第160話 夢を見ていた―ブランザ166歳―

 100年を過ぎると言う不思議な時間を生きれたこと、奇妙でありながらも振り返れば私は満足しています。

 心残りはもうすぐ生まれる我が子のことくらいでしょうか。この子と触れ合う時間は他の人よりも限られたものになります。しかし、私が両親から与えられたもの以上の愛情を残り少ない時の中で、出来る限り与えていくつもりです。

 最後になりますが、タルナがこの先いつまでも幸せでいられることを願っています。

 私や父や母、タルナのご両親よりも長く長く生きてください。

 お元気で。


 私の数少ない家族であり、親愛なる姉であるタルナへ。 

 ブランザ・フルオリフィアより。


― 親愛なるタルナへ 第4頁(6/6) ―





 冬も終わり、陽の温かみが日に日に感じられ次第に白桃色にこの地が染まっていった年初めの春の日。

 私たち3人は屋敷近くに咲くケラスの花を見に来ていた。

 ケラスの木は桜に似た白桃色の綺麗な花を枝木いっぱいに咲かせる。4度の春は毎回この世界を白に染める。昔も今もこの色だけは変わらないでいてくれた。


「お母様ー!」

「フルオリフィア様! そんな慌てて走ったら転んでしまいます! このウリウリア・リウリア! フルオリフィア様に万が一にでもお怪我を――ああっ!」


 おぼつかない足取りで愛娘がケラスの木を背に座る私に駆け寄ってくる。最後につまずき、転びそうになりながらも私の胸に飛び込んできた。抱き留めた瞬間、あばら骨が軋むように痛かったが我慢だ。

 私の胸の中に埋めた顔を愛娘が上げるとケラスの花のように咲き誇った笑顔の花が開く。

 青い髪に青い眼。私にそっくりな自慢の娘だ。

 名前はメレティミ。名付け親はウリウリアさんに頼んだ。

 ちなみにウリウリアさんがフルオリフィア様と言ったのは私にではなく、この子に対してだ。


「もう! やんちゃもいいですけど、転んでお怪我をされて泣くのはフルオリフィア様なんですよ!」

「ウリウリは心配し過ぎだよ! わたしは転んでも泣かないわ!」

「ふふ、レティは強いもんね」


 レティは、この子はとても聞き分けの良い子だった。

 赤ん坊のころの彼女は滅多に夜泣きはしないし、日中もぐずったところを見ていない。自然妊娠ではないのでお乳は張らず、変わりに離乳食を上げる時は毎度むっとしかめっ面をする。

 そんな彼女が涙を流すのは稀に起こす夜泣きの原因である“悪夢”を見た時だ。

 私の知る赤ん坊とは違ったちょっと変わった子……その理由を1年前に知った。

 それは去年のある日のこと、その歳にしたら見せてはいけない深刻な顔をしてレティは私に話してくれた。


『お母様……ごめんなさい。わたし、本当は――』


 そう言って、彼女は私と同じく前世の記憶を持っていることを教えてくれた。

 元々は16か17の学生だったと言う。詳しくは話してはくれなかったが、とても悲しい出来事に遭遇し私の元に生まれ落ちたそうだ。

 ――だましているのが辛くて耐えきれなかった、と。

 話し終わった後、本当の娘じゃなくてごめんなさい……なんて、何度も何度も喉が枯れる勢いで謝り泣きじゃくる彼女はとても見ていられるものじゃなかった。

 我が子が誰かもわからない他人の生まれ変わり――他の人がこの事実に対面したらどう思うのだろうか。

 責めるのだろうか。拒絶するのだろうか。否定するのだろうか。


 ……私は、どんな形でも生まれてきてくれてありがとう、と彼女を抱きしめながら偽りのない本心を伝えた。


 吐きそうなほど顔を青ざめて、懺悔をする彼女をどうして責められようか。

 逆に17年間、最後の最後まで両親をだまし続けたことになる私はどうなる。彼女の所業を罪と言うなら、黙り続けていた私は彼女以上の大罪人だ。

 例え記憶を持っていようと居なくとも、彼女は命を削って産んだ大切な娘である。そのことは変わらない。


 しかし、この話がで知られることは絶対にあってはならない。

 現長であるエネシーラを筆頭に、以前里を襲ってきたミッシング……別世界の記憶を持った存在は見つけ次第即排除するという流れになっている。

 私は断固として反対しているが、以前とは違いこの身は朽ち、話し合いにも参加することは出来ない。それどころか1人では何も出来やしないのだ。毎回ウリウリアさんには迷惑をかけ続けている。

