第128話 グランフォーユの下水道掃除

 王都グランフォーユはとても大きな都市だった。

 それまで一番大きいと思っていた世界樹を中心に広まったユッグジールの里の、さらに云倍と規模があって、尚且つ人の数が桁違いに多い。

 それはもう毎日お祭りみたいにたくさんの人が街の中を往来していた。日中は裏路地ですらどこもかしくも人がいて活気がある。


 多くの人の中にも極稀に亜人族や天人族なんていう他種族の姿も目にし、魔法が扱える地上人もちらほらと見かけるようになった。

 時には魔人族の人ともすれ違うことがある。あちらも僕に気が付くと「おや」と驚くが、視線を合わせるも直ぐに逸らされるなんてこともあった。


 また人だけじゃなくて街並みもすごい。1番に注目するのが王都っていうように王様がいるお城があることだ。

 初めてそのお城を見た時、ぼくもレティも思わず見蕩れてしまった。

 まるで絵本の中に出てくるようなお城がそこにあった。外観の美しさも去ることながら、遠くから見ても強固な城壁に覆われている。

 その立派な城壁の中には、ここエストリズ大陸の半分以上を治める王様が住む居城の他に、王都を守護する騎士団、公的機関であるお役所、特級階層の人たちの居住区、ゼフィリノスが入学するって言っていた高等学校とその生徒用の宿舎がある。

 ゼフィリノスは……彼はまだここにいるかはわからない。グラフェイン様のことは気になるけど、あいつのことに限っては知りたいとも思わない。


 城壁の中は学校に行く人を除けば一般の人は入ることは出来ないそうだ。

 そして、学校に行ける一般の人っていうのも難関試験を突破した極僅かな人しかいない――ということを同じ宿を借りていることで知り合った宿泊客に聞いた。ちなみに貴族の場合、試験は顔パスみたいなものらしい。


