第173話 挙式前日の新郎

 燭星899年12之月、晩春。

 ケラスの花はところどころで散り始め、衣替えを始めようとしている。

 通年なら12之月の初め頃は夏季だ。今季は少しばかり春が伸びた為、夏季が短くなると予想されている。

 レドヘイルさんは夏が短くなったことで農作物の収穫量を心配してるが、そこは担当である亜人族たちに全部責任を押し付けろよ――なんて昔の俺なら思ったんだろう。


(いや……今でもほんの少しくらいは思ってしまうけど、四天長(見習い)である俺がそんな私情で物事を捕えちゃいけないよな)


 俺らがいるゲイルホリーペって大陸は、1年間に四季が4度回るので、良い具合に作物を育てることが出来るらしい。だが、ここからずーっと遠くの、東の方にあるエストリズ大陸ってところは、四季は1年に1回ずつしか来ないと聞く。

 着替えとか楽そうだよな……って俺個人の感想はいい。

 俺らが良い具合に作物を育てられる環境にいても、総合的な収穫量は地猿たちには勝てないそうだ。

 ま、上は年中雪だらけ、下は蒸し焼き地獄。南北の極端な両大陸や、そのエストリズ大陸ってところに比べても、ゲイルホリーペは遥かに住みやすいはずだ。


「……はあ」


 いや、メシやら地猿のことは何でもない。

 だから、もうこの時期といったら夏なのだ。なのにまだ春が残ってて、今日着る服をどうするか毎日悩む。

 年中同じ格好でいることが多い四天や四天見習いの俺らであるが、勘違いだけはしないでほしい。


 他の天人族の奴らは長袖・半袖とその日に合わせて着替えるのと同じく、俺らもその日に合わせて生地の厚さが違う衣装を着ている。

 今の時期は薄着にするか厚着にするかと悩む。時たまだけど、ふつーの服だって着ることもある。


 しかし、今の俺は服選び以上に面倒で、間もなく訪れる夏の暑さに管を巻く以上に憂鬱になる問題を抱えている。


「曇りかぁ……」


 外は俺の心情を写したみたいな生憎の空模様だ。明日はだっていうのな。

 あーあ、もうすぐ夏だっていうのに朝は寒いしよお……。


「……フルオリフィア様がお帰りになられてから、お会いになりましたか?」

「……いや、会ってない」


 ……曇り心の原因その1であるシンシアに俺は振り向くこと無く答えた。

 なぜ振り向かなかったっていうのは、今のシンシアは昨晩と同じ、毛布をかけただけの全裸だからだ。


「ご結婚、なされるんですか?」

「親父たちが決めたことだ。いまさら俺がとやかく言えるもんじゃない」

「……意気地なし」

「……言ってろ」


 俺は箪笥から服を見繕いながら口にして……ああもういいや。面倒臭くなって、最後に掴んだ薄着の衣を取りだすことにした。

 昨日だって朝はすっげぇ寒かったのに、昼間は薄らと汗かくくらいに温かくなった。これで期待外れと寒かったら、風邪を引いて明日の予定を伸ばす口実にもなる。

 ま、実際延長するだけだし、結婚する事実は変わんねえつーか、熱どころじゃ親父は絶対に式の延期だなんて聞きやしない。


(……いや、ここで欠席したところで俺の評価だけじゃなく、四天の評価が里全体でダダ下がりするだ)


 そればかりはもう俺個人の問題や我儘で通る話じゃない。

 じゃあ、体調を崩さない為にも念を入れて厚着にするかって……えーっと、どこだ?

 そうこうして箪笥の中をぐちゃぐちゃにしていると、手伝います――なんて、シンシアは俺に近寄り、わざとらしく接触してくる。

 遮るもののない、素肌のままの胸を押し当ててくる。


「……っ!」


 いい加減にしろ! と声を荒げてしまいそうになるが、その前に俺が飛び跳ねて、シンシアから距離を取るのはいつものことだった。


「もう何度だって触っているじゃないですか」

「それとこれとじゃ違うだろ!」

「では教えてくださいませんか? 撫で、触り、舐め、吸い……毎晩、ドナ様から手を伸ばすのに、私からはいけない……私にはどう違うのか理解できません」

「今が朝だからだろ! 不健全だ!」

「……でも、その下のものはそうとは言ってませ――」

「だ、黙れよ! お前は恥じらいってものがないのか!」


 指摘された途端、思わず内股気味に、中腰になりながらそこを隠してしまう……つーか、おい、シンシア。

 お前が先に言いだしたっていうのに、恥ずかしそうに頬を赤くしてるってのはなんだよ!

