第178話 言わせてほしいことがある
主役2人の体調不調で式は中断、明日に延期ってなんだよそりゃ。昨日の俺に教えてやりたいよ。
前を行くインパに警護され、シンシアに支えられ、痛む頭に悩まされながらの帰宅中でのことだ。
「ドナ様、大丈夫ですか……」
「……」
「ドナ……様?」
「……ん? ああ、シンシア?」
「はい、私です。シンシアです」
「あー……すまん。ちょっと考え事してて気が付かなかった」
「……それならばいいんです」
遠くお空に漂っていた意識を呼び起こされて、少し間を開けつつも隣にいるシンシアへと顔を向けた。
相変わらずの石仮面は眉の1つも動かさないが、いつもより顔色が悪い。
何か悪い夢を見たかのような青ざめたツラをしている――それは俺らの前を歩くインパも同じだった。
インパは俺の帰宅のために警護として付き添ってくれている。ただ、親父に俺のお守りを命じられる前から、何かに怯えている様に動揺をしていた。
その大きな身体を震わせてビビり散らすインパは親父が怒鳴って喝を入れられるほどだ。自信家のインパらしくねえっていうか、こんな弱気なインパは初めて見る。
おいおい、お前らそんな調子で大丈夫かよ――と、2人を気遣う余裕は今の俺にはない。
「……あいつら、なんだったんだろうな?」
「…………ええ、誰なんでしょうね」
あいつらと言いつつも、俺が頭の中で強く思い描いたのは1人だった。
俺の頭を未だ締め付ける鈍痛の原因と思われるあの女――皆の注目をかっさらっていった黒髪の女よりも、後から姿を見せた青髪の少女の方だ。
あの青髪の少女のことを思い出そうとする度、じくじくと熟れるような痛みが頭の奥で発生する。
青い髪をなびかせて舞台の上に現れた謎の少女……少女って言ったが、俺の隣にいたフルをいくつか幼くしたくらいだ。
(他人の空似? それにしたって似すぎだろ。フルの姉妹……姉妹がいるなんて話、誰からも聞いたことはない)
もうあれはそっくりを越えて瓜2つ。俺の記憶にいるフルそのもの――いや、あれは俺の知っているフルだ。
霧がかかったかのような曖昧な記憶にいる数年前のフルが、突然この地に姿を見せたような感覚だ。
偽物――とは思わなかった。むしろ、どうしてか……なんでか。
(あっちの方が本当のフルに思えてしまったのはなんでだ?)
長年一緒にいたフルはずっと俺の隣にいたじゃないか。本物も偽物もありはしないし、なにより、フルそっくりその少女の目は青かった。
……ほら、違う。違うぞ。
フルは朝焼けみたいな赤い瞳をしていて……赤い、瞳?
「赤……?」
何故、赤くなった?
俺の中のフルに赤色のイメージはない。
四天の女子が着る衣装が赤色だからかって、そうじゃねえ。服の色を抜きにして、俺の中のフルには赤色は存在していない。
(真っ青な雲1つない空――それが俺の中のフルだったのに、どうして赤がある?)
なぜだ。どうしてだ。どっちが本物だ?
俺と祝儀を迎えようとしていたフルか?
式に現れた黒髪の女に付き添っていた幼いフルか?
わからない。
わからないのに、どうしてか……俺は後者の幼いフルが本物のフルだと思っちまってる。
「……っぅ!」
「ドナ様!? まだ痛むんですか!」
「あ、ああ、ちょっとな」
そして、隣にいた赤目のフルは、フルじゃない――今のフルは昔からいるはずなのに、別人に思えてしまうのは、“あの日”から感じている些細な違和感を今日までずっと引きずっているからだ。
では、そのある日っていうのがいつか……記憶は変わらず靄のかかった様なありさまで、思いだそうとしてまた頭痛に悩まされる。
(何故思いだせない? どうして頭が痛む? 俺の記憶力が悪い? そりゃ昨日一昨日って食った晩飯なんて覚えちゃいないがそういう日常の話じゃないだろ?)
