第197話 ギオ・レドヘイルの演説

 エネシーラ長老は日々私たち天人族のことをお考えになり、その身を費やしてくれた偉大なお方でした。

 皆さんがエネシーラ様を失い、怒り嘆く気持ちはわかります。

 私もエネシーラ様の援助を受けた1人であり、今もエネシーラ様の亡骸を前に……言葉にし難い感情を心中に抱えています。


 こうして公の場に姿を見せるのは10年ぶりになります。

 皆さん、お久しぶりです。ギオ・レドヘイルです。

 今だけはエネシーラ様の犠牲に感情を震わせるのに堪え、しばし若輩者である私の拙い話にご静聴頂けると幸いです。

 

 では……ご存知の方もおられると思われますが、私の身体は抗魔病に蝕まれていました。

 ……ええ、この場にいることが証明とは言えませんが、今はもう病は完治しています。しかし、完治したから里に戻ってきたわけではありません。

 実のところ、私は里に戻ってきても抗魔病を患ったままでした。

 療養先の薬師からは完治の見込みは薄く、一生付きまとうことになるとも言われました。

 言っていることが先と違っているでしょう……しかし、今この場に立つ私の身体には長年苦しんできた病魔の気はありません。

 どういうことかと言うと、この病気が完治したのは昨日のことだからです。 

 ……そう。そうですね。きっと信じてもらえないと思います。

 私はこの病と長年付き合ってきました。

 慢性的に訪れる発熱と痺れ、痛みと共に硬直する身体に自由は無く、このまま死んでしまうのだろうかと恐怖し続ける日々を送っていました。

 しかし、今の私には苦しみ悩まされていた抗魔病による熱を感じません。こればかりは病気にかかった本人にしかわからないものでしょう。


 どうして私が一晩程度で病を治せたか……まず、先に話を聞かせてもらいたいと思います。

 他種の長様たちどうですか。抗魔病と聞いて何を思うことはありますか――。


「あ、俺か? ああ、ガキの頃になった覚えがあるな。あの時は……いろんな魔物の血や臓物を煮詰めたものを三日三晩飲み続けるっつうことをしたな。今じゃそんな苦労もしないで……んん?」

「ふむ……抗魔病……確か高熱と痺れで身体が動かなくなる病気だったか――話には聞いているよ。発症例は少ないが、下手をすると生命の危機とすら……ふむ?」

「ああ、あの一過性の風邪だろう。我ら亜人族の多くはあまり関係ないが、魔力を保有する同胞たちは酷く苦しむと聞く。普通は初期症状で食い止める……が……?」

「――ちょっと待ってくれ。そうだ。待ってほしい。僕の気のせいか――彼の話はまるで……僕はてっきり君たちは鬼人たちに話を付けているのかと?」

「馬鹿を言え。逆に俺はお前らに頼んでるのかって……天人族の長は言ってたぞ! 抗魔病に関しては万全の対策を施しているって……だから俺はてっきりお前らのどちらかに頼んでるのかって……」

