第179話 シズクはどっちを選ぶの?
「なんでわたしが彼氏の恋路を応援しないといけないの?」
溜めに溜めた私の一声にシズクは……ぽかん、と口を開けたマヌケ面を晒す。
ようやく美少年へと変身できたというのに台無しな顔だった。
「……え? い、いや、恋路ってそんな――……むぐっ!?」
はい。しゃべった。
口を塞ぐために自分の唇をシズクの唇へと押し付ける。
今まで何度としてきたキスの中で一番雑で最悪なキスだ。風情も何もあったもんじゃない。
続けて不意打ちにしたキスに驚くシズクの額に強く頭突きを食らわしてやった。
「痛いっ! って何――」
笑顔を解いて、きりっと睨み付けて悲鳴も黙らせる。
「話し終わるまで黙ってろって言ったでしょ?」
「っ……!」
「いいから黙って聞きなさい」
痛む額に触れながらシズクがこくり、と小さく頷いたところを見てわたしは話の続きを口にした。
「……わたしは君の為と思ってずっと黙ってたわ」
これが君の為、シズクの為、彼氏の為。
言いたいことなんて何十、何百ってあったけど全部我慢した。
迷ってた君の背中を押すために、わたしからユッグジールの里に行こうと提案もしたわ。
わたしがルイのことで何も口出ししなかったのは、君がわたしの代わりに野球をするって言ってくれたあの日と同じ意志を感じたからよ。
……でもね。でもさ!
「そんなにルイが大事なの? わたしより大事なの? ……ふざけないでよ! 彼女であるわたしを放って、他のおんっ……ルイのことばかり考えてっ、ほんっとうに腹が立つ!」
――この世界に生まれ直した当初のわたしは後悔と懺悔の中で生きてきた。
新たな世界でブランザお母様を悲しませないために良い子であることを演じ続け、四天の娘として恥じないように振る舞い、唯一信頼しているウリウリにすら本当の自分を隠し続ける窮屈な、薄暗い日々だった。
まるでモノクロ写真みたいにも思えた。
みんなきらきら光り輝いているのにわたしだけが、わたしの周りだけが白黒の濁ったものに見えて仕方なかった。
「わたしずっと思ってた。どうしてわたしはここにいるの? なんでここに来ちゃったの? なんでわたしなの? 2人に会うまでずっと考えてた!」
家族も恋人も自分の身体も、何もかもを失って。
……続けてこの世界で1番最初に心を開けた2人目の母も失って。
残ったのはメレティミっていう新たな身体だけで。
偉大な母の名を継ぐという重圧を背負って……。
「ずっと苦しくて悲しくて、でも泣き言なんて言えなくて……でも、そこに君が現れた。最初はルイの付属品、もしくは害虫程度にしか思っていなかった」
生前のこともあってシズクのことは良くは思わなかった。
わたしと同じ異世界の記憶を持ったやつ……おのれの欲望に忠実になる最低なやつなんかをルイが慕ってることが許せなかった。
……でも、そんな嫌悪していたシズクの疑惑は、ルイや彼と交流を重ねることで晴れて、彼の行動を直接見て触れて理解して……次第に、わたしはシズクに惹かれていった。
「けど、シズクを交流を重ねることで考えは改まった! わたしは身の危険を顧みずにわたしを助けてくれたこと! トーキョーでの日々! 一緒に夕陽を見たビルの上! あの晩、走り去ってしまったシズクの手を掴めなかったことの後悔! 知れば知るほど、いつしかシズクがわたしの中で大きくなっていくのを感じた!」
同時に、彼と行動を共にするにつれて、わたしの世界が変わっていったことを知った。
薄い色水を垂らしたかのようにわたしの世界に色がついていく――わたしはシズクに恋に落ちようとしていたんだ。
「嬉しかった! 同じ境遇の人がいたことも、同じ痛みを分かち合えたことも! 身体のことや落ち込んだわたしを励ましてくれている姿勢なんかも何もかも好ましかった!」
でも、シズクを好きになること――それはわたし自身が許さなかった。
「それでも、シズクを好きになるのは嫌だった。わたしは彼が……君のことが忘れられなくて、あいつに申し訳ないって思ったわたしは、他の人を好きになるなんて駄目だって……なのに、なのにっ……シズクが君だってわかってどれだけ嬉しかったか!」
また恋人になれたあの日、わたしの世界は鮮明に色づきだした。