俺は覚えているはずだ。
いつも隣にいたフルに違和感を覚えた日を、どうしてか思い出せないあの日のことを――ふと、黙々と前を歩くインパの腕が目についた。
無い腕の方だ。
「あ……」
「ドナ様?」
……そうだ。
違和感を覚えた日……それは同時にインパが怪我を負ったことで俺の護衛を辞めた日だった。
いつもとは雰囲気の違うフル。腕を失ったというインパ。
この2つがどうしてか結びついているような気がしてならない。
「……なあ、インパ」
「……おう、何だい大将?」
「お前が片腕を失くした日、何があった?」
俺の呼びかけに振り返ったインパの顔がひしりと強張った。
「……暴れ牛と戦って腕を失くしたって言ってたけど、その話は本当だったのか? 治癒魔法で治らないほどだったのか? 何故切り落とす必要があった?」
「……食い裂かれたんだよ。治す前には腕はオシャカさ。……大将、俺は自分の情けない話を事細かに話す趣味はないですぜ」
あの自信満々のインパが腕を食い裂かれた? 信じられない。
「俺はお前が本気で戦ってるとこは1度だって見たことはない。だが、護衛として長年一緒にいたんだ。お前と一緒に何度だって里の外にも出たこともある。離れた後だって、お前の実力は俺が歳を取るごとに実感していった……お前が腕を失くす事態になるとは思えない」
「……油断したんですよ。つい遊びすぎて……これ以上の詮索はよしてくれませんかい。こればかりは大将の親父さんにも口止めされてますんで」
「親父が?」
何故そこで親父が出てくる。
「どういう――」
「――言えないでしょう」
「……シンシア?」
どういうことだ――と、多分聞いたところで答えてはくれないだろうが言わずにはいられないこの状況で……今まで黙っていたシンシアが突如として俺らの会話に割って入ってきた。
「私のこと、覚えていますよね?」
「里に住む天人族なら十華を知らない奴はいない……そう言う話じゃないっすよね――ええ、忘れることなんて出来やしませんよ……ロレイジュ様」
インパは普段俺と話す口ぶりではなく、どちらかと言えば直属の上司である親父と同じような口調をシンシアに向ける。
「別に言っても構わないんじゃないですか。遅かれ早かれ正式にドナ様が四天長の座を任されるようになれば知ることになるでしょうし」
「ですが……」
申し訳なさそうにインパがシンシアを見る。シンシアはいつもと変わらない冷たい視線をインパへと向ける。
不思議な関係だった。頭2つ分は大きなインパが、小娘のシンシアに委縮しているように見えてしまう。
「……では、口止めされていない私が言うのであれば構いませんね?」
「それは……」
インパは奥歯を噛みしめるような渋い顔をした後、そっと顔を背ける。以降、口を開くことはなかった。
インパからの反論がないことを見てから、シンシアは「では――」と話してくれた。
「彼が腕を負傷したのはミッシングと呼ばれる者を処罰した時に受けた傷だからです」
「……ミッシング?」
ミッシング――親父から聞いたことがある。
「俺が生まれる数十年も前、里を襲撃してきた謎の集団の名称、だったよな?」
「正確には里を襲撃してきた者たちと“同じ存在”をミッシングと我々は呼んでいます」
「同じ存在? なんだそれ……そもそも、なんでそれをお前が知ってるんだよ」
「それは……私の父の仕事が関係しているからです」
シンシアの親父さんの仕事……十華のロレイジュの仕事?
俺は知らない……少なくとも、インパと同じく親父の直属の部下だった程度にしか聞いてはいない。
いや、それどころか俺は彼女のことなんてまったくと知らない……違うな。こんなにも愛おしく思いながらも、知ろうとしなかったんだ。
理由なんて簡単だ。
彼女のことを知り過ぎて、シンシアが本当はどう考えているのかを知るのが怖かっただけだ。くそっ……!
