第174話 祝儀
晴天とはいかないものの、雲の切れ間から顔を覗かせる太陽は微笑むような暖かな光がユッグジールの里へと降り注いでいる。
青葉を茂らせ始めたケラスの木々に囲まれたユッグジールの里の中心、世界樹の下に広がる神域の間には里に住まう者たちで溢れていた。
今年最後の神魂の儀は特別な催し物が行われる――天人族を除く、他3種族たちは当日になって今回の祝儀について説明がされた。その為、大半のものが普段通りの装いであったが、事前に話が通っていた各部族の長や、位の高いものたちはしっかりと身なりを整えていた。
中でも壇上にいる普段から見慣れた天人族2人がいつもの正装とは違い、純白の晴れ着に身を包んでいることで、特別な催しの説明を受ける前から感づくものも多かった。
「今日はこの場を借りて我ら天人族を代表する2人の祝儀を行わせてもらいたい。ぜひとも里の者たちには、2人の門出を祝ってもらいたい」
壇上から高らかにエネシーラ長老がそう公言すると、一部の里のものたちがざわめきだした。
顔をしかめ、機嫌を損ねるものもいたが、全体で見れば思いのほか、否定的な雰囲気は流れなかった。
それも里において娯楽や刺激といったものは少なく、この神域の間に集った多くのものにとって、神魂の儀という集会を大方、祭り事として捉えられていた為でもある。
しかも、今回は今年最後の神魂の儀。
いつもならば桜が咲いたころに始まる祭事が、なかなか開催されないとやきもきしていたものも多かった。
年に4度のお祭り騒ぎに祝儀も合わさったとしたら、それはそれで面白くなると考えるものが大半だった。
「――――!」
誰かが拍手を上げれば、つられた大勢のものがそれに続いた。
甲高い口笛を吹いたり、中には魔法を使って空へと水鉄砲を放ち、負けじと誰かは火を噴き放った。
里のものたちの反応にエネシーラ長老は微笑を浮かべて一礼し、舞台の右翼側に置かれた自分の席へと戻った。
着席する前に天人族の長は、左翼側に鎮座する他部族の長へと頭を下げた。
各長の後席には今日、神魂の儀で演舞を披露する部族ごとの代表が腰を掛けている。
他種族である彼らの視線を集めながら、天人族の長は自分の席に座った。
今回の祝儀について事前に知らされ承諾もしていたが、各長たちの反応は様々だった。
いつも通りふんぞり返っている鬼人族の長は、椅子に座って鼻息をふんと噴かせる。
亜人族の長は若干不機嫌そうに、むっと眉間に皺を寄せるも、直ぐに表情を引き締めて視線をまっすぐに向ける。
新婦と1番親しかった魔人族の長は、小さく微笑を浮かべて髪を搔き上げるだけ――魔人族の長であるアニス・リススは薄らと笑って、口を開いた。
「……さあ、幕は上がった。君はどう行動に出る?」
「あん、何か言ったか?」
「独り言さ。そんな大きな声を上げては式の進行を妨げてしまうよ」
「けっ……言ってろ」
「2人とも、静かに」
2人よりもひときわ大きな声を上げる亜人族の長の注意に苦笑しながら、彼らは口を閉ざし舞台の中心に座る今回の主役と言っていい2人へと視線を向けた。
式の進行は新郎の父であるディルツ・ドナによって行われ、簡単な自己紹介と祝辞を述べ、早々に今日の主役である2人の紹介へと移った。
最初に新郎として紹介されたのは四天であるライズ・ドナだ。
何度と人目に触れているというのに、この日に限って彼は普段とは違い、顔を強張らせて真摯に眼前を見つめ続ける。
前に1歩出て、1つお辞儀をしてゆっくりと後ろに下がった。
「……ドナくん。緊張し過ぎ」
「うっせ」
続いて新婦として名を呼ばれたのはルイ・フルオリフィアだ。
彼女に緊張といったものは無いが、なぜ自分がここにいるのかもわかっていない様子で、きょろきょろと落ち着きなく視線を動かした。
化粧を施された綺麗な顔を曇らせ、不安げに後ろを振り返り、他の四天やライズの両親、ウリウリア・リウリアの隣、最後に親族席の端に座る銀髪の覆面男……イルノートへと視線を向けるも、彼は小さく頷くだけに反応を留めた。
ルイは少し悲しそうに眉をひそめて前を向き直す。
眼下から自分を見つめる人たちに小さく首を傾ける程度にお辞儀をした。
「フルオっ……リフィア。きれいだよ」
「……?」
その後は各長たちによる訓示が読まれ、各部族事の催し物を先頭として式が始まりを迎える。
まずは亜人族たち、鬼人族、天人族、魔人族といつも通りの流れで里を担う若い世代の子らが、おのれの身体と魔法を使って次々と魔法を放っていった。
