第170話 ……すまない

 我々、魔族にとって時間とは流れる水のように過ぎ去っていくものだ。

 心身の成長が止まった後ほど顕著で、変化のない環境に身を置くことで流れはさらに速まっていく。


 ブランザを押し倒したあの日から、罪悪感に喰らい付かれながらも私は変わらない日々を国が崩壊する最後まで流れるままに生きてきた。

 

 その後の王妃より授かった魔石を抱えながらの放浪の日々。

 魔力の弱まった魔石に狼狽える毎日。

 ユッグジールの里に嫌々と向かった足取りの重い道中。

 魔石を盗んだベルフェオルゴンと共に飛び乗った船の上。

 長い旅路の終着点、エストリズ大陸北方に位置するとある村の地下に作られた奴隷市場での生活……。

 そして、シズクとルイ――2人の誕生。


 最初に赤子のルイを見た時は他人の空似だと思わずにはいられなかった。

 似ているだけ。青髪の天人族なんて彼女の他にも無数にいる。


 ――ほら、目だって赤いじゃないか。全然、彼女の子ではない……。


 当時は私もルイの面倒を見ていたのだが、2人の顔立ちがはっきりとしてくるにつれて、彼らのいる物置には近寄れなくなってしまった。

 季節は巡りシズクたちが初めて大広間で姿を見せた時も私は冷静を保とうと振る舞いながらも動揺していたと思う。

 それだけ当時のルイは彼女の子供だと信じられる容姿をしていた。

 しかし、私は断固として認めるわけにはいかなかった。

 奴隷として売られた後も、従者として身を置いた時も、日に日にルイがブランザに近寄っていく中でも、私は決して認めたくはなかった……現実は非情だ。


 ――結局、ルイは彼女の娘だった。


 さらにレティと呼ばれるルイが探し求めていた少女もまた彼女の娘だったのだ。

 それ以上に知りたくないことまで私は知ってしまった。


 ――ランが既にこの世を去っている。


 魔石生成による衰弱死だとは、私の腹違いの妹にあたるウリウリア・リウリアから聞かされたことだった。

 彼女は私のことをランの知り合い程度に認識をしていた。

 そして、終始どす黒い憎悪を私へと向けていたことにも気が付いてはいた。

 憎まれる理由は多々浮かんだが、それに対する返答は一切せず「貴様は一体何者なのだ」という問いですら無言を通した。

 私はお前の兄だなんて言えるはずもなく、教えるつもりはなく、むしろそんな考えに至ることもない。

 それよりもブランザが子を成し、どういう理由か寿命を縮めてまで魔石を生成したことの方が重要だった。


 その時の私は彼女の死去に悲嘆し、その死期を止めさせた顔も知らない男を憎悪し、そして、ベルフェオルゴン様への憤りに身を焦がしていた。


 ――ベルフェオルゴン様。貴方によって窮屈な地獄から解放して頂いたご恩は忘れたことはありません。


 ――しかし、事実を知ったその時ほど貴方を恨んだことはありません。


 ――何故、ランの娘を私が育てなくてはならなかったのか。


 未だ恋焦がれ続けていた女と自分以外の男との間に結ばれて出来た子供の面倒を見ていたなんて、もしもベルフェオルゴン様がご存命であればふざけるなと怒鳴り散らしていたほどだろう。


