第175話 断髪

 前日になってようやく僕は結婚式を見るとレティに伝えたら、彼女は怒るでも悲しむでもなく微笑んで「わかった」とだけ承諾してくれた。

 その笑みの理由は当日になってもわからないままだが、実際のところレティがどうして笑って許してくれたのかよりもルイについてばっか考えていた。


 行くと決めた理由は僕の心の中にいるルイと今度こそ決別する為。

 きっと、ルイの幸せな姿を見れば僕は安心して彼女のもとから去ることが出来るって……そうレティに言ったけど、口にした途端涙が出そうになった。

 彼女はその後、何も言わずに僕を優しく包み込み、赤ん坊をあやすみたいに背中を叩いただけだった。


 式に参加するあたって、僕らを知る天人族に悟られないよう女装をすることにした。

 妙な変装するよりも堂々と着飾った方が怪しまれないと言うリターさんの提案だったけど、僕は拒むどころか素直に頷けた。

 きっとそれだけルイのことばかり考えていたせいだろう。だから、あんなにも嫌がっていた女装もあっさりと受け入れることが出来た。

 多分シズクである僕の最後の女装だ。


「……実は、シオミさんに用意してもらったシズクの服……それ女物なの」

「……え?」

「いつも開いてるその上着の前をきちんと閉じてね――そう、そうすると浴衣みたいに見えるでしょ……」

「……うっ、確かに」


 言われた通りに前襟を整えるとあら不思議。

 アオザイやチャイナドレスと言われても遜色ない着物みたいな服に早変わり。

 断りもなく髪を結ぶ紐を解かれた時は、衣装と合わせてその場にいたリターさんとフィディさん含めて3人ともぷっと笑いだした。

 女装には素直に頷いたけど、笑われるのは我慢ならないよ。


「……いい? 見に行くだけ。変な気は起こさないでよ」

「わかってるよ。見るだけ……うん。ルイの結婚式が終わったら、僕らは元々の目的であるイルノートと会って話をするんだ」

「そうね……動かないで!」

「あ、ごめん」


 その後、3人に囲まれ大人しく化粧を施されるのをじっと我慢する。レティたちに良い様におもちゃにされてるような気がする。

 レティの手鏡で自分の姿を見たら結構どぎつい姿へと変貌を遂げていた。

 アイシャドウによってまぶたの上は紫が塗られ、いつも以上に強調されたアイラインは僕の目をいつも以上にはっきりとさせている。

 唇は血の様に真っ赤で、おとぎ話に出てくるような悪い魔女を彷彿させる自分の顔に思わず「わっ」と声を上げてしまったほどだった。

 でも、そういう面を除いて鏡の中の僕は普段よりもずっと女らしくて、シズクの面影はあるようでない別人がそこに写っていた。


「……ねえ、シズクって本当に男?」

「リター……それは失礼……だけど、えっと……シズクさん、ごめんなさい」


 なんでフィディさんに謝られたのかさっぱりわからない。

 男が女装してるんだから、さっきみたいにいっそ笑い飛ばしてくれた方が良い。


「君が女として生まれてくればよかったのにと心から思うよ――美しい容姿だけではなく、料理も美味。魔法の腕もばつぐん……ああ、性別の壁なぞもしも君がよければ僕の3人目ないし。4人目の妻にならないか?」


 きっと冗談のつもりだったんだろうけど、その発言にリターさんとフィディさんが本気でアニスの頭を殴っているのを見た。

 3人目ないし、4人目ってその1人は誰だろう。


「シズク、すっごいきれー!」

「あ、ありがとう……リコ」


 諸々の準備が整った後、僕ら6人は一緒に屋敷を出た。

 アニスは魔人族の長だから途中で別行動になったけど、僕はいつも身に着けているリコ指定の赤いマフラーをストール代わりに頭から被って、大きな世界樹のある神域の間へと臨んだ。





