第154話 亜人族―ブランザ60歳~―

「ひっ、ヒィィィ……は、はぁぁぁっ、ひっ、はっはっ、ヒィィィ……」

「ちょ、長老!」

「気を確かに! 長老!」


 何度も呼吸を繰り返して、怯え震える長老を案じて村人たちが駆け寄りだす。

 この場を見て、私が最初に攻撃をされたと言って聞く人はいないだろうし、発動した魔法で殺す気なんてなかったなんて言ったところで誰が信じるのだろう。

 長老の背後には落とされた雷魔法によって大きくくぼんだ穴が出来ている。私の放った魔法に殺意が込められていたことを、ありありとその穴が物語っていた。

 私は村の人に毛嫌いされている。同族だから仕方なくと置いてもらっていた立場でもある。

 嫌われているなら嫌われているとしても、なるべく仲良くしようとは心がけていた。


「ひぃひっ、で……出て行け! このわざわいの魔女め! 2度とこの村に足を運べると……いいや! 我ら天人族の地に貴様が安住出来る場所などないと思え! いやしくも野垂れ死ね!」


 そんな罵声を浴びせられながらも、私は村を追い出された。


「…………ロカ」


 いいえ、自分から出て行ってやったのだ。


「どこ……?」


 ようやく、彼が自由になれたことを喜ぶべきだったのかもしれない。

 でも、多分……彼に対して失礼な話だけど、私にとってロカは籠の鳥だった。

 触れることは出来なくても、鳥籠越しに彼を見ることで満足していたのではないだろうか。


「ロカ……」


 私も一緒についていきたかった。籠の外に出すのは私の役目だと思いこんでいた。そして、彼の手を取って平和になった世界を見せてあげたかった。

 それもここまで――。

 喪失感に苛まれた私は追い出された村に対して心残りなんてものはない。

 このまま滅びてしまえとすら思う。ロカを散々苦しめた男がいる村なぞ吹き飛んでしまえば良い。

 ロカを思いながらも、私はあの村、あの男に関わるもの全てを憎み呪い続けていた。


「ロカ……出てきてよ……」


 もう私が戦争を止める意味は漠然と消えてしまった。

 両親のためにとか、タルナやブロス先生に宣言したからとか、そういう過去の決心すら一切――。





 その後、何日も歩き彷徨う。

 自分がどこへ向かうのかもわからない。

 自分が何をしているのかもわからなかった。しかし、村を出たあの日から変わらず同じ言葉だけは口に出る。


「ロカ……どこにいったの?」


 どこへ行ったのかもわからないロカを求める日々が続いた。 

 生きている意味すら失った様な気がする。

 最初は両親のために、続いてこの地のために、そしてロカのために。

 折れてはそのたびに理由を見つけては繋ぎ合わせ、折れて、繋ぎ――彼と触れ合った時間は両親と共に過ごした17年と同等のものになって、私の心の芯にまでにもなっていて……そして、ロカがいなくなったことで強くなった心は完全に折れた。


 支えを失った私は長い夢から覚める時期だった。今も目覚めの時間だと夢遊病のように己の意志も無く彷徨い続けた。

 夢なら覚めろ。私は冷めた。夢の中で見続ける夢はもう終わり。

 けれど、私の夢は醒めることは無い。


 現金なもので空腹を覚えた記憶がある。睡眠を欲した記憶もある。排泄にも窮したこともある。

 しかし何を口にしたかは覚えてはいなかった。どうやってどこで寝たのかも覚えていない。少なからず存在した理性のおかげで、どうにか垂れ流しということもなかった。

 その頃の記憶は曖昧だ。自分がどこにいるのかも理解できなかった。自分が生きているのかもわからなかった。

 曖昧な記憶だったけど、思い返すとしたら私がどこかの森に入っていた時のことだろう。


 木々がミシミシと音を立てて倒れるところを見た。

 同じ天人族の兵士が魔法を使っているところを見た。

 何かの悲鳴が耳の奥に届いた。


(またどこかで……争っている……)


 私にはもう関係ないと直ぐにその場を離れようとしたが、ところどころで上がる悲鳴を聞いたことで四散していた意識は僅かに戻った。

 戦争だから仕方ない――思いながら、ふと振り返ってみれば大きな茶色の熊が野太い悲鳴を上げながら倒れた。

 大熊のお腹から真っ赤な血が噴き出して……その出血量は即死だと頭のどこかで冷静に状況を判断する。これも、多くの戦場で治療を行ってきた私の経験からくるものだった。


 この時はなんだ魔物退治か、とほっと胸をなでおろした。

 害獣は駆除するのは生前の私の世界でも当然のようにあったし、私だって肉を得るために何度も魔物を狩った――この世界では食料のために狩りが行われていることも日常……っ!?


