第180話 ネベラス・レドヘイル

 “本当”のフルオリフィアちゃんが消えてしまったあの日――。


 僕はフルオリフィアちゃんどころか、先に向かったはずのシズクさんすら見つけることは出来ず、途方に暮れながらも家に帰る他に無かった。

 そして、自室でうじうじとしてる間もなく、その日のうちに僕はエネシーラ長老にフルオリフィアちゃんの屋敷に呼ばれた。


 呼ばれたのはドナくん、フラミネスちゃん、僕。最後に最近里にやってきたルイさんの4人で、僕らは見知らぬ褐色肌の天人族の前に立たされたんだ。

 その褐色の天人族の人は、男性なのにとても綺麗なひとだった。彼は僕らを1列に並べ、ルイさんの悲痛な呼びかけにも無視して、呪文を唱え始めた。


 聞いたことのない呪文だった。魔法だったのかもわからなかった。何が発動したのかもわからなかった。

 理解できたのは、ルイさんみたいに赤い彼の瞳が妖しく光ったということだけだった。


『今日からこのルイがメレティミ・フルオリフィアだ。今まで過ごした記憶は全て彼女と共にあった……』


 とは、僕ら幼馴染3人に向けて。


『ルイ……お前はシズク、メレティミ・フルオリフィア、リコのことは忘れろ。特にシズクだ。あいつのことはもう一切思いださなくていい……そして、今日からルイ・フルオリフィアとして生きていくんだ……』


 とは、ルイさんに向かて彼は言い放っていた。

 ……意味がわからない。

 だけど、わかっていないのは僕だけで、ドナくんもフラミネスちゃんも彼の言葉に素直に「はい」なんて頷き、早速と人が変わったみたいにルイさんのことをフルオリフィアちゃんだと呼び始め出す。

 ルイさんも同様に、さっきまでの取り乱し様が嘘みたいに治まって、まるでそこにいるのが当然とばかりにフルオリフィアちゃんがいた場所に収まっていた。

 僕は3人の変貌が恐ろしくて、何も言えないまま皆に合わせるしかなかった。


 次の日から変わらない毎日に戻った。

 僕だけが変わってしまったような日々の始まりだった。

 いつも通りの4人の関係は、僕だけが知っている偽りの関係だった。けれど、僕はその偽りの関係に付き合った。


 ……だって、僕はそれでもフルオリフィアちゃんと会いたかったから――。





「……フルオリフィアちゃん……だよね」


 もう会えないと思っていた人がいた。

 彼女が神域の間に姿を見せた時、驚愕しながらも身体は歓喜に震えた。


「……レド、ヘイル……くん?」


 もう覚えてないくらい、君と再会することを何度と願った。

 願いは叶わないことは四天の子の中で僕だけが唯一知っているとしてもだ。


「なに……してるの?」


 もう何度だって、また君に褒めてもらいたかった。

 昔みたいに、優しくもがさつに頭を撫でてほしかった。


「何って、え、っと……その、ね?」


 数年ぶりに再会したフルオリフィアちゃんは、どうしてか記憶のままの姿をしていたけど、あの頃よりも大人びたっていうか……その、綺麗になっていた。

 殆ど変わらない彼女がそこにいるのに、まるで別人にすら思えてしまう。


「……」


 いや、違う。別人ではない。僕が見間違えるわけがない。

 フルオリフィアちゃんのことなら何年も後ろから追いかけ、見続けてきた。

 昔から一緒にいた少女も、今日と言う日に姿を見せた少女も、目の前で戸惑いを見せる少女も、全部フルオリフィアちゃんに違いない。

 だけど……別人ではないけど、本人ではないかもしれない。

 ……だって。


(――だって、フルオリフィアちゃんは死んだんだ!)


 彼女は死んだ。

 だからここにいる彼女は別人だ。別人なんだ……なんて、どんなに自分に言い聞かせても、この僕がそう簡単に思い込めるはずはない。

 彼女は本物だ。本物じゃなかったら、こんなに心が掻き乱されることなんてない。


(本人だからこそ僕は許せない……!)