「……シンシアはインパと知り合いなのか?」
「彼は私の命の恩人です。そして――」
シンシアは普段通りの淡々とした口調で話を続けた。
「ミッシングの疑いをかけられた私の両親を殺した者たちの1人です」
……普段通りすぎて感情の籠らないままに、殺したと発言するシンシアが妙に怖く感じた。
◎
その後、ぐっすりと眠るお兄さんを起こさないようにわたしたちは部屋を出た。
「メレティミはすぐにシズクのことたたくー」
「そうだねぇ。レティは直ぐに手が出るねぇ」
そして、彼のお言葉に甘えさせてもらい、わたしたちはお兄さんの部屋から客間へと場所を変え、レドヘイル家で休憩を取らせてもらうことにした。
後を着いてくる2人のやり取りに申し訳なく思いながらも階段を降っていく。
(うう、ごめんよ、昔のわたし。完全にお兄さんの中のメレティミは崩壊しちゃったわ)
……だが、過ぎてしまったことはもういい。
今は自分のことよりも、巻き込んでしまったお兄さんの身を案じてしまう。
(わたしたちを匿ったことでお兄さんに迷惑がかかるかもしれないかな……)
事情は詳しく話していないからさほど迷惑をかけることはないだろうとも思う。けれど、逃亡者を匿ったことで処罰される可能性は……無くはないかも、とも思ってしまう。
最悪、彼を脅して匿ってもらったとか書置きくらいは残した方がいいかな――と。
「……ここ。この部屋よ」
「勝手にいいの?」
「悪いとは思うけど他の人の部屋を使う訳にもいかないでしょ」
「メレティミはあつかましいな」
「そんなんじゃ……最近のリコちゃん、わたしに対して口悪いよね?」
「さあ? しらない」
ぷいっとそっぽを向き、いの一番に客間に入るリコちゃんだ。
コルテオス大陸に向かう頃からこういうツンツンとした態度を取られるようになったんだよね。
わたしから嫌われるようなことをした覚えはない。まったくと思いつかない。
シズクと2人でいる時にむっとした顔をしてくるんだ。悲しくなるなあ。
しゅん、と肩を落としながら、最後にわたしも中に入って扉を閉めた。
「リコは拗ねてるだけだよ」
「拗ねてる? なんで?」
「そんなんじゃないやい!」
と、シズクに飛び掛かりごしごしと胸に顔をこすりつけるリコちゃんだ。
シズクも抱き抱えたまま、あやすようにリコちゃんの頭を撫でる。
いいなあ。わたしもリコちゃんに飛び掛かって欲しい。じゃれてほしい甘えてほしい。前みたいにその頭をなでなでさせてほしい!
「むぅ……」
恨めしそうに2人の触れ合いを見ながらも、腰にぶら下げていた鍵束から1つ鍵を選んでは収納ボックスを出現させ、シズクの着替え等を取りだす。
パスっとズボンを投げ渡し「さっきからちらちらのぞく眩しいあんよをさっさとしまってください」とシズクに穿かせることにする。
神域の間から今の今まで、彼の首から下の見た目は変わっていないのだ。
人の着替えをまじまじ見る趣味はない。彼の姿を視界に入らないように客間の中心に置かれたソファーに身を任せて部屋の中を見渡した。
「懐かしいわね……」
客間は子供のころに何度か足を運んだことがある。
もう10年は前なのにテーブルもソファーの配置も変わってない。棚に仕舞われているカップ類と小物が増えたくらいかな。
変わってないから懐かしいし、ほっとする。
四天という家柄なだけあって裕福なレドヘイル家だけど、昔と変わらず生活は慎ましげみたいだ。
レドヘイル家は兄を除けばとても物静かな家族だということを覚えている。
騒がしいのが嫌いって訳ではないと思う。
以前、ドナくんやフラミネスちゃんと一緒に遊びに来た時は賑やかな……いや、やかましい子供の笑い声を聞いても、彼らの両親はのほほんと笑っている人たちだった。また、声が小さかったり、聞き取れなかったりでお兄さんを間に挟んで会話することも多かった。
人と話すのが苦手そうな2人の父……アリディ・レドヘイル四天は(昔と変わらなければ)他種族と天人族間の流通に関わる仕事を任されている。
どのように他種族とコミュニケーションを取っているのかは四天見習いだった頃、多少は気になっていた。
(……とは言え、お兄さんが療養で里を去ってからは、この家には遊びに来なくなっちゃったんだよね)
でも、あの頃は4人で遊んでいると、まだよちよち歩きだったレドヘイルくんが遊んでー遊んで―ってじゃれて来たりね――ふふ、と笑みが漏れる。
「おまたせ」
ひとり思い出に浸っていると、着替え終わったシズクがわたしの隣に座ってきた。
その後、最後まで彼にしがみ付いていたリコちゃんは器用に降りて、わたしとシズクの狭い間に割り込んでくる。
わたしに顔を向け、ふふん、と勝ち誇った子憎たらしい笑み浮かべきた。
こいつめぇ……って、ん、あれ? この反応って……まさか?
「もしかして、リコちゃん……やきもち妬いてる?」
「……!」
ぴこん、と頭の上のケモ耳が反応したのをわたしは見逃さない。
確認するかのように顔を隣へと向けると、シズクはにっこりと微笑むのが見えた。あ、こいつ知ってたな!