 そんな立派なお城を中心にグランフォーユは海に沿うように三日月型に広がっていて、上弦である東部は港や船場となる。

 船場には無数の貨物船や乗客船の他に、以前荷物として運ばれた飛行艇が数隻停泊している。ここもまた国の玄関口として門を開いているんだ。

 港の他にも商店や宿屋や居酒屋と、外の人向けの施設が多く、宿場町や繁華街の印象が強い。

 ちなみに僕たちがお世話になっている宿もこの地区だ。宿代の安さで選んだけど店主さんたちの人柄も良く、当りの宿だと思う。魔法になったリコのことも理解してくれたしね。


 下弦である西部にはこの町に住む領民の住宅地が主で、東部とは違った食を扱う市場が構えている。

 漁船はこちら側の港に停泊することになっていて、海産物はもちろん農産物といった食材は西部へと集まるようになっている。


 武器や防具、衣類に旅の消耗品なら東部、食材に関してならば西部に向かう方がいいと聞いた。

 ただ、中心に近いところならまだいいけど、端の一角はスラム街になっていて、危険だから近づくなとも忠告をされたっけ。


 僕らがこの都に着いて半月ほどが経った。

 今は7之月の半ばを過ぎたくらいだろうか。半月って言ってもそれだけの日数を寝泊りしたってだけで、別に数えてもいないし気にもかけてない。

 僕たちがグランフォーユに何日滞在しているかは些細なことだった。

 人の多いところなら“親”と呼ばれる白い少女の対戦相手のお気に入りの駒について何か情報が得られるかも――こうして目下の目的地にこのグランフォーユを選びはしたよ。

 ……だけど、僕らはこれといって何もしていない。

 白い少女の手駒となった僕らだけど、相手の王を探ることもせず毎日冒険者ギルドで依頼を受けてこなす日々を続けている。

 その理由は言葉にするには簡単だけど、口は思ったよりも重くて開けたくなかったからだ。


 ――王を殺せば僕らは元の世界に戻れる。だから、王を探して殺そう。


 問題を先送りにしていることをわかっていたけれど、僕もレティも口にはしなかった。





 さて、半月ほど経過した王都生活に楽しみさえ見出し始めていた僕たちだが、


「……つらい」

「……呼吸したくない」

「リコ、げんかい!」


 今はと言うと、その煌びやかな街並みの地下、悪臭漂う下水道の中にいた。

 リコはもう限界だと僕の中にどろんと戻っていった。

 よくここまで着いてきてくれたと労いの気持ち半分、頭の中で快適だと言うリコの言葉を恨めしく思う。


 下水道は通気口でもあるのか、天井の隅から僅かばかりに光が射している。それでも歩くには心もとないので僕らは魔法で生み出した光球を灯りにして前に進んでいる。

 リコが僕の中に戻ったおかげで今まで全くと気にしていなかった薄暗さに恐怖がふつふつと生まれてくる。


 下水道の入り口付近は外気も合わさってじめっとしていて蒸し暑いくらいだったのに、奥まで行けば僅かに肌寒さを感じた。ただ、夏日の今なら快適かと言えば全然だ。

 この下水道は王都グランフォーユの雨水や汚水を処理する場所だと聞いている。

 汚水っていうのは生活排水だけでなく、人の身体の中から生まれたものの含んでいるのだと思う。

 そういう臭いが下水道に入る前から僕らの足を止めさせたくらいに今も漂っている。


が無かったらどうなっていたことやら……」

「そうね……絶対引き返してたわ……ううん、これでも引き返したいけど……」


 僕とレティの身体の周りには薄いシャボン玉みたいな水の膜を張っている。

 これは強化魔法の1つである水の硬化魔法……身体に纏う水を身体の表面に押し上げたものだ。

 水壁を張ることで雨なんかに濡れなくて済むし、空を漂うゴミや小虫なんかも結構防いでくれる。ただ、防音性が良くて小さな子音は聞き逃しちゃうこともある。

 この水壁のおかげで下水道に漂う腐臭なんかも多少抑えてくれている……いや、焼け石に水みたいなものだ。実のところあまり防げていない。

 後はワタリさんに貰った普段着は脱いで、頭をすっぽりと覆える雨具を着用してるくらいかな……と。


「シズク見て。出てきたよ」

「了解」


 異臭漂う下水路を歩いていると、べっちょりとした液状のものが脇の水路からにじり寄ってきた。スライムだ。

 下水に流れる茶色の汚水に比べてスライムの身体は半透明で“比較的”見た目は綺麗な身体をしている。

 照明として生み出した光の球か、それとも僕らという生命の熱か、はたまた両方に釣られて出てきたのだろう。

 ゆっくりとゆっくりと水音を立てながらスライムは僕らににじり寄ってきた。


「もう見飽きたよ……」

「そうね」

『リコはみたくなーい!』


 出会って早々、スライムは僕らに触手を伸ばそうとしてきたので、手を向けて水魔法を使用して凍らせた。

 魔力に耐性があるのかスライムの身体は中々に凍らない――本気を出せば一瞬だったけど、ゆっくりとゆっくりとを探りながらその身凍らせていく。

 スライムという魔物は不思議な個体だった。

 感覚といったものが無いのか、破損欠損を受けても行動の手を止めることは無い。自分が凍っていることもわからず、僕らという熱を求めて鈍くなっていく中でも触手を伸ばし続ける。

 伸ばし続けた触手はスライムの体積の殆どを使用し、最後には本体――コアを内包しているだろう拳大ほどの水の塊を残すまで伸ばし続ける。それがわかれば一気に凍らせる。

 後は鞘に納めたままの剣で凍った塊を叩く。ぱりんと割って動きが止められたらおしまいだ。


 倒すだけなら身体の半分ほどを刃物で切り裂くか、一瞬で凍らせて叩き割れば済む話だけど、今回は僕らが受けた依頼の都合上そうはいかない。

 残った残骸から以前お世話になったサイトウさんの魔法――パーソナルスタッフのかかった指輪から出したナイフを使ってコアを探す。

 ビー玉くらいの黒い玉を見つけて恐る恐る……ううん。嫌々と手を伸ばして摘まみ、用意していた革袋の中にしまった。今まで溜めたコアとぶつかってじゃらっと小さな音を立てる。