「生憎だが……我も天人族がこの数年魔力を繰る同胞たちに助けを求めたという報告は聞いては……」

「……はあ? そんな馬鹿みたいな話があるか!」

「では、まさか――?」


 ……長様方の考えていることはあっているかと思います。


 抗魔病は聖ヨツガ様が与えられた試練だと、私は昨日まで信じて疑いませんでした。

 選ばれたものだけに与えられた苦行、これに耐えて更なる高みに昇るのだと……ですが、そのような試練などなかった。

 抗魔病は、他種族の力を……他種族の魔力を流し込めばあっさりと治る病気だったのです。

 彼ら、他種族に頼み力を借りればすぐに治る病気だったのです。


 しかし、こんな簡単なことを私たちは出来ず、結果長々と私と同じ病者たちは苦しみ続けました。

 それはなぜか、我々天人族は隣人である他種族の人たちを敬遠し、歩み寄ろうとしなかったからです。

 それだけではなく、治る病気を試練だと言って諦め、治療方法を探すことを捨てた天人族の怠慢が招いたからです。

 もしも、抗魔病だけではなく他のことでも彼らと多くのことを話し交わせていることが出来ていれば……きっと、私はここに立つことはなかったでしょう。


 ……さて、前振りを踏まえて、私が皆さんに聞いていただきたい本題に入りたいと思います。


 この里に住む天人族の人たちに言いたいことがあります……もう、やめにしませんか。

 感情のままに醜く罵り、誰々が悪かったと他者に責任を押し付けることばかりではなく、今一度自分自身を振り返ってみませんか。


 今回の事態は私たちがもっと他種族の人たちと交流を持ち、力を合わせていたら簡単に解決できた話だと思います。

 不意を突かれたから。人質を取られたから。魔法が使えなかったから。地人族だからと相手の技量を見誤っていたということもあるでしょう。


 でも、数の利でも地の利でも我々魔族も亜人族たちもはっきりと上回っていました。

 もしも、彼らと協力していたら迅速に、そして犠牲も無く終わったのではないでしょうか。


 では、どうして力を合わせられなかったのか。

 それはきっと、過去の因縁や遺恨といったものが未だ深々と根付いているのでしょう。

 一概に今まで先の戦争のせいだとは言いたくはありません。が、長年のいさかいにより流れた血を我々天人族は未だに浴びたままなのでしょう。

 その血とは身内が流したものであり、敵対していた彼らが流したもの……浴びた血にいつまでも囚われ、我々はずっと他人を遠ざけているように思います。


 けれど、今はもう身内の血も、敵対していた彼らの血も浴びることはありません。

 当時のことを生まれてもいないやつが何を偉そうにと思う人もいるでしょう。

 でも、私は口を大にして言わせてもらいます。


 もう敵はいないから――と断言するのはでしょうか。

 戦争というものを知らない無知なでしょうか。


 元々、この里は和平の証として他部族たちが集って出来た場所だと聞いています。

 ですが、遺恨を未だに引きずったままこの場に、ユッグジールの里にどうして皆さんは暮らしているのでしょうか?

 私達はどうしてユッグジールの里に住もうと思ったのでしょうか?