『――悠久の導きを往くその御身。誰に反すること無くその道に流れるせせらぎを今一度我に力を貸し、徒する者どもに戒めを! 【流縛】!』


 ふらつく身体とは違い、口は軽やかに呪文を詠み上げることが出来た。

 魔法で作った水の紐をフルオリフィアちゃんたちの周囲に出現させ、逃げる暇を与えることもなく身体を拘束する。


「痛っ……」

「きゃっ!」


 ぐるぐると簀巻きのようになった2人はバランスを崩して床に倒れた。

 まだ現実かどうか曖昧で、ふらふらと揺れる視界の中でも、身じろぐ2人に近寄り髪の短くなったシズクさん――いや、シズクに近寄り、胸ぐらを掴んで引き上げた。


「なにしてる……ねえ、なにしてるって、僕はっ……僕は聞いてんだよぉぉぉっ!」

「…………な……何……って、えっ!?」

「……っ!!」


(とぼけた顔してふざけるなよ! お前の顔もっ、僕は忘れたことはないからな!)


 フルオリフィアちゃんと同じく最後に会ったあの日から、容姿がさほど変わってないことに疑問を覚えたけど、そんなことも全部含めて些細なことだ。

 前とは違って僕よりも背が低いシズクを掴み上げるのは簡単だった。


「レドヘイルくん、待って! どうしてそんな怒ってるのっ!?」

「どうして怒ってるって! フルオリフィアちゃんこそ何言ってんの! なんでっ、なんでこいつなんかとくちっ……くちっ、口付けなんかしてるんだよっ! ……ねえ、どうしてだよ!」

「……そ、それはっ」


 それは……と口ごもり、うっすらと頬を赤くして恥ずかしがるフルオリフィアちゃんだ。

 そんな反応を見せるフルオリフィアちゃんを僕は見たくなかった。


「……っ!」

 

 彼女のしおらしい反応を見て更に苛立ちを募らせていく。

 僕にこの感情を引き出させ、フルオリフィアちゃんにこんな表情をさせたのは、全部、全部、全部全部このシズクだ!


「……っ……お前、なんでこんなノコノコと姿見せてんだよ! フルオリフィアちゃんを守ってって僕との約束を破ったくせに! 嘘つきのお前がどうしてフルオリフィアちゃんの隣にいるんだよ!」


 嘘つき。嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき!

 なんか言い返してみろってシズクをぎっと睨みつけるけど、シズクは苦しそうに顔をしかめて僕と目を合わせようとしない。さっきから1度だって僕から目を逸らし続けている。


「……何か言えよ! 言い分くらいあるんだろ!」

「……」


 見苦しい言い訳や反論をして欲しいのに、なんで何も言い返してこないんだよ!


「……このっ!」

「ぐっ……」


 掴み上げたシズクを地面に叩き付けて、怒りを込めて彼の腹を蹴った。

 自分でもこんな暴力的な面があったのか――頭のどこかで思う。

 爪先に伝わる柔らかな感触は、あまり食べないお肉を噛むような感触で、吐き気がするような気持ち悪さだ。


「……っ!」

「ぐぅぅ……!」


 苦しそうに呻くシズクの代わりに、フルオリフィアちゃんが悲鳴混じりに「やめて!」と声を荒げた。


「なんで、やめてよ! シズクは悪くない! シズクはあの日、わたしを守ってくれたわ!」

「フル、オリフィアちゃん……!」


 フルオリフィアちゃんの口からこいつを庇う言葉が出るのが許せない。

 フルオリフィアちゃんはいつも優しくて僕らの中で1番大人びていて……フラミネスちゃんやドナくんみたいにキィキィ金切り声なんて一切上げない子で、フルオリフィアちゃんが取り乱すような声を上げるなんて……これも全部こいつの、シズクのせいだ。


「……お前、お前がっ!」

「……ぐがっ!」

「やめてっ!」


 またも、足を振り回すようにシズクを蹴る。蹴る。蹴る! 振り上げた勢い全てを爪先に集めるようにして、シズクの身体を蹴り続けた。

 2度、3度――すると小さな赤髪の子が守るようにシズクに覆い被さる。


「……やめなさい! これ以上、彼を傷つけるのであればただでは――」


 亜人族の子だろうか? 赤い髪の上からぴょんと犬や猫みたいな耳が突き出ている。

 見知らぬ少女は僕を見上げるようにして、きつく睨みつけてきた。

 

「君こそ誰だよ。どけ!」

「けほっ……リコっ……逃げ、てっ」


 リコ……どこかで聞いた名前だ。確か……確か以前、彼らと共にしてた大きな魔物の名前がリコというような名だったような……だが、それがどうした?