各部族が披露する演舞は今回に限ってはライズとルイの2人に“はなむけ”という形での披露として紹介された。
これは事前に各長より代表たちに「今日ばかりは2人の為に舞ってくれ」と伝わっていた為、誰も難色の色を示さずに概ね承諾をしてもらっている。おかげで普段通りの……もしくは普段以上に力のこもった演舞を里のものにも、2人にも披露することになった。
舞台上右翼側、来賓席に座るチャカ・フラミネスは「私たちもやりたくなるよね! なるよね!」と振り返り、里の代表として後ろに座るネベラス・レドヘイルに伝えれば「……僕はまだ現役」と小さく返した。
各部族の演舞が終わった後、その後が2人の式の始まりだった。
父ディルツの声のもとライズは立ち上がり、ルイがイルノートに言われるままに遅れて席を立ち、2人並んで前へと進み舞台の中心に立った。
エネシーラ長老直々による祝詞を詠み、2人は黙ってその言葉に耳を傾ける。
歌が詠まれる間にシンシアが脇より出でて、盆――
彼女はいつもの給仕服とは違った真っ白な装束に身を包み、2人の前で屠蘇器を置きながら膝をつき、屠蘇台に乗っていた銚子を持って、盃へと注いでいった。
そして、顔色を変えないままにライズの前へと盃台をかかげて、盃を取らせた。
「……」
ライズの持つ盃には煮詰められた赤い樹液が波を打っている。
赤い樹液を唇に触れさせる程度に口に含み、その後新郎は新婦へと口移しで赤い液体を与える。
注がれた赤い液体を血と捉え、お互いの唇から身体に流し込むことで血縁を持つ――そう天人族では夫婦の契りを交わす。
ライズは1人酌まれた盃を見つめた。
顔を上げ、盃に樹液を注いだシンシアへと……そして自分の父であるディルツへと視線を向けた。シンシアの表情はいつも通りだった。父は満足そうに頷いでいた。
もう1度シンシアを見れば、瞳の奥が揺れていることに気が付いた。……が、視線はさっと逸らされる。
『……ドナ様。口に含むのは僅かでいいんですからね。えぐ味が強いので顔をしかめたり、栗鼠のように頬を膨らませてはみっともないので、お気をつけて』
……ふと、リハーサルで何度とシンシアに注意されたことが思いだす。
その時のシンシアはルイの代わりに新婦役をディルツから頼まれて引き受けていた。ライズは口付けの寸前までの工程を彼女と共に学んだのだ。
「わかってる」
僅かに舌に触れるだけで眉をひそめてしまいそうになるが、ライズはどうにか堪え、数滴ほどの樹液を口にした。
盃をシンシアに預け、ライズは立ち尽くすルイに近寄り両肩に手を添える。
その後のシンシアは後ろに下がり、地に伏せるように頭を垂れた。
見たくないという意思表示のように捉えたのはこの壇上にいるライズだけだろう。もうライズはシンシアを見ることはやめた。
代わりに視線を向けたルイも変わらずだった。いや、何が行われているのかもわからないと怯えてるようにも見え……普段とは違った彼女だった。
(フル……?)
ライズにとって現在のルイは自分が知るフルオリフィアと別人のように思えてしかなかった。
本当に“これ”が自分と、フラミたちと長年共にした仲間だろうか――疑問は生まれるが、口の中で揺れる苦味に肩を叩かれ、雑念を払うかのように考えるのをやめた。
ここから逃げたくて仕方ない。それは出来ないから、せめて今は式を終わらせることを優先する。
ライズは意を決し、そのまま顔を傾けてルイの唇へと近づける――僅かに決意が鈍る。
何を迷っている。
口付けなんてもう何度とだって行った。背後で頭を下げている女性と何度だって……シンシアの顔が浮かび、ライズは目を強く瞑って追い払う。
それでもまぶたの奥のシンシアは消えず……けれども、頭だけはルイへと傾けて近づけていく……。
そして、ルイとライズの、お互いの唇が触れる。
――その時だった。
『――――っ!』
魔人族が集まっている客席の方が急にざわつき始めたのだ。
騒ぎに反応してライズは首を倒すのをやめ、目を開けて音の出所へと顔を向けた。
(なんだ、あれ……)
この場を埋め尽くしていた民衆の後列の方から、小さな空洞を中心に人垣は割れ始める。
移動する小さな空洞の中心にいる誰かが、こちらに向かってきているようだった。
喧騒はその誰かから広がりを見せ、鬼人族、亜人族、そして、天人族へと伝わり、誰だなんだと式の進行は止まるほどになった。
(いったいなんだっていうんだ?)
