第164話 ラヴィナイから伸びる光

 コルテオス大陸では太陽を見る機会は極端に少ない。時期もあるのだろうが、ここに来てから太陽を見た回数は1度や2度、殆どは白か黒、灰色の空があるだけだ。


 ウリウリの言っていた通り、青色の見えない空の下、白と緑が混ざり合った林に隣り合うようにそこには人の集まりがあった。

 見えない陽も沈みだすころに見つかってよかった。


「……でも、ここが村なの?」


 着いたその場所は思ったよりも大きくて栄えてて、軒並みの数からして町と言ってもいい気がする。ぼくらなら魔法ですんなりと飛び越える鉄柵まで張り巡らされている。


「……私がフルオリフィア様と訪れた時はもっと質素な、狩猟民族が営む小規模な集落でした。……ここまで大きくなるものなんですね」


 びしょ濡れの絨毯がふらふらと着地したのと同時に、の門番さんが渋い顔をしながら詰所から姿を見せた。

 空飛ぶ絨毯はとても珍しいものらしい。毎回行き付く先で、同じような反応をそこの人たちは見せた。

 そして、毎回アニスたちが絨毯を片づけを行う間に、ぼくらは門番さんに話しかけて村に入る許しを貰いに行く。今回も同じ様に――と、今回出向いてくれた人はいつもと少し違った反応を見せた。

 「おや?」と首を傾けて「何か忘れものか?」と門番さんはぼくを見ながら不思議なことを言う。


「え……なに、言ってる意味がわからないよ。えーっと、出来れば1日だけ滞在させてほしいんだけど、ここには宿とかある?」

「お嬢ちゃんこそ何言って…………すまないが、何か身分を確認できるものを持っているか?」

「……いいけど、はい」


 不審に思いながらも、ぼくは言われた通りにギルドカードをその人に手渡す。町村に入るのにギルドカードを見せるなんて久しぶりだった。

 いつもだったら簡単な応答か手荷物の検査、後は……お金を払ったこともあるくらいかな。お金を払ったのはテイルペア大陸でも、1回だけだったけどね。

 じろじろと人を疑うような目で見られていい気分はしないよ。でも、怪しかったり危ない人を通さないっていうのが門番さんの仕事だから仕方ないか。


「…………赤段位? 確か青じゃ……名前も……? 少々待ってくれるか? それと出来ればカードを借りたいが?」

「うん、いいけど……」

「ちなみに、なんでそんなことしたかは知らないが、ギルドカードの偽装は罪になるぞ?」

「なっ、ぼくのカードは本物だよ! ぼくは本当に赤段位だって!」

「……少し待っていてくれ」


 そう言うと、門番さんは村の中に入ってしまったので、言われた通り待つことにした……ちょっと長い。

 アニスたちが絨毯を丸め終わってぼくらの元に来てどうしたこうしたって話をするくらいには待ったかな。

 むぅむぅと不満を漏らしていると、ようやく門番さんは姿を見せてカードを返してくれた。


「待たせたな。カードは本物だと確認できた。変に疑って悪かった」

「もう慣れっこだよ。やっぱりぼくじゃ赤段位には見えないの?」

「は? いや、青だったから……まあいいか……ちなみに、えーっと……“ウォーバン”には姉妹……妹とかいるか?」

「……へ?」


 なんでか門番さんはちらりと視線をぼくの顔からへと移した。どこを見たのかはぼくはわからなかった。

 その後、ぼく以外はいつも通り簡単な応答だけで村へとはすんなりと通ることが出来た。

 ウリウリや護衛くんはギルドカードを持ってないけど、アニスたちはギルドカード持ってるのにね。ちなみにアニスは青だ。そこまで上げてからは1度も依頼を受けてないって言ってた。