 魔人族の集団に紛れながら、僕は壇上にいるルイを見て言葉を失った。


「ルイ……綺麗……」


 隣のレティの呟きにも反応できないくらい僕は彼女に目を奪われていた。

 いつも隣にいた少女は、すっかり大人の女性になってしまっていた。

 白無垢みたいな衣装や装飾品で身に飾って、僕と同じく化粧も施されているためか15歳というルイの実年齢上に大人びて見える。


「……ルイ」


 レティの呟きの通り、ルイは息を呑むほどに美しかった。

 まさかルイの花嫁姿を見る日が来るなんて……もう僕の知るルイはそこにはいないんだって事実を突き付けられてしまう。


 ただ、喜ばしい――と思う僕もいた。

 あの小さな子がここまで立派な大人になってさ。

 ……そして、悲しくもなった。

 それは成長した姿とは別に、今の彼女自身を見て思ったことだ。


「……ルイ……っ!」


 ルイは式が始まる前からずっと顔を強張らせ続けていた。

 不安で不安で仕方ないって、そんな表情をさせながら壇上の上にぽつりと立っていたんだ。

 そんな押し潰されそうなルイを見て、僕が悲しくならない訳がないじゃないか。


「……ふざけるな」


 人に決められた結婚だとしても、これでルイが幸せになれるのであれば、僕は黙って見届けるつもりだった。


(……けどさ、ここに幸せがあるのかな。あんな顔のまま結ばれて、本当に幸せになれるのかな?)


 迷い続けた数日で、そう自分に言い聞かせ、決心も出来た。


(ねえ、ルイ。ルイはそんな顔して結婚して幸せなの? 嫌だからイルノートに相談しに行ったんじゃないの?)


 ねえ――。


「……ちょ、ちょっとシズク!?」

「……」


 気が付けば僕は2人が立つ壇上へと足を向けていた。

 僕の目にはルイしか入らなかった。だから最初のうちは周りの人にぶつかって悪態をつかれることもあったけど、構わずに前に進んだ。

 次第にぶつかるどころか、人垣で閉ざされていた道は僕が前に進むたびに勝手に開かれていくようになった。

 周りの視線が集まるけど、僕の目はルイにしか向いていない。

 目立たないってレティとの約束もすっぽかして……ね。

 僕はただ目に映ったルイを求めて、からん、ころん……借りた草履を鳴らして前へと進む。

 不安で押し潰されそうなルイがいる悲しくも腹立たしい場所へと、僕はただ進んでいった。





 舞台に上がってきた綺麗な女の人はルイを奪うと言った。

 その人は物凄い怒っている。

 綺麗な顔は愉快に笑ってるのに……今にも爆発しそうなくらい怒っているのがルイにはわかる。


(どうして? どうして怒ってるの? あんな、笑ってるのに、なんで?)


 怖くなってイルノートの腕にしがみ付いた。

 助けてって見上げたイルノートの顔はぐにゃぐにゃって歪んで、船の中で何度もルイに謝ってた時の顔をしている。


(……イルノートが困ってる。イルノートが悲しんでる。イルノートが泣いてしまうかもしれない!)


 不安はイルノートを見たら消え、今度は代わりに怒りが押し寄せてきた。


「……イルノートを悲しませるなら!」


 自分の手に意識を集中させてあの剣を呼び出す。

 氷絶のつるぎ。

 いつだってルイを守ってくれたこの剣で今度はイルノートを守ってやる。

 ……こいつは敵なんだ。

 ルイの家族を困らせるやつなんて敵以外の何ものでもない!


「……お、お前はなんだ! イルノートを困らせるな!」


 宙を薙いで大剣の切っ先を女の人に向け、怒鳴りつける。

 今すぐにでも大きく振りかぶって叩き付けたい――けど、ぐっとこらえて威嚇に留めた。

 女の人は剣を向けたことでぎょっと驚いて、とても辛そうな顔をした。

 そして、その人はルイに手を伸ばして大きな声を上げたんだ。


「なんで……その剣を僕に向けるんだ……ルイっ、ルイ、思いだしてよ! 僕だよ! シズクだよ!」

「誰だよ! ぼくは知らない! お前なんて知らない! 気安く人の名前を呼ぶな!」


 お前なんて知らない! ぼくはシズクなんてやつ――


(……あれ、ルイ……今どうして“ぼく”って男の子みたいに自分のことを?)


 訳がわからず頭の中がぐちゃぐちゃする。

 気持ち悪い。ぐるぐる頭の中がかき混ぜられるみたいだ。

 辛い。辛いのはどうして。


(……どうしてって、これも全部お前のせいだ!)


「ルイ……よせ!」


 イルノートが止めてきたけど、ルイは構わずに前に出て剣をそいつに向かって振りかざした。

 そいつは1歩後ろに下がるだけで難なくかわす。でも、信じられないって驚いた顔をする。


「本当に……記憶が……っ……イルノート!」

「……っ……私を、呼ぶか。私がこの術を行ったということは1部のものしか知らないのだが……どこから洩れたかな。なあ、リウリア?」

「な、なっ……き、貴様! 私が洩らしたというのか!」


 後ろの席に座ったままだったウリウリが甲高い声を上げて、慌てながらにルイたちと女の間に入ってくる。ルイたちを庇うようにウリウリは手を広げつつ、首を傾けてこっちを、イルノートを睨みつけてくる。

 なんでウリウリはそんな目を向けるの……どうしてイルノートをそんな怒った目で見るの!

