第163話 透明なカラスたちとの逃亡
ふわふわの真っ白な雪の上を歩くのがとても大変だったなんて初めて知った。
息も凍るような寒空を飛ぶことがこんなにも苦しいなんて思わなかった。
コルテオス大陸は――ううん。コルテオス大陸も、今までぼくが過ごしてきた旅にはない経験ばかりだった。
しんしんと柔らかに降りてくる雪も、びゅうびゅうと叩き付ける吹雪も同じ雪だなんて信じられない。
吐く息すら白く染まって、白、白、白っ!
寒いのが好きなぼくですら「さむーい!」って不満を漏らすくらいものすごく寒い。でも、やっぱり暑くて動けないテイルペア大陸よりもぼくはコルテオス大陸の方が断然いい。
青みのかかった真っ白な世界に心細さを感じつつ、ほっと安堵を覚える時もある。
それも隣にウリウリが、みんながいるからかもしれない。
1人だったらどう思ったんだろう……でも、元々ぼくはひとりでこの場所に行くつもりだった。
もしも1人だったら、寂しいとか楽しいとかそういう感情的なものは思わなかったかもしれない。
そんなコルテオス大陸に到着して2週間が過ぎた。
魔法の絨毯のおかげもあって、野を掛け山を下り……あっという間に目的地は目と鼻の先――
「……わ、わわわ! 逃げて逃げて! 追いついてくるよ!」
「『あたしリターの名において命じる! 焼き貫く光の流線! 数多の敵を射ち落せ! 【フレイムレイ】!』 アニスっ違うっ! そっちじゃない! ひだりっ!」
「くぅ……流石の僕もそろそろきつい――だがっ、この命を賭けても逃げ延びてみせる!」
「ああっもうおしまいだ! 凍り食われるぅぅぅ! 死にたくないぃぃぃ!」
「『――来るものを拒み焼き尽くせ【フレイムウォール】』……はあ、はあ……ぴぃぴぃぴぃぴぃとやかましい! それでも男ですか! 泣き言を喚く前に呪文の1つでも唱えなさい!」
――ぼくらは透明な身体を持つ水晶鴉の群れから逃げ回っていた。
ラヴィナイというイルノートがいる国(?)まであと一山越えればってところまで来たのに、絨毯で飛んでいたぼくらの前に彼ら、水晶鴉たちが向かってきたことで急きょ曲がれ右と引き返す羽目になってしまった。
水晶鴉が1匹、2匹……それこそ数十匹程度ならぼくたちの進行は続いていただろう。しかし、その数が1桁上回ったとなれば話は違う。
水晶鴉の大群はまるで津波の様にぼくらを飲み込もうとしたため、仕方なしに来た道を戻るほかに無かった。
最初は水晶鴉たちと同じ方向に絨毯を飛ばしていたが、どうやら狙いはぼくたちじゃなかった。
何かから逃げてるように見えるって誰かの発言から、じゃあって彼らの進行方向から逸れるように進路を変えた。けれど、その発言が嘘みたいに彼らはぼくらと同じ方向へと追いかけてきた。
今じゃ完全にぼくらを獲物として見ていて、絨毯やぼくらに触れようとしてくる水晶鴉を魔法で次々と落としていくんだけど、数が多くてもうっ、全然捌けない!
最初に遭遇した何匹かは、ぼくらを気にせずにすり抜けて飛んでいったんだけどなあ。
「ああっ! 絨毯の先が凍ってる! ラアニス様! もっと、もっとスピードは出せないんですか!」
「だまらっしゃい! それ以上煩わしい口が呪文以外の言葉を紡ぐようであればその身を蹴り落としてやりましょうか!」
「ひぃ……わ……『我が声のもとに集え。天地に哭いてその身を現せ。紫を放ってその牙が示せ。焼き砕け【雷牙】』っ!」
水晶鴉はぼくが作る水の龍みたいな綺麗な身体を持っている。鳥の形をしているけどスライムに近い魔物なんだ。
狙った獲物に触れた後、その身体を崩し、溶かして接着した相手を凍らせる。スライムみたいに体内に取り込んでゆっくりと溶かすんじゃなくて、凍り付いた相手の魔力を吸い取る魔物だって話は遭遇する前にアニスや、その前に訪れていた町の人から話は聞いてはいた。
この子たち1匹1匹の力は弱い。だけど、今ぼくらが相手をしているのはまるで土砂降りの雨が横から……真後ろから降り注ぐかのように、ものすごい数が飛んできている。
「水晶鴉に注意するよう散々町の人に言われたっていうのに、これでは全然ですね……!」
注意って言われても……もしも野営をする時や寝てる時に取り付かれないようにってくらいだ。
一応、ぼくらは野営を避けるため、毎回明るいうちに町や村にたどり着いて、しっかりとした寝床を確保しながらここまで来ていた。その為、水晶鴉の忠告なんて自分たちには関係ないとすら思っていたかもしれない。
「むぅぅぅ! なんだよこの数はぁ!」
彼らはその身を溶かすまである程度の時間がかかる。溶けきるまでに振り払えば怖くないって聞いたけど、振り払う暇を与えてくれないほどに次から次へと襲いかかってくる。
(本来は単体で活動するから注意をすればそこまでは脅威じゃないって言ってたのに……!)