「ふう、これだけあれば合格点かな?」

「……換金はシズクがしてね?」


 何を言う。


「……じー」

「……だって、触りたくないもの」

「なんだよそれはぁ…………ほれ!」

「ばっ、ばかっ! なに投げてんのよ!」


 ひょいってコアの詰まった革袋を彼女へと放り投げる。大袈裟にレティが避けながら怒鳴りつけてくるが、いい気味だってふふんと鼻を鳴らす。あ、革袋が地面に落ちる前に風魔法で一撫でして自分の手元に戻らせたけどね。


 ゆっくりと凍らせながらコアの位置を確認して倒し、最後はナイフを使って恐る恐るとスライムの残骸を退かしてコアを回収する――こんな手間をかけてスライムのコアを集める理由はいくつかあった。

 ここが足場が見えない程度に薄暗いこと。

 倒した後で死骸が水路に落ちないようにするため。

 そして何より……。


「いやよ……触りたくない」

「うん。汚水で育ったスライムの身体なんて嫌だよね……」

『リコもさわりたくない!』


 よく言うよ。僕の中で悠々としているリコには先ほどから変わらず恨めしい気持ちでいっぱいだ。


 この下水道に生息するスライムはこの都に住む人が人工的に生み出したものだ。そして、養殖されたスライムは下水の洗浄処理で活用されている。

 この下水道にいるスライムは汚水を体内に取り込んで、不純物だけを消費して残った水はろ過して海へと還元している……この下水に住むスライムたちはこの町から流れる生活水を餌にして生きているんだ。


 まあ、だから、面倒な手段でスライムを倒していた1番の理由がこれだ。

 僕らはここのスライムになるべく触れたくなかったのである。

 野良のスライムだって虫や獣の糞尿や死骸で育っているものもいるっていうのに、人の出す水が大半ってだけで嫌になるのはどうしてなんだろうね。僕たちだけなのかな。


「こういうのも仕事なのね……」

「流石に僕も初めてだよ……」


 でも報酬はいいんだ。もしかしたら、一攫千金も狙えるという可能性もあり――そう。


 今回僕らが受けた依頼は下水道掃除という名目でのスライムの討伐だった。





 今回の依頼の難易度は7段階評価で下から3番目の青。

 現在黄色である僕らからしたら1つ上の段位であり、以前の僕からしたら1番多く受けた難易度でもある。

 報酬は“総額”10リット金貨。銀貨じゃなく金貨。

 今までの中で最高額――なぜ青の段位でここまでの金額が出るかと言うと総額だからである。


 この依頼は数百人規模の多人数参加型という珍しい依頼なんだ。

 また、緑段位を除けば全ての段位者が参加できると言う依頼でもある。

 ただ、赤段位さんはいるかもしれないけど、黒や白なんていう人はいないだろう。赤段位の人は今まで何人か見たことがあるけど、黒と白段位の人は見たことない。


 1人当たりの取り分は5リット銀貨前後は貰えるっていうのはお世話になっているギルド員さんから聞いた。

 勿論それは平均値であり、低い人は銅貨数枚で終わるし、高い人は1人で50リット銀貨も稼いじゃうとか。50リット銀貨なんて、数か月分の稼ぎに値する。

 1日で大金が手に入るかもしれない夢の様なお仕事……これが巷の冒険者に有名な年1度行われるグランフォーユ地下水道大掃除である。


 また、今回の依頼に達成条件と言ったものはなく、スライムの体内で形成されたコアを回収し換金する歩合制である。

 そして、1人で50リット銀貨を手にするっていうのは、特に肥えた巨大スライムの持つ大きなコアを換金した場合の話でもある。


 コアは魔道具の核として使われるけど、主に魔道具の燃料としても消費される――これもそのギルド員の人から説明を受けた。

 魔道具のコアは消耗品らしく、使っていけばコアは小さくなっていく。そこで消耗を抑えるために小粒のコアで代用するそうだ。ただ、殆どは飛行艇やお金持ちの魔道具を利用した家の管理に当てられるみたいだけどね。