 彼を庇うその子は憎らしいシズクと瓜2つ。似ているというだけで更に腹を立たせる。

 構うものか。このままシズク似の少女ごと蹴り上げようと足を思いっきり後ろに引いて――!


「……レベラス!」

「……落ち、落ち着いて!」

「……っ……なぁっ!?」


 蹴りつけようとした途端、背後から羽交い絞められながら後ろに引っ張られた。

 振り上げた蹴りは赤い少女の頭をわずかにかすめる程度だった。赤いちりちりと光る髪がつま先にすくわれてぱっと散るのが見えた。


「……痛っ」

「リコ!」

「リコちゃん!」


 僕は大きく足を前に上げたまま転倒し、続いて止めに入ってきた2人が上に乗ってきた。

 お父さんとお母さんだ。

 ジタバタともがいても、圧し掛かってきた2人を退かすことはできない。


「許さない! お前なんかっ、お前なんかっ……お前がいて、どうしてっ!」


 床に押さえつけられて、同じ目線になったとしても、せめてもの抵抗だと僕はシズクを睨み付ける。


「……っ……君が怒って手を上げていいのは僕だけだ。だから、抵抗はしなかった。でも、リコに乱暴するっていうなら話は別……さっさとこの魔法を解け! リコを傷つけたこと後悔させてやる!」

「ちょっとあんたも何頭に血昇らせてんのよ! 2人とも落ち着きなさい!」

「……痛ぅっ……そうだ。シズク、落ち着け。

「大丈夫なもんか! ほら、頭から血が出てる!」

「ただのかすり傷だ……だよ。取り乱さない、の!」


 この――と自由に動かせる腕を振り上げてシズクを殴ろうとしても、その腕すらお父さんに捕まれてしまう。

 もう片方の腕もお母さんがぐっと両手で押さえつけてくる。


「ネベラス……落ち着いて……!」

「駄目だよ……暴力は……!」

「放してよ! 放せ! 僕は、僕はぁぁぁっ!」


 両親に身動きを抑えられてもシズクへと僕の思いは止まらない。

 床に這いつくばりながらも僕はシズクを睨み付ける。頭がおかしくなりそうだ。目の前が真っ赤になったみたいに、頭の中がぐつぐつ煮たって考えがまとまらない。


「……なんで……どうして、どうしてドナくんじゃなくてそいつなの!? 僕は、ドナくんとお似合いだからってあきらめてたのに!」

「どういう……レドヘイル……くん?」


 我を失ったみたいに混乱して、ぐちゃぐちゃした僕の怒りの矛先はフルオリフィアちゃんへも向かってしまう。

 フルオリフィアちゃんに怒りをぶつけるとは、なんとも情けない話だった。

 でも、情けなくたって僕はフルオリフィアちゃんのことも許せなかった。


 後から皆の輪に混じった僕じゃ当然フルオリフィアちゃんの隣に並べない。

 もう隣にはドナくんがいたからだ。


 僕よりも付き合いの長い2人の間に、僕なんかが割り込む隙間なんてないって、ずっと思ってた。

 僕がフルオリフィアちゃんの隣に並ぶ日は来ないって、ずっと思ってた。

 僕は2人が結ばれた後も、を隠し続けるんだろうなって、ずっと思ってた。

 僕は未来永劫、フルオリフィアちゃんの隣に立つ日はない――ずっと思ってた。

 ……なのに、ぱっと出てきたこいつがフルオリフィアちゃんの隣にいるのが許せない。だからこそ、僕はフルオリフィアちゃんにも怒りをぶつけてしまう。


 だって、だって――!