何この数えきれないほどの鴉の群れは! お互いに共食いしちゃうから1匹しか出ないって言ってのは嘘だったの!
「最初は違かったのだろうけど、逃げている最中に僕らの魔力に魅入られてしまったんだろう。それよりフィディ、君は無茶をしないでくれ――もし君が倒れてしまったら悲しみのあまり僕も嘆き暮れ、この身を枯らしてしま――」
「アニス、今はそういうのいいから操作に集中してください!」
「……ふむ。そうしよう」
いつもならアニス~とか気遣われたことを喜ぶのに、ここ最近のフィディはこんな感じで怒りっぽい。また、体調不良で機嫌が悪いことが多い。
よく吐き気を催していたり、お腹を摩りながら辛そうな顔をするフィディを見るし、アニスじゃないけど見てるぼくも辛くなる。
今度は真剣な顔をして前を向き、狭い渓谷のくねくね道をアニスは全速力で絨毯を飛ばし続けた。
いつもかっこつけてるアニスはこういう時は頼りになる。
とてもかっこいいよと言おうとしたけど、今のぼくもおしゃべりをするほど余裕はない。いつもならキャーキャーと歓声を上げる奥さん2人ですら、今のアニスを気にかけることはしないくらい。
前からぶつかる風を抑えたり。アニスを中心にみんなの空気を温めたり。みんなが打ち漏らした鴉を落としたり。
土砂降りに対して雨あられに魔法を飛ばしても、ぼくらの方が惜し負けられるほど水晶鴉の数が多かった。
打ち漏らした鴉を倒そうにも、何匹かは絨毯にたどり着いて身体を溶かしてしまう。絨毯にくっ付いた鴉を魔法で攻撃したら、絨毯も傷つけちゃいそうだから攻撃も出来ないし……も~いっぱいいっぱいだよ。
「ウリウリぃ! まだ詠唱終わらないの! このままじゃ絨毯が凍って墜落しちゃうよ!」
「――……まだです」
ぼくら6人全員が魔法を使えるけど、1人1人の詠唱時間と攻撃範囲では対処しきれず、飲み込まれるのも時間の問題だった。
ぼくは手をかざして水晶鴉に狙いを定めるだけでいいけど、絨毯を操るアニスの除いた4人は凍える空気に身体を震わせ、口はガチガチと呪文も唱えるのも一苦労している。
ぼくの出した水龍を水晶鴉に当てても何匹かは食い殺せるけど、次の標的へと移っている間に彼らに覆いつくされちゃって逆に食べられちゃうんだ。
他の人よりも魔法が早く打てても、全てを凍らせる闇魔法の大剣を出せても、今のぼくにはなんの力はないって言われているようで悲しくなる。
ここで唯一水晶鴉に対応できるのは、先ほどから水晶鴉の除去に加わらずに呪文を唱え続けているウリウリだった。
ウリウリの使える周りの魔力を自分の支配下に置く、という風魔法を使えばどうにか彼らを撃退出来るという。
「『――幾重の契約を行う。このウリウリア・リウリアの名のもとに従い……その身が放たれるのを待ちなさい――詠唱保持』……完了。終わりました。アニス様、絨毯を着陸させてください」
「承諾した――我が盟友の守護者リウリアよ。貴方の人力により我らの逆境を跳ね返し――」
「そういうのいいですからアニス様お早く!」
「ふ、ふむ……皆よ! このまま雪の上に着陸する! 衝撃に備えろ!」
アニスの操作で絨毯はがっくしと斜めに落ちていく。
そのまま不格好に地面に着陸し、勢いに弾き飛ばされ転げ落ちるようにぼくたちは雪の上に落ちた。落ちた後も直ぐにみんなは、ウリウリのところへ集まろうと駆け寄って身を固める。
唯一両足で綺麗に着地をしたウリウリだけが集団の中から即座に立ち上がり、両手を向かってくる水晶鴉たちへと突き出した。
「皆伏せていてください! 発動します『――略術式【風絶】』!」
ウリウリが両手を振り上げると、とても巨大な風が巻き起こった。
◎
ウリウリの放った魔法の発現の瞬間は、風の勢いもあってか見ることは出来なかった。地面にしがみ付くようにしゃがんで暴風から身を守るのが精一杯だ。