死に別れしたと思っていた彼がシズクだった……わたしはまた彼を好きになっていいって本気で喜んだんだ。
だけど……シズクが彼だと知った時、同時に気がついてしまった。
「……でも、1番会いたかった彼氏の中にはわたしとは別の女の子がいた! だけど、わたしはそれもよしとした! どうしてか、わかる!? 彼が思うその子がわたしにとってもとても大切な存在だったからよ!」
ルイは孤独だったわたしに光を与えてくれたんだ。
孤独で落ちこぼれだったわたしの世界にルイが光を与え、シズクが世界に色を付けていった。
シズクがいたからこそ……ルイがいたからこそ……2人がいたからこそ……今のわたしがいられるんだ。
「君が、シズクがルイを支えにしていたように、わたしも、メレティミ・フルオリフィアも同じく幼かったルイに支えられていた! 救われていたんだ! わたしもルイの幸せは心から願っている……だから、だから、わたしは君の選択するすべてを受け入れ、後押しもした! 迷えばわたしも一緒に悩んで考えた! これも全部、全部! ルイを助けたいっていう気持ちはわたしも一緒だったから!」
「……僕のこと嫌いに、なった?」
そこで、ぼそりと申し訳なっそうにシズクが口にする。
……まだ話すことを許してはいないけど、いいわ。
「そうね。今のあんたは大っ嫌い!」
「そっか……」
ええ、大っ嫌い――大っ嫌いよ。
大っ嫌いだけど、でもね、そんな悲しそうな顔をさせたかったわけじゃない。
もう文句はとっくに言い終わってる。
「大っ嫌いよ! だけどねっ、それでもわたしはあんたがっ――」
――と、叫んで、はっとする。
(……今、わたしは何を言おうとした?)
――『ぼくのシズク取っちゃやだからね?』
以前、些細なやり取りの最中で幼い頃のルイが発した声が胸の中に反響する――彼女のことを思えばこそ、今まで言えなかった言葉を今、わたしは口にしようとした。
「……レティ?」
大っ嫌いだと口にして悲しませてしまったシズクが、彼が心細そうにわたしを見つめてくる。
違う。違うの。違うんだ。
わたしは、わたしは……あんたに怒って欲しくて、それで笑って……いや、結果的にこの話をした時点でこうなることはわかって……あ――! もう、だめだ!
ルイ。ごめん。
(もう、無理だ。限界なのよ。わたしはさっきから、ううん。もうずっと前から――)
世界中に宣言したかったくらい。
わたしは――今まで無意識に閉じ込めていた言葉を発する決意をする。
「……最後にその耳かっ穿ってよく聞きなさい」
「……うん」
「便宜上こう呼ぶわ。シズク!」
――もう、止まれないから!
「わたしはあなたが好き。この気持ちは記憶を消される前のルイよりも強いって思ってる! わたしは、あなたが大好き!」
そして、止まらなかったわたしは……わたしは今までずっと言いたくてたまらなかった自分の気持ちを、声を大にして言ってやった。
はあ――と、深く息を吐いてその場でしゃがんで膝の中に顔を隠す。
ようやく、ようやくだ。
ようやく、わたしは自分の本心を口にすることが出来た。
(……言ってやった。言ってやった。言ってやったんだ!)
じわじわと胸の奥から熱いものが溢れてくる。
もうシズクの顔を見るのも無理。恥ずかしい。悪いことしたかのような居心地の悪さも感じる。
けど、まだだ。
顔を伏せた状態のまま、わたしの口はまだまだ言葉を紡ぐ。
「もう別れたくない! ずっと君といたい! 例えシズクの身体であってもわたしは君に触れたい! わたしはもう君以外何もいらない! 君が好き! 大好き! シズクのことが大好き!」
……ごとり、と何かが転がるような音が聞こえ、びくりと背を震わせ、恐る恐ると伏せたその顔を音の方へと向ける。
そこにはソファーの上で、横になったままのリコちゃんがぽかんと呆気にとられたような顔でわたしを見ていた。
……あ、起こしちゃったってそりゃそうか。
ごめんね、って胸の中で謝りながらも、リコちゃんを見て少しだけ今まで昂ぶっていた気持ちが落ち着きを取り戻す。
もう大丈夫だ。
胸の鼓動は高鳴ってるけど、ゆっくりと顔を上げて――なんでか知らないけど驚いてるシズクの顔を見た。
それから、シズクの口がゆっくりと開くところも見た。
「……もう1度言って」
え? もう1回? そんな!
