第151話 ロカ―ブランザ51歳―

 ブロス先生の元から離れて更に10年ほどが経った。

 話を聞いてください。この言葉をもう何百回も唱えた気がする。

 しかし、誰1人だって耳を傾けてはくれやしない。


「私のしていること、本当に正解だったのかな」


 このところ、こんな弱音がぽろりとこぼれるようになった。

 戦争を止める。争いを失くす。あの日の決意は1年経ち、2年を迎え、3年を越え……年を取ることに薄れていく。

 叶わない夢に浸り続けることを拒み、目覚めてきたのかもしれない。


 この戦争というものは不思議なもので、一定の期間が過ぎると停戦が行われる。また逆も然り。

 争い、止まり、争い、止まり……。

 戦争を止めたいがために魔法を教わったブロス先生から何度と私の行動は無意味だと言われ続けた。

 無意味かどうかは私が決めることだ。あの時は自分への鼓舞だと思うことにしていたけど、だんだんとブロス先生の言葉の通りになってきたような気がする。


 1度ブロス先生にどうして我々は争っているのか尋ねたことがある。

 しかし、400年生きてきたブロス先生ですら知らないと言われてしまった。彼が生まれる遥か昔からこの戦争は続いているそうだ。

 ただ、もしも理由を1つ上げるとすれば――ブロス先生はこの大陸の中心に存在する世界樹が関係しているのでは、と言う。

 世界樹……ユッグジールと呼ばれる山のような大樹の所有権を求めて、争っているのかもしれない……本当のところはわからない。


 結局、誰も戦う理由も知らずに戦っているのだ。事実、少なからず話を交わした天人族は誰1人だって知らなかった。

 我々天人族の代表であるリウリア長老ですら、戦う理由を知らないだろう、とブロス先生は言っていた。

 また、いつの日のことか『我々は殺し合うために生まれてきたかのようだ』と、ぼつりと呟いていたブロス先生の言葉は忘れることは出来ない。

 殺し合うために生まれてきた?

 私には到底受け入れられない言葉だった。

 そんなことあるはずがない。それなら、私が両親と生活を行っていたあの十数年は必要のないものだ。戦い争うために生まれてきたのであれば、私は両親の愛情なんてものを受けて育つ必要はない。必要なのは相手を殺す術だけになる。


「もしも夢の中にいるというお前がこの戦争を万が一にも止めることが出来たと言うならば、私の残りの余生をお前の夢の住民として尽くすことを約束しよう」


 それがブロス先生との最後の会話だった。

 あれから10年。未だ自分勝手なこの夢にブロス先生は登場してくれていない。目が覚めていないということだ。

 いずれ目が覚める。ブロス先生は口を酸っぱくして私に言っていた。

 しかし、私が夢から目を覚める時とは、それはきっとこの身が朽ちる時か、戦争を終わらせることが出来た時だと、自分だけが信じている。


 自分が信じなくては、誰が叶えると言うのだろうか。





 私が呼びかけを行うのは主に停戦の時だった。


「すみませーん! 話を聞いてください!」

「長耳だ! 長耳が攻めてきたぞー!」

「え、ちょっと……ひゃあっ! 待って! 攻撃はなし! 話を、戦争を、やめ、やめっ、やめぇぇぇ――!」


 そうして出向いた他種族の村での会合は、悲鳴と暴力による歓迎を受けるだけ受けて追い払われてしまってばかりだ。

 彼らの拙い攻撃はブロス先生のそれとは違い優しいものだった。どの魔法も私は全て見切って、全て対処できた。多分、本気を出せば全員をねじ伏せられることも出来たと思う。

 しかし、私は一切の抵抗も見せず、ただただ逃げるだけに終わった。

 話なんて当然できるものじゃない。 


 戦時中では私は天人族の村に身を置き、以前と同じく後方支援を行うことにした。ブロス先生の助言でもある。

 10年間、地獄に身を落としていたおかげで、私はブロス先生にお墨付きを貰えるくらいには力をつけることが出来たが、今度はその力を味方に利用され、十分な戦力として前線に立たされる可能性があったからだ。

 そこに以前の役立たずだった私の頃の様に、呆然と立ち尽くしている暇はない。自身が望まずとも敵を増やすかもしれない。そう言われてしまえば頷くほかにはない。

 戦争を止めたいと言っているのに我が身可愛さに奥に引っ込んでいるじゃないか。私自身を貶す瞬間だ。


 戦争は止めたいが、仲間意識はそれなりにも私にはある。

 傷ついた仲間がいるというなら私は全身全力でこの身を捧げる。

 以前は10人治癒できれば御の字だった当時と比べ、数日間寝ずに癒し続けてもピンピンとしていられるほどになったのだ。

 これには別の意味で重宝されてしまい、戦争には欠かせない一員として扱われることになってしまった。


「いてぇ……いてぇよぉおぉぉ……」

「ほら、我慢なさい! 男の子でしょ!」

「ふん、泣き虫インパが。またお前はしぶとく生き残ったか」


 泣き喚く金髪の青年を相手に治癒魔法をかけ続ける。

 まだ幼さの残る顔つきに反して大柄な彼の身体についた切り傷はものの数秒で完全に癒してあげた。治療が終わっても泣き続けるインパ君に、上司であり10年ぶりに再会を果たしたディルツさんがうるさいと彼の頭を叩いた。