「ちがうよ! そんなんじゃないやい!」
「じゃあ、どういう――ぎゃっ!」
「いじわるをいうメレティミなんてこうだ!」
と、リコちゃんはわたしの胸を小さな手でぐにぐにと掴んでくる。
やめい! ……って、リコちゃんの小さな身体では握力はあるようでないものだ。くすぐり攻撃だったのかな。
ブラ越しだったこともあり、そこまで痛みは感じないし……ま、好きに弄らせることに――おい、恨めしそうに見てるそこのスケベ。こっちを見るな。
胸への攻撃は効果がないと知ってか、次第にリコちゃんの手の動きは止まり、ふんっと顔を背けてしまう。
「も――! そんな怒んないでよ……」
「おこってないったら!」
その後、リコちゃんは床に届かない足をパタパタと揺らしていたけど、次第にうとうとと船を漕ぎはじめ、ゆっくりとわたしに身を預けて眠りに落ちてしまう。
あーあ、もうっ、どこの誰に似たのか、眠っているリコちゃんはわたしの胸を枕にしてしまう。ま、顔はそっくりでも無垢なリコちゃんならむしろ歓迎だ。
リコちゃんの寝息を聞きながら2人して会話は無いが……ふと、隣の彼が動くを感じる。
目を向ければシズクは不揃いの切り株みたいな後ろ髪を気にしてか、ずっと後頭部を弄っているのだ。
「後ろぼさぼさだし、切ってあげようか?」
「……うん。そうだね。でも、ハサミとかは?」
「あるよ。ちょっと待ってね」
リコちゃんを起こさないように立ち上がり、腰にぶら下げている鍵束の中から先ほどとは別の収納ボックスを出現させる。
その中から自分の髪を切る用に作ったハサミを取りだした。このハサミは我ながら自慢の1品だ。
普通の直刃だけではなく空きバサミも作ってあるよ。後は櫛と剃刀も用意してっと。
ちなみに切れ味はハサミにしては切れ過ぎるくらいだから扱いには注意しよう。
「そのハサミってレティが作ったんだ。すっごい綺麗に作ったんだね。市販品かと思ってた」
「ありがと。じゃ、何か注文はある?」
「うーん……うん。ばっさりいっちゃって。後はレティに任せる」
「変な髪形にしちゃうかもよ?」
「レティはそんな意地悪はしないって知ってる。期待してるよ」
「そ、了解」
人任せとはこいつ……なんて思いながらも受け持ったからにはちゃんとやるつもりだ。
では、こちらへ――とソファーから、1人用の椅子に座ってもらって鏡を持ってもらう。
ケープ代わりに私がさっきまで使っていたローブをシズクに着せた後、彼の周りをぐるぐる回ってうーんと睨めっこ。
(前髪は軽く空いてこのままでもよさそうだし、まばらになっている後ろは……ばっさり短くしちゃうか)
「では、はじめます」
「よろしくお願いします」
それでは、と黒い彼の髪に刃を通し、ジョキン――こういうのは昔から得意なんだよね。
昔もこいつの髪を切ってやってたっけ。
「……どう、落ち着いた?」
「落ち着いた? ……うん。もう大丈夫。泣かないよ」
「そっか。後ろ……思い切ったね」
「ついね……自分でも混乱してたんだなって思う」
「よかったの?」
「良くはなかったけど、うん。結果良かったんだ。ルイが髪を切ったことで僕のことを思い出しかけてた。次に会えば僕のこと思い出してくれると信じてる」
「それ……――あ、動くな……そうね。思いだしてくれると思うわ」
それで思いださせた後はどうするの? ――そう言葉が出そうになって引っ込めた。
「僕はルイを取り戻したい。……ルイはあそこにいちゃいけないんだ。あんな動揺しているルイなんて僕は見たくない」
「そうね。わたしも驚いたわ。見てて悲しく思った」
「僕はもう1度ルイと話がしたい。あんなんじゃない。笑ったルイと話をしたいんだ」
「……うん。そだね」
「僕がルイの笑顔を取り戻す。だから――また僕はルイを奪いに行くよ」
(奪いに行く、かあ……)
その後もほどほどに話を交わし続けたけど、なんだろう。
(……わかっていたけどさぁ)
シズクの口から洩れる言葉のひとつひとつにルイへの思いが込められているのが苦しいくらいにわかる。
散髪をし続けている最中、シズクの口からルイの話を聞くたびに、なんだか拷問だな……とも思ってしまう。
(何よそれ……ルイルイって……わたし……納得いかない)