 なんでぼくだけカードを確認したんだろう。


「まあまあ、怒らない怒らない。ほら、直ぐに宿を取って夕食にしちゃおう!」

「別に怒ってはいないよ。でも、納得いかないっていうかさー」


 急かすリターに背を押されて、雪道に足を取られながらも村――いや、町の中を進む。

 もうあたりは真っ暗で、周りの民家には明かりが灯っている。出来るだけ早く宿を取らないと――


「――ちょっとまって!」

「え……ぼく?」


 と、宿屋を探しながらしゃりしゃりと踏み固まった雪道を歩いているぼくの手が誰かに掴まれる。手を引かれた先へ視線を向けると、ぼくよりもいくつか年下の子が隣にいた。

 厚着のコートを羽織った男の子は、真っ白な息を何度も口から漏らして、嬉しそうに笑っていた。


「ああ、よかった。まだ町にいてくれたんだね」

「……え? きみは、だれ?」

「……あ、呼び止めてごめん。俺……あ、違うの。俺のことはいいの! え、っと、その……今時間ある……ありますか?」

「あ、えーっと……?」

「――失礼」


 答えに迷っているとウリウリがぼくらの間に入ってきた。

 同時に男の子に引かれた手はウリウリに叩かれる様にして解かれる。

 ウリウリは少し硬い顔をしていた。いつも以上に硬い顔をしているのはきっと疲れているからだと思う。他の人から見たら怒ってるように見えると思う。

 

「……日も落ちた時間に子供の1人歩きは関心はしません。早く家に帰りなさい」

「え、あの……」

「ちょっとウリウリ!」


 まったく! ウリウリは小さい子であろうとぼくに近づいてくる人には警戒するんだから!

 こんな子が何かするわけないじゃん! 何かしたってぼくなら直ぐに対応できる――けど、ぼくよりも先にこの少年に対応を見せたのはアニスたちだった、ってことには直ぐには反応できなかったけどね。


「何、もしかしてナンパ?」

「ルイさんは可愛いから仕方ないですね」

「こんなにも震えて……この子の勇気を讃えるべきかもしれないな――ルイ……幼き少年の心をかどわかすなんて君も罪な人だ」

「……もしかしてフルオリフィア様は年下が好みとか!?」

「もー、みんなしてからかわないでよ!」


 みんなの口を塞いでぼくは男の子とあらためて向き合った。男の子は茶化されたことで顔が真っ赤だ。

 みんなで男の子を囲っている奥でウリウリだけがじーっとぼくを睨み付けてくるの知っている。ウリウリとは顔を合わせない。そんな目で見なくたってわかってるよ。


「違う、違うからね!」


 男の子はぶんぶんと身振り手振り身体いっぱい使って否定をする。

 その様子を見てくすくすと笑うリターとフィディだけど、そのうちフィディががくりと膝を落として身体をふらつかせた。顔色も悪い……即座にアニスがその身体を支えた。

 いつものフィディならそのまま抱きついて身体を押し付けたり擦りつけたりするのに、今回に限ってはアニスの胸を押しのけて離れようとする。


「大丈夫です。雪に滑っただけです」

「そんな嘘をつかないでおくれよ――僕はいつだって君を見ているんだ。フィディ無理せずにいつも通りその身を僕に任せてくれ」

「アニス……」


 もうフィディも限界だ。

 この子には悪いけど、今は先にフィディを休ませたい。


「ごめんね。今は宿を探している最中なんだ。宿が見つかるのは何時になるかわからないし、明日もしも時間が空いてたらじゃ駄目かな?」

「え……おねえちゃんたちまた別に宿を取るの?」

「別に? まだ取ってないけど……」

「なにそれ、訳わかんない。まあいいや。えっとえっと、じゃあ、うちがやってる宿に来ない? ううん! ぜひうちに来てよ!」

「うちにって……え、まってまってー!」


 今度こそ逃がすまいと男の子はぼくの手を強く引いて先を進もうとする。

 雪国の子なだけあって、ぼくよりも小さいのに雪道を進む彼の足取りは軽いんだ。反対にこの男の子よりも大きいのに、ぼくは雪に足を取られないよう、転ばないようにっておぼつかない足取りだ。

 結果、ぼくは抵抗出来ないまま少年にぐいぐいと手を引かれて先を進んだ。


「な、フルオリフィア様をどこへ連れ去ろうと! 待て――」


 そこへウリウリが止めようとするも、


「……宿が取れるなら彼の話に乗ろう――最愛の片割れであるフィディをこのままにはしていられない」

「そうね。むやみに探し回って時間を食うよりも、休む場所があるって言葉を信じて向かった方が良いわ」

「アニス……リターも……」

「自分は反対です! 断りもなくフルオリフィア様の手を握りやが……ごほん。どこへ連れていかれるかもわ――」

「……わかりました。今はフィディ様の身を優先させましょう」


 ぼくを引く男の子を先頭に、ぼくらは行き先のわからない道を進んだ――なんてね。男の子が言っていたことは本当で、着いた先は彼の言う通り宿屋だった。

 この町に3つほどある宿の1つで、男の子の両親が経営をしている宿だってことを本人から直接教えてもらった。


「さあ入って入って! 他の宿よりも新しいから中は綺麗だよ!」


 子供を使った客引きだったのかな。それなら夜遅くにこんな子供がいてもおかしくはない?