「僕だってフルオリフィアちゃんのことが好きだったんだ!」


 この言葉は、この先数百年、死んでも言うことはなかったはずのものだった。





 ――昼間の騒動から一夜明けた。


 朝を迎えると痛みも消えて、頭はすっきりとしている――何もないほどに。

 の心の中にはぽっかりと隙間が空いてることに気が付いたけど、逆に何もないことが心地いいくらいだ。


「式が始まるまでまだ時間はあります。それまでごゆるりと」

「うん。ありがとう」


 シンシアちゃんが小さく頭を下げて、テントの外へと出ていく。

 彼女は昨日みたいにぼくの着付けを手伝ってくれた。お化粧なんて今までしたこと無かったから、昨日も今日もシンシアちゃんに全部任せちゃったんだ。 


「ふふ、昨日は何ともなかったのに、今日はくすぐったかったな」


 今もくすぐったい顔に触れないよう我慢しながら、真っ白な花嫁衣装を着てぼくは丸椅子に座り続けた。

 テントの外では大人たちの話し声と足音が聞こえる。忙しそうだ。

 逆に今のぼくは何もすることはない。

 何もない今のぼくなら待つ時間は苦じゃない。何も起こらない朝の静寂は今のぼくには心地いい。

 目を閉じることはしなかった。

 開いた両目でこの小さな世界にいるもう1人の住人を見るためだ。

 着替えの最中、ずっと後ろを向いていたイルノートへと顔を向けた。


「イルノート……ぼくはもう着替え終わったから大丈夫だよ」


 今まで目を瞑っていたのか、振り返ってからイルノートがゆっくりと目を開いた。


「ぼく……思いだしたのか?」

「何を?」


 思いだすって言われてもわからない。

 首を傾げてにっこりと笑った。


「……シズクのことは?」

「シズク? シズクって何?」

「とぼけてるのか?」


 ぷるぷると首を振る。

 シズクって言葉には何かを感じるけど、僅かに身を震わせる程度だ。

 シズクって言葉は空っぽのぼくの胸の中に1粒の雫が落ちて波紋を広げる程度だ。

 シズクなんて、知らない。

 ただ、右目だけが痙攣するみたいにぴくぴくと反応する。

 変な感じ。攣ったみたいに右目が吊り上がってる。なるべく化粧を崩さないように気をつけながら指で触ってほぐすけど……ぜんぜん直らない。


「目が変……どうしたのかな?」

「ルイ……」


 イルノートがぼくを見つめる。ぼくの顔を見つめる。

 ぼくのその右目を……。


「私のしたことに怒っているんだな」


 イルノートがぼつりと寂しげにつぶやいた。


「怒ってないよ。あはは、変なこと言わないでよ」


 右目だけがおかしいや。笑うぼくの顔で右目だけがぴくぴくってする。

 ねえ、ぼくの今の顔おかしいよね? 変だよね? ほら、笑い飛ばしてよ――でも、イルノートは笑ってくれない。

 イルノートはぼくの右目を見て、怯えてるようにも見えた。


「すまない……」

「あはは……気にするな、だよ」


 またもイルノートのすまないって悲しそうな声を聞いて落ち込みそうになる。居辛くなったのかイルノートは仮面をつけてテントの外に出ていった。

 1人にしないでって言おうとしたけど、その前に外にいるだけだって言われてしまう。


「はあ……おかしなイルノート」


 別に謝ることなんてないのにね。

 ぼくもイルノートものだから。


 今日はぼくとドナくんの結婚式のやり直し。難しいことは何1つとして無い。

 昨日と同じことをして、最後にドナくんとキスをすればいい。それだけだ。キスをする時に、苦い液体を口に入れられるから、そこは我慢しないといけないってところが問題かな。


「そういえば、みんなは大丈夫かなあ……」


 このテントに入る前、顔を合わせたフラミネスちゃんは昨日から頭痛が続いてるみたいで、まだ頭がふらふらするって言ってた。

 ばいばいってテントの中に入ろうとした時、フラミネスちゃんは怪しげにぼくを見てきたので「何?」って聞いても、なんでもないってはぐらかされたのが気になっちゃった。

 レドヘイルくんはまだ来ていない。四天のレドヘイルさんに奥さんもまだ来てない。


(寝坊かな。レドヘイルくんが寝坊っていうのは珍しい。もしかして、まだ昨日の体調不良を引きずっているとかかな。無事だといいんだけどね……)


