第133話 ルフィスの依頼


 大きな欠伸を噛みしめて僕とレティはこの都の中心にあるお城に向かっていた。

 テトリアとリコはお留守番だ。お金も渡してあるし、どこか美味しいご飯でも食べておいでと伝えおいた。

 昨晩の名残か、少し照れ臭そうな顔をしてテトリアは僕らを見送ってくれた。


 ルフィス様とは町の中心である城壁周辺の飲食店で話をしようということになっている。大体、お天道様が真上を向いた頃に来てもらえばいいとも言われている。

 寝不足気味の今の体調からしたらお昼頃の集合で本当に良かった。


 レティと2人、人通りの激しい往来を歩く。

 本当にこの町は人が多い。時に馬車も通るからその都度左右に別れたりと前から来る人とぶつからないように歩くだけでも大変だ。


「……夜の話、聞こえてた」


 隣に並んで歩いていたレティがぼそり、と呟いた。

 周囲に向けていた視線を横を移すと寂しそうな顔をしてレティが僕を見ている。


「そっか」


 何を、とか、どこまで、とか。まず、僕はその一言だけにとどめどう説明したものかと頭を悩ませた。

 僕は一度前を向き、一息入れてから改めてレティへと顔を向ける。


「あの後、テトリア……テトリアさんはシズクの部屋に?」

「うん。あのまま1人に出来なかったからね。一応、言っておくけど僕は椅子に座って寝たよ」


 おかげでほとんど寝れなくて睡眠不足だけどね、と笑い話にしようとしたんだけど。


「…………優しいね、シズクは」

「何その間は?」


 レティがそう言葉を口にするまでに5歩程の時間がかかった。

 僕らの足は止まらず前へと向いた。


「……わたし、どこか疑ってた。ううん、今もどこかでシズクは彼女に同情して一緒に寝るのかと思ってた」

「まさか?」


 寝る、という言葉をどっちの意味で思ったのかは僕にはわからない。

 驚きつつもレティの横顔を覗き見れば少し影のかかった暗いものだ。


「そんなことしないよ。弱ってるテトを見過ごせなかっただけなんだ」

「シズクならそう言うと思った。でもさ。うん。シズクというか、君なら言いそうだから先に言っておく。……今後、そういうことがあったとしても馬鹿正直に言わなくていいよ」


 馬鹿正直にってそんなつもりはない。僕が本当のことを言うのは自分が間違ったことをした場合に限る。そもそも言う必要が無ければ口になんてしない。

 俯く彼女の表情は読めない。まっ正面から向き合ってレティの顔を見たかった。

 僕とレティの足は遅くも早くもならず、変わらず前に進む。


「……怒ってるの?」

「怒ってるように聞こえた? ……ならごめん。わたしも寝てないからかも。疑ってないよ。君を信じる」


 レティの言い方に少し引っかかる。寝不足だからだろうか。普段なら気にしなかったかもしれない。


「ねえ、レティ」

「なに?」

「信じるなんて言わなくていいよ。まるで自分に言い聞かせているみたいだ」

「な……っ……そんなこと、ない」


 そんなことは無いなんて言うのにレティは動揺を見せる。


「じゃあ、例えばレティが他の男を慰めるために1夜を明かした。そこに男女のそれはなかったする。けど、そんなこと僕には言わなくていいよ……なんて僕は言えない。もしもなかったとしても僕は疑う。疑って当然なんだ」

「じゃあ、どうしろっていうのよ。相手のことを思えば見て見ぬふりをしろって言うの?」

「そうじゃない。逆にはっきりと言ってくれた方がお互いの為だってだけ。相手への不満を貯め込んだまま、無かったことにするのは僕は嫌だって話。レティはもっと僕を責めてもいいんだ」

「何よそれ。じゃあふざけるな馬鹿とか喚き散らしたら許すって話? 浮気を肯定するみたいじゃない」

「それも違う。確かに僕は昨晩テトと一緒にいた。でも、僕は何もしていなから信じてくれって懇願するのは僕の方だってこと。そして、レティは信じられないって僕を野次るんだ」