 それだけ、彼女が他の男と共に作り上げた“愛の結晶”とやらを私は許すことは出来ずにいた――情けない話だ。

 きっと知ったら知ったで、私はなんとしてでも魔石を割っていただろう。

 自分で拒絶し、押し倒し、暴行を働いた相手に未だに情を懐いているのだから、安易に想像できてしまう。


『イルノート……シズクとルイを頼む。この子らを支えてやってくれ』


 我が恩師の最後の命にも答えることが出来ず、唯一甘い感情を募らせていた女の娘すら見殺しにして……私はもう生きていく意味を見いだせなかった。





 ラヴィナイを発ってから、毎晩と彼女は私の寝床へと足を運ぶようになった。

 明日の朝にはゲイルホリーペに着くとしても、その姿勢は変わることなく今夜も彼女は部屋に訪れ、私の胸に飛び込んできた。


「……もう、イルノートいなくならないでね」

「……わかった」

「ルイね。ひとりはやだよ」

「……ああ、もう1人にしない」


 穏やかな海原を進む船の一室で、壁を背に預けた私に身を委ねるルイの呟きに何度となく頷いた。

 今の彼女は、よちよち歩きだった頃や、無邪気に笑って走り回っていた頃といったあの日々での面影はまったくと残っていない。

 あどけなさを残しつつも今のルイは1人の女性と呼んでいいほどに成長した。


 あと数年ほどで彼女の成長は止まるだろう。

 そして、その変化が止まった先――私は彼女と再会することになる。


 ブランザ。

 私が初めて心を開き、知らずと恋焦がれ――穢してしまった女と。


 ルイを通してランがそこにいるように感じ、あの日犯した過ちを突き付けられる。

 その度に私もあの男と同じ血が流れているのだと思い知らされるようだった。

 しかし、私はルイを拒絶すること一切行わない。

 これは私に与えられた罰なのだ。

 きっと成るべくして成ったのだ。そういう運命のもとにいたのだ。


(そうだ。運命だ……運命の前には人は抗おうにも変えることのできない結末に向かっていくしかない)


 私如きがどう足掻こうとも決められた物事を靴返すことは出来ない。

 それはこの娘も同じなのだ。

 里に戻り他人に決められた男と契りを結び、そのまま天人族の礎とされていく。

 これがルイの運命というものだろうか。


(いっそのことルイという個すらも記憶の奥へと押し込み、自我の無い人形にでもしてしまおうか……きっとその方がルイは幸せになれるかもしれない)


 ……突然、ルイがくすくすと笑いだした。


「どうした?」

「ううん。昔のこと思い出したの」

「昔?」

「テイルペア大陸の荒野を横断している時にね。こうして2人で並んで横になって暑い暑いって喚いていたよね」

「…………地獄のような暑さだったな」

「うん、もうだめしぬーって……辛かったけど、楽しかったなあ……」

「…………ああ」


 ああ……楽しかった。

 シズクがいて、ルイがいて、2人の周りを駆け回るリコがいて……確かに、あの時のことを思い出せば、私は満たされていた。

 馬車の中でこの子と共に呻き声を上げながら暑さに耐えて、馬車の運転をシズクに、魔物はリコが率先して……よそう。

 もう彼らはいないのだ。


(私がリコを、そして、シズクとあの娘も……)


 胸の中で幸せそうに微笑むルイは、もうのことを覚えてはいない。

 シズク、ルイが扱うは理解すらできないものだったが、私がベルフェオルゴン様より教えて頂き、唯一習得できた闇魔法……“魅了”は相手の心を操る効果を持つ。

 この闇魔法を使い、ルイが持つ彼らの記憶を奥へと今まで封じ込めた。

 けれど、どうしてかルイはシズクのことを思い出してしまったので、今度は以前よりも強めに掛け直しておいた。しかし、シズクの記憶を以前よりも強く押し込めた結果、退行現象を引き起こしてしまったようだ。

 その為、今のルイは幼かった頃の様な口調になってしまい……シズクの存在がどれだけルイの人格に影響を与えていたのかがわかるというものだ。


「イルノート」

「なんだ」

「……もう、いなくならないでね」

「……ああ」


 そして、以前のルイに私はこんな風に甘えられたことは1度だって無い。いつだってその役目はシズクだった。

 彼女が喜べば同じように顔をほころばせ、彼女が怒れば同じく感化されて、そして彼女が泣いた時にはいつだってシズクが宥め包み込んでいた。


 5つか6つといったその歳にしては立派過ぎる振る舞いも、今となってはその種も明かされている。彼の中には別の世界から来た人間の魂が入っていたのだ。

 もともと中の人間が出来ていたのだろう。いつだって彼はルイのためにと、精一杯の努力をしているところを陰ながら見守ってきた。

 ルイを第一に考え、ルイの為に行動をし、そしてルイのことで感情を顕わにする。

 個人的に、ミッシングであることを抜きにして考えた場合、彼には好感を持っていた。

 ただ、もしも彼の姿勢の全てが、周りを欺くための演技だったというのなら……救いようがないほど性根が腐りきっていたやつだったと思うだけのこと。


(私の見る目もなかったというだけのこと……いや、意味のないことを考えたな……)


 もう、真相はわからない。

 シズクのルイに対する日頃の姿勢が素であろうと演技であろうと、彼はルイのためだけに生きてきたのは事実である――。


「……“アイシテル”」


 またも唐突にルイの口から言葉が漏れる。いや、音が流れた。

 言葉の様でもあるが、私にはその意味は理解できなかった。


「……アイシテル?」

「……うん。そういう歌があるの」

「……歌」

「意味は……わかんない。でも、ルイね。この歌を歌うと落ち着くんだ」

「そうか」


 アイシテル――この言葉をどこで聞いた覚えがある。

 そうだ。激情に身を任せて彼女を貪ったあの晩、ブランザがそんな音を奏でていた。

 あの時は呪いの言葉だと思っていた。

 “アイシテル、アイシテル、アイシテル”――呪詛のように紡いでいた言葉に私は恐怖し、横たわりすすり泣く彼女から無様にも逃げ去ったのだ。


(……また、思い出してしまった)