 お前だってに見慣れてるだろに、その反応は何だ。

 おい、ちらちらと見るな。俺が恥ずかしいんだっつーの。

 ……と、これ以上突っつくとドツボに嵌りそうなので、シンシアの態度に関して俺から指摘するのはやめた。


 元気なのは朝だからって言い訳したいけど、今回のコレはもろに今の接触が原因だ。

 俺の自制心ってやつはシンシアの裸を見たらすぐに崩壊してしまうほどに脆い。

 だから朝もなるべく隣で寝てるシンシアには目を向けないように努力している。じゃないと、朝起きて直ぐにシンシアと……現に今までに何度も敗北している。


 ――シンシアとはもう、毎晩と肌を重ねる関係になっている。


 そして、俺はシンシアに気持ちを前以上に寄せる結果になっていた。こんなの最悪だ。


(明日にはフルと夫婦になるっていうのに……だめだ。だめだ。だめだ)


 ……駄目だ、と自分に言い聞かせてもやめられない。

 口では何度も拒絶しつつも俺はあの日以来、毎晩とシンシアを抱き続けた。

 抱き続けた理由なんて簡単だ。ただ性欲に負けただけ……いや、本音を言えば――単純な俺はシンシアのことを本気で好きになっていたからだ。

 最初はそれこそ好意よりも性欲が優っていた。

 自分では帰れとシンシアを追い払おうとしても、性を知った後の俺は軽く押し倒されようものなら、直ぐに手も足も身体も、全部シンシアに向かった。


 シンシアのことなんて最初は美人で可愛い俺の従者ってくらいにしか思ってなかった。

 そして、次第に本性が見えてきて、嫌なやつだ、口うるさいやつだって、正直うんざりしていたくらいだ。

 だけど、突然求められ、嘘か本当かわからない告白を受けたことから自体は一転した。

 嫌なやつって思いながらも、内面はとても可愛い女の子であるを俺は知ってしまった。

 そして、日に日に、嫌なシンシアを俺自身が嫌じゃなくなっていった。


 仏頂面で口やかましいシンシアは、以前よりも女らしくなったフルと同等の美人で、さらに言えばフラミが泣いて羨ましがるくらい出るとこ出てて、引っ込むところは引っ込んでて……って比較する対象が長年のツレしかいないけど!


(時折見せるシンシアの石膏の崩れた笑顔やら、夜に見せる普段とは違った女の部分とか……もう!)


 嫌なところも良いところも全部ひっくるめて、俺はシンシアに惚れ込んでいた。

 きっかけはあの晩からだけど、あの晩からシンシアは俺の中で大きくなりすぎていて、もう他の女が入る余地なんてないくらいだよ。


(シンシアが何か、腹の中に隠しているのも勘付いているさ。今もわからないままだけど……けっ、何か企んで俺に近づいてきたって言われたとしたら、そりゃもう成功だよ。完全にシンシアの思うつぼってやつだよ)


 今この場で、実は騙すために慕ってたーって、言われたら俺はもう立ち直れないほど気落ちするだろう。

 それでも、もう言ってしまいたい。


(――共になるなら、妻に迎えるならシンシア。お前がいい。お前が好きだ)


 だけど、それは言えねぇんだ。

 全部余すことなく内情をぶちまけてしまいたい、ってところをぎりぎり踏ん張って堪えている理由は、俺が四天だからだ。


 四天だからこそ、里のためにも俺はシンシアとは一緒になれない。

 四天だからこそ、俺はフルと夫婦の契りを交わす――。


「……ふんっ」

「ドナ様……」


 下のものは無理やり下着に押し込んで、せっせと袴をはき締める。無理やり押し込めたので腹を圧迫されるような痛みがあるけど、今の劣情を鎮めるには丁度いい。

 手伝います――と、今度はおふざけ無しの、いつもの従者としてのシンシアが長着を広げてくれたので、彼女の手を借りながら袖に手を通した。

 もう“誘惑”するのはやめてくれたらしく、薄いシーツを身体に巻いて、ある程度の慎みを持ってくれる。

 最後に角帯を締めていたところで背後からぼつりと彼女が囁く。そっと指で背中をなぞられた。

 

「……もう、終わりですね」

「……っ」


 ほら、言った通りだ。そんな短い言葉が俺の胸を深く打つ。

 この関係が終わるってだけで俺は締め付けられる胸の痛みに震えてしまう。

 胸は痛くて痛くて、せっかく出したばかりの服も、自分で握って皺を作る。

 痛い。シンシアの一言に身体がバラバラになりそうだ。

 この関係が不自然だったんだ。何を当然のことでここまで胸を痛める?