 夜に見慣れない旅人がきょろきょろと周りを見渡していたから、直ぐに宿を探しているっていうのがわかったのかも。

 真相はわからないけど、もしもそうならぼくらは男の子たちに上手に釣られちゃったわけだ。


「父ちゃん! 青髪の天人族連れてきたよ!」

「……こんな遅くまでどこぶらついてるのかと思ったらそんな馬鹿なこと言って……――! お客様! ああ、なんてご無礼を! うちの馬鹿息子が大変無礼を働いてしまったようで――」


 男の子のお父さんである宿の主人さんは何度もぼくらに向かってぺこぺこと頭を下げていた。

 あれ? 客引きじゃなかったのかな?

 男の子は強引にぼくらを連れてきたことに対してごちん、って拳骨が落ちるくらい怒られていた。


「いいよいいよ。宿を探していたし。ちょっとびっくりしたけどね」


 お詫びとしてぼくらに迷惑をかけたってことで宿の方は結構安くして使わせてもらえることになったんだ。

 最初は無料でって言われたけど、さすがにそれは悪いからね。普段の料金の半分は出すって話に落ち着いたんだ。

 お金の方は昔ぼくが稼いだものがあるから何も気にしてなかったけどね。


(無くしたって思ったのに、なんでかアニスたちが持ってたんだよね……)


 節約できるのなら越したことはない。

 こうして、部屋を借り、アニスたちとぼくたちで別行動をとることになった。

 アニスとリターは町のお医者さんを呼んで、フィディの診断の付き添いだ。


「……その……何度も不躾ながら1つお話を聞いてはくださいませんか?」

「お話?」


 ぼくらはというと、宿を安くしてもらった代わりってわけじゃないけど、あの男の子のおばあちゃんの話し相手になることになった。





「ああ……懐かしい。ながみみの天人族さん……また会えるなんて思わなかったわ」

「あなたは……お久しぶりです。あの時も助けてもらいましたね」

「金色の髪に鮮やかな赤いまなこ……とても綺麗な妖精さんたちはまた迷子になっちゃったのかしら?」

「そんなところです。今回はあなたのお孫さんに助けられました」

「あなたたちは変わらないわね。私は皺皺になってすっかりおばあちゃんになっちゃったわ……ふふ、何もないところですが、またごゆっくりしていってね」

「はい。ご親切痛み入ります」


 ウリウリは膝を付き、目線を合わせるかのようにベッドに横になっているおばあさんと話を始めた。


「こんばんは。おばあさん」

「あら……青髪の天人族さん。あなたも昔のまま……あら? 確か青空のような綺麗な瞳をしていたと思ったのに……?」

「え……ぼく初めて会うよね?」


 ぼくもウリウリと同じく両膝をついておばあさんに近寄って話しかけた。

 もしかしてぼくも曖昧な記憶の中でどこかで会ったのかなって思ったけど、そうじゃないみたい。


「……いいえ。この方は先代フルオリフィア様の1人娘でルイ・フルオリフィア様です」

「そう、娘さんなのね。見間違えるわけだわ。ルイちゃんって呼んでも……あら、もうちゃん付けで呼ばれるような歳でもないわよね」


 そんなことないよ。最近だとぼくの名前を呼んでくれる人っていないんだ。ぼくはルイって呼ばれた方が嬉しい。


「好きに呼んでいいよ!」

「そうかい。じゃあルイちゃん」

「はい!」


 おばあちゃんはにんまりと嬉しそうに笑ってぼくの名前を呼んでくれた。

 人から名前を呼ばれるだけなのにこんなに嬉しいとは思わなかった。嬉しそうなおばあちゃんと同じくらいぼくだって嬉しくなっちゃう。

 