 卑しい。自分が汚れている。自分とは違う彼女が眩しくて見るのは辛い。

 辛くて――私は自分に身を任せているルイの身体を強く抱き締めてしまう。


「……」

「……イルノート痛いよ…………泣いてるの?」

「……泣いて……なんかいない……」

「……そっか」

「……すまない」

「……え?」


 私はランに謝りたかった。

 謝罪して済むことではないことはわかっている。そして、もう謝罪自体が出来ないことも知っている。

 私が犯した罪はどんなに贖おうとも、今後も消えることはない。


「……すまない」


 彼女の娘の顔を胸に押し付けて、自分の今の醜態を見られないようにするのが精一杯だった。

 涙なんてもう枯れたものだと思っていたのに、私の奥底から熱い塊となって外へと流れて行く。


「……すまない」

「……いいんだよ。ほら、いつもの気にするな、だよ」

「…………すまない」


 もう彼女はいない。

 だが、ルイに彼女の面影を重ねて、私はすがってしまう。

 私は彼女の娘に懺悔を続けた。





「なんなんだ! あいつはっ!」


 と、声を荒げてリウリアさんが飲み干したジョッキを木箱の上に叩き付けた。

 今夜も変わらずうんざりとする酷い荒れようね。

 彼女は長い船旅の中、毎晩とあたしたち2人の寝室に駆けこんできた。


「同伴させろと無理やりついてきた挙句、四六時中フルオリフィア様にベぇたべたと! 仕舞いには2人っきりで相部屋だと! ふざけるのも大概にしろ!」


 それはあたしの台詞だった。

 せっかくアニスと2人っきりになれる数少ない機会だっていうのに、毎晩毎晩、飽きもせず部屋に押し掛けてきて……しかも夜通しで愚痴を口にする。

 おかげ様で一向に子作りは出来ずにいる。どんどんフィディと差がついちゃうじゃない!


(……彼女、お酒飲んでないよな?)

(リウリアさんが口にしているのは全てお茶よ。しかも、もう出涸らしもいいところ……)

(まさか、匂いで?)

(……ありえるわ)


 今ここでお酒を飲んでいるのはあたしとアニスだけだ。

 出入り口くらいしかない室内は空気が籠っているとはいえ、開けた酒や2人分の呼気に引っかかるのもどうかと思う。

 あたしたち2人だけが飲んでいるわけにもいかないからって、お茶を出して上げたってのに、味を楽しもうともせず毎日ぐびぐびと……。

 あーあ、せっかくパパたちに買って置いたお土産なのに……。


「リウリアさん、あなた毎日同じ愚痴ばかり言ってるわよ……」

「毎日!? 私が!? そんなはずないじゃないですか!」


 確かに毎日はいい過ぎか。

 昨晩は前日の失態を反省したとかで何度も謝ってきたし、一昨日はぼーっとあたしたちの部屋にいるだけだったし。

 「ウリウリさんや」といつもなら彼女が認めた人物以外には使わせない愛称で呼びかけ「なんでしょう……」なんて死にそうな顔をされた日には、もう追い出すなんて真似は出来なかったしさ。

 いつぞやは一緒に添い寝して、アニスと2人で慰めたこともあったっけ。はあ……。


「だいたい……あいつが、あいつがユッグジールの里に来なければよかったのです! そうだ……きっと、あの日から何もかも変わってしまった! 私は、私はあんなことしたくはなかった!」