「……さ、最初っから?」
「違う。最後のところだけ」
「最後って……その……好き……ってところ?」
「うん」
なっ……と顔を熱くさせながら、はあ……と深く溜め息交じりの深呼吸をする。
嫌だとは言えない空気らしい。らしいと言っても恥かしいけど、わたしももっと伝えたいという気持ちがあった。
ただ、ちょっとだけ躊躇ってしまうのは許してほしい。
言うから言うから、と……ゆっくりと時間をかけてから、間を開けて、ぼつりと呟くように気持ちを音に乗せる。
「……君が好き」
「違う。その後」
「……大好き」
「聞こえない」
「……大好きです」
「もっと大きな声で」
「大好きです」
「もっと、もっと大きな声で!」
……いらっ!
「だ――! だから、大好きだって言ってんでしょ!!」
「僕も君が大好きだっ!!」
「……!」
……馬っ鹿じゃないの。
わたしと負けないくらい頬を真っ赤にしてさ。唇震わせてさ。そんな1言で息を切らせてさ。
……嬉しそうな顔しちゃってさ。
にやにやしながら、シズクはしゃがんできて、わたしと同じ目線に合わせてくる。
何よ、その顔は……気持ち悪いわね。
「レティの負けだね」
「負けって……何よ?」
「あれ、てっきりどっちが好きかって相手にいうのか我慢比べしてるのかと?」
は、はあっ!? なにそれ!
「わ、わたしはそんな張り合ってない! 本当に言うのが恥ずかしくて……あと、ルイに申し訳ないから……だから、わたしは言えなかっただけだ!」
「え、そうだったの……ならごめん。もっと僕から先に言えばよかったね」
「は? 言う気あったの?」
「もちろん! 僕はレティから言ってくれるのずっと待ってただけだよ」
「は、はぁぁぁぁっ!?」
は、はあ! 何それ!?
人がどれだけ決心して――場の空気に飲まれたところもあるけど――告白したと思ってんのよ!
「も――! 人が真剣に悩んでいたっていうのに!」
大体昔のわたしもあれよ! なんで、好きだって言わなかったって話よ!
恋人になろうってあの時にじゃないにしても、2人っきりの時にでもさらっと言えばよかったのに!
あ――! わかってる! 無理よ、無理!
今でも言える自信なんてないわ! 絶対自分からじゃ言わなかったと思うわ! そういうのがわたしだってって自分でも思うし!
「あぁ――! いやぁぁ――! もぉぉぉ――!」
「……ごほん」
と、昔の自分を罵倒し、回りまわって過去の自分を貶していると、シズクがわざとらしい咳払いをする。
続けて顔を真っ赤にしているわたしに向かって彼は薄らと微笑んで言う。
「レティ……『アイシテル』」
「……!」
昔の言葉で、ニホン語で、シズクが告白をしてくれる。
(……あーあ、ずるいや)
そんなひと言でわたしの心は簡単に決壊する。
もう何度目もかもわからないほどに壊された心の隙間から感情が溢れだし、わたしの涙に変わってぽたぽたって落ちて、音の代わりに声が吐き出される。
彼の、シズクの声がわたしの中で何度も反響する。
アイシテル、アイシテル、アイシテル……!