 敵は目の前だよ!


「くっ、話は後だ……賊の目的はフルオリフィア様、貴方の様です。早く後ろにお下がりください」


 イルノートに向けた視線を直ぐに返し、ウリウリは目の前の敵にだけ意識を集める。

 ウリウリとイルノートの隙間から覗く、敵である黒髪の女の顔がまた曇り――そこからあっさりと微笑を浮かべ出した。


「リウリアさん」

「驚きましたよ。シズク……あなたは生きていたんですね……」

「はい。おかげで2か月間ほど昏睡状態に陥りましたけどね」

「そうですか。そのまま目を覚まさなければ幸せだったものを……」

「ははっ、そんなこと言わないでよ。じゃなきゃ、リウリアさんの綺麗な顔をもう1度見ることは出来なかったじゃないですか?」

「……なっ……きっ、綺麗っ……き、貴様! この状況でよくそんな軽口をほざけるものだな!」

「……ですね。でも、何か冗談を言って気を紛らせないと昂ぶって仕方ないんです。あ、綺麗って言うのは冗談じゃないですよ」

「……だ、黙れ! 私を誑かそうったってそうはいかないぞ!」

「……はは、その言葉。懐かしいですね。前もそう言って顔真っ赤にして……」


 あんな取り乱すウリウリなんて久しぶりに見た……いやだ。

 何、どうしてそんなやつに腹を立てるの。いつもの物静かなウリウリが大声を上げてるの。おかしいよ。変だ。いやだ。あいつは気持ち悪い。あいつが来てからルイもルイの周りも変になる。


「イルノート……ルイ、怖いよ……誰なの。あいつ、やだ。ルイの心をぐちゃぐちゃにする……」


 これ以上あいつの顔を見るのはやだ。

 ルイはもうあいつのことを見たくも無くて、イルノートの背を掴んで隠れる。喉の奥が震えそうになる。目の奥がじわりと熱くなる。


「……っ……ふぁっ……ぐすっ……ぐぅっ……!」


 なんで、ルイがこんなやつのせいで泣かなきゃいけないんだ。

 でも、どうしてだろう。こんないやな気持ちになるのに、ルイはイルノートの背に隠したはずのあいつの姿を、ついつい見てしまう。

 滲む視界の中でもそいつのことを見つめてしまう。

 ……どうしてなんだろう。ルイはあいつが気になって仕方がない。


「……ルイ!」

「フルオリフィア様!? ……貴様! フルオリフィア様の名を口にするな!」

「思いだしてよ! ねえ、ルイ! お願いだ!」


 いやなのに、絶対いやなはずなのに、名前を呼ばれるたびに、胸の奥まで熱くなる。


(……やめろ! ルイのことを呼ぶな! 呼ぶなったら!)


 胸を強く抑え付けて、ルイはそいつに向かって叫んでやった。


「知らない! お前なんて知らないって何度も言わせるな!」

「……こういうことだ。もうお前のことなんて覚えちゃいない」


 イルノートが覚えてないって言うけど、そんなやつのことなんて元々ルイは知らない、知らない! 知らないけど、いやなんだ!

 胸の奥がチクチクする。早くそいつをどこかにやってほしい。ルイの視界から消してほしい。

 こんなやつ、もう見たくない!


「ねえ……ルイ。思いだして。僕だよ。シズクだよ」

「消えろ! どこか行け! お前はやだ!」

「ル……」


 イルノートの背から顔を覗かせてぎっと睨み付ける。

 あいつはおかしい。ルイの身体中がそう警告している。

 もう何百匹と倒した魔物よりもあいつは危ない。こいつは気持ち悪い。こいつは恐ろしい。

 そして――こいつは強い。


 こいつは……シズクはルイと同等の力を持っている。もしかしたら、それ以上で――そういう見えない流れを感じ取る。

 そんな魔物よりも恐ろしいやつを前にして、なんでイルノートもウリウリも畏れないのかわからない。


(ルイは直視するのもいやなのに、いやなのに……!)


