第152話 残酷な世界―ブランザ57歳―

 このところ、私はブロス先生の言付けをやぶって最低の戦場へと足を運ぶようになった。

 一人の兵ではなく、ひとりの人として私は出向いている。

 何をするかはしっちゃかめっちゃかと戦場を掻き乱すためだった。


 ただ、私が出向く戦場は決まって同族である天人族の参加しない戦に限定し、鬼人族と魔人族……2種族間の争いへ介入するようになった。

 戦場に天人族の姿を捉えた場合は、私は諦めて退散することにしている。これも私が戦場使えることを身内には知られたくはなかったからだ。


「戦争なんてやめましょう! あなたたちは自分が戦う理由を知っているんですか!」


 前進する敵を風魔法で吹き飛ばし、それでも前に進もうとする敵は溢れる洪水で押し返した。

 火と雷の魔法も使えるけど、あれは殺傷能力が高いため私は使わないことにしている。使うとしたら日常での生活の範囲内に留めている。他に土魔法と呼ばれる土と石を操る魔法も使えるが、私は一般教養程度に身につけているだけだ。


「話を聞いて――わったたたっ!?」


 ブロス先生の魔法に比べてしまえば彼らの魔法の威力は弱めだが、この身に向けられる数はブロス先生が一度に放つ数の数十倍と多い。前と後ろと挟まれた状態で集中砲火を受ければ、直撃は免れても余波なり衝撃なりで何度も身体を打ち付けた。

 でも、数が多かろうが、これくらいはどうってことはない。打撲程度で済む彼らの魔法と違い、ブロス先生に見せられた夢は身体に穴を開けたほどだった。

 彼らの魔法に吹き飛ばされても、気絶することもなく痛みにあえぐこともなく、即座に次へと行動に移せる身体を私は持っている。

 また、やたら無闇に留まることはせず、ここまでだと思えば、即座に戦場から逃げ去るようにしている。

 逃げるタイミングも見極められるのも、これも全て先生のおかげ。怪我の功名とはこういうことを言うのだろうか。


「死ね腐れ天人! お前の顔は覚えたからな!」


 こうした努力が実ったおかげか、私の顔は良くも悪くも2種族に知れ渡り始めていた。仲間に知られるのもいずれ時間の問題かもしれない。

 私の言葉に少しでも耳を傾けてくれる人がいてくれたのであれば幸いだと、実際に確認することは出来ず、思うだけしか実りが無いのが残念だ。

 現実は罵詈騒音と私を罵る声だけであることを知っている。

 自分でも無理をしている気がするが、これもロカの為だと思えばこそだった。


 今の私の原動力はロカの為と言っても過言じゃない。私は前以上に戦争を止めたくて仕方なかった。

 戦争が終われば、もしかしたら、彼は今よりも少し自由になれるかもしれない。あの小さな社だけの世界から彼を放つことが出来るかもしれない。

 その時の私は思いのほかに彼に熱を上げていたと思う。

 以前、父や母が商人として他大陸へ出向くことが出来るくらい、争いの無かった長期の休戦状態にするのもいい。

 そんなことを思うくらい、私の決意は縮小していた。





 心の癒しを求めて今日もロカに会いに行く。

 傷ついた体も心もロカと触れ合い言葉を交わすことで元気になる。


 今日はおよそ1か月ぶり彼と会う。

 とにかく移動がネックだ。戦地は世界樹付近で起こることが多いとは言え、大陸の中心から私が身を置く村までの往復にひと月は簡単に消える。

 そうした大なり小なり留守にしていた間に、小さな王子様はその身を大きくさせていった。このところ、彼の成長を見るのがとても楽しみでしかたない。

 きっと将来はとんでもない美形になる。以前、ブラウン管の奥で笑っている比較的顔立ちの整った住民たちが一斉に顔を背けるほど、ロカは綺麗になると思う。

 そんな彼が日の下で笑える世界を1日でも早く作り上げたくてたまらない。


(今は窮屈な世界でもいつか、きっと私が出してあげるからね)


 鼻歌交じりで立ち入り禁止の山へと入り、ロカの住む社へと向かう。

 立ち入り禁止ってことでこの辺りに村人の姿は無い。あるとしたら道中に出てくる魔物くらいだ。

 そういえば、魔物が生息する山なのにロカの住む社が襲われない理由は壁にかかれていた文字のおかげだということを最近知った。

 魔物除けの不思議な文字が掘り込まれている、と同じものを村の中で見かけ、このところ避けられ始めている村人に聞いた。


(……あれ?)