 2人のことも心配だけど、特に心配するのはウリウリだ。

 同じく体調が悪そうだった。無理しないといいけど……今、ウリウリは神域の間に続く橋の入口の守備についてる。

 昨日までずっと隣にいてくれたのに、今日に限ってウリウリはいないんだ。

 ちょっとだけ心細いからいっしょにいて欲しかったけど、ウリウリは頼む前に去って行っちゃったんだよね。あーあ。


(……ドナくんもなんか変だったな)


 今朝のドナくんは、顔を合わせた時から難しい顔っていうか怖い顔してさ。一言二言会話した時もああとかうんとか、曖昧な返事しかしてくれなかったんだよね。

 ドナくんも緊張してるのかなって思ったけど、そう言う感じとはちがうみたい。

 今日の主役だっていうのに元気が無いのは問題だよ。まったく。


「はぁ……」


 今日の空は青々とした快晴だった。

 テントに入るまで、ずっと空を仰ぎ見ていた。

 撫でる風はひんやりとした心地よさ。神域の間に向かうまで、ずっと肌で感じ取った。

 お日様が真上を向けばきっと暑くなるかも……ちょっと苦手な初夏の日差し。

 今のぼくには眩し過ぎて目を細めちゃうほどだった。


(――今日は良い日になる)


 ぼくとドナくんの結婚式。良い日になる。めでたいことなんだって誰もが言う。

 めでたいのだから、良い日になる。


『――天人族の皆さんごきげんよう! せっかくの晴れ舞台にこの俺グラフェイン・グラフェインの無礼を許してほしい!』


 そうだ、今日は良い日になる。

 きっと――。





 里に住まう彼らにしてみたら、2日続けての祭事は異例だった。

 普段通りに生活を行うものもいれば、せっかくの祭りだからと前日の仕事を次の日に回してしまうものもいる。

 木こりを生業としているとある天人族の2人は後者だった。


 ただ、2日続けて仕事を溜めるのは流石によろしくない。2人は昼間の祭事に合わせ、日も昇ったばかりの早朝から里を抜けてすぐの仕事場である森へと足を運んでいた。


「なあ、あれは……」

「……なんだろう」


 森へと向かう最中、2人は2日前になかった見覚えのない高い柱がそびえ立っていることに気が付いた。

 柱は人の頭ほどの細いものだったが、成人の3人分の背たけを足しても届かない高いものだ。生い茂る木々の中からもひょっこりととび抜けていて、青葉も含んだ薄桃色のケラスの木々から突き出た煙突のようにも見えた。


 彼らは足音を殺して森の中を進み、不思議な柱のもとへと近寄り……不審者だ、と足を止めて木陰から柱の周辺を恐る恐ると様子を伺った。


 柱の近くには地上人らしき男たちが数名ほどが屯していた。ボロボロの服をまとった子供もいる。

 眠そうに欠伸を上げるものもいれば、茶をすするもの、食事をとっているもの、ごろりと横になって寝ているものもいる。

 燃えきった焚火の跡も残っている。食事の食べ残しもあたりに散らばっている。近くには馬車も止まっている。


 野営か――と思うも、野営をしていた冒険者というには奇妙な光景だった。

 目と鼻の先にユッグジールの里があるというのに、わざわざこんな森の中で野営をしている理由が見つからない。

 特に目を惹いたのは銀色の棒を持った子供だ。

 子供は10を越える魔物を従えていた。魔物たちは息荒く興奮しているように見えたが、一向に子供に襲い掛かるといった様子も見られない。うっつらうっつらと眠たそうな子供もまったくと怯えることなく、魔物たちに囲まれていた。