「あんなこと?」


 ん、どういうこと? ……と、聞いたところでリウリアさんは一瞬、はっと顔を強張らせたが、時間をかけ「……ええ」と重々しく頷いた。

 いつもの仏頂面の時は違って、今日は随分と口が軽いらしい。

 私たちが問い詰めるでも、聞き返すでもなく彼女は勝手に口を開いていく。


「……フルオリフィア様には大切なご友人がおられたんです」

「友人、か?」

「ええ……おふたりもフルオリフィア様から何度か聞かされていたでしょう。黒髪の少女とも少年ともとれる人物がいた、という話を」

「それって、もしかして」

「――シズク、かい?」

「はい……ですが」


 リウリアは顔を伏せ気味に、じっくりと間を置いて答える。


「シズク……彼は死にました」

「え?」

「は?」


 不思議なことを言うわね。口を挟む間もなくリウリアは続けた。


「私が、彼を殺したようなものです! 彼らの魔力を“風絶”で遮り、逃げ場を失くし……傷だらけで満身創痍になった彼らはエネシーラ長老の生み出した大きな土塊で……」


 押し潰された……とは、もう声を出すのも精一杯だったとしても、リウリアはそう口にしていた。


「え、でも、あれ……――」


 彼、生きてるわよね? と、そこでアニスがあたしの唇に指を置いて止めてきた。

 首を横に振り下手くそな目配せを送ってくる――アニスは目配せを行おうとすると片方の目も同時に閉じるから普通の瞬きよりも変な顔になる。

 そこもなんだか間抜けで可愛いからあえて指摘しないんだけど、つまりは言うなってこと?

 ……ま、いいわ。その意見に従ってあげるわ、我が旦那様。


「では、シズクと呼ばれる少年は死んだのかい?」

「はい……彼は今でも私たち天人族の訓練所の一角で眠っているでしょう。……このことをフルオリフィア様は知りません。何より、もうフルオリフィア様にはシズクという少年の記憶はありませんから」

「記憶がない?」

「……はい。フルオリフィア様、またフルオリフィア様に親しい四天の子らの記憶はヤツによって改ざんされています」

「……記憶の改ざん。そう、そこよ。あたしがいつも疑問に思ってたのはそこ! どうして、ルイがああなってしまったかよ。それに、もう1人のフルオリフィアは……!?」


 リウリアは「もう1人の……?」と首を傾げてあたしを見た。

 一体何その反応は? どうして……これもまたアニスが手を差し込んできたので聞きそびれた。


(記憶を弄る魔法がある……そんな魔法があるなんて初耳だけど、もしも実在するなら彼女もまたその魔法にかかっている可能性がある)

(リウリアが? じゃあ、なんとかして思いださせたりは?)

(以前のルイの様子を覚えているか? シズクを思い出そうとして酷く苦しんでいたところを……。無理に思いださせて、リウリアさんが体調を崩されても困る。今は様子を見よう)

(……わかった)


「私はこの3年間、ずっとフルオリフィア様には言えませんでした。このまま知らないままのフルオリフィア様でいて欲しかった……ですが、最近は思いだされたようで……いつフルオリフィア様にシズクのことを訊ねられるのだろうかと、私は気が気でなかった……!」

「つかぬことを聞くけど……そんなルイの大切な友人であるシズクはどうして殺されなければならなかった――教えてもらえないか?」

「……それは……っ……彼はミッシングです」


 ミッシング……?

 えーっと、どこかで聞いたことが……あ、パパに1度聞いたことがある。

 あたしが生まれる少し前くらい、ユッグジールの里を襲った奇妙な団体がミッシングって呼ばれているだっけ。

 ……昔の話だから眉唾物だけど、魔法を使わないで殺傷能力の高い鉄で出来た武器を持っているとか、ミッシング本人から異世界にいたって話を聞きだしたんだっけ。

 じゃあ、シズクは他の世界から来たってこと?


「ふーん、面白い話だ――我が盟友は数奇な運命の上を舞っているのか」


 アニスを見れば、先ほどまでの狼狽えようが消えて少しばかり怖い顔をしている。

 あんたにその顔は似合わないわよって言ってやりたいけど、こういう時って大抵あたしたちのことを想って怖い顔をしてる場合が多い。

 嬉しくもあるけど、何でもかんでも1人で抱え込み過ぎなのよね。

 こういう時にあたしやフィディがいるんだから、もう少し頼りなさいよ……って、あたしはこんなこと言う奴じゃないからアニスの腕に抱きつくしかないけどさ。


「……アニス」

「ああ、わかってる」


 はて……? 今ので何がわかったの?

 でも、どうせロクでもないことを考えているんだろうなっていうのはわかった。


(はあ、まったく変な旦那を持つとこういう時疲れるわ)


 勘違いしないでほしいけど、こういう面倒臭いところもあたしもフィディも好きだけどね。





 さて、懺悔のようなリウリアさんの話はそこで終わった。

 終わったのは途中でリウリアはわんわんと泣きだしたからだった。

 あたしたちはまたも彼女を宥めながらの就寝となった。

 おかげで今夜も子作りは出来ないままよ。まったく。


 そして、3人で朝を迎え、日の出とともに鳴り響く銅鑼の音に、あたしたちはゲイルホリーペにたどり着いたことを知った。

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