘っ!?」
すぐさまルイは振り返り打球の行方を追おうとするが、見送らなくても行き先はわかったんじゃないかって思う。
「……これを勝ち負けとルイが言うなら、わたしの勝ちよね」
悠々とレティは一塁へと走り出す。
――ホームラン。
ボールは突き刺さるかのように観客席へと飛ばされていた。
この試合、初めての得点だ。
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