 もう数年も鬼人族のお兄さんとも会っていない。彼は今も長を務めているのだろうか。そんな情報も私に元には流れてこない。


『いい、レティ……そのことは絶対に他の人に話しちゃだめよ……』

『……わかった』


 理由は尋ねてこない。思うところはあるのだろうけど彼女はうんと頷いて私を見た。

 その後、自分のことを話したレティは一時的に余所余所しくなった。他人行儀に接してきて私と一線を引こうとしたのだろう。

 ……そんな気に病む必要ない。殆ど寝具の上で生きている私は傷ついている彼女を両腕で抱き上げてあげるだけだ。

 レティには母親らしいことはまったくとしてあげられていない。だから、抱きしめて人のぬくもりを、私が拒絶も否定もしていないことを動かないこの不自由な身体を使って伝えるしかない。

 レティとは前世持ちだと告白した日から毎日と抱擁を交わした。いや、私からせがんだ……という形になるのだろう。

 文句は言わないが、レティは恥かしそうに胸の中に納まってくれる。そのまま頭を撫でてあやすまでが一連の流れだ。16、17の女の子の扱いとしては少し失礼だったかもしれない。


 ここで「私もあなたと同じ前世持ちなの」なんて、暴露してしまえばよかったのかもしれないが、今度は別の意味で気遣わせてしまうのが嫌だったため、その時は言わないことにした。

 彼女はひと月に1度か2度、悪夢にうなされている。昔の世界での最後の夢らしい。うなされるほどだから、とても辛い最後を彼女は迎えたのだろう。

 私は同じ寝具で眠り、うなされる彼女を抱きしめてあげることくらいしか母親らしいことは出来ない。

 こんな状態で私もあなたと同じなのだと伝えて今以上に混乱させるのも辛いだろう。 

 いつかは伝えよう、いつかは……出来ればもう少し大きくなって、その思い出と折り合いを付けられるようになったら……と思ってこの時まで隠し続けてしまった。


「あれから……もう1年かあ……」


 1年という短い期間であったが、あの時の余所余所しさは薄まって愛らしいレティは私の娘として接してくれる。

 とてもうれしくて、前世の話を聞く前よりも彼女のことが愛しくてたまらない。

 日に日に、目に見えて大きくなる我が子の成長を見送るのが何も出来ない私に残された唯一の楽しみだ。やはり、彼女が何者であろうとこの幸せは変わらない。

 ただただ、今は自分の短命に嘆くばかりだ。私の寿命はいつ尽きてもおかしくないだろう。


「……それでも」


 もしも私が死んだとしても、この平和な世界で前世の記憶を持った愛しい我が子が笑って生きていける世界が長く続くことだけを願わずにはいられない――。


 ――もう駄目ね。貴女は。


 ふと……昔どこかで聞いた覚えのある“音”を耳にした。

 なんだろう。幻聴かな。ケラスの木々が風にでも揺れたのか。


 ――貴女のあがきは見てて気持ちのいいものだったけど、この数年はまったくと駄目。動けなくなってしまった貴女はお役目御免よ。ご苦労さま。……でもね、気になさらないで。ワタクシ、貴女よりもとてもイイ人を見つけたの。だから――


 “音”がそんな風に話すのと同時に、強い突風が私に向かって吹いた気がした。


 ――もうお眠りなさい。ワタクシの夢見がちな王よ。


 風が通り抜けていくと、がくり……と糸が切れたかのように私の身体は力が抜けていく。

 木々のさえずりはそれ以上話すことは無かった。

 懐かしい声――声だったのかも私には理解できなかった。私の身体に力が入らないことも、入っていないことも私は理解できない。


「……なんだったんだろ……ああ」


 そう言えば、と思いだす。

 あの懐かしい声らしきもの……私をこの世界に招いた声を思い出して考える。

 どうして私がこの世界に来てしまったのか。どうしてレティがこの世界に来てしまったのか。

 結局わからないままだったなあ……と。


「ふぁぁぁ……ねむい」


 今度は抗い難い睡魔が舞い降りてきた。

 身体の力が今以上にがくりと抜けていく。首を小さく振った。

 駄目だ。寝てはいけない。

 今日は久しぶりに身体が軽く、体調もいい。1人では歩くことも覚束無くて、ここまでウリウリアに背負ってもらって、それで久しぶりにレティとお外で遊んでいるところを見ていられるのに。

 お花見だ。

 元の私がいた世界は春になれば桜を見に行く。思えばお花見なんてこの世界に生まれて初めてかもしれない。お茶も食べ物もないけど、ケラスの木はとても綺麗で満開で。ひらひらと花弁が空を踊って、レティもウリウリアさんも笑っていて。愛娘2人はとても幸せそうで。

 ああ、駄目。別のことを考えよう。何かないか。眠気を覚ます様ないいことは。


「……そうだ」


 そろそろレティも魔法を学ぶころだ。

 魔法を使って、レティと一緒にケーキを焼こう。


「ふふ……いいわね」


 食べれきないほどに大きなケーキを焼いて食べるんだ。


 生クリームはどうやって作るのかしら。

 作るなら型を使ってしっかりとしたスポンジを作りたい。

 苺は私のいた世界とは形の違うものだけど、色々な種類があるので1番似ているものを使おう。

 今度、亜人族の人に聞いてみてもいいかもしれない。あの人たちの料理はとても美味しかった。生クリームはこの世界でも存在しているので、彼らに聞けば教えてくれるだろう。アルバさんに頼めばホールケーキの型だって直ぐに作ってもらえる。


