第153話 喪失―ブランザ60歳―

 出会った当初からロカは物静かでお人形のような男の子だった。あまりの大人しさに最初はどう接していいかわからなかったほどだ。

 ここで私がロカとの関係をその場限りにしなかった理由はその美しい容姿に惹かれたのか、それとも情や保護欲が湧いたことからか。今となっては自分でもわからない。

 ようやくロカと親しくなれたと実感し始めたあたりだろうか。彼は普段よりも舌が回ったり、不自然なほどに明るく振るまうことがしばしあった。

 この時は機嫌がいいとか私に会えたことをこんなにも喜んでくれているのだと浮かれ、特に何の疑いも持たなかった。

 ロカは賢かった。

 私に悟られないように精一杯隠そうとしていたのだ。






 彼を抱きしめたあの日からもう3年。

 あの日を境に私はロカの顔を見るのが辛くて、少しずつ距離を取っていた。最後に会ったのはもう4か月は前のことだ。


 ロカは顔を合わせる度、階段を駆け上がるのように成長していく。幼さの薄れた今の彼は出会った頃に予測した通り、美しく成長していった。

 順調に大人へと変わっていく彼を見ると、彼が笑うと、彼に見つめられると、胸がぎゅっと締め付けられる痛みを感じる。

 この痛みがどうして生まれるのか、その時の私は理解しないよう努めた。

 きっと、私にだって少なからず存在するであろう母性本能とやらが刺激されたんだと、当時の私は自分に言い聞かせた。

 

 彼は間もなく15を迎える少年だった。整った顔立ちから歳の割にさらに2つ3つ年上に見えなくも無かった。

 私はもう60を過ぎたお婆ちゃんだった。見た目は20歳のころから変わらなくても前の世界で言えばお婆ちゃんと呼ばれてもおかしく無い歳だった。

 ロカは私にとって我が子か、きっと孫みたいな存在……だったのだ。

 それ以外の感情なんてない。きっと、その時の私は次第に成長し子供から大人へと変わっていくロカに戸惑っていたのかもしれない。

 

 以前だって、遠出して数か月ほど会わなかったことも何度かあった。だから、今回だって彼と会わずにひと月がふた月、さん、し、と季節が一巡してしまうほど間を開けても不自然じゃない。

 現に私は戦地に向かい、いつも通り実りの無い活動もしっかりと行っていた――でも、実際は心の整理が必要だとと言い訳をしてゆっくりと時間をかけていただけだ。

 いつもロカはそこにいるのが当然だと思っていたこともある。


 だから……失敗した。

 ようやく今回も彼と顔を合わせる決意が持てたので、いざ向かってみればそこに彼は居なかった。

 彼の囚われている社は崩壊していた。


「……ロカ? ロ、ロカぁぁぁあああっ!」


 私は即座に呪文を唱え、崩れ重なる残骸を風魔法で持ち上げた。

 空に浮かんだ瓦礫の中を見てもロカはいない。血の気が引く思いで飛ばし損ねた瓦礫を手探りで退かして彼を探すけど、ロカはどこにもいなかった。

 彼も、彼だったものもいなかったんだ。


(どうして。なんで。どこに。ロカはどこ?)


 途方に暮れながらも私は崩壊した社跡の中心で座り続けるしかなかった。


 真っ白になった頭で村に戻ると、見知らぬ不審者が現れたと言う話でもちきりだった。

 村人の話に耳を傾ければ、ひとりは深くローブを被った老人で、もう1人はだとか。

 褐色の肌に銀色の長い髪の……女――当然、私は1人しか浮かばなかった。

 ロカが閉じ込めれていた山の方から2人は逃げるように去っていったという。

 理由はわからないが、ロカは老人に連れていかれてしまった……ということか。

 同種より忌み嫌われる褐色の女天人族の出現に、村人は祟りの前触れだと口を揃えて怯えていた。

 リウリア長老は青ざめながらも笑みを崩さず、必死に村人たちを集めて宥めていた。


「皆の者、静まり給え。そのように慌てふためてどうする。見つけ次第直ちに粛清すればいい話ではないか。我ら選ばれし天人族が怯えていては聖ヨツガ様に示しがつかん」


 叱咤を交えた説得により、村人の動揺は一応の治まりを見せる。

 程なくして村人たちが落ち着きを見せた頃、長老がその場から逃げるかのように去ろうとしたので、私は彼の後を追って声を掛けた――問い詰めた。


「長老……ロカは本当に老人に連れていかれたの?」

「…………何の話だ?」


 リウリア長老は知らんと口にして先を急ぐ。


「とぼけないでよ! 待ちなさい――っ!」


 建物の奥へと消えた長老を追い、彼の肩を掴んだところで逆に胸ぐらを掴まれ壁に押し付けられた。

 先ほどまで村人に送っていた穏やかな笑みを潜めて、皺を普段以上に深く刻んで長老は私を睨み付け始めた。


「……貴様のことは聞いているぞ。戦争をやめろと周りに吹聴している愚かな娘がいるとな。そして、隠れて離れに足を運んでいることも。……随分とロカにご執心じゃないか。大方、あいつの魔性に惹かれたのか?」