 面白いことに飛空艇といった大型の魔道具はその身に見合う大きなコアを使わないと動かないそうで、粒コアを何百個と集めても、同じ比重の大きなコアと同様に使うことは出来ないらしい。 

 こうして普段僕らが集めギルドが買い取ったコアは業者に降ろされ、業者はまたコアを精製して固形燃料として売りに出す。固形燃料と化したコアは求める人に売られてお金に変わる。

 小さい頃は何も考えずにコアを集めて売っていたけど、こういう循環をしているんだってことを今回の依頼を受けて初めて知った。





「魔物のコアが木炭やガソリンって感じかしら」

「魔法の世界って感じがするよね」


 そして、今回僕らが目指すのはまさしくその巨大スライムのコアだった。

 こればかりは先ほどから大量に遭遇しているスライムと比べものにならないほど極端に数は少ない。見かけることは出来ればラッキーの早い者勝ちだ。


(最初は沢山お金を稼げるかも! って、はしゃいでいたけどなあ……)


 異臭のせいか口数も少ないままに進んでいくと、ふと……曲がり角でばったりと何かと出くわしてしまった――スライムじゃない!

 即座に腰に手を向けて剣の柄を握って――。


「おりゃ、メレちゃんにレーネかあ!」

「……っ……なんだスクラさんたちか」


 握った手を離して手を上げて答える。

 曲がり角から現れたのは見知った3人、スクラさんにラクラちゃんとキーワンさんだった。

 この3人は今お世話になっている宿が同じという理由から知り合った冒険者さんたちだ。


「元気かー……って、この臭いじゃそうなるわな」

「ええなあ。その透明なの。あたしらも欲しいわ」


 彼らも同じく戦闘態勢を取ろうとしていたけど、僕らだとわかると直ぐに肩の力を抜いていつもの軽い口ぶりで話しかけてきた。


「3人もこのブロックだったのね」

「やー、同じブロックかはわからん。ラクがこっちやこっちやーって曲がりに曲がっちゃ色んなところ行ったしのお」

「はあ!? なんやの? あたしのせいばかりにして。おにいもあっちじゃあっちじゃゆーてあたしら引っ張り回したやん」

「たはは……まあ、こんなありさまで。おかげさまで未だ大物には遭遇してませんよ」


 どうやら彼らも同じく坊主らしい。

 でも、キーワンさんの腰にぶら下がっている革袋が膨れ上がっているところを見ると結構な数のスライムを倒しているようだ。

 いつもなら大量だって喜ぶところだけど、僕らもスクラさんたちも狙うのは巨大スライムであり、これらは全部外道でしかない。


 スクラさんとラクラちゃんは南のテイルペア大陸出身の兄妹で、小さい頃から冒険者をしていたそうだ。


(……最初は宿屋の食堂でご飯を食べていた時、スクラさんにナンパされたことで知り合ったんだけどね)


