第185話 アニスはただその時を待つ

 ルイには申し訳ないが、僕――アニス・リススは長としての立場を優先させた。

 臆病者と罵ってもらっても構わない。僕が抵抗をしたことで、同胞である魔人たちに――いや、大切な妻たちに危害が加わることはどうしても避けたかったのだ。

 しかし、その代償で大切な友人であるルイが良い様に玩ばれる結果となった。


 ルイが嬲りもの同然にされているのをただ黙って見ていることしかできない。

 今はまだ身体を弄られる程度ではあるのはせめてもの救いだろうか――いや、程度なんて関係はない。

 人前で辱めを受けいることには代わらないのだ。これがどれだけ屈辱的なことだろう――女性なら尚更だ。

 この場でおっ始めても不思議ではなかったが、一応それなりの理性はあの偉そうに椅子に座る地人の男にもあったと思うことにする。


(シズクやメレティミがこの場にいたら一体どんな行動に移すかは予想できそうにないな……)


 僕だってリターやフィディがルイの立場に置かれたとしたら、自分でも何を仕出かすかわかったものじゃない。


(だが、もしも彼が事に及ぶようであれば、僕は長としての立場を捨てる覚悟を持って君を守るつもりだ……)


 ルイ――これだけは信じてほしい。

 1度は3人目の妻として迎えようとした女性だ。フィディとリターの次に彼女を守る決心くらいは僕にだってある。


(……魔法が使えないからと、ここまで地人たちに良い様にされるとは考えてもみなかったな)


 魔法が完全に使えないのは幸いと考えるべきだろうか。かと言って、大量の魔力と体力を消費してようやく平時の魔法を出せるくらいなのだが……。

 今が夜ではないことや、体調を考えると通常時の10分の1程度。魔法も出せて5発……それどころか呪文を唱える時間も考えれば2度打てれば僥倖というところだ。

 無論、2度も詠ませてくれるほど相手側も悠長ではない。


(たとえ1度の機会だけだとしても、あの男だけは仕留める……)


 そう機会を伺ってはいるものの、僕が行動を起こすのも割と早い段階で来る予感がする。

 シズクたちが捕まったと聞く。

 自分たちと同じく2人も魔法が使えないとしても、彼らがあっさりと捕まるとは到底思えない。自発的に捕まったと考える方がしっくりくるほどだ。

 とりあえず、今は2人の姿を確認するまでは俯きつつ、周りの状況をくまなく読み続けることに専念する――まずは僕の周囲、長や四天たちだ。


 新郎のライズ・ドナだったかな。彼は浅い呼吸を繰り返し、時折咳き込んでいる。顔は膨れ上がり、鼻血だと思うが……血まみれだ。決していい状況ではないが、生死に関わる状態ではないのが救いだろう。

 その隣ですすり泣いているのがチャカ・フラミネスだ。先代とは何度と顔を合わせていた為、未だ四天のフラミネスと言えば母親の方だ。まあ、2人とも似たような容姿をしているので……と、ごほん。今はそんなことを考えている場合ではないか。


「――――――」


 天人の長は先ほどから縛られた身で何やらひとりで延々と呟いていた。耳をすませれば呪文を唱えているようだ。一体、どんな魔法を放つつもりだろうか。ともあれ、期待できるものになるとは思えないが……。


「…………」


 鬼人の長は眉をひそめながらも目を閉じて横たわっている。彼らしくない。拘束を受けても悪態を延々と叫んでいる――そんな印象を彼には持っていた。随分と大人し過ぎる。

 亜人の長は時折ルイへと視線を向けながらも、鬼人の長を注意深く見つめているだけだ。

 血の気の多い2人が大人しくしていることが不思議に思える。

 騒ぎ出すほどの力もないのか……いや、それはないだろう。

 なら僕と同じく機を見計らっているということか。意外と冷静な面があったんだな。

 長3人とも何か考えがあるのかもしれない。僕もまた口を閉ざして好機を待つ。


(さて、次――)


 というよりも、実のところ捕縛されてからずっと気を払っている相手がいる。

 なるべく身体は動かさず、俯いたまま視界に入るぎりぎりで僕は今の今まで彼の姿を捉えていた。


「おいーっす。愛しのシズクちゃんはどうっすか?」


 それは団長と呼ばれる男ではなく、副団長の方だ。

 現在神域の間を占拠する彼らの中で1番腕が立つのは先ほどから副団長と呼ばれている男だろう。


(ユクリア――と、ルイから呼ばれていたか?)