彼から初めて告げられた愛の言葉に嬉し過ぎて泣く――なんて昔のわたしなら無かっただろうなぁ……。
もうっ、この身体のそういう感性に敏感なところが本当に嫌になる。
(ああ、なんで、自分が嫌になるくらい、たったそれだけの言葉にここまで心が揺さぶられるかなぁ……)
「ぐすっ……」
「ええっ、レティ泣かないで!」
「……うっさい……ぐすっ……」
仕方ないじゃない。
泣いちゃうもんは泣いちゃうんだ。
何よ、文句あるのよ、と慌てるシズクにぐずりながらもわたしは言い返すんだ。
「……もっと、聞かせてよ」
「え、え?」
「だから……今の、もっと聞かせて」
「わかった……アイシテル」
「もっと……」
「アイシテル」
「もっと!」
「アイシテル……恥ずかしいよ!」
「さっき、あんたがしたんじゃない! おあいこよ!」
リコも見てるし……なんてシズクは恥かしがって言おうとしないけど、リコちゃんは気を利かせてか顔を両手で隠している。だから見てないわ。
ただ、頭の上の耳はひょこひょこと動いているけどね。
「レティ……アイシテル。生まれる前より以上に」
「ルイより?」
「…………それは言えない」
つい口が滑ってしまったことを一瞬後悔するが、直ぐに笑ってしまった。
言えない、なんて言ってるようなものじゃないか。
ただ先ほどと違って、言えないって本心を晒した彼に対して嫌な気分にはならなかった。逆に清々しくて気持ちいいほどだ。
だからかはわからないけど、わたしは彼を困らせてやろうと続けた。
「言ってよ」
「うぅ……今はレティの方がはるかに上だよ」
ははっ、ほんっとこいつは嘘ってもんがつけないやつだ。
ま、今だけの上辺をとりつくろわれるよりは断然マシだけどさ。
(……あーあ、なんか結末見えてきちゃったかも)
わたしは涙で滲む目を擦る。
(きっと、わたし振られるんだろうな……)
起こりえそうな予感は胸に秘め、さっと立ち上がり胸を張ってシズクを見下ろした。
虚勢を張るのは慣れている。
「今はわたしね……いいわ! 正気に戻ったルイを無事に取り戻したその時に白黒決めてあげる!」
「……決めてあげるって僕が決めるんじゃないの?」
「何言ってんのよ。決定権はわたしとルイにあるの! あんたが選べる立場だと思うなよ!」
「……それはなんか釈然としないや」
「ふん! 2股かけようとしているやつが何言ってんだか? 選ぶ権利はわたしたちにあるわ!」
「2股って……」
でもさ。最後くらいいいでしょう?
続いて立ち上がるシズクに寄り添って、そっと耳元にお願いを囁くんだ。
「わがまま言っていい?」
「うん」
「シズクからキスして」
そうわたしの我儘に、一瞬驚きつつも――シズクは何も言わずに……。
――ゆっくりと唇を合わせてくれる。
さっきわたしがした雑なキスとは違った、優しいキスだ。
いつも通り目を閉じて顔を傾けて唇を触れてくる。
あら、腰を引き寄せるなんてどこで覚えたの? けど……悪くない。
いつもならキスをするシズクの顔を見るのが好きだったけど、視界の外で、リコちゃんが両手で顔を隠しながらも、指の隙間から覗き見ていることに気が付いた。
だから、その目から逃げるようにわたしも目を閉じてしまう。
目を閉じると彼と繋がった唇に意識が集中し始め、じんわりと彼の体温がそこから移ってくる。その後は交わるように熱が伝わる。わたしの胸の中にシズクの熱があふれ出てくる。
ああ、さっきまでの荒んだ心の欠片がぽろぽろと落ちていくみたいだ。
もっと、ずっと、いつまでも、こうしていたい。
けど、多分、これが、最後になるかもしれない。
――わたしか。
――ルイか。
彼には選ばせないとか言った癖して、多分最後は彼に選択を委ねてしまう。
彼はどちらを選ぶの? わたし? ルイ?
(ああ、願わくばわたしだったらいいなって――)
◎
出来ることなら、もう少しシズクを感じていたかった。
でも、その繋がりはキィ……――と何かが軋む音が聞こえたことであっさりと終わった。
扉の開いた音だった。
わたしたちは直ぐに唇を放して音のした方へと顔を向ける――。
「……なんで……してるの……?」
その扉を開けたのは呆然としたお兄さん……じゃなくて、あ、あれ、もしかして?
「……なんで、2人が……口付け……してるの?」
最初は、扉を開けた人物が誰かわからなかった。
それだけ、彼が見違えるほどの成長を迎えていたからだ。
「フルオリフィア、ちゃん……」
わたしたちよりも背の高くなったレドヘイルくんが、ぽつりと震える声を上げて扉の前に立っていた。
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