 そこから何度か話を交わして行くうちに一緒に依頼を受けたりもしたりしている。


「……いつ見ても2人が使う魔法は便利ですね。松明を買い忘れたおかげで懐が痛い痛い」


 たははと笑うキーワンさんだけど、手に持っていた松明を見つめる黄色い瞳は悲し気だ。

 キーワンさんは地人族では珍しい魔法使いだ。けれど、使用できる魔力量は魔族である僕らからしたら少なく、いざという時のために温存していると言っていた。


「もうおにいのせいやん! キワの荷物に酒こぼして水浸しにしたからやろ! なんでおにいが買い替えにいかんの?」

「済んだことぉぐちぐちとぉ……そりゃあお前だって同じや。あんとき腹抱えて笑っていたのはどこの誰や!」

「なんやと! あたしゃ悪うないわ! そもそもなんで松明外に出してん! 全部キワのせいやん!」

「せやせや! キワのせいじゃ」

「え、ええ……全部私のせいですか……」


 3人と知り合ってからは毎日と夕食を共にしたけど、昨晩は部屋に戻った後も酒盛りをしていたのだろう。

 兄妹喧嘩の話の内容からしてその光景がありありと思い浮かぶ。


「大体19にもなってなんで酒こぼす? ありえんやろ!」

「はあ、歳は関係ねえやん!? なんで歳のこと言うん!? んなら、お前こそ未だ寝しょんべん垂れじゃ!」

「は、はあっ! 誰が寝しょんべん垂れじゃ! いつの話しとって!」

「まあまあ、2人とも。今更過ぎたことですから。そろそろ穏便に――」

「キワ! お前はちょっとだまっとれ!」

「そや! キワが出てくると話がややっこしなる!」

「は、はあ……左様で」


 話を聞かない2人に仲裁役の苦労人。

 僕が持つ彼らの印象はそんな感じだった。


「相変わらずだね……」

「そうね。出会ってまだ日も浅いっていうのに相変わらずって思っちゃう」


 僕ら2人とキーワンさんは、こんな場所でも口汚く罵る2人を黙ってみていることしかできない。

 ようやく兄妹喧嘩が終わった頃には、回りに回ってなんでか今晩僕らが酌をすることを条件に終わりを迎えた。

 なんだかとばっちりを受けたような気分だ。別にいいけどさ。





 その後、3人とは途中まで一緒に行動をしていたけど、出てくるスライムを討伐するに至ってコアの分配が厄介になりそうだったので別れることになった。


「じゃあ、また宿でなー?」

「はい。皆さんも気をつけて」


 手を振っていざ再開……って時にラクラちゃんが僕の首根っこに腕を回して引き寄せてきた。「わ」と驚いて声を上げる僕と「あ!」と同じように驚いてレティが声を上げた。

 ショートカットの……兄妹お揃いの茶色の髪が頬を撫でる。これまた兄妹お揃いの緑色をした瞳が意地悪そうに細めて僕を見ていた。


「ねー、レーちゃん。今夜ごはん終わったらあたしと一緒に飲もー?」

「え、まだ僕は子供だからお酒はちょっと……」


 お酒は生前のことや、レティが連れされそうになったことなんかもあってまだ抵抗がある。

 ただ……彼女が連れ去られそうになったことを抜きにすればあの時のお酒も悪いことばかりじゃない――なんて、この前のことを思い出すとつい頬が熱くなる。


「……っ」

「……?」


 ふと、むっとしたレティと顔を見合わせればぼっと沸騰しかのように僕の顔が熱くなった。

 良くあんなことが出来たなって今でも思う。首を傾げるレティには今の僕の気持ちはわからないだろう。言ったところで同じ反応をすると思うけどさ。

 ただ、あの時に踏み出せたことはとても大きなものだった。あの1歩があったからこそ今の僕らは前以上に距離を縮めることが出来たのだから。

 でもまだお酒は勘弁かなーとお断りをして、ラクラちゃんの腕から離れる。

 レティがむすっと僅かに不機嫌そうに僕を見ているけど何もしてないからね、という感じで首を横に振っておいた。


「ほーお、なら、あたしが大人にさせちゃる」

「……は? そんなお酒を飲むからって大人って訳じゃ――」

「ちゃうちゃう。こっち。こっちの話や」


 こっちって何って聞く前にラクラちゃんは僕の下を指さした。

 下って……え?