 夫婦でも、ましてや恋仲ですらなかったというのに関係を持ち、自分勝手な肉欲に身を任せた結果がこれだという――その時、俺の中でどす黒い欲望が囁いてくる。


(……いや、よく考えてみろ。シンシアはきっとこれからだって俺を求めてくるはずだ。結婚してもこのままの関係を続け――)


 何を考えているんだ。

 馬鹿か。こんな最低な俺を自分で首を絞めて殺してやりたい。


 ――俺は四天だ。


 まだ殻付きのひよっ子だけど、心構えなら自覚する前から多少なりとも持っていたつもりだ。

 天人族の仲間たちを、そしておまけ程度に鬼人族や魔人族、亜人族たちだって導き、手を伸ばさなければならない崇高な立場にいるやつが、そんな考えを起こすなんて最悪も最悪、反吐が出る。

 だけど、


(反吐が出るほど醜悪だっていうのに、俺は、俺はシンシアを諦められない手放せな――……っ!)


 黒い渦を巻いていた醜い思考が一気に消し飛んだ。

 だって、


「お前……」


 シンシアが、あの石仮面が両目から涙をこぼし始めたからだ。


「なんで……なんで何でお前が泣くんだよ」

「……え?」


 お前は、いつだって無表情で、感情なんて滅多に表に出さないのに「あれ……?」なんて自分がどうして泣いてるかわかんねえって顔して……直ぐに夜くらいしか変わらない顔を崩してよ。

 シンシアは俺に見られたくないとばかりに顔を手で隠した。

 そして、立ってることも出来ないのか、膝をついて、肩を震わせて、子供みたいに泣いて……なんでだよ。わけわかんねえよ!


(……だけどよ)


 ……放っておけねえよ――なんて自分でも驚くくらい自然と蹲る彼女を抱きしめていた。


「……やだ……やだ。ドナ様……結婚しないで……」


 腕の中でぐずるシンシアはもうただの女の子だった。

 なんだよ、その反応は……お前はそんな反応、標的の俺に見せちゃいけないだろ。

 何か企んで俺に近づいてきたくせに、なんだよそれ。これも演技なのか。もう演じなくたって俺はすっかり騙されているんだぞ。一度だって言ってないけど、お前にすっかり入れ込んでて、完全に惚れてるんだぞ。わかってんだろ。俺の気持ちなんて……なあっ、シンシア!? ああっ、くそっ!


「何でっ……っ……お前、俺なんかがいいんだよ」

「ドナ様だから……いいんです」

「わけわかんねえよ。俺とお前、初対面みたいなもんだったじゃねえか……そんな奴と……もういい加減話せよ! お前一体何が目的なんだよっ、お前、どうして俺に近づいてきたんだよ!」

「それは……ドナ様の家に預かってもらって……」

「そうじゃねえよ! それと一緒に寝ることは全然ちげえじゃねえかよ!」

「……きっと本心を明かせばドナ様は私を軽蔑するでしょう。しかし、その本心の中には、貴方を本気でお慕いしているという気持ちがあることは、確かです。……聖ヨツガ様にも誓って、嘘ではありません」


 聖ヨツガ様と来たか。

 なあ、シンシア。それを口にして嘘だったって言ったら、お前もう後には戻れないんだぞ。

 聖ヨツガの名のもとに誓いを立てて、それが嘘だって言ったらお前はもう、天人族としての誇りとかなんかを捨てるほどの醜い女ってことなんだぞ。


(……じゃあ、なおさら、わからねえよ。聖ヨツガ様に誓うほどに俺を慕ってるっていう理由が、俺にはわかんねえよ)


 俺はシンシアとの抱擁を外し、涙に濡れたシンシアの顔を見つめた。


「俺とお前の接点なんて今まで何1つとして無い。なのにお前は俺が好きだっていう。そんなの信じられるか」


 そこでシンシアが驚いた顔を一瞬して、またも悲しそうに眉を下げる。

 覚えてないですよね――と、言われても何が何だかさっぱりだ。


「……幼い頃に、1度だけですが……私はドナ様とお話をさせてもらったことがあるんです。……もう10年は前のことです」

 