しばらくして、吹き付ける風が弱まったのを見計らって顔を上げると、ウリウリが放った魔法はぼくらの周りを覆うように、灰色をした壁が出来上がっていた。
高く積み上げられた嵐の壁はユッグジールの里や今まで訪れた町や村の外壁よりも高くとても壮大で、ぽかんと口を開けてしまうほどだった。
「……っ……わっ!」
ぼけっとその壁を見続けていると、耳をつんざくような音が鳴りだして思わず声を上げてしまった。
どうやらぼくらを覆う風の壁の外から音が鳴っているようで、破裂する音が何度も何度も……何度も何度も何度も、何度も奏でる。
「鴉たちの破裂音です。鴉たちが風壁に衝突し続けているのを感じます」
「壁にぶつかり続けているの? なんで避けないの?」
「水晶鴉は魔力で出来た命無きもの……彼らは魔力を欲する為だけに存在しています。己が身が崩れ散ることにも気が付かず……水晶鴉たちは風壁の強い魔力へと誘われるだけ。風壁の中で巻き込まれた水晶鴉の魔力を感じます。さあ、後はいなくなるのを待つだけです」
あんなにも猛威を振るっていた水晶鴉は風壁に向かってパリンパリンと割れているらしい。ここからでは雪を巻き込こんでうねる風の壁に遮られて外の様子は見れない。
ガラスの瓶や食器を何十枚も落として割ったような嫌な音を聞いて、ぼくは両手で耳をふさいだ。
「…………終わりかな?」
「その様ですね」
しばらくして、外側から聞こえてきた嫌な音は止んだ。
「解除します」
様子を見てウリウリが魔法を解くと、風壁はゆっくりと勢いを弱め、次第に姿を消していった。壁の消えた向こうに透明な身体を持つ鴉の姿は1羽といなかった。
後には風によって抉れた茶色の地面と、輝く淡い桃色をした砂利や砂粒みたいなたっくさんのコアと、吹き上げられた出来た雪の山だけだった。
もう、水晶鴉はどこにもいなかった。
「ふう……」
「……はあ、助かりました。一時はどうなるかと……」
ウリウリも含めて、ぼくらはその場で尻もちをついて安堵の息をついた。
「……絨毯は1度乾かさないと後が大変になる。どこかで暖を取れる場所はないだろうか。何よりもフィディの具合も気になる……安心して休憩できる場所へと移動しよう」
「わ……私は大丈夫です! 行けます! もう目的地まで直ぐじゃないですか。絨毯を乾かして直ぐに移動すれば今日中には目的地に……」
「こーら、フィディ!」
アニスにすがるフィディの頭に……ていっとリターが手刀を落とした。
「痛っ、何をするんですかリター!」
「無理すんな。辛いんでしょ」
「……私の都合でこれ以上みんなに負担をかけるわけにはいきません」
「逆にこれ以上悪化して倒れられる方が迷惑。……あんたが体調崩してることに誰も負担なんて思ってないよ」
「でも……」
強がるフィディだけど、コルテオス大陸に着いたあたりからこの調子が続いている。
ぼくだってリターと同じ気持ちだ。負担なんて思ってないよ。
「ぼくからもお願いだよ。フィディ休もう? 目的地まであと少しなんだから今更一休みしたって逃げないよ」
「僕らの大事なお姫様であるルイがこう言っているんだ。期限はあるとしても1日伸ばしたところでそう変わるものでもない」
「ルイ……アニス……」
「辛い顔をした君よりも、微笑んでいる君を見ていたい――ああ、僕は無力だ。最愛のフィディが苦しんでいるのに、僕は何1つとしてその痛みを取り除けない。彼女への縛めを僕が代わることが出来れば……」
そう言ってアニスはぎゅっとフィディを抱きしめた。
「そんな……アニスが辛い時なら私だって代わってあげたい……そこまで言うのなら……う……わ、わかりました。わかりましたから、アニスそんな悲しい顔をしないで!」
アニスに抱きしめられたフィディは直ぐに骨抜きにされ、次第に頬を摺り寄せ始める。
……はあ、まったく。こんな寒いのにね。