「お、お父さん!」


 子供の悲痛な叫び声に我に返った。

 どこかに人がいるのか。辺りを見渡しても魔法を使用したと思しき天人族しかいない。後は大きな熊に寄り添う小熊くらい――そうじゃない。熊は魔物じゃなかった。

 彼らは亜人族だった。


「お父さん! 目を開けて! ねえ、お父さん! やだ、やだよ!」


 亜人族と言う魔物の姿に近い人種がいることは知っている。

 人の形に獣のパーツをいくつか足した者。もしくは、獣の形をしながら人のように二足歩行をし、言語を使う者。見た目は様々だけど、魔族とは違った別の人種を総じて亜人族と呼んだ。

 時折、戦場で殺し合う私たちを遠くから牽制して伺う彼ららしき姿を何度か見ている。


 小熊は動かない大熊にしがみ付いてワンワンと泣き出している。獰猛な鳴き声ではなく、私が普段耳にする人の言葉の上での泣き声だった。

 はっとしてあらためて周りを見渡すと数名の亜人族が倒れているのを発見してしまう。

 身体を丸焼きにされたもの。背中から氷の氷柱で一突きにされたもの。無数の切り傷がついたもの……。

 皆それぞれ種族も性別も違う。共通しているのは絶命しているか、重傷を負っているかってことだった。


 私たちが亜人族たちと争っているという話は聞いてはいない。

 なら、なぜ……彼らを襲った天人族を見て、その考えを悟ってしまう。

 彼らはにたにたと笑っているのだ。

 別に彼らは戦っているわけじゃない。ただただ、魔法を使って彼らへ危害を加えることを楽しんでいるだけだったのだ。


「……なんて……ことを……!」


 一方的だった。

 自分と同族である天人族の男たちが笑いながら呪文を唱え、亜人族たちへと魔法を放っていく。当たると歓声が生まれ、外すと大きく溜め息が漂った。

 鬱憤を晴らす様な遊びの魔法だった。何が面白くて魔法を放っているのかも理解できない。嫌悪感ばかりが生まれてくる。


「じゃあ、次は俺が行くぞ――」


 1人の男が手の平を掲げながら呪文を唱えた。

 彼の手の平の上には鋭い氷の氷柱が生まれては浮遊する。氷柱の先は今も亡骸にすがり付く小熊へと向けられていた――。


「……っ!」


 それは自分でも驚くくらい無意識だった。多分、ブロス先生の指導の賜物だった。

 その氷柱が射出される前に私は駆け出し、小熊の身体を抱きしめて地面を転がった。

 小熊がいたところ……この子熊の親熊に氷柱が突き刺さる。


「お、お父さん! ……ひっ、天人族!」

「……」


 小熊が抱き抱えた私を見て、怯え出す。暴れられる前に、ゆっくりと抱擁を外して、彼の尻を押してさっさと行けと命じた。


「ほら、お逃げ」

「え、え? え? おねえちゃん?」

「いいから」


 子熊は一目散と森の中へと消えて行くのを見送る。それから、私は立ち上がり……攻撃してた天人族の兵たちと対面した。


「貴様、何をしている!」

「……」

「答えんか!」

『流るる風に――』

「……っ……各自、戦闘態勢!」

『――願います。彼らを押し返す風の翻弄を……【風柱】』


 私は向かい合った彼らに対してを展開し吹きかけた。1人2人と身体を浮かせて森の奥へと吹き飛ばす中で、数名の兵たちが私に攻撃魔法を仕掛けてくる。炎と、氷と、雷と。

 しかし、この程度、私は何度だって――!


「……あぅっ!」


 不意の出来事に私は小さく悲鳴を上げた。痛い。ひざに細い槍のようなものが刺さっている。

 槍……ではない。それは細い先端からお尻だけが膨らんだ――まるで大きな氷の釘だ。


(この造形、どこかで見た……!?)