 彼女と面識があるらしいが今は置いておこう。

 今回の事件の立役者は彼で間違いないだろう。

 元から自力のある鬼人は抜くとして、我々魔族は元より魔法が使えなければ地人と大差ない。しかし、魔法が使えなくとも魔道具があろうとも、僕らならば数の利を生かして、襲撃者たちをねじ伏せることが出来たはずだった。

 だが、それも彼という存在が全てを黙らせてしまったのだ。


(魔法が使えるわけじゃない。優れた魔道具も持っていない――彼の技量が常人を上回っていたのだ)


 彼が見せたのは後にも先にも腰に差している一振りの剣だけだった。

 魔法が使えなくとも向かってきた天人たちを次々と戦闘不能にし、尚且つ手加減を加えられるほどの実力者――彼の剣技は里にいるものではまず勝てるものはいない、というほどの腕前だった。

 腕前だけではなく、ユクリアと呼ばれる男の動きは地人離れしているものだった。

 鬼人の長をここまで追い詰めたのも彼で、剣を使わずに徒手空拳で抑え込んでしまったのも大きい。あの動きはまるで鬼人が見せる強化魔法のそれに近い。


 唯一彼から致命傷を受けたのは天人族の、金髪の大男だけだ。

 片腕の無い男ではあったが、他から信頼されているほどの実力者なのだろう。彼が切り伏せられた時のドナ――元四天長による采配は迅速で、おかげというべきか、即座に抵抗をやめさせた天人族側の負傷者は思いのほか少なく済んだ。

 地人であることから、まだ20歳そこらの若さでそれだけの域に達したことは褒めるべきことだろう。


(平時の僕と同等か、それ以上の相手と言ったところか――だが、僕とは相容れない存在だ)


 彼はこの場に現れた瞬間から隠すことのない殺気を纏っていた。

 主人であるゼフィリノス・グラフェインの制止が無ければ倒れた相手でも容赦なく突き殺して楽しむ人種だろう。いやはや、地人は野蛮でいけ好かないね。

 今にも僕らを斬りたくてうずうずしている……という危うさを肌に感じる。うかつに刺激でもしようものなら、神域の間は血の海に沈むだろう。

 こうして僕は俯きながらも彼の行動1つ1つに逐一気を張り続けていた。


「現在、シズク他青髪の娘の2名は東側の橋を渡ってきているそうです。もうこちら側から目視出来ています……が、どうやらひとり天人族が同行してますね……」

「ん? 1人? どして?」

「……自分を連れて行かなければ2人を殺すと脅されたとかなんかで……連絡役が怯えてうまく説明が出来ない様子です」

「はあ……そういう要求は1つだって通しちゃいけないっていうのに。2人を捕まえたって言ってる癖して共謀してる可能性だってあるじゃないっすか……まあいいっすよ。どうせ、1人増えたところでって感じっすし。じゃ、他の警備の方は?」

「……えっと、今1番危険なのは西側の魔人族領ですね。武装した集団に睨まれ……特に、2人の女が長に合わせろと周りに止められながらも抗議をしています」

「え、魔人族がっすか? おかしいっすね。聞いた話じゃ眠くてへろへろだって話だったのに……ほんと、計画ってやつは当日になって狂う狂う」


(……リターとフィディか!)


 そんな真似をする魔人の女性なんてこの里にはあの2人しかいない――愛しの彼女らだとわかって顔を上げそうになった。変な行動を取って注目をされることだけは避けておきたい。


(2人とも、無茶なことはしないでくれよ――きっと無理だろうな)


 なるべく無事でいて欲しいと願いながらも僕はまたユクリアたちの話に耳を立てる。


「南の亜人族側は用意しておいた煙玉でほぼ鎮静中。焚きすぎてこちらの陣営にも異臭による被害が出てるくらい強力です。……羽の生えた女がこの場所へと飛ぼうとしたので投網で防止……俺たちに取り押さえられる前に、獣たちに先に回収されました」