「魔性? 惹かれた? 何言ってるの。あなた……それより、ロカは……」

「……煩わしいな。消えたよ。“地猿”がやつを連れていった。これで満足か?」


 地猿、という言葉は私には理解できなかった。何かの蔑称であることはわかるけど……。

 本人の口からロカが消えたことを改めて告げられたことで、私は本当に彼がいなくなったんだと悲しくなってそれどころじゃなかった。


「親が子をどう扱おうがお前には関係ない……あれは忌まわしくも私の子だ。まったく、先に首を攣って逝った母親ともども忌々しい。……血族の話に余所者が関わっていい話ではない」

「あ……あなた、虐待をしておいて他人に口出しするな!? 何、馬鹿なこと言ってるのよ!」


 知っていたのか、と長老は顔を驚愕させて私を見た。それから、気味の悪い微笑を口から漏らした。


「虐待とは恐れ入った。お前は勘違いをしている。あれは穢れを祓っているのだ。肌の中に染みついた穢れを追い出すための神聖な儀式である」

「は……一体、何を言って……神聖な儀式? あんなことで肌の色なんて変わるわけないじゃない!」

「……神の使いである天人族、その長である私の言葉を信じられないと?」

「ふざけないで! あんなのはただの強姦よ! 昔っからお前は欲望のはけ口にしてただけだ!」

「ほう……昔から? ではお前はあの儀式が以前から行われていたことを知っているのだな?」

「な……!」

「今まで黙って儀式が行われているのを知っていて、あいつが消えた途端に喚くのか?」

「……!」


 痛いところを……指摘されて私は黙ることしかできなかった。

 彼への暴行を知ってなお、この3年間私は目を瞑っていたんだ。

 知っていて何もしなかった私はロカを苦しめていたこいつと同罪だ。


「それともなんだ。お前は羨ましかったのか? あいつを抱きたかったのか? 抱かれたかった? むしろ、もう何度も身体を重ねていたとか? く、ふふっ、女の癖してふしだらで卑しい奴め」

「……」


 言い返したかったけど、私には黙るしかない。そんな気なんて1度も起こったことは無い。子供の、ましてや同性の彼をそんな目で見るこいつがおかしい。

 けれど、私は口を閉ざすしかできない。私が言い返したところで、私が目を瞑っていた罪は消えない。


「ふ、ふふっ……あんな汚らわしい呪われた子を授かったことは、私の人生で唯一の汚点だ。この年になってやっと子供を授かったと言うのに、あんな屑を産みおって。……その気になればいつだって私はあいつを殺せた。ただ気紛れに生かし、愛でてやっただけ。男の癖して器量だけならそこらの女よりも遥かに優れているからな」