 1度だけ話をした? そう言われて頭を捻る。

 ……ああ、俺が小さい頃に、って話を、従者としてシンシアを紹介された時に聞いたっけ。


「……1度だけ会ったことがあるんだったな。悪ぃけど、俺は覚えてない」

「謝らないでください。たとえ十華の娘だったとしても、ドナ様にとって私は里に住まう数多の天人族の中の1人。覚えていなくても当然でしょう。……ですが、貴方にとっては数多の中の1人との交流だったとしても、私自身は忘れたことなど1日もありません。……私は貴方に1度助けてもらったことがあるんです」

「俺が?」

「はい……と言っても兄妹喧嘩の仲裁みたいなものです。しかし、ドナ様に助けられたことで、あの日の私の心がどれだけ救われたか……言葉に出来ないほど感謝していたんですよ」


 喧嘩の仲裁? そんなことあったか? と、潤むシンシアの瞳と、俺と同じ金色の髪を見つめて、頭を巡らせ、うーん……と唸って、数秒かけて……。

 ……ああ。

 俺はとある金髪の女の子と、ほんの少しだけだが交流したことを思い出せた。

 思い出せたのは、同年代との付き合いが四天のあいつらしかいなかったことも幸いしたかもしれない。

 フル、フラミ、レド兄、弟のレド。この4人以外で俺が話した覚えがあるやつ……と、思いだしたのがその小さな金髪の少女だ。

 つまり、あの子がシンシアってことか。


「確かあの時は……」





 ――当時、幼かった俺は親父の付き合いから十華の一人であるロレイジュ家に赴いていた。

 仕事ばかりで全然構ってくれなかった親父に対してむきになり、無理を言って自分から着いていったんだ。


(そうだ、だんだんと思いだしてきた)


 だけど、まっ、大人の難しい話に耐えかねた俺はロレイジュ家から飛びだして……直ぐに、裏庭の先の雑木林の方から、女の子の泣き声を耳にしたんだ。

 どうしたって声のする方向へと向かったら、俺よりも年上っぽい黒髪のガキが俺よりも年下の金髪の少女が髪を掴んで引っ張っているところを目撃した。

 親父に相手にされなかったことの鬱憤もあって、またぴーぴー泣いてる女の子を見てか、俺はちっぽけな正義感から止めに入ったんだ。


(……あー、なんか恥ずかしいな。思い返せば、あん時の俺って、魔法が全く使えないフルをからかってばかりしてたんだよな。自分よりも年下をいじめるそいつと大差ないってのにかっちょつけて……)


 ごほん……。

 最初はこっちを見て、お前は誰だ、勝手に人の庭に入ってるな、とか、黒髪のガキも横柄な態度を取っていたが、俺がドナ家の子だとわかるとあっさりと手の平を返すみたいに平謝りして、尻尾を巻いて逃げだすようなやつだったっけ。

 後はもう泣き続ける女の子……シンシアと俺だけが残って仕方なく、慰めてやることになったんだ。


『もうやだ。かえりたくない』

『そういうなよ。ほら、もうすぐごはんの時間だろ? 帰らないと父ちゃんも母ちゃんも心配するぞ』

『……シアのことなんてパパもママもどうだっていいんだよ。しごとが忙しいって話もちゃんときいてくれない。かえってきても全部おにいちゃんの相手ばっか……シアなんていらないんだ。シアはいつもひとりぼっちだもん! 家族なんていないんだもん!』