 他種族の人たちに引けや遅れを取らないためにといった小さな見栄や体裁から住みだした人もいるでしょう。

 ……でも、多くの人は争いが起こらないと信じ、平和が存在していると知ってユッグジールの里に住もうと思ったのではないでしょうか。

 いさかいの無い平和な世界で……人が死なない安心できる場所で過ごすために身を置こうと思ったのではないでしょうか。


 容姿が違うなんて当たり前です。天人族である僕らだって誰1人だって同じひとはいません。

 でも、耳が長いとか短いとか角があるとかないとか、自分たちに有って無いからと言って拒絶し、思考を止める天人族は今後も変わらないままです。

 周りにいる魔人族、鬼人族、亜人族たちはもう敵ではなく、ただ姿形が違うだけの同じ命を持った友人足りうる存在なのです。

 私達はもっと彼らと交流を深めるべきだったのです。


 それは何も魔人族や鬼人族、亜人族に限った話ではなく、大陸外の人たち……そして、別の世界から来たというミッシングと呼ばれる人たちも同様です。


 ミッシング……この言葉に聞き覚えの無い方もいらっしゃると思います。

 この呼び方は、里に住む一部の方々が名付けた通称であり、その存在の多くも長たちにより秘匿された――……いいえ、黙りません。

 すみませんがドナさん、僕は話させてもらいます。

 話が終わり次第、僕をどう罰してもらっても構いません。ですが、今だけはお願いします。

 …………はい。続けます。


 もう数十年は昔のこと、この里は謎の集団に襲撃された悲しい記憶があります。我々長寿の魔族であれば未だ昨日の出来事のように思いだせる人も多いはずです。

 先代の天人族と鬼人族の長もその時の衝突で亡くなったと聞いています。

 細部までは私も聞かされてはいません。ですが、その謎の集団……ミッシングは異世界からの来訪者だったとは伺っています。


 そんなミッシングと呼ばれる人たちと私は短い時間ですが交流を重ねました。

 ……隠しても直ぐにわかることなので、あえて言いましょう。

 ミッシングである魔人族のシズクくんと天人族のメレティミ・フルオリフィアちゃんと話をさせてもらいました。

 ええ、ブランザ・フルオリフィア様の娘であり、元四天見習いのメレティミ・フルオリフィアちゃんは異世界の記憶を持って生まれ変わった存在です。

 ……10年ぶりとなりますが、仲良くしてもらっていたフルオリフィアちゃんがまさか転生者だとは僕も思ってもみませんでした。


 ドナくんたちの結婚式を台無しにしたとは2人から聞きました。しかし、それも理由があってのことです。

 ただ、その理由と言うのも多分皆さんに聞かせたら驚かれるか、呆れかえるものでしょうが……いえ、この話は割愛します。


 久しぶりに顔を合わせたフルオリフィアちゃんはなんら変わったところなんてありませんでした。

 芯の強い凛々しく聡明な……ただ、少しだけ乱暴で気が強くなってて……ふふ。

 彼女の正体を知ってもなお、彼女は私の知るフルオリフィアちゃんでした。

 ……未だに抗魔病にかかったままだと知り、今まで見せてくれなかった泣き顔を見せながら僕の身を案じてくれた優しいフルオリフィアちゃんでした。


 その姿を見て私は知りました。

 異世界から来たミッシングだからと言って、私達と彼らはそう変わることなんて何1つとしてありません。少なくとも僕が知るシズクくんとフルオリフィアちゃんの2人は僕らと何1つとして変わりません。

 人を愛し、想い、怒り、悲しむ。

 2人とは一晩程度の短い時間でしたが、私に様々な感情を見せてくれました。

 特に弟のレドとシズクくんなんて喧嘩までしちゃって……えっと、なんで彼らミッシングのことを話したかというと知ってほしかったからです。

 彼らの一部が僕らに刃を向けたからといって、全体が同じではないことを知って欲しかったからです。


 確かに、彼ら2人と同じ異世界から来たというミッシングたちは私達の仲間を殺したという痛々しい過去があります。

 ですが、それは私達も同じじゃないでしょうか。私達もまた他種族の人たちと殺し殺された過去を持ちます。

 今もわだかまりは残っていて、多分この先も消えることはないでしょう。ですが、だからと言って拒絶しているばかりでは変わらないと……先ほども言いましたね。


 ある人がこうも言っていました――我々と異なる彼らの言動や行動は、いずれ全体の害となる可能性がある、と。

 これはミッシングだけを指したものではありませんが、あえて彼らだけを示したとしてもこの世界とは異質な存在は、利にも害にもなるのも確かです。

 しかし、彼らのそういった一面だけに固執し、憎悪だけの視線を向けることは間違っています。


 我々、天人族は長寿であるがゆえに、不変であることを好むきらいがあることも知っています。

 ですが、不変を求めてしまってたがために、今回の騒動に後れを生じさせた1つの原因だと思います。

 内側に籠る我々を置いて外は日々進歩し続けます。

 魔力を封じる魔道具の存在を知っているはずなのに、応用され進歩した魔道具に対しての策を1つとして持ち得なかった。これを無知だったからで済む話ではないことは今回の件で身に染みたはずです。

 例え今日という日が来なかったとしても、近い将来、今日と同じような日は必ず訪れていました。

 ですから……。


 悲しみを知った今だからこそ僕たちは変わるべきだと思っています。


 他者と交わることで変化することに恐れる必要はありません。異なる環境に移り交わることで、変わってしまうなんて当然にあることです。

 身近なことであれば、新しい友人が出来たり、愛する人と1つになれば今までの環境が一変したと体験した人も多いと思います。


 重要なのは何が良くて何が悪いかを選択できることではないでしょうか。

 全てが悪だと決めてかからず、しっかりと両目を開いて隣人を見てください。

 内だけではなく外にいる人たちのことを、姿は違えど天人族と変わらない同胞たちに目を向けてほしいのです。


 ……話は以上です。

 こんな病み上がりの夢物語にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 今回の件をきっかけに他種族たちとの本当の繋がりが築かれることを私は願っています。





