夢見る彼女が願ったこと
第147話 願い事―私2X歳~―
「ケーキが食べたい」
そりゃあもう腹いっぱいに。
食べるなら生クリームがたっぷりと乗ったショートケーキがいい。
ホワイトチョコレートのネームプレートは捨てがたいけど、あれは祝い事以外に食べると有難みが薄くなるから今回は無し。
理想で言うならウェディングケーキのように段重ねの巨大なものを、もう無理もう無理って弱音を吐きながらも口の中へ頬張り込みたい。
実はこれ、小さなころの夢だった。大きなホールケーキを1人でバクバク食べたいって……大人になったらすっかり忘れてしまっていた。
あーでも、この際だからホールケーキ8号くらいの大きさでいいや。
「とにかく、私はケーキが食べたい」
――そう、声にして願った。
◎
――貴女の願いを叶えてあげる。
とてとて、と疲労困ぱいと怪しげな足取りでの帰宅途中、そんな幻聴が聞こえてしまった。
ああ、流石に水分とお菓子しか口に含んでいなかったのがまずかったか。そういえばこのところ睡眠不足だったし、昨日も4時間くらいしか寝ていない。
化粧で雑に隠しているけど目元にはクマが出来てるし、肌荒れを気にしつつも最近は何も出来なかったり、梳かす暇さえない髪に艶なんてものはない。
今の私は完全に女ってもんを捨てている。もう、すっかりいい歳だっていうのにね。こんなんだから一向に彼氏なんて出来やしないんだ。
……いや、そもそもまともな恋愛すらしたことないか。おまけにこのまま独身なのかと震えもする。かと言って1人で生きるにしても貯蓄は心もとない。
つまり、このところ不規則な生活に身を任せすぎていた。
日の出とともに出勤し、夜はまだ終電手前くらいで帰れているが、やっぱり長時間拘束は辛過ぎる。
普段から食事だってままならない。トイレだって思うようにいけていない。身体は悲鳴を上げているのに休めやしない。
こんな悪循環から抜け出せない毎日を送っていたのだ。幻聴の1つや2つ聞こえてもおかしくないか。
またまた、今日は珍しく夕暮れ時に帰れたこと。明日が週末でおやすみなこと。だから、大好きなお酒を気兼ねなく飲めること。
こんな些細なことに喜びを感じてしまったことも幻聴を耳にした理由の1つだったかもしれない。
疲労と同時に訪れた解放感から脳が過剰にドーパミンを発生させたのだろうか? 肉体的にも精神的にも疲労は大分溜まっている。
(これはまずいかも。病院行った方が良いかねえ)
休みを潰して病院にかかることにやや億劫となりながら、今晩はお酒を控え……いえ、1本……2本に控えて、お風呂に入って直ぐに寝ようと決め込んだ――その時、また幻聴は頭の奥へと流れ込んできた。
――代わりにワタクシの願いを聞き遂げてほしいの。
頭を振って正気に戻れと自分を叱咤する。
いかんいかん。本当にまずい。通院の可能性が大だ。
まずいぞ。やっぱりお酒を飲むのはやめようか。保険証はどこに入れていたか。ああ、銀行でお金下ろさないと。というか、この場合どこへ行ったらいいんだ。耳鼻科かな?
――ねえ、聞いてらっしゃる? そこのちんちくりんさん。
「ちんちくりんっ!?」
失敬な! 身体的特徴を馬鹿にするのは人として最低の行為だと何度言わせれば気が済むのだ。
中学の半ばくらいで成長の止まった私の身体のことに触れるというなら、それが自分が生み出した声だとしても反応せずにはいられない。
(じゃあ、いいよ!)