 気をよくしたのか、長老の舌はよく回った。

 今まで他人に黙っていた鬱憤が溜まったかのように、ロカはどうだったとか、ああだったと、どれだけがよかったかと延々と口にしていった。


「最初はな……ぴーぴー泣いてたよ。痛い、やめてくれってな。拒むなんて失礼な話だとは思わないか。私は邪を祓っているだけだと言うのに。お灸を何度だって据えてやった」

「……」

「次からは抵抗もしなければ身動きもしなくなった。まるで死体を相手にしているかのようだったよ」

「……」

「だが、ここ数年はとても従順だった。以前の様に自分からは動きはせぬがいい反応をしてくれるようになった」

「……」

「何故だと思う?」

「……」

「く、くふふ。聞かぬか。まあいい……では、私が何故貴様の出入りを見逃していたと思う?」

「…………え?」

「ロカがなあ……頼むんだよ。貴様とこれからも会いたいって。貴様とお話が出来るなら……“自分はどんなことでもする”ってな」

「……あ……え……え?」


 人前で話すにはいささかはばかれる内容だ。

 日中にしても、私以外人目が無いとしても、老人は年甲斐も無く興奮して口にする自慢話に、吐き気を催しそうになった。


「あいつはな……私の手の平の中で一生を終える存在だった。いつだってあいつを殺せた……あいつが今まで生きてこれたのは、偉大なる父からのせめてもの慈悲故だ」


 その時……私の中で何かが切れた。

 この糞爺のご機嫌を取るためだけにロカは生まれたのだと言われたような気がしたからだ。

 まるで、あの時の両親のように……あの場で死ぬために生まれてきたのだと言われたように……ロカも同じなのだと言われて――。


「殺せる……? あなたはロカを殺せるの?」

「ああ、殺していたとも。この手でやつを始末できなかったことだけは後悔が残るな!」

「後悔? 後悔だと言うなら、なんで最初っからロカを殺さなかった! 彼を忌まわしいと呼ぶのなら生まれた時にその手で始末すればよかったんだ!」

「……そんなの、ただの気紛れだ。泡沫程度の温情をかけたに過ぎん」


 リウリア長老の目が泳ぐのを見逃さない。

 もう私は去るべきだったんだ。この場から、この村から、この世界から。

 でも、今の私は不満を吐き出したくて仕方なかったんだ。ロカへの虐待を見過ごしていたこと。知ってなお助けられなかったこと。

 ……何より、ロカが私に黙って飛び去ってしまったことに。

 自分のことを棚に上げて、目の前の枯れ木のように細い、自分の云倍と生きていそうなこの老人が憎くて仕方なかった。


「いいや、違う……お前は臆病なだけだ。人に上から戦え、殺せと口にしながら、お前自身は人を手にかけることを恐れているんだ」

「な……」

「……同じような子が他の天人族の間で産まれようものならお前は直ぐにでも殺せと命じるはず。でも、お前はロカを殺せなかった。だからあの社に隠すほかに無かった。いいえ、それだけじゃないわ。肌の色が違うだけで仲間から迫害されるんだ。そんな子の父親ってだけでも、天人族はこぞってその親を責め立てるわよね。だから……ロカのことが村の人にばれたらどうなるでしょうね。この村どころか、天人族という囲いからも追い出されていたんじゃない? その老体でいったいこの地で生きれる場所なんてあるの?」

「しっ、失礼だぞ! わきまえろ女! 私が誰かわかっているのか!」

「はっ、リウリア長老様でしょう? お前みたいな最低な奴がどうして天人族の長を務めているのかさっぱりわからないわ……ああ、そっか。無駄に長生きしてるから? え、もしかして図星かしら?」

「……っ……子娘がしゃあしゃあと……馬鹿にするなよ!」


 リウリア長老は私から距離を取ると口元を震わせて――呪文を唱え始める。私は黙って彼の詠唱が終わるまで聞きとげていた。

 生み出されたのは岩石で出来た円錐型の巨大な槍だ。モミの木のような形をした槍の矛先は私へと向かい、今か今かと飛びだすのを待っているかのようだった。


「……」


 思わず、ぽかんと口を開けてしまう。何、突然、と。

 私の反応をどう思ったのか、リウリア長老の口元が愉快に歪んだ。


「怖気づいたところで遅い。貴様は愚かにも天人族の長である私を侮辱した。心の広い私ですらもう我慢ならん。……臆病者だと言ってたか。貴様の愚行は天人族でも上位に君臨する私自ら裁いてやろう!」

「……ふん!」


 大きな槍を出したところで何だと言うのだ。

 私も即座に呪文を唱え、槍が放り投げられる前に水魔法で作った氷壁を生み出し、射出された槍を受け止める。

 石槍は私の作りだした氷壁を貫くことも出来ず、それどころか弾かれて明後日の方向へと飛んで行き、近くの民家に衝突した。


「な……天人族でも上位の私の魔法を……!」

「上位? 上から一体何番目よ。戦えない人を含めれば上位って話? ……私は先生から5番以内だとお墨付きを貰っているわ!」


 驚愕する彼を前にして、私は上空に手を掲げ呪文を唱える。


『震える雷よ。この場に無数の線を放ち、私が進む道を妨げる塵を散らせ――【雷狐】!』


 そして、今まで実戦では1度だって使ったこなかった雷魔法を、雷雲を上空に生み出した。

 太鼓を力一杯に叩き付けたかのような轟音が私たちの真上から鳴り響く。どうしたどうしたと、村に住む天人族が姿を見せ始め、雷鳴に負けないくらいの悲鳴が各地で上がった。

 雷雲はこの村全体の空を覆い隠すほどの巨大な黒雲になった。

 祟りの前触れだとまたも騒ぎ出す声を遠くで耳にする。

 まだ発現前だというのに、リウリア長老は恐れ慄きながらその場に尻もちをついて私を見上げていた。


「な、なぜこんな村娘にこれだけの魔法が使え……ひっ、や、やめてくれ!」

「……ロカがやめてと言ってお前はやめたの?」

「な、何を言ってる! 何の話をしているんだ! さ、最初だけだ! ロカはそれ以降1度も拒んでない!」

「……っ……ええ、でしょうね。ロカは賢かった。お前にやめろと言ったところでやめないことを、反抗してもっと酷くなることを直ぐに悟ってたんだわ。だから、ずっと耐えて耐えて……辛かったでしょうね」


 ただの腹いせなのは自分でもわかっている。

 ロカもういない。そして、私もここにはいない。

 ただの憂さ晴らしの為だけに、私はリウリア長老へと魔法を振り落とした。




 しかし、私が彼を座敷牢から出してあげるという願いは叶うことはありませんでした。

 私は彼を1度失いました。

 まるで自分ひとりだけがこの世界にいるかのようで、どうしようもなく悲しかったことを覚えています。

 彼に会いたい。彼を直接抱きしめたい。でも、彼はもういない。

 彼はある老人に連れていかれて、やっと自由を得たのです。しかし、私にはそんなことどうでもいい、とすら思っていました。


― 親愛なるタルナへ 第2頁(4/4) ―

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