第135話 テラスでの休憩
もしかしたら彼女もわたしたちと同じく別の世界から連れてこられた人なのかもしれない。
そうであれば、彼女は他プレイヤーの駒、敵である可能性がある。しかし、わたしたち側の駒、味方なのかもしれない。はたまた、どちらでもないのかも。
セリスさんは普通の人だ。魔族でもなければ魔法が使えるわけでもない。何か武術の心得があるわけでもない。至って普通の人間だと思う。危険性は薄い。
“親”と呼ばれるゲームマスターの王はわたしとシズクよりも強い人物である可能性が高いとは白い少女は言っていた。だからセリスさんは王ではない……むしろ、何も知らない大勢の駒の1つだとは思うけど、万が一ってこともあるし……。
「何よ、怖い顔して。そんなに気に入らない?」
「な、何がですか?」
「これよこれ」
ばちんとわたしの身体にかかった紐を何度も引っ張り弾く。弾かれた紐が肌にぶつかって地味に痛い。
(いけないいけない)
セリスさんが敵かどうかは、後でシズクと相談しようと今の考えは奥に引っ込める。
「まあ、好みではありませんけどね」
「そうなの? 身体は立派に大人のにまだ子供ねぇ」
「子供とか大人とか関係ないと思います。……これを好んで着るなんて痴女そのものだわ」
「ちっ……痴女っ!?」
あ、怒らせてしまったかなぁ……と横目で確認をしてみると、セリスさんはどよんと肩を落として落ち込んでいる。
「……そうよねぇ。私も薄々気が付いていたわ」
「気が付いていたなら何で作ったんですか……」
「こういうのも作れば何かアイディアになるかなぁと」
顧客に渡している下着はデザイン、パターン、裁縫まで全てをセリスさん1人でこなしている。年に50着は作っているが、注文はあとを絶えなくて困っていると言っていた。
デザインが被らないようにしていると聞いたけど、次も次もと来ればデザインだって直ぐにポンポン出るわけではない。だからこそのアイディアが欲しいと言っていたけど……。
明らかにデザインが迷走しているのはその業界について何も知らないわたしですら理解している。これじゃあ、斬新って言ったって別の意味での斬新だわ。
セリスさんが疲れているのは目に見えてわかった。
(今のままじゃ何もやってもうまくいかなそう……)
じゃあ、よし。
「根を詰めすぎるのも返って何も生まれませんし休憩しませんか?」
「休憩?」
こういうのは1度リセットする方が良いと思う。簡単に出来ることと言えば頭の中を空にして休息を取ることだろうと安易に考え付いてのことだった。
まあ、案の定セリスさんはむっと唇を尖らせた。
「だって。この町に来てからセリスさん1度も屋敷から出たところ見てませんよ。こんな状態良くないですって」
「でも期限が……」
期限が期限がとグチグチ言ってこの場から立とうとしない。我慢ならん。
「も――! 駄目な時は何やっても駄目な時もあります! ほら、早く!」
そう言う訳で、わたしとセリスさんは立派なお庭のテラスでお茶を飲むことにした。わたしは着替えてくるからとセリスさんも顔と手を洗ってお庭に来てくださいと言い付ける。ただ、セリスさんは頑なにペンと紙だけは持ち歩き、置いていけと言っても絶対に譲らなかった。まあ、仕方ないか。
とりあえず、仕事道具を持ったままだけどセリスさんを部屋の外に連れ出すことは出来た。よしよしと部屋から出すことに成功した自分を褒めたくなる。
まあ、セリスさんのことを思っての発言であることは間違いないが、実のところわたしとしては今回の下着は早く脱ぎたかったってこともある。
◎
人生何が起こるかはわからないとは言ったものだ。
まだわたしがわたしだった頃、ランジェリーショップでちらほらと見かけたことはあっても大人になっても着ることなんてないだろうなー……と、着る自分も想像できない下着をこの数日で何点も身に付けた。
ローライズやTバックに恥ずかしがる2日前のわたしを鼻で笑ってやりたい。その次の日には乳首が露出しているトップレスブラ、股の裂けたオープンショーツなんて「これ夜用じゃない!」ってエロ下着を地面に叩き付けるんだからね。
……まあ、着たけどさ。
着た中に含まれていたシースルーのベビードール(デザインはとても可愛い)なんてものはまだましだと思う。
そして、今日は紐である。
流石に今回は駄目だ。こんなの裸よりも恥ずかしい。
まあ、そういう変なのばかりに目が行きがちだけど、半分はコルセットやビスチェといった実用的なものが多いことを彼女の名誉の為にも言わないとね。
コルセットはいつもわたしが着用している燕尾型のなんちゃってコルセットじゃなく、本来の補正下着のものだ。ビスチェも同様で、ストラップの無いこれ補強下着に近いもの。
刺繍やデザインの有無はあるけどサンプル用に作った“見た目重視”のこの2種。コルセットは結構奥まで絞ったけど、この身体は難なく紐を締めることが出来た。逆にビスチェの方は胸がきつくて無理やり入れようとしたら糸がほつれてバラバラになって青ざめたりもした。
壊した……と思って泣きそうになりながら謝罪しに行って、今回試着しているすべての下着が仮縫いだからほつれて当然だと言われて安堵もした。
(出るとこは出てて、引っ込むところは引っ込む……ほっっっんと、この身体は羨ましい!)