逆なでされた思考でその願いというものを叶えてもらおうじゃないか、と私は小さく呟くことにした。
素敵な結婚相手をお願いします。
そして、明るい将来設計のもとに幸せな老後を迎えられますように――なんてね。
――無理ね。その願いは叶えることは出来ないわ。
(はあ……駄目だそうです。やっぱり幻聴か)
こんな私でもいつかは恋人の1人や2人くらい作れると思っていたのに、まるであんたは永遠に独り者だと宣告されたかのような気分だ。
顔は傍から見てまあまあな部類だとは思うのよ? ここ最近の激務でやつれ気味で、クマなんかも浮いているけど……いやいや、そう思わせておくれ。私はそこらにいる一般的なOLなんだと。お立ち台に登ってボディコンを着るなんて無様な真似は出来ないけど、そこらのOLと同じなんだと思わせておくれ。
しかし、そんなどこにでもいる、すこぉぉぉしばかり背の低いOLの私は出会いが無かった。
高校までは共学でも、短大は女子大。それから社会に出てみると出会いはある様でまったくと無い。
大人になれば結婚はしなきゃいけないものだと考えていた昔の自分よ、立ち上がってくれ。
結婚は起きるものじゃなくて起こすものなのだと。ただ、焦って高校の時にちょっといい雰囲気になったからと片思いしていた先輩はやめてほしい。あの人、高校卒業後、音楽で飯を食うって言って未だに行方不明だからな?
もう悔やんだ。はあ、素敵な王子さまはいつ迎えに来てくれるの? と夢見て枕を涙で濡らす日々を何度も越えてこの歳だ。
やってられないよ。
――次の願いは?
(……何だ、さっきからこの幻聴は)
じゃあ、次にお金を頂戴……って言っても駄目だと言われた。
(結構これは堅実的に本気で願ったものなのにな……)
お金は大事なのだ。お金さえあれば今の仕事を辞めてハワイにでも永住してやろうと考えた。
以前、どこかの居酒屋に1人でぶらりと寄った時、自分よりもすこぉぉぉしばかり若い、社会に出たばかりのお姉ちゃんたちがボーナスで100万円入ったーなんて喜んでいる姿に思わず歯ぎしりを起こしそうになって、すぐさまお勘定を頼んだことがあった。
そりゃあね。好景気の今じゃどこでもお金は溢れてるけど、じゃあ、こんな過労の私は一体何よって話ですよ。いったいどうして今の職場に入ったのかも覚えてないけど、好景気とは無縁と働く私にとってお金はものすごく大事だって――ああ、なるほどね。
きっとこの1件があったせいだ。だから、願い事を叶えて欲しいなんて幻聴が聞こえたのだ。
まったく、幻聴なんだから『いいわよ。ほら、そこの宝くじを購入なさい』とか、そんなセリフを期待した私が馬鹿だった。まあ、時間的に宝くじ売り場はとっくに閉まってることも忘れていたけどさ……おっと、閉まると言えば早く帰らないとスーパーマーケットが閉まる。
――ほら、次を言って?
(……まだ続けるの?)
そうして、あれこれうるさい私の幻聴にどうだこうだと何度か願いを言ってみるも、駄目だこりゃ状態。
その後、久しぶりの帰宅ラッシュの満員電車に目を回しながらも、どうにか最寄り駅に到着した後に呟いた願いというのが「ケーキが食べたい」なのだ。
――いいわよ。それならば、叶えてあげる。
(え、いいの!? って、ちょっとまった! どうして金が駄目でケーキがいいのよ!)
……なんて幻聴に突っ込むのも野暮な話か。
ちょっと不満だけど、まあ、いっか。そういえば最後にケーキを食べたのはいつだったろう。丁度いい機会だ、と私は近くのケーキ屋さんに立ち寄ることにした。
「えーっと……お店の名前はラクリ――あ」
「はぁ、今までお世話になりましたぁ……――いたっ、あぁ、お客さん、すみません。ちょっと、ボーっとしていましたぁ」
「あ! いえ、こちらこそよそ見をしてましたから……」
店名を口ずさみながらケーキ店の扉を開けたところで、タイミング悪く外に出ようとした女性とぶつかってしまった。
「いえいえ、前を見てなかった私がいけなかったんですよ。駄目ですねぇ……」
その後も女性はへこへこと私に頭を下げながら、ケーキ屋から出ていった。肩をがっくしと落としたその後姿は物寂しそうに見えた……端に聞こえた言葉から今日でここのお店をやめたって感じだけど。
(……まあ、他人の私が気にすることでもないか)
後ろ髪を引かれつつ、私は自分の用事を済ませることにした。
幻聴の言葉を真に受けた訳ではない。きっとケーキが食べたくて私はあんな幻聴を聞いたんだろうと思うことにする。流石に大きなケーキは懐的に厳しいので、小さなケーキを2つほど食べて欲求を満たせばこの幻聴は消えると思う。そう思う。
(……何、これは?)