そう、納得いかない。さっきからぐちぐちぐちぐち……もう限界だ。
ずっとルイのことばかり話すシズクにはもう我慢できない。
もう無理よ。
「……こんな感じかしらね」
後は手に小さな風魔法を生み出し、切り落とした髪の毛をすべて集めて外に捨て……捨てれないか。後で処理するからと収納ボックスの中へとさらさら――っと。
最後にシズクに被せていたローブを取り外し一緒に収納ボックスに詰め込んで終わりだと伝える。
「たくさん切ったね。頭が涼しいや」
「前からじゃあまり変わってないように見えるけど、後ろは結構短くしたからね」
「うん。ありがと」
鏡をもう1枚用意しておけばよかった。合わせ鏡で彼に見せてあげたい。
いつものポニーテールってだけでも女の子にも見えてたけど、目の前にいるシズクは尻尾がなくなったことでようやく男の子へと性別を変えてくれた。
男の子か女の子かと尋ねられたら半数以上が男の子ってようやく答えてくれるようになっただろう。
また――ついでに美少年である。
切ったわたしがびっくりするよ。
今のこいつを1人で歩かせたら、きっと誘拐されるか、余計な虫をつけて帰ってくるようになるんじゃないだろうか。ってくらいの変わりようだ。
(ああ、これは本当にヤバイわね)
まだ少年って風貌の癖して、むらむらとする色気が漂っている。
1歳年下の癖して何故わたしメレティミよりも異性であるシズクに色気が出るんだ! これで今よりも大人になったらこいつは一体どれだけのフェロモンをまき散らすって言うんだ。ああ、なんてひどい!
1人ぶつくさと将来迎えるであろう不安に頭を痛めている余所に、シズクは首を振って頭をふらつかせていた。
「なんだか変な感じ。猫はひげが抜けるとバランスを崩すって聞くけどこんな感じかな? でも、さっぱりしたよ」
「そ……そう。よかったわ」
まあいいわ。感謝の言葉は素直に受け取る。
髪を切ったことで身も心もずいぶんとさっぱりしたようね。よかったじゃない。
――じゃあ、今度はわたしもさっぱりさせてもらうわ。
「シズクはルイのこと好き?」
「嫌いじゃなきゃここまでしないよ。だいたい、ルイのことを嫌いなんて思ったこと1度だってな――」
「違う。待って。嫌いかどうかって話はしてないわ。わたしが聞きたいのはシズクがルイを好きかどうかって聞いてるの」
「は? えっと……それは、いや、だから……その、好き、だから助けたいって思うんじゃないか」
「そっか。シズクはルイが好きなのね」
「……うん。そんなの当たり前じゃ――」
「じゃあ、その好きは異性として?」
にっこりと笑ってみた。
さっきまで楽しげにルイのことを口にし、髪を切り終わってさっぱりとしていたシズクの顔が固まる。
彼の目はわたしを凝視してから、横へと逸れて、そのまま動くことはなかった。
「異性って……ルイは今まで一緒にいて家族とか、妹っていうか……」
知ってるわ。
言葉を濁しながら話すのが何よりの返答だってことをさ。
もう聞かなくても良いことだっていうのに、わたしの口は止まらず次へ進む。
「テトリアさんの時、自分が言ったこと覚えてる? はっきりと言った方がお互いのためだって。隠し事はしないって」
「……それとこれとじゃ話が違うような?」
「違くないわ。一緒よ」
シズクはわたしと目を合わせようとしない。彼の口が開く気配も見られなかった。
……もう、いいや。
「言わせてほしいことがある」
すると、今度ばかり重々しくもシズクの口は開いた。
「……何?」
「文句」
そう言ったところでやっとシズクがこっちを向いてくれた。
もう1度にっこりと笑うとシズクは一瞬驚いて、直ぐに悲しそうに顔を歪ませて小さく頷いてくれる。
「文句かあ…………うん、聞くよ」
「ありがと。じゃ、その前に1つ約束して。わたしが話し終わるまでずっと黙ってて」
「……わかった」
本人の承諾は得た。
まあ、得なくても言ってたけど……わたしは大きく息を吸い深く吐いた。
3度ほど深呼吸を繰り返した後、笑顔を継続したままわたしは口を開いた。
「――なんでわたしが彼氏の恋路を応援しないといけないの?」
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