「お、臭い玉効いたっすか。やっぱり野獣には匂いと煙が最適っすね。それ以外には?」

「いえ、とくにはありません。他の領に比べてしまえは怖いくらい大人しいみたいですね。物音ひとつ聞こえないとか……。それで最後に、その……北の鬼人族の方がですが……」

「ああやっぱり? 1番懸念してたところっすよ。神域の間に最初になだれ込むならそこかなーって、で鬼人族側に何かあったんすか?」

「それが……同士討ちって言うんですか? 鬼人族同士で乱闘が始まったんですよ」

「乱闘……?」

「いや、乱闘というのも違くて……連絡によると自分たちの団員の中にどうやら鬼人族がいたらしく……その鬼人族が1人で橋へと突撃をかけてきた里の鬼人族を留めているとか」

「へえ! そんなやつがいたっすか! 多すぎて俺も全員把握してなかったけど、へえへえ! 思わぬ拾い物っすね! いいじゃないっすか!」

「しかし、弊害もありまして……それに巻き込まれる形でガキどもに使わせていた魔物は壊滅しました」

「え、はあ……?」


 ふむ……鬼人たちは後先考えずに神域の間に突っ込んでくるかと思いきや随分と静かだった理由はそれか。

 彼らに人質なんてものは逆効果だ。激怒し人質のことなんか関係なく突撃をしてくると思って待っていたこともある。

 ここからでは世界樹を背にしている為、あちらの方は見えないが、警備は他よりも厚いということは知っていたし……ともあれ、ユクリアと呼ばれる殺人狂に、里の鬼人たちを相手に押しとどめてしまう鬼人……不安材料がさらに増えてしまったらしい。

 どうするかと悩んでいると……がた、と床を擦るような音が耳に届く。


「聞いているのか! ルイ!」


 今度は不自然でもなんでもなく、普通に音の鳴り所へと顔を上げた。彼らの団長であるグラフェインという男が叫んでいる。

 ルイは揺さぶられてもなお歌い続けている。どんなにグラフェインが大声を上げても、ルイの口は止まることはなかった。


「おい……無猿……」

「おい、聞いて――あん?」


 代わりとばかりに声を上げたのはエネシーラ長老だった。

 細い体のどこにそんな力があっただろう。彼が立ち上がると身体を縛っていた紐がぱらぱらと落ちる。


「貴様らの負けだ」

「負けって……もうろくジジイの戯言だとしても気をつけろよ。残り少ない寿命を縮めることになるぞ?」

「それは……どうかな――あれを見よ!」


 老体が指を差したのは東の天人たちの領――ドスン――ドスン――大地を震わせる音が聞こえてくる。

 何の音だ……いや、足音、か?