 怖い。目の前のこいつがいつ飛び掛かってくるかわからないこの状況が怖い。

 だから目が離せない。そうだ、きっと何を仕出かすかわからないからルイはあいつのことを見続けてしまうんだ。

 そして、ほら――。


「そっか……」


 女は“出ろ”って何やら聞きなれない単語を呟くと、どこからか短剣をこの場に出現させて握りだす。

 ルイと同じ闇魔法を使った!? とも思ったけど、その短剣には何の力も感じられない。力を感じたのはあいつの右手の指にはまっていた指輪くらいだ。

 ただの短剣だ。だけど、出現させた原理がわからないからなおさら怖い。

 飛び出るべきか、逃げ出すべきか。それともその短剣にそのまま刺されるのを待つのみか――。


「な、何を三文芝居に見蕩れてる! 早くあの狼藉者たちを捕えよ!」


 エネシーラ長老の一声に、我に返った天人族の兵士たちが動揺を見せながらも壇上へと駆け登り、この正体不明の女を取り囲む。

 皆、刃物ではなく長杖を構え、囲んだ1人の合図の元、女へと一斉に振り下ろす――。


「……え?」


 無数の長杖が振り下ろされたのと同時に、そいつも同じく動きを見た。

 ルイは一部始終を見ていた。

 いや――みんなの動きがゆっくりになったことで、そいつの動きも逐一見届けられただけだ。

 ゆっくり、ゆっくりと、ゆっくりと。

 兵士たちの長杖が中心へと振り下ろされるとき、女はその中でも素早く自分の長い髪の毛を掴む――


「……さよなら」


 そして、その別れの言葉を口にして――掴んだその黒髪を短剣で引き裂いたのだ。


「……わっ!」


 その瞬間、ルイは驚いて声を漏らした。

 驚いたのはそいつが髪を切り裂いたからじゃない。髪が切り裂かれるのと同時に“シズク”を中心に突風が吹き放たれたからだった。

 そいつを取り囲んでいた天人族たちが一斉に吹き飛ばされるほどの強風だ。

 思わず地面に膝をついて強風から身を守る。まるでコルテオス大陸で放たれたウリウリの風絶の中にいたみたいだ。


「――シズクの馬鹿! 冷静になれ!」

「……レティ。ごめん」


 吹き荒れる風の中、そんなやりとりをする方へと顔を向けると、もう1人増えてる。

 さっきこいつの後ろに着いてきてた女の子だ。

 “シズク”の襟元を掴み上げて怒鳴りつけているところで、巻き起こる強風に彼女の頭を覆っていたフードがめくれ上がった。

 フードの下からは――青色の髪に青い瞳の女の子が顔を見せた……!?


「あ……」


 え……どうして? なんで?

 信じられないものを見て、ルイはあ然としてその女の子を見つめ続けてしまった。


(あれは、ルイ……?)


 なんで自分ルイと同じ顔をしてるの? ルイにそっくり……ううん、数年くらい前の、昔のルイにそっくりだ。


「……そん、な……フルオリフィア……ちゃん……死んだんじゃ!?」


 今まで傍観してたレドヘイル君が突如として声を上げて立ち上がった。


「……そっくり、フルオリフィア……そっくり、違う。今より若くて昔の、どうして……え、痛っ……痛いっ……頭がっ……!」


 フラミネスちゃんが辛そうな声を上げ、彼女の両親であるフラミネス夫婦がどうしたって慌てだす。


「ふ、フル……フルがいる……間違いない。あれは、フル……フルが……あがっ! 痛っ……何、なんで……!」


 近くで尻もちをついているドナくんも同じく頭を抱えだし、シンシアちゃんと元ドナ四天長が駆け寄った。


「あれは……誰だ……フルオリフィア様っ!? ……ぐぁっ……痛っ……なんで……こんな時に……!」


 続いてウリウリまで頭を抱えて膝をつく。だけど、ウリウリは無理してて2人へと顔を向け続けている。


「……何で切ったのよ」

「……わかん……ぐすっ……ない。多分、本当……に……ぐすっ……ルイとお別れを……決別するため……っ」

「も――……泣くなよ。男だろ!」

「……っ……うん……っ……ごめ……ごめん、レティ……ごめん……」


 女の人の大きな目からたらりと涙が落ちる。黒い涙が流れてる。お化粧がとけた涙だ。

 いつもだったら黒い涙だ、へんなのって思うのに……どうしてか、罪悪感が生まれる。

 なんで、どうして。

 あんなやつが髪を切ったところで――涙を流し続ける女はルイを睨みつけるように見つめてきて、切り落とした黒髪の房を手から放す。

 綺麗な、黒い長い髪が女の手からさらさらと風に流れて――。


「髪……切って…………え?」


 ……また、びっくりして変な声が出た。

 突然、片目がじゅわっと滲んで――ルイの片目から涙が出てくるんだ。

 変だよ。

 悲しくもないのにルイの、ルイの……!