ただ、着けてみると思いのほか背がピンと伸びておおっとなった。まあ、ちょっと窮屈でこれつけて長時間着用しているのは身体に悪いなーってしみじみ思う。常にコルセットを奥まで絞めてビスチェで巻いている貴婦人の方たちはすごい。
「ルフィスもそうだけど、あなたは特に男受けしそうな体してるわねぇ」
日傘の立ったテーブルに置かれたお茶を飲んでのほほんとしていた時、唐突にセリスさんが言ってきた。
「……何か言い方が下品ですよ」
「下品な身体をしているあなたが悪いのよ。……まったく、ふざけんじゃないわって話。これでまだ成長する余地があるつーんだから信じられないわよ」
「はあ、すみません」
「加えて天人族ってみんな器量いいわよね。生まれる時に何か魔法でも使って見た目弄ってるの?」」
「……それは流石に失礼です」
「ふん。褒め言葉として受け取りなさいよ」
なんで喧嘩腰なのかさっぱりわからない。
もう二言三言返してやりたかったけど、一応依頼主だしわたしの下着のこともあるから下手に出る。
(あん? 仕立て屋に下手に出る…………今の無し)
なんだかんだでわたしの疲労は溜まりに溜まっている。
でも、言われてみたら確かに不思議だ。子供のころは寸胴もいいところだったのに、こうして成長して我が身を振り返ると、わたしはお母様――ブランザみたいな体形にならなかった。
お母様は一般的な体格だった――どこがって全体的にだ。ただ、最後は起きれない程弱り痩せ細っていて見てて辛かったけどね。
この身体は父方の血筋から来てるのかなぁ。というか、父親っているんだろうか。生まれが変だから父親がいない可能性もあると思ってしまう。
チチチ、と近くで鳥が鳴いている。照らす太陽は眩しい。風がふわりと肌を撫でる。
この町は年間通して気候があまり変わらないという。今も夏日だっていうのに少しだけ日差しが強いくらいだ。
こんな良い環境にいるのに部屋の中に籠っているなんてやっぱり勿体ないよね。
セリスさんは不機嫌を身体いっぱいに表しているけど、外に出したのは正解だと思う。
正午前の優しい日差しにうっつらうっつら。ちょっと眠くなりかけて欠伸を噛みしめ我慢我慢。
「ところで、もう寝たの?」
ぼーっと気が緩んでいる時、突然セリスさんが話を振ってきた。
「寝たって?」
「シズクと」
その時のわたしは素直に寝たって言葉を受け取った。今日のお昼は何にしようかなって考えていたり、ちょっと眠気を誘うような気温のせいだと思う。
(シズクと? うーん、同じ部屋でならずっと一緒に寝てるね。でも一緒の布団となると最初に寝たのはかえで女子寮で1回っきりかな。でも、正直に答えるの変か)
わたしは頭を悩ませながらもぽつりと答えた。
「えっと……何度か」
「ふーん、そう。やっぱりシズクって男だったのねぇ」
「?」
話の終わりにセリスさんがふんと鼻で笑ったのが今一理解できない。
けれど、当人しかわからない理由で笑われたことにむっとする。
「何その顔……ん、あなたまさか勘違いしてない?」
「……は? 勘違いって何ですか?」
何言ってんのよ。
些細な憤りを押し込めるようにわたしはカップを手に取り口にお茶をすする――。
「セックスしたのかって聞いてるのよ」
「ぶっっっ!」
――すすったお茶を一気に噴き出した。
器官に入ったのか何度も咳き込む。うぇ……胸が痛い。喉が痛い。目から涙が出そうになる。ってそんなことはどうでもいい!