……そう思っていたのに、店の人は入店した私を見るなり「ああ、丁度いい」なんて声を掛けてきて、にっこり笑ってショーウィンドウに飾られていた8号どころか10号のケーキを包み始めたのだ。
いやいやいや、こんな大きなの買えるほどお財布の中は豊かではない。数年前から台頭し始めた福沢さんと新渡戸さんはお留守のままだ。
恥かしくも財布の中を見せて、折り目のついた風来坊の夏目さんが何人かいるだけだと白状しても、店員さんは笑顔を絶やさず、私に包み終ったケーキを手渡してくる。
お代は結構です……って、いやいや!
理由も告げられず、ケーキを渡したら渡したで厄介払いのように店を追い出されることになったわけだけど。
(お金払わなかったのに、いいのかな……?)
釈然としないままに私はこの大きなケーキを両手で受け取った後は、寄るはずだったスーパーマーケットも素通りし、渋々とアパートへと戻って――着替えもせずテーブルに置いたケーキと睨み合うことになった。
――何をなさっているの? 早くお食べなさいな?
(でもだって……)
明らかに怪しいじゃない。きっと、これ何かのドッキリとか毒とか入ってるんじゃないの? ――なんて……どこぞの仕掛け人を頭の中で思い描いては、一笑いする。
私をはめて得をする人なんているはずもない。恩も売ってなければ恨みだって買うことなんかしていない。毒を入れたとしたらケーキ屋さんが損をするだけ。
「……」
怪しく思うも目の前には箱から出してしまったケーキだけが黙って私を睨み付けている。
さっきから睨まれ続けては怯んでばかり……ごくり、と喉が鳴ってしまってからはもう降参だ。私の敗北でいい。食欲には勝てっこない。
よし、と意を決した私は、そのままフォークでケーキを崩して口に運んだ。
「…………」
……言葉にならない。何かを言えるとしたら今まで食べたケーキの中で1番に美味しいってことだけだ。
きっと空腹とか疲労とかそんなのもの関係してるけど、最初の1口目で身震いを起こした後、私の手は次へ次へとケーキにフォークを刺しては口へと放り込んでいった。
止まらない。止まらない。口も手も止まらない。
水を飲むようにケーキを舌の上に転がして胃の中へと詰めて行く。
もどかしい。ちまちまとなんて食べていられない。
最終的にはフォークを置いて手づかみで口に運んでいくほどだった。
たまらない。堪らないのに貯まらない。
私の口が小さいこともあったりでどんなに食べてもケーキは減らない。
「もぐっ! がぶっ! もぐっ! がぶっ、もぐもぐっ!」
顔も手をクリームでべったり塗りたくって、がつがつと食べるこんな姿は異性どころか肉親にすら見せられたものだ。
結婚を待ち望む乙女から遠く離れた存在に化してはいたが、体裁なんてものは吐き捨ててひたすら真っ白な小悪魔を口にしていった。
(ああ、幸せだ――……)
そして、半分ほどを食べ終わった後、満足と椅子にもたれ掛かってふうと息を吐いた。
(……ごちそうさま、おなかいっぱい)
――どう、願いは叶いまして?
(もう最高。食った食ったの大満足です!)
――よろしいよろしい。では次はワタクシの番ということでよろしくて?
(え、わたくしの番……? どういう――っ……!?)
疑問が口から洩れるその瞬間、急な睡魔に襲われた。
寝てはいけないと頭を抱えるも、抵抗は虚しく糸が切れる。
力の抜けた身体は前のめりに傾いて、細めた目には自分で食べ散らかしたケーキがゆっくりと近づいて――。
――これが私がこの世界で最後に見た光景だった。
◎
――これは夢ね。そう思う。
私は重くて動かない頭を億劫そうに傾けてこちらを覗き込む綺麗なお姉ちゃんを見つめながら、そう思った。
お姉ちゃんはまだ幼い……私よりも年下だというのに、慈愛に満ちた母親の顔をしている。
隣には彼女と同じくらいの年齢のこれまた顔の良いお兄ちゃんが私に微笑み、また笑わそうと舌を出したりと変顔を晒している。
私はぽかーんと口を開けてお兄ちゃんの変顔を見上げるだけだった。
「ランはあまり笑わないね。大丈夫かな」
「そうね。でも、どこも悪いとこは無いし、そのうちだって」
「……子育ては大変だな」
――とは私の頭の中でのアテレコだ。
実際、2人は何を言ってるかさっぱりわからなかった。
ランって言うのは私を差していることはここ最近で理解した。外国語とも母国語とも違う言語に顔を引き攣らせるしかない。
気を失っている間にどこか海外へと連れ去らてしまったのか……そう思いたかったのだけど、どうやら違うみたいだ。
自分でも信じられない話だけど、ここは海外どころか、私が2X年いた世界とは異なる世界(?)――のようだ。また、連れ去られたのではなく……ええっと、今一度、頭の中を整理して考えさせてほしい。
まず……この美形の2人組の容姿、髪の色がとんでもない。
お姉ちゃんの方は赤い瞳がどぎつくもパツ金美人さんなのだが、お兄ちゃんの方は碧眼にど派手な青髪なんだ。
なんだ。不良か。それとも、昔流行したラジカセを持って公園で踊り狂っていたなんたら族か……そうじゃない。
金と青と、ど派手な色が目立つけど、それ以上にこの2人は耳の先っぽが長いという信じられない身体的特徴を持っているんだ。
なんだこれ。どうしてそんな耳の先が伸びている。まるで学生の時に映画館で見たスペースオペラな登場人物みたいじゃないか。
もしかして、宇宙人!? 私は気を失っている間に宇宙人に攫われてこんな小さな体になってしまったのか……と考えれば考えるほどドツボに嵌っていきそうになる。
だから、フィクションの世界に迷い込んでしまったんじゃないかと最初は冗談くらいに思えていたんだけど……最近はもう笑えなくなってきている。
また、驚くのはそれだけじゃない。
このお姉ちゃん。先ほどから母性だなんだといったけど、どうやら本当に母親らしいのだ。
信じられない。私よりも遥かに若いじゃない……かーっ、酷い!
若くて美人で髪や目の色はあれだけど、かっこいい夫もいるって私が喉から手が出るほど望んでやまないものをこの娘は手に入れている。
妬ましいと思う反面、若いうちから子供なんて作ってすごいなあ……と関心もしてしまう。
そして、その他人である2人よりも自分のことで1番驚いたことがある。
もう状況からわかってもらえたと思うけど……パツ金お姉ちゃんが母親というんだから、その子供が……つまり……そう、一番に驚いていることは、私が赤子になってしまったということだ。
本当にありえない。ありえないからこそ私は……。
(これは夢。きっと、長い夢を見ているんだと思う……)
変な願望が夢に出てしまったのではないか――そう思い込もうとしてる。
……だけど、あんよもまだまだ出来ない私はこの長耳の人たちの子供として生まれ変わった(?)事実を受け入れるしかないのかぁ……いいや、夢だ。
これは夢に違いない!
「あ、そろそろミルクの時間ね」
「ランも早く大きくなるんだぞ」
と、何を言っているかはわからないけど、お姉ちゃんは乳房を露出させ、その先端を私の口に押しつけ始める――母乳の時間となった。
無理やりおっぱいを口に含ませ、私はちょっと嫌ぁな気持ちなりながらも吸い付くしかない。これしか私の身体に入る栄養が無いのだから。
……げっぷ。
ぽんぽんと背中を叩かれてげっぷを促されると、すやすやと眠たくなってくる。
私は多分1日の大半を睡眠に回している。毎日暇さえあれば眠くてしかたがない。
「おやすみ、ラン……」
だから、考える時間はあまりないので妄想か現実か決めかねているのだけど……ええい、ともかく、とにもかくにもだ。
私はこの名も知らない土地で長い長い夢――そう! 夢を見ることになったのだ。
これは夢か現か――本当はわかっているつもりだけど、夢の様なふわふわとした感触がまとわりつく。
もしもこれが現実ならば、なんとなーく、もう元の世界には戻れない気はする。きっとこの世界で骨を埋める気がする。
心残りがないと言えば嘘になる。そうだな……田舎の両親に挨拶が出来なかったことかなあ。
……あれ? 案外後腐れない。もう少し悲しくなるかと思ったのに、自分でも信じられないくらい後悔といったものがない。
不思議だ。最低だ。人でなしと呼ばれればそれまでだ。
(……まあ……いっか。ねむくて……かんがえ、られな……)
こうして、いつ目覚めるかもわからない夢の中、新たな肉体を得た私は赤子ブランザとして生きて行くことになった。
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