「な、なんだあれは――」


 1人の団員が声を上げる。ざわめきは足音と共に回りへと拡散していった。


「……」


 僕も黙していた言葉を更に失いそうになる――それも重い身体をものともせず、茶色の肌に覆われた巨人が、こちらへと駆け寄ってきていたのだから。





 ……話はユッグジールの里から離れ、東南の森の中へと移る。

 そこでは青々とした木々の隙間から1本顔を突き出す柱を前に、見張りを続けている男たちが自分たちの立場も忘れて酒盛りと場を湧かせていた。


「おい、どこ行くんだよ」

「うっせえな。小便だよ」

「きったねえな。俺らの見える場所ですんじゃねえぞ」


 そう仲間に告げた男は千鳥足で場から離れ、がさごそと茂みを進み、適当に選んだ樹木へと引っ掻けるように小便を始めた。


「ふぃ……あー……出るなあ……」


 用を済ませ、また宴会へと戻ろうとして……男は背後より押し倒された。


「だ、誰だっ……ぐっ!」


 重い衝撃を頭に受けて男は卒倒し昏睡する。

 これが始まりのように柱一帯を取り囲んでいた無数の亜人族たちが動き出した。

 早朝のような天人族2人という少数ではない。10を越える獣のナリをした亜人族たちが自慢の身体能力を使い、浮かれている男たちの酒宴の場へと躍り出た。

 ひとりは自慢の脚力で飛び蹴りを食らわせ、ひとりは自慢の爪で背中から切り裂き、ひとりは腕力を持って男たちを振り回した。

 魔道具どころか刃物を握らせる暇は与えない。原始的に殴り蹴り……酔いの回った男たちは何が起こっているかも理解できずに亜人族たちの襲撃を受けるだけだった。


「な……なに?」


 1人横になっていた子供だけが顔を上げて、その場をあっけらかんと眺めて呟いた。魔道具をかざすのも忘れてしまう。

 しかし、魔道具を使おうにも、今まで使役していた魔物たちは行動を起こす前に倒されていく。

 首をねじ切られ、身体を潰され、かみ砕かれる――人とは違い、魔物たちだけは息の根を止められていった。

 これを見て、人に対しては温情が与えられていると見る暇はなく、自分とは違う異形の姿をした者どもに子供は恐怖を覚えた。一体、どちらが魔物なのだろうか。


 ものの数秒でその場にいた男たちは全員倒れていた。

 ぞろぞろと現れた亜人族たちは彼らの身体を紐で頑丈に縛りつけて担ぎ上げて、どこかへと運んでいく。

 その中の1人、黒い毛皮で覆われた細く猫のような男と怯えているだけの子供の目が合った。


「……やっ」

「子供か……抵抗をするなら力で黙らせる。このまま、投降してくれるか?」

「……(こくこく)」


 怯えながらも素直に頷く子供へと、黒い亜人族は笑いかけて頭を撫でる。

 紐で縛りながらも他の男たちとは違って優しく子供は抱きかかえられて、大きな翼を腕に持つ亜人族へと受け渡す。鳥の亜人族は子供を自分の身体へと紐でくくって低空で飛び立ってしまった。


「これが報告にあったやつか……」


 地上人たちを難なくと戦闘不能にした後、彼らは奇妙な文様のある柱へと近寄り、道具も使わずに自分の身体ひとつで壊していく。これもまた直ぐだった。

 柱の下部でうす気味悪く光っていた石は瞼を落とす――機能を止めた。


「後は……おい、大丈夫か?」


 黒い亜人族は壊した柱近くで取り押さえられていた天人族2人の縄を切り、声を掛けた。

 身体中傷だらけで反応はなかったが息はしている。1人は他の亜人族に任せ、黒い亜人族もう1人を肩に担いで直ぐに移動を開始する。


《――どうだ?》


 移動をしている最中、頭へと振動するような声が響いて黒い亜人族は顔をしかめた。

 まだ数度しか体験したことがない感覚だが、毎回のごとく辛いな、と思うと《……悪いな》と直ぐに同じ声で謝罪をされる。

 黒い亜人族はしかめっ面で念じ返した。


《こちらは終わった。ついでに天人族2人が捕まっていたので助けた》

《そうか。ご苦労さん。これで10本目か。ああ、捕まえた奴は面倒だと思うが1か所に集めてもらえるか?》

《わかった。一応、他に変な柱がないか確認してみる》

《ありがとうよ。部外者であるお前さんらには迷惑をかけるな。あの竜のやつにあったらよろしく伝えておいてくれや》


 頭の中に聞こえていた奇妙な振動が収まる。便利だが、声が大きすぎて痛いとすら思う。本人の地声のせいじゃないかと黒い亜人族は思う。

 ともあれ、これで自分たちの仕事は終わりだ……と僅かに緊張を解こうとした瞬間だった。

 黒い亜人族は足を止めた。


「……なんだあれは?」


 東の天人族の領地の方から土塊の巨大な人形が里へと歩きだしている。地面を震わせるほどの大きな足取りはそこらの木々を飲み込み、倒していく。

 魔物の類だろうか……足取りは早く、直ぐにでも里に到着するだろう。

 ……自分たちが動くかどうか迷ったが、即座にそこまでの仕事は任されていないと首を振る。


「はっ……ひっ、こ、殺さないで」


 巨人の足音か振動で気をとりなした1人の天人族の男が悲鳴混じりに声を上げた。

 しかし、目もむけずに先を進む。あまりにも暴れるので男の腹を殴った。吐しゃ物が背中にかかったが顔をしかめるだけに留めた。

 捕まっていた天人族も、不審者一団も、鬼人族の長には殺すなと黒い亜人族は言われている。


「どうなるにしろ、後は里に住む者たちに任せるしかない」


 どうか、無事に終わって欲しい。

 他種族と交わることを拒み里には混ざらなかったが、先代から語り継がれてきた天人族の女ブランザへの恩義は彼らは忘れはしない。

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