(お兄さんも呼んで見よっかな。あの人、見かけによらず甘いものは大好きなんだよね。熊くんのお孫さんも連れてきて大丈夫? 魔人族の長は……うーん。あの人たち、お昼は寝てるのよね)


 四天の皆さんもお呼びしたいな。

 フラミネスさんはちょくちょく娘さんを連れて遊びに来てくれる。今度、相談してみよう。

 レドヘイルさんは生まれたばかりの次男坊くんに夫婦そろって悪戦苦闘しているのかしら。ふふふ。

 ドナ四天長はどうかな。未だに私を嫌っているのだろうか。レティと同い年の息子さんはとてもやんちゃだと聞いている。レティがいじめられないといいけど……なんて、レティに限っては無いか。思うに私のことを“お母様”とお上品に呼ぶレティだけど、きっと猫を被っているに違いない。


 竜人さんも呼べたらいいのになあ。

 あの人、里が出来たら出来たで行方をくらまして、久しぶりに戻ってきたと思ったら自分の娘を連れてきてそれっきりだもんなあ。一体どこで何をしているのやら……ふふ、あの人に会いたいなんて思うなんて、なんだか変で笑える。


「ふふ……ははは……」


 考えれば考えるほど笑みがこぼれる。

 とにかく、私はレティとケーキを焼きたい。


(こんな不自由な私に出来るかしら。料理なんてもう何十年もやってないわ)


 でも、無理をしてでもやってみたい。

 そうだ……あっちの世界に出るようなケーキを作って見せて、驚くレティの前で私があなたと同じ人だと、打ち明けるのはどうだろう。

 もちろん、2人っきりの時で――これなら彼女に与えるショックも少ないかもしれない。一緒に前の世界のケーキと比べて味はどうだろうって感想を言い合いたい。


「ふふ……」


 ――ああ、生きたい。


 生きたいな。この先、レティが大きくなって昔の世界のことを苦い思い出くらいに捉えられるくらいになって、それから先この世界で前を向いて生きていけるように……。


 ――ああ、もっといきたい。


 生きて私と同じ境遇に生まれた彼女の成長を見届けたい。


 もうすぐ夏季の始まるこの世界で、私は木漏れ日の中で2人の愛娘たちを眺める。

 舞い落ちるケラスの花を掴もうとレティが飛び跳ねた。長い青い髪がふわりと舞った。

 ウリウリアさんもつられて飛んだ。胸元できらりと青色の石粒……レティが生まれた時に纏っていた魔石の欠片が揺れた。

 レティもウリウリアさんも大切で自慢な私の娘たちだ。愛おしいとても大切な2人……。


 だめ。眠くてたまらない。 


「レティ……ウリウリアさん……ごめん――」


 ごめんなさい。その言葉は最後まで私の口からは出なかった。

 久しぶりの外出なのに、とても眠い。眠りたくないのに、瞼が重い。私の声に反応してか、こちらを見る2人が笑っている。


 ……少しだけ、居眠りを許してね。


「お母様呼んだ? ……お母様?」

「……フルオリフィア様?」


 ふと……2人を遮るように瞼が落ちる瞬間に、私は1つの心残りが頭に浮かぶ。

 どうしてひと眠りをするだけなのに、心残りなんて思ったかはもう私にはわからない。


 それは――この里に住む他種族の人たちを1つに纏められなかったこと。こればかりは今もなお悔いてばかりだ。

 争いは無くなったが、それで仲が良くなったと言えば全然だ。1つの場所に住まわせても、結局お互い線を引いて別々の場所に集まっている。

 これじゃなかった。私が求めていたのはこういう共存じゃなくて……ああ、後悔しても私にはもう何も出来そうにない。


「お母様?」


 そして、2人の姿を目に焼き付けて瞼を閉じた後、最後に1つ。

 願いが生まれた。


 ロカにもう1度会いたかった。

 会って、もしかしたら悔いている彼に笑ってあげたい。彼は優しいからきっとあの日のことを未だに嘆いているんじゃないかな。

 ふふ……そうだったらいいな、っていうのは私の願望かな。


「お母様? おか……お母様っ!」

「フルオリフィア様!」


 遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。

 ごめんなさい。答えられない。眠すぎて声を上げることも出来ないの。


 だから――おやすみなさい。


「ねえ……ねえっ、返事をしてお母様っ! お母様ぁぁぁっ!」

「フル、フルオリフィア様っ、駄目です! 目を、目を覚まし……フルっ……いや! いやよ! お願いだから目を開けて! お母――」


 おやすみなさい。


 レティ。

 ウリウリアさん。


 里なんかよりも大事な、私の大切な娘たち。


 ――愛してる。

 ――誰よりも、ずっと。


 ロカにもこの言葉を伝えてあげられたならなぁ。

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