いつのも熱々っぷりをコルテオス大陸でも発揮するのは素直にスゴイって思うしかないのかも。
ただ、珍しいことにリターが私も私もってアニスに抱きつかなかったんだ。
少しだけ羨ましそうな視線を向けていたのは知っているけど、今回は我慢したみたいだね。
ちょっと頬を膨らましながらもリターは口を開いた。
「あーあ、もうすぐラヴィナイに着けると思ったのに、鴉たちのせいでとんだ遠回りをしちゃったわね。地図なんて持ってないし……リウリアさんわかる?」
「……ええ。この辺りの地形はまだ見覚えがあります。昔のままなら近くに村があるはずです。そこで休憩を兼ねて夜を明かした方がいいかもしれません。……ラヴィナイまではもうすぐですが、山を越える前に夜になって、野宿を強いられる方が危ういと思います」
「そうだね。じゃあ、直ぐに出発して――」
――村へ行こう、って言おうとしたその時だった。
「わぁ……」
言おうとした言葉とは別にぼくは歓声を上げてしまう。
それも、ぼくの目にキラキラと光る粒が舞い降りてきたからだ。
「……光のかけら?」
見上げると空からたくさんの輝く粒が眩しいくらいに降り注いできた。
先ほどの鴉の雨よりも多いけど、あっちがびゅんびゅんと落ちてくる石だとしたら、ゆったりと風に乗った花びらみたいに舞い降りてくる。
手に取ると、それは手の温度に触れてじゅわりと溶けて水になった。
「うん……これってもしかして水晶鴉の破片?」
「だと思われます。彼らの粉砕した身の破片が降ってきているのでしょう」
「わあ……」
思わず歓声を上げアニスもフィディもリターも、護衛くんもウリウリもぼくも……その光景を見続けた。
キラキラ輝く水晶鴉の破片1つ1つがこの白い世界に粒になった虹をばらまいている。
とても、綺麗だった。
「シズクにも見せてあげたいな…………あ」
どうして今、ぼくは“シズク”なんて言葉が出たんだろう――なんて疑問はもうぼくの中では完結している。
きっと、昔のぼくにとってシズクはとても大切な人だったんだ。
(……もういいんだ。シズクのことでなんでとか、どうしてとか、考えるのはもうやめることにしよう)
ぼくにとって“シズク”は大切だった人。
大切に思えた人のことを考えるのは変じゃないと思う。
真黒な長い髪に女の子みたいな綺麗な男の子。
ぼくの心の中にいる、知らないのに覚えている大切だった人。
顔は覚えているようでおぼろげで、はっきりとしないのになんでかはっきりしているようにも思える人――シズク。
この旅に出て、ゆっくりとぼくの中で“シズク”のことがわかってきたんだ。
きっとぼくとシズクは小さい頃から一緒にいたんだと思う。
いつからいたのかは覚えてない。でも、きっととっても小さい頃から一緒にいたんだ。あの奴隷になる前もきっと奴隷になった後も。そして、旅に出た後だって。
そして、ユッグジールの里に着いてからきっと別れちゃったと思うんだ。そう、思う。
(……きっとイルノートならシズクのことを知ってると思う)
本来は結婚するべきかって話で出てきたのに、今ではそんなことよりもシズクについて聞いてみたいって思いが強くなった。
シズクってどんな子だった?
シズクってぼくのなんだったの?
シズクってぼくの……。
でも、思いだしたとしてぼくは昔のぼくみたいにシズクに対して何か特別な感情を懐くことがあるのかな。
昔のぼくが思ったように、今のぼくもシズクのことを大切に思えるのかはわからない。
でも――。
「ふふ……シズク。君のこともぼくは見てみたいな」
いつか会えることを信じて、ぼくはこの光降り注ぐ光景を見続けた。
――ただ。
「………………フルオリフィア様」
シズクと口にしたぼくを悲しそうに見つめるウリウリの視線には気が付くことは出来なかった。
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