「だーかーら! それじゃあ、何も解決しないじゃない! そんなの別れ話に繋がるだけってことでしょ!」

「それで別れるならそれまでだってことだよ」

「……っ……シズクは、わたしと別れたいの?」


 レティの足が止まった。そこで僕はやっと彼女の正面に立てた。

 向かい合ったレティは無理して僕を見つめる。青い綺麗な瞳はレティの今の心を表しているみたいに揺れていた。

 そんな彼女の表情を見て、余計なこと突っついたなと思う反面、話せてよかったかもと思う僕がいる。

 僕はレティを安心させたくて、笑いかけながら、心から望んでいることを口にした。


「僕は君と一生添い遂げたいと思ってる」

「なっ!」


 レティの顔がぽんと爆発したみたいに真っ赤になった。

 唇をたわわと震わせて、一度きつく締めてから口を開いた。

 

「……重い、わ」

「重くて結構。これから先は長いんだ。こういうこともあるかもしれない。だけど、その度に秘密や鬱憤を貯め込んだり、表面だけ飾って何を考えているのかわからないような2人にはなりたくない」

「無理よ。わたしは言えないことなんてたくさんある」


 結構ざっくりとレティは口にすると思うんだけどな、とは言わないでおく。


「僕だって同じだよ。やっぱり隠してることもあると思う」

「矛盾してる。何でも話せる仲になりたいって言っておきながら隠し事をしてる」

「それが人だと思う。何もかも話せる人なんているはずないよ。僕らも人……別々の種族だけど僕らは人なんだからさ。だから、ええっと、じゃあ、逆に聞くけどレティは僕と一生一緒にいるのは嫌?」

「……言わなきゃ駄目?」

「良いよ。保留として考えておく」

「……」

「で、どう?」


 僕への返答と、彼女は小さく横に首を振るだけだった。

 言葉は何も無い。けど、嫌じゃないという精一杯のその返事だけよし。

 嬉しくて舞い上がりそうになりながらも、レティに笑いかけた。

 レティはふんと鼻を鳴らして、いつも通り顔を背けた。でも、直ぐに視線は僕へと戻った。


「で……話を戻して、僕はテトリアと一緒にいたことでレティに入らぬ心配をかけた。このことに対しては責められるべきだと思うんだけど?」

「テトリアさんとのことは仕方ないじゃない。わたしだってシズクの立場なら同じことをしたわ」

「レティならするね。ただ、もしもテトが男でレティの部屋に向かったとしたら僕は気が気でいられないと思う。絶対問い詰めようと部屋に乱入する自信がある」

「自信満々に言うことじゃないわよ。かっこわる……けど、じゃあ……」


 レティは僕の頬をパン、とはたいた。

 良い音が鳴ったけど、痛みは無い。叩いた手を振ってレティは「……これでいいわ」と言った。

 先ほどよりは晴れた顔をして僕をきっと睨み付ける。睨み付ける中に笑みを浮かべていることを見つける。


「君は変わったね」

「そう? じゃあ、僕だけ1つ先に大人になったってことかな」

「それが大人? ありえないわ。逆にわたしの方が大人よ」

「へえ、レティが大人ね。どのへんがかな? ああ、胸あたり?」

「また胸ってっ……まったく……そういう口が出るのは前と変わらないわ。これでも今のあんたよりは1つ年上よ。年上を敬えって言葉を知らないのかしら?」

「ふふん。敬う相手にもよるよね。僕はレティのことを年上だなんて思ったことは無いよ。前も今もね。僕らだった時は省くけど、君のことを知る前、レティはルイの大切な友達であり、現在は……前も変わらず僕の大切な人ってだけだよ」


 するとレティはまたも顔を真っ赤にするんだ。

 以前の幼馴染よりも顔に出るからこれがかなり見てて面白いし、大好きな一面でもある。


「は、恥ずかしいから人のいる場所で言わないでよ!」

「人がいるってこんな多くの人の中じゃ……あ」


 ……今更になって気が付いた。

 気が付けば僕らの周囲だけぽっかりと穴が空いたみたいに人がおらず、遠巻きにして無数の視線が注がれ、ひそひそと小声が聞こえてくる。中には馬鹿ップルだなんて言葉も聞こえてきた。同性愛なんて言葉は聞こえなかったことにする。