 そして、今日も魔物に襲われることもなく社に着いたけど、建物の中から何や物音が聞こえてきた。

 最初はロカが魔法の練習か何かをしているのだろうと思った。けど、そうじゃない。ロカ以外の誰かがいることに遅れながらに気が付いた。

 私以外にこの場所に訪れる人と遭遇するなんて数年間通い続けて初めてのことだった。これはさてはて、今まで運がよかったのか悪かったのか。

 彼は狭い世界に囚われていて、外に出ることは出来ない。

 つまり、食事といったお世話をする人がいたければ成り立たない。だからきっと、その人がいるんじゃないかって思うんだけど……。

 今日はあきらめて次の日にしよう……と、素直に立ち去ればいいのに、やめておけばいいのに私の好奇心が足を社へと向ける。

 私は社の裏に回り、初めて来た時のように壁によじ登り格子窓から中を覗き見る。


 ――そして、私は悪い夢に囚われるのだ。


「……っ!」


 薄暗い室内には蛍火のような淡い光が宙に浮かび、その下に2人の人物がいることを知った。

 2人の顔はよく知っている。ひとりはロカだ。そして、もう1人は……この村を束ねるリウリア長老だった。

 頭が真っ白になった。最初は何をしているのかも理解できなかった。

 ……薄暗いその狭い世界で、ロカの上に覆い被さった長が一心不乱に腰を振っている。

 知識としては知っているし、今の私を生んだ両親が行っていたそれを顔を真っ赤にしながら狸寝入りをしていたこともある。しかし、私が知るそれは男女のそれだった。夫婦の営みのそれだった。

 けれど、その場にいるロカは男だった。リウリア長老も男だった。


「……っ!」


 甲高い悲鳴がロカの口から洩れて私は意識を取り戻す。


(なんで、どうして、何、何してるの!?)


 取り戻した途端に、壁にぶら下がっていた私の腕は力が抜けて落ちた。脚から着地はしたが、勢い余って尻もちをついてた。


「……っ……だ、誰だ!」


 社の中からリウリア長老の怒鳴り声が轟く。

 ひっ、と悲鳴を上げそうになり、私は泣きそうになりながら口を押えるしかなかった。

 見つかってしまったのか……逃げる気力は無い。戦場では気を失いそうになる怪我を負おうが無意識にでも逃げれるのに、私の身体はまったくとその場から動くことが出来なかった。

 このまま見つかってしまうのか……震えながら社の中からリウリア長老が出てくるのを待った。

 ――が、気が滅入りそうになる短くも長い時間が経っても、中から人は出てくることは無かった。

 ……声はまた始まった。


「……っ……っ!」


 その場で蹲り、口を押えて地面におでこを擦り付ける。

 ロカの小さな叫び声が社の中から幽かに聞こえてくる。まるで小鳥のさえずりの様な小さな声だった。心穏やかになるものじゃない。掻き乱す声だ。

 耳を塞ぎたかったけれども、それ以上に声が出そうになって、口を覆った両手を離すことは出来ない。声を聞く恐怖より、声が出ることを恐れてしまう。


「この、忌み子、め! お前なんぞが、私の息子、だと! 恥を、知れ!」


 男の……リウリア長老の声が私を攻め、ロカの悲鳴がこの場で重なって私を責める。


(嫌だっ……止めないと! 止めないと止めないと止めないと!)


 けれど、私の身体は亀の様に動かない。

 リウリア長老はロカに向かって何度だって罵っていた。ロカはとても苦しそうに声を上げるだけだった。

 こんなの虐待以外の何ものでもない。

 断続的に彼の声がこの場に響く。ロカに暴言を吐き続けるくせに、醜く身勝手に喜び混じりの荒いリウリア長老の嬌声が、ロカの悲痛な声を際立たせる。

 ――涙がこぼれた。


(なんで? どうして? やめて、やめてよ……!)


 ロカの声が私を責め続ける。『どうして助けてくれないの?』そう言っているように聞こえた。


(違う。私は、ロカ、ロカロカロカ……っ!)


 今にも飛びだしたくて、彼を助けたくて声が漏れそうになる。彼の、ロカの名前を口にして叫びたい。

 私は口を塞いでいた自分の指を噛む。ぎりぎりと噛み千切れそうなほど力強く噛んで嗚咽を、彼の名前を叫ばないように抑え込んだ。


 