ライズは訝し気に、よおく目を凝らしてその騒ぎの中心にいるその人物を見た――。
「……は?」
その中心にいたのは1人の女だった。
魔人族だろうか。胸元をきっちりと絞めた着物を纏う女だ。体型に凹凸はさほどないものの、帯によって締められた腰は細く、華奢な身体つきをしている。
肩にかかった赤いショールは、彼女が1歩進むたびに僅かになびいた。前で組んでいる右手に指輪が2つ、手首に1つ腕輪がはまっている。
最後に、首元には黒い宝石のかかったペンダントが揺れていた。
香油の塗られたかのように艶やかな長い黒髪は、顔半分を隠し、後は1つに束ねて首から肩、前へと流れている。
隠れていない顔半分の上にある切れ長の眼、淡い紫が塗られたまぶたの下の、大きくも鋭く光る瞳が、新郎たちを射抜き――髪の房からも覗かせ、2つとなった双眸は壇上にいる彼ら2人をぎっと捕え続けている。
赤く朱の乗った唇はなわなわと震え、笑っているのか、怒っているのか。どちらとも捉えられるように揺れている。
騒ぎの中心にいる女は、自分よりも年下だろうか。
背丈で言えばライズよりも低いが……いや、どうだろう。背は低くとも、年上のようにも見える。
天人族である自分を含め、魔族の見た目に年は関係ない。
「……きれい」
ぽつり、と隣にいるルイが呟く。
ルイが言わなかったらライズが漏らしていただろう。いや、どちらかと言えば口の中に入れていた樹液を飲み干してしまうところだった。
美しい――とライズも素直に思った。
しかし、同時に恐ろしくもあった。
誰も彼女の進行と咎めないのは皆がそういう感情を抱いた結果からかもしれない。
黒髪の女は人垣の割れた道を歩み続けた。
からんころん……地面を蹴る草履の音だけがこの場を支配する。
彼女の中心から喧騒は広がり、静寂が包み、彼女を中心に人は動き、人は止まり――いつしか、時間が止まったかのように、誰もがその場で息を呑んで今回の主賓である壇上の2人よりも、彼女の行動に目を奪われた。
この場は、人垣を裂いて歩く黒髪の女の足音2つに、息を吞んで見つめる人々の息継ぎが僅かに囁く。
この場の誰1人として、彼女の行動を止めるものはいない……いや、数人だけ彼女を見て反応を起こしたものもいる。
「ほぉ……」
ひとりは同じく壇上に座っていた魔人族の長だ。アニスは一瞬、身体を震わせたが、くすりと笑って顔を引き締めた。
ひとりはこちらに向かってくる黒髪の女……を追いかける、フードを被って顔を隠している少女だ。
僅かにのぞかせる青髪の房を揺らしながら、少し遅れて黒髪の女の後をそそくさと続いた。
そして、もう1人は……ライズたちの後ろにいる顔を隠した天人族の男だった。
彼は座っていた椅子を倒しながらも立ち上がり、なわなわと震えてこちらに向かってくる女を見ていた。
「……あれは……そんな……生きて……いや、馬鹿な……っ……お前は……お前は死んだ……っ!?」
「……っ……なんだ。あの者は……フォロカミ?」
隣に座っていたウリウリアが倒れた椅子の音で正気に戻り、またイルノートの反応によってようやく声を上げた。
黒髪の女はようやく人垣を越えて舞台下まで辿り着くと、足を止めて新郎と新婦を今1度見上げて凝視する。
鋭い双眸による睨みを受けて、ライズもルイもぶるりと肩を震わせた。
ひと際自分が睨みつけられているような気がしたが、心当たりなんてものは何1つとしてないと、ライズは眉をひそめ、またも口の中の樹液を飲んでしまいそうになる。
ようやく追い付いたフードを被った少女が女の肩を掴み「ばっ」と大声を上げ、直ぐに女の耳元に顔を寄せて、囁いた。
その娘は黒髪の女よりも体格は十分に女のそれをしていたが、彼女に比べてしまえば少女と言っていいような雰囲気を持つ。それも両者が着ている衣服による印象からだろうか。
きっちりと整った和服に身を包んだ黒髪の女と比べ、肌の露出が多いことで少女っぽく感じたのかもしれない。