「以前、彼女には先代フルオリフィア様と共に助けられたことがありました。視界を遮られるほどの豪雪で、宿屋も早々に閉められてしまっていたんですよね」

「あの時はこの村も小さくて、宿も1つしかなかったからねえ。でも、そのおかげって言うのも悪いけどこんな綺麗な妖精さんたちに出会えたんですもの」


 ただ、ぼくが会話に参加することは殆ど無かった。おばあちゃんとウリウリが交わす会話の大半は昔話が主だったんだからね。

 顔には出さなかったと思うけど、2人の話を聞いててちょっとだけ、ぼくはびっくりしてたんだ。

 こんなにも長くウリウリが話し続けるところを見るのは初めてで――ぼくの中にあるもう1人のぼくの記憶の中にもないほどウリウリはおばあちゃんとの話に夢中になっていた。


「……身体悪いのにさ。おばあちゃん、おねえちゃんと同じ青髪の女の子を見たってことを伝えたら会いに行くって聞かなくてね。もう1人じゃ満足に歩けないのに……俺、おばあちゃんを喜ばせたくて……だから、無理やり連れてきちゃって、ごめん」


 話に夢中な2人から距離を取ると、宿屋の男の子がそっと小声で教えてくれた。


「ううん、いいよ。ウリウリがあんなに楽しそうに話してるところ初めて見たしね。……でも、ぼくみたいな女の子?」

「昨日にも、おねえちゃんたちみたいにラヴィナイに向かっているって一団がこの町に来たんだ。その中の1人が青髪の天人族の女の子で……俺はすれ違う程度にしか見てないけど、なんだかおねえちゃんによく似てた」

「ぼくに似てる?」

「ああ……でも、おねえちゃんよりも幼かったかも? 何より……」


 男の子はちらりと視線を下げて、直ぐに目を逸らす。

 どこを見たのか、ぼくも同じく男の子の視線の先へと顔を向けたけどそこには特に変わったものは無い。

 なんだろう。この子も門番さんと同じ反応を見せた。

 男の子はぶんぶんって大袈裟に首を振って笑った。


「あ……いや、きっと他人かな」





 おばあちゃんとの話を終えると男の子のお母さんがぼくらのために夕食を用意してくれていた。

 野菜がたくさん入った白黄のスープに、焼いた黒いパン(焦げてるわけじゃないんだって)と、トロトロチーズを受け取ってアニスたちの部屋へと行くことにしたんだ。

 身体の中からホカホカしそうなほど温かくておいしそうなごはんだ!


「アニスー? 入るよお…………え?」


 一応ノックをしてアニスたちの部屋へと入ったところでぼくは目を丸くする。 

 そこには、しくしくとベッドに座って泣いているフィディをアニスが慰めていた。

 リターは1人壁に背を預け、腕組みながらむすっとしている。

 お医者さんはとっくに帰ったそうだけど、部屋の中は重い空気が流れている。

 お盆の上に乗っているごはんとは真逆で冷たくて寒い雰囲気だ……。


「ど、どうしたの!? フィディに何かあったの!?」


 ウリウリと護衛くんもびっくりした様子で部屋の中に入り、近くのテーブルに6人分の食事を置いてから事情を聴くことにした。


「ルイさん……わだ、私……」

「泣いてちゃわかんないよ! ねえアニス! リター! フィディはどうしたの!」


 アニスは困った顔をしてリターを見て、アニスの困った顔を見てリターはふんと横に顔を背ける。でも、リターはぼくに向かって小さく手を振って笑うだけだった。


(あれ、リターは怒ってるかと思ったけど、不機嫌じゃないの?)


 またもフィディを見ても「わ、わた、私……」とそれだけ口にしてわんわんと泣いてしまう。

 じゃあ、と代表とばかりにアニスがぼくらへと顔を向けて――。


「フィディはね……だよ」


 と、髪を払って少しかっこつけながらも――嬉しそうに笑っていた。


「……え? おめでた?」





 フィディのお腹の中には赤ちゃんがいるかもしれない。

 お医者さんの診断では妊娠している可能性があるってだけだ。

 まだまだお腹は目立ってないけど、言われればほっこりと膨れているようにも思える。思えるけどいつも通りにも見える。うーん?