しまった。勘違いした。寝るってそっちの意味か。って、この話、昨日今日でわたしもしたじゃない!
「なっななななっ!! 何を言って! 寝るってそっちっ!?」
「汚いわね……」
「セリスさんが変なこと言うからでしょうが!」
「別に変じゃないわよ。って、まさかまだしてなかったの?」
「し、してません! するわけないじゃないですか!」
わたしはテーブルを叩きながら立ち上がった。叩いた振動でセリスさんのカップが倒れるけどそんなの知らないわ。まあ、ひょいってお茶よりも紙に先に手を伸ばすのは流石職人だと思う。
「するわけないってなんで? あなたたち付き合ってんでしょ?」
「……つ、付き合ってますけど! まだセッ……そういうことはしてません!」
「じゃあ、付き合ってどれくらいよ」
「……えーっと……15年……いやいや、それは付き合いの長さで……えっと、前と今を足して、4か月くらい?」
「前と後を足して? 何言ってるかさっぱりだけど、4か月でまだしてないの? 奥手ねぇ」
な、何よ。その態度は!
セリスさんは深く溜め息をつきながら、小馬鹿にしたかように肩をすくめる。
続いて目を薄めに意地悪そうな笑みを浮かべてわたしを見た。
「あーゆー見た目してるけどシズクだって男よ。一緒にオネンネしたことはあるのに、セックスはしてないって? もしかして、恋人ごっこ?」
「ごっこじゃありません! わたしたちは本当にす、す、す……!」
好き――って言いたいのに、好きって言葉は相変わらず出ない。
開いた口を閉じて唇をかみしめ、返事の代わりにわたしは深く頷いた。
「じゃあ、何、シズクって不能なの?」
「ふ、不能っ!?」
「ちなみに不能ってわかる?」
「わ、わか、わかっ……る! わかるわよ!」
「そう? なら、シズクは役立たずなのかしら? ねえ、どうなの。一緒に寝たことがあると言うお嬢さん?」
「それは……」
……1度だけ見たことはある。皆で温泉に向かった時のことだ。
あの……口に出すには恥ずかし過ぎるけど、彼が気絶している時に……その、その、その時に1度見た。誰のせいでそんなことになったのかは絶対言わないし、どうしてそんな状況になったのかもわからないから絶対言わないけど。
つまり、だから、彼が男性的に不能ではないことを知っている。
「か……彼は勃ちます!」
「やーだ、いやらしい。勃ちますなんて大声あげて。誰も勃起の話なんてしてないのに」
「はあっ!?」
こんな昼間にいい歳をした女性が勃起だなんて大っぴらに口にしてはいけないと思う。え、わたし? 知らない。
「でも妙ねぇ。セックスはしてないのに勃起するのは知ってるんだ。へぇー?」
「だ、誰のせいだと! というか、この話やめません!? さすがにちょっ――」
「あーあ、かわいそうー」
「へ、かわいそう!?」
わたしの訴えを無視してセリスさんは勝手に話を進める。
可哀想なのは今のわたしだ。なんだここは。わたしが何かしたのか。いや、シズクか。シズクのせいでこんなことになった。可哀想なのはシズクじゃなくてわたしじゃないか……。
「一緒に寝たけどセックスはしてない? 何? あなたたち結婚するまで清い身体でいましょうーみたいな微笑ましいことを言う人?」
「微笑ましいって……いやいや、そこはわたしたちにもペースっていうものがありますし個人の自由でしょ! 他人にあれこれ言われる筋合いはないと思います!」
「ペースってあなたが1人で勝手に思ってるわけじゃないの?」
「……そんなことない!」
「本当に?」
「本当!」
「シズクに聞いてもいないのに?」
「聞いてっ――」
聞いてないけど……どうなんだろう。
わたしは、いつかはそんな日が来るとは考えていたけど、まだまだ先の話だと思っていた。けれど、以前わたしだった時の友達が言っていたっけ。あの時のわたしらの年齢では男子は皆万年発情期の猿だって。年頃の男子がムラムラしないのもおかしいとも。
じゃあ、シズクはわたしと……エッチしたいのかなぁ。
「あ、もしかしてぇ、メレティミってシズクに愛玩動物と同等に見られてたりするんじゃないかしら?」
「え……」
「鳥さんおはよう。犬さんこんにちは。猫さんこんばんわ。メレティミさんおやすみなさい。こういう風に見られてて、性欲の対象外とか? 一緒に居られればいい? いい歳をした男女が近くにいて何もない? ありえないわよ。……あ、それとも、もしかして彼って小さいほうが好きなのかしら?」
小さいっていうのが何とは言わないけど――ってここで大きい小さいって言いだしたらわたしはそこしか思いつかない……って、いやいや、そんなことはない。彼は昔から大きい方が好きだ。イラッとするほどに。もう嫌ってほどわかっている。
(でも、もしかして、会わないうちに彼の好みが変わったとか?)