 共通しているのは誰もがほくほくと顔を緩めて僕らを見ていたことだった。

 僕らはお互いに顔を真っ赤にしてそそくさと早足になって先を急いだ。


「ね、ねえシズク」

「なに?」

「さっきの一生添い遂げたいってやつ、さ。もしかしてプロポー……」

「え?」

「なんでもないっ!」


 レティが最後に何を言おうとしたのかはわからない。今の僕はこの場からにすぐに立ち去りたくて仕方なかったからだ。


 いつもの僕ならきっと出ない言葉のオンパレード。

 これも全て、寝不足のせいだ。





 待ち合わせに指定されていた城壁近くの飲食店に僕らは若干躊躇しながらも入った。そこは僕らが普段使うお店よりも清潔で高級そうなお店だった。

 白を基調とした室内は正午であっても一定の明るさを保っている。天井にぶら下がっているいくつもの照明のおかげだ。あれはきっと魔道具の類かな。店内にいるお客さんが使っている椅子やテーブルはどれも職人の手の込んだ様な彫の入った調度品だ。料理を運ぶ執事のような服を着たウエイターさんはきりっとしていてカッコいい。


「レティ……」

「しっ……目を合わせちゃだめよ」


 店内を見渡す中、僕らに呼びだした人物は直ぐに見つかり――別に見知った顔である3人も見つけた。しかも、今回呼びつけた人物の後ろの席に座っている。

 服装からして周りから浮いていることもあったため、そこにいるはよおく目に付いた。

 まあ、僕らもまた浮いているのか、来店した途端、他のお客さんから従業員の皆さん全員の視線を集めることなったけどね。

 彼らは僕らが来店したことを知ると、1人はきらきらと目を輝かせ、その背後の3人はにたにたと興味津々という顔をしてこちらを伺っている。


「行こう」

「うん」


 僕らは目を輝かせている女性の元へと向かった――ルフィス様の背後にはヴァウェヴィさんが控えていて、こちらをちらりと見るなり睨み付けて、腰に下げている得物の柄頭を手の平で弄る。

 また、ルフィス様が座っている席にはもう1人女性がいる。ルフィス様とヴァウェヴィさん、ほか3名を除いての6人目である。

 歳は20歳ほどだろうか。もう大人と呼んでも差し障りのないルフィス様よりもやや年上に見える。肩にかかるほどのルフィス様よりも濃い栗色の髪を垂らしたその人は、テーブルへと視線を落として何やら書き物をしている。ルフィス様が肩を擦っても全くと反応を示さない。

 ルフィス様はむっと唇を突き出しながらもこちらへと顔を向け、ちょいちょいと手招きを行い僕らを誘った。


「お待たせしました」

「ああ! シズク! この時をどれだけ待ち望ん――ぎゃっ!」

「わっ……あー……」


 ルフィス様がまたも抱きつこうとしたところを、レティの伸ばした手がルフィス様の顔を抑える。レティの手で潰された顔はとても見られないものになっていて、思わず視線はそらした。


「そういうのはいいんで。早く話ってやつを聞かせてもらいませんか?」

「まあ、ルイったら! 5年ぶりの再会を邪魔なさらないで!」

「だからわたしはルイじゃ――」

「……ああ、そういえば。あなたルイじゃなかったんでしたっけ?」

「わざとやってるでしょ!」

「でもいいわ! あなたも素敵っ!」

「……ちょ、ちょっと!」


 と、ルフィス様はレティを抱きしめると昨晩の僕のように可愛がりはじめる。


「あの頃の可愛さを残しながらも女性としての美しさを咲かせるあなたはまさに芸術の類よ! シズクにはない可憐さを備えていて……ああ、あなたもまた私のものにしたい!」

「いや、いやあああっ!」


 レティが悲鳴を上げ、僕はどう助けようか困ってしまう。僕にはレティみたいに彼女を引っ張ることは出来ず……仕方なしにヴァウェヴィさんを見ると、顔を引き攣らせながらも2人の間に割って入ってくれた。


「と、とりあえず、依頼の話。はじめませんか?」

「え、ええ。そうね。そうだったわね」


 ようやく落ち着きを取り戻したのかルフィス様はレティに伸ばし続けた手を名残惜しそうに引っ込めて席に座り直した。


「では、そちらの席へどうぞ」


 促されて僕らも2人と体面する形で席に着き、同時にメニューを手渡される。

 お好きなものを頼んでいいと言われたが、珈琲1杯で15リット銅貨と書かれていて吹きそうになった。


(ニケくんのところよりも2倍近く高いなんて……!)


 ちらりとルフィス様の後ろの席、3人を見れば彼らの使っているテーブルには何も乗っていない。頼んでいる様子は見られない。目が合うとにやにやと笑いかけられた。

 隠すようにニューを指させば3人とも首を振るだけだった。注文も頼まずに居座るなんて、酷い客たちだ。


「ぼ、僕は……」


 お水で……と言おうとしたところで。


「じゃあ、珈琲とこのおすすめサンドウィッチ。後はマフィンと季節のフルーツの盛り合わせ。生クリームを使ったものは無いの? そう、じゃあそのケーキもお願い」

「え、え?」

「おごりだっていうなら好きなもの食べようよ。こんなに気遣う必要なんてないわ!」

「じゃ、じゃあ……」


 僕は紅茶とおすすめサンドウィッチを頼むことにした。後は、いらない。うん、食べたかったけど我慢した。

 ウェイターさんに注文を任せて僕らは改めてルフィス様たちと向き合う。

 では――と、ルフィス様は相席しているもう1人の女性の肩を揺さぶり始めた。


「セリスさん。ほら、2人が来ましたよ」

「……」

「セリスさんったら!」

「あ、ああ。どうしたの……」


 やっと気が付いたのかセリスさんと呼ばれた女性は顔を上げて僕らを見た。


「はじめまして。シズク・レーネです」

「……メレティミ・フルオリフィアよ」

「レーネ? そういえば、なんであなたレーネなんて家名を名乗ってますの?」

「それは……まあ、色々ありまして」


 って、また話が脱線しかけて――。


「bravo! bravo! braaaaavoooo!!!!!」

「「は?」」


 巻き舌気味に突如として叫びだした女性に僕らは目を点にした。





 依頼の話から4日が経った。

 その間に僕らは大玉コアの取引を行ったり、テトリアと美味しいものを食べたり、レティと買い物をしたり、スクラたちの飲み会の肴にされたり、リコにせがまれて遊んだりと懐が普段以上に温まっていたおかげで裕福な長期休暇となった。

 そして、休暇を目一杯楽しんだ後、ところ変わって僕らが今いる場所と言うのが――。


「感激のあまり声も出ないってこういうことを言うんだね……」


 今僕らはエストリズの上空だ――まさか、飛行艇に乗るなんて思いもしなかった。

 しかも、しかもだよ。今度は荷物ではなく乗客としてだよ!

 さらに以前僕が荷物として乗った飛空艇やグランフォーユの港に停泊している飛空艇よりも一回り小型だけど、真新しい船に乗せてもらってる。


「声、出てるじゃん」

「ふん……レティにはわからないよ! あの凍える貨物室の中、イルノートと一緒に抱き合ってまでしのいだ極寒の辛さは!」

「だ、抱き合ったってわたしそんな話知らない!」


 手すりに捕まり景色を眺めていた中、感極まって出た言葉をきっかけに始まったのが今の会話だった。

 ぷい、とそっぽを向いて不機嫌になるのはレティだ。

 まだ子供のころの話だよ。奴隷だったから仕方なかったんだよと説明をする。そんな怒らないでよ。それにイルノートは男だし、と最後の後押しだ。


「……ん」


 ねえ、とやっとこっちを向いてくれたレティに顔を寄せて――そっとキスをする。

 軽く唇と唇の先端を触れさせる程度のものだった。


「…………ばか。なんでするのよ」


 ふい、とまたもレティが顔を逸らす。さっきとは違って視線を合わせないようにする程度の逸らしだった。


「いやだった?」

「いやじゃ……ないけど。なんでするのよ。断りくらいいれてよ」

「聞いてもさせてくれないじゃん。……今のレティがすごい愛おしいって思ったから勝手に動いたんだ」

「は、恥ずかしいから言わないでよ! も――! これくらいの行動力を前の時にしてほしかった!」

「それは……僕自身本当に思う。あの時にしておけばよかったよね」

「……で、できるかなぁ」


 顔を染めてレティは呟いた。そんな小さな反応も僕はとてもうれしく思う。


「じー……」

「わ、リコ!」

「リコちゃん!」


 声を上げて自分がいることを告げるなんて芸当をどこで覚えたのか、リコは柱に身体を半分隠して僕らを見ていた。

 とてとてと歩いてくる中、リコの可愛い顔はムスッとふくれっ面。


「リコにもして」

「え?」

「え、それは……」

「リコにもして!」

「……」

「……」


 僕もレティもどうしようと顔を合わせる。まあ、何も思いつかない。「じゃあ……」と声を上げつつ、「シズク!?」と驚き声を上げるレティを尻目に、僕はリコにゆっくりと顔を近づけて――「ちょ、ちょっとシズク本気っ!?」――チュっとリコの頬に唇を落とした。


「なんか、ちがう。メレティミにしてたのをしてほしい」

「駄目。これで我慢してよ……ね、ほら、レティも」

「え、ええ……そうね」


 ほっと安堵しながらレティは僕がした方とは反対側にキスを落とす。

 リコは両頬を撫でながら、納得いかないと嬉しそうな顔の半々として走って行ってしまった。


「リコちゃんにはあまりしてるところ見せたくない」

「いないと思ったんだけどね。でも、僕はしたいと思ったらしたいよ」

「……ばか」


 レティの肩が僕の肩を叩いて……それからも僕らは2人並んでエストリズの景色を空から眺め続ける。

 そんな空旅もあと半日は続いていくと言う。





 さて、なんで飛空艇に乗ることになったのかはルフィス様の依頼を受けることにしたからだ。


 ――女性用下着のモデルになって欲しい。


 食事を堪能し「ごちそうさま」と口にした後にルフィス様は依頼の話を始めた。


「ここにいるセリスさんはこの国でも有名なランジェリーデザイナーでして、私どもフォーレ家を含んだ多数の貴族に、はたまた王室へ献上される下着を任されているその界隈でも有名な方なんですよ」

「まあ……それほどでも……あるかな」


 セリスさんは元々とある町の製糸業を営む平民の一人娘であったそうだ。

 10年ほど前、とある貴族に気に入られたことから専属の仕立て屋となり、今では王宮にいる専属の仕立て屋ですら舌を巻く、斬新で快適な下着デザインは世の貴族女性陣の心を鷲掴みにしている――とルフィス様は自分のことのように彼女を褒め称えていた。

 ただ、いわゆるスランプというものだろうか。セリスさんは現在絶不調で全然いいアイディアが思いつかないと言う。そこで相談されたのがお得意先の1人であるルフィス様で、彼女が提案したそれというのが、


「レーネとメレティミと呼ばれる美少女2人組の冒険者にモデルを頼んだら何か膨らむのではないかと思ったのですけど……」


 やっぱり僕は美少女として通っていることに対しては何も言えなくなる。

 そして、1つ重要な問題が僕の中で生まれた。いや、説明を受ける前から思っていたことなんだけどさ。


「その下着のモデルって」

「はい」

「…………僕も?」


 そう、訊ねた途端、後ろに座っていた3人がこちらにも聞こえるくらい大きく噴き出した。いや、もう腹を抱えて大爆笑している。レティですらプルプルと震えて耐えていた。

 はあ……。


「人の話を盗み聞きするなんてあまりいい趣味じゃありませんわよ?」


 音を立てて椅子から立ち上がったルフィス様がきっと彼らを睨みつけ、続いてヴァウェヴィさんまでもが顔を向け腰に挿していた獲物を掴みだす。


「なんやレーちゃん、けったいなご友人様をお持ちやんな」

「レーネの下着姿かあ。俺も見てぇもんじゃ」

「くくっ、きっとお似合いだと思いますよ」


 くつくつと笑う3人にルフィス様はむっとしながら滲み寄ったので。


「わーわー! 彼らは僕の友人なんだ!」


 と、僕は両者の間に割り込んで説明し……とりあえず、テーブルを持ちあげて一緒の席に着いてもらうことにした。

 簡単に自己紹介をするとルフィス様は「そうだったんですの」とあっさりと納めてくれた。懐が大きいのかわからない人だ。


「ん……君は男の子なの?」

「ええ、性別上は……」


 と、セリスさんに訊ねられたので一応ギルドカードも見せる。


「Mon Dieu……」

「「え?」」

「お気になさらず。彼女は時たま意味のわからない言葉を呟くの」

「……あ、ああ。癖でね」


 ルフィス様のフォローを受けながら、セリスさんはばつの悪そうな顔をした。


「そうなんですか」

「……ふーん」

「でも、俄然に気にいった。ルフィス様の話ではそんなことでって思ったけど、2人を見たらなんだか創作意欲がわいてくる気がするかも。……まあ物は試しと、私からもお願いするわ。どうか依頼を引き受けてくれないかしら?」


 聞けば僕らは下着デザイナーであるセリスさんと一緒に自宅に向かってモデルになればいいと説明された。

 下着のデザインってどんな風にするんだろう。以前織物をしていたこともあり、あの時は自分で織ったぼろ生地が服になるまでにどういう過程を得るのかっていうのは興味があった。でも、それだけだ。

 まだ僕は踏ん切りが付かずにいた。お金も出来たし、無理して受けるほどじゃない。何より下着モデルというのが嫌。

 それでも受けてほしいと懇願するルフィス様は諦めてくれなくて……無関係なスクラさんたちの旅費と滞在費を含めるならば行ってやる! と啖呵を切ったところ。


「そんなこと? 別に構いませんわ。これでも私、お金持ちですから」

「……今のはマイナスね」

「そうだね」


 って、簡単に承諾しちゃった。

 今の無し! って言おうとしたけど時すでに遅し。


「え、うちら空とべん? え、ほんまに?」

「ひゃっほー! 空は男のロマンだぜぇ!」

「空旅ですか。それもいいですね」


 3人はノリノリで喜びだし、尚且つ予想外に思いのほか賛成をしたのはレティだった。

 なんで! って、レティがを突けば僕は何も言えなくなる。


「……わたし、新しい下着が欲しかったのよね」

「……ごめん。本当にごめん」

「いいわよ。別に。頼んだのはわたしだし」


 この世界に戻ってくるとき、旅支度をしたのは僕だけど、流石に下着については目が届かなかったんだ……そういうこと。

 何気なく口にした言葉は引っ込み付かなくなって渋々と承諾することになった……それから4日の期間を得て今に至る。





 そう言う訳で僕らを乗せたフォーレ家所有の飛空艇に乗り、1日ほどの空旅を楽しんだ。

 風の飛行魔法で何度か空を飛んだことはあるけど、こんな高度まで飛ぶことは無かった。外は空気が薄いと思いきや、船の周辺には僕らが使う水の硬化魔法の様なものがかかっているそうだ。甲板の上は吹き込む風も何もない。

 最新式の飛空艇だと言っていた。

 荷馬車といった車庫や倉庫も以前乗ったものよりも遥かに快適らしい。まあ、かといって自分から行きたいとは思わないけどね。

 十分に空旅を堪能し、飛空艇は大きな湖畔を持つ町に降り立った。


『自家用の船を新調したものはいいものの、適したコアが無くて……そんな中、貴方たち2人が見つけてくれたコアは期待以上の性能を発揮してくれた、と製造の方が言ってましたわ』


 そうそう、僕らが見つけたコアの買い取り先はフォーレ家だ。

 お互いに知っている仲だってこともあって、取引は思いのほかスムーズに終わってくれたのは助かった。買値も15リット金貨と下値よりも5枚も多い。これに関してだけは大いに感謝している。


「以前はキグルキ港に停めて6日ほど馬車での移動になったのよね」

「あの時は大変だったわ。自分のデザインした下着を売り込もうにも移動がネックでね。まあ、どうにか事業は成功し、王宮にまで見初められたお蔭でこんな港まで作ってもらっちゃった。万々歳だ」


 湖畔に着水し、下船をしている最中、何気ないルフィス様とセリスさんの会話の中で僕は1つの単語を拾い上げる。

 キグルキ港。その言葉を聞いて、ふと……あることを思い出す。


「……キグルキ港」

「どうしたの?」

「覚えがあるんだ。きぐるみって言葉に似てる港ってことでキグルキ港って覚えてたんだ」


 そうだ。名前を覚えている。そして、僕が初めて飛行艇に乗ったのもそこだった。


「そうなんだ……あれ? ……わたし……ここ知ってるわ」


 隣を歩くレティが周囲の町並みを見渡して、ぽつりと呟いた。

 

「ううん。違う。これはルイの記憶……この町の名前はなんていうんですか?」

「あ? ここはね」


 レティの問いにセリスさんが答えてくれる。

 製糸業が盛んであるミラカルドの町――ここが、僕の生まれた場所であることを知るのはまだまだ先の話だった。

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