 それは背後からの攻撃だった。振り返る余裕はない。

 私は膝をつきながら前にいる天人族の兵士たちに向かって風の壁を張り続ける。彼らは何度と懲りずに火と、水と、雷、岩石と飛ばしてきたけれども、全てを受け止め、風で何度だって――いつもと同じ手だ。風で吹き飛ばし、水で受け止める。


「なんなんだよ。あいつ、1人で俺らの攻撃全部受け流しやがって!」

「くそ、撤退だ」


 そうして何度か魔法で応酬していると、上官らしき天人族が根負けをして私に背を向けて走っていった。


「……くぅ」


 魔法を解き、その場で両手をついて息を整え……一瞬、意識を失って目を覚ました時、私は仰向けに寝かされていた。


 周りには殺気だった亜人族の人たちがいる。こんな間近で彼らを見たことは無い。

 「殺せ」と犬か狼みたいな顔をした男の人が私に向けて言い放つ。

 兎っぽい耳だけを生やした普通の人にしか見えない女の人が「そうよ!」と続いた。


「……俺がやる」


 そして、皆を代表するかのように前に出た、背中から蝙蝠みたいな翼を生やし、頭には2本の角を生やした1人の男の人を見た。最初は頭の角から鬼人族かと思ったけど違う。

 口からは彼の呼吸に合わせるかのように小さく火を吹いている。トカゲやワニみたいな尾をびたんびたんと地面を打ち付ける。

 そして、彼の手には……。


「……1つ聞く。なぜその子を助け――」

「……待って!」

「……っ!」

「……あなた、その手にあるのは!」

「答えろ! なぜ、味方である天人族と――っ!」


 答えることはしない。

 動かない身体を叩き起こして、私は羽の生えた男に飛び掛かっては押し倒し、馬乗りになる。

 それから、男が手に持っていた“氷の釘”を奪い取って彼の首に向けた。


「答えろ……!」

「なっ……」

「お前は、私の両親を殺した! 殺しただろ!」

「なっ、そ、んなこと……知らん!」

「嘘をつくな! 私の、私のお父さんとお母さんをお前は殺した!」

「わからない! 俺はお前たちをもう何人も手にかけた! いちいち覚えてなんていられない!」

「おぼ、えてな――……」


 言い終わる前に私の身体から力も抜けた。

 きっと、最後の最後で身体に残っていた分を使い切ったんだと思う。私は身に任せるままに男の胸元に顔を埋めていた。ころん、と手に握っていた氷の釘が地面に落ちる――もう力は入らなかった。

 ふと横を見た時……ひょっこりと怯えた顔をする先ほどの子熊が私を見ていることに気が付く。私は重い首を無理やり動かして彼を見て口を開ける。


「よかった……今度は助けられた……」


 口にした途端、私は下敷きにしていた男から弾き飛ばされた。


「魔族には死を!」

「待って! そのおねえちゃんは僕を助けてくれた!」


 彼らが何を言っているかは聞き取れなかった。もう眠くて仕方なかった。私のぼやける視界の先に、両親を殺したものと同じ氷の釘が付き付けられる。


(今度こそ死ぬんだな。もういいや)