昔は大きい方が好きで……つまり、あまり言いたくはないけど昔のわたしよりも今のわたしが確実にストライクゾーンど真ん中だと思っていたが……こっちに来てから昔のわたしがストライクになって今のわたしがアウトなわけ? いやいやいや、それはないか。
この旅が始まってからもシズクはわたしの胸をちらちらと盗み見ていることを知っているの。本人はばれてないつもりだろうけど、顔を向ければすっごいわかりやすいくらい目を逸らす。
むしろ、あの反応で今さら小さいほうが好きなんて言ったらはっ倒す。
以前のシズク……彼の部屋にはそういう本があったことも知ってるし。本人には内緒で読ませてもらったこともあるし。ちなみに中身は案の定だし。こういうことに興味が無いなんてことは絶対にないし。
シズクはわたしにキスだってしてきたし、あんな一生添い遂げたいなんてプロポーズ紛いなことまで言ってくれたんだ。
(……けど、どこまで本当なんだろう。それこそ、セリスさんの言うようにお気に入りを愛でるかのような……。わたしをわたしと見てても、ひとりの女の子だって見てくれているのかな)
男の考えていることなんてわからない。シズクの考えていることはわからなくなる。
そういう目で見てくることはあるけど、あの夜以外で1度だってわたしに迫ってこようとはしなかった。
この世界に戻ってきてから一緒に宿でも野宿でも近くで寝ていても、1度だって彼は――……。
(あ……違う。違うよ。そうだ)
わたしたちが“そういうこと”に及ばなかった最大の理由は近くにリコちゃんがいたことだ。
リコちゃんがいたからこそそういう雰囲気にもならなかったし、そういうことをしようとは考えなかったんだと思う。わたしだってリコちゃんが近くにいたら絶対に断る。
まあ1つ言うけど、リコちゃんはわたしにとって癒しなのだ。心のオアシス。子供姿でも子猫ちゃんでもいつでもぎゅーっと抱きしめていたい。そんなリコちゃんはいつだって近くにいてほしいのだ。
(でも、もしもリコちゃんがいなかったら……?)
シズクはどうしたんだろう。わたしも2人っきりだったら普通に寝れていたのかな。
わたしは、きっと意識しちゃって無理だと思う。まだお互いを知らずに初めて一緒にベッドで寝た日のように、胸が破裂しそうなほどドキドキして意識して――というかですよ?
(今のわたしはシズクを意識していないってこと? わたし、もしかして無意識にそういうことを意識しないようにしていた?)
待って待って。
これってわたしの方が本当の意味でシズクを男として見て無かったってこと?
さんざんあんなところが男らしいとか。こういうところは男っぽいとか言って、実のところ見た目の容姿で男の子であり女の子といったユニセックスな存在として彼を見ていたのかも――……。
「……ごめん。なんかいい過ぎた。悪かったわよ。そんな落ち込むなって」
「あ……」
ぽん、と肩を叩かれて気を取り戻した。
「えっと、なんですか? ちょっと別のこと考えてました」
「……ちっ」
「今舌打ちしました?」
「ふん、したけど? それが何か?」
「……すみません」
自分でも何で謝罪の言葉が出たかはわからないけど、結果的に無視したことでセリスさんを不機嫌にしてしまったのだろう。彼女はわたしを無視してテーブルに顔を向けてにらめっこを始めてしまう。
セリスさんは明らかに不機嫌だと言う雰囲気を醸し出し、わたしは自問自答に悶々としながら、気まずい無言が少しの間、続いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます