第143話 手紙
「たっのもー!」
朝、人が気持ちよく寝ているところにベレクトのやつが押し掛けてきた。
ノックも無しに部屋に入って大声を上げるもんだから、最初は襲撃か! とシーツを引き寄せて身を隠すほどだった。
「な、なにようですか!」
気を動転させなが訊ねるも、ベレクトはどたどたと足音を鳴らして僕がいるベッドに近寄り、ばんばんと叩く。彼は出会ったの子供の姿に戻っていた。
「おねえ……じゃなかった。シズクを襲ったことを謝れってオフクロに言われた! だから、昨日のことを謝りに来た!」
「そ、そうなの?」
謝りに来たというが、ベレクトの顔はこれから謝罪をしようとする人の顔じゃない。彼は満面の笑みを浮かべて猫っぽい感じににっこりと笑って続けた。
「おれのこと殴りたいって言ってただろ? だから1発殴られにきた!」
「……殴っていいの?」
「おう! おれは打たれ強いからな! オフクロの拳骨以外は屁でもないぞ!」
「そ……そう」
ということで僕はベレクトを殴らせてもらえることになった。
しかし、あの時に沸いた怒りはすっかりと今の僕からは消えている。笑いながら殴れと言われて、はいそうですかと殴れるほど僕の性根は曲がってはいない。
だから……。
「じゃあ、行くよ」
「おう! …………痛っ、それだけ?」
「毒気抜かれちゃったしね。うん。これで今は済ませることにする」
僕はベレクトの肩を殴ることで済ませた。
今の一発が気に入らなかったのか、ベレクトは納得いかなそうに不満を表に出している。
勿論、本気で何て殴れないし、確かにレティの胸を触ったっていうのを思いだせば苛立つけど、あの時の感情は今じゃ出せない……いや、思い返せばふつふつと込み上げてくるが、ぶんぶんと頭を振って怒りを冷ますことに――。
「……ぎゃっ!」
「お、あった! わあ、シズクは本当に男――ブベェ!」
「あ……ごめん」
ベレクトが僕の股を掴んできたので思わず殴ってしまった。
これはもう無意識の防衛本能だったと思う。以前、幼年期のルフィス様に握られたことはあるけど、あの時とはまた違った反射が働いてこんな結果を生み出した。
ベレクトは殴られた頬をさすりながら痛い痛いと口にしたけど、なんだかそれすらも演技に見える。
多分、わざと受けたんだろうなって思う。彼は殴られた後に大袈裟に地面に倒れて転がった。
僕は一昨日の彼を知っている。
「おー、痛かった。じゃ、これでチャラな!」
「……はい」
1人で満足してくれるならそれでいいや。もうこれ以上掘り返したくない。
その後、着替えを済ませ(その間、ベレクトはずっと僕の部屋にいた)じゃあ、またレティのところへ顔を出しに行こうかなと思ったその時。
「あれ? ねえ、リコ見なかった?」
ふと、リコがいないことに気が付いた。
昨晩はいつも通り僕の隣で寝ていたはずなんだけどなあ。
「リコ?」
「赤毛の……僕とそっくりに似た頭の、ぴょんって耳の生えた女の子だよ」
「ああ、あの毛皮のやつか! おれは見てないな!」
「毛皮って……どこに行ったんだろ?」
まったくもう。こんな朝からどこへ行ったのやら。
1人で何も言わずに出かけちゃって心配させて。これで僕をこどもだって言うんだからお笑い草だよ。
ということで起床1番に迷子になったリコを探すことする。
暇だからとベレクトも一緒に探してくれることになった。
「レティ、おはよう。リコ来てない?」
「あっ、シズ……お、おは……リコちゃん? 来てないけど……」
「そう? わかった。また後で来るね」
「え、う、うん……」
レティの部屋へ行っても来ていないようだ。じゃあ、どこへ……屋敷の外に出て、村のどこかに遊びに行ってるのかなー……あ。
「あ、リコ」
広い屋敷の中を歩いていると、白い猫……リコがひょいと物陰から姿を見せた。
珍しい、なんて思ってしまう。
最近は人型の姿でいることが多かったから、真っ白な子猫のリコを見るのは久しぶりかもしれない。
「ん、あれか? いや、違うぞシズク! あれは猫だ! でも、アルガラグアにあんな猫なんていたかなぁ」
「ううん、違うんだ。リコは元々クレセントライオンっていう魔物だったんだけど、事情があって僕の身体の中に入って――」
「ん? ん? 何言ってるかさっぱりだけど、あっちに行っちゃうぞ!」
「……あ、待って!」
リコは首だけを動かして僕を見た……確かに見たのに、すぐさま前を向いて走ってしまう。
「え、何で逃げるの? ちょっとリコ待って!」
「……不思議な猫だ。何か力を感じるぞ」
「魔力で身体を作ってるからね」
「それはわかった。けど、それとは違う」
「そうなの? って、どこ行くのー!」
リコはどんなに呼びかけても僕の元には来ないで前へ進んでいく。それも少し進んではこちらを伺って、近寄れば走って逃げて。
そうして追いかけっこをしていると僕たちはタルナさんの書斎(だとベレクトは言う)へと辿り着いた。僅かに開いていたドアの隙間をリコが通るのと同時にぱたんと音を立てて閉まってしまう。
「どうしよう?」
「おれが許す! ほら、中に入って探すといい!」
礼儀として勝手に入っちゃ駄目なんだけど、この際仕方ない。
「タルナさんに怒られたら一緒に謝ってね?」
「それは断る!」
「そんな!」
――なんて短いやり取りをしている合間に、部屋の中から何かをひっくり返す音が聞こえきた。何かリコが粗相でもしてしまったのだろうか――思わず、さっと血の気が引いていく。
後で叱られたら、やっぱりベレクトも一緒に怒られてよ……と今一度、隣にいる彼に視線を向けてから部屋の中に入り、リコがしでかしてしまったコトに思わず手で顔を覆うしかない。
「はあ……もう、リコったら……」
書斎の中にはリコがきょろきょろと周りを見渡している。そして近くには漆でも塗られているのかつやつやとした真黒な箱が床に落ちて中身を吐き出していた。
僕は近寄ってぶちまけてしまった封筒らを拾いながらリコを睨む。リコは「みゅう?」となんで怒ってるの? と鳴いて僕を見て首を傾げていた。
「うわ、それオフクロが大切にしている宝箱だぞ! 傷ついていないといいけど……こんなのばれたら後で拳骨の2発に3発と……」
「それは嫌だなぁ……」
ベレクトへの制裁を正面から2度も見ているからね。ごつんと音が鳴るほどの拳骨は正直見てるだけで胆が冷えそうになった。
「みゅ~?」
「へ、リコが勝手にここに来たんだよ……もー、散らかして……」
「みゅみゅみゅー!」
「怒らないでよ。怒るのは僕の方……ん?」
なんのことかわからない、ととぼけるリコに呆れながら、僕は手に取った手紙と封筒に目を向けた。
箱から落ちた手紙は5枚に及ぶものだった。また、手紙が内包されていたであろう封筒も一緒に拾い上げていた。そして、たまたま拾い上げた時に上を向いていた封筒の裏に書かれていた差出人の名前をつい目で追って――僕は固まってしまう。
裏面にはブランザ・フルオリフィアよりと、表に反せば、親愛なるタルナへと書かれていた。
「……これ、レティたちのお母さんが書いた手紙だ」
「レティって、あのおっぱいおねえちゃんか。きっと母親の方もいいおっぱいしているんだろうな!」
「もう、おっぱいおっぱいって……レティの前で言ったら張り倒されるよ」
「それはいやだな! シズクみたいに馬乗りになって殴られるのはおれもいやだ! ……って、シズク?」
読んじゃいけない。
人の手紙を勝手に読んじゃいけないのに。
僕は、自然と1番上になっていた封筒を、持っていた手紙の束の下に送っていた。
「おい、シズク?」
「みゅうー!」
読んじゃいけない。
そう思っても僕の目は止まらず文字を追った――その手紙にはブランザ・フルオリフィアの生い立ちとも呼ばれるものが書かれていた。
戦時下に生まれ、両親を亡くし、戦争を止めると決意し――ユッグジールの里を設立し、その後のことを。
そして、最後の5枚目へと移ったその時、僕の目は点になった。
「なんだこれ? 落書きか? それとも呪文? おれにはさっぱりわからない!」
「みゅ、みゅう!」
ベレクトがわかるはずはない。
リコは少しだけわかったんだろう。
“文字”はどれも大きさは整わず、時には逆さだったり、難解な筆跡で書かれているものも多い。その為、この5枚目はベレクトのように理解できず、落書きにしか思えないだろう。
「そんな、彼女は……」
けれど、僕だからこそ、その5枚目に書かれている手紙の内容を理解できた。
「僕らと同じだった……?」
5枚目の手紙に書かれていたのは以前の僕らがいた世界の、僕らがいた国の言葉――アサガさんたちに習うならニホン語で書かれている。
レティとルイの母親であるブランザは、僕らと同じ世界から来た人だということを5枚目の手紙には綴られていた。
「おい、シズク! 勝手に持ち出したら怒られるから! ……おれが!」
「みゅうー!」
僕は2人の呼びかけにも答える間もなく、手紙を持って急ぎレティの元へと向かっていった。
◎
「お母様……ブランザはとてもいい母でした。私のことをとても大事にしてくれて、最後までユッグジールの里のことを心配して。最後はとても安らかに、眠るように息を引き取りました」
「そっか……あの馬鹿……」
タルナさんがいるのだろう。部屋の中からは2人の話し声が聞こえた。
トントン、と控えめにドアを叩き。どうぞ、と声を掛けられる。
ゆっくりと僕はドアノブを掴んで扉を開けた。
「あら、シズク君。どうしたのそんな畏まって……って、その手紙!」
「……ごめんなさい。勝手に読んじゃいました」
タルナさんは深く溜め息をついて眉に顰めた。
「……大切な客人とは言え、そういうことされるのは困るんだけど」
「ごめんなさい。自分でも私的な手紙を盗み見るなんて最低な真似をしていると思います。詫びろと言うなら地面に頭をつけてだって謝ります。後で拳骨だって何発でも受けます。でも今は、今だけは……」
僕は部屋の中に入ってレティに近寄ると、手に持った5枚のうち、4枚の手紙を彼女に手渡した。
不思議そうに手紙を受け取るもレティの目は見開かれ「これ、お母様の……」と口にした後、タルナさんへと顔を向けた。直ぐにタルナさんは「好きになさい」と呟いては頷き、同意を得たのかレティは読み始める。
レティの目がぞろぞろと左から右へと移り下へと向かう。手紙を読んでいる間の短い時間、僕はとても長く感じてしまう。
1枚目、2枚目、3枚目。
4枚目……。
レティの目に涙が浮かびそうになる。泣きそうなのに、無理して我慢している時の顔だ。
4枚目が読み終わったの見計り――僕は最後の5枚目の手紙をレティに渡した。
「え……な、なんでっ!?」
「それ……」
5枚目の手紙を渡してレティが驚愕し、その反応からかタルナさんが声を上げた。
「もしかして、それに何が書いてあるかわかるの?」
「……」
「……読めるのね?」
「……はい」
「教えなさい。勝手に人の手紙を読んだことを謝罪をすると言うならあたしにその手紙の意味を教えなさい!」
「……わかりました」
僕はタルナさんに、そして一緒についてきたベレクトにも、説明をすることにした。
手紙の内容を。ブランザがこの世界に生まれ直したことを。
そして、僕たちもまた彼女と同じ存在であることを――僕らが僕らになる時のことを。そして、僕らが僕らだったことを。
全てを。
全てをタルナさんにもベレクトにも説明した。
「なるほど。本当に中身がちがかったのか!」
「うん。もともと僕はシズクじゃない。僕は別の世界にいたんだ」
「そんな、そんな話……にわかには信じられない……けど……」
僕はベレクトに訊ねた。
「ベレクトは駒同士の争いとか、お気に入りの王といった話を聞いたことは無い?」
「ある……って言ったら?」
「僕らは……僕は君を本当の敵として認識しなきゃいけない」
「それは楽しそうだ。……だけど、おれは知らない。多分、おれもオフクロもその遊戯の駒ってやつじゃない」
「そっか……」
タルナさんは遊戯云々の話は信じられないと言うけど、ブランザも同じだったと手紙の内容を踏まえて伝えれば、半分半分で納得してもらえたらしい。
レティは手紙を読み終えた後から今に至るまで、終始複雑な顔をしていた。
「レティ……僕は彼に会いたい」
「彼って……」
「レティたちの父親に」
4枚の手紙にはレティたちの父親については伏せられて書かれていた。
しかし、5枚目を読めばその父親が誰かはわかった。そして、ブランザがその人に対してどう思っていたのかも全てだ。
僕は会いたい。彼女たちの父親に。
「……イルノートに?」
「うん、教えてあげたいんだ」
彼女たちの父親であるイルノートに。
イルノートにレティのことを、ルイのことを――2人が自分の娘であることを教えてあげたい。
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