「あ……ラン」

「……おっす」


 私は至って平然を保ってロカに話しかけた。

 顔を見せると、普段通りにロカは私に接してくる。私も同じく何も見ていないし聞いていなかったとばかりに演じて彼を見た。

 一瞬陰りを見せていたロカの綺麗な顔にてへへと変わらない笑顔が浮かぶ。

 先ほどまでの行為なんて無かったかのように。無理して隠そうと振る舞い始める。

 きっと、昨日までの私なら騙されているだろう笑顔だった……また泣きそうになった。

 目の奥が痛い。涙がこぼれそうになる。私は目を強く瞑って顔を上げた。


「ラン! 指怪我してる!」

「え……ああ」


 ロカに指摘されるまで、自分で噛み切ったことも忘れてた。


「噛み痕……まさか、私のために傷つけたの?」

「あ……う、うん。そんなところ」


 治癒魔法の為に、何度か自分の身を傷つけてロカの練習台になったことがしばしばある。今回もそれだとロカは思ったのだろう。

 格子の隙間から手を出して、噛み切った指先をロカへと差し出す。

 ……びくり、と身体を震わせてしまう。

 今日のロカは私の手を取ると、その指を口に含んだのだ。

 どうして私の指なんかを口の中にいれたの……聞くことは出来なかった。幼いロカの口の中で私の指に纏わりつく舌の感触がもどかしい。

 ロカの唾液で照りつく傷口には僅かに血が浮かぶだけ。ロカは薄らと私に笑みを浮かべた。

 先ほどの行為の延長線上にロカが立っているようで悲しくなった。


『癒しを与える光よ。その恩恵を与えください【ヒーリング】』


 私の指が入っていた口が呪文を奏でた。ロカの手に淡い薄緑の光が灯り、私の傷口を塞いでいく。

 薄く唾液のついた冷やりとする痛みはたちまち消えて行くが、塞いだ傷口の裏にはロカに舐められた感触だけが残っている。


「今日も魔法を教えてくれるの?」

「……うん」


 こうして今日も、いつも通りの日々を私たちは演じ始めた。座敷牢の奥でロカが今までの復習と小さく魔法を発現させる。

 日の当たらない薄暗い社の中で彼の魔法だけが光りを生んでいた。照らされた彼の顔は私の目がそう見せるのか、今まで以上に儚げに見えた。

 火から始まり、水、土、風……「わっ」と声を上げてロカは風魔法を暴発させた。コテン、と転がり床に頭をぶつけ、痛いと頭を抱えてその場で小さく蹲る。


「大丈夫っ……痛っ」


 つい手を伸ばすが、私の手は座敷牢の硬い格子にぶつかった。手を引っ込めて自分の胸に抱く。

 私は彼に触れることは出来ない。あの男のように触れることが出来ないことがとても歯痒く感じる。

 私たちを隔てる手で握れるほどの角材の厚さが、距離が、向こう側にいる彼を酷く遠い存在にしているかのように思えた。


「ロカ……」

「何、ラン?」

「こっち、きて」


 だから、私は彼を呼んだ。

 座敷牢の檻に腕を差し込み、彼を掴もうと手を伸ばす。

 ロカは不思議な顔をして近寄ってくれる。私の手を取ってこれでいいかと聞いてくる。もっとだ。


「……もっと」

「何? わっ!」


 格子を間に挟み、ロカを自分の胸に引き寄せる。私たちを遮る障害が邪魔で仕方ない。いっそ壊してしまえばと己の中にある暗い感情が呪文を唱えようとして、やめた。

 彼への暴行を止めることが出来なかった私なんかが、この隙間を壊していいものじゃなかった。


「い、痛いよ……」

「大丈夫。私が絶対何とかするから」

「何……ランへんだよ」

「変じゃない……変なのは……」


 誰もが私をおかしいと言う。変だという。身内からも狂っていると噂され始めている。

 でも、違う。

 変なのもおかしいのも狂っているのも、両親を奪い、ロカを閉じ込めたこの世界だ。





 彼との出会いから数年が経ち、会うたびに見違えて成長していきましたけど、未だに座敷牢から出ることは叶いませんでした。

 どうにかして出してあげたいと思いましたが、その時の私は彼についておいそれと口を出せる立場ではありません。なぜ彼のことを知っているのかと問われて村を追い出される方が怖かったのです。

 今思えばあの時にでも無理やり牢を壊して2人で逃げればよかったんだと思います。

 思いだすだけでも腹正しく、悔しくて涙がこぼれそうになることがありました。

 口にするにもたばかられることがあったんです。ここから私はどんな子でも天人族の子供は大切に扱うようにと決めたんです。

 しかし、その時の天人族は……ゲイルホリーペは子供ですら簡単に命を落とす時代でした。子供を大切にしろ、なんて易々と私が口にできる時代ではありませんでした。

 私は彼のためにも、絶対この戦争を止めてやろうと改めて決意をした時期でもありました。


 ― 親愛なるタルナへ 第2頁(3/4) ―

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