「……ズク。シズク……シズク……!」


 ……なんで?

 またまた、びっくりする。

 ルイの口が、勝手にあいつの名前を呼びだした。


「シズクっ――やだ、やめて! 勝手にしゃべら――シズク、シズクっ――いやだよ! やめてったら――シズクっ!」

「……ルイ!? 思い出したの!? 僕だよ! シズクだ!」

「うるさいっ――シズクシズクシズクっ――しらないって、ルイは――ぼくは――知らないって言って――いやっ、なんで切った――やめろ! もういやだ!」

「ルイっ!? ルイっ、ルイぃぃぃ――!」

「シズク! もう限界! 他の守衛が来る!」

「嫌だ! ルイが、ルイが僕を思い出そうとしてるだ!」


 知らない! お前なんて知らない! なのに、なのにぃ!


「ルイは、シズ……お前なんて……知らない!」


 新たに壇上に現れた天人族の兵士たちに再度2人は囲まれだす。でも、ルイに似た女の子の顔に焦りなんてない。

 ぼっ、と何かが燃えるような音を立て、2人を中心にさっきの短剣みたいに、何もないところから大きなものが出現する。

 今度は――生き物だ。


「ガォオオオォォォオオンっっっ!」


 ちりちりと光の鱗粉をまき散らす、真っ赤な波打つたてがみにまっしろな体毛に覆われた獅子――クレストライオンが大きな咆哮を上げて周りを威嚇し出す。

 ……クレストライオンだなんて、どうしてルイは思ったの。


(わからない。わからないよ。なんで、ルイはこの魔物のことを知ってるの!)


 突然の魔物(?)の登場に、2人を囲う天人族の兵士たちが悲鳴を上げて後退る。

 大きな唸り声を上げて周りを威嚇し続ける大きな獅子の背に、ルイと同じ顔をした女の子がシズクを腰に抱きかかえて跨った。

 威嚇を続ける魔物の上から、青髪の女の子がイルノートへと視線を向けた。


「イルノート……さん!」

「……」

「母の最期の言葉を伝えるためにわたしたちはあなたに会いに来たわ!」

「……ランの言葉?」

「ええ、そう! ラン……ブランザのよ!」


 ルイのお母さんの言葉? わからない。さっきからわからないことばかりだよ!

 やめてよ、ルイが知らないことばかりだ! いやだよ、気持ち悪いよ! 誰か、助けてよ!


「……くっ……貴様っ……ブランザ様って……どういうことだ! ……何の話をして……!」

「――ウリウリ!」

「……貴様は……誰だ! 何故、フルオリフィア様と似た顔をしている……!」

「わたしは、メレティミ・フルオリフィア! ブランザ・フルオリフィアの娘! そして――」


 メレティミ・フルオリフィア――そう名乗った女の子は1度目を閉じて、またウリウリを見た。


「――たとえ忘れられ、憎まれてもウリウリア・リウリアをこの世の誰よりも信愛している天人族よ!」

「なんだと! どう、どういうことか説明を――」

「……っ……リコちゃん行って!」

「みゅう!」

「……リコ、なのか!?」


 イルノートが戸惑いの声を上げる。

 リコ……聞いたことのある名前。どこだっけ。いつも一緒にいた子の名前だったような……思い出せない。

 わからない。知らない。思い出せない。

 ないないばかりでルイを苦しめないでよ。


「ああっ……ううっ……ぐすっ……なんで、ルイ……もう……やだ……」

「だ――! 泣いてないでさっさと逃げる!」

「みゅー!」


 2人を乗せてライオンは舞台から飛び降りると、今までずっとルイたちを見ていたみんなの中を泳いで逃げてしまう。

 舞台下は凶暴な魔物が走り回ったおかげで、大混乱が起こっていた。

 エネシーラ長老の一声で兵士たちが2人の後を追おうとするものの、混乱した人たちが邪魔して思うようには進めていない。


「……シズク」


 広がる騒動を尻目に、ぼくは舞台の上にばらまかれた黒髪を掴んだ。また勝手に口が彼の名を呼ぶ。

 真黒で艶のある綺麗な髪だ……ああ、あたまが痛い。ずきずきする。

 未だに片目からは涙が流れていて、ぼくは、ルイはどうしてか掴んだ髪を胸に抱きしめてしまう。


「シズク……」


 今度は、自分の意志ではっきりとその名を口にする。

 もう片目から涙は出ることは無かった。勝手に口が動くこともなくなった。


「……シズク」


 もう1度、彼の名前を口にする。

 今度はぼくの両目から涙がこぼれた。

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