 猪突猛進というか、彼にはよく治癒魔法を施してあげている。毎回大なり小なり怪我を負ってくるのだ。

 よく死なないな、と思うけど毎回泣きべそをかいて顔を合わせるとほっとする。


「……なあ、ブランザ。お前妙なことをしているらしいな」

「え、なんですかディルツさん。妙なことって初耳ですね?」

「……戦争を止めろと、周りに言い回しているとか」

「ええ、してますね。そこのどこが妙何ですか?」

「……余計なことをするなってことだ」


 戦時下に入れば毎日が血の匂いに彩られる。

 自分が傷付き、傷付けた訳ではないのに私の身体は血の臭いがこびりついて離れない。

 人を助けることは苦ではなかった。

 両親たちが何者かに襲われ殺された時、今の力があれば助けることは出来たかもしれない、という過去への贖罪も兼ねていたと思う。


「お前は背中から刺されても当然のことをしていると言っている。忠告だ。さっさとその馬鹿げたことはやめろ」

「ご忠告ありがとうございます。では、ディルツさんも戦争なんてやめませんか? 馬鹿げてますよ」

「……お前には何度も治療してもらった恩がある。だから、俺の前でそんな下らないことは2度と口にするな」

「ええ、では恩を感じるのであればこれ以上戦に加担しないでください」

「おい、俺をからかっているのか? 殺すぞ……?」

「やれるものなら? もう以前のげえげえと吐いていた私とは違いますよ?」


 しかし、正直な話うんざりとはしていた。

 私が彼らを癒したところでまた彼らは戦い始める。

 いっそ、こいつらを殺せば戦争も止まるかと思ったがそう言う訳ではないことはわかってるけど……。

 遥か昔から続いている戦争を私が止めることが出来るのだろうか……私がいることで戦争を長引かせている理由の1つになっているのではないか。

 またも私は挫け始めていた。





 ……ある日のことだ。

 心が折れ欠けていた私はとある天人族の子供と出会った。


 それは私が食料集めに裏山に赴いていた時のことだった。

 時期が悪いのか、今期の実りが悪かったのか。その日は思うように山の幸を得ることが出来ずにいた。

 野性の魔物すら見当たらず、今回の収穫は外れかなと肩を落とす。

 でも、あと少しくらい頑張ろう。それで無ければ村に戻ろうと、最後の最後と、私はいつもは行かない山の奥へと進んでいった。

 他の女子供なら危険だからと引き返す場所だったが、10年ほど生活で行っていたあの地に比べてしまえば、快眠さえできる程にその山は安全地帯だ。

 だから、気にせずにどんどん前へ行く……が、うっかり足を踏み入れたそこはリウリア長老と呼ばれる天人族の中で1番偉い地位にいて、今現在私がお世話になっている村長の所有している山だった。

 また、天人族にとっては災いになる何かを封じているため、猥らに入ってはいけないと周りの人から忠告を受けていた場所でもある。が、その時の私は山菜取りに躍起になっていた。

 だから、立ち入り禁止であることも忘れ、先へ先へと進み、いつしか薄暗い森の奥に佇む木造の社に辿り着いてしまった。


「ほえ……山奥にこんな立派な建物があるとはなあ」


 社と表現したけど、何かの保管庫かもしれない。

 小屋と呼ばなかったのは以前の世界でよく目にした神社のように見えたからだ。また、その社(?)を小屋と呼ぶには作りが立派だし、柱のところどころで読めない文字が書かれていた。

 何かを祭っているのか、封印しているのか。文字は読めずとも、見るからに妖しく、近寄るべからずと言っている。


「……あ、もしかして、ここが皆が言ってた何かを封印している場所?」


 ここでようやく自分が立ち入り禁止の場所に入ったのではないか(実際は入っていたんだけど)と疑問が生まれた。この社がその何かを封じていると考えれば繋がるし……でも。


「何があるのかしら」


 ……好奇心の優った私は社を1週して、高い位置にある格子窓へとよじ登って室内を覗き込んでいた。


「真っ暗……何も見えないじゃない……」

「……誰?」

「へっ!? ……きゃっ!」


 突然、薄暗い室内から投げられた人の声に思わずよじ登った窓から手を離し、ストン――とお尻を地面に叩き付けてしまった。 

 いてて、というがこのくらいの痛みなら痒いくらいだ。ぽんぽんと尻を払い、改めてよじ登り、社の中を見渡した。何がいた?

 今度は光魔法で作った蛍火を中に放って灯すと、がさりと何かが動くのを眼にする――女の子だ。


「あなたは……誰?」

「わ、私? 私は……ブランザ」

「ブランザ? 私は、フォロカミ」


 彼女の名前はフォロカミというらしい。

 縮めてロカと呼ばれているそうなので私もそれに習う。だからフォロカミ――ロカも私のことをランと呼ぶようになる。けれど、それは先の話で、今はお互いに名前を知り合った程度の間柄だ。

 このまま窓ごしで話すのも何なので、私は社の中へ入ることにし……社の扉には鍵はかかっておらず、思いの外簡単に中に入ることが出来た。

 別段、建物の壁にかかれた文字によってこの子供が封印されているということもなかったっぽい。


「な、何これ……」


 けれど、中を見てぎょっとした。

 入って直ぐ、木材を組み重ねた格子による壁が隔たりを目にすることになった。横には格子壁の入口が合って、外側からかんぬきで栓をしているという……座敷牢とでもいうのだろうか。

 最近できたものなのか真新しく、雨風といったものは十分に防げる造りで頑丈そうだ。

 中を遮る格子に目を瞑れば、以前両親と住んでいた集落の家々よりもいいかもしれない。

 しかし、部屋を照らす明かりは先ほど私が覗いた格子窓ひとつから洩れるだけ。

 薄暗い世界で、格子を間に挟みつつ今度は正面切って彼女と顔を合わせた。


「はじめまして、フォロカミです」

「……はじめてまして。ブランザよ」


 年は4つか、5つくらいだろうか。その子は褐色の肌に長い銀髪を携えていた。

 目はルビーのように赤く、暗い部屋の中で薄らと光っているように見える――初めて見た時は思わず息を飲むほどだった。

 息を飲んだのは畏怖したからではない――あまりにもその少女が綺麗だったからだ。

 薄暗い部屋の中で、まるで宝石のように彼女は煌いて見えた。

 顔の作りも去ることながら、銀糸の長い髪はさらりさらりと彼女が身震いを起こすたびに穏やかな風を連想させる優しい波を打つ。部屋の中の薄暗さに隠れることもなく、日に焼かれたような肌は漆を塗ったかのように照りを見せた。

 身体は若干痩せすぎているようにも見えるが、細さも相まって儚さを滲ませ美しさを引き立たせている。


「……ブランザは私に何もしない?」

「へ、するって何を?」

「ううん……なんでもない」


 その言葉の意味を知るのは5年後のことだった。その時の私は何か悪さをして閉じ込められているんだな、くらいにしか思わなかった。牢屋ではなくしかし、座敷牢に閉じ込めるっていうのも仰々しい話だったけど。

 これが私とロカの初めての出会いだった。


 私にとって1番大切な出会いになることを、今の私が知る由もない。





 その後、私はロカの元へと皆には秘密に何度と足を運んだ。

 最初は他愛も無い話から始まり、次第に私は彼に色々なことを教える立場になった。

 この世界のことを。私のことを。文字や魔法なんかも教えてあげた。

 お父さんやお母さん、タルナ、幸せだった集落の人たち全員から教えてもらったことを私は口頭で1つ1つロカに教えていったのだ。

 ロカに物事を教えていく中、傷ついた私の中で今も皆が生きていることを知る。


「え、ロカってリウリア長老の子供なの?」

「うん。お父様は私にここから出ちゃいけないっていってる」

「どうして……?」

「私は、生まれてきちゃいけなかったんだって。私はのろわれているって……茶色の肌で生まれた天人族は閉じ込めないとが起きるっていってた」

「そんな、肌の色なんて関係ないじゃない……」


 信じられない話も聞いて心を痛めることは何度だってあった。

 それでも、幼いロカとの触れ合いは今まで折れ欠けていた私の心を強く立て直してくれる。

 ロカとの格子を挟んだ日々はとても充実していた時期でもあった。


「ケラスの花? これってケラスの花っていうんだね」

「そうよ。この建物の周りにも沢山咲いてるの。知らないの?」

「私、ここから出たことがないから」

「……そっか」


 ただ1つ見落としていたことがある。


「ランにだけ教えてあげるね。私ね。男の子なんだ」

「へ……?」


 ロカは男の子だということを知ったのは彼女……ううん、彼と出会って2年目のことだった。




 魔法が上手く使えるようになっても私の言葉は誰にも届きませんでした。

 長い月日をかけても芽の出ない活動に私の心は折れ始めていました。両親の死を支えに行ってきましたが、1度は……本当のことを言えばもう何十回もやめようと思いましたし、折れそうになったんです。

 でも、そんな時に出会ったのは1人の子供でした。名前はあえて伏せさせてもらいます。その時はまだ3つか4つ程度の年だというのに神秘的で、身震いを起こしそうになるほど美しい子でした。

 その子は山奥の座敷牢に閉じ込められていました。肌の色から悪霊憑きだとか災いの子だと差別を受けていたのです。

 偶然の出会いでしたが、その日から私はその子に様々なことを教える立場になりました。

 文字の書き方、外の世界のことや魔法の扱い方。

 その時、私の50歳を過ぎていましたが、魔法とちょっとした世界のこと以外教えることが出来なくてとても恥じた覚えがあります。もっと色々なことを学んでおけばよかったと思います。

 でも、私が1つ1つ何かを教えるだけでも――彼は笑ってくれるんです。


 ― 親愛なるタルナへ 第2頁(2/4) ―


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