「特別大サービスの大盤振る舞いや。どうせまだやろ? 本番の為に練習やと思って」

「れ、練習って……」


 なんてことを言うんだ。

 じりじりとにじり寄ってくるラクラちゃんの動きはまるでここにいるスライムのようだった。


「ええやろ? 1晩だけの関係」

「だ、だめ! 何言ってんですか! ひっ、1晩だけの関係って!」


 後退る僕と迫るラクラちゃんの間にレティが大声を上げて割って入った。


「なんやの。メレちゃん。顔真っ赤にして純ちゃんやね。少しくらいレーちゃん貸してや。メレちゃんには変わりにおにい貸しちゃるから」

「え、俺メレちゃんのお相手できんの? ほんまに!?」

「は、はあっ!? 冗談でも言って良いことと悪いことがありますよ!」


 その言葉に今度は僕が驚いて声を上げる番だった。

 ついスクラさんからレティを隠すように立った。背の高いスクラさんから身長差のある僕ではレティを隠すことなんて出来ないけどね。

 2人は僕らをからかっていることはわかっていても、反応しちゃう。

 この兄妹はにやにやと意地悪そうに笑っているけど、このやり取りもキーワンさんが入ればすぐに終わってくれた。


「ラクラさん……レーネさんが言った通り、冗談でも言っていいことと悪いことがあります」

「ああっ! キワかんにんなー冗談やって! ほんまほんま!」

「はあ……もう悪ふざけはやめてとっとと行きますよ。スクラもほら」

「おう! じゃあ、おふたりさん宿屋でな!」


 冗談だと言うラクラさんだけど、最後の方で「半分なー」とわざとらしくキーワンさんに伝えるような声を残して去っていった。

 でも、僕もレティは知っている。その半分なーって言葉も冗談だってことをね。


「わかってるんだけどね……」

「え、ええ……」


 2人して顔を真っ赤にしながら3人とは別々の方向へと足を向けた。

 3人といるのは面白いけどこの場所じゃなきゃよかった。

 生温いような肌寒いような気持ちの悪い空気が肌に張り付くみたいに思える。


「ねえ……」


 とぼとぼと2人で歩いていると、レティが立ち止って僕に声を掛けた。


「シズクは……君は、ああいう方が良い?」

「え、ああいうのって?」

「その……ラクラちゃんみたいに、もっと大胆に迫った方が良い?」


 一瞬、レティが何を言っているかわからなかった。

 うん? と首を傾げて一考し……ぽん! と僕の頭が破裂しそうになった。

 同じくレティも顔を真っ赤にしている。


「や、やや! いいって! いつものレティでいいよ! ね!」

「そうかな? でも、君って押しに弱いところあるし……」

「いやいやいや! 断るから! あれが冗談じゃなかったとしても僕にはレティが、君がいるし!」

「本当に? 他の人のところに行かない?」


 顔を赤くし、それでも不安げな瞳で僕を見ている。

 こんな弱気な、彼女らしくない態度をとったのもこの場所のせいかもしれない。

 死ぬことは無いとしても、太陽の無いこの地下では僕だって不安になる。リコも身体の中にいるから恐怖だってある。

 僕はレティの手を掴んでゆっくりと引き寄せる。

 レティの驚く顔を見ながら微笑みかけ、ゆっくりと目を閉じ唇を近づけて――。


「あ……っ」

「……」


 触れたのはいつも通り一瞬よりも長いくらい。

 その長い一瞬に身を任せて目を開けるとレティの顔に覗かせていた不安は消えてくれたらしく、代わりに恥じらいにも似た照れを浮かばせていた。


「……ね、信じてよ」

「……それはずるいよ」


 レティは僕の胸をとんと軽く殴ると顔を背けた。そのまま顔を合わせることもなくレティは前へと1人先に行く。

 でも、繋いだ手は放さず僕を引っ張っていく。僕も引っ張られるままに前へと進んだ。


『へんなふたり』


 リコがぽつりと僕の中で呟いていた。

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