囁きを受けた黒髪の女は2人に向けていた視線をその少女に向け、赤い口元が小さく紡ぐ。
その後、またも壇上の2人へと向き直すが、先ほどとは真逆ににっこりと笑って、手を差し伸べた。
女の口が開く。
「――……わかるかな。僕だよ。シズクだよ……ルイ」
その声にびくり――とルイがまたも震えを起こした。先ほどまで見蕩れていた表情は無く、そこには恐れが浮かぶ。
シズクと名乗った黒髪の女はまたも壇上に向けて一歩一歩、前へと進む。背後の少女が肩を掴んで制止を行おうとするも、直ぐに手で払って前に出る。
とん――と予備動作もないままに跳躍をし、舞台上へと黒髪の女は舞い降りた。
そして、2人へと……ルイへと手を伸ばした――その時だ。
「……シズク!」
途方に暮れていた2人の視線を遮るように、彼らの前に誰かの背中が入り込む。
銀髪の天人族がルイを庇うように立ち黒髪の女と対峙したようだ。
からっ――足を止め黒髪の女は銀髪の覆面に視線を向けた。
一瞬、女が首を傾げ「なにそれ」と声を上げる。
指摘されたからか、銀髪の天人族は自分の顔を覆っていた仮面を取ると、女がふふっと小さく笑う。
「ああ、やっぱりだ。だと思ったんだ」
「お前……」
背後にいるライズには銀髪の天人族、イルノートの顔は見えないが、見守っていた民衆の――天人族の中には悲鳴を上げるものもいた。
褐色の、イルノートの肌を見て怯えを上げる民衆の悲鳴はあったが、事情を知らない魔人族や鬼人族の1部からは驚愕交じりのため息も漏れる。
民衆の喧騒に全くと意を返さずに女は続けた。
「……イルノート。久しぶりって言うんだよね」
「……生きて、生きていたんだな」
「うん……地獄から戻ってきたよ……――なんてね」
と、シズクという女はひとりで小さく笑いだす。
そして、次第に、あははは、と腹を抱えるほどに大袈裟に笑いだす――しかし、目は笑っていないのをライズも、イルノートもわかった。
「……イルノートにも用があったんだ」
「私にも……か。私に復讐しようってことか?」
「復讐? 違うよ。僕はそんなこと考えてない。もっと別のことだよ。その用って言うのはイルノートを悲しませるかもしれないし、怒らせるかもしれない。だけど、僕は伝えたかった……いや、ううん。その話はまた今度ね。……イルノートには悪いけど、今用があるのはルイの方だよ」
「ふっ……だろうな」
女は目を閉じて、小さく首を振った。
「……最初はさ。嫌だったけどルイが幸せになるなら2人の結婚もそれでもいいって思った――いや、思うことにしたんだ。ルイの幸せのためなら見守ってあげようって……嫌だけどね」
ルイの幸せのため――ライズはその言葉にはっとした。
思えば、自分は自分のことしか考えていなかった。
里の為とか、四天だからとか、シンシアが好きとか。さんざん頭を悩ませていたと言うのに、自分の妻となるルイのことなんてちっとも考えてはいなかったのだ。
自分勝手な考えに恥じて、ライズはそっと視線を逸らす――そんな新郎の心情なんて露知らず、2人は話を続ける。
「そうだ。ルイの幸せを望むならそのまま身を隠していればよかったんだ」
「は……? イルノート……ふざけてるの? 馬鹿言わないでよ……なに、それは? そのルイのどこに幸せを見出せって言うんだよ! ルイ、全然幸せそうじゃない! さっきからイルノートばかり気にして落ち着きが無くて、自分がどこに立ってるかもわかってないじゃないか! こんな不安そうなルイなんて初めて見た……これじゃあ、あんまりだよ……っ!」
悲しそうに顔を歪ませるシズクだったが、直ぐに笑みを浮かべて手を掲げる。
向けた先はイルノートの背に隠れ怯えているルイだ。
「僕はこの結婚には反対だ。ドナ君には悪いけど――僕はルイを奪っていくよ!」
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