 また、魔物が近くにいるというのに大人たちも全くと意に返さない。煙たがっているようにも見える。

 ……もういいだろう。


 どちらにせよ話は聞かなくてはならない。

 2人は顔を合わせて頷き、1人は小さく呪文を唱え、もう1人は自分の仕事道具である手斧を握り……準備整い次第、不審者たちの前へと出た。


「お前たち、なにをしている!」

「……っ……で、出たっ! お、お前ら、戦闘準備!」


 予想通りというか、出来れば穏便に済ませたかったと2人の片割れがため息を吐いた。

 不審者たちは各自、飛び跳ね動揺しながらも鈍く光る刃物を握り、2人へと躍りかかる。向かってくる男たちが2人に怯えているのは目に見えてわかった。

 そして、蛮勇にも突撃を始める地上人たちに対して、天人族の2人は冷静だった。

 彼らはこの森で何十年と仕事をしている。魔物に襲われることだって度々あった。

 この程度は予想通りだったと1人は保持していた水魔法を解き放ち、向かってきた地上人たちへと放水して吹き飛ばした。

 火や雷といった殺傷性の強い魔法を使わなかったのは彼らなりの温情でもあったが、自分たちの仕事場をこんな奴らのせいで火事を起こしたり、血で汚したくなかったからでもある。


「……殺されたくなければ無駄な抵抗はせずに投降しろ」

「この柱はなんだ? 詳しく聞かせてもらうぞ」


 水鉄砲で吹き飛ばされ、地面に転がる不審者たちにそう言い聞かせる。

 が、彼らに降参する気はないらしい。怯みながらもまた剣を掲げて突っ込んでくる。

 再度、呪文を読み始める。


「くっ、お前ら何してんだ! アレを使え!」

「まだやるか……」


 また押し寄せてくる地上人たちに放水をかけて吹き飛ばすが――が、意味はないようだ。

 不審者たちは今まで持っていた刃物とは別に、銀色の筒状の長物を持って攻撃を仕掛けてくる。

 やむなし、と1人が火魔法の呪文を唱え――その最中にどすん、と彼らの持つ銀色の長い筒の先から網が飛びだしてきた。


「な、なんだこれは――くっ!」


 長筒の先から放出された網は空中で広がり2人を上から捕える。

 驚きつつも、呪文は唱え終わった。

 即座に網目から手を出して、目標へと火魔法を発動――……だが、出ない。

 発動した感触だけはあった。しかし、掲げた手の先からは火の粉の1燐すらも出たようには見えなかった。


「……すげえ、本当に魔法が使えないのか」


 身構えていた不審者たちも恐る恐ると網に取られた木こりに近づき、ニヤニヤと笑みを浮かべて見下ろす。

 形勢逆転……怯えていた地上人たちは笑みを浮かべ、何故魔法が出なかったのかと困惑する木こりたちへと、鈍器を振り下ろしていく。


「やめ……やめろ……ひっ! ぎゃっ!」

「痛っ……やめ、やめでぐ……あがっ!」


 身動きの取れないまま、木こりたちは幾度もの暴行を受け続けた。


「殺すなよ。加減してやれ」


 後にはぐったりと流血した天人族だけが網に絡まれて横たわる。

 殺すな、と声を掛けた男であったが恐る恐ると2人に近寄り、様子をうかがう。

 気を失ったようだ。

 上からは殺すなと命令が入っていたが、止む終えずを除くとも言われていたので、この程度ならばよしとするかと他の男たちに……奴隷たちに天人族を捕縛するように命じた。

 慎重に絡みついている網を解いた後、木こりの天人族は縛り上げられ、柱……の近くに投げ飛ばされた。

 もしもの為に猿ぐつわも忘れない。

 奴らは呪文を唱えさせなければただの人と変わらないとしても不安が残ってしまうが、この様子なら抵抗もしないだろう。


 後は上からの連絡を待ち、再び各自で時間を潰す。

 中には酒に手を伸ばすものもいたが、誰も咎めることはない。

 男たちの仕事はこれで終わりなのだ。


 暫くして、南西の方角から1隻の船が浮遊してくるのが見えた。

 続けて、小型の通話魔道具にも通信が入った。


「……副団長ですか? ……はい、そうですね。早朝に魔族のやつに見つかりました。……いえ、大丈夫です。……魔道具による捕縛も成功です。魔法の発動も無力化できていたようです。……はい。こちらの設置は完了です」


 では――と通話を終わらせ、男はに近寄り、柱にはめ込まれたコアに触った。

 魔封じの塔が薄く光り出すのを見て、ようやく最後の仕事が終わったことを実感する。


 後はもうこの塔を守るだけだ。

 男たちは――奴隷たちは浮遊する飛空艇を黙々と見届ける。


「はじまるぞ」


 船がユッグジールの里の中心にたどり着いた時、誰かがそう口にした。


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