 妊娠した(っぽい?)フィディはこの村で大事を取ることをアニスとリターから薦められたけど、当の本人はそれを拒んだ。

 それに繋がって嫌で嫌で泣き叫んじゃった……みたい?


『フィディには無事に子供を産んでほしい。だからここで安静にして待ってくれ。1年後に必ず迎えに来る』

『……いやです。私はどこまでもアニスと共にいます』

『たった1年じゃないか。僕らの道はまだ始まったばかりだ。無茶をしてお腹の中の子もフィディにも何かあったら困る! たった1年我慢できずにその後の人生を不意にするつもりか!』

『いやです! 1年なんて長い時間1人でなんて耐えきれません! 私は1秒でも貴方とは離れたくない!』

『ははは……フィディ……僕を困らせないでおくれよ』


 魔人族の出産は1年以上かかるもの――ぼくはそういうふうに赤ちゃんが生まれるって聞いている。

 確かにここまで来るのは大変だった。死ぬようなことは無かったとしても吹き付ける風は身体を内からも外からも傷つけるほどで毎日くたくたになる。

 お母さんになるフィディにかかる負担を考えると、この旅を続けさせるわけにはいかない――赤ちゃんが生まれる1年間はこの町にいて欲しいというのがアニスの願いでもあるんだ。

 それがさっきまでの話だそうで……。


「黙ってないで君からもフィディを説得してやってくれよ――僕は母子ともに安全な場所にいてほしい」


 そうアニスに言われてか、今までずっと腕を組んで黙っていたリターは重々しくこくりと頷き、ベッドに座っているフィディの隣に座る。


「フィディあんたさ……」

「……リター」


 リターに肩を掴まれ、びくりとフィディがその身を震わせる。

 さっきからリターの態度が変だ。リターのこんな神妙な顔は初めて見る。

 リター何を怒ってるの!? さっきはむくれてたけどぼくを見て笑ってたじゃん。

 変なこと言ってフィディを興奮させないで――ってぼくが横から入ろうとしたけどその前に、リターはきっと目を細めて口を開いた。


「……ずるいわ」


 …………え?

 と、ぼくが驚いた後、


「あーもうっ、あたしが先にアニスの子供欲しかったのに!」


 ばたばたと足を振り回して「あー! 悔しい!」とリターは喚きだす。

 リターは別の意味で怒っていたらしい。……心配して損した。


「ふ……ふふん! 私が先にアニスの子供を産ませてもらいます!」

「アニス! あたしも負けてられないわ! もっと回数増やすわよ!」

「は、はは。君たち2人は本当に僕を困らせるのが好きみたいだね」


 うーん、ここでもぼくが口を挟むことはなかったみたい。

 とりあえず、痴話げんかはこのあたりで止めてもらって、貰った食事を6人で頂いき、早々に寝ることにする。

 アニスたちの話はこの後も続くだろうけどぼくたちはお邪魔だろうしね。




「では、おやすみなさい…………くぅ」

「おやすみ……って、ウリウリ? え、もう寝たの?」


 部屋の明かりを消すとウリウリは直ぐに寝息を立てて寝てしまった。

 仕方ないか。水晶鴉を退治した時の風絶は魔力の消耗がすっごい激しいみたい。1回使うだけで身体の中の魔力の殆どを持ってかれちゃうって言ってたっけ。


(お疲れさま、ウリウリ。このまま朝までゆっくり休んでね)