 私は目を閉じて夢から目覚めようと努めた。

 早く目を覚まさないと。


 ――もうこんな夢はこりごりだよ。





「おねえちゃん……目を覚ましたの?」


 私が目を覚ました先は、どこかの洞窟の中だった。


「君は……痛っ……」

「だめだよ! 動かないで! 傷口が開いちゃう!」


 穴を開けられたひざにはたくさんの葉っぱで覆われていた。何かの薬草だろうか。私を看病してくれたのは助けた子熊だったと後に教えてくれた。


「お……おねえちゃん1日ずっと目を覚まさなかったんだよ」

「……そいつに感謝するといい。子熊が庇わなければお前は目を覚ますことは無かった」

「そう……ですか」


 むしろ、眠り続けて目を覚ましたかったのに……。

 治癒魔法を使えない訳ではなかったけど、治す気は起きなかった。じわじわと押し寄せてくる苦痛は私がまだ目覚めていないことを実感させる。

 また、いつ目覚めてもおかしくない状況で、むしろこのまま目覚めるのを期待して傷を癒さなかったんだと思う。


「なんで、殺さなかったんですか?」

「お前の話を聞いてみたくなったからだ」


 私が子熊に怪我の治療を受けている間、氷の釘を持つ男に聞いてみた。


「そうですか」


 その日は、それだけ答えて私はまたも気を失ってしまった。


 翌日から男……竜人さんは動けない私を監視する役割を担い、常に傍にいた。

 常に、あの両親を射抜いた釘の氷を携えていた。

 常に、私を刺して息の根を止めれるようにしていた。


「私は、貴方に両親と仲間を殺されました……」

「俺が、お前の両親を殺したと言うのか?」

「多分。他にそのような形の氷を作る仲間はいますか? 私はあなた以外でそんな氷の造形を見たことがありません。……もう40年以上は前の、夜のことでした」


 あの日起きた事の内容。両親がどんなふうに死んでいたか。両親の最後をゆっくりと言葉にして思いだしていく。

 時間だけはあった。

 ここ数日まともな食事も睡眠も取っていなかったせいか、身体には力が入らなくて、何度も短い時間で気を失った。起きては話し、話しては気絶をし。

 思えばブロス先生の時はどんなに死にかけても食事だけはちゃんととっていたな、と思いだす。


「……ああ、確かそんなこともあった。天人族が野営をしているところを俺は襲ったことがある。ふん……俺が憎いか?」

「憎いです……ですが、不思議な気持ちです。憎くて憎くて仕方ないのに、今の私にはもう力が入りません」


 本当に、自分でも不思議だった。

 目の前には両親を殺した犯人がいるのに、私には彼への憎しみを秘めたままに穏やかな気持ちで会話を続けられた。

 きっと、私は見知らぬ誰かとここまで話が出来ることの方が大きく、関心が向いていたのかもしれない。

 私の両親への思いはこんなものだったのだろうか。


「おねえちゃん……」

「ごめんね。君のお父さんを殺して……」

「おねえちゃんが悪いんじゃないよ! 悪いのは……あいつ……あいつらだ……」

「だけど、私は君のお父さんを殺したやつらの仲間なんだよ」

「……あいつらは許せない。だけど、おねえちゃんは違う。僕を助けてくれた……だから、おねえちゃんは悪くない! それでも、周りがおねえちゃんを悪いと言うなら僕だけがおねえちゃんを許すから!」 


 小熊の言葉は思いのほか、わたしの胸の奥に響いたことは忘れられない。


 それから数日、私は洞窟の中でずっと考え続けた。考えて考えて考えて。

 自分が戦争をどうして終わらせたいのかと原点の理由すらも改めて考えて。

 それから長い問答を繰り返して、ようやく抜けていた簡単なことに気が付いた。


 ――私は天人族側しか見ていなかった。


 私がいるこの地には天人族だけじゃなく、魔人族や鬼人族といった相手側からも見ていなかったんだ。

 そして、私たち3種族だけの問題じゃない。子熊たち亜人族も含めてこの夢は見ないといけなかったのだ。


「何を笑ってる?」

「いえ、自分はまだまだ未熟だなとか、やっぱり馬鹿だな……とか」


 まったく、このことに気が付くのに50年近くもかかってしまった。


「話を……聞いてもらってもいいですか?」

「……いいぞ。聞いてやる」

「私は、戦争を止めたいんです」


 竜人はふっと鼻で笑った。私もつられて笑ってしまった。





 それから私が洞窟を出させてもらって直ぐのことだった。

 私たちの住むこのゲイルホリーペで今までの小競り合いとは比べものにならない大規模での戦争が3種族の間で始まった。


 ここから10年弱、私は子熊の男の子を、亜人族たちを新たな支えとして生きて行くことを決意した。

 今度の支えはいつ崩れてもおかしいものだった。

 天人族を快く思わない亜人族は多く、私に向けられる数えきれない悪意を受けながらも彼らと生活を共にした。この10年は彼らを守り、そして和解することに尽力を注いだ日々だったと思う。


 私は亜人族たちを守りながら再び夢を見ることにした。





 大事なものを喪失した後の空っぽになった私は、死に場所を求めているかのように彷徨いました。

 その時のことは自分でも薄らとしか覚えていません。今思えば良く生きていられたな、としみじみ思います。

 私がはっきりと思いだせるのは亜人族の方たちと初めて出会った時でしょうか。

 とある理由から亜人族たちと行動を共にするようになりましたが、最初は怯えた目で見られました。しかし、いつも私のことを庇ってくれたのは熊の亜人族でした。

 彼はもう寿命で天寿を全うしましたが、今も彼の孫がユッグジールの里で亜人族を束ねる長を務めています。

 まだ小さかった頃の彼は私を何度も庇い、他の亜人族の方との架け橋になってくれました。いつも命を救ってくれた恩人だと彼は言ってくれましたが、彼がいなければきっとこの戦争が止まらなかったと思うくらいに私の方が畏まってしまいます。

 心優しい彼は、タルナにもぜひ会って欲しいと思うくらい素敵な方でした。


― 親愛なるタルナへ 第3頁(1/5) ―

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