 さっきの黒髪のガキ――3つ上の出来のいい兄にばかり気にかけて、シンシアの両親たちは彼女のことを蔑ろにしがちだったらしい。

 兄は兄で日頃から泣き虫なシンシアにちょっかいを出してはいじめてばかりなんだそうだ。

 また、兄からのちょっかいも両親もただの兄妹喧嘩くらいにしか思ってないらしく、強く叱ろうともしない……そして、この日の兄はすこぶる機嫌が悪かったらしい。

 それが紆余曲折あって先ほどの場面に繋がるとか。


 1人ぼっちだとか、帰りたくないとか。目の前でピーピー泣き出すシンシアに正直、俺は参ってしまって……でも、その時の俺ってばシンシアに共感しちゃったんだよな。

 仕事ばかりで相手をしてくれない父親を持った俺も気持ちはわからなくもない。

 だからって訳じゃないけど、つい言っちまったんだ。


『仕方ねえな! じゃあ、お前は今日から俺の子分になれ! そうしたらあの兄ちゃんだってお前にちょっかい出してこねえよ!』

『こぶんってなに?』

『んー……まあ、お前はおれのものってことかな?』

『おれのものって……本当!? ドナさま、わたしをおよめさんにしてくれるの!?』

『あ、お嫁さん!? な、なんでそんなことになるんだ!?』

『だって、ママはパパにそう言ってもらったって! ママはよろこんでパパのものになったって! ね、およめさんでしょ! うん!』


 お嫁さんって話が飛躍過ぎていたが……まあ、こんなことで泣き止むならと、俺は頷いたんだ。


『お、おう! いいぞ。ただし、こんなことでベソかくようなやつはドナ家には入れないぞ!』

『え、ええ! そ、そんなぁ……グスっ!』

『ほら、また泣いたー! そんな泣き虫じゃ四天になる俺の嫁にはなれないからな! それならまだ能無しフルオリフィアのほうがまだましだ! あいつはどんなに俺が馬鹿にしても泣かないからなー! ま、ふくれっ面になって面白いんだけどよ!』

『じゃあ、もうシア泣かない! 強い子になる! そのフルオリフィアってやつにもまけない!』

『ああ、なれなれ。強くなってあんな兄ちゃんなんか逆に泣かせちまえ!』

『わかった! シア強くなる! だから、強くなったその時は――』


 ――約束だよ。


 なんて、向かい合って俺の右手と少女の左手で結びあって約束して――。





「……あ、ああ!」


 思い出した……あの時の女ってこいつか!

 え、嘘だろ? いや、いやいや! 全然違くね? ぴーぴーやかましく泣いてた子だったし、いやまあ今もぴーぴーやかましいのは変わらないが……。

 それにしたってこいつがいじめられて泣くような奴には全然見えねえし!


 お、おっと……冷静に冷静に。いたって平然を保つことを心掛ける。


「……あー、兄妹喧嘩っていうか、一方的に泣かされてた女の子をあやした覚えはあるな」

「はい。それが私です」

「……う、うん。ああ、確かに。うん、なんとなく面影があるな」


 面影はあるよ。金髪なところとかな。

 ただ、それしか思いだせないが……本人がそうだって言うのであればそうなんだろう。


「……忘れてたくせに」

「……すまん」


 別にガキの頃の話だからそんな責められても困る。つーか、あーもう、どうして思いだせなかったって……いや、正直その時の出会いとか約束の思い出以上に、強烈な思い出が次の日にあったからだ。

 これははっきりと覚えている。


 それは、魔法の授業の初めの瞑想中にフルが突然独り言を言いだして、それからブロス先生と何やら話し合った途端、急に魔法を使えるようになったことで周りを驚かせたんだ。

 しかも、呪文を唱えずにぽんぽんってよ……今まで馬鹿にしてたやつが自分よりもすごいことをしたって事実に俺は対抗心を燃やして……あー、無理だ。

 あの時の負けられねえって、いつも以上に魔法の練習に精を出そうとしていた俺がそんな小さな約束なんて覚えてられるほどの頭なんてしてないわ。

 うんうん。悪いのはフルだな。俺は悪くない。

 話を戻そう。


「……それで、結婚の話が出ると? 今もあの約束を覚えていると?」


 聞くとシンシアはぽっと照れ臭そうに頬を赤らめたが、小さく首を横へと振った。


「……子供の頃の話です。今更、真に受けてはいません。ですが、あの日のことがあったからこそ私は気を強く持てるようになり、兄から干渉されても耐えるようになりました」

「それは、よかったな」

「はい。実に簡単なことでした。兄のことだけではなく、その後も感情を表に出さないように努めれば、無闇に他人が寄ってくることも少なくなって……人付き合いが苦手だった私にとって、これには多いに助かっています」

「……は?」


 え、じゃあ、もしかしてこの石仮面も俺のせいだったり!?

 いや、そこはシンシアが悪い。何事も程度は大事だ。


「しかし――あの日以来、私は陰ながらドナ様のことを見続けていました。多くの民草の1人だとしても、ドナ様を想い続ける気持ちは変わらずにそこにありました。他の四天の子らとの付き合いの長さと同等にも私も貴方のことを見つめ、思いを強くしていたのです」


 胸の中にいるシンシアが俺の背に腕を回してくる。


「そして、今更幼い頃の約束を真には受けてはいませんが……こうして、私は貴方に手が届く場所にいます。私はこの里にいる誰よりも、貴方の近くにいると自負しています」


 もう離さないと――腕は強く俺を引き寄せてくる。


「愛しています。ドナ様。たとえ、貴方の隣に並べないとわかっていても……」


 シンシアは俺の胸の中で囁いた。

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