 そう胸の中でウリウリを労って同じく目を瞑ってみるが……。


「………………むり」


 ぼくはベッドから抜け出して、忍び足と部屋の外に出ることにした。

 ゆっくりと部屋の扉を閉め――扉の閉じる音すら気にかけて、ゆっくりゆっくりと部屋を後にした。

 きっとお話で寝れないアニスたち3人には悪いけど、ぼくはぼくで寝付けそうになかった。


「明日にはイルノートと会える……やっと。やっとだ」


 久しぶりの再会にこんな寒いのにどきどきと胸が高鳴っているんだ。

 こんな状態で眠れやしない。


「……よっと!」


 風の浮遊魔法で飛んで宿の屋根に飛び乗り空を見上げた。

 わあ……と声を上げると口から白い息が出る。

 見上げた深く黒の空の海には、無数の星の光が煌いていた。


「おお、珍しく満点の空が…………ん? あれ?」


 それは、ぼくらの目的地であるラヴィナイがある方へ視線を向けた時だった。


「……な、何あれ!?」


 山向こうの空から、不気味な発光を見せる紫色の雲みたいものが伸びてきたんだ。

 船の上で食べた蛸のように、うにょうにょってたくさんの長い手を伸ばす光だった。

 周囲でも何人かの町民が外に出てきて、ぼくと同じ方向へと顔を向けて慌てふためている。


「……ルイ。君にもあれが見えるのか?」

「……っ……あ、びっくりした。アニス? うん。なに、アニスにはあれはわかるの?」

「ま、あ……正確にはわからないが、似たようなものはいつも見ている」


 不意に声を掛けられた隣にはアニスがいて、苦々しい顔をして紫色をした光を見ていた。


「……やっとフィディが寝付いてくれてね。一息入れようと外に出たらこれだよ。まったく、この旅は驚かされてばかりさ――ルイはいつもこんな旅をしてきたのかい?」


 苦笑するアニスにぼくはふるふると首を振った。

 こんなびっくりする光景はぼくだって見たことないよ。


「……」

「……」


 言葉を無くして、またも2人で顔を上げて空を見る。


「……あれはなんだろうね」

「そうか……天人族のルイは初めて見るか。あれは――」


 アニスは言う――あれは魔力だって。

 感じ的には魔人族同士だけが見える身体に纏っている魔力に似ているって言っていた。


「しかし、僕らが纏うそれとは異質なものだろう――見ているだけでもおぞましく感じるよ」

「……おぞましい?」

「あれは僕らにとって毒以外の何ものでもない。ラヴィナイから発生しているのだろうか――引き返して正解だったかもしれない。体調を崩していたフィディには僕ら以上に危険なものになっただろう」

「うん……そうだね」


 寒さを忘れて、ぼくら2人はしばらくその異様な光を見続けていた。

 多分、口で数えるには面倒になるくらい空を見続けていたと思う。


「……痛ぅ」

「ルイ? どうしたんだい?」

「……ちょっと、頭が」


 それは、突然のことだった。

 光を見ていたら急に頭の奥がずきりと痛み出し、ふらりとよろけそうになってアニスが支えてくれる。

 これじゃあぼくがフィディみたいだね。アニスが心配そうに胸に掴まったぼくを見降ろしている。


「もしかして君も?」

「え? いや、ないよ! ぼくは妊娠なんて……!」

「いや、妊娠の話ではないが……無茶はしないように」

「う、うん……」


 フィディみたいにみんなに心配を掛けたくなかったからね。

 まだ頭の痛みは残っているけど、無理をして元気だってところをアニスに見せた。うーん、見せても、大丈夫って言ってもきっと信じてもらえないかも。

 紫色をした光は、いつしか山の奥へと引っこんでいた。

 もう夜空は眩い幾万の星々しか存在しない。しかし、あの光を見た後には空を見上げ続ける気持ちにはなれない。


「じゃあ、おやすみ……しっかり、温めて寝るんだよ」

「うん……アニスもね」


 お互い覇気のないまま挨拶を交わしてその夜を終えた。

 来た時と同じ様に忍び足と部屋に戻り、ベッドの中に潜る。先ほどの紫の光を気にしながらも、ぼくは目を閉じる。

 小さく頭痛は未だ続いていたが、思ったよりもすんなりと眠れた。





 一夜明けて、結局フィディは一緒に行くことになった。

 この宿にいる男の子のお母さんは産気づくその時まで家畜のお世話をしていた――なんて話を聞いたことが1番の理由だ。


「わかった。わかったよ。絶対に無理はしないでくれよ」

「はい!」


 フィディとここの人との生活環境や筋肉の付き方なんかが違うからできたんじゃないの? ってことをぼくは思ったけど、フィディの喜びようを見たら何も言えなかった。

 ……ただ、喜ぶフィディには悪いけどさ。

 フィディの同行の許しを貰えた話なんて二の次とばかりに、ぼくは別のことを考えていたんだ。


「シズク……なんで、忘れてたんだろう……」


 目を覚ましたぼくは、シズクのことを思い出していた。


「シズク……」


 シズクを思い出したのと同時に、頭の痛みはすっかりと消えていた。

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