「――と、レドヘイルという四天の子は、同族たちの憎悪を受けながらもお前たちのことを庇っていたよ」

「そうなんだ……」


 レドヘイルくんのお兄さん、まだ1人で起き上がるのも辛そうだったのに。


「……各自思うところはあっただろう。それ以降、天人族側で誰1人として不満は上がらなかったよ」


 そう言ってイルノートは終わりだと口を閉じた。

 もう日は上がっていて、世界は青以外に色を付け始めた。

 話の途中でうっつらうっつらと船を漕いでいたレクが、ついに力尽きたのか僕の膝の上へと崩れ寝息を立てる。

 倒れた拍子につんとレクの頭の上から生えている角が僕のお腹を突いてきた。くすぐったさについ手を伸ばして彼の角に触ってしまう。

 不思議な感触だった。牛や鹿みたいなざらついた感触や骨のような感触はなく、思った以上にツルツルと滑らかだ。角の先端は僅かに丸みを帯びていて、指の腹でころころと転がせられる。角質とは違って、歯やツメに近いのかもしれない。

 触り続けるのもアレだったので(見た目、子どもでも中身自分より年上だってことも忘れて)気持ちよさそうに眠るレクの頭を撫でながらイルノートへと顔を向け、言葉を投げる。


「…………ねえ」

「なんだ」

「……僕が最後に言ったこと、覚えてる?」

「ああ……」


 ――本当の家族になろうよ。


 日の明かりを伴ったこの部屋で、イルノートの顔は先ほどよりも良く見える。

 彼は気難しそうな顔をして僕を見ていた。


「……僕はイルノートのことは、父とか兄とはそんなふうに思ってた」

「……それは光栄だな」

「けど、それは僕が勝手に思ってたことで、イルノートが否定するならもう僕は何も言わない。家族になろうってことも……拒絶してもいい。でも、でもね。イルノートには……本当の家族がいるんだ。その、ブランザ……さんの――」


 ふと、言葉が止まる。

 ルイかレティか……はイルノートの娘だということを僕が伝えてもいいものかという疑問が振りかかる。

 でも、そんなのは杞憂だったようだ。


「わかってる」


 ぽつり、とイルノートが呟くように頷いた。


「……え……じゃあ、聞いた?」

「ああ……」


 イルノートは先ほどの気難しい顔をそのままに、視線をあちらこちらと動かしたり、眉を上げ下げしたり落ち着かない様子――何とも言い難いような顔をしていた。

 動揺している? イルノートが? またも見たことのないイルノートだ。

 瞼を閉じ、僅かに顔を上に向け、ゆっくりとゆっくりと、まるで咀嚼してるかのように口を動かしてから、話し始める。


「未だに信じられない……本当なのか?」

「う、うん。……ただ、手紙には魔石は1つしか生んでいないようなことが書いてあった、から……」


 レティかルイか、どちらかは……イルノートの子じゃない……って、ん?

 イルノートは重々しく首を横に振った。


「いや…………そのことに関しては、ベルフェオルゴン様から聞いている」

「ラゴン? ラゴンがなんて?」

「……魔石を譲ってもらった相手は、彼の前で魔石を2つに別けたという話を聞いている。そして、ブランザは魔石の生成を2回行ったと、同じことをブランザの師というブロスというやつも言っていた。だから、つまり……」

「……じゃ、じゃあ! 2人とも……うん! レティもルイも、イルノートの子供だよ!」


 どうしてか僕は声を弾まながら伝えた。

 それは僕の膝を枕にしているレクを落として、イルノートに前のめりに迫ってしまうほど嬉しかったからだ。


「そうか……」


 でも、興奮気味の僕とは違ってイルノートは囁く様な声を上げた。

 嬉しくない? 困惑してる? それとも、迷惑だって思ったの? なんて、僕の不安は彼の次の行動で消し飛ぶ。

 イルノートは突然ぱたんと布団へと横に倒れ、僕らへと背を向けた。

 背中を丸め、先ほどまで使っていただろう毛布を掴み、頭から被りだした。


「イルノート?」

「……っ……気に、するな……っ!」

「……うん」


 「気にするな」なんて久しぶりに聞いたのに、いつもの「気にするな」じゃないのは彼の声が掠れていたからだ。

 その後、彼からすすり泣く様な声が聞こえてきた。

 僕はレクを起こさないように抱き抱え、自分の隣に寝かせて同じ毛布を掛けて再度横になった。

 もう僕が口を開くことは無かった。

 でも、イルノートは僕とは違って音を漏らす。


 何を思ってのものかはわからない。けど、初めて聞く彼の声を噛み殺した嗚咽は、背を向けて横になる僕の胸をじんわりと熱くした。

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